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第二〇章 「オペレーション・ナタ」



ノドコール国内基準表示時刻1月8日 午前7時15分 ノドコール南部 ロギノール市郊外 ロギノール飛行場


 星明りを塞ぐほどの分厚い雲に支配された夜が過ぎ、日が昇るのと同時に抜ける様な青空が広がってきた。

 ロギノールの飛行場を発ったとき、東より生まれ出でた太陽は、初々しいまでに赤い光を放っていたが、AOH-01「グリフォン」攻撃ヘリコプターがロギノールの港街を越え、南の海を睥睨する針路に入ると、地平線より抜け切った太陽は金色の光の塊へと転じ、旋回に傾くグリフォンの機内を眩しく彩った。海上をさらに南下し、上昇に転じる。


 斜光グラスごしに朝日に視線を流し、操縦桿を握る者にストレスを感じさせないほどグリフォンは滑らかに昇る。それも空対地中距離多目的誘導弾(ASMMPM)八発、ロケット弾ポッド二基を搭載した状態で、である。ポッド一基につきロケット弾19発が装填されていて、その全てが弾頭部を換装し、母機からのレーザー誘導が可能な様に改造が為されていた。望み得る限りの重武装とも言える。対水上捜索モードに転じたミリ波レーダーは、ロギノールの海に拡がる布陣を、操縦席の多目的情報表示端末(MFD)に映し出していた。不穏な兆候は未だ見えなかった。


 雲海の狭間、群青の海原に延びる航跡が一条――その速さから、より南の外洋に控える「じゅんよう」型大型揚陸艦から発進したエアクッション型揚陸艇(LCAC)であると判る。「じゅんよう」型は、全通甲板の艦形とその破格の搭載量から、回転翼機の陸上進出が大方進捗した今となってはジャリアー攻撃機の洋上拠点としての性格が強まっている。グリフォン発進の間際、海自のジャリアーが四機、ロギノール飛行場上空を南から北に航過していったことが思い出された。海自は保有するMRJ-90C輸送機、その中でも空中給油も可能な改造を施した機体をスロリアの航空基地まで進出させ、これら海自ジャリアーの支援任務に当たらせているとも聞く。


『――11時下方、P-3C』

 前席に在って目標監視と火器操作に携わる銃手の報告通り、グリフォンよりずっと海面寄りの低空を、灰色の機影が南へと過る。先日にスロリアよりロギノールに進出を果たしたばかりの海自P-3C洋上哨戒機だ。後継のP-1が充足しつつある今、退役が更に進む見通しが強まった旧型機、だが乗り慣れたこともあってか、洋上監視任務への適合性はなおこのP-3Cを推す搭乗員が多い。特に上陸作戦後、制海権が完全に日本側に確保された今となっては、護衛艦隊の近傍に接近する異国の艦影が増え始めている。敵対の意図では無く情報収集の意図であった。基地で作戦を共にする誰かの言を借りれば「野次馬」である。現在ノドコールの海上で作戦行動中である「世界最強の海軍」の動静を探ろうと、どの国も必死なのだ。


 そのP-3Cは、今や作戦に参加する機体の多くがノドコールの内陸を飛ぶ。


 開戦からほぼ二日で制空権まで掌握された結果、KS軍は部隊の移動と補給網の維持を夜間の小集団による車両輸送に頼る様になった。高精度の索敵装備を有し、大型機故に破格の兵装搭載量と滞空性能を有するP-3Cは、今やこれらを捜索し、捕捉し次第殲滅する任務に就いている。具体的にはASMMPMとJDAMを積んだP-3Cは、AWACSやGSTARSと連携しつつKS軍の保有する対空機関砲や携帯地対空ミサイルの射程の及ばない12000フィート以上の中高度より地上を「哨戒飛行」し、搭載するレーダー及び下方監視赤外線(DLIR)で敵影を捕捉し、攻撃するというものであった。

 現に給油や整備のためロギノールに着陸してくるP-3Cの中に、機首や垂直尾翼に哨戒飛行の回数を示す爆弾のマーク、撃破戦果と思しきトラックや戦車のマークを複数書き込んだ機体が増え始めている。それまで洋上哨戒飛行の際は不要な筈の個人用暗視装置の需要がP-3C乗員の間で急増し、本土からお蔵入りになった旧型器材の在庫をひっくり返して追加派遣のP-3Cでスロリアまで急送するという「椿事」すら起こっていた。また、P-3Cは補給物資を内蔵したカプセルも積み、応急的な物資空中投下にも活躍している。P-1は高性能だが、残念ながらここまで「器用な」機体ではない。


 飛行可能距離の南限に達し、グリフォンは機首を北へと転じた。

『――一時下方』

 銃手が言い、目を凝らした海原の一点で目が止まる。洋上に浮かぶ巨大な碁板?……否、俎板(まないた)と言うべきか、四隅にクレーンと構造物をくっ付けた矩形の浮体が、その一端に二隻の輸送船を繋げているのが高空からでもはっきりと見えた。全長二百メートルを超える事前集積船の腹から人口の島に降り立つ車の列、コンテナの山、そして人の群――それらは反対側に接岸していたLCACと運貨船に速やかに移乗し、人員と装備を満載したそれらは速やかに離岸しロギノールへと北上していく。


 自走式の台船であった。それもただでさえ広範なそれらを複数隻繋ぎ創り出した人工の島だ。開戦に伴うロギノールの港湾機能喪失を見越し、港湾工事用に建造されたそれらを人員と共に「収用」した結果である。本来は「転移」後の復興事業用に整備されたものだ。「収用」とあるが、ノドコール「解放」後にはこのまま留め置かれ、ロギノールの復興事業に用いられる予定になっているとも聞く。それらを見越した上で、台船を保有する建設会社も「収用」を快く受け入れたのだろう。台船は他にももう一隻存在し、そちらは本土から輸送されてきた増援部隊の兵員と物資の中継拠点として機能する。さらには自走式の浮きドッグもまた、本土より移動してきた複数が展開し同様の任務に就いている筈であった。ノドコール港の復旧が更に進めば、揚陸と補給はより効率的になるだろう。台船より距離を置いて巨大な貨物船とタンカーが数隻、洋上に並んで泊り、荷卸を待っているのも見える。


 機上――台船からさらに離れた海域、一隻の艦影を認めた。通常の護衛艦より二回り程小振りな艦影、だが艦尾にはヘリ発着甲板を有し、より接近すれば速射砲や対艦ミサイルを搭載しているのも見える。浮きドッグで運ばれ、海域到着と同時に哨戒任務に就いた哨戒護衛艦(PC)である。現状では二隻のPCと四隻の海上保安庁巡視船が、本土より浮きドッグでここまで輸送されて展開している。

 哨戒護衛艦(PC)は地方隊の指揮下にあって日本本土の海峡、島嶼帯の防備に当たる小型護衛艦である。武装は航洋能力を有する通常護衛艦に匹敵するが、通常基準排水量で1500トン前後の艦容では、長期の外洋作戦は不可能に近い。しかしロギノール周辺(将来的にはノドコールの港)を根拠とする哨戒任務はどうか?……従って、時間は海自がノドコールの海を支配するのに、今のところ協力を惜しんではいなかった。


 グリフォンは再び南から海岸線を越え、そのままロギノールの街を北上する。


 陸揚げされた増援部隊の車列がミリ波レーダーに映っている。彼らが中央通りを北へ走るのに付き添う様に、グリフォンは高度を下げて飛んだ。洋上監視任務の次には、増援部隊の護衛という任務が続く。

 上陸作戦とロギノール占領が成功したとはいえ、市街にKS軍の残党が潜んでいないという保証は無い。作戦全体の遂行には支障をもたらしてはいないものの、現に街中では散発的な襲撃が複数回発生している。その度にグリフォンの監視機能と火力は過分な威力を発揮している……中央通りの終端、本来の直線道路を意図的に迂回路に直し、鉄条網とコンクリートブロックで厳重に防護したロギノール飛行場への出入口が見えた。その近傍に無数の段列陣地と補給段列が配置され、装備や天幕が連なる様は、訓練飛行で空から睥睨する本土の陸自駐屯地の全容を彷彿とさせた。翻って飛行場、海自塗装のジャリアーが二機、滑走路を駆けて飛び上がろうとしている。ここ数日は陸自ヘリの他、哨戒機やジャリアー、哨戒ヘリの様な海自機の利用が目立っていた。


 グリフォンはより高度を下げ、粗末なコンクリートブロックを敷きつめただけの、一本しかない滑走路を周回する針路を取った。周囲もまた陸自に後続して展開した海空自の警備隊により防護されているが、その周囲は草地と荒地が広がっている。その草地にもKSのゲリラが潜んでいるかもしれない……操縦席から見通す飛行場のいち区画、迷彩されたサンシェード型ハンガーから引き出されてきたグリフォンが、エンジン始動に掛かるのが操縦席から見えた。それが飛び上がり、警戒飛行を交替するまで飛行場を周回し、地上を警戒するのが任務飛行の最後である。



 着陸――それを見届けた交替のグリフォンが周回飛行を終え、南下するコースに入った。

『――ペットショップ2、エンジン停止(カット)

 スイッチを切り、メインローターの回転が完全に止まるのと同時に、疲労はどっと襲ってきた。マスクとシートベルトを解く手も重かった。エンジン停止まで機体を誘導してくれた機付長 根間 遥 二等陸曹が外から風防を開けた。


「お疲れ様です。蘭堂二尉」

「根間さんもお疲れ!」

 HMDと連動した、重厚な造りの専用ヘルメットを脱ぎ、二等陸尉 蘭堂 健太郎は根間二曹に微笑んだ。昨夜から任務飛行はすでに三度に及んでいる。健太郎の様な操縦士もそうだが、根間二曹もまた整備員として不眠不休で働いているのだ。自分だけが疲れているわけにはいかない。重い脚と腕に力を入れ、健太郎は座席から腰を上げた。座席から立ち上がり、風防の開いた前席、AOH-01の銃手席を覗きこむようにした。

「石森准尉、大丈夫か?」

 ヘルメットを用具入れに収める手を止め、「ペットショップ2」銃手、石森 圭介 准陸尉は歯を見せて笑い掛けた。労う意図で健太郎は石森准尉に握手を求める。健太郎の手を強く握り返し、石森准尉は言った。

「おれも銃座もまだピンピンしてますよ!」

 

 昨夜から続いたロギノール北部の攻防戦、敵の反抗の矢面に立った水陸機動団の航空支援に、「ペットショップ2」は二度飛び、朝方からの定例の警戒飛行にもう一度飛んだ。特に前者二度はノドコール中部の山岳戦以来の、純然たる戦闘飛行だ。上空から睥睨し得る限りの地獄、それを拡大するためにペットショップ2は飛び、航空支援自体は一機の損害も無く成功裏に推移した。今から暫くは休養と待機が続く。余程の情勢の急転が無い限りは……であるが。


「根間さんは休めるんでしょ?」

「私はあと機体の点検があるから……それに、撃破マークも描いとかないと」

 根間二曹はニコリと笑った。彼女は健太郎より五年年長で、離婚経験がある。郷里の沖縄に三歳の娘を託した上での「出征」であった。健太郎にとっては実施部隊配属以来、機体整備に関しても、人生観に関しても倣うに値すると思わせる「姐御格」でもある。

「撃破……マーク?」

「撃破したでしょ? 戦車一両と、あと……トラックを三台」

「そんなのいいですよ」

「いいやよくない! 私のグリフォンですから」

 子供っぽさすら滲ませた根間二曹の断言に、健太郎は内心で気圧された。彼女自身機体整備に関して妥協を許さないこともあるが、自衛隊において航空機は基本、機付長の「もの」なのだ。撃破マークは操縦者の「戦果」と言うよりも、機付長の与る機体の「記録」である……そのことを改めて思い返し、健太郎は気を取り直す。


「では、グリフォンのことを頼みます」

「ゆっくりお休みください蘭堂二尉。搭乗割だと夜までは休める筈です」

 「心得た」と言いたげに根間二曹は敬礼し、階級は上の健太郎は答礼する。それで飛行は終わった。用具入れを提げ、護身用の89式カービンライフルを担ぎ直し、健太郎は指揮所の方向を顧みた。やはり89式カービンを担いだ石森准尉が、健太郎を待ってくれていた。単に銃器管理が厳重なこともあるが、ロギノール飛行場では警備要員以外の隊員も常時小銃の携帯が義務付けられている。やはり不測の事態に備えた護身のためであった。

「疲れたでしょう。蘭堂二尉」

「ああ疲れた! さっさと寝たい」

「おれ腹が減りましたよ」

「発進前に食べただろ」

「食べたと言ってもグラノラバーとエナジードリンクですよ? あれは食事の内に入るんですか?」

「大昔の英霊は乾パン一個でアメリカ軍と戦ったんだ。グラノラバーぐらい何だ」

 本気で言っているのではない。意地悪そうに、健太郎は笑いを作って見せた。苦々しい表情でおどけた石森准尉が、眼前の人影に背を糺した。遅れて向き直った健太郎の端正な貌が、軽い驚愕に席を譲った。


「ヨッ!」

「タケちゃんか!」

 軽装であったが、沢城 丈一もまた、89式カービンを担っていた。遠い北、昨夜の戦闘で作った小傷が生々しく顔を飾っている。


 食堂までの道は長い。

 ロッカールームで航空軍装を解き、そしてふたりは並んで飛行場を歩き出す。ただしカービンライフルは手放せなかった。帰投したときにはいなかったC-130が一機、専用エプロンに侵入するのが見えた。ここノドコールにおいて、日本の空は徐々に拡大しつつある。反対側の陸自専用区画では、UH-1Y汎用ヘリの列線が一斉に始動を始めていた。戦場の塵に洗われた形跡のない、真新しい迷彩の機体。本土より新たに追加派遣された飛行隊の機体だと判った。その列線に向かい、完全装備の普通科隊員が列を為して駆け出していく。その軍装もまた真新しい――


「――第7師団の別働隊だ。北の村に行くんだな」沢城が言った。

「あの村か……完全に前進拠点になってしまったな」

 彼自身参加した昨夜の戦闘を思い出しつつ、健太郎も言った。戦う場所は違え、ふたりは平等に地獄を見た。その結果として、今次の戦争に新しい展望が拓いたと、ふたりは信じたかった。


 遠方で一機のUH-60Jが上昇する。ヘリは榴弾砲を吊下している……中部の山岳地帯にも漸く展開が完了したばかりの105ミリ軽量榴弾砲だ。155ミリ榴弾砲搭載の火力戦闘車が展開できない山地や都市部での戦闘を想定し実質急造された間に合わせの「野砲」、あるいは火力戦闘車の調達コストが高騰した結果、ハイローミックスのローとして急遽開発された「代替品」という悪口も存在する。しかし前身のFH70 155ミリ榴弾砲の総重量8000kgより遥かに軽い2000kgという軽量ぶりと、同時並行して開発された専用誘導砲弾は、以降の陸自の戦術に新しい可能性を提示することになるかもしれない……上昇しきったブラックホークは北へ機首を転じ、その行き足を早めて行く。ヘリは向こうで装備と人員を下ろし、北で拠点確保に当たっていた水陸機動団の隊員を載せてまた此処に戻って来る。


「地対艦ミサイル部隊も北上している。あの村に展開するんだそうだ」

「いい位置だからな。あそこからなら中部一帯が射程に入る」

 上陸作戦の翌日に陸揚げされた新型地対艦ミサイルは、射程遠進型の巡航誘導弾で、地上目標も狙えることは勿論、有効射程は500kmを越えるとも噂されていた。有効射程の及ぶ範囲に安全圏が形成され、それは友軍の順調な進攻に寄与するであろう。


 沢城が言った。

「後続の第4師団は、ロギノールから上陸が決まったよ。今頃ノイテラーネの沿岸を眺めながら南に船旅だ」

「そうか、予定通りに進捗して良かった」

 前進の第5、第14旅団、水陸機動団が切り拓いた進攻ルートを確保し、以後の地上戦の主軸を担う第4師団の展開地域が、作戦全体の進捗によってノイテラーネに程近いスロリア中部か、はたまた上陸作戦の実施地点たるロギノール方面か何れかに変わるのは、作戦に参加する幹部であれば開戦前より周知されていることであった。そして幹部の多くが後者を望んだ。なによりKSの「首都」キビルに近い位置であるのも然ることながら、兵力の移動と補給が陸路よりも海路の方が容易なのは自明の理である。ロギノール確保の成功を受け、日本政府は海上支援船隊に所属する事前集積船や航空機輸送船のみならず、民間契約の貨物船や輸送船、燃料備蓄用にタンカーまで動員してロギノールの海上に一大補給拠点を構築してしまった。そこにやはり契約により動員した友好国の民間船舶も加わる。それはさながら日本と友好国、ロギノールとを繋ぐ海の補給路であった。KS国、ひいてはそのバックにいるローリダ共和国も、彼らに手を出して徒に敵対を招く様な愚行は犯さないだろう……もっとも、KS国にシーレーン維持を妨害出来る様な海上戦力があれば、の話だが。


「タケちゃんは、また戻るのか?」

「いまのところ休養さ。待機をすっ飛ばして出動になる可能性大だけど」

「また北に?」

「嫌な噂だが、ハイジャック絡みで東京で何か用意してるって……ひょっとしたらおれ達も……」

「…………」

 陸上自衛隊 水陸機動団偵察中隊――沢城 丈一が、所謂「特殊部隊」の一員であることに、健太郎は今更の様に思い当たった。此処から遥か遠方で起こっているテロ事件が、ここに来てノドコール情勢と連接する。それが今に至るまで想像できなかった自分の迂闊さを、死地を潜った親友のためにも健太郎は内心で恥じた。


「タケちゃん、死ぬなよ」

「ケンタもな」

「悪いけど、おれは死ぬ気はしないな」

「奇遇だな。おれもだ」

 ふたりは、初めて互いに顔を見合わせて笑った。


 はるか北、蒼を背景に城郭の様に聳える層雲の向こうでジェットの音が聞こえた。幾重もの轟音が連なる。

 それらは風となって南の大地に達する。それは不穏ただ一言を地上の若者たちに思わせた。





ノドコール国内基準表示時刻1月8日 午前11時25分 ノドコール西部上空


『――ワイルドキャット・リーダーより全機へ、侵入点(IP)通過、全機散開(スプレッド)散開(スプレッド)

 先行する「攻撃隊」F-15EJストライクイーグル支援戦闘機の交信だ。目標は監視衛星が捕捉した対空ミサイル陣地、「ワイルドキャット」編隊をはじめF-15EJ 12機、F-2 8機から成る「攻撃隊」で分散した地上目標を叩く。ただし、この作戦の目標は地上にある敵重要施設ではない。この攻撃機動自体、真の目標捕捉のために必要な作戦であるのに過ぎない。


 航空自衛隊二等空佐 石川 為重は操縦桿に力を篭め、旋回機動に入れた乗機F-15DJイーグルをそのまま背面姿勢に転じた。自身の率いる編隊「メビウス1」から下方、目視し得る数キロの距離を置き、メビウス2のF-15J二機がメビウス1を追う様に旋回に入ろうとしているのが見えた。統合ヘルメット照準システム(JHMCS)によって、眼前に数字として投影される高度は40000フィート。首を傾けた先で、平坦な雲海が見下ろす限りに拡がっていた。F-15Jの視界は抜群にいい。それが実感できる天侯と背面機動である。

 

「――! ――!」

 酸素マスクの下で呼吸を整えて急機動に備える。西方――その方位まで広がる雲海の、地平線にまで達するさらにその下に、KS国の「自称首都」キビルが所在する筈であった……そう、今やPKF地上部隊にとっての最終到達地点にして最大の戦略目標たるキビルだ。イーグルの俊足をもってすれば、指呼の位置でしかない距離から、石川二佐はそのキビルを睥睨しているというわけである。


『――クーガー1、目標捕捉(ターゲットインサイト)……攻撃(ナウ)!』

『――タイガー2、目標命中(ブルズアイ)! 命中!……効果大!』

 F-15EJの攻撃班が地上目標の攻撃に入っている。それに急追してきたF-2編隊「タイタン」「アンタレス」も加わる。目標は事前に衛星偵察によりその所在と規模が把握された対空陣地や物資集積所の類であった。しかもキビル周辺に構築された、防空施設とそれに準ずる重要施設。ただしそれらはこの任務に動員された空自全作戦機の求める真の目標では無く、衛星偵察を以てしても把握できていない施設や地対空ミサイルが、キビル周辺には巧妙に隠匿されていると東京の空幕(航空幕僚監部)では推測されている。


「メビウス・リーダーよりスカーフェイスへ、状況報せ(リポート)

『――スカーフェイス・リーダー、周辺に敵影を認めず(ノージョイ)。敵影無し』

 「スカーフェイス」8機は、最もキビル近傍まで接近しているF-15J編隊であった。位置的には攻撃隊よりも先行している。石川二佐直卒の「メビウス」編隊を含め、作戦に参加している全ての戦闘機が地上のレーダーに探知された兆候は無い。むしろ電波妨害の結果、戦闘機とはかけ離れた全く別の飛行体である様に見えている筈だ。後方の空域にあって展開しているEC-2電子戦機、海自所属のEP-1電子戦機の電波妨害と、F-15J各編隊に一機ずつ付随するRF-15EJ戦術偵察/電子戦機の敵地上施設への電波妨害が効果を発揮していれば……であるが。現状、F-15J 24機から成る制空部隊の内、「スカーフェイス」、「ガルム」の二個中隊は爆撃機を思わせる梯団を組み、40000フィートから急激に降下しつつキビルを目指している。


「メビウス、集合(ジョインナップ)、集合」

 石川二佐は旋回を止め、「メビウス」幾下各機に集合と西進を命じた。前進にはいい頃合いだと彼は考えた。この「編隊飛行」を地上の敵がどう捉えるかによって、この「ナタ作戦(オペレーション・ナタ)」の成否は決まると言っても過言ではない。「オペレーション・ナタ」――総勢40機の、空自がこの方面に投入し得る戦闘機戦力ほぼ全力を動員した、敵首都上空での一大制空作戦の名称だ。


 作戦の構想当初において、「オペレーション・ナタ」の目標は地上の重要施設では無く、在空の敵戦闘機にある。そのKS軍の戦闘機は開戦前よりキビル周辺に集中的に配置され、なお温存されているものと考えられた。「スロリア紛争」で表面化した、彼我の空軍力の圧倒的な格差が、彼らをして開戦初期より戦力の温存策を取らせたというのが空幕の結論であったし、ロギノール上陸作戦以降、全戦線に亘り敵空軍の活動が低調化したことがその証明と見做された。


 しかし、キビル周辺に限っては戦闘機の活動は活発的であった。

 ローリダ本国でも既に退役した(スロリア戦役における「想定外の」損耗の結果、それまで退役同然に保管されていた旧型機が一部現役復帰したという情報もある)ギロ-15の他、現役機たるギロ-18、ひいてはより高性能のレデロ-1の飛行がAWACSの監視飛行により確認されている。それも複数編隊のまとまった勢力で、である。

 空幕においては当初、これらのKS軍戦闘機が根拠地としているキビル周辺まで多数の戦闘機を一度に投入し、掃討する意見が大勢となったが、威力偵察も兼ねた少数機によるキビル周辺までの戦闘空中哨戒飛行において、空自機の接近を察知した敵機は空戦を避けていち早く安全空域に退避してしまい、これら敵編隊の誘出と、迅速な掃討が新たな課題となった。近い将来、キビル近傍に到達したPKF地上軍にKS地上軍の残存兵力が決戦を挑んで来る可能性が高く、その際温存されてきた敵戦闘機が友軍ヘリの空中機動及び戦闘機による航空支援を妨害に掛かるかもしれない。


 誘き出す、というからには「餌」が必要になる。と空幕は考えた。


 「餌」として、戦闘機に偽装した大型ドローンの他、複数の攻撃編隊を無防備にキビルまで直進させる。レーダーで機影を探知したKS軍はこれを爆撃編隊と認識し、迎撃機を上げるであろう。あるいは秘匿した対空陣地より弾幕を張るか地対空ミサイルを撃ち上げるかもしれない。その「餌」――「攻撃編隊」――が、石川二佐指揮下のF-15J編隊であった。実際に対地攻撃を実施したワイルドキャット他複数編隊はその露払い、というわけだ。そして地上に在ってこちらの動静を伺うKSのレーダーには、「攻撃編隊」のF-15Jが、P-1かC-2の様な大型機と認識されているかもしれない。勿論、それは後方に控えるEC-2電子戦機の「仕事」であった。EC-2の発する指向性干渉波によりレーダーの反射波が歪曲された結果であり、その数もまた干渉波により「水増し」が為されていた。レーダースクリーンの中で此方に迫る大きな輝点の増殖――ことによると遥か昔、日本本土に襲来するB-29超重爆撃機の大編隊を仰ぎ見た我々の先達が抱いたような絶望感を、向こうのローリダ人もレーダースクリーン越しに抱いているかもしれない……


「――スカーフェイス、敵影を見たか(ハヴアコンタクト)?」

『――メビウス……敵影を認めず(ノージョイ)。なお敵影を認めず』

 「スカーフェイス」編隊8機を率いる三等空佐 江口 護の息遣いが苛立っているのが交信から聞き取れた。無理もない。四機ずつ二群に分かれて旋回待機を繰り返す「スカーフェイス」編隊の高度はすでに20000フィートを切っている。敵に積極的な迎撃の意志があれば、高空より敵戦闘機の襲撃、地上からは地対空ミサイルの挟み撃ちも容易に行える。「スカーフェイス」はそういう危険な立ち位置だ。

 その危険な立ち位置の指揮官を、江口三佐は進んで買って出た。航空学生からの生え抜きたる江口三佐。三年前の「スロリア紛争」にも参加し、四十回の作戦飛行記録、敵機二機の個人撃墜記録、一機の協同撃墜記録を持つ「レデロ-キラー」。それだけに肝が据わっているのだろう……尤も、スロリアでは無いが石川二佐自身も実戦経験がある。遡ること15年前、「前世界」で所属飛行隊が国連平和維持軍の隷下で任務に就いていた時分、中国製JF-17戦闘機と交戦し、一機を撃墜したことがあるのだ。今回初めて対峙するローリダの戦闘機には、中国製戦闘機の様な高度なアビオニクスも高性能ミサイルも無いと言うが、開戦以来最大の航空撃滅戦の指揮を、一身に担うことへの不安の方が先に立つ。


『――――! ――――!』

 電話の着信音を思わせる警報が機内に引っ切り無しに響く。異常接近警報だ。大型機の編隊に似せる様密集隊形で直進を続けた結果だ。操縦席から少し腰を浮かせば、雲海の切れ間にキビル市街の一端すら伺えるのではないかと思えるほど、メビウス編隊もまたローリダ人の本拠地に接近している。あの「野蛮」なローリダ人のことだ。ここで被撃墜なりトラブルなりで脱出(ベイルアウト)したとしても、先ず助かる保証は無いだろう。どんな形であれ、作戦に際して携帯した拳銃が役に立つ局面だ。


『――「ポプラン」、あと三分で最終旋回点(FP)

 F-15DJの後席、一等空尉 峰浪 玲 の報告を聞く。今回の出撃にあたり、事前に参加操縦士で協議をした結果、総隊長たるTACネーム「ポプラン」こと石川二佐は複座のDJに乗ることになった。後席に座った彼女の任務は、総隊長が操縦不能になった際のリカバリーという役割もあるが、AWACSと連接(リンク)した共通戦況図を分析し指揮官の判断に助言を与えること、そして目視による戦況及び戦果の把握である。その峰浪一尉の報告によれば、編隊はあと三分で変針し、石川二佐は全機に集合を命じて元来た途を引き返さねばならない。


 諦観――空振りか……まあ一機も失わずに帰還(かえ)れるのならそれもいい。


『――「アクィラ」より全機へ、地上より敵戦闘機の発進を確認。あと十分でスカーフェイス迎撃可能位置に到達する模様。数増加中……8……12……25!』

「オイマジか!」

『――入れ食いだな!』


 石川二佐は驚愕し、同時に遠方の江口三佐が半笑いで軽口を叩くのが聞こえた。「アクィラ」ことE-767早期警戒管制機の報告は、編隊全体の空気を明らかに一変させた。全機が総隊長の命令を求めていることを、石川二佐は瞬時に悟った。

「全機戦闘隊形! スカーフェイス上がれ(クライム)! 上昇しろ(クライム)! 高度30000(エンジェル30)! 30000(30)!」

『――スカーフェイス、高度30000(エンジェル30) 了解(コピー)!』

 スカーフェイス編隊が一斉に編隊を解き、上昇に転じるのが見えた。F-15Jは高度ゼロからでも30000フィートまで駆け上るのに5分も要さない。高出力エンジンの優位はこの異世界でも未だ保たれている。

「ガルム、全速(ホスベー)高度24000(エンジェル24)まで降下、敵の退路を塞げ!」

『――ガルム。全速で高度24000。了解(コピー)


 上昇した「スカーフェイス」と入れ替わりに、「ガルム」編隊が突出する。AWACSと連接(リンク)した戦況要約図では、地上の秘密飛行場から三々五々発進した敵迎撃機は集合しつつ二群に別れ、一群は「メビウス」編隊を、もう一群は「ガルム」編隊を追尾するコースを取っている。敵機との空戦を意識した「編隊」というよりも、加速するに任せた獲物を追う「群」と呼ぶに相応しい機動だ。練度が低い故かもしれないが、あくまで此方を鈍重な爆撃機か、輸送機と誤認した結果の機動である様に思われた。追われる此方も「鈍重な爆撃機」らしく、スロットルを絞る必要に迫られる。このまま釣られてくれれば――


「メビウス、敵編隊を発見(タリホー)! 高度25000(エンジェル25)、このまま追尾する」

 ガルム編隊を追う敵戦闘機群を、メビウス編隊は追尾するコースに入った。

「『ゴースト3』、妨害(ジャミング)のタイミングは任せる」

『――「ゴースト3」、了解(ロジャー)

 「ゴースト3」こと、RF-15EJ戦術偵察/電子戦機隊編隊長が応答した。戦術電子妨害に続く彼らの次の任務は、通信妨害であった。地上と空、あるいは機体間の通信を遮断し、敵の迎撃機を編隊ごと、あるいは機体ごとに寸断し、孤立させる。その間も刻々と狭まる彼我の距離――石川二佐は後席の峰浪一尉をTACネームで呼んだ

「『トール』、状況報せ」

『――陽動班は攻撃機動を終了、現在所定空域にて集合、待機中です。被害なし。なお、二機が機体異状を感知しロギノール方向に離脱中』

「いいぞ、ブリーフィング通りだ」

 呼吸を整えつつ、石川二佐はほくそ笑んだ。「『スウィーパー』は何処にいる?」

『――今のところ全機健在。陽動班に随伴中です。一発も撃っていません』

 「スウィーパー」は、陽動部隊を護衛する別働のF-15J編隊4機の名称だ。彼らが健在ならば、そのまま予備戦力としても使える。そして陽動班もまた――

「『トール』、彼我の距離が20マイル切ったら報告しろ」

『――トール了解(コピー)


 眼前遠く、雲海を抜けて煌めく光点が見えた。上昇し陽光を反射する戦闘機の翼が無数。距離は更に詰まり、特徴的な後退翼をその目で焼き付けるように凝視する。迷彩されているが、本土で実際に目にしたローリダの鹵獲機そのままの機影だ。反射的にスロットルの兵装切替スイッチに指が触れる。

『――「ゴースト3」、通信妨害開始(ジャミング)通信妨害開始(ジャミングナウ)

「別命あるまで武器はまだ使用するな。敵機(ヴァンディッツ)捕捉(ロック)は許可する」

『――了解(コピー)!』

 石川二佐はスロットルレバーのスイッチを使用兵装を中距離空対空ミサイル(MRAAM)に選択した。統合ヘルメット照準システム(JHMCS)の目標捜索モードが起動し、レーダーと連動した矩形の照準環が最適な位置にある目標捜索を始める。最大8の空中目標を照準可能なF-15Jの火器管制システムは、前方を飛ぶ敵機の内二機を完全に捕捉し、自動的に追尾モードに入った。ほぼ同時に、前方の敵機群全てが僚機の追尾下に入るのがスクリーン内に表示される。機体間データリンクもまた順調に機能している。

『――「ポプラン」! 後背との距離20マイル突破!』峰浪一尉が叫んだ。

「メビウスより制空班全機へ、武器の使用を許可するクリヤードフォアエンゲージ! 交戦を許可する! 第一撃の後全速で離脱(ブレイク)! 離脱(ブレイク)!」

 JHMCSの視界の中、二つの照準環が点滅し、シュートキーを表示する。言うが早いが石川二佐はスロットルを最大に開き、そして撃った。

「メビウスリーダー、MRAAM発射(フォックスワン)! MRAAM発射(フォックスワン)!」

 イーグルの胴体を離れたAAM-4中距離空対空誘導弾(MRAAM)が二発、蒼空を滑る様な軌条を描いて刺さる。回避の遅れたローリダ機二機を二発は忽ち斬り裂き、火球に変えた。僚機のAAM一斉射で戦闘機群の過半が掻き消え、そして群は散った。


『――「スカーフェイス」、「メビウス」を援護(リカバリー)! 全機降下(ダイヴ)! 降下(ダイヴ)して狙うぞ!』

『――「ガルム」全速で右旋回(ライトターン)! 右旋回! ロメオを釣り上げろ!』

 「スカーフェイス」、「ガルム」両編隊長の命令が共通回線に伝わる。第一撃から全速で上昇離脱する「メビウス」編隊の背後で、新たな火球が点滅した。「スカーフェイス」編隊の放ったAAM第一撃が、「メビウス」を追尾する敵戦闘機群に殺到する。狼宜しくメビウス編隊を追って来たローリダ機の群が、自分たちが今まで喰い付こうとしていた獲物が、その実自分たちを狩る殲滅者(スレイヤー)であったことに気付いた時には全てが終わっていた。前方の「敵爆撃機群」の追尾に気を取られ、かつ電波妨害で地上との交信が不可能になった現状では、彼らは頭上を占めるニホン軍編隊の存在に撃たれるまで気付かなかったのだ。縦横無尽の航跡を曳き、必殺のAAMがローリダの戦闘機を絡め取る。連鎖的に生じた破壊と発火が、蒼空と雲海を黒々と穢す。行き場を見失ったかのように右往左往する敵機を見出した瞬間、石川二佐は新たな命令の必要を感じた。


「メビウス全機散開(セパレート)! 散開(セパレート)! やつらを逃がすな! 囲い込め!」

 横転から背面姿勢に入れたF-15DJの操縦席から、首と半身を傾けて下方の敵機を目で追いつつ石川二佐は命じた。押し開けたスロットルレバーに反応し、旋回から加速したイーグルの主翼前縁に水蒸気の幕が生まれる。耐加速度服(Gスーツ)がじんわりと下半身を締め上げる。それまで石川機を追従していた列機が二機一組の分隊(エレメント)ごとに四方に散開して散った。

 加速度に耐えて頭を傾けたJHMCSの一隅、囲まれた「群」を飛び出し下方を旋回する一機のローリダ機の機影が、フィルターに投影された短距離空対空ミサイル(SRAAM)の照準環に重なる。SRAAMの赤外線シーカーが、熱源としての敵影を捉えて石川二佐のイヤホンに咆哮した――眼前に投影されるシュートキー。


「メビウスリーダー、SRAAM発射(フォックスツー)!」

 AAM-5 短距離空対空誘導弾(SRAAM)が急機動中のF-15DJから離れた。ロケットモーターに点火したAAMが急旋回して下方の敵影を追う。旋回から直進に転じて逃げるローリダ機、しかしミサイルは戦闘機の左主翼を斬り裂いて下に抜けた。紅蓮の炎を吹き上げ、自転しつつ大地に墜ちて行く機影――

『――メビウスリーダー、一機撃墜(タックインキル)! 一機撃墜(タックインキル)!』

 後席の峰浪一尉が弾んだ声を上げる。「スロリア紛争」後の個人戦果規定改訂により、複座戦闘機で上げた戦果は操縦士のみならず同乗の搭乗員の個人記録としても算定するようになっている。このまま戦闘が終わって帰還すれば後席の峰浪一尉は三機の「撃墜記録保持者」となるわけで、彼女の声が弾むのも道理である。ただし戦闘は未だ終わる気配を見せなかった。

 制空部隊に所属する編隊全てが各機を散開させ、分隊ごとの掃討戦に戦術を移行させ始めていた。これも予定通り――それらの移行を見届け、石川二佐は列機一機を従えてF-15DJを高度40000フィートまで上昇させる。総隊長として戦闘空域全体を俯瞰し、不測の事態に備えるためだ。自分一人が撃墜王エースになるのは容易だが、他の若いパイロットにも撃墜の機会を与えてやりたかった。

 

 空戦が始まった時より一層に高く広い(そら)に飛行機雲が重なり、縦横無尽に延びている。所々に火球が生まれ、炎に包まれた機影が黒煙を曳いて舞う――いずれもこちらの仕掛けた罠に嵌り、逃げ場を失った敵機の断末魔であった。分隊ごとに分散したイーグルは包囲網の外で距離を置き、AAMで敵機を狙う。必中と名高く実績もあるミサイルだけあって、撃った数だけ戦果が上がっていく。時折包囲網から逃れ得た敵機も少数見えたが、それらもまたより外の空域にあって待ち構えていた陽動部隊のF-15EJ、F-2に捉まる運命にあった。共通回線に「撃墜(キル)」を告げるコールが輻輳(ふくそう)気味に入り乱れるのが聞こえる。

 戦況は完全に友軍優位に進んでいるが、俯瞰する石川二佐からすれば、作戦が上手く行っていることへの安堵よりも、圧倒的な劣勢の中で足掻く敵機に対する言い知れぬ儚さ……否、哀れさの方が先に立つ。地上で息を潜めている地対空ミサイルや対空砲の存在も気にかかったが、敵味方入り乱れた混戦状態で、戦闘空域に向けて対空砲やSAMをぶっ放す馬鹿が何処にいるのだろうか?


「こちらメビウスリーダー、アクィラ、周辺に敵機(ボギー)はいるか?」

『――アクィラ、戦闘空域(CZ)外に敵影(バンディッツ)を認めず』

 高度40000フィート(エンジェル40)で旋回を続けつつ、「アクィラ」ことAWACSと交信を続ける。こうして高空から空戦の推移を伺っていると、雲海の間を行き交う敵影が目に見えて減っていくのがわかる。その敵影も、ニキビを潰す様に一機、また一機とAAMに捉われ、四散していくのだった。やがて戦闘空域から密度が薄れ、さらに消えていくのが判った。


「メビウスリーダーより全機へ、空戦止め! 空戦止め! 集合! 集合せよ!」

 頃合いだと石川二佐は思った。敵機の密度が減った状態でこれ以上長居すれば、電波妨害により沈黙を強いられている対空ミサイルが息を吹き返す恐れがある――そういう石川二佐の意図を汲んだのか、メビウス編隊を皮切りにそれまで広い空戦域に散っていたイーグルが三々五々と集まって来る。それでも、血気に逸り敵機を深追いしようとする部下を叱りつける編隊長の怒声すら共通回線には聞こえた。編隊が集合しつつキビル近傍から距離と高度を置いたところで、石川二佐は言った。

「各編隊、状況報告(リポート)!」

 戦果よりも味方の損害の方が気懸りであった。ひょっとすれば、地上に置いて来た部下がいるかもしれないという懸念である。

『――スカーフェイス、二機損傷、飛行に支障なし。以上(オーバー)

『――ガルム、一機離脱。トイレに行きたくなったらしい』

思わず苦笑が漏れた。

「メビウス、ガルム、本当のところは?」

『――ガルム、エンジンの異状だ。ロギノールに向かっている』

了解(ロジャー)。ワイルドキャット、残燃料報告(フュエルカウント)

『――ワイルドキャットリーダー、1200(ワンツー)

 残燃料報告に攻撃編隊を指名したのは、最初に攻撃を行った編隊だからだ。攻撃に続く空戦への参入、それ故に燃料消費も最も激しいと石川二佐は踏んだ。

「1200を切っている者はロギノールに降りろ。他は空中給油を受けスロリアへ向かう。任務終了(ミッションオーバー)これより帰投する(RTB)

 石川二佐に倣い、編隊は一斉に速度を上げた。ロギノールに向かう機が、ばらばらと機首を転じ編隊から離れていく。彼らを見送りつつ、石川二佐は考える。

「ベース・ソロモンが使えればな……」

『――「ポプラン」何か?』と峰浪一尉。

「ベース・ソロモンが開いていればな、と言ったんだ」

『――空自のAC-130が支援に回っている様ですが……戦闘、終わりそうにないですね』

 共通戦況図を開いているのだろう。峰浪一尉の言葉に、今次の制空任務で作戦機の過半が投入された結果、他の戦線に負担が掛っているのが石川二佐には容易に想像できた。「オペレーション・ナタ」は終わった。だが任務(フライト)は明日も、その次の日もさらに続くだろう……



 確かに、「オペレーション・ナタ」は終わった。

 敵首都近傍での大規模な航空撃滅戦。敵機43機撃墜、7機不確実撃墜というのは、「スロリア紛争」以来の大規模な撃墜戦果であり、KS国空軍に甚大な打撃を与えたものと推測された。同日首都東京 防衛省で行われた記者会見の場で、広報担当幹部は胸を張って戦果を報告したものであった。


 しかし、今回の作戦が以後の全戦線の推移にいかなる影響を与えるか、自信を以て語ることのできる者は未だいなかった。



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[一言] おお!相変わらずすごい!本当に続きが読めている……ありがたい!
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