表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/84

第一八章 「天国と……」


シレジナ方面基準表示時刻1月7日 午後23時08分 シレジナ地方ナガフル ノルラント軍前線基地「ドナン1023」


 砲声が聞こえる。遠方に点在する対空陣地の高射砲だ。だが二等海尉 士道 資明(もとあき)が一見したところ、野砲からの改造というノルラント軍制式の高射砲は、射程と速射能力において純粋なそれと比べ大きく見劣りする。今のところは数でその低性能をかろうじて補っているといったところだ。数を揃える能力に関しては、「将来の同盟国」ノルラントは他国より頭一つ図抜けている。


「――日本には、優秀な対空兵器があると聞きます」

「――確かに我が国には11式短距離地対空誘導弾という優秀な装備がある。これこそ野戦防空にはうってつけですな。ロメオの戦闘機など一溜りもありません」

「――素晴らしい! 同盟の暁には我がノルラントにも導入したいところです」


 観戦武官団がノルラントの基地に到着してからというもの、連日のように開かれている饗宴の席は、さながら日本製兵器の高性能を披歴する場と化していた。それに無条件なまでの感銘で応じるノルラントの軍人たち……この場に我が国兵器開発企業の技術者がいれば感涙に咽んだことだろう。観戦武官団長 一等陸佐 花谷 靖人の口が国防機密スレスレの領域にまで及んだとき、さすがの士道資明も狼狽の色を隠せなかった。酒はコミュニケーションの潤滑油だが、それも過ぎれば意図せぬ過回転(オーバーレヴ)を引き起こす。

 

 花谷団長直属の広報支援担当スタッフであるものの、この戦線で資明が為すべき仕事は皆無と言っていい。「兵の配置を見て、我が隊との相違を踏まえた上でその特性を学んでおけ」と随伴の先輩幹部は言ったものだ。大抵は年の近い幹部や曹数名と連れ立ち、あるいは単独で戦陣を回る。あるいはうろつく日々が続いた。はっきり言って幹部の仕事では無いと思えた。

 シレジナを廻るノルラントとローリダの対峙はなお続いており、それが全面的な交戦に発展する予兆は未だ見えなかった。予兆と言えば、先日の夜、ローリダ軍の航空機が複数機ノルラント占領地域の上空に侵入し、何か「奇妙なもの」を大量に投下して行った位だ。どういう積りなのだろうが? 軍服を纏ったマネキン人形を落とすなど。破壊工作を目的とした降下兵ならばまだ話はわかるのだが……


「――脅しでしょうが、人形に紛れて本物の破壊工作員が降下したかもしれない。相応の対処はしておくべきでしょうな」

 ノルラント軍の司令官――彼らの軍制では「軍監長」と称した――イザク-アリイドラに意見を求められ、花谷一佐はそう応じた。まるで一軍の総司令官と参謀がするような、それはごく自然なやり取りであった。先夜、侵入機に対して対空陣地がその全砲門を開いて応戦した上に、「破壊工作員」を捜索するために昼は戦陣内の全部隊が動員されるという状態で、資明はそのいち部隊の観戦(という名の随伴)を命じられた。自衛隊における階級は二等海尉だが、ノルラント軍では高級士官同然の待遇であったことは、当然若い資明の矜持を擽った。


「――士道二尉、意見を求められたら遠慮はいらんぞ」

 出立にあたり、資明は花谷自身からそう声を掛けられて送り出されたものだ。予想に反して捜索隊の行動範囲は広く、地形によってはローリダ軍の哨戒圏と重なる経路を辿ることがあった。その経路上で、資明は初めて日本の「敵軍」を見た。遠方の丘陵、丈の高い草原に紛れる様にして動く数名の兵士の人影、そして一両の装輪装甲車を資明は資料で見たことがあった。唐突とも言える遭遇に騒然とするノルラント軍に対し、此方を目にするや迅速に丘陵方向へ退いて行くローリダ軍の動きには統制の厳格さが感じられた。この後に控える何か重大な「予定」――否、作戦に備えて隠忍自重している様な……


「――ローリダ人が逃げたぞ!」

 無邪気なまでに歓声を上げるノルラントの指揮官たちの傍らで、資明はローリダ軍の動きに不審なものを覚えていた。おれは海自……海軍の人間だ。防大と江田島の幹部候補生学校では陸戦訓練も受けたが、陸に行った連中に比べれば齧った程度でしかない。そのおれですらローリダの陸兵の程度の高さがすぐにわかるのに、この連中の考えの無さは何だ?……考える士道の傍では銃声すら生じている。後退するローリダ兵に向けた追い撃ちの射撃であった。それを命令する意思も止める意志も、ノルラントの指揮官は持っていなかった。



 ――結局司令部に戻ったのは、この日の夜9時を回った辺りである。

 遅い夕食を摂りに入った士官食堂の、備え付けの日本製広角ディスプレイの中で、ノドコールの戦況もまた進行している。自衛隊はとうにノドコールの南岸と東方の山岳地帯に拠点を構築し、本土からの増強を得て「キズラサ国」を圧殺せんとしているかのように、ニュースでは報じられていた。戦闘の動画、無機的な兵器と地形図の連続する画面が切り替わり、若き英雄としてひとりの若い幹部の姿を映し出す――


「蘭堂健太郎か……!」

 思わず目を剥いて、資明はディスプレイに向き直った。それが資明が防衛大の同期 蘭堂健太郎の防大卒業後の消息を知らされた最初の瞬間であった。ディスプレイの中で、蘭堂健太郎は攻撃ヘリコプターの操縦士としてノドコールの作戦に参加し、「武勲」まで立てていた。防衛大の一員であった頃、蘭堂は資明を拒絶し、二人の人生は経歴面でも思想面でも完全に分岐した。その分岐の結果が、これか?……半ば放心し、放心に任せて隣接する幹部クラブで温い缶ビール(こんな地の果てにも日本製の缶ビールがあることに、資明は少なからぬ感銘を覚えた)を四杯呷った後に資明は食堂を出た。その後はどういう経路を辿って宿舎に帰りついたのかよく覚えていない。ただ未だ響き渡る対空陣地の砲声のみが、資明をして非日常的な世界にあることを辛うじて自覚させていた。



 ローリダの空軍は、何故か爆撃して来ない。

「――ロメオは日本人が此処にいることを知っている。我々を恐れているのだ。ノドコールのゲリラと違い、正規のローリダ軍が日本人を傷付けでもしたら再度全面戦争だからな」と、花谷一佐は笑っていたものだ。

 否――シレジナではないが先立つこと6日、シレジナより西に海を隔てたノルラント国外領に所在する海上補給拠点ビトが、ローリダ本土より発進したローリダ軍大型爆撃機の爆撃を受けていた。地図上ではビトとローリダ本土の間に、爆撃機の運用に適する基地は無かった筈が、ロメオの空軍は植民地より発進した空中給油機を用い、本土より発進させた重爆撃機の航続距離を延伸させることで本来は不可能とされた超遠距離の爆撃を可能にしたのだ。それはある意味奇襲の効果をもたらした。


 被害こそ軽微だったが、ビトはノルラント本土からシレジナに通じる唯一の補給拠点にして物資集積所であり、シレジナ方面軍は拠点防空のために手持ちの戦闘機の大半をビトに配置する必要に迫られた。なお、爆撃は時刻帯を夜間に替えて散発的に続いているらしく、結果として、シレジナ方面軍は有効な防空の手段の大半を高射砲及び機関砲に依存することとなった。戦闘機こそなお組織的な航空戦の遂行に十分な数を有しているが、ノドコールにおける「実績」から地対空ミサイルの配備が予想されており、ノルラント空軍に有効な対処能力が無い以上、それらは来るべき地上軍の全面攻勢時に際し、近接航空支援の手段としてなお温存され続けている。ノルラント空軍の主力戦闘機がローリダ製ギロ-15戦闘機のデッドコピーであり、その配備数も生産が軌道に乗ったばかりで決して多くないという点からして、ノルラント空軍のお寒い現状が資明のような下級幹部でも否応無しに判るというものだ……その点、ノルラントが日本に求める「有効なる支援」の手掛かりがあると資明は考えている。



 「士官用宿舎」とは、戦陣の後背に築かれた個人用テントの居並ぶ区画であった。

 武官ひとりにつきテント一つが宛がわれていたが、テントは独りで使うのには十分過ぎる広さを有している。一般兵用の八人用テントを流用したものであるのだからそれも当然だ。武官団次席の佐々 英彰 二等陸佐などは「独りで使うには余りに広い」と、早々に二人で使うことに決めたほどで、彼に倣った幹部も少なからずいる。資明はといえばノルラント人の厚意に甘え、独りで使うことに決めた。


「…………?」

 酔いで摩耗してはいたが、武官としての勘が侵入者の気配を捉え、資明は入り口で立ち止まった。出立時にはロックをしていた筈が外れていた。さり気なく伸ばした手で腰の護身用拳銃に触れる。

「誰だ?」

 返事は無かったが、気配は消えない。アルコールで肥大した勇気の赴くがまま、あるいは焦れた手がテントの入口を掴んだ。

「――――っ!?」

 不意に手首を握られ、次には脚を払われるのを感じた。その直後に資明は背中から地面に叩きつけられる――圧し掛かる女体の柔らかさと匂いが、資明から一切の力を奪った。

「お帰りなさい。モトアキ」

 組み伏せた資明を、銀髪と灰色の瞳が笑って睥睨する。資明は嘆息した。

「疲れが吹っ飛んだよ。シルビア」

「飲んでるわね? モトアキ」

 入口から漏れる星明りの下、資明がシルビアと呼んだ女性士官は慈しむ、あるいは憐れむような微笑をした。手を伸ばし資明を助け起こす。立ち上がってもなおよろめく資明を庇う様に寝台に導き、そして座らせた。星明りを吸い込んだシルビアの銀髪が、資明には眩しい。


「どれくらい待っていた?」

 タンクから水を汲むシルビアの後ろ姿を眺めつつ、資明は聞いた。灰色の軍服であっても、武官らしく発達した背筋、絞った腰の括れから丸いヒップと長く流麗な脚に繋がるラインの見事さは隠し様が無い。それを目の当たりにするだけでも、並の男ならば酔いぐらい直ぐに醒めるというものだ。シルビアは水を満たしたコップを両手に抱えて歩み寄り、そして資明の手を包むように抱かせた。寝台に跪いたシルビアが、上目遣いに資明の端正な顔を覗き込む。くっきりとした鼻筋と白皙の頬、このノルラントの士官の貌もまた、美貌に属した。

「……だいぶ待ったわ。でも待った甲斐はあった」

 渡された水を飲み干し、資明は糸が切れた人形の様に仰臥した。シルビアの躯もまた追い縋る様に重なる。逢瀬を重ねた恋人を思わせる、馴れた動作であった。

「何か嫌なことでもあって?」

「……同期が武勲を立てた。ノドコールでだ」

 シルビアを胸に委ね、何時の間にか点いていた白熱灯をぼんやりと仰ぎつつ、資明は呟いた。

「喜ばないの? ランドウ ケンタロウのこと」

「…………」

 相手の素性を見透かしたシルビアを、資明は不快に見遣った。くの字に笑った口が、「我が意を得たり」と語りかけている。狐の様な微笑だと思った。

「あいつとおれとは違う。住む世界が同じでも、だ。この際言って置くがあいつとは友人でも何でもない」

「でもお父上が日本の指導者なのでしょう? あなたもランドウも」

「よく知ってるな……」その先を続けるのに、資明は躊躇(ためら)った。

「……蘭堂の親父の方が先に総理になる可能性は高い。悔しいがそれはおれも認める」

「あなたのお父上もいずれは指導者になるわ。そしてモトアキ、貴方も……」

「そうあるべきだな。おれには蘭堂と違って国家観があるから」

 唇を噛み締め、シルビアを抱く手に力を込める。シルビア-ソム-ルクス。彼女と初めて遭ったのは四年も前、此処から遠く離れた日本での事であったか――






「――親睦会に参加しませんか?」

 父 士道 武明と親しい実業家に声を掛けられたのは、防大卒業を一ヶ月後に控えた二月の半ばのことであった。断る理由は持っていなかった。資明自身、彼とは個人的に親交があった上に、なにより同じ防衛大学校の卒業生という、絶対的な繋がりがあったためでもある。日本から遠く離れた小国の使節の歓迎会であると、実業家は教えてくれた。出席者の中に、資明も見知った共和党支持者や議員、そして学識者や文化人がいることも出席を後押しした。


 東京都港区赤坂 実業家差回しのハイヤーの客として、高級クラブ「ミルジクボル」の正面玄関に資明が独り立った時、兵庫県芦屋は六麗荘にある母方の本家を彼に連想させた。あの家も壮麗を極めた洋館であったが、「ミルジクボル」の佇まいもまた負けず劣らない様に思えた。時間的には深夜に差し掛かっていたが、案内を受けて薄暗い玄関通路の先を潜った瞬間、歓迎会に名を借りた饗宴がその実始まったばかりであることに資明は気付いた。


 「ミルジクボル」とは、ノルラントの旧い言葉で「幻影の城」という意味であることを、資明は後に知った。

 重厚さと華麗さの調和のとれた内装は、資明個人の美意識を過分なまでに刺激し魅了したものだ。然し場に充満するアルコールと香水の匂い、調度の要所々々に見出せる艶めかしい裸像や女神像が、大人の社交場、遊戯場としての性格を否が応にも突き付けて来るのも事実であった。広大な会場中央には勢いよく水の昇る噴水まであって、そこから資明はカクテルグラスを手に招待客の検分を決め込むことにした。

「…………」

 饗宴を観察し、内心で驚いたのは、事前に知らされていた共和党関係者の他、招待客には防衛産業の関係者は勿論として、現役退役の自衛隊幹部も少なからずいたことだ。資明は父の人脈つてに彼らとも面識があったから、饗宴に現れた彼らの姿は当然資明の関心を惹いたし、彼らの関心もまたこの場で唯一の防大生に集中した。

「――この生徒は?」

「――士道党首の御子息です」

「――ああ、士道さんの……」

 文武の別を問わず、国防関係の人間は大抵この場における資明の存在を肯定してくれた。中にはこの手の饗宴が今月で三回目、四回目だと言う者もいた。しかも回ごとに関係国は違う。それだけに「スロリア紛争」後の中小国の対日工作が活発化していることぐらい、世情に疎い防大生でも判るというものだ。その結果として資明が覚えたのは居心地の悪さであった――自ら択んだ自衛隊幹部としての近い将来、ひいては父の後を継いでの政治家としての遠い将来に、この一夜が長い影を落とすことになりはしないか……と。


「――士道君、こっちへ」

 「チャンネル大和」でも共演したことのある歴史研究者であった。友人も同然の関係で、歳が近いこともあり資明の手を引くのにも躊躇は無い。ステージに向かい人込みをかき分けて二人は歩く。その先、会場に音楽を提供している楽隊に正対し、資明は思わず息を吞んだ。

「――軍楽隊……?」

 女子から成る軍楽隊。軍楽隊であることは少女たちの例外無く灰色の軍服姿であることから嫌でも判る。年頃は資明と同年代、あるいは年少ではないかと思われた。しかも楽器を扱う者全てが例外無く美しい。

「――どうだ? 綺麗だろ」と、資明の肩にさり気無く手を充て、友人は言った。肩書は歴史研究家であっても、大学では商学部であったという彼は大学で正規の歴史研究をした経験は無いし当然論文を書いたことも無い。彼が信じる史観の下で書き上げた彼なりの歴史が、著作物として彼と思想を同じくする人々の間で好評であったが故に得ることのできた肩書であるのに過ぎない。

「――ノルラント軍女子軍官学校軍楽隊。このためにわざわざ来日したのだそうだ。見事なものだろ」

「――ほんとうに軍隊なのか?」

 資明が問いかけるのと、友人がその場に見出した誰かに笑顔で手を上げるのと同時であった。恰幅の良い異邦人が招待客との会話を終え、やはり灰色の軍服姿で此方に歩み寄ってきた。年の頃は中年だと資明には見えた。紹介の意図か、耳元で友人が彼に異国語で囁いた。直後、厳めしい顔が緩んだ笑顔となる。

「――士道閣下の御子息ですか。お会いできて光栄です」

 抑揚に乏しいが、滑らかに聞こえる日本語であった。差し出して来た手を資明は作り笑いと共に握った。使節団の副団長で、ノルラントでは将官級の地位にある人物であることを資明は知らされた。

「――お父上には今日お会いしました。あの方はノルラントの偉大なる友人です。何時か我々と日本が手を携えてローリダを打倒する日を切望するものです」

 握手を解かないまま、副団長は熱っぽく語りかけた。そのままで彼はステージに向かい手を上げた。演奏が止まり、彼は名前を呼んだ。

「――シルビア!」

 長い横笛を吹いていた少女が立ち上がった。何時しか招待客が会話を止め、舞台から降りる彼女の挙動を見守っている。生来の美貌も然ることながら、軍服姿の少女の凛とした佇まいに男達は圧倒されているのだ。資明もまたそうであった。促されるがまま資明の前に進み出るや、少女を招いた団長が彼女の耳元で囁くのを資明は見る。少女は軽く頷き、資明に向き直った。


「――オドリマセンカ?」

「…………」

 円らな灰色の瞳が、資明の返答を待ち構えていた。吸い込まれるように茫然として、資明は軍服の少女を見返した。人形を思わせる美しさを前に、茫然が逡巡にとって代わる。微笑と共に伸びた白いたおやかな手が、ごく自然に資明の手を取った。先手を取られたような気がした。

「――大丈夫、コワクナイヨ」

「――ぜ、是非……!」

 意志というよりも周囲の待ち構える様な沈黙が、資明の背中を推した。恐る恐るではあったが、両手を少女に委ねた瞬間、軽妙な音楽が始まった。ノルラントの民族音楽だ。


 ――その後は、夢の様に早く時間は過ぎた。

 尤も、資明自身もダンスの心得はあったのだが、位置取りもステップもシルビアのリードは彼に勝った。シルビアのリードに身を任せるうち、資明から身の硬さは消え、同時に警戒心も消えた。それらを含めてシルビアのリードは完璧であった。

「――君、名前は?」

「――シルビア。シルビア-ソム-ルクス」

「――モトアキ、士道 資明だ」

「――モトアキ、モトアキ」

 シルビアが資明の名を呼ぶ。伴奏のリズムが早まった。リズムが絶頂に達し、頬を紅潮させた資明とシルビアのステップ、そして息遣いがダンスの中で絡み合う。演奏が終わった瞬間、資明は自分が昨日の自分に戻れないことを悟った。







「――モトアキ、モトアキ?」

 資明に身を委ねたまま、シルビアが呼び掛ける。過去から退き戻った眼が、鋭くシルビアの貌を凝視した。

「怖い顔をしていた。どうしたの?」

「別に……」

「怖いの? ランドウが」

「――――ッ!」

 感情と体格に任せ、資明はシルビアを組み伏せた。上からシルビアを覗く眼が、狼狽に揺れていた。組み伏せられた女の眼差しが、それを下から無表情に覗き返す。そのまま暫く、停まった様に時が過ぎる。


「モトアキ?……シないの?」

「もうあいつの話はするな。ここは日本じゃない!」

「モトアキ……怯えている」

「怖いんだよ」

「戦争が?」

「違うよ……」

 そう言って、資明は口元を笑わせた。今の自分が怖いのだ、とは口が裂けても言えなかった。

「いまはただ、シルビアが怖い」

 言うが早いが乱暴に軍服の胸元を開き、資明はシルビアの貌を覗く。薄い下着一枚の下で、豊かではないが形のいい椀型の胸が、輪郭となって情欲の炎を擽っている。

「来なさい。モトアキ」

 まるでその場から一歩引いた様な微笑で、シルビアは彼女を組み伏せる資明を見上げていた。その瞳に見える慈愛に、資明はむしろ引き摺りこまれる様な気がした。四年前、日本で初めて共に寝たときから彼女はそうだった。微笑で自分の全てを赦してくれる――叫びたい衝動を堪えられず、資明は顔をシルビアの胸に埋めた。シルビアは資明の首を抱き、そして腰に長い脚を絡めようと身を(よじ)る。


 軋む寝台――白熱灯――資明に抱かれつつ無表情にそれを見遣るシルビアの眼前で、光が微かに揺れた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] これハニトラですやん。 もしくはスパイマスターかアクティブか…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ