第一四章 「続 山岳戦」
ノドコール国内基準表示時刻1月7日 午前5時11分 ノドコール中部 ロギノール北北東二百キロ地点 山岳地帯
近距離暗視装置に映し出された山の中腹を、複数と呼ぶには多過ぎる人影が登っているのが見える。
先々日にこの地に展開を果たした二等陸尉 沢城 丈一からすれば、既に五度目の光景であった。敵の波状攻撃だ。山岳地帯の麓に点在する拠点から兵力を繰り出し、PKFの占める山頂付近を奪らんと攻め寄せて来る。言い換えれば、山頂を確保した沢城と彼の部下たちは、四度目までは敵を撃退している。その攻勢は散発的で、敵の統制も完全に取れているとは言い難い。だが、相手の体力と神経を削るのにこれ以上の戦術は存在しないだろう。
山岳地帯の敵拠点は全て潰した筈じゃなかったのか?……不手際を犯した友軍航空部隊に対する困惑と怒りを半々に、沢城は暗視装置を覗く眼差しを険しくした。高性能の暗視装置では敵の装備している得物から服装、そして表情までわかる……というより二度目か三度目の敵を撃退した朝方、沢城は偵察も兼ねて斃した敵兵の折り重なる斜面まで下りたことがある。服装は区々、旧い軍服から狩猟や登山にでも赴く様な軽装、日本製のリュックサックを背負っている死体まであった。顔立ちも少年すれすれと思わる若者から老人と幅広い……持っていた銃器こそロメオ正規軍のそれと遜色はなかったが、人員構成からして軍隊とは言えないような連中に銃を向けたことに対する後味の悪さは、拭い様が無かった。
「……こういうのを、義勇兵って言うんだな」
死体の山を前に、沢城は呟いたものだ。開戦に先駆けて――否、開戦後も未だに――ロメオの本国から大量の義勇兵が海路でノドコールに上陸し、前線に投入されているという情報は、既に報道となって世界中に拡がっている。それらの義勇兵の中にはロメオに友好的な国、ただ単に近い国の出身者も加わっていて、彼らがどういう意図があってロメオを援けるのか?――その一点に対する疑問と怒りが、日本本国の報道及び情報媒体には満ち満ちていた。
同行していた成宮三等陸曹が言った。
「ほんとにあのイスラム国そっくりですね。世界中からロメオのシンパを引き寄せてる」
「本国じゃ食っていけないから、仕方なしに参加しているやつもいるらしいぞ。出身国でも食い詰め者を一掃できるから願ったり叶ったりだと」と、松中二等陸曹。そこに他の隊員の会話が重なる。
「少なくとも何処かの国の、ネットで吠えてるだけの自称愛国者よりはマシさ。こいつらはちゃんと行動で示してるんだから」
「おいおい、同胞を虐殺した連中を褒めるのか!?」若い陸士が、同僚に声を荒げた。同僚も抗弁する。
「敵にだって見習うべきところがあるって言ってるだけだ。敵から学ばない軍隊がどうなるかってことぐらい、戦史の本を読めば幾らでも書いてあることなのに」
「一理あるな。こいつらは弱いが、おれ達に弾薬を浪費させている。それだけでも予備が無いおれ達にはとんでもない圧力だぜ。あのイル‐アムの時とおんなじだ」
「…………!」
かつての激戦の記憶を持ち出されたことよりも、弾薬の浪費という現在進行形の事実が、指揮官としての沢城を慄然とさせた。それ以前に沢城は部下に弾薬の残量の把握を命じ、さらには補給も後方に要請した。弾薬の節用は命じなかった。命じたところで、部下にそのプレッシャーをいや増す悪影響を生むのは自明の理だと沢城には感じられたのだ。
しかし一方で、他の部署では、部下に弾薬の節用を命じている小隊長、分隊長が出始めていることを彼は知っている。それ位、キズラサ国軍の攻勢は広範囲に及んでいて、攻勢に直面している各小隊の窮状が、今となっては沢城のような前線指揮官ですら、広域多目的通信機と接続した専用端末で容易に把握できる。他に把握できるのは各小隊が殺した敵兵の数、小隊が使用した弾薬の量、小隊中の健在な隊員の数……そして、小隊の損耗率――言い換えれば、負傷者と戦死者の数。
高度化した指揮通信システムの効能によるものであるのか、各方面から雑多なまでに流れ込んで来る戦況情報に紛れこむようにして、沢城にとっては不穏な情報がひとつ伝わっていた。四年前に共に学び舎から巣立ち、共に最前線に赴いた筈の同期生から、最初の死者が出たのである。越境部隊の一翼を為す陸上自衛隊 第15旅団隷下の施設科中隊に配属された二等陸尉 南里 啓一は先日の夜間、所属部隊の進攻ルート前方に敷設された高威力爆発物の撤去作業中、別の進攻ルートを取っていた友軍の偵察小隊に敵と誤認され、二名の部下と共に銃撃を受けた……そう、あり得べからざる同士撃ちであった。銃撃された一名が重傷を負い、残り二名の死者の中に、南里二等陸尉がいた。
いまや特進し一等陸尉となった南里 啓一のことは沢城も知っている。個人的にはそれほど親密では無かったが、共に土木工学科で学び、教室でも席が隣り合ったことのある間柄。沢城とは違い志望通りに施設科に行くことの叶った彼は物静かで、篤実な性格から後輩の信望もまた高いものがあった。
久留米の幹部候補生学校卒業の直後、南里三等陸尉は結婚した。防大同期の誼から沢城も式に参列した。いわゆる「いいトコのボンボン」である彼には高校時代から将来を約束した女がいて、当時小学生(!)だった彼女の、短大卒業を待って結婚式を挙げたのだ。結婚式の当日、小ぢんまりとした、だがその佇みの中に華やかさと歴史の重みを感じさせる教会のゲートを、純白のウエディングドレス姿の花嫁と共に潜った礼装姿の南里は、まるでお伽話に出てくる姫をエスコートする王子様の様に沢城には見えた――その日が、沢城と南里が会った最後となった。
沢城と親友である蘭堂 健太郎も共に結婚式に呼ばれた。学校の所在する福岡県 久留米から結婚式場となった長野県 軽井沢の別荘地にある教会まで、買ったばかりの中古の軽ワゴンカーをケンタと二人掛かりで一昼夜高速道路を飛ばして行ったのも、今となってはいい思い出。有力政治家の息子という出自のせいか、あの辺りにケンタは妙に土地勘があって、式場まで車に同乗した同期たちを不思議がらせていたものであった。
そのケンタは、今現在沢城が張り付いている山岳地の戦線で「武勲」を立てた。自衛官として人を殺したのではなく、人を救ったという名分で。
攻撃ヘリ操縦士の蘭堂 健太郎は、被弾し敵戦線のど真ん中に不時着した僚機の操縦士を救い出すべく緊急着陸し、自ら銃を執り敵中に足を踏み入れて僚機の操縦士を救い出したのだという。その際のキズラサ国軍の追撃で、乗機を大破させたのと引き換えに、同僚を連れて近傍の友軍前線拠点に帰還を果たしたケンタの行為は、その軽率さこそ隊内より批判されたが、一方で「銃後」の日本国中に「感動」を生んだ。
『――官房長官! 御子息が武勲をお立てになった由、おめでとうございます』
『――え!? うちの健太郎が?』
内閣府の定例記者会見の席上、とある新聞記者より呼び掛けられ、ケンタの実父にして内閣官房長官 蘭堂 寿一郎はその精悍なマスクを唖然とさせ、それだけでは無く円らな眼をパチクリとさせたものであった。呼び掛けた新聞記者はリベラル系の新聞社に所属しており、当の蘭堂寿一郎とも旧知の仲である彼は、防衛省内の独自ルートでこの「特ダネ」を素破抜いたのである。記者当人としては過去に幾度も会見の席上で論戦した官房長官の、驚く顔を見たいがために声を掛けたのだが、この時点ですでに報道媒体での生中継は始まっていた。この段階で、前線で起こった救出劇はやや過大な脚色付きで日本中に知れ渡っていて、敵中に孤立した同僚を救い出した「勇敢なヘリコプター操縦士」の素性を、日本中が知った瞬間――
「――蘭堂官房長官にも、自衛官の息子がいたんだ」
「――蘭堂さんとこの子供って、あのテレビ出まくりのチャラチャラしたのしか知らんかった。他にいたんだ」
「――そのチャラチャラした方の兄らしい」
「――いたのは知ってたけど、あんまり表に出て無いから引きこもりかと思ってた。実際は自衛隊行ってたんだな」
「――しかも防衛大卒で攻撃ヘリパイロットとか、蘭堂家の出だし、ひょっとすれば史上初の防大卒総理大臣の誕生か?」
「――しかも士道党首の御子息と防大同期らしいな」
「――で、共和党推しの士道ジュニアは何やってるの? 作戦には参加してるの?」
拠点での警戒待機中に、やはり専用端末で覗き見たインターネットの有名掲示板上でのやり取りを思い出し、沢城は内心でにんまりとした。「武勲」ではあるにしても、その内容がケンタらしいと思ったのだ。あいつには他人を殺すよりも助ける方が向いている、と沢城は彼についてはそう思っていた。情報通信技術の発達の結果、防諜上相互の通信内容には制限こそ掛けられるものの、前線でもいち自衛官が日本国内のインターネット網にアクセスできる程に通信環境は「整備」されている。衛星通信システムの充足ぶりもそうだが、その通信衛星とも連接した可搬型基地局を機内に積載した民間貨物機が、自衛隊の管制下でノドコール周辺空域を24時間体制で周回飛行している恩恵でもあって、本来「転移」前に想定された大規模災害に備えた設備のひとつが、今になって活かされている例の一つがこれであった。
『――! ――! ――!』
「…………?」
着信――広域多目的通信機の専用端末が煩わしく振動する。それも緊急を要する情報の受信であることを振動の間隔が示していた。民間の批評家による発言で――「スロリア紛争」から現在に連なる国防の内情を指して――「ケータイ戦争」、あるいは「スマホ戦争」とは良く言い表したものだと、沢城は内心では感心している。前線の自衛隊員が、市井で携帯電話でも弄る様に個人用通信機器を使いこなし、任務遂行に当たりその通信機器一つであらゆる情報を取得し、用意された様々な支援を、さながらスマートフォンのアプリを選ぶ様に得ることを可能にする。指揮所は個人用通信機器との連接をもって前線の隊員の置かれた状況から心身の状態までを把握し、これらに基づき作戦指揮を実施し、あるいは作戦の内容を修正するというわけだ……そして、現在沢城たちが置かれた状況――
『――前線監視無人偵察機より報告。北西方面より多数の敵部隊の接近を確認。総数凡そ二千!』
「…………!?」
北西!? 俺らの戦線じゃないか!――愕然とする沢城に、通信士を伴った松中二曹が声を荒げた。
「小隊長! 指揮所より報告を求めています!」
通信士より送受話器を受け取る。攻防戦の最中、先々日の深夜に開設されたばかりの小隊指揮所、そこに陣取る先任小隊長 後藤一尉のかすれた声が回線に陣取った。
『――こちら指揮所、チャーリー4おくれ』
「チャーリー4!」
『――状況報せ』
「敵影一五〇〇まで接近! チャーリー4迎撃準備よし!」
『――重迫で支援させる。敵影を捕捉し次第目標座標を送れ』
「チャーリー4!」
『――おわり』
小隊指揮所開設とほぼ同時に戦線に展開した四門の120ミリ重迫撃砲は、これまでの過去六回の攻防で破格の威力を発揮した。そこにGPS誘導砲弾の効果も加わり、最小限の射撃で敵軍の撃退を可能にしている。しかしそれすらも量的には払底を始めていた。何より補給に従事するべき大型ヘリの損耗と、多戦線への転出が目立ち始めている。お陰で当初早期に展開する筈だった155ミリ軽量榴弾砲の搬入も未だに為されないままだ。
せめて航空支援でも来てくれれば――未だ叶わぬ願いを、苦渋と共に沢城は胸中に押し込めた。戦線の拡大とそれに伴う各方面からの支援要請の増加に、実働機の手配が追い付いていないのだ。日の落ちかけた頃、一機の友軍機、それも翼下に爆弾の束を抱いた海自のP‐1哨戒機が山岳部遥か上空を航過したが、そいつは此処から離れた別の戦線を支援するために展開したものだった。後藤小隊長によれば、第一空挺団による奪回の成ったベース‐ソロモンの再奪回を企図するKS別働隊の指揮所を攻撃するために急遽差し向けられたものだという……「せめて此処に落としてくれれば、こっちの作戦はすぐに終わるのに」と、部下の成宮三曹がぼやいたのを沢城は思い出す。そういう航空支援能力の限界を見越してこその特科支援も計画のうちだったのだが……
「位置を見るぞ」
沢城は近距離暗視装置から測距レーザーを発した。レーザー反射により表示された敵の大まかな座標を淡々と読上げ、通信士がこれを分隊式用広域多目的無線機で迫撃砲陣地に送信する――射撃開始の号令から間を置き、滑空音が星空を割いて降り注ぐ。視界に移る敵兵の密度が増していた。彼らの吐く息が山岳の冷気に充てられ、煙のように漂う様すら見える。
『――初弾、弾着ぁーく、いま!』
「――――っ!!?」
二発の初弾は空中で炸裂したが、それでも地面は烈しく揺れた。暗視装置から顔を離し、沢城は部下と共に個人壕に身を屈めた。着弾時の衝撃波を恐れたこともあるが、撃ち出された砲弾は目標の頭上で炸裂し衝撃波と共に破片を広範囲に撒く空中炸裂弾でもある。射撃距離と弾着位置的に問題は無い筈だが、それでも「まさか」に対する恐怖が勝った。
頭上から闇が消えた。光が簡易陣地の広がる一帯に拡がり始める。夜明けでは無かった。
「状況照明弾! 照明弾!」
部下の怒声が怯えたように響き亘る。ロケット弾特有の金切り音を引き摺りつつ、夜空を昇った照明弾が破裂する。それも無数――今までに無い攻勢を前に、恐怖よりもむしろ困惑が先に立った。尚も上がり続ける照明弾の飛翔音に混じり、より太く長い滑空の音が、沢城たちの頂を越える――
「榴弾砲だ! 頭を下げろ!」
松中二曹が叫んだ。本土の演習場で聞いたFH70とは明らかに異なる、より重々しい砲弾の飛翔が、沢城たちの頭上を南寄りに横切った――着弾は一度。山岳の遥か下方であっても、それは地上と空気を激しく揺るがした。
「なんてこった! チャーリー5の位置じゃないか!」
弾着が隣り合う山岳帯、方位的には北東方面に展開したチャーリー5――C小隊5分隊――に近い。炸裂弾を使えば陣地ごとの殲滅も可能な威力である様にも感じられ、広範囲に立ち上る焔と火花がそれを物語っていた。
「チャーリー5と回線を開け! 応答するまで呼び掛けろ!」
半ば反射的に沢城は命じた。暫くの誰何の内に静寂が過ぎる。その間も照明弾の打ち上げは禍々しいまでに続いていた。通信士が表情を絶望に歪めて頭を振った。
「駄目です! 応答しません!」
「第二射、来るぞ!」
隊員の絶叫に、沢城は反射的に明るさを増した天を仰いだ。光の弾が白煙を曳き、彗星の如き速さで頭上遥か先を飛び越え、闇に閉ざされた山岳帯、それも北東方面の何処かに吸い込まれる様にして着弾する。
「くそっ! 無人偵察機は何やってるんだ!」
『――敵兵の接近を視認! 距離三五〇! 左方向!』
応戦を命じるより早く、14式分隊支援火器の軽快な発砲音が複数、競い合う様に夜を圧した。振り下ろされた曳光弾が闇に閉ざされた麓に延び、あるいは岩肌を抉り跳ね上がる。暗視照準器による機銃掃射というより、機銃による「狙撃」――着弾と同時に死の気配が沢城たちの占める遥か下方で量産され、悲鳴すら頂きまで微かに延びて来た。距離を詰めて来たのは重迫に粉砕された主力ではなく、少数の別働隊が浸透を果たした結果なのだろう。
「右! 右方向距離三百!」
即製の待避壕に構えた近距離暗視装置を覗きながら観測手の陸士長が声を張り上げる。狙撃兵に付き従うスポッター宜しく彼が捜索し捕捉した敵影を、14式分隊支援火器の射手は狙撃兵宜しく薙ぐことを要求されていた。銃口から吐き出された弾幕のばらけが、照準に入れた敵影のみならずその周囲に居合わせた敵影すら貫き、そして撃ち倒していく。
「左方向距離三五〇!」
「装填っ!」
弾倉の再装着により、機銃の動きが止まる。それを補うべく個人壕に詰める隊員の89式カービン及び小銃が咆哮する。
『――北東方面より敵部隊の浸透を確認。総数不明。チャーリー5通信途絶。包囲された模様』
「小隊長!」
彼自身、89式カービンを撃ち放しつつ、松中二曹が声を荒げて呼んだ。沢城からすれば、指揮官としての自分がやるべきことを否応が無く喚起される瞬間だ。命令を松中たちは求めていた。闇夜を乱舞する曳光弾の密度が飛躍的に増し始めた。しかも撃ち下ろす此方に、撃ち上げる敵のそれも明らかに混じり始めている。
「小銃擲弾撃て! 目標機銃の射撃方向! 弾種対人距離三五〇! 急げ!」
小銃搭載のダットサイトであっても狙いが付けられる程の近距離であった。ダットサイトを通じ迫り来る敵影に照射されるレーザーが複数。即製陣地に在って照射放物線を描いて撃ち出された小銃擲弾が、レーザーの進路に沿って放物線状の軌道を修正する――着弾! 浸透部隊の頭上で炸裂した対人擲弾が、爆風と破片で分隊単位の敵兵を薙ぎ倒し、斬り裂く。一発では終わらない、連続した炸裂が、硝煙と血肉の入り混じった不快な臭いを頂きにまで運んできた。攻め寄せてくる敵の圧力を肌で感じなくなったところで、沢城は部下に残弾の把握を命じた。
『――小銃擲弾、残弾9!』
「……M2を持って来るべきだったな。ヘリから引き剥がしてでも下ろしとくべきだった」
小銃擲弾の残弾数に、沢城は眉を険しくして言った。M2 12.7ミリ機銃を据え付けておけば、もう少し離れた距離から、迫や擲弾に頼らずとも登って来る敵兵の数をより効果的に減らすことが出来ていたかもしれない。もちろん、それ以外の装備の弾薬の、より余裕のある使い方も叶っただろう。
「自分は引き剥がす積りでしたが、ヘリの銃手に泣いて止められました。チャーリー5の防御線には配備していたみたいですが」
「援軍……来ないかな」
呟く様に沢城は言った。援軍が来る報せこそないが、苦境を察知した進攻部隊司令部が援軍を差し向けてくる見込みはあった。何より開戦初日に制圧したロギノールには水陸機動団の本隊が集結を終えている。あとは北部飛行場の整備が進み、空中機動に必要なヘリの数を揃えるだけだろう。
「来るのが前提の水陸機動団の筈ですが、本土の偉い人がそのことを忘れていないか心配ですね」
苦笑交じりに松中二曹が言った。構想と実際の乖離は軍事に限らずある日本社会の悪癖のひとつで、この場合、沢城の属する水陸機動団は所定の任務を完遂しても前線から引き上げてもらうこと叶わず、その組織的な戦闘能力を喪うまで使い潰されることになるかもしれない……と沢城自身は悪寒交じりに考えた。いや……
「最悪玉砕ですかね」と松中二曹。
「予約なんてしてねえぞ。靖国行きなんて……」
「指揮所です」
通信士が送受話器を差出す。後藤小隊長の切迫した声を沢城は聞いた。
『先刻の砲撃でチャーリー5の防御線が崩壊した。生存者には後退を命じた。敵の浸透が始まっているから、生存者の内戦闘可能な者をそちらに預ける。そっちを何としても守り抜け』
「了解。本部は大丈夫ですか?」
「着弾の振動で指揮端末がイカれたぐらいだな。おれも怪我をしたが大丈夫。他に何かあるか? 送れ」
「チャーリー5にはM2があったでしょう。回収に此方から数名向かわせたいのですが宜しいですか?」
「任せる。だが決して無理をさせるな。送れ」
「チャーリー5」
「交信終わり」
沢城は松中二曹に向き直った。
「松中二曹、済まないが四名連れてチャーリー5の人員を迎えに行ってくれ。M2も頼む。だがヤバいと思ったらすぐに引き返せよ。此処も数が必要だからな」
「二名で大丈夫です。生き残りにも担がせますから」
「…………」
詰とした決意の表明が、沢城を凝視する精悍な眼差しに表れていた。これも年季の差と言うべきであろうか?
再び空が明るさを増した――第三射が、友軍の占める何処かへと猶も牙を剥く。同時に、斜面の遥か下側から撃ち上げてくる赤い火線もまた、勢いを増し始めた。
「早く行け!」
怒鳴りつつ、沢城は89式カービンライフルを撃った。傍らで撃っていた陸士が完全な弾丸切れを告げる。まだ二十歳も出ていない若い陸士だった。自身のマグポーチから弾倉を抜き出し、沢城は陸士に放った。
「大事に使え!」
銃を構え、覗き込むダットサイトの遥か先で、人間が斃れる気配を感じ取る。しかしそんな事に感傷を覚える暇など無く、引鉄を引き続けるうちに感傷自体も摩滅しきっていた。個人壕の間を駆け回りつつ火線を張り、持ち場を守る部下に指示を出す。弾幕を張ってこそいるが、今度ばかりは昇って来る敵兵の圧力は弾幕の密度に勝り始めていた。数が多いこともあるが、それだけに敵も勝負を賭けているのだ。
『――擲弾残弾ゼロ! 残弾ゼロ!』
「迫の支援は!? 迫はどうした!?」
『――チャーリー5に浸透した敵軍への対処に向けられている模様! 元々数が少ないんです!』
「くそっ!」
毒付きつつ89式を撃つ。周囲の部下の中には完全に89式用の弾丸が尽き、拳銃を引き抜いて敵に向けている者もいる。近距離で投げられた手榴弾が防衛線の下方で炸裂し、味方のものではない悲鳴すらはっきりと聞こえる。そのとき、闇夜の向こうが二三光り、白煙を曳いたより激しい光の矢が二本、沢城のずっと側面を掠めて過ぎた。
「RPG!」
叫び終わらない内に、着弾の爆圧が全身と耳朶を烈しく打つ。ロケット弾の直撃を受けた個人壕が崩れ、悲鳴が上がった。悲鳴は完全な日本語だった。
『――RPG! RPG!』
『――頭を下げろ馬鹿!』
『――衛生兵! 来てくれ!』
「装填!……?」
89式の弾倉を繋ごうとして、それがあるべき場所に無いことに沢城は気付く。壕を駆け回っていた間、必死で撃ちまくった以上に、弾丸を使い果たした部下に弾倉を融通していたのが今になって響く。それでも沢城は、迷い無くホルスターから引き抜いたニューナンブM2A1MEU 通称「遠征軍スペシャル」を敵の迫り来る方向に向けた。「転移」直前から警察機関を先頭に更新の始まった新型自動拳銃。出始めた当初は「小銃よりも高額な拳銃」と揶揄されたものの、「転移」の過ぎた今となっては輸出需要の増大がその価格低減に拍車を掛けている。旧来の9mm自動拳銃と比べて射程と威力、装弾数は据え置き、但し射撃時の引鉄の軽さと反動の低さはずっと勝る。合成樹脂コーティングの銃把も握り心地が良い。腕の良い射手が扱えばサブマシンガンの様に撃てると訓練部隊では専らの噂であり、それ故に「和製ベレッタ」という渾名も存在する。沢城自身射撃訓練でそのことを実感してもいる。
眼前、岩陰から小銃を構えて躍り出た敵影に向けて二発撃つ――仰け反って斃れる敵兵。その隣から現れた敵影にさらに三発。影が転がる様にして倒れ動かなくなった。過る影、迫る影に反射的に銃口が向き、そして拳銃は咆哮する。その拳銃ですら、携行する弾丸には限りがあった。防衛線上を走り、交差する弾幕を避け、敵兵を殺し、そして弾丸を悉尽することに時間が過ぎていく。
『――われ弾丸無し! 後退の許可を!』
『――誰か弾丸をくれ!』
『――分隊長! 沢城二尉! 指示を下さい!』
「増援を呼べ! 要求し続けろ!」
それはまた、生命と精神の灯が刻々と削られゆく過程でもあった。気が付けば、十秒以内で駆け寄れそうな先にまで敵影が迫っていることに、沢城は拳銃を撃ちながら気付く。ターバンや長衣の組み合わさったノドコール固有の民族衣装をまとった兵士の影、それらが岩陰から自動小銃を頂きに向かって撃ち、二人掛かりで分隊支援機関銃を構えて弾幕を撒いている。勢いを増した弾幕に圧倒され、此方からの火線の勢いが目に見えて減っていく。距離が詰まったことも然ることながら、銃口径の関係から威力も有効射程もローリダ軍の機関銃が実のところ日本側のそれよりも勝っているのはかの「スロリア紛争」の経験から判明していることで、それを受けた陸自部内では退役の進む64式小銃の、応急的な分隊支援機関銃化改造と、とっくの昔に退役した62式機関銃の、改良再生産すら一時真剣に検討されたともいう……
見ようと努めれば相手の白目すら見えそうな近距離――手榴弾を投げようとしている一人に、沢城は反射的に拳銃を向けて撃つ。手榴弾が撃たれた彼の手から零れるのと、拳銃の弾丸が切れるのと同時だった。弾倉の最後の一本、それを迷い無く叩き込み、そして撃つ、撃つ、撃つ!――今はただ、弾丸が尽きた後を考えるのが怖かった。敵兵の手から零れ落ちた手榴弾が炸裂し、周囲に居合わせた仲間を巻き添えに吹き飛ばすのが沢城には見えた。炸裂と火花の壁が唐突なまでに沢城の眼前に生じ、そして圧倒する。
『――――!!?』
猛禽の飛来を思わせる爆音が山岳を駆け巡る。それが敵軍の集る山肌に迫り関砲弾を浴びせる友軍のジャリアー攻撃機の機影と化すのを、沢城は歓喜よりもむしろ茫然として目の当たりにした。その後には共通回線にパイロットの声が響き渡る。
『――こちらヴァルキリー・リーダー。チャーリー、使用火器をクラスターに切替える。頭を下げていろ』
「…………っ!」
ヘルメットを抱える様に背を屈め。個人壕に腰を沈める。その後に空が弾ける音がした。砲撃の着弾にも似た振動も足下から襲いかかって来た。頭を上げた先の空、小振りな機影がフレアーを撒きつつ翼を翻し、雲間へと吸い込まれる様にして消えていく。
『――ヴァルキリー3、攻撃コース……攻撃いま、爆弾投下!』
今度は防衛線から離れた、麓に近い一帯が烈しく光る。撒かれたクラスター爆弾の生む光と火花の花畑が広がるのが見える。周囲からは歓声が聞こえる。勝利の歓声というよりも、死の一歩手前で生を拾った歓喜の声と言うべきであった。持てる爆弾を全て落としたジャリアーが機影を翻し、次には機関砲による銃撃が始まる。絹を割く様な独特の射撃音が、白みかけた夜空に響き渡る。頂きの奪回も叶わず銃爆撃に引き裂かれ、追い散らされる敵兵の影、また影。
『――航空支援だ! 航空支援が来たぞ!』
『――いいぞ! もっとやれ!』
『――ジャリアー様々だな!』
地上の脅威を追い散らしたジャリアーの銀翼が空の彼方へと消え、次にはヘリコプターのメインローター音が近付いて来た。CH‐47Jの巨体が着陸地点に続々と滑り込み、開かれたランプドアからは完全装備の普通科隊員が怒涛の如くに躍り出る。その数は恐らくは三百に達した。彼らは速やかに穴のあいた戦線に達するや、後退を始めたキズラサ国軍に向かい追い撃ちの射撃を始める。離脱も応戦も叶わず背中から被弾し、斃される無数の敵兵――
「第12旅団じゃないか!」
叫んだのは成宮三曹であった。喜色など隠すまでも無いと言いたげだ。脅威が退いたのを見計らい、沢城は分隊の集合を命じた。その過程で一名、生きて集合の叶わなかった者を見出す。衛生兵に付き添われ、担架に身を横たえた陸士に、沢城はヘルメットを脱いで呼び掛けた。ロケット弾の直撃を受けて潰れた個人壕に、文字通りに生き埋めにされた若者。年齢は確か自分と同年であった筈だ。
「自分たちが救い出した時にはもう……」
そこまで言って、一人の陸士が頭を振った。至近で生じた着弾の衝撃と壕の落盤が彼の肉体を烈しく圧迫し、死に至らしめたのだと衛生兵が言った。
「何か言っていたか……?」
「ただ一言……おかあさん、とまでは聞き取れましたけども」
「畜生……!」
呻く様に沢城は言った。涙が溢れ出ようとして、寸でのところで腕を充てて堪える。自分のやり方がもう少し巧みであったなら、彼が生きて集合を果たした未来もあったかもしれない。
「バカが……こんな詰らんところで死にやがって……!」
成宮三曹が言った。それを咎める口を、沢城をはじめ誰も持たない。援軍はやがて、軍装も真新しい二個分隊の姿を借りて沢城たちの戦線にまで行き亘る。分隊長の一人が沢城の姿を認め、敬礼した。
「12旅団13普連の戸田一等陸曹です。沢城二尉ですか?」
「沢城です。こんな僻地まで御苦労さまです」
「後藤小隊長が沢城二尉をお呼びです。あとは我々が引き継ぎます。何か懸案の事がありましたら何なりとお申しつけ下さい」
「負傷した部下がいるので支援を願います。あと時間があればトラップと監視装置の設置も……」
「了解。それにしても……」
言葉を詰まらせ、そして続ける。
「……酷い有様だ。私は従軍は初めてなのですが、スロリアというのは全部こうなんですか?」
「さあそれは……」
今度は沢城が言葉を詰まらせた。詰まらせた言葉もそのままに、ふたりは再び直立で向き直り、別れの敬礼を交わす。部下を残し、独り指揮所に向かって歩くにつれ、今更のように圧し掛かって来た疲労が、沢城から言葉と感情を奪う――途上、行き合った12旅団の隊員が数名、仰け反る様に沢城に道を譲るが、それに気付かないまま彼は歩を刻み続けていた。死地を潜り抜けた者特有の、知らず発散する鬼気が、実戦を知らない隊員をして若い幹部に恐れを抱かせた結果であった。だが、それも半壊した指揮所で、頭に包帯を巻いた後藤一尉と話し込む増援部隊の幹部の姿に気付くまでの事だ。陸自戦闘装備一式に身を包んだ女性幹部、それも特徴的な細眼鏡には見覚えがあった。
「やべっ」
反回りし、踵を返す沢城を松中二曹が呼び止めた。鉄帽の天辺から足先に至るまで、酷く汚れていることに沢城は眼を丸くする。
「機銃を持ち帰れず、申し訳ありません!」
チャーリー5の生き残りを掌握したところを混戦に巻き込まれ、そのまま戦線に釘付けにされたのだと松中二曹は言った。
「チャーリー5の西中分隊長は戦死されました。自分が掌握した生き残りは三名だけです」
「……よし、そいつらでうちの分隊を補充しよう」
予備には期待できないからな、と沢城は言い、松中二曹も我が意を得たりと頷く。女の怒声が、沢城の背中に降りかかったのはそのときであった。
「オイ沢城! ハゲ!」
「ハゲ!?」
目を丸くし、松中が沢城を見返した。後藤一尉との話を終えた女性幹部が、つかつかと沢城に歩み寄る。
「テメエ前線の何処捜してもいなかったじゃねえか! 激戦の最中何処で油売ってやがった! ああ!?」
「…………」
怒声の主に、むしろ松中の方が我が目を疑っている。戦闘装備に全身を包んでいるが、眼鏡を掛けた美人が分隊長に顔を怒らせて詰め寄って来る……そう、美人であった。それが奇異なものに思え、松中は沢城と女性幹部を交互に見比べる。気が付けば、沢城分隊長の表情から戦場で蓄積したであろう疲労の色が一切合財吹き飛んでいることに気付く。それでも硝煙と土煙に塗れた顔は隠し様が無かった。その分隊長の表情を察したのか、女性幹部の表情からも怒気が消えた。
「いい面だ。相当暴れたなハゲ」
「お久しぶりです上杉先輩」
上杉先輩と呼ばれた女性幹部が、沢城の上腕を烈しく叩いた。
「後は任せろ。死ぬんじゃねえぞ。ハゲ」
「ハイ!」
女性幹部が踵を返し、遠巻きに彼女を待っていた部下を引き連れて足早に前線へと歩いて行く。敬礼と共にそれを見送る沢城の目には涙が溜まっていた。恐怖によるものではない、むしろそれらの感情とは逆の感情の産物だと松中には感じられた。それが松中には微笑ましかった。
「女中隊長ですか。威勢だけはいいですね」
「防大の先輩だ。おれが入校した時の学生長だった……滅茶苦茶怖くて、強い女だから、此処はもう大丈夫だ」
「沢城二尉!」
歩み寄って来た後藤一尉に呼び掛けられ、ふたりは反射的に敬礼した。答礼し、後藤二尉は告げた。
「連戦明けのところ申し訳ないが中部戦線でひとつ問題が持ち上がってな。司令部がおれ達の力を借りたいそうだ。行ってくれるか?」
「……はいっ!」
応じるのに一秒ほどの躊躇いが生じたが、沢城はそれを表には出さなかった。
「ロギノールから二百キロ北方で、友軍の10式が一両立ち往生している。ロメオのRPGを食らって制御システムがイカレたらしい。修理に向かう野戦支援班の、これまた支援をおれ達に頼みたいそうだ」
「要するに……護衛ってわけですか」
後藤一尉は頷いた。
「まずいことには現場からさらに三十キロ先で、戦車隊が追い散らした筈の敵兵が集結を始めている。衛星情報によると南下の兆候もあるらしい。連中に対する航空支援の準備が整い、修理が完遂するまで現場を確保せよ、ということでもある」
「沢城、微力を尽くします!」
「三個分隊を沢城に預ける。話はもう通してあるから12旅団のチヌークに乗って行け。弾薬も12旅団から貰え。おれも後から追及する」
「後藤小隊長は残るのですか?」
「戦線を脱するのは指揮官が一番最後と相場は決まっている。ひとつの例外も無い」
沢城は背を正した。
「沢城二尉、三個分隊を預かり転進します!」
「この任務が終わったら絶対に休ませるからな。もうひと踏ん張りだぞ」
共に敬礼。近い何処かでチヌークのタンデムローターが勢いよく回り出すのを音と気配で感じる。後藤一尉と別れて部下を掌握に戻る途上、烈しく腹が鳴るのを沢城は覚えた。
「腹が減りましたか? 自分もです」
「何か飲むものも欲しいな。スポーツドリンクの様な……」
「わかりました。自分らが12旅団からガメてきましょう」
「こいつ……」
沢城の苦笑に、松中二曹は片目を瞑って笑い掛けた。
「大丈夫です。M2の時と違って、もう敵さんは撃って来んでしょうから」
空が白み始め、戦場の空に浮くチヌークを魁偉なまでに目立たせていた。
ノドコール国内基準表示時刻1月7日 午前6時11分 ノドコール東部
太い白煙を曳き、破壊を招来する光が無数、白みかけた空の涯に延びる。
言い換えれば鋼鉄の雨ともいう。前進展開を果たした19式高機動ロケット砲システム一個中隊六両の織り成す制圧射撃の光景だ。重装輪回収車をベースとした発射車両一両に付き八発の高性能ロケット弾。それが六両というのだから、HIMARS隊の一斉射で四十八発の高性能ロケット弾が、それを指向した方位より六十から百キロメートル先に向かい突進することになる。高性能ロケット弾はそれ一発につき404個の複合目的改良型通常弾薬子弾を内蔵している。子弾の散布効果により、理論上はHIMARS一個大隊で東京都内一区分に及ぶ広範囲を制圧することが可能というわけだ。
地上戦闘が始まって六度目の一斉射撃であった。先夜より活発化したキズラサ国軍の抵抗が、部隊司令部をして作戦前の計画に無いペースでの、大規模な制圧火力の投入を決心させる呼び水となっていた。国境を越えた先、ノドコール東部の広範囲に分散し有機的な相互支援体制を作り上げていたKS東方方面軍の防勢が巧妙を極め、戦闘開始と同時に越境部隊の前進速度は目に見えて低下している。目標を直撃し得るGPS誘導弾頭を搭載しているとは言っても、効果には限界が見え始めていた。広範囲への制圧射撃を可能にする多連装ロケットが、かのスロリア紛争時の様に密集した一個の大軍に対するに有効ではあっても、広範囲に分散した小部隊の群に対するにそうではないことを表す、それはひとつの証明でもあった。
敵の防勢の巧みなることもそうだが、攻める此方の数が少ないのだ――軽量戦闘車の傍らに在って、ロケット弾幕の上昇を見送りつつ間宮 真弓は思った。他方面隊からの増強を得たとは言っても実数は二個旅団、総数で二万にも満たない戦力では占領地の維持も覚束ない……数的な不足は航空支援によって補い、現状の日本の航空戦力ではこれが可能であると、作戦前に真弓が取材した防衛省の担当官は豪語したものであったが、本来より脅威度の高い地上目標に向けるべきHIMARSの専用弾を、広範囲に分散した低脅威目標に向けていること自体、その航空支援自体の不足を象徴しているとは言えまいか?
「間宮さん、すごい弾幕ですよ」
と、真弓の傍らに在ってノートPCに向かうADが声を弾ませている。眼前のHIMARSの弾幕にでは無く、その一斉射撃の映し出された画面上を埋め尽くす文字の弾幕に対する感嘆の声であった。此処前線から数千キロの海空を隔てた祖国日本にあって、高度な通信インフラの恩恵として、同胞が繰り広げている戦争をPCその他の通信端末ごしに傍観している人々。あるいはモニター越しの戦争と破壊の光景に無邪気なまでに見入る人々。ただし真弓が行動を共にしている自衛官たちと違い、彼らが戦闘で傷付いたり死んだりする可能性は皆無であろう。
「……あの動画、ちゃんと放送れてるかな」
「間宮さん、何か――!?」
「ううん、何でもない!」
ロケット弾の爆音故に大きく交わされた言葉の応酬、その狭間に真弓は先夜目の当たりにした光景を押し込めようと努めた。そのとき、前線監視任務より取って返して来た装輪装甲車により運ばれ、航空自衛隊のUH‐60J改救難ヘリコプターの機内に慌ただしく担ぎ込まれた三つの担架――うち二人の生命がヘリに搬入された時点で空しくなっていたのを真弓は思い出していた。「同志撃ち」「敵と誤認」といった不穏な言葉が、事態を見守る現場の隊員の会話と又聞きした通信回線中に飛び交っていたのを彼女は聞いている。撮影させた動画は本部への定時報告に添付してメールで送ったが、その後で真弓は旅団指揮所に呼ばれて口頭で注意を受けた。「全部隊の士気低下に繋がる行為は止めて欲しい」と、その中年の幹部は神経質そうな顔を震わせつつ、真弓に告げたものであった。
「つまりは戦場に付きものの、唯の負傷者搬送では無かったと、貴方がたは言いたいわけですね?」
「むう……!」
真弓は反論し、幹部は反論せず――あるいはできず――に沈黙する。死者や負傷者の後送は戦場では起こりうることで、これを撮影し銃後に流すことは戦場の事実を伝えるという意味では何ら支障が無い筈が、この件だけを取り立てて注意したことが、むしろ真弓に関心を惹起させた。それ以上に「従軍記者」としての自分たちが、その一挙手一投足までを自衛隊の監視下に置かれているという、決して愉快では無い事実を再確認させられた瞬間でもある。
「間宮さん、さっきの死傷者後送ですけど」
「え……?」
PCを眺めつつADが不意に口を開き、真弓は彼を見返した。
「どうも施設科の小隊長とその部下が地雷処理中に味方に撃たれたみたいですね。敵と誤認したって……」
「ああ、あれのこと?」
ADは頷いた。
「あの動画、本社は放送わないかもしれないですよ」
「…………!」
はっとして、真弓はADを見返した。その真弓の視線に何ら関心を払わないかのように、ADはタイプを打ち続けている。
「どうして?」
「政府や防衛省の偉い人もそうですけど、放送したところでまず視聴者が望んでいないからですよ。戦場で自衛官が死んだり、傷付いたりする光景なんて」
「――――」
背筋を冷たいものが走るのを真弓は覚えた。同僚の態度に対する怒りとか呆れよりも、むしろ拭い難い現実を突き付けられたときにも似た衝撃が、むしろ真弓の胸中を捉えてさえいた。
「受け手が望んでいないものを放送したり主張し続けたマスコミがどうなるか、真弓さんも知らないわけがないでしょう?」
「でも、公表ぐらいはするでしょう」
「公表はするでしょうけど、そんなに騒ぎにはならないんじゃないですか? 二人死んだだけだし、戦闘機が友軍を誤爆して十数人死んだとかならさすがに大問題でしょうけど」
「人の生き死にを数で判断するの? あなたは」
「ベース‐ソロモンで六百人の日本人が死んだから、こうやって政府はPKFを此処に送り込んだわけでしょう? これが一人や二人だったらまた別の未来があったんじゃないですか? 間宮さんはそう思いませんか?」
「…………」
言葉を失った真弓に対する無関心を決め込んでいたADのPCに向かう眼差しが、やや見開かれた。
「間宮さん、政府が閣議決定しましたよ。第10師団の越境と第4師団の動員を」
「…………!」
ヌコヌコ動画のニュース表示機能の賜物であった。国内大手新聞社の配信電として、ADが言った通りのことがそのまま載っている。ただし真弓にとってそれは意外な展開であった。後詰めとして配置された第10師団の前進は予定された行動だが、本土に張り付けのままの師団まで新規に動員するとは――「開いて!」リンクしているページを開く様真弓は命じる。詳細を記したネット記事を目の当たりにしたとき、真弓は我が目を疑った。
「第8、第9師団まで……」
第4師団のような全面動員ではないが、三年前の「スロリアの嵐」作戦でも活躍した第8、9師団からも兵力を割き、それぞれを旅団として再編し前線に投入することを記事は示していた。尤も、そのための計画と試行も戦力改編や演習という形でとっくに済んだ上での決定であろう。三年前よりも大量の兵力を早期に、かつ迅速に動かし易い体制に今の自衛隊はある。
付随する記事には、国内の航空会社及び商船会社複数社が、作戦に必要な兵力及び装備物資の輸送業務に本格的に参画するという内容も見られた。ヌコヌコ動画の運営にも参画している大手情報通信企業に至っては、すでに部隊支援のために移動式基地局を搭載した貨物機をチャーターし戦線周辺で飛行させている事を真弓は知っている。
「総力戦ね……」
呟くのと同時に、背筋が震えた。興奮によるものでは無く、戦慄によるものだと真弓は思いたかった。