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第一一章 「決断」



ローリダ共和国国内基準表示時刻1月6日 午後19時06分 首都アダロネス 建国広場


 それを為し得る広さを有しているにも拘らず、回転翼機が建国広場への着陸を許されることは滅多にない。ただし三年前のスロリア戦役の余波として勃発したノドコールの住民反乱――共和国政府公文書に記載されるところの「ノドコール大反乱」――の際、キビル郊外のエドリクサス記念公園が、反乱鎮圧作戦に投入された軽量観測機の前進飛行場、ひいては西方の対ニホン戦線から後送されてきた負傷兵を運ぶ回転翼機の離着陸基地として機能したという「経験」こそが、建国広場をして非常時に軍用回転翼機を離発着させる臨時飛行場として転用し得る可能性を、軍上層部をして意識させたのは必然の流れとも言えた。

 

 それまでは単に、軍民を問わず首都中枢上空への航空機の侵入が、国法により禁じられてきたからに他ならない。ただし非常時の際、共和国殿堂を構成する建造物及び広場の敷地と周囲とを区切る石柱の他には、荒漠なまでの石畳の連なりしかないこの広場に、軍の野戦指揮所を設営する計画があり、関連する演習もまた幾度か行われた「実績」は確かに存在する。


 円形の機窓から拡がるアダロネス市の全景に目を楽しませるには、特別仕様の回転翼輸送機が着陸態勢に入ろうとしている今となってはあまりに低い高度であった。かと言って機体構造の欠陥に起因する着陸時の衝撃に身構えるには未だ高過ぎる高度でもあった。


 第一執政官の招請に応じ、国防軍士官学校併設の軍飛行場にアダロネス中央より差し回されたこの回転翼機で発ったのが二時間前。その前日にはアダロネスよりずっと南で起こった「異変」の第一報は機上の客となったルーガ‐ラ‐ナードラに知らされ、以後も絶え間なく届いた続報を前にして困惑と憂思もまた重なった。反応兵器生産工場の壊滅という衝撃的な事態の生起も然ることながら、その背後を掠めるミステルス‐ル‐ヴァン‐ガーライルの影、さらには反応兵器「神の火」を欠いた状態での対ニホン戦略の展望の不明瞭なること――今回の招請の理由は特に後者にあるのではないかとナードラは予期している。


『――日本政府といたしましては、今回のローリダ群島南部における核関連施設爆発事故についてはその発生と以後の経緯の不明瞭なることを極めて憂慮しており、「ロメオ」側より要請があり次第、我が国の能力の許す限り事態収拾の支援を行う用意があることをここに表明するものであります』


 蘭堂 寿一郎 日本国官房長官の定例記者会見そのものは、その視聴と分析はニホンの政情を図る上でごく有り触れた手段としてナードラ率いるルーガ総研には定着した手法ではあって、先日に行われた会見の内容は「兵棋演習」が行われた国防軍士官学校で一連のニホン側報道を目の当たりにしたナードラからすれば、ニホンの対ローリダ監視網の存在とその精度を再確認させるものでしかなかったが、先日の反応兵器製造施設の壊滅を、民衆向けには大規模な山林火災と表明することで取り繕ったアダロネスの政府中枢には深刻な衝撃を以て受け止められたようで、政府の足元たる首都に拡がった狼狽と恐慌は、そこに足を踏み入れない内にナードラには感じられるほどであった……それは、降下し続ける回転翼機から臨む眼下の地上にあって、彼女の降着を待ち構える車列の仰々しさを見れば痛いほどによく判る……およそ第一執政官の招聘した在野の「元政府要人」一人を出迎えるには、元老院警護隊所属の装甲車両まで従えたそれは余りに過分な陣容であった。


 着陸――地上で待ち構えていた警備兵がドアを開ける。先導されるがまま、建国広場の特徴的な白亜の石畳に一歩を標したナードラの眼前に一台の公用車が滑り込むようにして止まる。後席に在ってナードラを待つ人影には見覚えがあった。


「あ……御用学者だ」

「…………っ!」

 細い眼鏡に覆われた冷たい眼光が、近付いて来たナードラを突き放す様に迎えた。ナードラと同じく美しい女性が政府文官の礼装を纏って後席に座っている。おそらくは年齢もナードラと同じであるように傍目には見え、それは事実であった。背の丈はナードラより高い。それは豊かな金髪が結わえられた頭頂が、公用車の天井に接しかけているところからも判る。ナードラが彼女に対面する形で座席に腰を下ろす。それを見計らっていたかのように車は走り出し、そして車列も動き出す。スモークの為された車窓――気が付けば、完全に封鎖された建国広場を取り巻く様に集まった群衆が、沿道に在って車列の行く先を伺っている。


「市民は政府の対応を注視しているわ。政府の果断なる決断もね」

「果断なる決断? 政府が真実を公表し、市民に陳謝することかしら」

 ナードラの素っ気無い言葉が、細眼鏡にそれまでとは異なる光を生んだ。

「三年前から貴方は変わった。もう一度、変わる積りは無くて?」

「変わらなければいけないのは貴方とアダロネスの方よ。アルギスの矛を手に入れたガーライルが、矛の切先をアダロネスに向ける前に……いや、現実にアルギスの矛はもうアダロネスの喉元に向けられている」

 キズラサ教とは系統の異なる宗教に属する、その古代神話に登場するあらゆるものを粉砕するという矛の名を挙げ、ナードラは言った。

「アルギスの矛?……ガーライル?……どういうことかしらナードラ」

「『アギナダの箱庭』の破壊が、破壊の混乱に乗じて『神の火』を奪取するためにガーライルが仕組んだものだとしたらどう?」

「…………ッ!」

 第一執政官 外交担当首席補佐官 イルバラ‐カ‐デ‐カヌートの細眼鏡の奥で、狼狽の光が揺らぐのをナードラは見た。と同時に、事態の真意を把握しかねているアダロネス中枢の混乱ぶりを察し、焦燥もまた胸中に募り始めていた。



「偉大なる第一執政官閣下は、ニホンの報道についてはどう考えているのかしら」

 ナードラが話題を変えたのは、ガーライルの話題をアダロネス中枢――第一執政官官邸――まで持ち込み、そこの主と直に議論したいという打算もまた存在している。眼前の「御用学者」には、ガーライルの話題は荷が重すぎ、かと言って彼女が仕える第一執政官からしてもガーライルの話題を振るに適当な人物かといえば、まあそうであるという確証をナードラは持てずにいた。


「第一執政官閣下はニホン人の報道には怒り心頭よ。余計なことを言ってわが共和国国内と友好国の不安を煽っていると」

「余計なこと? ではニホン人が言っていることは嘘ではないというわけね」

「嘘ではないにしても、敵国の首脳の発言よ。言われた方からすれば何らかの悪意を感じすにはいられないわ」

「…………」

 ……でもニホンからしても未だ掴んでいない。輸送艦襲撃も含めてこれらの件が、全てガーライルの掌の上にあるとは――内心でそう応じ、ナードラは車窓に目を転じた。後席の前から背後に流れる街の景色が、ナードラの眼差しをやや険しくさせた。



「第一執政官官邸への道じゃない……」

「言い忘れてたけど、予定は一部変更よ。第一執政官は官邸にはおられません」

「郊外へと続くこの道……例の場所か?」


 ナードラの問いに、イルバラの細眼鏡が我が意を得たりとぎらついた。彼女はそういう人間だ。他者を驚かせ、そしてその全てを握った積りになって満悦する……その癖は士官学校時代から全くに変化を見ていなかった。否むしろ、士官学校卒業後に法科学院に進み、そのまま秀才として学究の途、ひいては政界を歩み続けた結果が、今のイルバラの人格の礎石となってしまったように彼女の一期後輩に当たるナードラには感じられてしまう。


「…………」

 郊外へと続く主要道――その沿道にあるものを認め、ナードラは眼差しを再び険しくした。看板、さらにはキズラサ十字を担ぎ沿道を歩む――否、行進――する庶民の群。彼らの先頭に立ち、あるいは周囲を固める法衣姿は、彼らがキズラサ教の司祭であることを物語っていた。


「終末派よ。近頃また騒がしくなったの」

「ナシカの下請けか」

「…………」


 「ナシカの下請け」――ナードラの発した言葉を、イルバラは鼻で笑うようにした。キズラサ教にも色々な宗派があるが、所謂「終末派」は三十年前の「転移」の兆候が共和国全土に広まったのを契機として正統派より分派し、それ以降都市部の貧困層を中心に勢力を拡大している。それが長じて再びセルデムス‐ディ‐ラ‐ナシカの様な有力な宗教指導者と結びつき、新たな布教の場を求めようとしている……とは言っても、ナードラやイルバラの属する「階級」からすれば終末派など、貧困層の宗派という見方でしかない。しかし近年、スロリアで戦死した下級将兵の遺族を中心に信徒を拡大しているという報に接するにつれ、ナードラの場合そうした固定観念は揺らぎ始めている。


「審判の(とき)は近い」

「終末に備えよ」

「神は偉大なり」


 厳めしい文体で、仰々しい文句が看板に連なる。信徒の身形に「個性」を認めない教義の影響もあるが、行進に連なる人々の身形は例外なく貧しく、寂しげに見える。感情の無い顔から、彼らは本当に自分の意思であの行進に参加しているのかという疑念すらナードラには起こる。





 アダロネス郊外 共和国国防省――第一執政官が、此処の主たるカザルス‐ガーダ‐ドクグラムではなく執政官個人の意思で会議の場として此処を選んだことをナードラは知り、そして安堵した。


 選んだのにも理由があった。正常通り、正門から直に庁舎内に通されるかというナードラの予期は外れ、今回は近傍の陸軍基地内に所在する地下トンネルに車列は導かれる。「スロリア戦役」後、陸軍工兵隊により建設が着手され、先々月に竣工したというトンネルは、車列をそのまま国防省地下駐車場に導くほどの広さを誇った。


 地下……それも「神の火」の爆発にすら耐えられるのではないかと思える程に深い地下だ。そして現在、工事は地下トンネルを第一執政官官邸は元より首都の政府重要施設の地下に繋ぐ段階に移行しているとナードラは聞いている――尤も、当のカザルス‐ガーダ‐ドクグラムは、国外植民地駐留軍の視察と友好国歴訪を口実に、その身をとっくに共和国本土から旅発たせていた。半分は執政官の命令、もう半分は彼自身の意志に依るところに、現執政官と彼の力関係が見て取れる。


「悔しいけれど、これもニホンの技術の賜物ね」

 と、ナードラを先導しつつイルバラは言った。ニホン式の土木技術とニホン製の建設機械――今ではその何れもが、ローリダ共和国純正のそれを差し置いて共和国本土と植民地の「要塞化」に不可欠な要素に成り上がっていた。要塞はその運用如何によってはそこを守備するのに要する将兵の十倍に亘る防衛上の効率を軍にもたらす。攻勢では無く防勢を重視せざるを得ない段階に、今の共和国ローリダは在る。


「正門から入らない理由は?」

「正面広間で貴方を待ち構えている、一個中隊に及ぶ数の御用記者と御茶会を楽しみたいのだったら、今からでも好きにして構わなくてよ」

「…………」


 成程……とナードラは内心で苦笑しつつ思った。ニホンの報道はローリダの市井に驚愕とそれに続く恐慌を引き起こしたが、それは新聞その他の報道媒体にとっては格好の飯の種となる。中枢にいる誰かが会議の開催とナードラの移動情報を彼らに流し、過分な数の新聞記者を引き寄せることで一時的ながら国防の中枢からドクグラム派の追い出しを図ったのだとすれば……



「……カディス様は先に到着してお待ちかねよ」

「おじじ様の差し金か」

 幅が広く、長い廊下であった。地上の様な豪華な装飾と調度は無いし、そんなものは誰も期待してはいない。列には元老院警護隊の他、短機関銃を手にした憲兵隊が加わる。国防省の警備部隊であった……途上、幾度かの誰何と身元確認を経、最後のドアがイルバラ自身の唱える合言葉により開かれる――


暁の女神(パラセリエ)

「――――っ!」

 見下ろした先は、無限と思えるほどに広く、そして暗い。抑制された天井の照明の他には通信機と諸元入力用の操作盤、そして情報表示用の光電管端末の発する光……それらのみがこの広範な空間に存在を許された光であった。その光の合間々々を忙しげに行き交い、あるいは深刻そうな会話を交わす武官たち……その内壁の一角を占める光電管表示装置に映し出されたローリダ本土を中心とする世界地図を前に、ナードラは暫し足を止め、言葉すら失った――以前、研究資料として視聴したニホンの戦争映画やアニメに出てくる軍の中央指揮所が、このような配置をしていた様にナードラには思い出された。


「国防軍中央指揮所……三年前にわが共和国は学んだ。そして今なお学び続けている」

「学ぶ?……誰から?」

「…………」

 ナードラの問いは明らかに意地悪なそれであって、問いを投げ掛けられたイルバラとしては不機嫌に顰めた眉と共にナードラを見返すしかない。

「色々な戦いから、よ」

 歩くことを、イルバラは促した。国防軍中央指揮所の寄り奥まった一角、兵士に警備された両開きの重々しい扉を前にしてイルバラとナードラの足が止まる。


運命の女神(アウジリア)

 再度の合言葉に続いて扉が開く。扉の先、第一執政官を上座とする方卓に座する補佐官と武官、そして執政官の個人的な「参謀たち」……その中に祖父ルーガ‐ダ‐カディスの姿を見出し、ナードラは内心で少なからず動揺した。


「おじじ様?」

「…………」

 ナードラの呼び掛けに、カディスは黙って隣の席に座る様促した。座ったところで、末席に座する人影に一瞬鼻白む。厳めしい眼つきもそのままに、此方を見返す元老院の重鎮デロムソス‐ダ‐リ‐ヴァナスの姿を見出して――ナードラが着席するのを見計らい、イルバラが指揮所の全景を望める窓際に立ってそれを臨んでいる人影に話しかける。


「お父様?……第一執政官閣下、皆お揃いでございます」

「…………」

 嘆息して一同を顧みる線の細い初老の男、背の丈は声を掛けた娘とほぼ同じ。銀縁の細眼鏡を掛けているところまで娘に似ている。しかし彼が身に着けているのは紛れもない第一執政官の正装だ。


 現、ローリダ共和国第一執政官アンティナス‐ト‐ガ‐カヌート 共和国ローリダにおける至高の地位を得て既に二年が経過している。その間キビル大反乱後の事態収拾とその他植民地及び従属国への軍事介入があり、列強との小規模な紛争もまた続いた。その点は別にかの「スロリア戦役」前と何ら変わり映えするものではなかったが、これらが戦役前とは違う、全般的な退勢の中で続いたというその点が、共和国の一層の国威低下に拍車を掛けているようにも思われる。


 初期入植民にまで先祖を遡る有力な貴族出身、元が南ランテア社の高級幹部、父に至っては主席商館長という高位すら経験している。長じてこれまでの共和国への貢献に報いる形で元老院議員となった父、彼の死後遺産を相続する過程で半ば自動的に政界に打って出ることとなったカヌートの場合、スロリア敗戦に起因する心身の衝撃から執政官職を降りた前任者ギリアクス‐レ‐カメシスの後を押し付けられる形で執政官職に就いたが故に、度重なる問題を前に憔悴する姿が、否が応にも目立っているように見える。



「カディス氏およびナードラ嬢には、ご多忙なるところをお呼び立てして申し訳ない。しかし事は一刻を争う。共和国の存続が掛っていると言っても過言ではないのだ」

「まずはその懸念材料というものをお伺いしたい。私カディスが思うに、具体的には『箱庭』のことではありませんかな?」

 カディスの言に、イルバラが腰を上げて応じた。

「その通りです。ナガ半島の反応兵器研究 製造施設壊滅に関し、政府は民心の動揺を抑制するべく報道管制に努めましたが、ニホン人の軽挙により水泡に帰する次第と相成りました。政府の方策が挫折した以上、我が国はニホンに対し何らかの対処を行わなければなりませんし事態の収拾についても確固たる方針を纏めなければなりません。先ずはそれら二点について、ご列記の皆様からご意見を賜りたい、というのが第一執政官閣下の御意志でございます」


「君は何をベラベラと喋っているのだ?」

「…………?」

 口調は抑揚に乏しかったが、デロムソス‐ダ‐リ‐ヴァナスの眼光には怒りに近い感情が宿っていることはこの場の誰の眼にも判る。傍らのカディスに至っては、おどけた様に「ああオッカナイオッカナイ……」等と呟く有り様だ……何を喋っている?――ヴァナスと言う人間の場合、その一言と眼光だけでも彼よりずっと若い人間を怯ませるのに十分な威力を持っている。つまるところ、経験した人生の質と量の問題である。


「私は第一執政官閣下のお言葉を聞きに来たのだ。君の様な補佐官風情が出しゃばるな!」

 イルバラが怯むより早く、カヌートが言った。

「すまないヴァナス議員。このところ会議の進行は娘に任せておったのでね。此処でもつい普段の癖が出てしまった。娘に代って詫びよう」

「執政官閣下……」

 何かを言い掛け、ヴァナスは口籠った。ヴァナスの意図がイルバラの越権を窘めるのと同時に、この重要な会議の場で最高指導者としての義務を果たそうとしないカヌートを窘める処にあることを、カディスとナードラは同時に察している。それが半分空振りに終わったのは、ヴァナスにとっても不本意であったのかもしれない。


「ニホンの報道には正直困惑すると同時に怒りを覚えざるを得ない。彼らはわが共和国の混乱に乗じて我が共和国の恥を晒すのと同時に、あの蛮族どもに分不相応な情報収集能力を全世界に披歴(ひれき)に掛ったのだ。何と浅ましい連中なのだろう」

「それだけではありません。彼らの監視の目は、常に我が国に注がれているということでもあります。ノドコールだけでなく我が共和国にも」

「…………!」


 カディス、そしてヴァナス以外の列席者全員の視線がそれを語ったナードラに集中した。現在進行中のノドコールの戦争と、共和国本土の反応兵器施設壊滅事故とを関連付けたという意味で、ナードラの発言は新鮮な感触を列席者にもたらした。


 カディスが言った。

「わが国と言うより、我が国の人間によるノドコール共和国に対する物心両面の支援など、最初から彼らにはお見通しというわけだ。ニホン人からの支援の申し出は、まさにそういう意味なのだろう」

「ですがノドコールは今となってはわが共和国の生命線も同じです。万難を期しても死守せねばなりません」

 発言した列席者に、ヴァナスの厳めしい眼付きが向く。

「生命線? ノドコールに限らず新たな植民地を得んとする度に君たちはそれを共和国の生命線と呼ぶ。いい加減、詭弁は大概にして欲しいものだな」

「それは……!」

 激しかけたものの、列席者たちはヴァナスを前に効果ある反論を為し得ないでいる。話題を転じる――否、ノドコール方面に脱線しかけた話題を正す――必要をナードラは感じた。


「それでナガ半島の反応兵器施設の件ですが、対ニホン的には如何取り繕いますか? 第一執政官閣下」

「外交部の名においてニホン人の発表に抗議する。支援の申し出は当然拒否だ」

「修正が必要と考えます。抗議では無く遺憾の意を表明するだけでよいでしょう。支援の申し出についてはこれを固辞する、ということで宜しいかと」

「それは余りに弱腰な表現ではないかな? 遺憾というのは……」

「では抗議はそのままに、支援の申し出については固辞ということで良いのでは?」

「…………」

 イルバラがカヌートに目配せした。娘は父に頭を振り、カヌートは頷いてそれに応じる。

「提案は却下だ。抗議と拒否で良い。この期に及んでホン人に妥協する必要を私は認めない」

「…………」


 ナードラに賛同を示す者はおらず、示された執政官の意思に逆らうことのできる者もまた、この場にはいない……と言うより、わざわざ逆らう程度の決断ではない様に彼らは考えている。同時に自分に向けられた細眼鏡のぎらつきを前に、失望が冗談ではなくナードラの内心に生じた。

 士官学校在学中に、イルバラは母を病気で失った。それ故か士官学校卒業以来、彼女は正式に任官せずずっと妻を失った父の個人的な秘書格として働いてきた。社交界における夫人としての役割も果たしてきたと言える。カヌートが長じて執政官の地位を得たのも、政財界に対する娘の働き掛けがあってこそでもあることをもナードラは知っている。それ故に執政官には側近にして至高の席を得た功労者たる娘に遠慮があるのかもしれない。議題はそのまま、流れるようにナガ半島の件へと転じて行く。その点、イルバラの「司会」は巧みだった。


「――執政官府の調査ではナガ半島にて生じた一連の反応兵器製造施設爆発は偶発的な事故であり、一切の事件性は無いものと判断されております。ただし本土南方海上にて発生した海軍特務艦襲撃事件は、明らかに海賊集団による組織的な犯行であり、政府としては海軍及び情報機関の全力を挙げ実行犯の摘発と『神の火』の奪回に当たる所存であります」

 ナードラは発言を求めた。

「偶発的ではないと考える根拠は?」

「偶発的ではないとしたら、施設を破壊した者の意図は那辺(なへん)にありや?」

「わが共和国の兵器開発能力を削ぐことも然ることながら、特務艦襲撃事件と同じく、貯蔵された『神の火』そのものの奪取にあると考えます」

「そのような蛮行に及ぶ者に心当たりは?」

 重ねて問うイルバラの細眼鏡が、再びぎらついた。

「ミステルス‐ル‐ヴァン‐ガーライル」

「――――ッ!?」


 ナードラとイルバラ、この地下の会議の場において、正式に出席している女性はこの二人しかいない。従って、列席した男ども全員の視線が自然と二人に集中することとなった。イルバラとは昔から親密な間柄ではないが、彼女が車上の会話だけでこうした発言の機会を作ってくれたことに、ナードラは内心でイルバラに感謝する。ただし発言後のフォローをイルバラに期待するほど、ナードラは自分の言動に甘い見通しを持っているわけでは無かった……忽ち男達の反感が、無形の鏃となってナードラの一身に集中する。


「――ガーライル氏は共和国防衛の功労者だ! その彼に叛意ありと女史は仰るのか?」

「――相手は伝統ある国営商社の主席商館長だぞ。発言の次第によっては重大な名誉棄損にあたる。撤回された方がよい」

「そのガーライルはいま、何処にいる?」

 声をやや荒げ、ナードラは言った。決して大きくは無い声。しかし声に含まれた気迫の刃が、抗弁する男どもから怒気を削ぎ取った。

「彼が共和国防衛の功労者であるのならば、私などより彼の意見が今この場に最も必要とされている筈ではないのか? そのガーライルは何故、この場にいない?」

 男達を圧倒する緑の眼差しが、方卓の上座を険しく見据えて止まる。

「カヌート第一執政官閣下、遡ること一週間前、閣下はガーライルと会っておられます。ガーライルとは何をお話になられましたか?」

「ガーライル氏は民間有志によるノドコール共和国構想成就に関わる支援活動の一切を取り纏めた。私はその彼の表敬を受けただけだ」

「表敬しただけで、ガーライルは国防軍の最新兵器を動かせたというわけですか? 戦闘機や戦車、さらにはグロスアームまで」

「ナードラ……やめて!」イルバラの制止の声は、もはやナードラの耳に届かない。

「この場を借り列席の諸氏に申し上げます。私独自の調査によれば、事件発生と前後し、複数隻の南ランテア社船籍の貨物船が本土を出航したまま行方不明になっています。船に留まらず南ランテア社所有の輸送/旅客機複数機、さらには植民地防衛用を名目に南ランテア社に供与される予定だったゼラ‐ラーガ戦闘機一七機もまた行方不明。特にゼラ‐ラーガはグナドス製の高性能空対空、空対艦誘導弾を運用可能なよう索敵装置及び火器管制装置を改修された、空軍でも装備していない最新型だ」


「――――!?」

 三年前のスロリア戦役は国防軍に甚大な損害を与え、それは空軍もまた同じであった。最新鋭戦闘機の供与は、元来空軍の補助戦力としての意味合いもあった南ランテア社の航空部門を拡充し、再建途上にある空軍の戦力強化を図ったものであったが……


「……この戦闘機供与が国防委員会の裁可はおろか及び元老院の議決を経ていない、国防省の独断であったことも然ることながら、最大の問題はこれらの戦闘機調達に際し、複数の軍幹部及び政府高官に軍需産業および南ランテア社より金銭面で便宜の供与が図られたという事実であります。便宜供与は兎も角、南ランテア社、言い換えればガーライル個人が最新鋭戦闘機を保有する動機は何処に在りや? 扱い方によっては、ニホンの空海軍とも互角に戦えるほどの性能を持つ航空戦力を彼は手に入れた……そして現在、戦闘機は何処にあるのか?」

「平時でも諜略を駆使し敵国に消耗を強いるのは兵法として当然の術であろう。その場合軍がガーライル氏の助力を得たとしてもごく自然のことではないか」

「そのためにノドコールの同胞へ行われた筈の支援を、ガーライルが私的に流用していたとすれば、どうなるかと言っている」

「私的に流用だと? 何のために?」

「それを聞くために、ガーライルを呼べと言っている。改めて聞く。ガーライルは何処にいる?」

「……判らない」

「…………」

 イルバラが言い、ナードラは彼女を見返した。

「戦闘機の件はすでに執政官府では問題になっているの。だからガーライルから話を聞こうにも、召喚に応じないし彼の所在を誰も知らない……事によればもう国内にはいないかもしれない」

「それは……ガーライルが彼の職務を放棄したということか?」

 と、ヴァナスが聞いた。衆人に対しては剛直を以てなる彼であったが、国家の命運に関わる暴露を前に、さすがに衝撃を隠せずにいる。

「放棄どころではございません。あの男、ガーライルにとって、我ら共和国ローリダはもはや用済みとなったも同然。私の勘が正しければ、今やガーライルは個人で一国をも滅ぼし得る力を既に手に入れたも同然の立場にあります」

「一国をも滅ぼし得る力だと?……どういうことかなナードラ女史」


 ナードラの緑の瞳が煌めき、次にはこれまでにない硬い口調が、会議の場を震わせた。

「この場を借り、第一執政官閣下にご報告申し上げます。私ルーガ‐ラ‐ナードラは、今次のナガ半島反応兵器研究・開発施設破壊と、それに起因する周辺地域に対する重篤な汚染は、ミステルス‐ル‐ヴァン‐ガーライルの策動によるものと断言するものであります。その目的は、施設に貯蔵された『神の火』の奪取にあり、誠に遺憾ながら今や相当数の『神の火』が、かかる混乱に乗じて共和国本土の外へと持出されたものとお考え頂きたい」

「…………!?」

 男達は一斉に驚愕した。隣席のカディスからしてか、孫娘の発言と横顔を、今や二の句も告げずに見守っているしか出来ずにいる。

「……ナードラ女史、国防軍の後押しもあるが、ノドコールの戦を以てニホンに消耗を強い、行く行くはわが共和国が漁夫の利を占めるというガーライルの計を採ったのは私の執政官権限によるものだ。その私の決断は間違っていたと女史は言うのかね?」

 執政官の言葉は抗弁に近く、しかも語尾が震えて聞こえた。

「そのノドコールに於いて戦端を開かしめるまでに、ガーライルが主導せしめた一切の運動と工作が、こうして『神の火』を略取するに最適な状況を作り出さんがための下準備であるとしたら如何でございますか?」

「そこまでして奪取する価値があるものなのか? 『神の火』とは……」と、カディスが呟くように言った。

「少なくともガーライルと彼らにとっては、『神の火』はそれだけの価値を持つものでございますわ。おじじ様」

「彼ら……?」

「ニホンでございます。おじじ様」

「――――ッ!?」

「ナードラ……貴方はこう言いたいの? ニホンがガーライルを唆し、『神の火』を奪取させたと……」

 イルバラの問いに、ナードラは頭を振った。

「事態を察知したニホンはことを全世界に対し公にするのと同時に、我が国に事態収拾への協力を打診しました。あの男の背後にニホンがいるとすれば、彼らは事態を公表することなく、沈黙を貫き全てを水面下で進めようと図った事でしょう。今回の事態は彼らからしても想定外のこと……おそらくは神の火が第三者の手に落ちたこと自体すら、彼らからしても未だ想定の外である筈」

「ニホン人はガーライルの蠢動を知らない可能性が高い、と?」


 ナードラは頷いた。嘆息――それに続きさらに重い沈黙が、俯いた上座の執政官に纏わりつく――顔を上げたときには、蒼白な顔をした初老の男ひとりが、執政官の礼服を着てそこに座っているだけであった。

「……国防軍及び全ての情報機関を動員しガーライルを捜す……それ以外に為すべきことは無い、だがわが共和国の全力を上げてこれに当ろう」

「捜す……のでございますか?」

「捜す以外に何をしろと……!」

 と声を荒げ掛けて、執政官が言葉を失った。自分に注がれる尽きぬことの無い緑の眼光から、ナードラの問いの意味を彼は悟った。つまりは――

「……もう、その段階まで来ていると女史は言うのか?」

「…………」

 執政官から目を逸らすことなく、無言のままナードラは頷いた。

「探し出し、そして殺すべきです。共和国ローリダを守るために」





 国防省本庁舎、その正面玄関から正門に跨る広大な敷地を臨める場所まで出たところで、ルーガ‐ラ‐ナードラは深呼吸をした。此処に入る前の空は、暮れゆく中にも曇天の名残こそ残っていたが、今では満点の星空の見守る遥か下のこの場所では、祖父を含めた男達の討議は未だに続いていて、彼女は討議を有意義なものとせんがために、彼女が必要と思うことを述べただけである。それが済んだ以上、ナードラはこの場から速やかに立ち去り、共和国と彼女自身のために新たな身の振り方を考えるべきであった。


「ナードラ!」

「…………」

 後を追って駆けて来たのか、息を弾ませたイルバラの声には余裕が無くなっているようにナードラには聞こえた。気配として感じ取ったイルバラを顧みることもせず、ナードラは言った。


「此処での私の仕事は終わった。次の仕事が待っているから先に出るわね」

「言わなかったのね……カヌート家とガーライルとの事……」

「それは、貴方の御父上ご自身が片を付けるべき事ではなくて?」

「…………」

 ナードラに言われ、イルバラは悄然として黙り込んだ。此処に向かうまでの車上で、イルバラ自身の口から打ち明けられるよりずっと前に、ガーライルに関わるカヌート家の醜聞をナードラは知っていた。南ランテア社の幹部であった執政官の父――イルバラの祖父――にはローリダ人の模範に相応しからぬ、よくない(・・・・)性癖があって、財力と権限に任せて若い少年をダース単位で囲っていたこと。これら少年たちの中にひとり、出自の判らない私設軍事学校の生徒がいて、特に彼の美貌と利発さに惚れ込んだイルバラの祖父は、彼の栄達に必要な支援を惜しまなかったこと。長じて軍人となった彼は、イルバラの祖父の誘いを受けるがまま南ランテア社に入り、その後も実力で出世の階段を駆け上り、政財界から軍に跨る膨大な利権と人脈の網を広げていったこと……それらの過去を一瞬で反芻し、ナードラは言った。



「ミステルス‐ル‐ヴァン‐ガーライル……あの男は、何者だったのだろうな」

「それは貴方が一番知っていることではなくて?」

「あの男が何処から来たのかは、私の力を以てしても最後まで判らなかった……そしていま、あの男は何処へ行こうとしているのか」

 悪寒が、二人の女の間を均く奔る。その後には無力感と怒りという、対照的なまでに違う感情が生まれていた。

「イルバラ、わが共和国にあの男を止める力は無い。そうよね」

「どうするの?」

「…………」

 ナードラは顔を上げた。敵意とも殺意とも区別の付かない眼つきが、黒と星雲が支配する天界を真摯に睨む。

「貴方の父上に教えて欲しいことがもうひとつ……ある」

「何を?」

「ロイデル‐アル‐ザルキスはいま、何処にいる?」

「ザルキス?……彼ならば今ノドコールに……」

「ノドコールの、何処にいる?」

「――――ッ!」

 振りむき越しに向けられた気迫の刃が、打ちのめされたイルバラの胸を抉る。執政官という立場上公にはなっていないが、いち私人としてのイルバラの父もまたノドコール共和国建国運動に財政、人脈面で関与している。それ故に、ノドコール共和国幹部の動静を把握し得る立場に彼もある。建国運動に対する支援は執政官個人の主義というよりも支援者に対する配慮という性格が強いものではあったが、それでも公になれば、当面の交渉相手たる日本のローリダに対する心証もまた、更に悪いものへと転じるであろう。


「ナードラ……あなたは……」

 言い掛けて、イルバラは口を噤んだ。正対したナードラの瞳が、未だ揺るがざる冷徹さを以て彼女を伺っている。

「やつを止めることができる者は、誰だ?」

 自問ではあったが、回答は二人が均しく知っている。ただしあまりに危険な賭け故に、ナードラが敢えて口にしなかった答え――それを拒否する手段を、今のイルバラもまた持たなかった。




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