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第一〇章 「前線の情景」


シレジナ方面基準表示時刻1月6日 午前10時21分 シレジナ地方ナガフル ノルラント軍前線基地「ドナン1023」


 灰色の空が、地平線上に沿って聳える山際を重々しく飾っている。


 海際に設けられた司令部から、歩いて到達できる距離であった。午前中に行われたノルラント側との会議が短時間のうちに終わり、しかも昼食までにはなお時間があった。その山へと向かう道を、二等陸佐 佐々 英彰はノルラント兵に取り巻かれて歩いている。


 そもそも、会議をするということが前線監視団の随員たる佐々 英彰には理解不能であった。ホストたるノルラント軍の参謀の戦況報告に耳を傾け、軍機に抵触しない限りで質疑応答に移るだけならば単なる観戦武官の職掌の範疇である。しかし現実には監視団長たる一等陸佐 花谷 靖人は席上で現況と今後の情勢について意見し、列席した幹部の中にも彼に倣う者がいる。そして卓を挟んで対面するノルラント軍の幹部たちは、まるで教師の説明に聴き耳を立てる学生の如くに花谷一佐の言葉に頷き、ノートに筆を走らせている。


 まるでノルラント軍と日本自衛隊の合同司令部といった雰囲気が、ナガフルという名の司令部所在地には漂い始めていた。シレジナという狭い土地に在る限り、日本とノルラントは運命共同体であり、ローリダという運命を脅かす共通の敵と戦いこれを打ち倒さねばならない……花谷一佐が持ち込んだのか、それともノルラント側がそうお膳立てしていたのか、あるいは両者の発する共通の空気が混じり合い、化学反応でも起こしたのか……思惑は雰囲気となって具現化し、それらに取り巻かれる佐々二佐を内心で困惑させている。


 傍観者という立ち位置である以上、この戦線にいる自衛官は雰囲気からは超然としていなければならない筈であった。指揮系統に抵触するような干渉を避け、ホストたるノルラントの軍人に案内されるがまま戦線を見、見たままを報告書に纏めて本国に送る……自然、本来要求された義務を果たし続ける佐々らと、それ以上の干渉をノルラント人に求められるがまま続ける花谷一佐と彼の取り巻きの間に見えない溝が生じ、拡がっていくのに時間はかからなかった。


「――少しどころではなく、作戦への干渉が過ぎませんか?」

 と、前日の夜、佐々は花谷一佐に言った。当然、彼の部屋でのことだ。

「――干渉はしていない。私見を述べているだけだ」

 と、花谷一佐は顔色一つ変えずに言った。

「――私見にしては部隊の配置といい部隊移動の指示といい、彼らの決心には影響が大き過ぎる様に思えますが」

「――ノルラントにはノルラントの戦略があるだろう。それに私ごときの私見に心を動かされるほど、アリイドラ軍監長は軍歴に乏しいわけではない」

「――では、余計な私見は挟まぬことだ。軍司令部で行われたこれまでのやり取りは、私の発言も含めて全て記録してあり、これからも記録する積りですのでその積りで」

「――…………!」

 花谷一佐が、僅かに仰け反るようにした。潮の引く様に顔色が引いていた。

「――報告するのか?……本国に」

「――あなたが私見だと言い張るのなら、我々に権限を委任した統幕と政府に、あなたの披歴した私見の是非を判断してもらうまでだ」

「――貴様にどういう権限があって……!」

「――日本を発つに当たり、私は記録の命令と許可を貰っている」

「――諏訪内海将補か……!」

「――…………」

 怒りに眼を歪ませた花谷の顔を、佐々は見返すようにした。高級幹部としての矜持を崩さないだけで精一杯の花谷を前にし、佐々はあくまで平然たるを装っている。法廷において被告の反論を待つ辣腕弁護士のそれに、佐々の横顔は重なっていた。



 軍監ナジース‐ジレが佐々を「散策」に誘ったのは、その翌日の事である。


「…………」

 守備兵に左右を固めさせ、身を捩じらせる様にして歩く灰色の軍服が前方。杖をつき、義足を引き摺って歩くナジース‐ジレの後姿を、佐々は訝しむように凝視した。ジレが左脚を喪い、あまつさえ半身に障害を宿した理由が三年前、ノルラントの支配地域を巡察中に遭遇した反乱勢力の爆弾テロによるものであることを、佐々はドナン到着の当日に知った。不具者となってもなお、ナジース‐ジレが軍の顕職に留まっているのは、ジレ自身がそれを望んだこともあるが、彼固有の武勇ではなく、これまでの戦歴で披歴した智略の累積の為せる業であることも、佐々は知っている。


 それ故に彼はジレに対する隔意を発露せず、従順なままにジレの申し出に従った。そうするに足る人物であることは、彼の周囲にいる将兵の態度からすぐに察せられた。参謀としてのジレの智略が、前線の下級将兵の間に信仰にも似た敬意を生んでいる。佐々はそう考えている。畏敬の念を抱くに足る軍歴の持主であることは、ノルラントの公式記録に接する限りでは事実であるようだ。


 軍道から臨み得る戦線の展開が、より明快なまでの広さを以て佐々の眼に飛び込んできた。揚陸拠点から南の戦線に向かって延びる塹壕は、その途上で幾重にも分岐して東西にも延び、丘一つ遮るものの無い一帯を要塞へと変貌させている。枝壕は更にその途上で砲兵陣地、対空陣地、補給段列までも形成し、その拡がりよりもむしろ拡がりの早きことに、佐々は瞠目している。


「…………?」

 軍道から遠方、土埃を上げて蠢く機械には見覚えがあった。クレーンやショベルカーは勿論のこと、ローラーに転圧機、掘削機に至るまで日本の建設用機械が揃い、戦争という文明の所産を創造するべく、大地に文明の痕跡を刻み続けている。いずれは此処は恒久的な基地となり、さらに百年単位の時を経て遺跡に変わるという意味では、歴史を刻んでいるといってもいいのかもしれない。異国の戦場に在ってそれらの機械を操る人間、機械の傍に在って指示を下している人間の中には、明らかにそうと判る日本人もいた。別段それに驚きを覚える佐々では無かった。何らかの技術、手に職を持っている限り、この世界ではどのような日本人でも生きていける場所がある。それ位、この新世界には未開の場所が多く、そして広い。


「ニホン人の協力には、頭が下がる。いずれは人を、国と言い換えられる様にしたいものだ」

「…………」

 軍道の脇から視線を戻した先で、ナジース‐ジレはすでに佐々を伺っていた。半身の自由が利かないせいか、杖に依った猫背を更に歪ませ、そして丸い黒眼鏡を光らせている。長い銀髪の下、周りに白い胡麻塩の目立つ口元が、微かに笑っていた。


「傭兵か?」

「いや、軍属だ。我々は軍幹部にすると言ったが、彼らが嫌がったのでね。彼らを雇い入れるまで、軍属という括りは我がノルラントにはなかった。我が母国ノルラントにおいては、如何なる人間であれ、戦争に従事する者はすべからく軍人であることになっている……いや、ニホン人を雇うまでそうなっていた、と言うべきだろうな」

「何時から使っているので?」

「三年前からだ。シレジナで使うのは始めてのことだな。彼らを(あつ)い待遇で雇い、彼らの機械と技術を以て道を啓き橋を掛け、陣地を造り始めて以来、我が母国ノルラントの領域はより拡大し、進攻の速度、陣地を作る効率も大いに革まった。イル‐アムでローリダの攻勢に対し堅陣を以て対した貴公にも、思い当る話だと思うが?」

「…………」

 軍隊は兵器と戦術によってのみ戦に勝つのではない。戦闘に必要な後方支援とそれを運用するノウハウが揃ってこそ戦場に立ち得るのだ。軍の展開と布陣を支える陣地構築術などはその最たる例であろう……自前の工兵戦力に関しては貧弱との誹りを免れえなかったノルラントは、人材とハードウェアを他所より引き入れることで、その向上を図ったというわけだ。

「工兵だけか?」

「いずれは通信関係の人材と機材も雇い入れたいとは思っているよ。こと部隊間の連接において、貴国の軍に勝る軍隊はこの世界には無いと聞くからな」

「…………」

 再度、佐々はジレを凝視した。猫背の男が泰然と、やや首を傾げて同行させたニホン人の隔意を受け止めていた。二人は更に暫く歩き、そしてまた別の戦線でジレの杖が止まる。



「あのオゼキ氏は、ハナヤ大佐の士官学校の同期だったそうな」

 道から臨む遠方、稜線方向に近い大地を平らげるホールローダーが止まる。塗装の剥がれ錆の目立つ山の様な車体、開けっ放しの運転席から身を乗出した人影を見出し、佐々の表情が一瞬止まった。

「小関 (かなえ) 元一等陸尉か……」

「知っている人間か?」

「まあね」

 と応じる佐々の表情には、一抹の寂しさが滲んでいる。



 陸自迷彩のタクティカルシャツ、国外に持出されたそれは決して違法では無く、この異世界では純粋な軍用としても趣味人の収集癖としても許容された自衛隊装備のひとつであった。盛り上がった肩の一方でより一回り盛上った胸の双丘が、建設用重機の運転者が女性であることを静寂の内に物語っている。迷彩柄のタンカーゴパンツを履いた肉付きの良い腰と長い脚も佐々の記憶からすれば相変わらず。既に四十を越えた佐々と同年である筈が、彼が十年前の最後に彼女の姿を見た時より、今眼前にいるタクティカルシャツ姿の小関 鼎はずっと若く、美しく見えた。

「…………」

 遠巻きに佇む佐々をそのままに、小関 鼎と佐々が呼んだ女性は、地上で待っていたやはり日本人と思しき部下数名と、ほぼ同数のノルラント兵を前に、タブレット端末を片手に幾つか指示を下す。そうして再びホイールローダーの運転席に上ろうとした彼女を、日本人の部下が引き留める様にした。更に言えば、佐々たちの方向へと促すようにした。


「優秀な上に、()い女だね。ニホンの女は皆ああなのかね?」

「いや……彼女は特別だ」

 茶々を入れたジレを顧みることなく佐々は応じた。表情が知らず、固まっていた。

「まるで不倫現場で己が細君に出くわした様な顔をしている」

 ジレの茶々が更に重なる。女が歩み寄り、表情を消した佐々の前で、それは呆れた様な微笑となった。

「へぇ……来たんだ。佐々サン」

 呆れつつも、遠路……あるいは現在に至る佐々自身の人生の道程を労うかのような口振りを佐々は聞いた。十年以上前、久留米の幹部候補生学校で初めて出会った時より、小関 鼎の声からはさすがに瑞々しさは失われて仕舞っていたが、むしろ現場を仕切る技術者としての貫録と余裕を、その(とう)の立った声に佐々は感じた。彼女の声は決して不快な響きでは無かった。


「相変わらずだな。綺麗なままだ」

「心にもないこと言うんだね。十年前みたいに」

「…………!」

 はっとして、佐々は小関 鼎の貌を見返した。女の眼差しが涼しく、かつて彼女がある感情を向けていたであろう男の眼光を、二人の過去と共に受け止めていた。

「敵わないな……君には」

 自然、笑みが漏れた。

「……だから、笑顔が引き攣ってるって」

「…………」

 傍から見れば、それは奇妙な光景に見えたかもしれない。不惑の齢に達し、人生の機微を知り抜いた筈の男が、やはり同年代の女性を前にまるで小学生の様に一歩を踏み出せずにいるというのは――小関 鼎は嘆息した。

「噂は聞いてるわ。敵を殺したり……はたまた味方を殺したり……色々と忙しい生き方をしているみたいね」

「……ああ、君と別れて以来、ずっと目が回る様な人生だ。君は何をしている?」

「見て判らない? 穴掘りよ」

「ロメオを攻めるための穴か」

 鼎は何も答えず、佐々の傍らに立つジレを見遣った。

「塹壕だよ。陽動作戦のね」

「陽動……?」

「二月前より始めたことだ。規模、施工共に存分に目立つようやっている積りだ。要塞のローリダ人をして此処を主攻と誤認させる」

「部外者を前によく喋る」

「いずれは同盟者になる」

 『そうだろ?』とジレは表情を作って見せ、佐々は内心で鼻白みつつも憮然としてそれを受け止めた。小関 鼎が踵を返す。そこに男どもに向けられた女の冷笑が余韻となって残る。去りゆく彼女の背に視線を注ぎつつ、独白の様なジレの話が始まる。


「君は知らないだろうが、ニホン側からは、スロリア戦線の展開について有益な情報提供を得る運びになっている。君たちがこの地に一歩を標した段階で、すでに我々の同盟は始まっているというわけだ」

「ニホン側? 政府か? 防衛省か?」

「防衛省だ」

 花谷一佐のしたり顔が、佐々の脳裏を過った。

「彼の軽挙を、日本政府は認めないだろうな」

「別にニホン政府の許可は必要としていないよ。情報の提供についてはハナヤ達が宜しくやってくれる。君たちの政府に何とでも弁解が出来る様にはね」

 『……だろうな』と応じかけて、佐々は止めた。ことが成就すれば、花谷一佐とその配下たちは自衛隊における「同盟国」ノルラントとの唯一の、しかも強固なパイプを確保することになる。それは即ち、ノルラントと協働作戦を取る上で自衛隊内、ひいては日本政府内における彼らの立場を飛躍的に強固なものとすることに繋がるであろう。自分たちの栄達が、そのまま祖国の繁栄に直結するという錯覚を花谷一佐ら青年幹部が抱いている限り、彼らのノルラントとの繋がりを維持するために為される事は、強化されることこそあれ薄れるということは決してない筈である。ただしそれは栄達……と呼ぶにはあまりにどす黒く、目も当てられない類の「工作」ではあるが。


「兵を以て政の(かなめ)と為す。(これ)国家繁栄の(いしずえ)なり」

「キャスパル‐ストルミンか」

「成程、全くの予習無しで此処に来たというわけでは無いらしいな」

 我が意を得たりと、ジレは微かに笑った。彼らのいた世界において凡そ百年前という、ノルラント建国の嚆矢となったノルラント革命の軍事指導者たる「護国の女神」キャスパル‐ストルミンの事績と発言は、佐々であっても知るところであった。


「肖像画を見たけど眼の覚める様な美人だった。だからよく覚えてる」

「美女が作った国、それも軍服を纏った美女が作った国だからこそ、我らノルラントの男は母なるノルラントに忠節を尽くし、喜んで戦場に斃れるのだ。それが天界に上り、彼女の祝福を受ける唯一の途なのだから」

 と言い、ジレは地平線に眼を凝らすようにした。

「それがあんた方の死生観か」

「軟弱に思えたかな?」

「いや……ロマンチストなのだな。ノルラントの男は」

「…………」

 ジレは佐々を見返した。口元が我が意を得たりと笑っている。

「私個人としては、君に期待している」

「どういうことかな」

「ハナヤは軽薄な男だ。武人ではない。あれに迎合するアリイドラも同類だ。キャスパルに愛されるに値しない男が、我が国には多過ぎる」

 そこまで言い、ジレの杖が上がる。擡げられた先端が、遥か南方の一角で止まる。

「君や私と同じく、キャスパルの寵愛を受けるに値する男がもうひとり、あの遥か向こうにいる」

「センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロート……」

 名を語る佐々の口調には、一抹の侘しさがある。







シレジナ方面基準表示時刻1月6日 午後12時33分 ローリダ政府直轄領シレジナ 


『――ノルラント軍、ブッカー平原南部に大規模な野戦陣地を構築しつつあり』

 シレジナ防衛軍司令官 共和国国防軍少将 センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートが報告に接したとき、彼はシレジナ要塞司令部の幹部会議室兼食堂テーブルの上座に在って、昼食の配膳を待っていた。尤も、献立の内容は他人がことさら伝えずとも、隣り合う将校用調理室から漂って来るアダロネス風シチューの匂いに乗って、列席する幹部たちの嗅覚と食欲中枢に直接に伝わってくるようになっている。それだけ食堂は狭く、作りもまた簡素であった。


 食堂のドアが開く。兵士に先導されて、寸胴鍋を載せた台車を押して来た女性兵の姿に、列席する将校の中で数名は我が目を疑った者もいるかもしれない。くすんだオレンジ色の長髪に、そばかすの浮いた白い頬をした少女。従軍するにはまだ幼すぎるきらいのある外見に、ひょっとして司令官が前線に帯同してきた「愛人」か……と勘繰った幹部がひとりいる。この国の軍隊では往々にしてあることであって、しかしその勘繰りは、ほんの短い遣り取りの内に解消される運命にあった。


「人は見掛けに依らないな。我が国の英雄に、あの様な趣味があるとは」

「姪御だ。その手の女ではない」

 軍服姿の息子が言い、やはり軍服姿の父が無感動にそれを窘める。

「へ……?」

 息子が顔に浮かんだ驚愕をそのままに父に向き直る。と同時に、列席する幹部の視線が一気に父子に集中した。食前に気まずい空気が流れる中、上席の司令官ロートに至っては端正な貌を不機嫌にして頭を振っている。姪を侮辱された怒りというよりも呆れの発露であった。もとより不用意な発言を繰り返すこの息子のことを、ロートは個人的に昔から知っているし、父とは三年前に同じ戦線にいた。あの頃のロートは植民地駐留軍司令部付きの「無任所参謀」、当の父親は、地上軍一個師団を預かる師団長として、だ。

 ドンッ!――勢いを付けて、少女の手でテーブルの真ん中に乱暴に寸胴鍋が置かれる。同時に声を掛けようとしたロートと青年将校を、少女の(きつ)とした眼光が制した。


「皆さん、後はご自由に!」

 執政官官邸警備の儀仗兵すら驚くほどの鮮やかさで踵を返し、少女は肩を怒らせて食堂を出た。その後には寸胴鍋を取り巻く様に、給仕役を失い何をしていいのか判らなくなった男達が残される。

「ロート司令官、息子の非礼をお詫びする」

「…………」

 席を立ちロートに向き直った老年の将校に黙礼で応じ、次にはロートの据わった目が青年将校に向いた。

「その馬鹿しか吐かない舌を、本国に置いて来るべきだったな。アル」


 父はロートと同じ共和国陸軍予備役少将、息子は共和国陸軍少佐の階級章を付けている。息子の年齢はロートと同じ、それだけにこの年代で少佐というのは異数に属する栄達振りであることを伺わせた。「アル」こと、このアルノア‐フ‐ラ‐ティヴァリが三年前に既に少佐であったことを鑑みれば、更にその事実が強調されてしまう。ただし父親たる共和国陸軍予備役少将 グラーフス‐フ‐ラ‐ティヴァリからすれば、今回の件など枚挙に暇がない数々の不用意な言動を繰り返した結果、完全にこれ以上の出世の道が閉ざされた「不肖の息子」でしかない。その父グラーフスと共に彼を呼び寄せたロートからすれば、野戦指揮官としてはこれ以上を望めないほど有能な青年なのだが……


「さあて、食事にするとしますか」

 第71独立自動車化大隊長 グラノス‐ディ‐リ‐ハーレン中佐がシチュー皿を手に立ち上がる。先刻までの事件など無かったかのように鍋まで近付き、手ずから皿にシチューをよそうその様子は、気まずくなりかけた空気を緩和する効果をもたらすこととなった。ハーレンの意図を察したロートが彼に続き、やがて幹部たちは黙然と、あるいは従容としてシチューの鍋に並ぶ。屋内であることを除けば給仕の兵もいない、それは野戦給食も同然の情景であった。


「リュナのシチューは絶品なんだ。こいつを食べながら戦争の話をするのは多少気が引けるが、今は時間が無い。敵陣の様子は君たちも聞いているな?」

「実際、ナガフル方面より中隊規模の部隊の浸透をすでに七度まで確認しています。偵察部隊の様ですが、戦力の構成から威力偵察の意図も有していると思われます」

「では、こちらも中隊を複数北上させるか? 交戦しこれらを撃破すれば、ノルラントの行動も慎重になるかもしれない」

 ロートとハーレンの会話に、ティヴァリ予備役少将の意見が続く。共に同じ戦線で戦い一敗地に塗れた身、しかも共に虜囚を経験し祖国で弾劾まで受けたとあっては、当初のふたりの同僚としての感情は、今となっては一種の同志間の連帯にまで昇華している。軍人としてのティヴァリ自身、彼を使う側が自在に腕を揮える環境さえ整えてやれば破格の結果を出す用兵家であるというのが、ロート自身の見立てであった。それ故に彼にかける言葉には自然と敬意が加わる。


「一理ありますが、撃破するなら中隊よりも一個軍の方が敵に与える衝撃が大きいのは明白、そのための手を打ちたいと考えています」

「ほう……?」

 ティヴァリはロートを見返すようにした。「大魚を引き摺り出すというのか?」

「はい、大魚を引き摺り出し、敵の戦力を減じます」

「提案」と、手を上げた者がいる。アルノア‐フ‐ラ‐ティヴァリであった。ロートは何も言わずに彼を指差し、発言を促した。眼が先刻の浮付いた若者のそれから、戦機を見定める野戦指揮官のそれに転じているのを、ロートは見逃さない。

「シレジナから中隊を前進させているのなら、これらを支援する補給施設も付随させているはず。中隊……いや小隊を複数個浸透させてこれを叩けませんか?」

「その戦略面での意図は?」

「敵の企図するであろう威力偵察を挫折せしめ、戦線に膠着を強いるためです。あるいは……」

「あるいは?」

「ナガフルより南に拠点を確保したばかりの敵をしてシレジナ方面への大規模な軍事行動を決心せしめ、ロート司令官の意図に沿う拙速な機動を誘発せしめるためです」

「貴公がやるか?」

 それはアルノアの進言に対するロートの評価でもあった。ロートに興味の眼差しを注がれ、アルノア少佐は不敵な笑みを浮かべた。父と同じく国防軍士官学校の出身、三年前の「スロリア戦役」の直前、ある事件から上官と衝突し辺境の従属国の軍事顧問に左遷されることが無ければ、今頃はロートと同じく少将の階級を得ていても不思議ではなかった青年……否、あるいはスロリアでニホン軍相手に野戦指揮官としての才能の冴えを発揮させること無く、彼らの猛攻を前に当地に斃れていたかもしれない……などとロートは思っている。

「では、その線で行こう。ハーレン中佐にはアルノア少佐の側面援護を頼みたい」

「心得ました」

 ハーレンが頷いた。階級こそ彼がアルノアより上だが、野戦指揮官としての経験はアルノアの方が数段優る。国防軍士官、それに続く友好国の軍事顧問として経験した野戦指揮の場数から行けば、ロートのそれすら超えるであろう。ハーレンもそれを知っているから、主攻を担うアルノアに対する反感を抱くことは無かった。皿に盛られたシチューはとうに冷めかけ、いつの間にか開かれた戦況地図を前に群がる男達……それに対し違和感を抱く者は一人もおらず、昼食の時間を真剣な作戦会議へと変えていた。


 ロートが言った。

「敵が攻めたら退き、敵が止まったら攪乱する、敵が退けばこれを追撃する」

「単純だが、共和国独立戦争以来の戦の定石ではある。誰の言葉かな?」

「名前は思い出せないが、大昔、あのニホンと戦って勝った男の言葉ですよ。遥々遠征してきた大軍を相手にするに、これ以上の戦い方は無い」




「…………」

 折角のシチューをそっちのけに、伯父を始め軍人たちの話し合いは未だ続いていた。通路から食堂に通じるドアは無いから、通路から立ち聞きしようと思えばそれは容易に出来るのだ。ただし食堂の属する区画は警備兵の誰何無しには何者も入れず、当然、会議を立ち聞きするリュナ‐ミセレベス‐アム‐ロートはノルラントの間諜では無かった。


 男って、みんな馬鹿――久し振りで湧いた思いを、リュナは胸中に押し込んだ。姪を愛人呼ばわりした男と、伯父が話し込む様がリュナには信じられず、それ故に怒りは男という種全体への反感へと容易に昇華してしまう。話している言葉こそ高尚だが、その実やっていることは街の悪童たちが悪戯の相談をするのと変わらない。それも、場合によっては万単位の人間が死ぬ「悪戯」だ。


 あの眼鏡の女性士官――ミヒェールと言ったか――があの場にいたら、あの男達に何と言っただろう?……ともリュナは思った。彼女ならばその場から足早に立ち去ることもせず、敢然として男達の非礼を詰ったかもしれない……というのは余りにも穿った見方だろうか? そのような女性が、センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートには相応しいと何時の間にか考えてしまう自分がいることにも、リュナは困惑を隠せないでいる。


「――パノン、この箱は此処でいいか?」

「――地面は駄目だ。そのテーブルに置くといい」


「…………?」

 先刻までリュナが料理の腕を揮っていた幹部用調理室から聞こえる兵士の声、だがその声の若さが、リュナの意識を惹き付けた。自分と同年代――この基地には一人としていない筈の年代――の声であるように少女には聞こえたのだ。耳を澄ますうち、二人の若い兵士が、何やら調理をする準備に取り掛かっているようにリュナには聞こえた。


「――砂糖だけかと思ったら蜂蜜もある。よかった……」

「――パノン、こいつは使えるかな?」

「――ショウガか……普通は入れないな」

「――おいらん家の隣のギルア婆ちゃんは入れてたけどなあ……ショウガの香りがしたんだよ」

「――おれは入れない。今から材料を並べるから、こいつをボールに入れてかき混ぜてくれ。おれは鉄鍋の準備と火熾しをするから」

「――え?……ボウル? ボウルボウルっと……」

 

 二人の若い兵士が、何かを作ろうとしている。それも会話の内容から、本来は会議室も兼ねる食堂に近い区画には立ち入れない筈の兵士……懸念と言うよりも個人的な興味が、リュナをして元来た通路に足を向けさせる。その間も、若者たちの会話は続いた。


「――アダロネス風シチューを作ったんだろうな……いい匂いだな」

「――え?……アダロネスが何だって?」

「――アダロネス風シチューだよ。母さんの得意料理だった」

「――ああ思い出した……兵営で週イチで出たタマネギと肉入りのスープの事か」

「――スープじゃない。シチューのことだ」

「――肉入りのスープの事を、都会じゃシチューって言うんだっけ?」

「――そうか……地方じゃ肉なんて滅多に食えないんだっけ……悪いこと言ったな」


 鍋やボールの触れ合う音に重なる、素朴な、だが明るさの滲む若者たちの会話。それは叔父と行動を共にするようになってからというもの、リュナが殆ど接することの無くなっていたものであった。それ故に胸中の興味は(わだかま)る様に膨らみ、少女は何時しか調理室の前に在って聞き耳を立てている。


「――実家(うち)じゃオクラをたっぷり入れるんだ。とろみが付いて冷めにくくなる」

「――オクラかあ、実家(うち)でもスープに入れてたなあ……腹持ちがよくなるんだよなあ。そうだ、ちょっと軍曹から酒貰って来るよ」

「――酒?……何に使うんだ?」

「――決まってる。混ぜるんだ」

「――馬鹿だな。ケーキを作ってるんじゃないんだぞ。おれ達が作ってるのは――」

「――まあ待ってろって……」


 声の主が不意にドアを開けたのは、リュナにとっては驚愕を喚起するのに十分過ぎる急変であった。痩せぎすの長身、それも心許無さすら感じさせるほどに貧弱な体躯の青年が、にきびの目立つ赤ら顔を驚愕に歪めて叫ぶ。それに釣られてリュナもまた驚愕を声にした。


「――――ッ!!」

「――――っ!?」

「何? 何だ!?」


 今となっては使われなくなった暖炉で火熾しに掛っていたもう一人が、煤で黒ずんだ顔を向けた。赤ら顔の若者より頭一つ背が低い彼と目を合わせるや、リュナは気を奮い立たせるように声を上げる。

「あ……あなた達なにやってるの!」

「パ、パノン!」

 狼狽の色は隠せなかった。背の高い若者が火熾しの相方を省みる。背の低い若者は火熾しの手を止め、腰を上げてリュナに向き直るようにした。

「パンだ……パンを……作ってるんだよ」

「わざわざ将校用の調理室で?」

 と聞くリュナの瞳には、侵入者に対する隔意が宿り始めている。背の低い若者は立ち上がり、悪びれた風な顔をした。背の高い方より、ずっと落ち着いた様子であるようにリュナには見えた。


「兵員用のオーブンには空きが無いんだ。軍曹殿には、士官食堂用を使えって言われたんで……」

「正規の調理係なの?……とてもそうとは見えないけど」

 と、リュナは背の高い若者を一瞥した。元よりきつい眼つきも相まって、猜疑に溢れた瞳が彼を怯ませるのは容易だった。

「一応歩兵だよ。71大隊の臨時対戦車班にいる」

「歩兵ですって?……前線部隊の軍曹が歩兵にそんなことやらせるの? 嘘もいい加減に!……」

「本当だ。パノンはアダロネスでパン屋をしていたから……」

 背の高い若者が口を挟みかけて噤んだ。再度注がれたリュナの眼光が、彼から言葉を奪った。その後に芽生えた興味に促されるがまま、リュナは背の低い若者に聞いた。

「あなた、アダロネスの出身?」

「…………」

 パノンと呼ばれた、背の低い若者は頷いた。

「スニフ軍曹に、何か腹の足しになるものを作って来いって言われたから、此処に在る材料でトウモロコシのパンでもと思って」

「トウモロコシのパン!?」

 リュナの瞳が興味に揺らいだ。元々田舎住みのリュナからしても、甘くて香ばしいトウモロコシ粉を使ったパンは得意な料理だった。焼き上げる度に叔父とのお茶の時間に供するのは勿論のこと、学校や田舎で集まりがある度に村の子供たちにも振舞っていたものだ。それはリュナにとって、本土に置いて来た平穏な日常の記憶を彩るひとつの情景でもあった。


「トウモロコシのパンが何だって?」

『…………!?』

 不意に投げ掛けられた大人の声が、三人の心胆をほぼ同時に硬直させた。気が付けば入口の傍で、彼らの司令官が無感動に同年代の若者たちに視線を注いでいる。隔意では無く、むしろ単なる「観察」を、特に姪たるリュナはこの叔父センカナスの視線に感じ取った。それも一瞥で終わり、次にはやや訝しさを増したロートの眼差しが、二人の兵士に注がれる……襟を飾る将官の階級章を前に、二人の若者は明らかに、そして同時に怯えた。


「叔父様? この人たち、おやつを作ろうとしていたみたい」

「君たちは任務中じゃないのか?」

「自分たちは非番です……一応は」

「姓名と所属、階級を聞こうか」

「第71独立自動車化大隊 臨時対戦車班所属 一等兵セオビム‐ル‐パノンであります!」

「お、同じく!……一等兵 クリム‐デ‐グースっ!」

 無帽なるが故に不動の姿勢を取った二人の若者を、ロートは暫く観察する。所謂歴戦の勇士では無いことは、軍人でなくとも判る風体であった。言い換えれば、この前線に場違いなふたり……であるようにもロートに思われたかもしれない。


「成程……妙齢の女子を誘う茶店なんて、こんなところには無いだろうしな」

「…………」

「リュナはおやつと言ったが、君たちは何を作る積りだったのか?」

「トウモロコシのパンであります」とパノン。

「ああ……トウモロコシのパンね」応じるロートの声には、普段の柔和さが増し始めている。ロートはリュナに向き直り、言った。

「リュナ、彼らがトウモロコシのパンを焼き上げるまでちゃんと見張っているように。彼らが作り終えたら……」

「え……?」

「わたしの分を司令官室まで持って来てくれ。ショウガを少し効かせた感じで頼む」

「ショウガか……」

「ほらパノン、おれの言うとおりだったろ?」


「叔父様!?」

 目を丸くし、リュナは彼女の叔父を見返すようにした。眼を丸くしたのはパノンとクリムもまた同じで、ロートは微笑と共に彼らに片目を瞑るやそのまま調理室から引き上げて行く……叔父の後を追おうとして、リュナは止めた。


「司令官のところまで持って来いって……おいパノン、どういう意味だ?」

「とりあえず、たくさん焼けってことだろ?」

「あなた達ね……」

 遠ざかる叔父を止める言葉、そしてこの場に残された二人の若者にかける言葉――その何れもリュナは見失い、後は困惑のみが三人の共有する空気としてその場に残される。



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