第九章 「山岳戦」
ノドコール国内基準表示時刻1月5日 午後21時17分 ノドコール中部 ロギノール北北東二百キロ地点 山岳地帯
タンデム配置の回転翼の生む衝撃波が、今となっては眠気を誘う程に心地よく感じられた。
これまでに経験したことの無い感覚だった。短い休息はもう終わる。機上の客たる隊員たちは、新たな戦闘に臨もうと意識を覚醒させようと努めていた。部隊を率いる二等陸尉 沢城 丈一にしてからか、意識を覚醒させてはなおも根強いまどろみに意識を惹き寄せられるなど、揺れるCH‐47JA「チヌーク」大型輸送ヘリコプターの機上に在って、いち早く苦闘に身を委ねていた。沢城自身の意識は、既にある種の苦闘の只中に在った。
根強いが、心地よい疲労とも思えた。むしろ一戦を勝ち抜いたが故の精神の余裕の為せる業ではないかとも沢城には思えた。精神に余裕を持ったが故に、こうして眠りに身を委ねていられる。今のうちに眠れるだけ眠り、至近に迫った再度の戦闘に備えるのも悪いことではないと、思慮を廻らせはじめている沢城がいることもまた事実だ。
「――見ろ……山だ」
「――険しいな。妙義山みたいだ」
「――ほんとだ。登攀して制圧しろってんじゃないだろうな」
「――おいおい、ロープは持って来てないぞ」
隊員たちの軽口、あるいは軽口に対する哂いが聞こえて来た。同時に、発進以来体感してきた加速が、そうとはっきり判るほど和らいでくるのを沢城は感じた。その次には機体が旋回を始める。着陸地点を探っているのだと察した。腰と背中を預けていた簡易座席から身を乗り出し、沢城の意識は完全に覚醒した。人間――というより兵士としての反射的な動きであった。
暗闇に馴れた眼が機窓へと向かう。機内に比べて明るい夜空、ヘリの直ぐ傍をチヌークのどす黒い機影が浮かんでいた。十機――ロギノールの前線飛行場を発ったとき編隊の数が確か十機で、機械的なトラブルに起因する脱落が無ければ、チヌークの編隊は合計四百名に及ぶ隊員を山間の着陸地点に降ろしてくれる筈だ。
『――テング3、これより先行し着陸地点を確保する。おくれ』
『――テング1、了解。各機へ、旋回しつつ地点確保まで待機。おわり』
制圧部隊指揮官の搭乗する「テング1」と、本隊に先行して着陸地点の安全を確保する「テング3」搭乗部隊の交信が聞こえる。先行隊の数は二十名。沢城も所属する水陸機動団のベテラン隊員で固められた彼ら、彼らが確保した着陸地点にチヌーク群は一気に滑り込み、水陸機動団と陸上自衛隊 第12旅団から成る制圧部隊本隊を地上に全て展開させる――出撃前のブリーフィングではそのような手筈になっている。
作戦自体の目的は、過日1月4日を期してスロリア――ノドコール境界を越えて東進を開始し、キズラサ国軍に対する戦線を構築した「越境部隊」の側面支援であった。PKF陸上自衛隊第5、第14両旅団から成る越境部隊の東進は、待ち構えるキズラサ国軍西方部隊の抵抗により、僅か一日で停滞へと転じた。
予想されたことであった。境界の前進起点からベース‐ソロモンまでの直線距離は約五百キロで、キズラサ国軍はその間を走る主要交通路の各経由点に中隊から大隊規模の部隊を分散配置している。そこまで言えば各個撃破の対象にしか見えないが、彼らは相互に支援し得る距離を維持しつつ有機的に配置されており、攻略時の著しい困難が予想された……より具体的に言えば、拠点一つを攻めれば、近傍の拠点から遊撃部隊が出て部隊の後背を脅かす――といった風に……である。力押しで前進を強行すればKS西方方面軍の殲滅は叶うかもしれないが、それは越境部隊の最終目標である南方揚陸部隊との合流と、それに続く首都キビルの早期攻略という作戦立案時の戦略目標を挫折させかねず、予想される損害もまた許容し得ざるものがあった。
そこで採られた策は、やはり空爆の多用であった。衛星偵察により配置の密度の薄い地域を特定し、そこに配されたKSの拠点を集中的に爆撃する。越境部隊は爆撃により生じた間隙を縫うように東進を続け、なお残る抵抗を排除しつつベース‐ソロモン東方まで到達する――それ故に掃討しきれずに残ったKS西方方面軍は、続いて越境する後続部隊がこれに対処する。後続越境部隊は陸上自衛隊第10師団隷下の各戦闘部隊を中核に、これに他方面隊からの増強を得て編成された、より野戦指向の部隊として機能する筈であった。見方を変えれば、越境部隊の浸透を受けて浮足立ったKSを全ての前線に亘って圧迫し、彼らに撤退を強いるのが第10師団戦闘団の主任務である。
航空支援を受けつつ東進する越境部隊を、揚陸第一陣を担った水陸機動団が側面より支援する。より具体的に言えば、戦線南部を占める山岳地帯に特科隊を展開させ、誘導砲弾を多用し近傍の敵拠点を攻撃する。もしくは空中機動を多用し積極的にKS西方軍の側面を衝く。
山岳部の占拠はこれを継続し、行く行くは山岳の拠点を、12式地対艦誘導弾を用いた対地射撃の中間誘導拠点としても機能させる……本来12式SSMは水平線上より襲来する敵性艦艇を迎撃するための、いわば沿岸防備用の地対艦ミサイルだが、就役時より改良が重ねられた結果、SSMは今では地上戦において固定重要目標を痛撃する対地誘導弾としての性格をいや増す形となっている。
「――特科だって? 火力戦闘車でも降ろすのか?」
「――馬鹿言え、榴弾砲に決まってるだろ。あんなモノ吊るす飛行機なんて陸自には――」
軽口は、未だ続いている。
ロケットアシストと誘導弾頭の併用による特科火力の有効射程延長は、陸自戦闘団の戦術に柔軟性を与えた。今次戦役の場合、航空戦力自体の輸送能力が向上したことが部隊に更なる機動力を与えている。制海権を確保した南スロリア海を経、揚陸戦隊に引き続いて戦闘海域に到達した海上支援船隊所属の「特設揚陸支援船」――四万五千トン級貨物船を改造し、陸自ヘリコプター二十機の搭載と四機の同時離発着を可能にしたヘリコプター輸送船四隻の投入は、作戦地域への迅速な航空機動力の展開に少なからぬ変革をもたらした。本土より陸自航空部隊の機材運搬を担った「特設揚陸支援船」の支援無かりせば、沢城たちがこうして積極的な空中機動に乗り出すことも、幻のままで終わったに違いなかった。
『――テング3、降着いま! 着陸地点に脅威を認めず』
『――了解、このまま部隊展開を続行する。3は引き続き警戒を続行しろ』
突入は、本決まりとなった。
部隊指揮所の乗る「テング1」が高度を下げた。ラベリングにより載せていた「荷物」を降ろした「テング3」が上昇する……かといってこのまま現地より離脱することなく、テング3は旋回しつつ警戒を続ける。機窓から上半身を乗り出し、5.56mmミニガンを下界に向けて構える機上整備員の影が沢城には見えた。不作法なまでに砂塵を捲き上げつつ「テング1」は完全に着陸する。開かれたランプドアから堰を切った様に人影が溢れ出て、そして着陸地点の周囲に拡がる。
後続する「テング2」もそれに倣う。「テング2」には組み立て式の軽量無人偵察機とその射出/回収装置も積まれている。着陸地点を占めた兵は百名を越え、同時に通信設備と無人機、そして81mm軽迫撃砲の展開が始まる。
沢城たちの乗る「テング4」が、ゆっくりと機首を転じた。予め設定した別の着陸地点へと向かい、山肌に沿い低空を飛ぶ「テング4」と「テング5」、この二機から距離を置いて後上方の位置を「テング6」が飛ぶ。前二機の前方と下方に所在する脅威の有無を「テング6」が捜索し、発見と同時に三機協働してこれを制圧する……機上の客たる沢城らも九州の山中、あるいは富士山麓で繰り返した空中機動演習の手順であった。とうに開け放たれた後部ランプドア、そこに陣取った自動擲弾発射銃の銃口が、冷厳なまでに流れゆく眼下の地上を睨み続けていた。部隊本部より北よりに先行する形で三機は着陸地点を見出し、そして沢城たちにも降下の時が訪れる。部下がファストロープを降ろし、沢城は先頭を切ってランプの床を蹴った。
「――――ッ!?」
しがみ付いたロープにより減速が約束されつつも、落下していくことの不快感には未だに馴れない。落下していく先が完全な闇、銃弾の雨すら注がれ得る処であるのだから尚更だ。最後の一メートルを飛び降りる形で沢城は一歩を標し、そして暗視装置の照らし出す緑色の山肌に向かい89式カービンを向けた。ともに降着を果たした成宮三等陸曹に散開を指示し、半身を屈めつつ着陸地点の隅まで駆けた。尾根により隣接する遠くの頂き、その周辺に沢城は違和感を覚えた。違和感は携帯ロケット弾発射機を肩に抱えた人影を見出した瞬間に、戦慄へと変わった。
「西方向、RPG! RPG!」
叫びながら沢城は撃った。単射に切替えた曳光弾が儚く夜の空を飛ぶ。遠方、撃ち返される様に放たれたロケット弾が唸って空を切り、未だ隊員を降ろし切っていない「テング4」の胴体を掠めて抜けた。
「隊員が!」
成宮三曹が絶句する。ファストロープに隊員を繋げたまま「テング4」は旋回した。急激な回避機動に、降下しきっていない隊員が揺られ、あるいは振られて落ちる。山頂から点々と瞬きが生まれ、機関銃の青い弾幕が着陸地点の地面に刺さり、あるいは降着したばかりの隊員を押し倒した。応戦しようにも、敵の具体的な位置を掴んでいる者はこの場には誰もいなかった。
『――撃たれた!』
『――二名受傷! 衛生兵! 来てくれ!』
『――十一時方向山頂! 敵影多数!』
『――くそっ! 此処一帯は空爆したんじゃなかったのか!?』
西方から侵入した空自機による付近一帯への爆撃は、進撃に先立つこと十分前のことであった。山の稜線の形が変わるくらい大量の500ポンド爆弾を叩き込んだ筈が、敵はこうして現れ、此方を攻撃している。隊員を乗せたまま上昇したチヌーク、その胴体より吐き出された5.56㎜ミニガンの弾幕が怒涛の如く夜空を走り、敵の所在する山肌を薙ぐのが沢城には見えた。ミニガンの集中射撃に薙がれる敵兵の躯、岩肌を跳ねるミニガンの弾幕、着弾する擲弾の破裂……そしてチヌークの胴体に刺さる敵弾、盲撃ちに撃ち上げられたRPGの軌道まで、暗視画像の丸い視界の中で手に取る様に見えた。
「小隊長!」
成宮三曹が駆け寄って来た。彼に続きもう一人、巨大なバックパックを背負った隊員――その異様ななりに沢城は眼を細め、そして驚愕に見開いた。
「戦闘管制班を連れてきました!」
「小野寺二等空曹です!」
と、バックパックの若者は言った。年齢の頃は沢城らとほぼ同じに完全装備した陸自普通科隊員の外見、ただしその上腕には陸自の空挺レンジャー徽章と空自の航空士、戦闘管制徽章とが並んで光っている。今回の出撃でチヌーク各機に付き一名が乗り込んでいる、航空自衛隊戦闘管制員の一人がこの小野寺二曹であった。
沢城は言った。
「いま此処で呼び出せる攻撃機は?」
「P‐3Cが一機、コールサインはエルメスです。予定では北東方向よりあと三分で此処上空に到達します」
「P‐3C? 海自の?」
「空対地中距離多目的誘導弾とJDAMを山ほど積んでいます。攻撃力は保証しますよ」
『やりますか?』と、小野寺二曹の細い眼が聞いていた。沢城は頷き、なおも銃撃の続く頂きを指差した。
「あの山に誘導できるか?」
「もう少し接近すればできます!」
「よし成宮三曹、動ける隊員を集めろ。小野寺二曹を援護するんだ。急げ!」
「了解! 石川! 佐々木! 一名ずつ連れておれについて来い!」
「小野寺二曹、頼むぞ!」
「はい!」
振り向きざまに敬礼し、小野寺二曹は駆け出した。成宮三曹たちも続いた。通信士を伴った松中 健斗二等陸曹が駆け寄り、沢城に躯を密着させるようにした。
「小隊長から通信が入っております」
差し出された送受話器に、未だ上空にいる先任小隊長 後藤一尉の焦った声が聞こえて来た。
『――沢城二尉、無事か? 何をして欲しい? おくれ』
「こちら沢城、自分は無事です。山頂にヘリの火力を集中してください。CASをやるのでCCTを向かわせました。誘導準備が完了するまで時間を稼ぎます」
『――わかった! おれ達も必ず降りる! 生き抜いて待っていろ!』
「沢城、通信おわり!」
送受話器を通信士に放って返し、沢城は分隊無線機に声を荒げた。
「こちら小隊長、各員カール‐グスタフを撃て! 目標敵の散開する山頂。照明弾だ!」
少しの間を置き、各所より空気の弾ける様な音が生まれ、光弾が軌道を曳いて延びた。軌道がひとつ……ふたつ……みっつ――それらは山頂と山肌のすぐ上に達したところで弾け、着陸地点にまで及ぶ眩い光の波を生んだ。
「――――っ!」
反射的に暗視装置を撥ね上げ、沢城は光る頂きを凝視した。闇を掃われて全容を晒した頂きから山肌の各所に、散開する敵兵の蠢きを見出すことが出来た。なおも此方を攻撃している敵兵もいるが、多くは所在を暴露されたことで怯み、あるいは逃げに転じようとしているように見えた。練度は高くないと沢城は思った。
『――こちらエルメス、複数の照明弾を視認。あれが目標か?』
『――こちらウィザード4、貴機の目標は正しい。あれが攻撃目標だ』
『――エルメス、目標捕捉、旋回待機する』
『――ウィザード4、目標を照射。何時でもいいぞ』
『――エルメス、これより攻撃――』
照明弾は敵兵の位置を暴露するのと同時に、高度七千メートル上空から戦域に到達したP‐3C哨戒機に目標の所在すら報せる効果をもたらした。頂きが光り、遅れて稜線の一角が光った。その後には地面の揺らぎと乱れた風が襲ってきた。風は嗅覚が耐え難いほどの辛気臭さを伴っていた。500ポンド爆弾だと直感した。焔に照らし出されたキノコ雲から視線を逸らし、沢城は命じた。
「これより前進する。高津一曹は一分隊を率いて着陸点を確保、負傷者を掌握せよ。残りはおれに続いて稜線を前進。山頂を確保する!」
高津一曹を始め、幾下分隊の各陸曹の応答する声を通信回線に聞いた。その間も行き足は速まっていた。途上で小野寺二曹らと合流し、後続も交えて部隊はさらに膨らむ。山頂で所々蠢く焔が夜空を照らし出し、その恩恵は沢城たちの足元にまで及んだ。
「成宮、先行します」
据銃の姿勢に転じ、成宮三曹他四名が駆け出した。掘り返された土の臭いが生々しい。平坦な途が岩混じりの斜面へと変わる。そこまで来れば、土くれよりも更に生々しい血と燃料の臭い、肉の焼ける臭いすら嗅覚を掠める様になる。後背では「テング4」の再度のアプローチと負傷者の収容作業が始まっていた。
『――部隊指揮所より沢城二尉へ、指揮所は無人偵察機と軽迫の展開を完了。支援可能。おくれ』
「沢城了解」
『――交信終わり』
硝煙を吸い込んだせいか、息苦しく感じられた。斜面の増した山肌を、足だけではなく手を使って登る。ここまで来れば、折り重なる死体を横目に頂きを目指していることにいやでも気付く。死臭の為せる業であった。
『――UAVより報告、敵兵の逃走を視認』
『――各員へ、追撃はするな。繰り返す、追撃はするな』
不意に消えた傾斜に、自身が頂きに達したことを沢城は悟った。その後には拍子抜けするような静寂が漂ってきた。先着していた成宮三曹が沢城に気付き、そして手招きした。
「小隊長、来て下さい。いい眺めですよ」
息を弾ませて歩み寄る。暗視双眼鏡を小野寺二曹が握らせた。あれほど重い装備を身に付けて置きながら、早い到着に沢城が眼を疑うのも束の間、小野寺二曹は微笑と共に覗く様促した。ゆっくりと双眼鏡を構えた沢城の眼、その先に驚くべき光景が拡がっていた。
「宿営地……?」
星明りも加わり、照らし出された山岳の麓、ただしまた別の山間に平屋の拡がりを見る。更に目を凝らして見れば、集落の小路を時折黒い人影が走り回っている様子も認められた。山はそれほど高くは無く、ただし双峰の頂にも家屋……あるいは櫓の連なりを認めることが出来た。拠点――それも、決して小規模とは決めつけることのできない位の規模を有する拠点だ。
「前方二時方向、重迫!」
双眼鏡を構えていた松中二曹が唸る様に言った。拠点の周囲に端を発する発砲音が重なって聞こえ、それは直後には砲弾の空を滑る音となって夜空を禍々しくざわつかせた。
「退避! 総員退避!」
蒼白な顔をそのままに沢城は命じた。退避に必要な時間は与えられなかった。稜線の各所から何かの弾ける音が生まれる。その度に冷たい空気が震えるのを頬に感じる。空中炸裂弾。山間に展開を果たしたばかりの侵入者を薙ぎ払うには、それは余りに冷酷で、且つ賢明な選択であった。山腹から文字通りに飛び降りる様にして占拠したばかりの頂を脱し、沢城たちは山の稜線を奔る。彼らの駆け抜けた後、稜線が降り注ぐ砲弾に穿たれ、終いには山の形が変わっていく……
『――退避! 退避!』
共通回線のままにしていた無線機のイヤホンに、指揮官の狼狽を沢城は聞いた。そこにも着弾の音の他、悲鳴と怒声が聞こえて来た。混乱が山のど真ん中に生じ、広がり始めていた。
『――分隊長! 沢城二尉、沢城は無事か?』
「こちら沢城! 分隊を掌握、これより合流します!」
『――よかった! 北と東側よりKSの大部隊が接近している。旅団規模と思われる。航空支援のP‐3Cからの報告だ』
「旅団……!」
火砲の狙いの及ばない稜線の陰に潜んだまま、沢城は表情を引き攣らせた。
『――やつら、こちらが山の天辺に降りて身動きの取れん所を砲撃と兵力のごり押しで叩く積りだ。三年前のイル‐アムの雪辱でも狙っているらしい』
「また戦闘機でも呼びますか? イル‐アムの時みたいに」
『――攻撃ヘリを寄越す。P‐3Cの見立てでは重迫が北側の各所に点在しているらしい。目標が小さ過ぎて戦闘機では叩ききれん』
「…………」
『――今夜中に榴弾砲と増援を運ぶ。それまで掃討はAH隊に任せる。おわり』
「分隊長!」
追及してきた松中二曹が肩を叩いた。「攻撃ヘリですか、懐かしいですね……スロリアを思い出す」
「……チヌークと一緒に連れて来れば良かったかもな」
「何にせよ、橋頭保の確保は出来たんで良かったですよ」
「問題は、確保し続けることができるかだ」
稜線の地面が時折揺れる。敵の砲撃は勢いこそ弱まったが、尚も続いている。砲弾の浪費を抑えているのか……もしくは断続的に撃ち込むことでこちらの精神的な消耗を企図しているのかもしれない。
ふと、攻撃ヘリ部隊の一員として作戦に参加している同期の顔が思い出された――ケンタも、この空の何処かを飛んでいるのだろうか?
ノドコール国内基準表示時刻1月5日 午後22時40分 ノドコール中部 ロギノール北北東二百キロ地点 山岳地帯
『――編隊長より各機へ、レーダー警報装置に脅威の兆候なし。このまま前進する』
先行する「ペットショップ」編隊長の声がイヤホンに聞こえる。編隊を構成する陸上自衛隊 ノドコール派遣統合航空旅団所属 AOH‐01「グリフォン」攻撃ヘリコプター三機のうち二機が応答する声が続き、そして四機目が応答する番となった。
「……ペットショップ4、了解」
交信を終えた二等陸尉 蘭堂 健太郎からすれば、眼前に迫るスロリアの山々、それも漆黒の空を背景にした峻険な山岳の輪郭が、巨竜の剥き出しにした牙を思わせている。ロギノールの仮設航空拠点からまる二時間に亘り地形追従飛行を続けて前進を果たした戦闘地域は、その実同じ世界の光景かと疑われる程の奇観を、実戦に疎い青年幹部の網膜に灼き付かせ始めていた――統合ヘルメット照準装置の投影する、機首前方監視赤外線の照らし出す暗緑色の世界――あるいは、闇夜を舞い地上の獲物を探す必殺の猛禽の眼。ある意味では、「ペットショップ」という悪趣味なコールサインに相応しい状況であるようにも健太郎には思えた。
赤外線の織り成す電子の視界の上に、主ローターマスト頂部に載せられたミリメートル波レーダーの生みだす精細な地形画像が重なる。山間に在って蠢く何者をも捕捉し、その所在から動き、脅威度に至るまでを操縦者に報せる電子の眼だ。電子の眼は地上走査の他、操縦者の肉眼の及ばない長距離を捜索する捜索中測距モードを並行させることも可能であり、そこから更に進んだ遠距離目標の走査中追尾をも可能にしている。
『――編隊長より各機へ、2はわれに続航、3、4は西側より山腹を回り、索敵を開始せよ。武器の使用は各機の判断に任せる。敵味方の識別は入念に』
『――2、続航します』
『――3、了解』
「2、了解」
『――健闘を祈る。おわり』
編隊長 今川三等陸佐直卒の二機が最初に編隊から離れ、次に視界の前上方を占めていたペットショップ3が降下し左方向に転じた。降下で加速し、此方を引き離さんばかりに速度を上げる3を、健太郎はコレクティヴレバーのスロットルを開き懸命に追った。二機で一分隊であるから、ペットショップ3は必然的に健太郎の長機ということになる。此処は戦場、長機の急激な機動に付いてこられない者が、この空で飛べる筈が無かった。操縦桿を握る手裁きが硬いのを自覚する。自然、前方を飛ぶペットショップ3へと眼が向かった。
新参者は付いてこられることを証明して見せなければならない――ペットショップ2――出撃に際し、僚機として健太郎を預かる日高 美登里 二等陸尉は言った。作戦開始から出撃の前日に至るまで艦隊上空の直援と、前進基地上空の捜索警戒飛行とを繰り返してきた若者にはそれは無感情に、だが刺々しく感じられた口調であった。防衛大学校を卒業し長じて操縦士となった健太郎に対し、曹候補士から累進し操縦資格を得た日高二尉、階級と年代こそ同じでも自衛官として、そして飛行士としての経験にも埋め合わせの効かない経験と技量の差が二人の間には存在する。何よりも、日高二尉は三年前の「スロリアの嵐」作戦に、UH‐60J輸送ヘリコプターの操縦士として従軍している。ほぼ同年ながら幹部となって間もない若者には、迂闊な抗弁のできない貫禄が彼女には備わっていた。
「――――ッ!?」
右手の山肌に火柱が生まれ、同時に風防ガラスが震えた。友軍空中機動部隊の浸透を阻む敵の砲撃がなおも続いている。攻撃ヘリ隊に先駆けること一時間前に山間部に降着を果たした普通科部隊の展開は、KS軍の伏撃と遠方からの砲撃に直面し、作戦そのものは橋頭保の確保以上の進展を見せてはいなかった。狙いは決して精妙ではないが、それも目標に向かい投射する砲弾の量によってはいずれ補いが付いてしまうかもしれない。友軍地上部隊の手の及ばない山間部に点在する火点の制圧が、攻撃ヘリ隊には要求されていた――「グリフォン」ならば、要求に応えられるはず。
AOH‐01「グリフォン」は、その当初はOH‐1偵察ヘリコプターの性能向上型として計画され、後に当時の陸上自衛隊主力攻撃ヘリコプターたるAH‐64D、AH‐1Fを置き換えるべく開発と配備が進行した。機体性能の向上はもとより、索敵と通信、兵装管理システムの統合に設計面での注意が払われた結果として、より戦略的な任務にも対応し得る能力をも獲得するに至っている。
戦略的な任務とは、具体的には従来想定されていた普通科、機甲科といった地上部隊の直協支援とは違う、攻撃ヘリ部隊一単位を以て重要目標を直接に痛撃し、戦域全般に亘る優勢を確保する任務と定義される。ヘリ本来の機動力の上に長い滞空時間を有し、視界外より敵の抵抗を排除し得る中~長距離投射兵器を運用可能なことが、グリフォンをして陸自戦略機動部隊の有力な駒と認識させ得る程の存在意義を与えた。
機首25mm単装機関砲一基、スタブウイング下に空対地中距離多目的誘導弾八発、870リットル入り増槽二基――現在のこれらの装備で、グリフォンは四百キロメートルに亘る距離を踏破し、任務を実施して帰還し得る性能を有する。これを師団規模の大部隊が激突する大規模な戦闘に当て嵌めれば、グリフォン編隊は戦闘地域の枠外より一気に戦場を壟断し、敵野戦軍の中枢を打撃し得ることを意味する。それは本機が実施部隊に配備されてから幾度となく繰り返されてきた試験と演習で、当事者たちに確信を持たしめるほどに広く認識された事実であった。
編隊は地形追従飛行から匍匐飛行に態勢を切替え、そして機体間の間隔を開き始めた。
『――各機へ、フォーメーションB!』
『――4、レーダー停止!』
先行する「ペットショップ3」がミリ波レーダーを止めた。だが「ペットショップ3」の操縦席計器盤を占める多機能表示端末上では、レーダーを起動させていた時と変わらない表示が為されている筈だ。健太郎の操縦する「ペットショップ4」と機体間データリンクによって結ばれ、ペットショップ4がレーダーを稼働させている間、連接するペットショップ3はその情報を元に任務を続行することが出来る。攻撃――それが、フォーメーションBとされる攻撃機動におけるペットショップ3の役割であった。後背に控えるペットショップ4のもたらす索敵情報に基づき、ペットショップ3はその弾薬の続く限り攻撃を続ける。いずれ弾薬が尽きれば、レーダーを再起動させたペットショップ3の支援の下、ペットショップ4にも撃つ機会が廻って来る。
機載レーダーの他、攻撃ヘリ隊には海上自衛隊P‐3C哨戒機の支援が加わる。戦闘地域より比高五千メートル以上の上空を巡航するP‐3Cは、搭載下方監視赤外線により地上目標を捜索し、その情報はデータリンクにより地べたを這う陸自攻撃ヘリ隊にも共有される。ただし直接的なデータの送受信はできず、連接にはより後方の空を飛ぶB-767 G‐STARS地上警戒管制機の中継を経る必要があった。技術的な障害というよりは、老朽化が進み退役の近付いているP‐3Cでは、直接的な連接に必要な搭載電子機器の更新が行われなかったためで、そのため、攻撃ヘリ隊からすれば出撃前ブリーフィングの段階で、P‐3Cの支援は索敵システムのバックアップと見做されている……
『――……獲物が残ってるといいんだけど』
と、機内回線に若者の声を健太郎は聞いた。健太郎の操縦するペットショップ3の銃手席を預かる准陸尉 石森 圭介。健太郎からすれば幹部操縦課程を経て、同時期に実施部隊に配属されて以来続くペアであった。年齢は健太郎より二年上、ただし高校卒業後、航空科隊員として三年の通常任期を経て実施部隊に配属されたという点が健太郎とは明らかに異なる。たしか彼も――
「イル‐アムを思い出すか?」
『――ええ、まったく』
と山肌に頭を回しつつ石森准尉は言った。三年前のあの戦いでは、彼もまた前線に立っている。小銃を担いつつヘリコプターの屋外整備任務に参加した彼は、所属飛行隊が激戦地イル‐アムにおいて空中機動部隊の支援任務に就いたが故に、折ある度に前線の凄惨さを健太郎に教えてくれたものだった。
戦地に兵員を降ろして帰って来たUH‐1J汎用ヘリコプターの胴体には弾痕が生々しい。ヘリを飛ばしてきた操縦士自身もまた傷付き、あるいは疲弊し、場合によっては整備員の介助無くしては操縦席から下りることもままならない。前線に送り出してきた健在な兵員に代り、負傷者――と、かつては負傷者であった死者――を満載して戻ってきたヘリのキャビンには泥と血糊がべっとりと張り付いていて、それを洗い流すべく撒かれたホースの水が、朱に染まってキャビンの床から地面へと流れ落ちる。
簡易な清掃と補修、そして補給のなったヘリは、やはり再び補充の兵員と弾薬を積み、この日五度目の飛行という、健在な操縦士に乗られて戦場となった山へと向かって行く――否、戻っていく……新聞にも載らない、そして誰も公には語らない戦争の実態を石森准尉は健太郎に教えてくれた。健太郎は思う。幹候校の戦術教官や市井の軍事評論家たちは、イル‐アムの戦闘を戦史上に特筆されるべきヘリコプター空中機動作戦の成功例と熱っぽく語ったものだが、それは結局のところ、現場の疲弊と至近にまで迫った破断界に目を瞑った、思慮の浅い空論ではないのか?
『――でも、イル‐アムよりは気が楽ですよ。二尉も肩の力を抜いてください』
「すまん……」
思わず謝り、回線の向こうで准尉は微かに笑う。その間も多機能表示端末から俯瞰する戦況は動き始めていた。端末内の電子地形図、その一角に生じた異変に、健太郎は眦を険しくする。
「トラックナンバー1002より発砲炎。軽迫と思われる」
緑のヴェールに包まれた暗視画像の中で、岩山に埋もれる様にして設置された迫撃砲が真白い光を放つ。G‐STARSを通じ連接したP‐3C、下方監視赤外線の捉えた監視画像だ。レーダー走査により探知した目標位置と画像の撮影位置が合致する。攻撃直前の一度のミリ波レーダー走査で見つけ出した迫撃砲陣地はトラックナンバー1001から1017まで十七基に及ぶが、未だ探知しきれていない砲座もあるかもしれない。
『――攻撃する。攻撃目標トラックナンバー1001から1008。使用兵器はASMMPM!』
「ペットショップ4復唱、目標捕捉」
『――目標捕捉。追尾完了』
健太郎が応え、石森准尉が操作する。ペットショップ3が撃った空対地中距離多目的誘導弾は、ペットショップ4からレーダー誘導に従って目標に接近し、最終的にはシーカーによる熱源誘導をも併用して目標に突入する。状況によっては母機からのレーザー誘導も可能である……健太郎自身の経験則からすれば、レーザー誘導の方が命中精度が上がる。
空対地中距離多目的誘導弾、ASMMPM、あるいはファンネルとも言う……しかし健太郎の所属する陸自航空科ではそれは普通にファンネルという呼称で通っていた。前身のAGM‐114ヘルファイア空対地ミサイルの後継としてごく短期間のうちに開発が完了したそれは、有効射程だけでもヘルファイアの倍に達する。
健太郎はグリフォンを上昇させた。誘導を確実にするための機動であった。眼下、山頂部の空を蠢く複数の黒い機影が、増援の普通科隊員を乗せたUH‐1Y汎用ヘリコプターであることに健太郎は思い当る。十名前後の兵員を乗せたそれらは、部隊を山間の各所に展開させ、確保した橋頭保をより強固なものに変えようとしていた。着弾はなおも止まなかった。
『――ASMMPM発射!』
MFD上に、ASMMPMを現す複数の指標が生まれる。それらは既に設定された目標への最短飛翔コースを辿り、やがて目標の近傍に達した。その間、ペットショップ3は射点の移動を続けている。
「命中まで3、2、1!……トラックナンバー1001より1007、消滅!……いや撃破!」
『――遅い! 4、交替だ。援護する。レーダーを切れ』
「4、レーダー停止」
親指を伸ばし、コレクティブレバー上のレーダー切替ボタンを「切断」に転じた。後退するペットショップ3はすでにレーダーを起動させ、こちらの射撃を支援してくれている。MFD上の変わらぬ戦況表示が機体間の連接が維持されていることを健太郎に教えている。山間を降下しつつ前進し、より開けた空の前にペットショップ4は出た。
『――目標を捕捉します。目標数増加。二十にまで増えました。トラックナンバー1008から1016を捕捉……捕捉完了……追尾中』
「使用兵装ASMMPM」
『――ASMMPM!』
「撃て!」
健太郎が命令し、石森准尉が撃った。直後に生じた噴炎に操縦席が赤く照らし出される。夜空に投げ掛けられた赤い光が、次の瞬間には次々と闇夜の向こうに消えていく。その後に、エンジンのみの轟く静寂が少し続く。時間を置きMFDの中で生じる目標指標の消失――殺す者も、殺される者も、互いの顔を見ることなく相互の時間が過ぎて行く。
『――編隊長より各機へ、散開し掃討を継続せよ』
今川編隊長の命令を聞いた。今川三佐は三年前の戦闘には未参加だが、その実十年以上前の、いわゆる「転移」前の国内外で実施された特殊任務に、やはりヘリコプター操縦士として参加した経験がある。ローリダ人の民兵と違い、彼が相手にしたのは十分な戦闘経験を経、高性能の携帯地対空ミサイルさえ装備したプロの兵士たちであった。某国に派遣された際、今となっては航空学校と広報資料館に僅かに数を残すのみのAH‐1Fを駆り、敵性勢力のMi‐24D「ハインド」武装ヘリコプターと「空中戦」をやった経験まで有するとも伝え聞いている。言わば生きた伝説である。
『――蘭堂二尉、十時方向』
「――――?」
山の麓が燃えていた。火の揺らぐその下で、今まさに灰に還ろうとしているかつては家であり、櫓であった何か――掃討の手が敵の拠点にまで延び、破壊――あるいは殺戮――が拡大されていく。
『――前下方に人影を認む。距離20、多数!』
「…………?」
統合ヘルメット照準装置に投影された赤外線画像を拡大する。丘陵を複数、それこそ中隊規模の人影が駆け上っているのを健太郎は見た。友軍の占める山岳を奪回せんと迫るローリダの民兵たち……ノドコール風の服装から手にしたローリダ製の銃器、さらには肩に担う対戦車ロケット弾の形状まで、全能の神が下界を覗く様に、それこそ手に取る様に見ることができた。
「後背に回り込むぞ」
『――了解!』
左手でスロットルを開き、右手で操縦桿を前に傾ける。座席の両脇を占めるこれらのレバーを握って機体を操る様を、部外者の誰かが「まるで戦闘ロボットを操る様だ」と言っていたのが健太郎には思い出された。メインローターの生む反動も、側面や地上から吹き上げて来る乱気流など微塵も操縦席を揺らすことなくグリフォンは飛ぶ。前身のOH‐1、SH‐60Kの開発過程で洗練されたコンピューター姿勢制御技術の集大成たる操縦補助システムの効能。極端な例として、飛行中に操縦者が両手を離してもグリフォンは調教された乗用馬のようにスッと止まり、そのまま姿勢を乱さずに浮揚を続ける。
無感覚――乗り始めて最初の頃は、この乗り心地が健太郎には最も新鮮で、だが怖かった。何かの拍子で――例えば被弾による制御システムのダウンで――グリフォン本来の凶暴な本性が、操縦桿を握る自分に直に向かうのではないかと思ったのである。被弾時、損傷時の操縦系のバックアップについては十分に配慮していると、グリフォン開発に関わった技術者たちは健太郎の疑念に丁寧に答えてくれたものだったが……
ペットショップ4は山肌に機首を向け、更に距離を詰めた。狭隘な地故に、ペットショップ4はフレアーをばら撒きつつ山に迫る。反攻の途上、夜空を舞う光の珠図の接近に気付いたローリダ人は勿論いたが、それであっても襲撃者の飛来は恐慌を生み、拡大させる効果しか生まなかった。蜘蛛の子を散らすように逃げ始める人影、また人影――
『――25ミリを使います!』
言うが早いが、石森准尉が撃った。機首下の25ミリ機関砲は銃手のヘルメットと連動している。それ故に照準を付けるのは早く、射撃も正確だった。軽快な射撃音と共に山肌に着弾の火柱が上がる。統合ヘルメット照準装置内に投影された機関砲弾の残弾表示がみるみる減っていく。撃たれた後には何も残らず、掠めただけで敵兵の躯は四散する。それは赤外線のフィルターが掛ってはいても、余りに生々しく、怖気を揮う光景であった。応戦する敵兵もいるが、夜、距離にして三キロメートル近くを隔てた上空から弾丸を注ぐヘリコプター一機に、それは何の脅威にもなり得なかった。兵装管理モードを維持していた多機能表示端末が電子戦モードに切り替わり、耳を劈く警報がイヤホンを満たす。点滅する「SAM」の指標――
「携帯地対空誘導弾! 回避する!」
上昇し、フレアーボタンを連打する。知らず声が上ずっていた。教本通りの急旋回と上昇を繰り返し、乱舞するフレアーが操縦席を照らし出す。急激な機動に身体の生理機能が付いて行かず、三半規管が不快な軋みを立てるのを健太郎は自覚した。バックミラーの中、フレアーとは明らかに違う、白煙を曳いた黄色い光が迫り、そして過って消えた。警報が耳から消える。
『――ペットショップ4、接近し過ぎだ。一旦退避、姿勢を立て直せ!』
「……4、了解。退避します」
地上からの誘導弾射手の眼、空からはペットショップ3こと日高二尉の眼が光っている。特殊飛行の余韻か、両耳の奥で三半規管が未だに呻き声を上げていた。左右に機体を揺らしつつ、健太郎の駆るグリフォンは安定を取り戻す……そこに。石森准尉の報告が続く。
『――残存目標四!……あと二になりました!』
「僚機を支援する!」
機首を再び戦闘地域に向けた時点で、目標の目星は付けていた。十一時方向に拡大させた赤外線画像の中になおも砲口を瞬かせる迫撃砲が一門、その周囲をノドコール風の衣装を着た人影が忙しげに駆け回っていた。機関砲の照準が遅れて重なる。そこに、石森准尉の言葉が続く。
『――発射!』
機関砲弾が小気味良く砲座に集中し、砲座を薙いだ。着弾の衝撃波に続いて焔が生まれ、銃撃された砲、そして兵が千切れて空を舞う。敵兵の退避は間に合わなかった。石森准尉の射撃は巧みで、まるでシューティングゲームの様に目標を片付けて行く。操縦桿を預かる健太郎としては戦慄よりもむしろ驚嘆が先に立ってしまう。
『――各機へ、攻撃止め。集合、集合せよ』
今川編隊長の指示が聞こえた。と同時に、発進時に千五百発を携えていた機関砲の残弾が百を切っていることに気付く。燃料残もまた心細い。遠方、今なお地上に銃火を注いでいるペットショップ4に、健太郎は内心で驚嘆した。弾薬の使い方という意味では、日高二尉のペアの方がやはり上手であった。こちらに向かい、機首を転じかけたペットショップ3。その背後の地上から白い軌道が延び上がり――
『――後方! 地対空ミサイル!』
『――回避! 回避!』
事態の急変は唐突で、それを直視した健太郎からしても、何が起こったのかは即座に図りかねた。ペットショップ3はフレアーを撒きつつ急旋回で携帯地対空ミサイルを回避しようと試みた。それは九割がたまでは成功したがテールローターを掠めて炸裂した一割がペットショップ3の死命を決した。発火と爆風に歪んだフレームを高速で回転するブレードが削る。むしろブレードが曲がり、歪みはシャフトとハブにまで及び比較級数的に機体の均衡を破壊していく。メインローターのトルクを吸収しきれずに自転を始めるペットショップ3、そこに怒声とも悲鳴ともつかない操縦者の声が共通回線に飛び込んでくる。
『――緊急事態! 緊急事態! 制御不能!』
『――友軍橋頭保まで飛べ! 頑張れ!』
編隊長の叱咤と裏腹に、胴体を左右に激しく振りつつペットショップ3の高度が下がっていく。地上まで幾ばくも無い低空であった。それでも自転しつつ岩場を避け山間の平地を目指した日高二尉の技量に、健太郎はそれを見下ろしつつ内心で舌を巻いた――回転の落ちたメインローターが地上に接し、そして抉る。地面を掠めたローターの反動で胴体が振れ、そしてグリフォンの腹が土煙を上げて地上を滑った。
『――墜落する!』
『――不時着位置を特定、救難を呼ぶ!』
破局は、拍子抜けするほど単調に、そして安寧の内に過ぎた。しかも敵中――そう察するまでも無く、健太郎は操縦桿を傾けた。前席の石森准尉からしてみれば、急激な高度低下が彼のペアに対する疑念を誘った。
『――二尉!?』
『――ペットショップ4、3の乗員を回収します!』
『――――ッ!?』
降りられる平地は近くにあったが狭く、訓練でもあの様な場所に降りたことは無い。ただし降りねば地上の二人には最悪の未来が待ち受けているかもしれない。降下の途上、掠過する山間から機体の各所が激しく打たれるのを感じる。それは時には操縦席の近くにまで達し、風防ガラスに罅まで入れた――重機関銃で撃たれている筈なのに罅だけで済むことに、特に日高准尉は驚愕した。それこそ固定翼機が滑走路に滑りこむような機動でグリフォンは降下しつつ加速し、地上が眼前に迫ったところで健太郎は操縦桿を戻した。
「――――!!」
接地と同時に烈しい衝撃が機体を苛み、同時に何かが折れた様な音が操縦席に響く。それでも二基のターボシャフトエンジンは直も勇ましい爆音を奏で続けていた。MFDの機体制御――メイン、テールの両ローターには異状は無い……安心して、だが僅かな迷いと共にスロットルを暖気位置にまで閉める。
「石森准尉!」
『――はい!』
「ここで待っていろ。蘭堂が二人を回収してくる!」
『――冗談ですか!?』
「冗談ではない! 実戦だ!」
と言いつつ、すでに座席と躯を繋ぐバンドを解いている。座席脇から単眼式の旧型暗視装置と、89式カービンライフルを健太郎は取り出した。これらの何れも、不時着等で敵中に孤立した際に備えて積まれていた装備であったが、当の健太郎自身がこいつで最後に実弾を撃ったのは何時の事だろうか?――風防を開けて機外に飛び出し、肝心の弾丸を装填していないことに気付く。
「う……!」
強烈な焔の臭いを前に、健太郎は一時立ち竦んだ。目指す場所が、小高い山間を登った先に在ることに今更のように思い当った。防衛大学校の集中訓練、さらに幹部候補生学校での戦闘訓練で学んだ山岳地での戦闘技術を思い出せる限り思い出そうと努める。暗視装置の視界は狭い、しかし使わなければ待っているのは自分の躯すら把握できない完全な暗闇であった。
「――――!」
健太郎は銃を構え、思わず立ち止った。途上、暗視装置が感じ取った人体の気配が、緑の反射を以て健太郎の網膜に飛び込んでくる。それらが銃撃に穿たれた見渡す限りの一帯に張り付いているように健太郎には見えた。それが生きた人間ではなく、未だ温かさを残した、かつてはローリダ人民兵であった「もの」の欠片であることに思い当ったとき、健太郎はこみ上げてくる嘔吐感を往なす様に行き足を速めた。自分たちが引き起こした破壊の痕跡――今更ながら、地上に降りた健太郎はそれに直面している。
「准尉、見つけたぞ!」
岩場の所々に散った破片、あるいは燃料が緑の焔を上げている。その中心にメインローターを突き出して仰臥したヘリコプターの骸を見出した時、健太郎は暗視装置を撥ね上げて叫んだ。首にぶら下げた銃を揺らしつつ機体へと駆け寄る。頬を焼く熱気と濃い航空燃料の臭いが健太郎の生物としての本能に、その場にいることの危うさを強く訴えかけて来た。自衛官としての経験と自覚が無ければ、恐怖心に誘われるがまま、そのまま踵を返して来た途を戻っていたかもしれない。
操縦席は潰れていなかった。その後席に駆け上り、風防ガラスを激しく叩いた。微かに頭が動く気配がした。次には機外の緊急開放レバーを探り、健太郎は風防をこじ開けた。
「日高二尉! 日高二尉!」
「…………」
ペンライトを使い健太郎は操縦席の内部を探った。外傷は見られなかったが、それでも無理やりこの場から二尉を引き摺り出すことに健太郎は内心で抵抗を覚えた。
「誰だ……?」
「蘭堂です」
「…………?」
頭がゆっくりと上がり、そして身構える健太郎と眼が合った。出血に片方が塞がってはいたが、彼女の意識から混濁が潮の退く様に消えて行くのが健太郎には判った。
「助けに来ました。一緒に帰りましょう」
「わたしは大丈夫……木部……木部三尉を……」
前席銃手の名を日高二尉は言った。健太郎は頷き、前席へと回った。前席を占める人影は突っ伏したまま動かなかった。日高二尉が座席から足を出し、機体から這い出ようとしている。木部三尉が計器盤に頭を突っ伏したまま、咳をし始めた。
「蘭堂二尉、飛行記録と戦術データ記録は全て破壊した。木部三尉は無事か?」
「判りません……!」
「機体から出そう。手伝え」
健太郎は座席に乗り込み、日高二尉は木部三尉の両脇を抱いた。力を込めて引き摺り出す間際、木部三尉が表情を歪めるのを健太郎は見る。続けて……とか細い声で木部三尉は言った。
「大丈夫、骨が折れただけです……胸骨……いや肋骨だと思う」
直後、足下を縺れさせたのか姿勢を崩した日高二尉に引き摺られる様にして、木部三尉は地上へと転がった。
「日高二尉、離脱します。援護してください」
89式カービンライフルを、健太郎は押し付ける様にして渡した。日高二尉も心得たもので、健太郎の前に出て小銃を構える。動けない木部三尉を背負い、乗機への帰路を踏破するのがこれからの彼の任務であった。
「蘭堂二尉、先導しろ!」
乗機までの道を知っているのがこの場では自分だけであることに、健太郎は迂闊にも今更のように思い当っていた。健太郎は早足で歩き出した。人間の重みの他、狭い暗視装置の視界が閉塞感となって健太郎の躯に圧し掛かる。思えばこんな状況も、演習で体験したことがあった様な気がする。
何時しか日高二尉の前を進んでいた。斜面や岩に足を取られぬよう、取られても無理やりに悪い足場を踏み越え、健太郎は眼前に未だローターを回転させ続ける愛機を見出した。
「蘭堂二尉!」
カービンライフルを手にした石森准尉が駆け寄って来た。健太郎は叫ぶように言った。
「後部ハッチに収容する!」
石森准尉は頷き、機体へと駆け戻り始めた。AOH‐01は胴体内に野外整備用の機材を収容する空間を設けており、広さだけならばひと二人を押し込められるだけの余裕を有する。これがAOH‐01の就役当初、市井のネット掲示板では批判の的になっていたのを健太郎は思い出す――曰く、「そんな無駄な空間を作る分を、搭載量に振り分ければいいのに」、「その空間を潰して、もっと高性能の電子装備を載せられるはず」……云々――ハッチを開けた石森准尉が、木部三尉を載せるのを手伝った。
「十時方向に敵影!」
日高二尉が叫び、撃った。命中は期待していない。敵の動きを止めるための射撃だ。
「石森、応戦しろ!」
日高二尉の袖を掴み、健太郎は搭乗を促した。空間に入るよう言い、彼女から89式カービンをもぎ取る。応戦方向から無数に銃火が走る。地面に弾丸がのめり込む音、銃弾が機体を弾く音が聞こえる。そこに、ローリダ語らしき怒声も混じって来た。カービン銃で応戦しつつも今更ながら、鳥肌が立つのを健太郎は覚えた。
「蘭堂二尉、早く!」
銃を撃ちつつ石森准尉が叫んでいる。全弾を撃ち尽くした銃を棄て、健太郎は操縦席に走った。暗視装置の視界の中の何処を探っても、武装したローリダ人の蠢くのが見えた。個々人の表情すら推し量れるほどの至近――その中の数人が抱えて来た火器に、健太郎は眼を剥いた――対物機関砲!
「石森! 乗れ!」
「今すぐにっ!」
同じく銃を棄てて駆け寄って来た石森准尉が座席に手を掛けるのと同時に、健太郎はスロットルを押し開きコレクティブを上げた。エンジンの寿命を縮めるという理由で、通常の手順では禁じられている急発進だ。しかし切迫した状況ではどうか?――唐突な衝撃が二、否三度、四発目が銃手席を掠めて風防を割る。席に腰を下ろした石森准尉が頭を抱え込み蹲る。
機関砲弾を被弾したと健太郎は察し、同時にMFDの機体状況表示が警報を発する。左エンジンの回転が眼に見えて落ち始め、異常な加熱すら生じていた。
「左エンジン停止!」
迷わずにサイドパネルのスイッチを切った。浮遊しかけたグリフォンが沈む。だがそれも一瞬、徐々に、だが確実にグリフォンは上昇に移っていた。操縦教程で数えるほどしかやったことはないが、片肺でも上昇、飛行が出来るようにグリフォンは出来ている。
「十時方向、撃ち尽くせ!」
「了解!」
石森准尉が撃った。この期に及んで弾丸の出し惜しみは許されなかったし、狙いを付ける必要も無かった。25ミリ機関砲弾が山肌と言わず稜線と言わずに舐めるように注ぎ、その場に居合わせた全ての兵が蹂躙されて消えた。携帯ロケット弾の真白い軌条すら延び上がり、機首を転じるグリフォンの機体を掠めて破裂する。グリフォンの機体は揺れたが、それも姿勢制御プログラムの支援により僅かな間で終わった。
『――エルメス、敵兵を捕捉した。ヘリの後退を援護する』
戦場監視任務で遥か上空を舞うP‐3CからのASMMPMであった。山肌に着弾した初弾が火柱を上げ、周囲を煌々と照らし出した。そこに何時しか上空を占めていたペットショップ隊の援護射撃も加わる。火焔に魅入られ、そして押し流されていく人影。着弾は一度では終わらず、P‐3C搭載のDLIRの見出せる限りの敵兵に向かい火力は降り注ぐ。そこに、ペットショップ3の安全圏に逃れる間隙が生まれた。今川隊長機に至っては上昇の途上から健太郎機に並んで付き従い、援護射撃を続けている。
『――ペットショップ3、無事か? 応答しろ!』
「ペットショップ3、4の乗員を収容、これより帰投する!」
『――この馬鹿め、還ったらたっぷりと絞り上げてやる。機体を墜とさずに持って来いよ!』
「……了解」
叱咤の声、共通回線に笑い声が重なる。嘲笑には聞こえなかった。前席の石森准尉か、それとも残った僚機の誰かが……健太郎は計器盤の燃料計に目を落とした。
「…………」
燃料が漏れている。基地には還れないかもしれないが、それでも安全圏までは飛べる。