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第八章  「ふたつの空の狭間」


ノドコール国内基準表示時刻1月5日 午後16時24分 ノドコール中部上空


 ジャリアーMkⅠ軽攻撃機「ヴァルキリー204」は下層雲のすぐ上、高度9000フィートを北に向かい航路を刻んでいた。

 下層雲は分厚く、途切れない。それ故にヴァルキリー204は肉眼で戦闘地域を見出すことができず。ただ全地球測位システム(GPS)の地図表示に従い、その目指す処へと航路を刻むのみだ。それだけではなく操縦士の眼前、高角HUD上に浮かび上がる目標方位指示指標が、ジャリアーとその乗り手に飛ぶべき途を示してくれる。


『――目標まで20nm(ノーティカルマイル)切った』

 後席の戦術航空士 菅生 裕准海尉の声が、前席に在ってヴァルキリー204の操縦桿を握る諏訪内 航 准空尉の意識を戦場に集中させた。着弾点連続計算(CCIP)モードに切り替えたHUD上で、目標に対する自機の姿勢を示すフライト・パス・マーカーから爆弾投下軌道が一本の線となって延びる。その延びた先に浮かんだ大きな円形の照準点に、なおも雲海に閉ざされた目標位置を示す真四角の指標が重なる――先行する無人偵察機によって捜索され、捕捉された目標、さらには統合データリンクによりジャリアー204の火器管制装置もまた共有するところとなった目標だ。


 大きな円形照準点は、ジャリアーがその両翼に抱えた70ミリロケット弾76発の有効着弾範囲を示していた。降下角30度の緩降下を維持しつつ、目標に距離を詰める。目標との相対距離を菅生准尉が読み上げてくれるが、読み上げられなくとも、目標が迫っているのは目標指示指標の中心に浮かぶ相対距離の減少からも判る。


『――ECM自動(オート)……距離17……15……12……10切った!』

「――――っ!」

 引鉄を引き、ジャリアーの機体が震えた。翼下から矢継ぎ早に飛び出した70ミリロケット弾が黄色い軌道を曳き、雲海の只中に吸い込まれる。操縦席を照らし出す程の噴炎の光――続く着弾を確認するまでも無く、航は操縦桿を引き回避機動に転じた。フレアーを撒きつつ上昇から左旋回に転じるジャリアーの孤影……警戒管制機の誘導により別方向から飛来する僚機の影が、今まさに攻撃態勢に入ろうとしているのを航は見る。僚機の両翼もまた瞬き、暗灰色のジャリアーをその近くから照らし出した。


『――高度10……周辺に脅威の所在無し……いいぞ、帰投針路0‐1‐4』

「針路0‐1‐4」

 フットバーを踏み、右に機首を転じる。そこに戦闘空域の辺縁、高度30000フィートの高みを飛ぶ「オーバーロード」こと、E‐767警戒管制機からの報告がイヤホンを打った。

『――オーバーロードよりヴァルキリーへ、ノエル03より目標の完全破壊を確認。周辺に脅威無し。速やかにロギノールへ帰投せよ』

「ジャリアー204」

 「了解(ロジャー)」とまでは言わない。コールサインを返すだけで了解の意思は通じるようになっている……それは一月三日の開戦以来、諏訪内 航が幾度繰り返したかも判らぬ戦闘機乗りの日常であった。ただし開戦の翌日、航がその日三回目の飛行任務を終えた後から、航たち航空護衛艦「かつらぎ」飛行隊はロギノール市北郊外の飛行場に根拠地を前進させている。飛行場占拠から僅か半日、揚陸部隊に海空自の機動施設隊を従えていたが故の、突貫工事の賜物であった。


 「ベース‐ソロモン」の周辺に展開するキズラサ国に対する制空と空爆は、主に航たちジャリアー隊の担当であった。初日は「かつらぎ」より、それ以降はロギノール飛行場より航たちは発進し、通常爆弾とロケット弾による対地攻撃を続けている。技術的に難易度の高い離着艦を繰り返すよりも安全で、支援も受け易いが故の前進拠点であったが、懸念材料もまた存在する。緒戦で敗退し、ロギノール全市を制圧した水陸機動団に追い散らされたキズラサ国の残存兵力が未だ飛行場の近傍に潜伏していて、機を見て飛行場に襲撃を掛けてくるのではないか……という、それは予測であった。

 従って、帰投を果たした処で気の休まる暇が無い、というのが航たち操縦士に共通する感慨であり、飛行場に在って航たちを送り出し、あるいは彼らの帰還を待ちわびる地上要員もまた共有する感情ではあった……尤も、今となってはそうした懸念の大半は、急追してきた陸自部隊の展開と、「じゅんよう」型揚陸艦を拠点に航空支援に投じられた陸自攻撃ヘリ部隊の、飛行場制圧に伴う前進により殆ど払拭された形とはなっているが。



『――オーバーロードよりヴァルキリーへ、北東より所属不明機が接近中。数5、高度600、今1000越えた!』

『――編隊長より各機へ、針路南西。安全圏まで退避!』

「ヴァルキリー204!」

 機首を上げ、方位を南西に転じた。ジャリアー隊の主任務は対地攻撃であって制空ではない。避けられる空戦は避ける――それが、練習機上がりの対地攻撃機の「処世術」だ。


「…………」

 高度を上げつつ、航は主翼端を顧みるように見た。ヴァルキリー204の主翼端に繋がれたAAM‐5改近距離空対空ミサイル。対地攻撃に当たり、ジャリアーは爆装の他自衛用に二基のAAMを装備する。敵機との交戦はこれをなるべく避ける様伝達されてはいるものの、シーカーの機構上全方向に照準可能なAAMと統合ヘルメット照準装置(JHMC)を併用する限り、中距離から近接距離の空戦に関しては、これらを有さない敵機に対し、エンジン出力や運動性の劣位は大幅に補いが付く筈であった。


『――……――……――!』

 警報が鳴る。敵機の接近ではないことは、HUD上に浮かんだ地対空ミサイルの接近指標が教えていた。敵は戦闘地域の地平線上に捜索レーダーを配し、高度を上げたジャリアーが捕捉可能になったところを狙ったのだ。驚く間もなく、接近指標の数が増え始める。反射的に眼差しを向けた北の地平線より、太い白煙が層雲を貫いて延び上がるのを航は見た。

『――SAM接近!……4……6……いや10基!……此方に向かって来る!』

「…………」

 SAM群の接近を見張りつつ、航は操縦桿を押し下げた。HUD上で、航の駆るヴァルキリー204をはっきりと指向してくるSAM指標は無い。胴体下に埋め込まれる様にして繋がれたECMポッドが、妨害電波を発して地上のミサイル誘導レーダーを攪乱し、結果として敵は此方の飛ぶ大凡の方向と高度に偶発的な命中、あるいは近接信管に作動を期して大量のSAMを打ち上げるしか対抗手段が無くなっている。回避機動を続けつつ戦闘空域より退避するヴァルキリー204の機首前方、南の地平線を覆う下層雲が左右に傾き、そして迫ってくる――


『――オーバーロードよりヴァルキリーへ、敵機散開した。204の後背に一機』

「――――っ!?」

 上昇が早い! と航は内心で驚愕した……と同時に、戦前よりローリダ人が、事あるに備えて少なからぬ数の戦闘用航空機を密かにノドコール国内に配備しているとの情報が、今更のように脳裏を過った。その多くが彼らの本国でも使い場の無い旧型機であるとも、航は聞いてはいたが……


『――ワタル! 後方!』

 菅生の声と同時に、バックミラーを黒い影が右から左に過る。

自分の部屋で寛いでいるときにゴキブリでも見たかのような悪寒――反射的に傾けた操縦桿に導かれ、横転で速度を殺しつつ高度を維持する。

本土の訓練で何度も繰り返した追尾回避機動の一端――バックミラー越し、機首にぽっかりと空いた空気取入口が、鮫の口の様にはっきりと見えた。


『――距離を詰められてる!』菅生の悲鳴を背中に聞く……と同時に、航には判った。SAMを嫌って高度を下げる自衛隊機、中高度以下で待ち構える戦闘機がこれを迎撃する。迎撃する側からすれば、低空故に加速が効かない自衛隊機との性能的な差は殆ど無くなる。圧倒的に優勢な敵空軍と対等に戦うための、これは巧妙な戦術だった。ローリダ人は三年前のスロリアで多くを学んでいるようだ。翻って我が方はどうか?

 再び横転に翼を傾けたジャリアーの腹を、白煙を曳いた射弾が抉る様に飛び抜けていく。速度が更に下がり、追尾する側の敵機がジャリアーの下を潜る様に前方に出る形となった。緑を基調とした斑迷彩、上翼配置の単発ジェット機――こんな戦闘機、ローリダにあっただろうか?……と、航は自分が空戦の只中にあることも忘れて困惑した。


『――敵機はギロ‐15と確認。204、無事か?』

 「カチカチ」と、操縦桿の通話ボタンを押して誰何に応じる。加速する敵機との距離が開こうとしている。期せずして追う形となったジャリアーは、その加速に僅かながら遅れた……と、開いた距離が、とっくにJHMCのバイザーを下ろした航の網膜に、ジャリアーが取り得る新たなオプションを示す――目標捕捉(ターゲットロックオン)


『――後方よし! 航! 撃て!』

「…………っ!」

 無言――人差し指が反射的に操縦桿の引鉄を引く。低空でジャリアーが震え、翼端を離れたAAM‐5短距離空対空誘導弾が噴煙を吐きつつ敵機の背後を追った――追われる側からすれば、回避のしようも無かった。

 左旋回、その向かう先に回り込むように敵機の内側より旋回り、そして両者の軌道が交差する――

「ウォ!?」

 紅蓮の炎を曳いて、敵機の銀翼が千切れ飛ぶ。それを避けようと航は高度を上げ、背面にジャリアーを転じる。背面から見上げた先、片翼が吹き飛び、焔に包まれた敵機が緩やかな軌道を描きつつ左向きに降下していく――樹林の繁る大地に向かい、木々を薙ぎ倒しつつ突き刺さって激しく燃えた。


「204、一機撃墜! 一機撃墜!」

 コールをしつつ、航はジャリアーの機首を再び南に向けた。

「204よりオーバーロード、残余の敵機は何処か? 位置報せ」

『――こちらオーバーロード、残余の四機は既に別方向に退避した模様。攻撃の兆候なし。速やかに安全圏まで移動し編隊に合流、帰投せよ』

「204」

 交信を終え、航はジャリアーの機首を更に上げた。正当な軍事行動である筈なのに、どういうわけか、自分が犯した犯罪の現場から無断で立ち去るような、釈然としない気分に彼は襲われていた。それが空戦という、戦場で初めて遭遇した事象に際して生じた緊張の為せる業であることを航が自覚したとき、菅生の弾んだ声が航の耳を叩いた。

『――奴さん、冷やかしに来ただけか……それにしても航、やったな』

「やった?……何を?」

『――撃墜だよ。撃墜』

「あ……」

 そうだ……おれは撃墜したのだ――こみ上げて来た喜色と安堵に身を任せ、航は周囲を顧みた。機は既に上層雲すら抜け、何時しか僚機が編隊を組もうと主翼を寄せていることに航は気付く。

『――204、やってくれたな』編隊長の声がした。

『――撃墜の様子はデブリーフィングで宜しく聞かせてもらうぞ。おれたちもあやかりたいからな』

「了解!」

『――こちら206、P‐1編隊を視認。高度30。四機機首を転じ、南西方向に向かう模様……任務中止(アボート)か?』

『――編隊長了解。照会してみる』

『――オーバーロードより空域Sに所在する各機へ、ベース‐ソロモンより20nm以北の作戦飛行を禁止する。該当する各機は速やかに任務を中断し、戦闘空域より待避せよ。繰り返す――』

「…………」

 勝利の余韻は、速やかに失せた。と同時に、敵の真の意図を航は察した。


 空戦に勝つことではなく、空爆をさせないことに今のキズラサ国空軍の戦略は立脚している。ベース‐ソロモンの北に地対空ミサイル陣地という障害が出現した以上、友軍機は予定していた対地攻撃を切り上げざるを得ず、以後のジャリアー隊の飛行、他の戦闘機隊の飛行もまたその排除に費やされることになるだろう。それが地上の戦いに如何なる影響をもたらすのか、今の航には微塵も予想が付かなかった。と同時に以後の航たちを待ち受ける空の戦いの様相もまた――


 後にこの空戦は、キズラサ国空軍とPKF航空自衛隊の、最初の空中戦として記録されることになる。

 ノドコールの空、その蒼い高みを乾いたジェットの爆音が幾重も過り、そして南の彼方へと消えた。




イリジア国内基準表示時刻1月5日 午後17時10分 新日本航空368便


 ジェット機の爆音が、覚醒しかけた意識には明瞭なまでに働きかけてくる。よりはっきりと言えば、喧しい。

「…………」

 薄らと眼を開けるのと同時に、光が待ち構えていた様に網膜に注いできた。滝の奔流の様な烈しさに、諏訪内 佐那子には思われた。そう思った次には、空調の動く音が耳に付いて離れない……言い換えれば、空調の音が、目覚めたばかりの佐那子には騒がしい。


 眼を開けてちょうど頭上、付けっ放しの読書灯の光に眼を細める……と同時に、眠りに入った時間帯には消灯していた筈の機内照明が、燦々と広い機内を照らし出していることに佐那子は気付く。独り何処の国のものでも無い空を飛ぶ旅客機、その機内を流れる時間が朝の領域に入っていることを、照明が教えてくれていた。デスクに置いていたノートパソコンは沈黙している。持ち主の眠りに合わせ、自ずと動きを止めたのであろう。

 隣席――通路を挟み2‐3‐2の計三列から成る大型旅客機の座席、その右側の窓際――を、佐那子は顧みた。よれよれのシャツと解きかけたネクタイが印象的な男が、毛布を抱いて尚も寝息を立てていた。当然、窓は閉められたままであった。その彼のデスクにもやはり、タブレットが放り出された様に置かれている。スクリーンの中で、彼と彼の妻子と思しき女性と子供が、明るい笑顔を浮かべていた。

 確か、商社マンと言っていたっけ……隣席の同胞の素性を脳裏で反芻し、佐那子は周囲を顧みるようにした。漣を思わせる日本語の話し声と、より不明瞭な何かの言葉の潜む声、そこに出所の判らない物音と咳払い、鼻を咬む音が重なる。腕時計を覗けば、異国から日本への長い航路の半分を、今まさに過ぎようとしていることに佐那子は気付く。



 諏訪内 佐那子はいま、旅客機の機上に在る。300席、六発エンジンの「日本製」大型旅客機の機上に――

 

 日本の首都東京を起点とし、短日時の内に新世界各地に繋がった航空管制システム上での呼称は新日本航空(NJA)368便(‐368)、だが368便は製造規格と機体設計に基づく形式的な呼称として、「B‐767日本運輸安全委員会(JTSC)‐300」という名称をも有する。「転移」の発生により要求され、そして実現を見た広域航空運輸網整備計画の産物であった。言い換えれば、太平洋戦争後初の国産大型旅客機開発計画の、一つの終着点である。


 整備計画とか、終着点とか言えば聞こえがいいが、総括が許されるならばこれは一種の戦時急造計画であった。そもそも「転移」という、日本と他国間の通航が超自然的な力で、且つ物理的に、更には完全に断たれる異常事態が起こらなければ、実行されるどころか構想すらされることの無かった計画であろう。

 胴体と主翼部分を既存の外国製旅客機から流用し、エンジンとアビオニクスに限り国内独自開発のものを適用する。特に流用元となった特定機種については、その製造権取得に際し、交渉先たる友好国への対価として少なからぬ国内技術及び国外市場に関する諸権利が国外に流れた筈であった。国土に対する「転移」が進行し、それを止める手段を誰もが全く見出せなかった当時であったからこそ為された異例の交渉――その結果として、日本は異世界への通航の手段としての「翼」を獲得することになったのである。


「転移」の完了による、前世界との完全なる断絶を跨ぐ形とはなったが、機体の製作と就航自体は、関係者ですら予想し得ないごく短日時の内に進行し、政府と航空運輸業界の関係者を一応は安堵させた。しかし完成した機体は、計画を主導した当事者からしても、決して満足のいく出来とは成りえなかった。

 エンジン選定にあたり国産で最も適当とされたのは、海上自衛隊のP‐1洋上哨戒機に搭載されたエンジンを改良し、若干の出力向上と燃費の改善を果たした新型エンジンであったが、その新型を以てしても巨大な機体に十分な加速と上昇力を与えるには至らず、300席型で当初四基と計画されたエンジン搭載数は最終的には六基へと増やされることになる。関係者からすれば「誤算」であった。その上これらの改設計を以てしてもアンダーパワー気味な操作性は改善されず、むしろエンジンと機体重量の増加により燃費と整備性が悪化している。


 その後、操作性と燃料消費の双方とも、機体制御プログラムの改良、やはり新設計の自機診断プログラムの導入により一応の解決を見たものの、機体の経済性が即輸送運賃、ひいては運航会社の経営状態に反映される旅客輸送機の場合、これは致命的な問題と懸念された。ただし、後の試験運行で本機の運航経費は当初見積りの許容範囲内に収まることが判明し、関係者を安堵させている。その後には、「転移」以後拡大の一途を辿った日本の商圏に合わせる形で本機の空路も拓かれ、日本の航空旅客運送は一応の安定期を迎えることとなった。今のところ、「飛ばせば飛ばすほど赤字」という、過疎路線と低性能機にありがちな問題から、「戦時急造機」たるB‐767JTSCは辛うじて無縁でいる。既存の外国製大中型旅客機の多くもまた未だ十分な機体寿命を残しており、海外製予備部品の備蓄があることも、本機の余裕ある改良作業を助ける形となった。


 行き当たりばったり的な構想から始まった本機の存在は、それが一通りの成功を見た結果として「転移」後の日本に一つの「誤算」をもたらした。日本側からすれば性能的に満足のいくものではないにしても、本機の諸元と搭載量は「転移」以後通交を結ぶことになった諸国からすれば破格の高性能であり、文明の水準的に日本に準ずる彼らもまた航空路線の維持に悩んでいたとあっては、自国内で航空機を製作し得る日本の技術力とその航空輸送の主力たる本機の存在は、ひとつの天啓となり得たからである。

 結果として諸国からのB‐767JTSCに対する輸出の打診が殺到し、今では三ケタに及ぶ数の本機の各型式が輸出あるいはリースという形で異世界の空を飛ぶこととなっている。それは付随的に国外における航空機補修設備、空港設備の整備事業への需要をも生み、廻り廻って異国の都市整備事業への日本企業の参画という、新たな経済効果をも生じさせた。「誤算」といっても「うれしい誤算」という種類のそれであって、当初は急ごしらえもいいところの「戦時急造機」が、今では異世界における外貨獲得の手段のひとつとなったのだ。近年、本機の部品の一部生産を友好国数カ国に委託する計画も進行しており、生産分担によって生じる製造、輸出コストの削減、計画に参加した異国にもたらされる経済効果もまた、相当なものと見積もられている――



――話を戻す。


 300席の長距離旅客輸送型。ファーストクラスもビジネスクラスも存在しない、完全な旅客輸送に特化した型であった。それがイリジアから日本に向かう――あるいは帰る――大多数の日本人と少数の異邦人を乗せ、日本への航程を刻んでいる。傍目からも、機内の客たる佐那子から見ても、それは平穏な空の旅であったはず……

「――――!」

 否――あることを思い出し、佐那子は座席から腰を浮かせた。佐那子の席からずっと後背の中列に、緊張をも伴った眼差しが向かう。座席中の七割余りが埋まっている機内においても、「彼ら」の顔は見忘れようが無かった。中列の一隅たる三席が空いている。佐那子が乗り込んだとき、去年アガネスティアの空港で居合わせたグナドスの青年たちがそこを占めていた。その前、イリジアの中央空港で再び彼らと居合わせたとき、彼らは佐那子の顔を忘れていた様であったが、佐那子は彼らの顔を覚えていた。何より、グナドスの高位学士は国外に出るときも没個性的な制服を着ているから、見る者が見ればすぐにそうと判る。


「タオルをどうぞ?」

 抑揚に乏しい日本語で声を掛けられ、佐那子の眼は反射的に通路側に向いた。新日本航空の客室乗務員の服装ではあったが、カートから蒸しタオルを取り出した女性は金髪、白皙の頬をした紛れもない異邦人であった。国外展開に当たり要求された異邦人の雇用確保と、地域の枠を超えたサービスの均質化を図るための配慮として、国外航路を有する日本の主要航空各社は、機体整備と運航管理、ひいては機内サービスを委託させるための現地法人を国外数か所に開設している。見方を変えれば、この配慮無くして、日本式の空輸サービスが新世界の文明圏に浸透することは無かったとも言えるであろう。


 受容として佐那子は蒸しタオルを受け取り、封を破りつつ前方を伺った。席を発った人影が二、三人、続けてさらに三、四人、操縦席にまで通じる前方の一隅に向かうのを見る。洗面室の場所であった。目的は起床後の身繕いであろう……自ずと出来上がった人の列。席に着いたままの乗客に対する、コーヒーのサービスもまた始まっていた。


「…………」

 蒸しタオルのワゴンサービスを続けていた女性が、そのまま前へとワゴンを押していくのを、佐那子は何気なく見送った。彼女の行方を見送る内、つい先刻に彼女が見出さんと求めていた人影が、通路の奥から現れるのを彼女は見た。グナドスの高位学士の一人、背丈はやや寸詰まりだが、制服の下は筋肉質であることが察せられる、それら以上に一本の頭髪も無い、眉毛すら無い異相がより印象に残る――彼の姿に眉を顰める佐那子の遥か眼前で、その青年は列を作る男達を押し退け、悲鳴すら挙げる彼らを他所に、強引に洗面所に踏み入った――


「うそ……!」

 低い声で、佐那子は叫んだ。同じく奥から出て来たグナドスの青年、だが彼に導かれる様にして現れた人影に、佐那子は我が目を疑った。編み上げた挑発に黒い肌をした長身の異邦人が独り、過日の空港で見たのと同じ、獰猛な豹を思わせる佇まいは、それだけでも同じ機上に在ることに佐那子に不安を抱かせた。それ以前に――

『――あの人は、いなかった筈』

 佐那子の記憶が確かならば、機上でひと夜を過ごすずっと前、フライトを待つ出発ロビーに在っても、いざ搭乗手続きが始まる段になっても、彼女はあの男の姿を見ていない。見ていない筈であった。つまりは――

「…………」

――どういうことなの? と佐那子は訝る。あの男は、自分の預かり知らないところでこの機に乗り込んだとでもいうのだろうか?……グナドス人に先導されるがままに男は歩き、佐那子はその様を睨むように凝視する。佐那子の席まで、あと十歩程の距離まで通路を歩いたところで男の手が懐に延びて――


「――――! ――――! ――――!」

「…………!!?」

 単に朝の気だるさを吹き飛ばす以上に、機上の空気から平穏を一掃する効果すら、機関銃の銃声は発揮した。佐那子も含めて、機上の誰もが予想していなかった未来であった。思わず耳を塞ぎながらも、佐那子の眼は男が握る銃に向いていた。拳銃と同じ大きさの短機関銃、だがそのグリップに繋がれた弾倉は、余裕で五十発の弾丸が篭められる程長い。拡がる悲鳴と恐慌と反比例するかのように、発砲と同時に充満した硝煙とその臭いが速やかに薄れていくのを佐那子は感じる。機内の換気装置が機能している証だった……と同時に、銃口が向いた天井に、一つの穴も開いていないことに彼女は気付いた。

「空砲……?」

 呟く佐那子と、黒肌の男の眼が合った。思わず目を逸らした佐那子の耳に、黒肌の男の声が響いた。

「これは警告だ。次は実弾を装填する」

 何時の間に、しかも速やかにグナドス人が通路を塞ぐように進み出た。彼らの一人も例外なく拳銃、あるいは短機関銃を手にしていることに、驚愕を覚えない乗客は一人としていなかった。席上で頭を抱え、震えている乗客もいる。

「…………」

 それまでワゴンサービスに掛っていた異邦人の客室乗務員が、やはり拳銃を手に佐那子の傍に立っている。柔和な目付きが釣り上がっていたのは、乗客に対する敵意の為せる業だけではない、むしろ緊張が、彼女の顔を強張らせていた。

「ダキ、操縦席を制圧した」

 グナドス人に言われた黒肌の男が頷き、操縦席に向かい歩き出した。暫くの静寂――それも強制された静寂――の後、機内回線が開く雑音が天井から聞こえた。


『――乗客に告ぐ。我々は新世界清浄化同盟である。これより当機は我々の統制下におかれる。反抗する者、異論を差し挟む者は我々のやり方を以てこれを処断する。それらの異心を抱かぬ限り、我々は君たちの生命の安全を保証する。三時間後に再度機内放送を行う……以上』

「な、何ですか?……到着が遅れるんですか……?」

 朦朧とした声と共に隣席の毛布が動いた。起き出したばかり、寝ぼけ眼の男が佐那子の横顔を覗き込む。彼に向き直るまでも無く佐那子は言った。

「ハイジャックです……!」




ノドコール国内基準表示時刻1月6日 午後18時21分 ノドコール中南部


 沈みゆく朱い夕陽を横目に、鋼鉄の獣が進む。砲塔にあしらわれた剣虎(サーベルタイガー)の白いシルエットが、疾駆する戦車の上に在ってはまるでそれ自体が勢いを付けて平原を駆け抜けているようにも見えた。


 港街から離れれば、あとは二百キロメートル余りの空間は、荒涼たる大地に埋め尽くされていた。ただ途上、整理の行き届いた田園の傍を獣たちは過っている。一度や二度ではなく、ローラーで地面を踏み固めただけの道沿いに北上を続ければ、いずれはそうした耕地の拡がりに突き当たってしまうのだ。そして田園の近隣には、事前教育で教えられた通りのローリダ式家屋の連なりを見出すことが出来た。ローリダ人の入植地――その過半が焼かれ、あるいは挽き潰されていた。しかも無人であった。


 この時点では、部隊がロギノールの北端に第一歩を標して既に二日が過ぎている。陸上自衛隊北部方面隊隷下、第71戦車連隊第三中隊の10式戦車八両。ロギノールの制圧直後に陸揚げされ、北のベース‐ソロモンとの通交を啓開する北進部隊の主力の一翼が彼らであった。そして啓開は、その途上で未だに一滴の血も見てはいなかった。


 それは恐ろしい兆候だと、第三中隊の先頭車両の車長席に在って戦術情報表示端末を注視する一等陸尉 藤原 均には思われた。それだけで背筋に冷たいものが奔る様な感触を、彼は抑えられないでいた……何よりも此処は、彼が十年前に任官して最初の戦場だ。戦場の空気は三年前の戦闘に参加した先輩格の戦車乗りの話、そしてやはり三年前の戦闘を反映した訓練や演習で少なからず齧った積りではあったが、それでも進む先から此方に向けられるであろう明確な敵意と殺意を、若い幹部は意識せずにはいられない。


 無人偵察機(UAV)のもたらした地形情報に基づく当初の想定では、敵手たるキズラサ国は、我部隊の進路上にある入植地に対戦車部隊をも交えた少数の遊撃隊を潜ませ、伏撃により我部隊の北上を妨害するのではないかと考えられていた。事実、進攻部隊の最終到達目標たるベース‐ソロモンに最も近い入植地には戦車及び榴弾砲、さらには自走多連装ロケット砲をも含む有力な機甲戦力の終結が確認されている。しかし以南に点在する入植地から少数ながらも所在が把握されていた兵力が、我部隊の北上が始まるのと同時に潮が引く様に東西個々の方向へと後退を始めていた。それらの動静を、スロリア方面のベース‐ジャブローに前進展開したE‐767G‐STARS地上警戒管制機が尚も追跡中だ。


 彼らの意図は、機甲部隊が北上を続けるにつれ、痛いほど判ってくる。機甲部隊を駆使して深奥の入植地で北進部隊を足止めした後、東西に退いていた部隊が再び前進し、北進部隊の延び切った側面を衝く。装備と練度に優越する平和維持軍(PKF)に対し、逆撃を担うキズラサ国(KS)軍は相応の損害を負うであろう。一方でPKFは彼らの撃退に成功するだろうが、被る損害の程度によってはベース‐ソロモンの空挺団の救援もまた失敗する……ローリダ人が自軍の壊滅すら当て込んで逆撃を仕掛けてくるとすれば、彼らの戦略が成功する確率は決して低くは無い。


「…………!」

 戦術情報表示端末上。距離を置き東西より我部隊の北上を傍観する形となっているキズラサ国軍に向かい、南から新たな指標が出現して迫る。戦車の速度を遥かに越えた速度で敵部隊に迫る指標が一……いや二、指標が戦車隊の指標と重なるのにやや遅れて、走行を続ける10式戦車の車体が微かに、だが軋むように小刻みに揺れた。


『――ヴァルキリー303、これより攻撃――』

 共通無線回線に若い声が入った。車長席据え付けの全周監視端末、車内にありながら全方位に渡り監視と目標の評定が可能な端末、その右方向に目を流す――地平線の向こうで最初に焔の壁が生まれ、続けて怒涛の如き着弾音が追い縋る。

「中隊長、航空支援ですか?」

 と、操向ハンドルを握る加藤二等陸曹が言った。

「そのようだ……脇腹を突かれる様な眼に合うのは御免だな」

 ロギノール方面から発進したジャリアー軽攻撃機による攻撃であった。J‐STARSの指示する目標に対する、一切の迷いの無い対地攻撃が続く。装甲化された部隊ならば兎も角、実態は軽歩兵にも等しい敵兵にとって、それらは絶対に抗えない死神の到来に等しい。掃滅はできなくとも、その動きは止められる筈だ。


 ロギノールの戦況が落ち着いてからというもの、洋上の航空護衛艦と制圧成ったロギノール飛行場からは五分間隔でジャリアーが飛び立ち、北上する機甲部隊に航空支援を提供している。聞いた話では、本土の作戦司令部ではパイロット及び整備員の過重労働を緩和するべく、スロリア方面はもとより本土よりC‐2輸送機を現地に直行させて交替要員を送り込み、航空戦に関しては万全とも言えるローテーションを構築しているという。つい先日まで本土の航空基地にあって平時の飛行任務に就いていた筈の者が、日が変われば海空数千キロを隔てたノドコール上空、実弾装備のジャリアーを操縦して此方の頭上を航過するということもあり得るというわけで、有操縦資格者ならば誰でも操縦が可能というジャリアーの強みがここで発揮された形であった。


 操縦が容易な上に、基本設計が練習機であることは、習熟に要する時間の短縮にも繋がる。訓練生からすれば、ジャリアー専修が決まった時点でより上級の実戦機たるF-15やF-2の操縦訓練課程がすっぱりと省略されてしまい、その分パイロット教育に要する期間が短縮されるという点は、ジャリアーの操縦資格のみを得て前線に向かう限り、作戦機操縦要員たるパイロットの絶対数の拡充と、早期の戦力化を意味した。ジャリアー部隊に限り、幹部への昇進を待たずして実戦機操縦資格を得る訓練生が増加し、結果として准空尉や空曹長といった幹部昇進の前段階で実施部隊に配属されるパイロットも出始めている……前線展開用の攻撃機としては要求性能を満たしている上に、国外に展開する地上部隊からの航空支援の需要も高まっているとあっては、そうした若年パイロットの数もまたスロリア紛争以降急激に増加し、予備戦力としても厚い層を形成しつつあった。



『――UAVヨクリュウよりチハヤ各小隊へ。前方四千に集落、内部に赤外線反応を複数認む』

「チハヤ11(ヒトヒト)了解。各小隊へ、間隔開け。2小隊(チハヤフタ)は左方、3小隊(チハヤサン)は右方を警戒。速度そのまま」

『――チハヤ2(フタ)了解』

『――チハヤ3(サン)了解』

「交戦はこれを許可する……!」

 交戦――前進命令が下された時点で、それは許可されていた。部下の交戦意思に念を押す意味で、そして、自身の戦意を奮い立たせるという意味で藤原一尉は再度それを告げた。漆黒が周囲を覆い掛けた大地を、鋼鉄の獣が俊足を緩めることなく駆ける。赤外線暗視画像に切り替わった全周監視端末の前方、地平線の端に家屋の影が複数、散らばる様にして佇むのが見えた。人間の気配は感じられなかった。


 戦術情報表示端末の画像を切替える。「ヨクリュウ」こと、高度三千から四千メートルの高みにあって戦車隊に先行する無人偵察機(UAV)からの視界。データリンクにより共有する赤外線暗視画像の中で、まだ見ぬ家々の合間を忙しげに走る真白い人影が無数。彼らの何れもが武装し、中には対戦車ロケット発射機を背負っていると判る者もいる。

 画像を注視する藤原一尉の眼前で、「ヨクリュウ」の視界が廻る――集落の中心と思しき広場、設えられた四基の砲に、藤原一尉の表情が強張った。


「重迫……!」

 陸自の120ミリ重迫撃砲と似た姿の迫撃砲の周囲に、真白い人影が射撃の準備を急いでいるのが見えた。脅威はそれだけではなく、G‐STARSの地上監視レーダーがデータリンクを通じ戦車の存在すら報せて来た。端末上のデジタル地形図に描画された集落の区割り、その東西の端に「戦車」を占める指標(シンボル)が同時に現れる。戦車はそれまで潜んでいた家屋を喰い破る様にして外に出、積極的に前面に出ようとしている。重迫の射撃支援の下、東西より我部隊を挟撃する構えなのだろう。


「前方敵戦車。数六ないしは七。左右より我部隊を伏撃する模様……それと集落内に重迫陣地を認む。我部隊は覆煙により攪乱、然る後各個応戦し集落内の敵を掃討する!」

『――チハヤ2(フタ)!』

『――チハヤ3(サン)!』

「全車覆煙(スモーク)!」

 弾ける音と共に。砲塔から濃い白煙が吹き出す。疾駆する戦車隊の周囲を煙幕が覆い、多機能表示端末の画面が漂白されるのも一瞬――自動的に調整された赤外線画像は、迫り来る集落の外縁と、そこに点在する小規模な塹壕に潜む人影の蠢きを捉えていた。


「前方集落。対戦車壕、榴弾、班集中、撃て!」

 砲弾の装填から射撃――そして着弾まで全車同時。それも目の覚める様な迅速さであった。前進する「チハヤ」第一小隊四両の一斉射撃、黄昏のとうに過ぎた大地の冷気を割いて一直線に伸びた初弾が、集落のすぐ外に向かって刺さる。空家すら巻き込んで拡がる着弾の焔と衝撃に、着弾観測に当たる筈だった監視壕は沈黙した。初弾を生き残ったローリダ人はいなかった。集落の中心から延びた赤い弾幕が無数、暗み掛った空を背景に花火の様な放物線を描いて戦車隊の頭上に落ちる。だがそれも、着弾を修正する者が死んだ今となっては戦車隊が過ぎた地面を虚しく抉るだけであった。


 10式戦車は駆けつつ撃った。五発ほどを連続して撃ち続けたところで第一小隊は集落に達した。かつては壕であった場所、ローリダ人の家であった処に乗り上げ、あるいは踏み潰して戦車は進む。

 多機能表示端末に現れた敵戦車の指標を、藤原一尉は画面に指を充てて「捕捉」した。目標方向は九時。伏撃に対処するべく西寄りの針路を取った第二小隊とぶつかる筈の敵戦車隊の最後尾たる一両。目標自動追尾モードに転じた10式の火器管制装置(FCS)が砲塔を廻らせ、目標方向に向かって止まる。起伏の激しい大地を走り続ける10式の車上に在っても、砲塔だけは藤原一尉の指示した目標を狙い続けていた。


「九時方向。敵戦車、対榴(対戦車榴弾)、撃て!」

 距離一千。家屋の隙間を縫うように放たれた一発は、廃屋より抜け出した敵戦車の砲塔を、その側面から貫いて炎上させた。反攻が挫かれ焔の塊となる鋼鉄の塊――敵戦車の車種が新型のガルダ―ンであることに、藤原一尉はその時初めて気付いた。作戦前にその存在とキズラサ国への供与が周知されていた、増着装甲付きの改良型ではないかと藤原一尉は思った。直観は正しかった。


 戦争を仕掛ける無謀さを別にすれば、三年前の戦いからローリダ人は明らかに学んでいる。改良型のガルダ―ン戦車などはその例のひとつだ。砲塔及び車体に短冊状の増加装甲を張り付けた型の他、前世界のWWⅡ期のドイツ戦車宜しく、車体両側に砲塔までをカバーする壁状の装甲板を張り付けた応急的な改修型の存在も確認されている。彼らの本国では、日本で言う120ミリ相当の口径の戦車砲を有する全面改修型も試作されたという未確認情報まで、現場の装甲科隊員には伝わっていた。


 前方正面に拡がる広い耕地帯、その遥か先に連なる家屋と塹壕の拡がりを藤原一尉は見る。戦術情報表示端末の地形図は、彼らの踏み出す先に対戦車地雷の埋伏が疑われることを示していた。作戦開始前の航空偵察、偵察衛星のもたらした情報だった。勢いを駆って耕地に飛び出した我部隊を地雷で足止めし、対戦車火器の集中射で仕留める寸法なのだろう。遠方、それまで隠匿してあったのか、家屋の壁を破る様に対戦車砲が次々と引き出されるのが暗視画像に見える。


「前方、敵防衛線。榴弾、班集中、連続撃て!」

 小隊長が撃てば部下もそれに倣う。データリンクがその傾向に更に拍車を掛けている。砲口から吐き出される光の礫が防衛線に向かい真っ直ぐに飛ぶ。着弾の数だけ火柱が生まれ、それらは初々しい夜空を禍々しく穢す。射程、威力、そして命中精度の何れにおいても、10式戦車には絶対の優位があった。破壊された防衛線を放棄し、逃げ惑う敵兵を横目に、「チハヤ」は迂回路を進んだ。

「一時方向。敵戦車二両、徹甲二連射、撃て!」

 目標は進行方向より家屋を隔てた路上であった。マイクに叫び発射ボタンを押す。曲射で放たれた徹甲弾は二発。それらは曲線を描き家屋を乗り越え、斜め上からガルダ―ンの砲塔を射抜く。弾け飛ぶ砲塔、吹き上げる火柱が二本――なお戦闘地域上空に張り付くUAVとより後方の空の高みにあって戦場を睨むG-STARSの電子の視界が、前線を進む10式にも共有されているが故に為し得る芸当であった。


「二号車、三号車、前進観測班に目標情報を伝送しろ。中央広場だ」

『――二号車了解!』

『――三号車了解!』

 破壊した防衛戦になおも射撃を続けつつ、部下たちが応じる。彼らが捉えた赤外線画像と位置情報が戦車隊に後続する特科部隊に共有される――155mm榴弾砲を積む火力戦闘車を主力とした火力支援部隊だ。

「前進観測班、こちらチハヤ11、射撃要求、集落中央の重迫陣地一帯。たのむ。送れ」

 共通回線に別働隊の通信が増してきた。二小隊、三小隊ともに敵戦車隊と遭遇を果たし、さらには優勢に対戦車戦闘を進めている。そこに、射撃を終えた特科部隊の通信がイヤホンに入ってくる。


『――こちら前進観測班(FO)、初弾同時弾着まであと十秒』

「三時方向。装甲車、榴弾、撃て!」

 家屋の影を縫って迫るオープントップの半装軌車、荷台に長砲身の無反動砲を据えた対戦車車両に向けて撃つ。有無も言わせぬ弾着は紅蓮の焔となって周囲に散る随伴歩兵をも巻き込み、火は家屋すらも烈しく犯し始めた。

『――弾着まで五……四……三………一……ゼロ!』

「――――っ!」

 40トンの車体が烈しく揺れる。着弾した初弾は四発でしかなかったが、一発あたり百メートルに及ぶ危害半径を有するクラスター式弾頭では弾数の少なさは問題にはなり得なかった。正式名称 03式155mm榴弾砲用多目的弾。砲弾はGPS弾頭により正確に目標上空に飛来し、そこで五十発の子弾がばら撒かれる。炸裂の直下に在って、逃れることのできたローリダ人はいなかった。子弾により潰される装甲車と火砲、そして引き裂かれる人間の躯――追い打ちの様に戦場上空に達した二弾目六発も夜空に烈しい光を生み、地上に死と破壊を撒き続けた。子弾の炸裂が埋伏したままの対戦車地雷に誘爆し。それは期せずして戦車隊の道を啓く効果をも生んだ。


『――こちらFO、撃ち終わり!』

「一小隊各車へ、躍進し村の北に出るぞ!」

 前進を藤原一尉は命じた。滑らかに向きを変えた10式戦車が、荒廃した土地を踏み締めて走る。追従する部下の10式が、左右に砲塔を向けてなおも射撃を続けていた。戦術情報表示端末上の目標、現在別働の二小隊、三小隊が対峙している敵部隊に向けて攻撃を続けているのだ。喩え肉眼で目標を捕捉できずとも、10式戦車ならば別働隊の捉えた目標情報を元に攻撃を加えることが出来る。敵はそれを知らず、思いもかけぬ方向から飛来する戦車砲弾に蹂躙され、そして南から追い上げられ戦力を削りつつある――


『――チハヤ2、敵軍の後退を確認!』

『――チハヤ3、敵兵逃亡の模様』

「追撃はするな。空自が仕留める!」

 穴の穿たれた耕地を悠然と乗り越え、全開した家屋を踏み潰す戦車の車上に在って、藤原一尉は命じた。赤外線画像の見せる周辺の何処にも、生きている何者かの所在は掴めなかった。降伏する兵士の一人ぐらいは、いてもいいのではないか?……それまで勝利の安堵と好奇心の赴くままに廻っていた藤原一尉の眼が、電子の視界の一隅で怪訝に歪む。


「一時方向、生体反応」

「捕虜ですかね?」

 操縦士の陸曹が言った。その声には勝利の余韻が既に感じられた。かつては集落の何処かであった筈の瓦礫の山を踏み締めて、そしてとぼとぼと10式戦車の前に進み出る真白い人影が独つ――


「子供?」

 訝る様に藤原一尉は呟いた。背の低い人影、より鮮明に調整した画像が、見出した相手が年端もいかない少年であることを彼に教えた。襤褸を纏い、疲弊しきった足取りを隠さないローリダの少年――彼が引き摺る様に担う物体に気付き、藤原一尉が絶句する。


「対戦車ロケット……!」

 操縦士の絶句と同時に少年が「それ」を構えた――鮮明な画像の中で、敵意に満ちた目のぎらつきが判然と映えていた。呆気に取られつつ少年を凝視する戦車隊員たちに、少年の声にならぬ怒りが投げ掛けられる。


 ――此処は俺達ローリダ人の土地だ! ニホンの蛮族は出ていけ!


「――――ッ!?」

足下の同軸機銃発射ペダルを踏もうとして戸惑う――戸惑いから脱し得ぬまま、少年の肩が光るのを藤原一尉は見送る。


――至近距離。

――放たれたロケット弾は、寸分違わずに10式戦車の砲塔を正面から貫いた。





日本国内基準表示時刻1月5日 午後20時20分 東京 内閣総理大臣官邸地下 官邸危機管理センター


『――われわれ新世界清浄化同盟は、新たな闘争を開始したことをここに宣言する。本日未明、クイ‐カルサバルを筆頭とするわれわれの同志十名はニホンの旅客機を制圧した。われわれの目的はただ一つ、平和である。われわれ新世界清浄化同盟は、ニホンの侵略軍のノドコールからの即時全面撤退を要求する。要求を達成する期限は、これを再度別の機会に表明するものである。ニホン政府の誠意ある回答を期待する』


 放送画面の中で、折り目正しい衣装を着こんだ壮年男性が文書を読み上げている。グナドス王国政府官僚の制服であった。声明の背景装飾とデスクの調度が、彼の国において定時のニュース放送であることを映像に接する者に教えていた。


『――現時点では、368便は沖縄より南南東寄り三千キロメートルの海上をエウスレニア方面に向かい南下中でございます。あと二時間の航程でエウスレニア領空に到達するものと考えております……』

 別の画面上、フラッシュの瞬く中を、首筋に冷や汗を滲ませたスーツ姿の男がマイクに語る。引き攣った顔は始終変わらない。たどたどしく、その上に重苦しい口調であった。国内は元より国外にも航空路を拓き、「転移」を経ても今なお空路の拡大を続けている一大航空運輸事業者たる新日本航空、その緊急事態対応部門長の、この日三度目の記者会見の光景だ。彼の発表を追う様に、記者連の畳みかける様な質問が続く。口調だけは切実に聞こえるそれらに対し、部門長は「調査中」、あるいは「交渉中」との言葉を連発し、全てに明快な回答を避け続けている……


「……新日空側はよくやってくれています」

 と、報告に訪れた国土交通大臣 吉田 悌悟が言った。打開策を策定しハイジャック犯に対するためにも、日本側は当面は受け身たるを演じなければならない。そのための情報統制であった。会議室の壁面の一角を占める高角ディスプレイ上で、北上から一転、南下を以て日本から遠ざかりゆく赤い航跡が一筋――「7500」の数字を被せたまま南下する指標がひとつだ。

「7500」とは、非常時にのみ発信が許される三種の緊急信号のうちひとつで、「ハイジャック」の発生をそれは示していた。事態の発生を受けた機長が、即座に自動応答装置(トランスポンダ)の周波数を7500に合わせることにより、数千キロを隔てた日本に在って当該機の航跡を追う運航管理室に緊急事態の発生を報せることとなる。その後の流れは、いわゆる「戦時」であるが故に、非常時の国家中枢たる危機管理センターにまでほぼ自動的に報告が行き着くというわけであった。


「エウスレニアに通告は?」

 と、円卓の上席に在って、内閣総理大臣 坂井 謙二郎が言った。傍らの内閣官房長官 蘭堂 寿一郎が応じた。

「鎌田外相が現在エウスレニアのキーロン外相と電話会談を始めている筈ですが、未だ終わる様子はないですね」

「向こうで足止めが出来ればいいが……」

 ハイジャックされた368便の向かうエウスレニアは、建国以来五百年の歴史を誇る王国で、「転移」の時期も日本とほぼ期を同じくしている。それ故か日本との物資、人間の通交も濃密なものがあった。ハイジャック機の降りる公算の最も高いと推測される首都ラルバのアンガニ王太子国際空港にしてからか、日本の政府開発援助で整備が為されている。現地政府との協働が巧く進めば、事態の早期収拾も夢ではない筈であった。


「……エウスレニアには我が警察庁の特殊急襲隊(SAT)の指導を受けた緊急対応部隊もあります。警視庁警備局の国際テロリズム緊急展開班(TRT‐2)も向かわせておりますし、今日中にもエウスレニア方面で現地担当者と合流できるものと思われます」

「合同作戦を考えているのかね?」

「はい、エウスレニアの当該組織に助言が出来ればと考えております」

 警察庁長官 乃木坂 兵吾が緊張を隠さない、かたい口調で言う。坂井首相もその報告は既に受けている。要員の派遣輸送には空自のU‐4多用途機を使っただけあって、緊急時の初動対応としては満点に近いと自賛してもいいのかもしれない。


「筧陸将、ローリダ本土における爆発事故監視の経過はどうか?」

 蘭堂が言った。末席から彼に向き直った防衛省情報本部長 筧 正毅陸将は、先日の真夜中からすでに防衛省地下の中央指揮所から此処に移動を果たしている。官房長官を真っ直ぐに見据え、筧陸将は言った。

「報告致します。爆発はやはり核爆発でした。衛星及び大気観測の結果、核爆発特有の地表の変化を確認し、爆心及びその周辺四十キロメートル余りの範囲より、基準値を超えた放射線の発生を検出しております」

「…………」

 不思議と、動揺の声は生まれなかった。今となってはただ沈黙を伴った激しい眼光が一斉に発言の主に向けられている。筧陸将の報告は、先日に発せられた第一報の段階で、可能性の一つとして知らされていた事であった。そして今回の報告は、その可能性の発現を、確認するだけの効果しかこの場の一同にはもたらさなかった。


「彼らの核関連施設が、爆発し、壊滅したということでいいのかな?」と坂井総理。

「核関連施設……厳密に言えば、彼らの有する唯一の核兵器生産 貯蔵施設が壊滅したのです」頷き、筧陸将は応じた。

「そんな命令、出したか?」

 真顔をそのままに、坂井総理は蘭堂に聞いた。

「命令も出しておりませんし、そのような進言も受けておりません」

「そうだな?」と言いたげな顔を、蘭堂は筧陸将と統合幕僚長 松岡 巌陸将に向けた。二人はほぼ同時にした同じ顔をそのままに蘭堂に頷いて返した。同意一割に困惑九割……という風な、微妙な表情であった。喩え武官たちがその種の作戦を実際に進言したところで、坂井たちは事が失敗――あるいは事前に露見――した際に発生し得る政治的、外交的なリスクを考慮して容れなかったであろうし、当の武官らも実施の困難さからそのような作戦を進言はおろか立案しようとも考えなかったであろう。蘭堂の武官たちに向けた疑念は、自分たちの過去に下した決定の確認作業の一環であるのに過ぎない。ただし……この衝撃的な展開が公になったとき、「日本の長い手」の介在を疑い始める者は、この国の内外に少なからず出てくるはずである。


「……松岡幕僚長、今回の核爆発について、ノドコール方面の戦線に与える影響についてどう考えるか?」

 尋ねた坂井総理に、松岡は向き直った。

「核兵器生産施設の壊滅こそ起こりましたが、ロメオ側にはなお直前線の基地に配備したままの核兵器があり、それらを運搬するための手段も健在です。むしろ核兵器供給の手段を失ったこの瞬間こそ、ロメオをして核兵器の投入を容易に決断せしめる契機となるやもしれません」

「追いつめられるということか?」

「はい、仰せのとおりです」

「核兵器は、幾つ残ってるのかな……」

 と、蘭堂が呟く様に言った。筧情報本部長が言った。

「……これまでに収集した情報を総合した結論が、ロメオ本土における配備数が確か九十七発であったかと」

「ノドコール共和国とやらには、渡っていないのだな」

「それは……昨今の調査体制の不備もあり断言しかねます」

「情報収集は継続しているのだな?」

「はい」

「…………」

 蘭堂と坂井の眼が、期せずして合った。蘭堂の眼が、坂井の決断を促していた。腕時計に僅かに視線を落とし、坂井は言った。

「蘭堂君、次の定例会見でこの件の説明を行うとともに、鎌田外相とも諮ってロメオの本国に事態収拾のための協力を打診してくれ。我が国は、彼らが必要とするものは可能な限り提供する用意があると」

「…………!?」

 困惑の動揺が一座から漏れた。特に背広姿の閣僚と文官にその傾向が顕著であった。彼らを往なす様に、坂井の眼が険しくぎらついた。

「我が今戦争をしている相手は、ノドコール共和国を自称するごろつき(・・・・)であって、ローリダ共和国を自称する政治勢力ではない。混同は許されない」

 松岡、筧両陸将をはじめとする武官らの表情は、閣僚らのそれと対極を為す様に落ち着き払っていた。坂井の意図を察したが故の表情の余裕であった。支援の用意ありと世界に表明することで、日本はノドコール共和国のみを敵としてこの戦争を続けているとの意思を明確にする。意思を表明され、援助を打診されたローリダ側としても、日本がローリダを敵視しないと表明した以上、あからさまな敵対行為、あるいはノドコール共和国に対する肩入れを思い止まらざるを得ないだろう。支援の打診はもう一面では、日本側がノドコールに戦線を展開しつつも、ローリダ本国に向けている監視の目を必ずしも緩めていないという意味で、少なからぬ牽制としても作用する筈であった。これらの「配慮」が機能すれば、ノドコールにおける外交面での主導権を、日本が一手に握ることも叶うかもしれない――


「――果たして、巧くいくでしょうか?」

「彼らは三年前の敗北で学んだ筈だ。我が国を敵に回したときに起こる著しい不都合についてな。学ばなかったというのならば……」

「……わかりました。鎌田外相とも話し、総理の意向に沿う様に致します。それと……ハイジャック犯に対する回答ですが」

「わが国はいかなるテロにも屈しない。以上」

「……はっ!」

 坂井総理の回答は明快で、それはこの場の誰もが当然の様に期待していた回答であった。テロへの屈服は新たなテロリズムの発生に繋がる。それは主権国家たる日本の、屋台骨を容易に揺るがし得るであろう。

 広範な情報表示端末の電子地図上では新たな動きが始まっていた。ロギノールからベース‐ソロモンを結ぶ人為的な直線。その丁度中間点に位置する指標の色が赤から青に転じる。先刻までそこを占めていたキズラサ国(KS)が一掃され、北上中の平和維持軍(PKF)が集結を始めた証であった――そして同じく、ロギノールから東よりに北上を始めるヘリコプターの一群。




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