第七章 「アークライト」
ノドコール国内基準表示時刻1月5日 午後1時24分 ノドコール中部 アリファ飛行場(旧ベース‐ソロモン)
尋常ならざる質量が放物線を描いてアスファルトの平野を叩き、そして砕く。鉄の重い雨。それも豪雨であった。永遠に続くかと思われるほどの榴弾砲の雨だ。
この日の朝、未だ日の昇らぬ内に完遂された「アリファ飛行場」ことベース‐ソロモンの奪回は、それから数時間後に挫折の危機に直面した。キズラサ国の野戦拠点が所在した飛行場西方は、事前の巡航ミサイル攻撃で徹底的に叩いた筈が、それが実際には不徹底であったことを奪回部隊は今まさに思い知らされている。
否……実際には連中は西方の山間部にそれ程大兵力を張り付けていなかったのではないか?……と、即席の待避壕に身を潜めつつ、奪回部隊の指揮官 沖本 司二等陸佐は考え始めていた。こちらの事前攻撃を予測した敵は初めから山間部という高度の優位を捨て、兵力を飛行場周辺の各所に分散させて空からの攻撃による被害の抑制に努めたのではないか?……あるいは、迅速な反撃態勢を整えるために。
その間も、大地は揺さぶられ続けている。
まるで戦前から存在した全ての建造物が消滅するかのような勢いで砲撃は続いていた。これが準備射撃とすれば、キズラサ国軍は次には多方向より歩兵を突入させ、飛行場内への浸透を図るかもしれない。砲撃が滑走路自体にすら注がれていることも気になる……つまり敵は、もはや滑走路を奪取というよりも滑走路をも包含するベース‐ソロモンという「土地」の奪回に拘泥し始めているのではないか?
広域多目的無線機を背負った通信士を顧み、沖本二佐は言った。
「航空支援まだか?」
「攻撃機到達まであと二十分!」
攻撃機の手配は既に行っていた……というより奪回作戦の枠内に含まれた既定事項と言ったほうがよいかもしれない。ただしそれは当初の想定では単にロギノールから北上する援軍の到着まで占領状態を維持するための、キビル方面に近い北部、東部よりベース‐ソロモンを指向し得るKSの別兵力に対する阻止攻撃のようなものであって、こちらからの要請に基づき、空自が適宜近接航空支援を行う手筈になっているというものではなかった。したがって、目標の選定と補足に要する時間も相まって迅速な対処は期待できないところだ。
更には、ベース‐ソロモンとロギノールを繋ぐ南部連絡路にも敵の出現が報告され始めている。それも戦車すら伴った重武装の集団が複数。平和維持軍による制圧成ったロギノールでは一〇式戦車の陸揚げと部隊移動が始まっていると聞くが、この報により円滑な合流はもはや望むべくも無くなっている。敵の意図が二重包囲によるベース‐ソロモンの再奪還と我部隊の包囲殲滅にあることは火を見るよりも明らかであったが、我方としては、それすら事前に覚悟されていたことではなかったか?
「『かつらぎ』より発進のジャリアー四機、戦線上空まで北上中。後十分で到達します! 目標の指示を求めています」
指揮所用戦術情報表示端末を睨んでいた陸曹が言った。
「砲兵陣地の所在がわかるか?」
「所在確認まだ!」
『――こちら第二中隊! 北側より民兵が接近! 現在応戦中! 敵の数およそ二百ないしは三百!……戦車も伴っている!』
「戦車は何だ? ガルダ―ンか!?」
『ソミュ17と思われる! 数八ないし十!』
前線からの報告に、沖本二佐はやや愁眉を開いた。事前の情報ではキズラサ国も戦車を保有し、その中には新型のガルダ―ンも含まれている。敵部隊にそいつが含まれていないということは、首都キビル近傍で温存されているか、南部戦線――友軍機甲部隊が進撃する途上――に集中配置されている……ということも考え得る。ガルダ―ンより装甲や砲威力で劣るソミュやガルドといったローリダ製二線級戦車が、対装甲火器を有する普通科部隊にとって与し易い相手であることは、三年前のスロリア紛争で既に実証されている事実であり、飛行場の周囲に防御陣地を形成する空挺団各小銃班のいずれにも対装甲火器が充足しているが、それでも援軍が恃めない状況では限界を考慮せざるを得ない。
「中距離多目的誘導弾で支援させる。目標を照準したら知らせろ!」
砲撃を避けて一時退避させたMMPMの展開を、沖本二佐は命じかけたところで止めた。砲撃は未だ続いている。弾着には榴弾砲の他には野砲、あるいは迫撃砲と思しき軽量弾のそれまで混じり始めているのを沖本二佐ならずとも察し始めていた。まとまった数の砲兵に軽戦車、そのような戦力を今まで分散し温存させていたというのか……!
「各個防御に専念せよ。まず砲撃を排除する」
『――了解……!』
前線からの応答に機銃の発射音が重なる。我に対し準備砲撃を続けながら防衛線突破に向け歩兵を前進させる――まるで自軍の砲撃による味方の犠牲すら厭わぬKSの攻勢に、指揮所は戦慄を抱き始めている。
「エインロウより海自哨戒機三機発進。あと三十分で戦線上空に到達する模様!」
「『アークライト』か?」
「はい!」
爆装した特別仕様のP‐1洋上哨戒機を、今次の作戦では「アークライト」と呼称する。ただしこれは地上部隊単独での飛行場防衛が絶望的になった際の「保険」のようなものであって、「アークライト」の抱える爆弾は敵軍の撃破というよりもむしろ基地機能の完全破壊に向けられ得る性格のものであった――すなわち奪回作戦の挫折。挫折と基地の放棄を決断することができるのは、この修羅場では沖本二佐ただ一人である。
「北側に他中隊より増援を回しますか?」
「そうだな。東の一中隊より一個小隊を北の防衛線に回すよう手配してくれ」
「これ以上航空支援は期待できないか……」
指揮所の誰かが言う。端末上の戦況表示を眺める要員たちの目に、苦渋が滲み始めている。歩兵ばかりで守るに、ベース‐ソロモンは適当な場所では無い。そこに敵の逆撃に起因する空中からの物資投下の中断が重なり、孤立に対する恐れはじんわりと将兵の精神を侵食し始めていた。
「境界を越えて西進中の第14旅団、KSの別部隊と接触、交戦に入った模様。空自の航空支援は当方面に傾注されつつあり」
「14旅団が……?」
指揮官用情報表示端末を沖本二佐は覗いた。開戦を期してノドコールに侵入を果たした二個戦略機動旅団からなる別働隊は、うち北側からの侵攻を企図した14旅団がKS軍の迎撃に直面する形で停滞を強いられようとしている。そこに、ノイテラーネ方面の前進基地から発進した空自機の支援が集中し始めていた。それら以外にも、空自派遣部隊は単独でノドコール国内のKS拠点への空爆を続けている……特に、連中が独自の軍事力を充実させていく過程で、本国から送られた「援助物資」の中にあったという「地対地弾道弾」の存在が、平和維持軍司令部をして手持ちの航空戦力の過半をその捜索と掃滅に注がせる動機となっていた。
「航空支援の取り合いだな……これは」
「確かに取り合いですが、まずこいつに勝たなければ我々の生存すら覚束きません」
「まずは身内と争うのか。こんなの……まともな戦と言えるか?」
沖本二佐は皮肉っぽく表情を顰めて見せ、部下は苦笑で応じた。今やPKFの戦闘行動は潤沢な航空支援が前提と化してしまっている……にしても自衛隊の場合、実態として支援に当たる航空戦力はその絶対数からして不足しており、ただ分厚い空からの支援という言葉のみが三年前のスロリア紛争から一人歩きを始めてしまっている観があった。
「大隊長!」
指揮所付きの陸曹が声を弾ませた。彼に差し出された小隊用無線機に充てた耳に苛立った日本語が入って来た。降着と飛行場侵入に際し誘導の一切を担ってくれた現地情報隊の指揮官だ。現地人義勇兵を率いる彼らは今、飛行場の周囲に分散して潜伏し、迫るKS軍の動きを探ってくれている。土地勘のあるノドコール独立軍との協働が、この際力を発揮した形であった。
『――沖本二佐、北面のKSが勢力を増している。ガルダーンもいるぞ!』
「そこからKSの砲兵陣地が見えるか?」
『――ここからは砲撃中のやつが五基見える……レベ5榴弾砲だな。新型のやつだ』
「ジャリアーで潰す。そちらが誘導してくれ」
『――了解。レーザーを使う』
前進観測点の確保という、副次的な任務も有しているが故に現地情報隊はレーザー目標指示装置を持参している。あとはLTDより目標に対し発振されたレーザー反射光を受信したジャリアーが、計測された緒元を元に対地攻撃を行えばよい――やがて薄い雲の向こうから、金属的なジェット音が迫ってくるのが聞こえ始めた。
『――こちらベースソロモン前進観測班。ジャリアー、目標を照射した。飛行場の北側だ。いつでもいいぞ』
『――こちらヴァルキリー204、反射光を捕捉した。これより攻撃!』
FOとジャリアーの交信を聞きつつ、沖本二佐は飛行場北側の空を睨むようにした。雲間を貫く様に躍り出た黒い機影、だが雲雀のように小柄で儚げな機影が、敵陣に射下ろされた鏃の様に山間の一角に降下していくのが見えた。
『――投下!』
空気の汚さもあるが、距離があるせいで投下された爆弾の軌道を追うことはできなかった。それでも緩降下から上昇に転じたジャリアーが、前翼端より水蒸気の膜を吐きつつ回避行動に移るのが見えた。枝垂れ柳の様に撒き散らされるフレアー、それらに地上が目を奪われているうちに山間の一隅が瞬き、次には地鳴りにも似た爆発音が耳朶を打つ。火焔混じりの黒い煙が柱のように立ち昇るのが見える。弾薬に引火したのか、爆発はさらに拡がりを見せ始めていた。途切れ始める砲撃……上空を旋回する脅威の存在に、敵は今更のように気付いた様子であった。
「MMPMを前へ!」
砲撃が途切れるのを見計らい、中距離多目的誘導弾の展開を沖本二佐は命じた。防衛線に目標へのレーザー照射の指示が飛び、前線の要請を受けた発射装置が次々と多目的誘導弾を虚空に解き放つ。戦術情報表示端末の中、前線に在る前線監視装置の画面いっぱいに稜線を越えて防衛線に迫ってくる戦車の影を前に、沖本二佐は思わず息を呑んだ……サイドスカートを履いた車体、御椀形の砲塔から車体前面に亘って張り巡らされた短冊状の増着装甲板――それらはこれまで映像資料の中でしか目にしたことの無い、紛れもない改良型ガルダーン戦車の特徴であった。端末の中で白煙を曳き上方から迫る誘導弾がガルダーンの影と重なり、視界が漂白される――
『―― 一両撃破! 撃破!』
通信回線を歓喜の声が交差する。飛来する誘導弾に貫かれた戦車が燃え上がり、あるいは火に包まれつつ迷走して止まる姿が飛び込んでくる。前線突破の寄る辺たる動く盾を失い、敵兵の動きは明らかに止まった。
「ジャリアー隊に要請、航空支援を北部防衛線に集中させよ」
攻勢を完全に挫く必要を沖本二佐は感じていた。指揮所から至近の場所で代わる代わる降下しては爆弾を投下し、銃撃を加えるジャリアーが三機。部下とロギノールとの無線交信が、飛行場上空に到達するジャリアーがあと八機は控えていることを教えていた。しかし――
『――こちら第二中隊、敵兵が後退! 後退を始めた!』
「第二中隊、防衛線の再構築と負傷者の後送を急げ!」
飛行場各所に隠蔽配置した軽量対人レーダーが不穏な兆候を訴え始めていた。山間部を蠢く人影、ただしそれらを単に複数と片付けるのにはレーダーの反応は大きく、連隊……ことによると旅団規模の兵力の接近を、対人レーダーは指揮所の沖本二佐らに教えていた。
「無人偵察機を出せ。北側を探らせる」
空爆を逃れた野砲、あるいは迫撃砲による射撃が、散発的ながらも始まっていた。全翼型の軽量無人偵察機を担った隊員が、硝煙の満ちる空に向かい無人偵察機を投げ付ける様に投じる。戦場を舞う重たい気流に乗り、モーター駆動の推進プロペラの快音を轟かせつつ無人偵察機が北に向かい高度を上げていく。
『――第三中隊より指揮所へ、西方より大規模な敵民兵の移動を確認! 多連装ロケット弾と思しき攻撃を受けつつある!』
悲鳴に近い報告に追い打ちをかける様に、滑走路が着弾に揺れる。それも西側であった。敵の攻撃は防衛線を飛び越え、指揮所の所在する南側にも及ぼうとしている。先行のジャリアー編隊三機は、すでに帰投コースに入っていた。手持ちの弾薬が尽きたことも然ることながら、スロリア南部海上の航空護衛艦を起点にする彼らにとって、ベース‐ソロモンは航続距離の関係から進出の可能な北限に位置している。そのスロリア南部、1月4日の戦闘で奪取したロギノール飛行場はといえば、揚陸を果たした陸空自の施設隊によって急速に再整備が進んでいるが、前線飛行場として活用するには未だ時間を必要とした。しかも飛行場周辺には掃討を逃れたKSの残存勢力が潜んでいて、友軍に対して散発的に襲撃を仕掛けているという……
「敵も中々動きが早い」
「……八方塞がりってやつか……!」
「大隊長!」
戦術情報表示端末を睨んでいた陸曹が声を弾ませた。その理由はすぐに分かった。飛行場とその周辺をカバーする電子地図の一点、東側より迫る機影が四つ――
「――空自のF‐15Jが四機……飛行場北側を指向!……航空阻止に入るものと思われる!」
暴力的なジェットノイズが指揮所の天蓋を揺るがした。イーグルはその翼を見せつけるようにして飛行場の直上で旋回し、北部の山間部に向かい加速する。ただし、それで西側の脅威が払拭されたわけではない――
『――こちらアークライト、戦闘地域上空に到達。ベース‐ソロモン、目標指示を乞う』
「アークライトに指示、北防衛線と西防衛線だ。急げ!」
この瞬間、パズルの片が合致した時にも似た感覚を抱いた者は、沖本二佐だけではなかった筈だ。沖本二佐の指示は、それを具体化するために必要な行動を促していた。防衛線からの報告に基づき示された爆撃目標、データリンクを以て自機の火器管制装置に目標情報を取り込んだP‐1洋上哨戒機を示す指標が、戦術情報表示図の中で個々の目標に向かい旋回を始める。本来の役割は対潜哨戒機だが、この場においては一機に付き500ポンド通常爆弾二十発を抱いた「航空支援仕様機」――否、今となっては自衛隊の保有する唯一の「戦略爆撃機」――と言うべきであろうか?
『――アークライト1、目標視認、飛行場北部山間部。針路045、制圧爆撃』
『――アークライト2、復唱。続航する』
三機のP‐1は散開し、うち二機が北部に向かう。だが、密雲犇めくこの悪天候では合計二十発の航空爆弾を抱いた鳳翼を地上から仰ぎ見るのは難しい。搭載レーダーを元に爆撃を行う三機は、戦闘空域に到達した時点で既に三万フィートの高みにいる。ただ密雲の切れ間、その高空に在って搭載する四基のエンジンの曳く軌条のみが、空寒い禍々しさと共に地上の人間に薄らとP‐1の存在感を印象付けていた。
『――スタンバイ……マーク……投下いま!』
切り離された爆弾は山間を舐めるように降り注ぎ、等間隔を置いて着弾した。鉛色の煙と鋼の暴風雨が山肌を削る様に拡がる。死と破壊に彩られたその場にいた数千単位の戦闘員が、自衛隊の防衛線に到達するまでも無く死んでいき、戦闘単位としての存在もまた消失してしまった。
「すげえ……!」
身を顰めた塹壕から僅かに目線を擡げ、若い空挺隊員が言った。
北部防衛線に詰めていた彼が目にしたのは、まさにその着弾の瞬間であった。山腹から麓に至る広範囲にばら撒かれた爆弾が、緑の山肌に焔と鉄の赤い花を咲かせる。山間より湧くように山を駆け下り、防衛線に迫っていた敵兵は、焔の壁を前にその影諸共山から消し去られた。
ベース‐ソロモンの西側においても同様の光景は生まれた。ただし、爆弾の降り注いだ場所が、遮る物の全くない平原であったという事実が、KSの民兵たちから逃げ場を奪った。投下された500ポンド爆弾は二十発、それは陸自制式のFH70 155mm榴弾砲用の標準弾一発の重量に換算して約100発分、言い換えれば三個特科連隊の一斉射撃に相当する破壊がその場に生じたことになる。一瞬で火力を叩き込まれる側としては溜まったものではなく、「侵略者」ニホン人掃滅に向けられた武装も、装甲も、そして敵意すらも焔に灼かれ、衝撃波に弾き飛ばされていく。
『――アークライト全弾投下。全機集合。帰還する』
密雲が大きく切れた。その向こうで伸びる十二条の白い軌条が緩やかに東に向かって曲がりつつ、重なる。ベース・ソロモンの周囲から、一切の人間の気配が消えた。
「…………」
雲海の彼方、遠ざかりゆく軌条の連なりを、沖本二佐は半ば茫然として見送った。半ば戦慄を伴った興奮が、彼の屈強な背筋を駆け抜けていた。広範囲に亘り敵戦力を掃滅し得る程の航空戦力、それは防衛大学校を卒業した彼が、幹部自衛官として任官した頃の自衛隊には未だあり得ないものであり、むしろ構想すらされ得ないものである筈であった。四発エンジンの洋上哨戒機たるP‐1、だが今となってはそれは、日本という国家の有する強大な航空戦力の、万能性の象徴であるように沖本二佐には思われたのであった。結果として「戦略爆撃機」P‐1は奪回して間もないベース・ソロモンをローリダ人の逆撃から守り、ひいては沖本二佐と彼の部下たちの生命をも救った。
「――北防衛線より報告。KS、後退しつつあり」
陸曹の報告に我に返り、死傷者の掌握に努めさせるよう各防衛線に向かい指示を出す。特に空挺団と並び防衛戦に従事したノドコール王国軍の損害は大きい。装備が劣ることも然ることながら、本質が俄か仕立ての反乱軍であるという要因が、彼らの損害を広げているようにも思われた……人間を満載した高機動車が荒々しく泥濘を抉り、沖本二佐の眼前に滑り込む。車が止まり切らないうちに飛び降りたアズリ将軍が、肩で息を弾ませていた。戦闘の興奮は隠しようがない。
「オキモト司令官、我々の追撃に協力してもらいたい。ローリダ人に大打撃を与える好機だ」
「まずはこちらの損害を掌握し、再編の後でもそれは遅くはない。それよりも……」
「…………?」
「……ノドコール各地に点在する貴軍の根拠地と連絡を取りたい。各地のローリダ人勢力の所在を教えてもらいたい」
「それはこちらでやる」
と、沖本二佐に歩み寄ったのは現地情報隊の指揮官だった。沖本二佐に怪訝の表情が宿るより早く、彼は口笛で車上に残っていた一人を招き寄せる。89式カービンを両腕に抱え、長大な衛星通信用アンテナを繋いだ中隊指揮用広多無を背負った影、やはり覆面、分厚い通信機に脚が生えているかと思われる程に背が低く、それ故に関心を促されるまで、沖本二佐は影の存在にすら気付いてはいなかった。
「弦城二等海尉!」指揮官が言った。
「西側に散った戦闘員に連絡を取れ。第二段階への移行だ。間も無くスカッド狩りも本格化するとな」
「…………」
無言のまま、通信員は頷いた。頭部全体を覆うベールから覗く眼が、やけに大きいことに沖本二佐は気付く。眼と言うよりも瞳と形容していいような、それは円らな光であった。ただし眼光は烈しかった。
「スカッド狩り……だと?」
「今のところは空爆で抑えてはいるが、最後にものを言うのは地上を歩く人間だ」
そこまで言い、指揮官は眼を笑わせた。しばし考え込む沖本二佐に、アズリ将軍が再び声を荒げた。
「攻勢に出ないのか? いま各地に散る同胞の力を結集し、一気にキビルを目指して進軍すれば勝てる。ノドコール独立の好機が迫っているのだ!」
「将軍、我々は今さっきの戦いに勝っただけだ。独立戦争に勝ったわけじゃない。やるべきことはまだまだあります」
指揮官が言った。苦渋の表情を隠さないアズリ将軍を宥めるかのような口調に、沖本二佐は現場の苦労を察する。現地情報隊は個人的な戦闘力では空挺団を超えるとも言われる精鋭だが、その彼らからしても苦境に喘ぐ異邦人を宥め、力を与えるに言い知れぬ苦労をしているというわけだ。
「将軍、小官からも戦況をご説明したく思います。未だ全面的な攻勢に出られない理由も含めて」
同じくアズリ将軍を宥める様に言い、沖本二佐は指揮官に目配せした。ベールに覆われた眼が、申し訳なさそうに笑っている。傍らの陸曹を顧み、沖本二佐は言った。
「防衛線の各中隊長に伝達、担当区滑走路の損傷状況を報告するように」
視線を陸曹から滑走路に転じる。砲撃により滑走路に空けられた穴が存外に多く、その多くが埋められたとしても、当面は不整地離着陸能力に秀でたC‐130しか此処に入れないかもしれない。応援を求めるとしても必要なのは小銃部隊ではなく、施設科の要員であった。
「大隊長、ベース・ジャブローより通信です。本日1630を期して物量投下を再開すると」
「そうか……」
空を覆う密雲が薄く広がり始めていた。蒼を取り戻し始めた空の隙間、南から北へとベース・ソロモンの空を過る二機編隊が二群――敵の残存勢力に対するジャリアー隊の、それは追撃であった。
ノドコール国内基準表示時刻1月5日 午後15時20分 ノドコール中部 PKF前進拠点「ベース‐ソロモン」北部
「――アンダルアス戦車大隊壊滅!……壊滅です!」
「――サン‐アルデル大隊、通信途絶!」
「――リア‐ガルティーニ大隊、戦力の過半を喪失し後退中!」
仮設の指揮所には、破滅と悲鳴とが満ち溢れていた。朝と同時に始まった筈の攻勢は、午後に入りその失敗が顕在化するに比例して、損害もまた累積していったように指揮所を構成するローリダ人には思われた。
ニホン人が「ベース‐ソロモン」と呼ぶアリファ飛行場の「奪回」に、ノドコール共和国軍 北方軍司令官ロイデル‐アル‐ザルキスが投じたのは兵員数にして五千名、そして戦いの続いた半日の内に、その三分の二が飛行場の防御線に踏み込むことすらできずに戦場の塵と消えた。「原住民」の内応を得たこともあるが、それらを差し引いてもニホン軍は強く、ローリダ人の有する兵器ではその強さに及ばなかったのだ……そう、あくまで「兵器」においてのみは――
ただし、ノドコール軍にとっての虎の子というべき改良型ガルダ―ン戦車の喪失。それも、兵器としての効果を挙げ得ない内の呆気ない喪失は、さすがにザルキスを動揺させた。あの「スロリア戦役」において、共和国陸軍が投じたガルダ―ンもまた、ニホン軍の攻勢を前に成す術もなく蹴散らされたという風聞が今更ながらザルキスの前面に圧し掛かってきた形であった。ニホン軍が強いという情報は、いまやローリダの正規軍将兵のみならずザルキスらのような民兵集団にとっても周知のものとなっていたが、彼らがここまでやるとは彼自身に限っても想像の外であったのだ。目算は外れ、敗北は現在進行の最中にある。
「…………」
ザルキスは山腹をくり抜いた指揮所の外に立ち尽くしたまま、未開の緑しか見出せない眼前の山間を茫然と凝視し続けていた。その呆け切った眼差しの先に、彼と彼の率いる将兵が奪わんとした飛行場がある筈であった。
「……司令官閣下、どうなさいます?」
「――――!」
背後から声を掛けてきた幕僚を、ザルキスは詰として睨み付けた。ノドコール共和国建国までは軍人ですらなかった幕僚、本国における買官の慣習に洩れず、ノドコールの大地主であるが故に幕僚の地位を買ったその男は、苛立った軍人の眼光を前に怯み、それからさらなる進言を重ねることができないでいる。
「東方軍……レムラ中将の東方軍はどうしているか?」
「ニホン空軍の攻撃を警戒しつつ、アリファ南方に進出しつつあり」
と、別の幕僚が告げた。こちらは本土から志願し前線に加わった正規軍士官。ただし生来のノドコール入植者ではないが故に。ザルキスは彼自身の軍人としての才幹を評価してはいても、完全な信頼を寄せるには至っていなかった。
「我らがもう少し粘れば、レムラの『仕事』は完成するだろうな」
軍人――言い換えれば将帥――としての「仕事」のことをザルキスは言った。
「では将軍……」
「先年の末、アリファ飛行場を奪回するに際しあのアルヴァク‐デ‐ロートはこう言った。民兵たちには、他に死ぬべき場所があると……結局のところアリファこそが彼らにとっての死に場所であったな。ただし時期が少し違っただけだ」
陰険さと残忍さの籠った暗い笑顔をそのままに、ザルキスは幕僚たちに向き直った。
「デガス少佐、この戦線で我が方が喪った兵はどれくらいになるか?」
「概算で五千ほど」
「ではもう五千、戦線に注ぐとしよう。我らは勝てぬだろうが、ニホン人の足は止められる」
「我らは」を、ザルキスはその言葉の中に強調した。指揮所の所在する分厚い待避壕の中に在っても、ジェット機の奏でる爆音が頭上に轟き始めていた。敵国の戦闘機に空からの生殺与奪を握られる戦場――ザルキスをはじめとするノドコールのローリダ人は、そのような戦場を未だかつて経験したことが無い。その意味では、彼らは未知の戦場にいた。