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第五章  「奪回」

ノドコール国内基準表示時刻1月5日 午前2時14分 ノドコール中部上空


 それまで高度三万フィートの高空を滑るように飛び続けていた輸送機が、左旋回から徐々に高度を下げて行くのを体感したとき、機内に在って快感を伴った震えをその背中に抱いた者は少なからずいた。機内電子表示板内の高度が一万フィート前後で微動し、さらに僅かな時間の間に一万きっかりで止まる。その頃には、C‐2輸送機は先刻と同じく、左旋回に入る前の静かな直線飛行に復していた。


 表示板内で厳然と刻まれ続ける時間は、機内の隊員が機外に出るまでに残された時間が三十分を切ったことを示していた。降下機動の内に減圧の完了した機内、C‐2輸送機が水平飛行に復したのも束の間、今度は機首が微かに下に傾き、そして高度表示のデジタル数字が一万フィートからさらなる下降に転じた。下降はすぐには止まらず、やがて一千フィートを僅かに下回った所で止まる……と同時に、減速もまた始まっていた。それまで商用ジェット旅客機と変わらない快速を刻んでいたC‐2の行き足が急速に下がり始め、やがてヘリのそれも同様の120ノット/時前後で安定する。窓から外の様子を伺えば、揚力を稼ぐべく全開にされたファウラーフラップの奇観を拝むこともまたできたかもしれない。



 超低速を維持したまま安定した機内、降下用の装備で全身の輪郭を膨らませた陸曹が、機体の安定を待ち構えていたかのように降下扉を上方へスライドさせて開けた。機上整備員の操作で後部ランプドアが開き、同時に烈しい冷気が機内に流れ込んで来た。搭乗する空挺隊員の深呼吸とざわめきが、堰を切ったように機内に流れ出すのと同時であった。


「…………」

 開け放たれた扉に近い席であった。目を開けた二等陸佐 沖本 司はゆっくりと骨組み剥き出しの天井を見上げ、再び目を瞑った。抑制された照明の下で、出撃前に予期したよりも気分が落ち着いていた。天井から正面、重量物投下用パレットに固定された高機動車が彼の視界を塞いでいた。C‐2は機内にこれを三両積み、同時に沖本二佐を始めとする第一空挺団の隊員二十名をも載せている。先日の午後17時きっかりに沖縄県 航空自衛隊嘉手納基地を発って以来、作戦に臨む輸送機はまるで演習にでも赴くかのように順調な飛行を続けていた。


 七機のC‐2輸送機は編隊を解き、なおも高度を下げ続けた。ただし高機動車を積む機は空挺部隊全体の指揮を執る沖本二佐の搭乗する一機でしかない。他の六機は80名の空挺隊員とその装備を積んでいる。ただし装備は重火器から小型トラックに至るまで機体ごとに様々であった。隊員の総数五百。彼らは事前に定められた個々の地点に降下し、速やかに攻勢に移ることになる。かつて自衛隊が「ベース・ソロモン」と呼んでいた武装勢力の飛行場、そこが彼らの襲撃目標であった。


 灰色の分厚い雲が犇めく夜空の只中ではあったが、目指す「ベース・ソロモン」の所在はC‐2の窓からは手に取る様に判る。C‐2の目指す地平線の彼方で、複数の光が瞬いているのが見えたからであった。空挺部隊の降下に先立ち、いち早く「ベース・ソロモン」上空に到達した空自機による爆撃が始まっていたのだ。飛行場の航空機と格納庫、通信施設及び対空陣地に対する爆撃であると、沖本二佐は事前のブリーフィングで知らされている。ノドコールの空――少なくとも、南端ロギノールからベース・ソロモンの位置する中部、東部を跨ぐノドコールの空――は、日本国航空自衛隊のものになりつつある。


『――資材投下まであと五分!』

 不意を突く様に響いた機長のアナウンスに、投下準備を告げるブザーが重なる。(からだ)はすでに自動開傘装置に繋がっていた。沖本二佐は傍らの先任降下長 白石陸曹長に目配せし、陸曹長は声を荒げて幾下隊員に席から立つよう命じた。人員の降下に先立ち装備の投下を行う。装備投下後C‐2は同航路を復航し、今度は空挺隊員を降下させる。作戦に割当てる輸送機の数が無く、一方でまとまった戦力の部隊を多方面に同時展開させるための苦肉の策であった。


「全員立て! お待ちかねのスロリアだぞ!」

 白石陸曹長は三年前のスロリアにも降りたことのある、いわば経験者であった。それ以前の空挺隊員としての経歴をも鑑みれば、熟練した優秀な空挺隊員と言っても差し支えないと沖本二佐には思える。白石曹長は立ち上がった隊員に装具の点検を命じ、同時に降下予定時刻もまた残り一分を切った。白石曹長のみならず、作戦に参加する空挺隊員には三年前の紛争にも従軍したベテランが数多く含まれている。スロリアの空気を知り、敵のやり口も心得た歴戦の勇士たち。いかなる装備も物量も、彼らと共に在るという安心感に替えることはできないように沖本二佐には思われた。


 その一方――

「――――?」

 機内に入り込んで来る気流が、微かながら大地の匂いすらC‐2の内部に運んで来た。それは妙な感覚であった。空の傘があるとはいえ、対空砲火にしろ敵機の迎撃にしろ妨害が無く、輸送機の航程が順調に進んでいるのが奇異であるように思われた。あるいは半信半疑とも言えるかもしれない――敵の抵抗無く、こうして敵地の深奥にまで入り込んでいるというのは。


『――投下まであと一分……三十秒……十、九、八、七……五、四、三、二、一……投下!』

 ブザーと同時に重量物投下機材に固縛された大型特殊傘が外れ、気流を受け止めた傘体が勢いよく外部に飛び出した。パレットを切り離す烈しい音が機内に響き、展開した落下傘に引き摺られたパレットが機内を外に向かって滑り出す。それは等間隔で三度繰り返され、三台目を解き放った後、C‐2は左方向から急旋回の態勢に入った。「地上」からの誘導が上手くいけば、高機動車の降りた周辺に部隊も降りられる筈である。


 総重量百トンに及ぶ巨体の持ち主とは思えぬ急旋回を維持しつつC‐2は再度投下航程に復し、空挺隊員の番が巡って来た。

『――降下まであと三分!』

 先刻、装備の投下を告げた降下指示ランプの緑が赤に復している。と同時に尾部ランプドアが完全に閉じようとするのを沖本二佐たちは見た。機が再び完全な水平に復し、その瞬間に降下まであと一分となった。開け放たれた扉から僅かに頭を乗り出し、展開されたウインドデフレクター越しに飛行場を凝視する。爆撃はなおも続いていた。同じく、敵の抵抗を示す対空砲火の弾幕もなお、蛍の様に夜空を舞っていた。人員降下のために低空を飛んでいるが故に、輸送機は敵の注意を惹き付けずに済んでいる。

「降りられるのかよ……」

 という言葉を聞き、沖本二佐は背後を顧みた。半年前に漸く降下徽章を貰ったような若い隊員が、顔色を消して眼下の修羅に見入っていた。

「今降りなくて、何時降りるんだ?」

「…………!?」

 上官に話し掛けられたのは、隊員にとっては明らかに予想外であったように見えた。険しい表情から一転、沖本二佐は白い歯を見せてニッと笑った。

『――降下、降下、降下!』

 機長の声で降下が告げられ、お決まりの喧しいブザーと緑のランプが空挺隊員を外界へと急き立てる。沖本二佐は文字通り先頭を切る形でキャビンを蹴った。フックで輸送機と繋がれた自動開傘索が落下傘を展張し、後は地上に足を標すまで止め処ない浮遊と落下が続く。夜間ではあるが、彼に続き降下を果たした隊員の気配が周囲には感じられた。

「――――!」

 気配としての地面が迫るのが目に見えた。着地と同時に脚を曲げて受け身の姿勢を取る。転がりつつ柔らかい地面を全身に感じ、沖本二佐は落下傘を手繰り寄せた。次々と着地する兵士の気配、前進に備えた行動もまた周囲で繰り広げられていた。此処に来るまで……否、任官以来数え切れぬほど繰り返してきた訓練と何ら変わることは無かった。


 手繰り寄せた落下傘を畳み、収容ケースから銃器を取り出す。折り畳み式銃床を有する89式小銃の機関部に三十発入り弾倉を差し込み、棹桿を引く―― 一連の準備を為している間に、四方から続々と部下が集まってくる。携帯する広多無――広域多目的無線機――の発する誘導電波を探り、それに導かれるがまま、空挺隊員は沖本二佐の周囲に展開を終えていた。その中で、中隊指揮用広多無を背負う通信士を呼び寄せ、部隊の配置、さらには投下した装備の位置を把握せんと努める。通信士の差し出した専用情報表示端末の中に表示された高機動車の位置に、沖本二佐はやや額を曇らせた。

「……北東に二キロか……だいぶ流されたな」

 降下を果たした白石曹長を呼び寄せ、車両の回収を沖本二佐は命じた。曹長が一個分隊を連れて北東に向かうのを見届けた後、沖本二佐は隊員に前進を命じた。今なお破壊の光瞬く地平線に近い場所……それでも、彼がわざわざ命じずとも、第一空挺団の隊員は武器を構えて前進を始めるだろう。たとえ身一つでも敵陣の一角に齧りつき、突破を図らんとする根性の持ち主が空挺団には揃っている。


 当初の目論見では、高機動車は地上に設置された電波標識に従い、自動的に空挺部隊の降着地点に落ちてくれる手筈だったが、机上の計画と実践とでは、どう技術が進んだところで齟齬が出るものであるらしい。空挺部隊に先行する形で目標近傍に浸透し、標識を設置したのは――再び目を凝らした情報端末、本隊と同時に降着を果たした隊も、既に行動を始めていた。


「…………」

歩きつつ、沖本二佐は時折上空の漆黒を睨むようにした。灰色の雲海の向こうで、ジェットエンジンの爆音が重層的に拡がっては夜の静寂を破壊している。自分たちをこの場に下ろしたC‐2の遥か上空、C‐2以上に物騒な荷物を積んだ飛行機の往来がなおも続いていた。縦横に跨る戦闘機の航過の度に飛行場の何処かが赤く瞬き、同時に火柱と黒煙が立ち上る。しぶといまでに夜空に撃ち上げられる対空砲は、その量と炸裂の烈しい光に比して、何ら効果を上げていない様に見えた。その対空砲も進むにつれ一基、また一基と沈黙していくのが判る。


 地獄の窯を思わせる、その禍々しい炎を目印に空挺部隊は歩みを刻む。飛行場の周囲にばら撒かれ、飛行場を取り囲むように敵地に浸透する空挺部隊――空爆に乗じて飛行場内に突入し、ベース‐ソロモンを奪回するのが空挺団の任務であった。現在時刻は0320、予定では空爆が終わり、他方面に降着した81ミリ迫撃砲が射撃を始めるまであと十五分でしかない。その彼らとて広多無を通じたデータリンクでこちらの展開状況を把握している筈であるが、連携を維持するためにも、あるいは不測の事態に備える上でも移動時間は厳守しなければならない。ただし五百名程度の兵で制圧はできても以後の占領地の維持は不可能に近い。その役割は空挺による制圧が成り次第、空路で送り込まれることになる増援部隊に負うところが大きい。

「隊長!」

 指揮下の陸曹が声を弾ませた。と同時に車が迫る気配を沖本二佐は察した。聞き覚えのある高機動車のエキゾースト音だ。それも戦場に相応しい無灯火で隊列の中心まで走った所で止まる。助手席から白石陸曹長が飛び出し、沖本二佐に敬礼した。

「装備を回収して参りました! どうぞ!」

 頷き、全員に乗車を命じる。その一方で高機動車の荷台上に見慣れぬ人影が乗っているのに気付く。顔と言わず全身と言わず分厚い布で体を覆った男が一人――最初は内心で身構え、次には半ば愕然とともに男を見返す。ノドコール現地人の民族衣装の上に戦闘装具を重ねて纏った男、その彼もまた89式カービンを手にし、広多無を背負っていた。


現地情報隊(アクティヴィティ)か?」

 問い掛けた沖本二佐に、男はただ無言で頷いて返し、隣に座るよう促した。動き出した高機動車の車内で、男は沖本二佐に言った。

「――独立軍もすでに現地情報隊(われわれ)の指揮の下飛行場周辺に浸透している。独立軍は空挺団の攻撃開始と同時に西側より飛行場に雪崩れ込む手筈になっている。君たちには気兼ねなく司令部まで突っ走ってもらいたい」

「――独立軍の数は?」

「―― 一千ほど」

「――わかった……」

 頭上から押し潰されるかのような戦闘機の気配は既に消えていた。空爆の結果として施設や兵舎のおぞましいばかりに燃え盛る飛行場、その南端を臨む一角まで到達したところで沖本二佐は部下に下車を命じた。滑走路そのものには大して被害が及んでいない様に見えたことに、沖本二佐は内心で安堵した。同時に、止まった高機動車を取り巻く様に現れた人影が無数。暗夜を縫った彼らの浸透ぶりに驚く暇を、現地情報隊の幹部は与えてはくれなかった。

「――安心しろ、我々の同志だ」

 幹部は高機動車の荷台から飛び降り、その先には人の群から進み出たノドコール風の身形をした男がもう一人、幹部はノドコールの言葉で男に幾つか指示を与え、再び沖本二佐に向き直る。

「――此処からは別行動だ。日が昇ったらまた会おう……幸運を」

「…………」

 苦笑――自ずと敬礼に手が伸びていた。答礼する現地情報隊の手付きが陸自のそれとは違う、肘を引いた挙動であることに気付く。助手席に在って遣り取りを窺っていた白石曹長が言った。

「あの特務……元海自ですね。身のこなしで判る」

「君もそう見るか」

 ぞんざいな態度を取られたところで、別段不快には感じなかったから。沖本二佐には白石曹長の言わんとすることがすぐに判った。高機動車の専用マウントにM2 12.7ミリ機銃を取り付けさせたところで、沖本二佐はそのまま突入を命じた。飛行場より一段高い台地、かつてはSAGS――スロリア特別援助群司令部の所在した区画。今となってはそこに、ノドコール共和国軍を僭称する武装勢力が半地下式の防御陣地を築き始めているのが衛星による偵察で判明している。事前の推定では、空爆が始まる前は二百名から成るローリダ人民兵がそこに配置されている筈であった……その陣地が完成する前にベース・ソロモンを奪回しておきたいという統合幕僚部の配慮が、今次の奇襲を後押しする形となったとも言える。


 腕時計の表示時刻が0335に達し、迫撃砲弾特有の、聴覚に切り付けるかのような軽い滑空音が天を満たし始めた。迫撃砲による制圧射撃が始まり、同時に四方向から空挺部隊が飛行場内に浸透を始めている。広多無の情報表示端末上では、それが指揮権を有しないいち隊員であっても手に取る様に判る。

 車は小高い丘、旧SAGS本部施設のそのまま残された頂上を見上げることのできる一角で止まり、迫撃砲弾は施設にすらも容赦なく叩き付けられていた。施設の保全よりも、敵の排除を優先されている結果であった。

「総員下車、前へ!」

 沖本二佐は命じ、手を振って前進を促した。89式カービン銃、14式SAA、15式SPRといった銃器を手に、その上に無反動砲、軽対戦車誘導弾といった重火器を担った隊員が散開しつつ陸続と交通路を駆け上る。この時に備えて訓練を重ねてきたこともあるが、日昇を前にして深まった夜陰と空爆の混乱が、彼らの浸透を順調な行軍に変えていた。

「――――!?」

 銃声が聞こえ、前進していた隊員が反射的に伏せるのと同時にそれは隊の側面より連続して重なった。機関銃の銃声ではなく散発的にさえも思える小銃の銃声であった。そこに時折軽い、拳銃のそれにも似た連続した銃声が続く。

「敵襲ーっ!!」

 叫びつつ、隊員が14式SAAの引鉄を引絞る。彼一人のみならず、緑色のレーザー光線を思わせる曳光弾が無数、散開した隊員から敵影の所在する側面に向かい集中する。圧倒的な弾丸の投射を前に、斜面の陰から盛んに見えていた敵の発砲炎がひとつ、またひとつと消えていく。我方に暗視装置があり、敵にそれが無い以上、銃撃は敵の先攻であっても頓挫する運命にあった。沖本二佐は通信士に敵の所在を入力するよう命じた。それは共通回線を通じ、二佐直属の部隊のみならず、近傍に展開する我部隊すべての共有する情報となる。広多無の有する情報共有機能の威力であった。端末画面が敵との遭遇を示すアイコン表示で埋まり始めていたが、他方面の我部隊は交戦しつつも順調に前進を続けている。


 後方から追及して来た高機動車がM2機銃の鈍い咆哮を轟かせた。14式SAAのそれよりも太く、烈しい光を有する曳光弾が伏兵の方向に飛び、殿を務める敵兵を圧倒するのみならず周囲の地肌や柵を抉る。伏兵の方向に向かい沖本二佐は前進を命じた。SAAの制圧射撃に援護されつつ、十数名の普通科隊員が山肌を走る。起動させた暗視装置の狭い視界の中であっても、それまで隠れていた持ち場を脱し、背を向けて飛行場方向に走り去っていく敵兵の姿すらはっきりと見ることが出来た。その彼らの多くも空挺隊員の追い撃ちに捉われ、血を流して山肌を転げ落ちていく。

「追撃やめ! 追撃やめ! 頂上への前進を続行せよ」

 分隊を掌握する各陸曹に前進の継続を命じつつも、沖本二佐の目はローリダ人の死体と共に足元に転がる銃器に向いていた。思わず拾い上げたそれに、沖本二佐は我が目を疑う――ボルトアクション式の……小銃? と同時に、追及して来た白石陸曹長が息を弾ませて言った。

「隊長、これを見てください!」

「…………」

 差し出された銃を、沖本二佐は半ば唖然として凝視した。外見は先刻の小銃より短く、ローリダ軍の用語で言う「騎兵銃」の類であることはわかる。それ以上に機関部の斜め上から繋がれた細長い弾倉が、沖本二佐には間が抜けた構造であるようにも見えた。

「即製の半自動銃ですよ」と、白石陸曹長は言った。彼が個人としても銃器に造詣の深いことを沖本二佐は思い出した。

「ボルトアクション銃の機関部をそっくり入れ替えて、連射が出来るようにしてあるんでしょうな。弾倉の形状から察するに拳銃用の弾丸を使うから改造前より威力と射程は劣るでしょうが、接近戦で使うにはもってこいの銃です」

「短機関銃の代用ってとこかな……」

 情報表示端末上の展開図から、周囲から頂上を目指す各隊の中には、すでに旧司令部に足を踏み入れた隊員もいることがわかる。我部隊の迫撃砲射撃が止んでいること、頂上で断続的に聞こえる銃声からもそれがわかる。一分隊と高機動車一台に先行を命じ、沖本二佐は双眼鏡を以て飛行場方向に目を凝らした。飛行場の東側から浸透を果たした独立軍と尚も飛行場内に生き残っていたローリダ人との間で銃撃戦が始まっており、それは烈しさを増していた。頂上を迅速に片付ける必要を沖本二佐は感じた。


 先行した部隊が頂上の敵兵と接敵し、やはり銃撃戦が始まる。厳密には頂上を放棄し、飛行場方向に逃れようとした敵の残存部隊とかち合った形であった。沖本二佐は隊員に乗車と頂上への前進を命じ、走り出した高機動車は先行隊とは別経路で丘を登り、抵抗を続けるノドコール共和国軍を左右から挟撃する態勢を取る――否、友軍が三方向から迫っているから、文字通りの包囲であった。半壊した司令部から、あるいはその周辺に在って尚も生き残っている塹壕から、少なからぬ数の民兵が進攻軍たる自衛隊に向かい銃撃を続けている。先刻の遭遇戦では見受けられなかった機銃すら、眩いばかりの火網を空挺隊員たちの眼前に吐き出していた。ただし儚い抵抗ではある。

「小銃擲弾、誘導前へ!」

 分隊長の命令に応じ、撃ち出された小銃擲弾は二発。06式改小銃擲弾はレーザー照準器の誘導に沿って滑空して着弾し、機関銃を瞬時に制圧した。そこに、彼らの後背に回った我部隊の銃撃が追い縋る。M2機銃の掃射を受け、あるいは誘導照準された小銃擲弾の直撃を受けて減殺されゆく抵抗――何時しか前方から銃声が消え、四方から頂上に到達した空挺隊員の影が増えている。

「頂上クリア!」

 降下した各隊の合流が果たされたところで、沖本二佐は配下の中隊指揮官を呼び寄せた。一中隊を与る鉈落一等陸尉と二中隊の松岡一等陸尉。情報表示端末で戦況を示しつつ、沖本二佐は言った。

「飛行場方面の敵を挟撃する。本官が指揮を執る。一中隊は頂上を確保し拠点を構築。二中隊は本官に続いて前進。復唱しろ」

「一中隊、頂上の確保及び拠点構築に入ります」

「二中隊、攻撃前進」

「よし、頼むぞ」

 沖本二佐は松岡一尉を顧みた。前年末に一等陸尉に昇進したばかりの、未だ三十も出ていない若者であった。ただし空挺団の幹部である以上、いずれは潜らねばならない修羅場である。沖本二佐はさらに説明を続けた。

「我々の進行方向、滑走路の東端に三基、健在な対空機銃座がある。これがある以上滑走路の完全な制圧はできない。従って我々は分担して機銃を制圧した後にこれを爆破、独立派との連絡路を確保する。質問は?」

 質問は無かった。丘陵の登攀から一転、空挺隊員は滑走路に向かい麓へと下り始める。その途上で中隊は三つの集団に別れ、沖本二佐の本部は松岡一尉直卒の隊と行動を共にする。空爆で半壊した格納庫の傍、土嚢の積み上げられた中心で対空用の二連装機銃が、独立軍の浸透が始まった西側に向かい、只管オレンジ色の咆哮を轟かせていた。近付いてさらに見れば、其々の銃座が塹壕で連結されているのも見える。

「小銃擲弾の集中射の後、近接して手榴弾で制圧する」

 中隊を預かる松岡一尉はそう命じた。照準用レーザーが複数銃座に集中し、直後に放たれた06式改小銃擲弾は二発――夜間でありながらその全弾が吸い込まれる様にして銃座内で炸裂し、間髪入れず突っ込んだ隊員が三名――距離を詰めた彼らから投げ放たれた手榴弾もまた土嚢内に入り、そこで炸裂した。濃い火薬の臭いに、死臭を思わせる血生臭い臭いもまた重なった。

「全員前へ!」

 小銃を構えつつ、松岡一尉が先頭を切って沈黙した銃座に駆け出した。不意打ち同然の攻勢に気圧され、壕から這い出ようとした敵影を追い撃ちの銃弾が薙ぎ倒す。戦闘支援員が尚も原形を保っている対空機銃の砲身に爆薬を巻き付け、仲間に後退を促した。

「爆破する――爆破!!」

 後退した戦闘支援員が遠隔点火装置を起動させ、金属が砕ける響きと同時に烈しい火花が散る。その後には銃身を折られその用を完全に為さなくなった対空機銃が遺される。銃撃の音と爆破の音が周囲でも始まっていた。敵の防備は薄く、守る敵もまた練度が低い……攻勢の進む様を見届けつつ沖本二佐は戸惑う――夜間の巡航誘導弾攻撃とそれに続く空爆が、ローリダ人から完全に抵抗する力を奪ったということでいいのだろうか?


「降下誘導班!」

 沖本二佐に呼ばれ、広多無より重厚な造りの通信機を背負った隊員が駆け寄って来た。未だ西側で銃撃戦の続く飛行場を指差し、沖本二佐は言った。

「ベース・トリントンに回線を繋げ。輸送機の進出を要請だ。制圧を完遂次第増援を飛行場に下ろしたい」 

「了解!」

 降下誘導中隊より三名を伴っておいたのは正解だった。本来ならば自由降下を以て本隊に先行して敵地に浸透し、本隊の降下を誘導することを主任務とする彼らは、今回の作戦ではその主任務を現地情報隊に預け、増援と重装備を運んでくる空自輸送機の誘導管制に当たることになっている。

 滑走路の西端まで89式カービンでは有効弾を期待し得る距離ではないが故に、15式SPRを有する選抜射手が西側に向かい射撃を始めていた。暗視装置、二脚の上に高倍率照準鏡、ステンレス製強化銃身の組み合わせでは、89式小銃のそれと同等の5.56ミリ口径ではあっても破格の有効射程と命中精度を出すことができる。選抜射手も心得たもので、敵の指揮官格を慎重に見極めた上で狙いを付けている。それ故にローリダ兵の間に統制の混乱が生じ始めていた。そこに、制圧した丘陵から撃ち下ろされる対物ライフルも加わった。沖本二佐は松岡一尉に目配せし、松岡一尉は声を張り上げる。

「総員前へ! 西側の味方と合流するぞ!」

 隊員は一斉に射撃姿勢を解き、疾駆して滑走路に足を踏み込んだ。支援火力たる対空機銃座を失った以上、残りの抵抗は微々たるものであった。指揮官格の殆どを狙撃で斃されている上に、西側からは圧倒的な数の現地人が浸透を始めている。抵抗らしい抵抗も出来ぬまま残余のローリダ人もまた撃たれ、聞き慣れない言葉が飛行場に満ち始める……ノドコール固有の言語であった。言葉の主たるノドコール人義勇兵の持つ銃器を目にし、沖本二佐は目を丸くした。

「M1ガーランド……?」

 沖本二佐が入隊する遥か前に陸自から退役した筈の旧型小銃を見出し、彼はしばし飛行場一帯に散ったノドコール人を観察するようにした。恐らくは支配者たるローリダ軍から奪取したと思しき小銃や機関銃を持っている者も多かったが、少なからぬ数のノドコール人がM1ガーランド小銃のみならず、M1カービンやブローニング自動小銃といった旧型装備――それも神代の昔に存在したような――を当然のように持ち歩いている。まるで前世界の戦争映画から抜け出て来たかのような彼らの姿に、沖本二佐は掛ける言葉も見つけられないまま目を奪われていた。あれが噂に聞く「在庫処分」というやつか――作戦前のブリーフィング時に、情報幹部の口により知らされた不穏な事実は、沖本二佐個人にはむしろ困惑しかもたらしてはいなかった。

「大隊長!」

 状況開始前に遭った現地情報隊が小銃を手に駆け寄ってくる。沖本二佐もまた彼に駆け寄り、隊員は声を弾ませた。

「援護感謝する。西側は制圧した。君たちのお陰だ」

「輸送機を呼び寄せた。第一便は増強兵力の降下になるだろう。飛行場に下ろす積りだ」

「いい判断だ。こちらも増援を呼び寄せる。昼までにはもう一千人集められるだろう」



 星明かりの下で灰色に光る雲海が薄い。その上から微かではあるがジェットエンジンの轟音が伝わってくるのが聞こえる。携帯式広多無のイヤホンに、降下誘導班の報告が聞こえて来た。

『――第二陣降下まであと五分。飛行場に下ろします。準備を!』

「増援が来るぞ! 飛行場を開けろ!」

 沖本二佐は声を張り上げて後退を命じた。その傍らで現地情報隊の幹部が現地語で独立軍に後退を促している。潮が引く様に人影が飛行場の両端まで下がり、次には静寂が漂い始める……とは言ってもそれは僅かな間のことで、きっかり五分後には誘導班の報告通り、縦列を成して飛行場上空に低空侵入する鵬翼の影が星空を遮り始める。

『――用意(レディ)!……降下よし(グリーンライト)! 降下よし(グリーンライト)! 降下よし(グリーンライト)!』

 地上からの管制を受け、鵬翼から毀れる様に第二陣の空挺隊員が続々と夜空に飛び出し始めている。展張した落下傘の群が気流に揺れ、それでもまるで蒲公英(たんぽぽ)の種子が落着するように次々と降着を果たす様は、まるで戦争の一場面であることを忘れさせるほどに幻想的なものであるように沖本二佐には見えた。

 降着した空挺隊員が手早く落下傘を手繰って拾い上げ、第一陣の待つ滑走路の両脇まで駆け寄ってくる。制圧が確定し次第、第二陣はその人員、装備全てを滑走路上に下ろす取り決めが為されていたためで、後発組とは言え何時までも滑走路に長居はできないというわけであった。始まったばかりの第二陣の降着が完了し次第、確保した飛行場の防備を強化する手筈にもなっている。数日の内に陸自のヘリコプター部隊も進出させる予定もまた存在している。

「順調に進んでいますね」

 部下の配置換えを指示した松岡一尉が声を弾ませて言い、沖本二佐もまた微笑で返す。

「松岡一尉、前線司令部に敵情を問い合わせてくれ。特に飛行場に一番近い敵軍の動静を知りたい」

「はっ!」

 頷き、丘陵まで駆け出そうとした松岡を、沖本二佐は呼び止めた。

「あと……可能ならば飛行場上空の戦闘空中警戒(CAP)を要請してくれないか。イーグルでもジャリアーでも、爆弾を積める機体ならば何でもいいと言っておいてくれ」

「わかりました! 明朝には実施できるよう談判してみます」

 沖本二佐は苦笑した。彼の意図が敵の反攻に備えた迅速な航空支援態勢の構築にあることを、松岡一尉は即座に理解してくれた。彼の向かった丘陵では、第一中隊によってすでに衛星通信装置も含めた広域通信設備の構築が始まっている頃だ。事によれば敷設自体は完了しているかもしれない。


「沖本二佐!」

 俄かに活況を呈し始めた飛行場で、現地情報隊の隊員が、ノドコール人と連れ立って駆け寄って来た。現地情報隊が口を開くより早く背の低い、浅黒い肌をした現地人は、口元を笑わせて握手を求めて来た。

「ノドコール王国軍のアズリ将軍だ。ノドコールへようこそ」

「増援、感謝します将軍」握手に応じつつ、沖本二佐は作り笑いを浮かべて見せた。

「ローリダ軍の動静について、何か掴んでいませんか?」

「先日のあなた方の攻撃で、飛行場の守備軍及び周辺の敵軍は逃げる様に北上して行った。恐らくは被害を受け再編のため安全な土地へと後退したのだろう」

「……北からの反攻は、十分に在り得るな」と、現地情報隊の隊員が言った。沖本二佐はそれに頷いて応じた。

「奪取はさせぬよ」

 物資の投下が始まっていた。パレットに固定された120ミリ重迫撃砲が地響きを立てて滑走路上に落ちる。高機動車に便乗し滑走路上に侵入した空挺隊員の手で固定を解かれたそれは、速やかに高機動車と連結され高台の方向へと走り去って行った。同じく投下された小型トラックが途上で姿勢を崩し、そのまま接地した途端に横転する。それを空挺隊員が八人掛かりで押し上げて戻し、数分後にはサイドミラーとフロントガラスの潰れたトラックが、空挺隊員を乗せて何事も無かったかのように滑走路の外へと走り去って行く。かつて此処ベース・ソロモンが日本のものであった時と同じ活気が、少しずつではあるが戻り始めていた。

「重迫か……頼もしいな」

 現地情報隊の隊員が言い、沖本二佐は傍らの白石曹長に告げた。

「四方に潜伏監視哨(OP)を設け、前進観測班(FO)を配置する。それと負傷者及び捕虜の確認を急げ」

 時刻はすでに午前四時を回っていた。ブリーフィング時のウェザーリポートによれば、あと二時間程で夜が明ける。空挺団にとっての本当の戦いが、この時から始まる筈であった。





シレジナ方面基準表示時刻1月5日 午前7時23分 ローリダ政府直轄領シレジナ


『――ナガ半島で発生した大規模な山林火災は、依然鎮火せず延焼を続けています。現地行政府は半島南部市民三十万人に対し北西への避難を呼び掛け、周辺州の国防軍部隊が出動し住民の誘導及び収容作業を行っています。なお、現地行政府の発表によりますと、火災そのものの被害は軽微であり、予備役の動員及び非常事態宣言の要請は為されない見込みであるとのことです。次の報道は――』

「……なんてこった。おれの田舎じゃないか」

「野焼きの消し忘れかな……それとも放火か?」

「牧草地と根菜畑しかないんだぞ。野焼きする程土地がある場所じゃない筈だしな。あるとすれば……変な工場が建ってる荒れ地ぐらいか」

「工場?……聞いたことがあるけど、ナガ半島って『神の火』の工場があるんだろ?」

「公にはなってないけど、割と良く知られた話だよな。それ」

「『神の火』か……ノルラント軍に落としちまえばいいのに。そしたら此処の戦もすぐ終わるだろうに」


 用廃となった軍用無線機の周波数が、共和国公共放送の国外周波帯に重なっていた。冷蔵庫程の大きさの無線機を前に、軍装を解かないままの兵士たちが群がり、祖国の様子に耳を欹てている。ローリダ共和国国防軍シレジナ防衛軍中央陣地 地下兵員食堂のありふれた光景。早朝の哨戒勤務を終えたばかりの兵士たちが朝食を採るべくこの空間に雪崩れ込み、それ故に広汎なだけの食堂には外気の冷たさをものともしない熱気が生じ始めていた。


『――ノドコール共和国軍及び義勇兵部隊は、ノドコール南部の港町ロギノールにおいて、ニホンの侵略軍と尚も交戦中。増援を得てニホン軍を押し返しつつあり――』

「ノドコールか……おれの親戚が義勇兵で向こうにいるんだよな」

「ニホンの豚ども、こんな時に攻めてきやがって……!」

「押し返しつつあるって言うけど、本当かな……」

「お(かみ)の言うことを疑うのか? 勝ってるって言ってるじゃないか?」

「おれたちがスロリアでニホンと戦ってたときも、本土じゃ勝ってるって言ってたそうじゃないか?」

 兵士たちの間に不穏な空気が生じ始めていた。四年前のスロリアにおいて共和国ローリダを襲った波乱を、当事者として知る者と本土に在って知らない者との間ですでに溝は生じていた。それまで無線機とは距離を置き、卓上でスープを啜っていた兵士たちの目もまた無線機前の人ごみに集中する。少なくとも兵士たちの内輪で解消不可能な衝突が、食堂では始まり掛けていた。

「気をー付け!!」

 人ごみの外縁にいた兵が、上ずった声を張り上げて不動を促した。不動の姿勢に転じた兵士たちを、いつの間にか食堂に入っていた士官が訝しげに睨む。撫で付けた金髪のやけに印象的な、若い士官であった。軍用コートの襟から窺える階級は大尉――

「――何をしているか?」と、大尉は言った。

「こいつらが出鱈目を言うのであります。政府の発表は嘘っぱちだと」

「少なくともスロリアでは嘘を付いていた」

「まだ言うかおまえっ!」

「やめないか!」

 怒りに目を剥いた兵を、士官は強く窘めた。頭を振って落ち着くよう促し、士官は言った。

「単に宣伝が過ぎるだけだ。嘘を言ってはいない。そうだろうが?」

 と、士官は兵を睨む。眼光の険しさに気圧された双方とも、渋々……あるいは悄然として士官に応じるのだった。

「はい……大尉殿の仰るとおりであります」

「休める内に休んでおけ。喧嘩ばかりしているといざという時に性根が持たないぞ」

 士官は言い、兵士たちの敬礼に見送られる様にして歩を速めた。兵士の様子を見に来たこともあるが、食堂を横切った方が彼の目指す場所により近かった。



「大尉グラノス‐ディリ‐ハーレン、入ります」

『――入れ』

 ノックの後に、木戸を開く。足を踏み入れたその先で、先週付で共和国国防軍少将 シレジナ防衛軍司令官になった男は、ティーカップを手に彼の部下を迎えた。立ち尽くしたその傍らの卓上に広げられた地図には、防衛線の全容が再現されている。ただし防衛線は最新の状況ではなかった。木戸を閉め、共和国国防軍大尉 グラノス‐ディリ‐ハーレンは司令官 センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートに敬礼する。外見から窺える若々しさは、ハーレンと彼より五階級も上のロートとでは、全くに遜色が見受けられなかった。

「お呼びと伺いましたが」

「私の権限で君を中佐に昇進させる。今日付けだ。おめでとう」

「有難うございます!」

 少佐を飛ばした、戦時にしては異例の昇進であった。ロートは微笑と共に手を伸ばし、ハーレンは不動の姿勢を取りロートの手を握り返す。その後には友人同士の会合を思わせる、和んだ、朗らかな笑いが同時に生まれた。

「自動車化大隊を一個、君に預ける。事が起こった際には機動部隊として東部戦線に在って控えてもらいたい」

「では……ノルラントは西岸を?」

 地図に目を凝らしつつハーレンは言い、ロートは頷いた。彼の意図するところを、ハーレンはすでに察している。

「そういうことだ。それともう一つ……」

 机から、一枚の書類をロートはハーレンに渡した。軍制式の書式ではないことをハーレンは悟り、内心で身構えた。本土の軍総司令部が送ってくる戦略情報よりも正確で、信頼におけるルーガ総研からの「定期電報」――手に取った書面を一読した瞬間、ハーレンの端正な顔から血の気が引いた。

「これは……!」

「文面の通りだ。単なる山火事ではない、それ以上に恐ろしいことが本土で起こったというわけだ」


 ナガ半島の名は、此処に来る途中で聞いた公共放送の中に何度か出て来たのをハーレンは聞いている。公共放送では火災と言っていたが、反応兵器生産工場の壊滅という実相は、彼をしてもその想像を軽々と越えていた。文書を一読してロートに返しつつ、ハーレンは嘆息した。

「『神の火』の支援は期待できませんね……まあ、あれの正体を知る者からすればその方がよいのかもしれませんが」

「同感だな。かくしてナガ半島は、ローリダのフクシマになってしまった」

「…………」

 ほぼ同時に、二人の脳裏を共通の記憶が過る。三年前、スロリアの戦場で囚われたふたりはそのときの敵国ニホンの本土にあって、捕虜であるにしては破格の自由を満喫したものであった。ニホン国内を旅し、祖国ローリダよりも遥かに進んだ社会体制と技術、その背景となる長い歴史に瞠目する一方で、その負の側面に触れる機会も二人は得た。ニホンの歴史上最初に反応兵器の業火に包まれた街ヒロシマ、そして地震という天災に起因するものではあったが、その後の対応の不備により反応兵器を用いられたにも均しい放射能の拡散を引き起こした土地たるフクシマ――土地の復興が進み、大気中の放射能が人間の生存し得る状態に復してもなお誰も近付かず、それ故に放置されるに任された街と荒野を前にして、ロートとハーレンはニホン人がただ一言「核」と呼ぶ「神の火」の実態を、各々の胸中に深刻なまでに受け止めたものであった。かと言って、決戦兵器としての「神の火」の有する戦略的価値の尋常ならざること、今の祖国の防衛体制が「神の火」に対する全面的な依存へと傾きかけていることは、容認せざるを得ない立場に彼らはいる。


「……あの街を見せてくれたニホン人が言ったこと、君は覚えているか?」

「彼はこう言いましたね。あなた方の国の未来を創る上で、参考にして欲しい、と……」

「…………」

 苦渋混じりのハーレンの言葉に、ロートは無言のまま、やや顔を俯かせた。表情から憂色を消し、代わりに真剣な面持ちでハーレンは聞いた。

「……本当に、事故なのでしょうか?」

「その点は、いずれルーガ総研が明らかにしてくれるだろう」

 ハーレンの問わんとすることは、ロートもまた共有する感慨ではあった。被害の詳細は未だ判然とはしないが、ナガ半島の所在する「神の火」の開発及び生産施設が甚大な被害を受けていた場合、「神の火」を決戦兵器とする共和国ローリダの軍事戦略は根底から崩壊する。あの施設には「神の火」をその原料から精製する施設、専用の起爆装置、時限信管等爆弾の部品を作る工場があの一帯に集中している他、最終組立を経て完成した「神の火」を貯蔵するための広大な地下倉庫すらその一角には存在するからだ。再建の目処が立たなくなれば、共和国ローリダは前線基地に配備された僅かな数の「神の火」を以て敵国に対峙せざるを得なくなる……話題が変わり、ハーレンは持参した図面を卓上に広げて見せた。

「陣地構築の進捗状況を報告に上がりました」

「どれ……」

 シレジナのローリダ軍勢力圏に生じた防衛線の新たな変化に目を凝らし、ロートは微かに笑った。塹壕の造営も重火器の配置も、有事における彼の意図に合致したものであった。

「あと二日でルジニアからの船団がマナビアスに到着する。恐らくはそれが最後の船団になるだろう」

「はっ……!」

 背を正して応じ、ハーレンは言った。

「しかし意外です。最新鋭の装備を優先的に回してもらうとは……こればかりはまるで夢を見ているようですね」

「元老院に理解者がいるからね。今のところは」

 ロートの言葉に、ハーレンはさもありなんとばかりに微笑し頷いた。あるいは苦笑であったかもしれない。ニホンの虜囚という「汚名」を背負って帰国した結果として、ルーガ‐ダ‐カディスの知遇を得たのは、決して無駄ではなかったというわけだ。

「……かくして本土の兵器会社は大儲けってわけだ。ノドコールの件もあるしな」

「ノドコール……何時まで持ちますかね」

 ハーレンの問いに嘆息で応じ、ロートは別の防衛線に通じる出入り口に視線を流した。表情に、怪訝が宿り始めていた。

「リュナ……すぐに戻ると言っていたのにな」



 陣地を舞う風は冷たく、見渡す限りの台地に荒涼を運んでいた。散兵壕を出て荒野を歩けば、それが嫌でも全身に感じられてくる。

 冷たい風が、軍用コートを纏った短躯の芯を容赦なく震わせる。しかし隊列の最後尾、重量物を担いで分隊に追及する身では、そのような凍えも歩き出して短い内に解消されてしまう。その長さにして射手の背丈とほぼ同じ、本体重量では優に小銃二丁分のピアッティス3――携帯対装甲ロケット砲――を背負う身では。


 共和国陸軍一等兵 セオビム‐ル‐パノンはロケット砲を担ぎ、行軍に参加している。

 行軍とは言っても、その実際は警戒任務であった。先年の十月に此処の住人になって以来、パノンの一日は正確には三等分された。休養に充てられた八時間の他、あとの十六時間を訓練と座学の八時間、そして前線の哨戒と歩哨の八時間に費やしている。休養という名の八時間の非番ですら、ときとして陣地構築作業の時間として充てられ、あるいは押し付けられる。パノンからしても栄誉ある前線というより流刑地に押し込まれ様な不快感は、未だに払拭できてはいなかった。


 ただし兵士としての待遇は、年が変わってから良くなり始めていた。食事の量が増えたのが最も嬉しいが、これらの他に配給される嗜好品の量も潤沢になり始めている。年齢相応に割り当ての多くを甘い菓子に充てている一方で、一端の兵士らしく、酒と煙草の味も覚え始めているパノンであった。


 警戒――その初めは他の兵士と同じく小銃を手にしての任務であった筈が、年末に入ってからというもの、前線においてパノンの担うべき荷物は増えた。陸軍一等兵と同時に与えられた、対戦車特技兵という欲しくも無い称号――パノンは戦場においては敵兵ではなく歩兵よりも巨大で堅固な戦車と正対し、これを戦場において撃ち取ることを運命付けられた様なものであった。しかも対装甲ロケット砲を託される段になって、パノンと彼の装填手は直属の小隊長からこう言い渡されたものだ。

「この機材一組でお前たちの俸給十年分だ。ぞんざいに扱うんじゃねえぞ」


 通称「魔王殺し(デモスキャリバー)」――ピアッティス3に外国製の照準器を取付けたという、特別仕様の対戦車ロケット砲。威力、射程ともに優れた専用弾を使い、専用弾は照準器から発振された光線に誘導されて狙った目標を確実に撃破する。その威力は、パノン自身幾度か行った実射訓練で確認しているところであった。ノルラントはおろか、ニホンの戦車も一溜まりも無いであろうと小隊長は言い。パノンもまたそのように信じていた。


「…………」

 その「魔王殺し」の専用弾の入ったコンテナ六発を担ぎ、息も絶え絶えに歩く兵士の後ろ姿を、パノンはやや目を険しくして見詰めた。「魔王殺し」の装填手に任じられたクリム‐デ‐グース一等兵が肩で息をしつつパノンの前を歩いている。隊列自体には追及できているが、それも分隊が再度の小休止に入るまで持つかは覚束無いようにパノンには見えた。

「小休止! 五分!」

 丁度防衛線の一端を臨むことのできる高台に達したところであった。分隊を与る伍長の命令と同時に、分隊からは謹直さが霧散し、その後にはピクニックを思わせる、和んだ空気が流れ始めた。

「クリム」

「…………」

「クリム?」

「あ……?」

 地べたに腰を下ろし、息を弾ませつつクリムは顔をパノンに向けた。

「砲弾持ってやろうか。二発までなら何とかなるぞ」

「本当か?」

 クリムは喜色を見せ、パノンは頷いた。二発までなら、哨戒の終着地点まで持てないことは無かった。パノンに砲弾を預け、クリムは徐に懐から封筒を取り出した。

「パノン、読んでくれないか」

「ああ」

 手紙を書いたのだとパノンは察した。本土から続いている習慣だった。兵士が実家や親類に手紙を書くのは普通にあることで、しかも励行されている。しかし田舎育ちのクリムはアダロネス出身のパノンよりも読み書きが拙く、それ故にクリムは、自分の綴りに間違いがないかパノンに手紙の下書きを読ませるのだった。

「――父ちゃん、母ちゃん、兄貴たち。おいらは本土から遠く離れた植民地の守備隊で……元気にやっています。おいらが送ってくれた塗り薬……は、効いていますか? 効果があればまた買って送り……ます。おいらのいる処には売店は未だ建ってないけど……」

 時折、綴りの間違いに声を詰まらせつつ、パノンは手紙を読み上げる。綴りの間違いを見出す度にペンを走らせて修正するのは、パノンとクリムが知り合って間もない頃から始まった風景のようなものであった。同じような事情で、クリムの実家から送られてきた手紙に目を通すこともある。その際、パノンは文中の綴りに誤りがあれば直し、クリムは自分からの手紙にそれを同封して送り返す「甥っ子たちに読ませるんだ。綴りを教える」と、クリムは言っていた。そして田舎からの手紙を読むたび、パノンはクリムに問い返すのだ。

「地方って、こんなにひどいのか?」

 パノンに聞かれるたびに、クリムは無表情と不快感とをない交ぜにしてその顔を俯かせたものであった。パノンとて社会や経済のことにそれ程堪能というわけではなかったが、生活の質が都市部と地方とでは格段の開きがあることぐらい、手紙の文面から容易に察することが出来た。都市民や自営農民と比べて極端に制限された自由、重きに過ぎる税制、それらがおよそ同じ国に生を享けた身に圧し掛かっているとはパノンには思えなかった。


「――手紙、また送ります。甥っ子たちにはおいらの分まで勉強するよう言っておいてください。今度は軍用……ビスケットでも送ります。日持ちがいいからそちらに着くまでに腐らない筈です。それでは……」

 手紙を読み終えようとしたとき、パノンはクリムが上の空で、ごく近い稜線に目を凝らしていることに気付いた。手紙を直してもらっている者相応の態度ではないことに、パノンは怒るよりもむしろ困惑する。

「クリム? クリム?」

「――――!?」

 パノンの呼びかけにハッとしつつも、クリムの目は稜線の向こうになお未練を有していた。それに釣られるようにして、パノンの目もまた稜線の先へと向かった。最初は訝しく、次には瞠目して、パノンもまた丘陵に佇む人影に目を奪われている――


「あ……」

 軍服、それも軍用のロングコートを着ていて体躯の輪郭は判り辛いが、女性であることは長い髪から判った。更に目を凝らして稜線の人影を見る内、彼女の周囲を二三名の兵士が取り巻いていること、当の女性が美しいことにパノンは気付く。顔立ちは幼く個性は乏しいが、かといって印象に乏しいわけではなく、女性に接することが絶えて久しい二人には却って興味を惹かれる。鈍い橙色の髪の毛が雲間から注ぐ陽光を吸い込み、彼女の佇まいを荘厳な風に彩っていた。

「女性の兵隊なんて、此処にいたっけ?」

「さあ……」

 クリムに問われ、パノンもまた首を傾げる。看護兵か後方勤務部隊に属する人間かもしれないが、殺伐とした要塞地帯、それも敵軍の迫る前線にいるべき種類の人間ではなかった。さらに言えば、彼女は自分たちと同年代なのではないかと、パノンは思い始めている。かと言ってそれもまた容易に受け入れられる現実では無かった。

「司令官閣下の姪御さんであらせられる。手を出したら銃殺刑だぞ」

「…………!?」

 背後から投げかけられた言葉が、二人を文字どおりに驚愕させてしまう。果たして振り返った先で、にやけ顔の古参兵が、意地悪そうな目付きを二人に向けて嗤わせていた。

「ロート司令官閣下の従兵でもある。親族があの娘一人しかいないからここまで連れて来たんだとさ……まあ、お前らにとっては高嶺どころか天上の花だろうがな」

「それで……今では此処でピクニック三昧というわけでありますか?」

 パノンの悪意の無い皮肉に、古参兵は苦笑で応じた。

「そういうことだな。何も無い場所なのに、ご苦労なことさ」

「小休止終わり! 整列しろ!」

 分隊長が声を怒らせ、兵士たちは従順なまでに立ち上がり、あるいは吸い掛けの煙草を棄てて隊列を組み直す。誘導弾を括り付けたことにより重さを増した背嚢に難渋しつつ、パノンは隊列の最後尾を歩き始める。稜線沿いの交通路に向かい斜面に足を踏み締める内、分隊は司令官の姪という少女の佇む麓を過ぎて行く。過ぎ去る間際、丘陵の頂を仰ぎ見たパノンの目が、驚愕に自ずと大きく見開かれた。

「…………」

 軍服姿の少女が、慈しむような眼差しを分隊に注いでいた。



※ストック切れに付き、当分休載します。あるいは他の話を書くかも。

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