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第一章  「強襲上陸 前編」

スロリア地域内基準表示時刻1月3日 午後21時34分 ノイテラーネ南西洋上


 満天を覆う暗黒を背景に、星々は独り天を駆ける鵬翼を迎えた。

ただし星々の中で特に烈しい冷たい光の存在が、地上からの侵入者に対し決して友好的ではないことを、C‐2輸送機の操縦桿を握る二人の操縦士に感じさせた。

 命令を受けて鳥取県 航空自衛隊美保基地を発ち、愛知県 航空自衛隊小牧基地に滑り込んだのは前々日の夕方のことだ。隣接する宇宙航空研究開発機構(JAXA) 小牧工場から受け取った衛星搭載ロケットを搭載して小牧を発ったのは1月3日の午後四時近く、以後をC‐2は南西寄りに洋上と空とを踏破し、現在となってはKC‐767空中給油機との会合(ランデヴー)を経てスロリア大陸の近傍に達している。


 コックピット計器盤の過半を占める多機能表示端末(MFD)、特に飛行経路を表示している一角が点滅を始めている。上昇しつつ直進に徹したC‐2がその点滅の指示する空域に到達するまで、優に十分の時間が必要であった。何よりも輝点の傍で開始されたカウントダウンが、任務の到来が近いことを操縦士に伝えていた。


 高度計は三万フィートの大台に達している。

 到達の瞬間まで持ち上がったままの機首が自然と下がり始め、次の瞬間にはC‐2は完全な水平飛行を維持し始めた。操縦士の手動操作に依らない、予め針路と高度よりなる「軌道」を設定された動きであった。


『――副操縦士、予定通りだ。貨物室内の減圧を開始しろ』

「――復唱(コピー)、減圧開始します。副操縦士より運航員各位へ、これより貨物室内の減圧を開始する」

 右席の機長、磯貝 登紀 三等空佐に促され、副操縦士 柳原‐N‐アニ 二等空尉は操縦席のオーバーヘッドパネルに手を伸ばした。ただしスイッチには未だ触れない。貨物室で配置に付く運航員(ロードマスター)二名が準備完了を伝え次第、減圧操作は始まる。機内回線に繋がるイヤホンに運航員の応答を聞くや、アニはただ機械的な手つきでスイッチボタンを押した。自動的に機体の状態表示に切り替わったMFDが、ホログラムを駆使し減圧作業が順調に進行していることをアニに教えていた。


「…………」

 MFDの表示する数値の変化を見守りつつ、アニは脳裏で自分が次に為すべきことを反芻する……と同時に、自分が今この飛行に駆り出されたのが彼女には今に至っても信じられなかった。これから始まる作戦、あの「スロリアの嵐」作戦以来の大作戦の端緒を飾る任務飛行に、着任し立ての新品操縦士たる自分が就かされることになろうとは――


 ――三年前の「スロリア紛争」時、自分は一介の防衛大学校の学生に過ぎなかった。入校した時には単に宇宙飛行士になりたくて、その前段階としてのパイロット資格取得を目指していた少女は、それから七年後の今では航空自衛隊の新品幹部として、日本の航空技術の粋を凝らした戦術輸送機の操縦桿を握る身となっている。そこまでの道筋は決して平坦なものではなかったが、こうして異境の空を飛んでいるうち、今この任務ひとつを達成するために自衛官たるを目指していたのではないかと錯覚してしまうアニがいたのも事実であった。身分に比して余りに重大すぎると思える任務を前に、緊張は隠せなかった。


『――減圧完了! アニ、操作に集中しろ』

「はいっ! 貨物扉(カーゴベイ)開放!」

 沈思を(たしな)められるのと同時に、身体が反射的に動いていた。オーバーヘッドパネルの一角に再び走らせた指が、直線飛行を続けるC‐2をして後部貨物扉を開かせた。アニと名前を呼ばれるように、磯貝三佐は副操縦士としての自分に全幅の信頼を寄せてくれている。航空学生出身、それも戦闘機からの転向組という熟練機長と、防衛大学校総代という組み合わせは、ペアとなってからの任務飛行や訓練でも、一度として連携の不一致を晒したことはなかった。MFD内で起動中の運航管理システムが貨物扉の開放を告げ、アニはそれを報告する。

「貨物扉開放を確認!」

『――機上整備士(FT)、後は任せる』

『――こちらFT、RMSロケット起動……姿勢制御システム起動……自己診断プログラム起動……!』

 操縦席の背後、機上整備士が貨物室に内蔵するロケットの、覚醒までに必要な複数の項目を読み上げつつコンソールに指を走らせ、やがてはその完全な覚醒を告げた。搭載ロケット管制表示に転じたMFD、貨物室と本体を固定する複数のロックが外れていくのを、アニは固唾を呑んで見守った。

『――機長、投下サイン願います!』

 オペレーターからの進言(リコメンド)に、磯貝機長はランプスイッチに指を触れた。貨物室内のランプが赤から緑に転じる。同時に待ち構えていた運航員が、手動でロケットに装着されたパラシュートを開放した。

『――RMSロケット投射(パージ)!』

 気流を受け止めて膨張するパラシュートがロケットをC‐2の胎内より引きずり出し、ロケットは直立しつつ暗黒の虚空に飛び出した。母機とロケットの距離、さらには高度が目に見えて開き、帰投針路に服するべく旋回を始めたC‐2の操縦席から、その行く末を見届ける手段は、ロケット本体が発振する電波信号と識別灯でしかない。

『――RMSロケット、第一段エンジン点火まであと十秒……!』

「…………」

 ロケット管制に傾注する機長より操縦を託されたアニの操縦で、C‐2は帰投針路に服した。パラシュートで降下しつつ直立姿勢を維持するロケットの所在が、手に取るように掴める位置であった。

『――5、4、3、2、1……第一段エンジン点火ファーストエンジンイグニッション!』

 眼下――青い光が生まれ、それは次には眩いばかりの黄色い炎の玉となって夜空を駆け上がる。それは瞬く間にC‐2の飛行高度を抜き去り、人工の翼では到達しえない高みへと達していくのだった。即応性の高い空中発射型ロケットで打ち上げられる、即応小型衛星という名の新しい電子の目――

『――第二段エンジン点火! 衛星地上局に追尾が移行します』

 第二段エンジンの点火を以て、RMSは完全に空自の手の内から離れた。この段階でRMSロケットは本土の衛星地上局の管制下に入り、通信衛星を介しつつ衛星軌道に乗るまでのプロセスを消化することになる。

『――01、02ともにRMS発射に成功した模様 03は速やかに通常空路に服し、再度の命令を待て』

 イヤホン越しに聞こえる、抑揚に乏しい女性の声――本土の基地からではなく、この空域における管制を管轄する早期警戒管制機(AWACS)の指示であった。今後の飛行計画を確かめるように、アニはMFDの飛行経路表示に目を転じる。このまま北に飛び、達することになるスロリア大陸中部、航空自衛隊の国外展開拠点のひとつたるベース‐ルナツーが、当面彼らに用意された拠点となる筈であった。





ノドコール国内基準表示時刻1月4日 午前01時21分 ノドコール南部洋上 海上自衛隊護衛艦 DDG‐173「こんごう」


「――戦闘情報室(CIC)より報告。本艦、D点に到達しました」

 戦闘配置に付いた護衛艦「こんごう」、その艦橋を預かる副長、青木 慎二 三等海佐が戦術情報表示端末から顔を上げ、艦橋に詰める最上位者に向き直った。海上自衛隊スロリア派遣部隊 洋上遊撃戦隊、通称「挺身戦隊」司令、北沢 義彦 海将補は微かに頷き、インカムに告げた。

「司令より各艦へ達する。速やかに所定の行動に移行せよ。乗員各位の奮励を期待する」

 共通回線ではなく、赤外線発光信号による命令の伝達――もっとも、作戦開始の起点となる海域――D点――に達する三十分前より戦闘配置についている以上、「挺身戦隊」がなすべきことについては、上は北沢海将補から最下級の二等海士に至るまで十分に把握しているところであった。


 旗艦たるDDG‐173「こんごう」、DDG‐174「きりしま」、DDG‐179「はるな」、DDG‐180「ひえい」……「挺身戦隊」を構成する四隻のうち、前二艦と後二艦では就役年こそ二十年以上の開きがあっても、海上自衛隊の保有する通常艦艇に比して、格段に脅威探知能力と全方位攻撃能力に優れるイージス艦であることには変わりは無く、むしろ搭載するソフトウェアに間断ない更新を繰り返している以上、その水上戦闘艦としての破格の価値に目立った遜色は見られない。尤も、この「異世界」においてイージス艦が最強の水上戦闘艦とみなされるようになって、未だ三年という時間しか経過していなかった。


 強力な索敵、電子戦機能を搭載し、いかなる方向、いかなる数もの脅威を瞬時に捕捉し、同時に迎撃しうる「洋上をゆく神の盾」――三年前の「スロリア紛争」において、現海域を舞台にイージス艦はその威力を余すことなく実証した。当時、スロリア大陸南方海上に展開した僅か四隻のイージス艦が、敵手たるローリダ共和国海空軍の攻撃を悉く完封し、スロリアの海を彼らの墓場へと転じせしめたのである。それ以来、イージス艦の名と存在は、新興列強たる日本の、強固なる海上主権の象徴として定着した観があった。


 日本 海上自衛隊における現時点でのイージス艦の保有数は八隻。この「異世界」において、強力な水上戦闘艦の保有数で国威を図る術があるとすれば、日本は強国の一つに数えられるに足る資格を有しているかもしれない。ただし、領土や権益拡張の手段としての軍事力行使を法規はおろか外交政策としても否定している日本の場合、それらは純粋な海防にのみ用いられる筈であったし、それこそがイージス艦を手駒として使う側たる日本政府の見解であった。


 ……が、北沢司令の指揮するイージス艦群は、日本より数千海里を隔てたスロリアの海にいる。


 これは明らかに矛盾であった。矛盾をそのままに鋼鉄の四姉妹は異境の洋上を驀進し、そして目標の撃破という任務に臨もうとしている。二年前に締結された「ノイテラーネ条約」を破棄するようにスロリア大陸の西端、旧ノドコール王国を武力で占有し、「ノドコール共和国」を僭称し分離独立を図らんとする武装勢力「キズラサ国(KS)」の鎮撫と秩序の回復――それが、日本が再度大軍をスロリアに投じた法的根拠であり、「四姉妹」がこの海に在る理由であった。


『――即応小型衛星(RMS)とのリンク全て良好(オールグリーン)、目標情報自動更新に設定します』

 護衛艦「こんごう」の深奥、戦闘情報室(CIC)では、「こんごう」艦長 長峰 義郎一佐の指揮の下、すでに攻撃シークエンスが始まっていた。本来、戦隊司令の北沢もCICに在って攻撃の一部始終を見守るのが通例であるが、彼は敢えて艦橋に残ることを選んだ。願わくば肉眼で攻勢の始まりを見届けたかった。北沢海将補自身は、今回の座乗も含めて二度、「こんごう」と自衛官人生を交差させている。その一度目は三年前、あの時の彼は「こんごう」艦長職としてスロリアで砲火の洗礼を受けている。


 艦橋の一角、「スロリア紛争」後に増設された広角表示端末の矩形の中で、スロリア大陸の地形が南岸から深奥に至る内陸まで鮮明に映し出されている。その緑の大陸の中、より赤い輝点が発疹のように浮かぶ。「BASE‐SOLOMON」――輝点に付された表記に、北沢海将補は眼差しを険しくした。

 前年の12月29日、武装勢力の重囲下に置かれた平和維持軍拠点「ベース‐ソロモン」は、武装勢力に投降しその基地機能を放棄することで駐留隊員六百五十名とその保護下にある現地人約五千名の助命を図ったが、それは血に飢えたローリダ人の前には徒労に終わった。結果的に彼らを救うためになされた日本側の全ての妥協は、三年前に繰り広げられたスロリア中南部の虐殺の再現という最悪の結果を生むに至ったのだ。彼らの信仰……あるいは道徳では、日本人は人間とみなされていなかったためだという一部の学識者の意見は、今や日本国民の多くの共有するものとなっている。その結果として日本側に生まれたのは、まさに「無限の敵意」(作家 鳥居 アカネ 談)であった。日本政府が作戦実行の直前になって彼らにKSという呼称を冠し、それまでの「交渉相手」たる「ロメオ」との区別化を図ったとしても、日本国民の両者を同一視し敵視する総意には何の影響ももたらしてはいない様に思われた……


 その市井で言う、国民の「無限の敵意」を行動に移すために、我々はここにいるようなものだと北沢海将補は思う。不条理に怒る日本国民の意思を代行する者として、現在スロリアの陸海空には総勢四万名に及ぶ大軍が集結し、秩序回復に名を借りた報復行為の許可を、手ぐすね引いて待ち構えているというのが現実であった。

「――十一時方向より飛翔体の発射を視認!」

「…………!」

 艦橋に詰める海士が声を荒げ、直後に数名の双眼鏡が同じ方位を睨む。それらの反射的な慌ただしさからは超然として、北沢海将補もまた十一時の方角に目を凝らした。灯火管制の徹底した艦橋で目を馴らしておけば、たとえ夜の海であっても水平線の向こうで起きていることを多少は把握することができる。艦橋に詰める隊員に遅れ、北沢海将補がその肉眼で見出したのは、黄色い噴煙で周囲の空と海面を照らし出しつつ、夜陰を切り裂くように伸び上っていく光の矢であった。右腕に嵌めたG‐ショックの盤面を睨み、北沢海将補は苦笑気味に口元を歪める。光弾の瞬きと飛翔は、水平線から闇夜を奪うかのように連続し、それらは星空を禍々しく染め上げつつ北へと延びていく。その正体は――


『――「みかさ」、「はつせ」、トマホーク発射始め!』

 艦内回線を席巻するCICからの報告が慌ただしさを増しているように聞こえる。水上を行くイージス艦主体の挺身戦隊に先駆け、先行してスロリア南岸に接近した潜水艦群が攻撃を始めたのだ。SS‐901「みかさ」とその同型艦三隻からなる四隻の潜水艦群による巡航ミサイル発射。ただし抜け駆けではなく、予定の行動であった。艦首部に垂直発射装置(VLS)10セルを有する「みかさ」型潜水艦は、それ故に従来の海自潜水艦には無い戦略打撃力を有するに至っている。彼らがスロリア大陸からノドコール中部に点在する武装勢力の拠点を叩き、挺身戦隊がより南側の重要目標を攻撃する手筈であった。


「司令より各艦へ、攻撃を許可する」

 むしろ無感動な口調で北沢海将補は命じ、復唱が繋がるにつれて「こんごう」には新たな活気が満ち始める。戦闘に加入できることへの喜びだと、北沢海将補には思われた。

『――トマホーク、ナンバー001から004発射始め!』

 艦内回線越しに長峰艦長が命じるのが聞こえた。反射的に注視した広角端末の一角、艦外の各所に配された監視カメラの一つが烈しい噴炎に晒されるのを見る――艦尾の位置、夜風に揺らぐ軍艦旗を背景にVLSから解き放たれるタクティカル‐トマホークの弾体だ。


『――「きりしま」、「はるな」、トマホーク発射!』

『――「ひえい」、トマホーク発射!』

『――ナンバー001から004、目標に向かい順調に飛行中』

『――続けて005から008も発射! 急げ!』

 気がつけば、背筋はおろか肌を灼く程の高揚感が艦橋を支配し始めていることに北沢司令は気付く。言い換えれば浮ついているのではないかとも思える。正義であるからだと思った。自衛隊は正義の軍としてスロリアに赴き、こうして悪党を成敗している――その構図が誰も異論を挟めない程はっきりとしているが故に、敵の人間を殺すことへの抵抗感、罪悪感が希薄化しているようにも彼には思えた。これが戦争をするに相応しい観念か否か、今の彼をしても決めかねていた。


 北沢司令は内線電話を取り、CICの長峰艦長を呼び出した。

「CIC、RMSとのリンクに異状はないか?」

『――今のところ異状はありません。リンクは順調です』

「そうか……引き続き気を配っておいてくれ」

 広角端末の一面、攻撃目標を表示した地形図の中で、目標の位置を示す輝点に向かい各艦が放った弾体が殺到するのが手に取るようにわかる。潜水艦からの第一斉射二十発とイージス艦からの第一斉射三二発。作戦開始に先立って比高二百~三百キロメートル上空に配置された即応小型衛星が、目標と巡航誘導弾の位置を常時監視し、発射から着弾に至るまでの全ての経緯が東京の防衛省中央指揮所はおろか現地で作戦行動中の全艦艇の共有するところとなっているのだ。


 それは用兵技術の上でも画期的な手法であった。輸送機から投下される形で極低軌道に打ち上げられる即応小型衛星は、本体分離後二~三週間に亘りその機能を発揮し得る。いわば使い捨ての監視衛星だが、それが稼働している間は情報収集と中継の面で、陸海空各部隊に十分な支援を提供できるというわけであった。その性能は、主に「転移」前後に発生した大規模自然災害で有効なることを実証され、以後の改良もまた間断なく繰り返されていた。


 RMSより目標の位置情報、到達に必要な針路補正を提供されつつ、タクティカル‐トマホークの群はスロリアの空を征く。「転移」前に同盟国アメリカより提供された五百発に上る巡航ミサイルは、「転移」を境として「特別用途」の十数発を除き耐用年数の到来まで死蔵される運命にあったが、予想を超えて強大な「外敵」の出現が、それらをして再び世に出る機会を与えるに至った。「スロリア有事」を契機に、国産巡航誘導弾配備への繋ぎとしてトマホークは再配備され、こうして「在庫処分」されているというわけだ。


 広角端末の中で、タクティカル‐トマホークの第一斉射が個々の目標へと向かい始めている。目標への最短経路ではなく、同時着弾を企図した経路であった。周辺警戒を続けつつ弾着を待つ「こんごう」艦橋で、北沢司令は言った。

「――幕僚長の言う通り、確かに『在庫処分』だな」

「は……?」

「何でもない……こちらのことだ」

「在庫処分」と、作戦実施が本決まりとなった際、海上幕僚長 勝部 将弘 海将が言ったのを北沢司令は思い出している。もっとも、封印同然の処置が施されていたトマホークの再整備が始まっているという話は、「スロリア紛争」の翌年には部内には広まっていた。封印を解かれたトマホークは順次特定の護衛艦と潜水艦に配備され、所定の配備数を達成したのが前年の十月という過密スケジュールであった……ただ、トマホークに関しては「転移」後から不穏な噂が存在する。導入したトマホークの一部に「特殊な」改造が施されたものが、極秘裏に航空集団および潜水艦隊に配備され、厳重に保管されているというものだ――



『――第一斉射、弾着まで後五分!』

 CICからの報告が、北沢司令をして新たに任務への集中を促した。第二斉射を終えてからすでに五十分の時間が過ぎていた。搭載するトマホーク全弾を撃ち終えた以上、挺身戦隊に残された選択は作戦海域からの離脱と本隊との合流以外には存在しない。挺身戦隊と潜水艦群合計で百発近くのトマホークが発射され、そして開戦の初撃を飾ることになる。

『――第一斉射、弾着いま!』

「――!」

 絶句と同時に、広角端末の中で目標の赤い輝点が次々に消えていく。直後にRMSの捉えた画像が、別の広角端末を占め始める。炎上するかつては敵の通信所、あるいは物資集積所だった何か、あるいは工場、宿舎もその中には含まれているかもしれない。開戦にあたり武装勢力の継戦を支えるはずだったそれらは一夜のうちに、それも同時に崩壊したのだった。戦果確認の光景。だが圧倒的なまでの、それは攻撃と破壊の光景であった。


「見たか! ローリダ人!」

「日本の怒りを思い知れ!」

 艦橋で叫ぶ若い声が聞こえる。あからさまに叫ばないまでも相好を崩し、あるいはガッツポーズを見せる者もいる。いずれも実戦に参加したことのない、今回が自衛官となって初めての従軍となった若い幹部や曹士であった。一方で「こんごう」には三年前のスロリア戦の経験者も多く乗り込んでいたが、その彼らは戦果に一喜一憂することもなく、ただ黙々と艦橋での配置に付き続けている。

『――第二斉射、弾着いま!』

 新たな報告と同時に、雪崩を打つように残りの輝点が消えた。その中にはベースソロモンの名も存在した。戦果確認用の広角端末が映し出す灰色の世界、それでも炎上していると判る飛行場の全容、RMSからの映像ではなく、予め高空より現地上空に侵入した無人偵察機(UAV)からの映像であることが、この飛行場が重要目標とみなされていたことを物語っている。

『――目標撃破! 本隊との合流まであと四時間!』

「各艦に通達、対潜、対空監視を厳となせ」

 わざと苛立たしさを語尾に強調し、北沢司令は命じた。初撃の成功に緩みかけた空気を引き締めるための、それは厳命であった。




ノドコール国内基準表示時刻1月4日 午前02時25分 スロリア――ノドコール境界 陸上自衛隊増強第5、14旅団


 濃緑の装甲を纏った鋼鉄の獣が、その荒れ野の見渡す限りに犇めいていた。

 段列の中に居並んだ装甲車両、輸送車両の群、暖気運転に入った車も少なくは無い。試運転の音は居合わせた者の耳を苛む程ではなかったが、かと言ってこの地に平安が戻ることは、ここ当分あり得ないように間宮 真弓には思われたし、それは事実であろう。

 戦争が既に始まっていた。弾列の外に在って前進命令を待つ真弓からしても、戦闘用のヘルメットとボディーアーマーに身を包んでいる。真弓の場合、前年に大手テレビ局のアナウンサーからフリージャーナリストに転身して以来、こうして戦場を巡る機会が格段に増えている。高まった知名度の一方で、三年前の「スロリア紛争」において、PKF上陸部隊に随伴して銃火の下を潜った彼女自身は、その「実績」故に、以後の生きる途をあらぬ方向に曲げられてしまったかのような思いに未だ囚われ続けているのだった。


 そして現在――真弓はまた新たな戦場に立っている。


「――間宮さぁーん、放送始めますよー!」

 ADの呼ぶ声が聞こえる。放送機材の調整に掛かり切っていた若者がひとり、今回の仕事でクライアントから派遣された真弓のアシスタントであり、専属カメラマンであった。もっとも、この場に持ち込んでいる撮影機材といえば、軽量衛星アンテナと非常用リチウムバッテリー以外には市販のノートパソコンとタブレットが一台ずつ、そして三基の、やはり市販の小型カメラがあるだけだ。これらの機器が基本的にメンテナンスフリーである以上、調整はつまり、本土との回線維持にその労力の過半が費やされている。


「…………」

 吸い掛けの煙草を踏み潰し、真弓は装甲車に向かい駈け出した。煙草は前年、それまで勤めていた大手テレビ局を辞めて以来吸うようになった。周囲からは止めるよう盛んに勧められてはいたが、仕事で寄る辺無い国外の戦場や災害地域に立つ身では、これに替わる精神の鎮静効果を真弓は見出すことが出来ずにいる。足を向けた先、陸上自衛隊第5旅団隷下部隊 施設中隊所属の軽量戦闘車が一台、後部ドアを開いて真弓の搭乗を待ち構えていた。近年になって配備が加速した四輪の装輪装甲車両。軽量戦闘車は車内に最大十名の人員を収容し、特に対地雷防御に設計上の注意が払われていると真弓は聞いている。


 車内の照明は明るく、それだけに戦場の空気が未だ此処まで流れて来ていないことに真弓は内心で安堵する。ADが真弓に車上に行くよう促し、戦車のキューポラを思わせる車上に真弓は上半身を乗り出した。ボディアーマーを纏ってはいても、ハッチを潜るのには十分な余裕が設けられていた。マイクと一体化したイヤホンを取り付けるのには、一度ヘルメットを脱がねばならなかった。車内でノートパソコンを操るADがカウントダウンを始め、真弓はタブレットの画面に指を走らせる。

『――5、4、3、2、1……』

 真弓の眼前、タブレットの画面が切り替わり、次には怒涛の如き文字列が画面から向かい右から左に流れ始めた。


『こんばんわー あけおめ あけましておめでとうございます 真弓さんおはー

あけおめ 戦争を実況すると聞いて 真弓さんは神! 888888888

新年早々戦争かよ あけおめ とりあえずあけおめ 明日会社だけど付き合うわ 8888888888

さすがヌコ動 戦場で実況とか モワンゴ狂ってるな 真弓さんが実況と聞いて とりあえずあけおめ

888888 すげー陣容 ノドコール行くまでやるの? 実況マジか!? 8888888

あけましておめでとうございます 本土からあけおめ すげー スロリアだ うおおおおおお』


「見えますかぁー……? 見えますねぇー……? では皆さん、あけましておめでとうございまーす」

『――――――――!』

 作り笑いを浮かべた真弓が画面に語りかけるのと同時に、新たな文字列が流れては消えていく。いずれも真弓の実況を歓迎する言葉とAA(アスキーアート)の羅列、それらは全て数千キロの海空を隔てて戦場ではない本土に在る視聴者の反応であった。文字列の本流を前に辟易した内心を面に出さぬよう微笑を作り、車内のADと手振りと目配せで通信状態を確認しつつ、真弓は彼女の持つことになった番組の内容について説明する――真弓が身を置いているのは陸上自衛隊第5旅団であった。


 12月の初め、第5旅団は第14旅団と共にスロリア中部とノドコールの境界まで前進を完了し、ノドコールに一有事あるときには速やかな介入を可能にする態勢を整えていたところであった。その有事が現実のものとなる前から、真弓のクライアントは今回の企画を実現するべく動いていた。

 インターネット上の大手動画共有サービスたるヌコヌコ動画、その運営会社が真弓のクライアントであり、彼らはそのライブ中継機能と衛星回線を使い、来るべき有事の一部始終を「実況」しようと計画した。ヌコヌコ動画には少なからぬ政府機関も広報目的で参画しており、防衛省も一員として名を連ねていたこと、さらにはヌコヌコ動画の親会社たる大手情報通信企業が、政財界に独自のパイプを有していたことが、日本の民間放送史上空前のこの計画を、いとも容易く実現の域にまで近付けたというわけだ。


 今回の作戦で、真弓はノドコールに向かい越境する第5旅団隷下の施設科部隊に随伴し、防衛機密に抵触しない範囲で自由な実況と取材を許されている。戦闘そのものを実況するというよりも、進撃する部隊の中で、実況中継を通じ戦場の空気を視聴者に体感させるという意図が、今回の企画には存在している。


 番組説明の中、状況によっては一時中継を中断する可能性にまで真弓が触れたとき、遠雷の如き爆音が夜の雲海を超えていくのが聞こえた。反射的に天を仰げば、赤青の識別灯を煌めかせた機影がふたつ、直進から緩やかに上昇しつつ夜空へと吸い込まれるように溶け込んでいく。イーグルやF‐2の野放図な爆音と違う、金属的な抑制の効いた軽い響き――航空自衛隊のF‐35Jだと思った。爆音を日本国内の取材活動でいやというほど聞いているから、彼女の場合すぐにそうと判る。


「――F‐35ですね。攻撃かな……」

 と、マイクに向かいぼやいた真弓に、車上に登った自衛官が近付き紙片を握らせた。紙片の内容を一読した真弓の表情から生来の気だるさが消え、真弓はマイクを握って言った。

「いま攻撃が始まったようです。護衛艦及び潜水艦から発射された巡航ミサイルがノドコール国内の武装勢力を攻撃中……繰り返します。攻撃が始まりました。第一撃は海上自衛隊の発射した巡航ミサイルです」


『ぬおおおおおおおおお! 攻撃キタ――――――! 開戦じゃああああああああ! うわああああああああ

海自キタ――――――!! うおおおおおおおおおおおお!!!

天誅だな 日本のターンきたあああああああああ 開戦マジか ちょっとビールとつまみ買ってくる

戦争wwwwww 開戦キタ―――――! この早さなら言える。高宮博人三等海曹頑張れ』


 文字列が画面に氾濫し、画面すら完全に埋め尽くす流れの凄まじさに真弓は一瞬気圧された。衛星回線越しに伝わる本土からの反応を、真弓はここまで予想したことがなかった。周囲から乗車を命じる声が聞こえ始め、同時に真弓たちよりさらに西寄りに位置する部隊からはディーゼルの排気煙が昇り始めていた。それまで軽量戦闘車の周囲に在って沈黙を守っていた高機動車と大型トラックもまた、エンジンの始動を始めていた。

『――各車へ、中隊ごとに前進を開始。健闘を祈る!』

 車内から漏れ伝わる共通回線を交差する通信の量が、戦場の静から動への転換を真弓にも感じさせた。と同時に真弓はADに新たなカメラの起動を指示した。車上の遠隔銃架に装着した中継用カメラであった。一方で車内、小隊指揮用無線機を手にした陸曹が真弓に叫んだ。

「実況停止まであと五分!」

「りょ、了解!」

 自衛隊式に応じつつ、真弓は鼓動の高鳴りを自覚する。あと五分で再度の許可が出るまで音声による実況放送は停止される。それまでは銃架のカメラより成る動画中継と、生放送主たる真弓たちの書き込みのみが、真弓たちに許された取材活動であった。

「…………」

 軋みを立てて動き出した軽量戦闘車の車上、夜空を行き交うジェットの爆音が一層忙しさを増していくのを真弓は聞く。




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