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第九章  「The Long Dark Blue Line  SceneⅢ」

 景山 陽子が引き合せようとした士道 資明と、健太郎が顔を合わせたのは、この日の午後、全学生の帰着を以て開かれた全学臨時集会においてであった。


『――わが国内外は現在、未曾有の国際摩擦を前に極めて不安定な状態にあることを、われわれは最早否定することはできません。未知なる勢力の出現、それも、われわれ及びわれわれの友好国に対し敵対的な姿勢を崩さぬ勢力の出現は、急速に我が国の安全保障環境を悪化させ続けています。

 (しか)して、わが国においては毅然として(ほこ)を執るか、あるいは粛然として矛を収めるかを択ぶのは国防を担う自衛隊ではないことを、この場を借り明言しておく必要があります。そのための権限を有するのは、我が国有権者及びその信任に拠って立つ政府であることを、われわれは改めて銘記しておく必要があります。

 われわれ防衛大学校学生及び教職員がいま為すべきは、一連の事態に対し我が国有権者が明確な意思を示すまで、自衛隊他部隊と同様軽挙妄動を慎み、徒に内外の情勢に一喜一憂することなく、毅然としてかつ黙然と課業と学業に励み、陸海空自衛隊の骨幹たらんと勤めることではないでしょうか――』


 檜 智篤(ひのき ともあつ) 防衛大学校校長の言葉は、記念講堂に居並ぶ学生たちの大半に、ごく順当な内容と受け止められたが、それ以外の少なからぬ数の学生に不満を示していた。

 元々、彼らは主張のひとつとして防大校長を現役の自衛隊将官より出すべきというものを持っている。着任以前は首都の名門大学の学長にして歴史学者で、純然たる文民である檜校長に、彼らは最初から何の期待も抱いてはいなかったというわけだ。檜校長が個人的には横死した河 前総理の友人であるという事実も、彼らの校長に対する隔意に更に火を点けたかのようであった。つまりは――


「――喩え嘘であっても、友人の仇を取れの一言ぐらい発する気概すら無いと見える。だから文民というやつは度し難いのだ」

「――!?」

 記念講堂を出る間際、聞こえて来た言葉の主を、健太郎は思わず顧みた。聞き捨てならないが故に顧みた先で、数名の学生の先頭に立つ青年がひとり。同じく彼に付き従う様に歩いていた景山 陽子が同時に健太郎を見出し、青年の注意を惹くのが健太郎にはわかった。

「――!」

「……」

 暫し睨みあう様にして二人は佇み、最初に士道 資明が切り出した。今思えば、三年前の入校当時から彼のことは防大内でも話題になっていたような気がする。有力野党党首の息子。それも、国防体制の拡充とそれに応じた国家の変革を唱える政治家を父に持つ学生――自然、その父と主義主張を同じくする学生が彼の周りに集い、やがては学生内にひとつの勢力を作り上げるに至ったというわけだ。


 その士道 資明が言った。

「君とは、何時か話したいと思っていた。気が合いそうだからね」

「どうかな? おれにはこのように、取り巻きもいなければ、使い走りもいないので」

 健太郎の皮肉に、士道は動じない。

「景山とのことはお詫びするよ」

 そう言い、士道 資明は進む様促した。「少し、ふたりで歩かないか?」

 

 健太郎と士道は並んで歩く。記念講堂を出、ユーカリの並木が広がる小路に達したところで。士道は切り出した。

「蘭堂君、君は誤解している。君の父上がぼくの父を誤解している様にね」

「……」

「ぼくは、防大の学生隊をれっきとした将校団にしたいと考えているんだ」

「任官もしない内に?」

「そうとも。実は伴わなくとも、ぼくは将校団としての意識を学生に持たせたい。であれば、任官拒否など馬鹿げた選択をする学生もいなくなるだろうし、任官の暁には本当の意味での将校団が自衛隊内に出来上がる。将校団は自衛隊の改革において主軸となり、ひいては下級の曹士を撫育し、彼らを通し市井に国防意識を啓発する教育者としても機能し得るだろう。将校団は教師……否、司祭とでも言おうか」

「……」

「防衛大の改革は、それら後々のグランドデザイン構築に必須の土台作りとでも言おうかな」

「改革? 学生が?」

「市井の大学と同じだ。市井の大学では、志を持った学生が本部と粘り強く交渉し、学生の本分を全うし社会に貢献するための権限を獲得しているだろう? もっとも、彼ら大学生の多くが、その権限を己が我儘を通すための屁理屈と混用しているようだが……」

「……」

 健太郎は黙って士道の言葉を聞いている。それが士道を満足させ、新たな言葉を紡がせる動機となっているかのようであった。

「……防大にもそういう動きがあって然るべきだ。手法としては現状の防大でも学生による自決が認められている所がある。その部分を徐々に拡大していく。拡大した部分を、学生の修養のために充てる。具体的には自由講座の充実とより新しい軍事、戦闘に関する知識、技術の習得だ。全ては自主自決の精神の下で行われる」

 そこまで言い、士道は天を仰ぐ。丁度、防衛大学校のランドマークとでも言うべき無個性な時計塔の傍であった。無個性だが、やけに威厳を感じさせる塔であった。無感動に時計塔を見上げつつ、士道は言った。

「防大……嫌な響きだと思わないか?」

「いや……」

「防大はこの名前を捨て去るべきだ。そうだな……国軍統合士官学校とでも名乗った方がいい。これこそが、欧米白人勢力の頸木を脱した新時代の国軍を担うに相応しい名称だ」

「国軍……か」

「ぼくの父は国防軍という名称を推しているが、ぼくは国軍という名の響きの方が好きだ」

 士道の足が、止まった。

「今度の夏、夏季休暇を利用しわれわれ有志は勉強会を開こうと思っている。内外より真に国の行く末を思う文化人、学識者を招き、彼らの講義を聞き、彼らと論を交えることで切磋琢磨していく。彼らだけでは無く、市井に在って国を憂い、ネット等を通し市井に向かい国の在り方を問い続けているわれわれと同年代の若者にも参加してもらう。場所は軽井沢を予定している。ぼくの父の支援者が、別荘を提供してくれるというのでね」

「人脈作りってことか」

「少し違うな。日本を変える同志を得る貴重な交流の機会だよ」

 暫し健太郎を監察するように見、士道は言った。

「そこで要件だが、君にも、われわれの集まりに参加して欲しい。一緒に軽井沢に来て欲しい」

「……?」

 健太郎は、思わず士道を見返した。我が意を得たりとばかりに笑い掛け、士道は続けた。

「君と、ぼくは似ている。出自もそうだが、防大に学んだという肩書を皮切りに、日本を変える何者かになろうと望んでいる点が共通している」

「士道、それは違う。おれはそれを望んじゃいない」と応じる健太郎の声には、少なからぬ狼狽があった。

「いいや、違わない」士道の返答は即座で、断固としている。

「これから先、日本は修羅に()る。かつて武士が日本の向かう先を差配(さはい)したように、武官が日本の行く先を切り拓き、日本を導く時代が来る。望んでか望まずしてのことかは知らないが、君も否応なくその武士の一人となる」

「武士というのは職業じゃない。生き方だ。武士でありたいと思うのなら、自衛官を択ばずとも良かっただろうな」

 純粋に国防という使命を望んでではなく、政治活動の手段として自衛官たるを目指した者に対する、明らかな反駁――抗弁した健太郎を、士道は鼻で笑った。

「実際に戦場を見、彼我の血肉を目の当たりにした武士と、そうでは無い武士とでは違う。ぼくは前者になろうと望んだのだよ。君も防大に入り、幹部自衛官になる以上いずれそうなる」

 不意に士道の手が伸び、士道の眼が刃の様に煌めいた。

「蘭堂健太郎、ぼくと共に来い。新しい日本で生きるために」

「……」

 表情を消し、健太郎は手を延ばした。健太郎の素手が、真白い手袋を施した士道の手に向かって延びる。あと一寸ほどの差で、素手が手袋の指先に触れようとしたそのとき――

「士道、悪い」

「……?」

 士道は眼を疑っていた――健太郎の素手が離れ、そして遠ざかる。

「夏は先約があるんだ。それに――」

「蘭堂……!」

 士道の唖然――健太郎は踵を返し、もと来た途を遠ざかる。

「――おからコロッケが、おれを待っている」





 夏――蘭堂健太郎にとって最も鮮烈に印象付けられたそれは、呆気なく過ぎた。

 ただし日本から遠く離れたスロリア後で起こった異変は、自衛隊、ひいては防衛大に限っては少なからぬ影響を及ぼした。先ず、夏季の恒例行事であり、例年通りであれば健太郎たちもその一端に触れることも叶った筈の富士総合火力演習が中止となった。


 「自粛」……というのが表面上の理由であったが、中止の意思が表明された時点で自粛とはまた異なる事情――言い換えれば「意思」――の介在を確信した者は自衛隊の内外には少なからずいた。何より、中止された総合火力演習の直前以上に規模と真剣みの度合いを増した演習が、それも富士演習場に留まらず日本各地の演習場を舞台に行われるようになったという事実が、人々の推測を補強する材料となった。


 防衛大学校に至っては、健太郎たちにとって最後とも言える開校祭が中止になった。その代わりと言っては語弊があるのかもしれないが、夏季休暇が明けるや、健太郎たち陸上要員限定で集中訓練の日程が組まれた。平時であれば翌年の一月に行われる筈の冬季集中訓練を前倒し……否、拡大する形で、健太郎たち陸上要員3、4学年生もまた銃を執り、日本各地の駐屯地に赴くこととなったのである。


「――予備自衛官の召集が始まってるらしいぜ? もう一万人は集まってるんだと」

「――志願者も増えてるらしいな。おれたちの部隊研修が潰れたのはその対応で手一杯だからって防衛省(ほんしょう)にいる叔父貴から聞いた」

「――じゃあ、何でいまおれ達も集合訓練なんだ? 数が足りないってのか?」

「――決まってるだろ。いざとなったら、おれたちにそいつらの小隊長になれってことなんだろうぜ?」

「――あーあ……やっぱ海上行っとけばよかったなぁ」


 同級生たちの会話を背中で聞きつつ、「前倒し卒業」――アニが漏らした言葉の意味を、健太郎は今になって深く噛みしめている。噛みしめつつ、再び防大を出た健太郎は他の学生と同様、JR東海新横浜駅のホームへと歩を進めている。彼ら防大生を派遣先へと送り届ける――否、輸送する――臨時八両編成の新幹線が、すでにホームに進入して野戦服姿の学生たちを待っていた。


 当初、車両を貸し切るという形で通常便を使う案が優勢だったが、「市民に不安を与える」という懸念が防衛省サイドからも実施部隊サイドからも示された結果として、国土交通省との折衝の上、専用車を用意するという策が生まれた。ただしそれも表向きの理由であって、その実、輸送手段としての「新幹線の軍事転用」という、より物々しい意図に基づく試行としての意味合いが強かったのかもしれない。健太郎たち防大生は、その実験材料であった。


 彼ら人員とは別に、装備を貨物輸送仕様の新幹線で目的地まで運ぶ手筈もまた調えられていた。貨物輸送用の新幹線自体は本来、「転移」後の燃料事情の悪化に備えて計画され、実現を見たものであったが、それ以前に物流網の拡張に伴う輸送需要の高まりの一方で、陸運に従事するトラック運転手の不足と過重労働問題の顕在化が、計画の実現に拍車を掛けたという側面も存在したのだった。

 具体的には、新幹線規格の専用車体に物資を詰めたコンテナを専用のボーディングターミナルから搬入し、目的地のボーディングターミナルから陸送に切り替えるという手順を踏むことになっている。貨物輸送が始まった当初は航空便用のコンテナを流用していたが、この時点ではより省力性と収容力に優れた新設計の専用コンテナへの切り替えが始まっていた。


 八両全て自由席という、貸し切り同然の新幹線、同じく集中訓練への参加が決まった沢城が健太郎の隣に座り、言った。

「ケンタ……おまえ、実家には帰らなかったんだって?」

「ああ」

 とだけ健太郎は応じ、未だ動き始めていない新幹線の車窓へと目を転じた。

「ボート部の合宿があったからな」……事実であり、健太郎の場合、それは蘭堂家の敷居を跨がない方便ではなかった。だが――

「――それでも、二日ばかりは余裕があっただろう? ケンタの実家、都内なんだろ?」

「いいじゃないか……そんなこと」

 と応じる健太郎の声には、苛立ちが混じっている。沢城に対してではなく、父、寿一郎に対する苛立ちであった。休暇の前日に入ったメールが、蘭堂家への帰宅を促すものであったから、健太郎の怒りもある意味当然のことであったのかもしれない。蘭堂家からは離れたつもりが、向こうはそう思ってくれないものであるらしい。

 振動が止まり、新幹線が滑る様に走り始める。北の方向であった。

「ケンタって……そういうトコちゃんと線を引く方なんだな。プライベートって、曖昧にしておいた方がいいこともあるのに」

「タケちゃんと同じだよ。おれにとって自衛隊は、誰にも迷惑を掛けずに一人で生きていくための手段だ」

「……まあ、父親べったりの誰かさんよりは、建設的な考え方なのかもしれないけどな」

 沢城の言葉に、健太郎は苦笑しようとして思わず咳き込んだ。沢城の言う「誰かさん」が、士道 資明のことを指すのは、最早他言を要するまでも無いことだった。夏季休暇を利用した勉強会の最中、士道は彼自身が持つテレビ番組『次代日本青年の矜持』において、一部の学生により防大生の有事に向けた団結が乱されていると語気を荒げて語り、物議を醸したものだ。

 その士道は海上要員で、いまは部隊研修で江田島にいる。


「まったく……あの馬鹿、学生の団結を乱してるのはどっちだってんだよ」と、沢城は愚痴る様に言った。

「だけど……おれ達に限っては士道の言う通りになってしまったな。今のおれ達は有事の只中にいる」

「有事? これが?」

 と、沢城はわざとらしく惚けて見せた

「単に順番が替わっただけじゃないのか? 校内行事の」


「――中島のやつ、集中訓練終わったら防大辞めるそうだな」

「――集中訓練受ける位やる気があるんならまだいいよ。うちの中隊なんて、休暇終わってから未だ四人も防大に戻って無いんだぜ? 学生長真っ青になってたよ」

「――その学生長が辞めちまった中隊も出たらしいな。このままじゃ日本が潰れるより先に防大がどうにかなりそうだ」

「――よせよ。縁起でもない」


「……」

 後席から聞こえてくる学生の会話に、健太郎と沢城は何時しか神妙な顔で聞き耳を立てている。「転移」以来絶えて久しい、迫り来る戦争の気配を前にして、自分の意思で防衛大学校の一員であることに終止符を打つ者が出てきているのは事実であった。本部もまたそうした学生、ひいては行く末を案じる学生の家族への対応に忙殺されているところだ。


 沢城が、言った。

「……ケンタが先に戻った後、おれも言われたんだ。防大辞めて家業を手伝う積りは無いのかって」

「それで?」

「すぐに防大に戻ったよ……このまま実家にいてカアチャンたちに甘えてたら、二度と防大に戻れなくなるんじゃないかと思うと怖くなってさ……」

「卒業するときに考えればいいだろ……ローリダ人とかいう連中も、それまでは待ってくれるさ」

 沢城は苦笑した。

「……顔を見てみたいもんだな。ローリダ人ってやつらの」

「口から牙が生えてるさ。もっと言えば頭に角もある」

「そして……人間を食うのか?」

「そうだな……あれだけのことをやらかす連中だし」

 何時しか二人は、近い将来に向き合い、共に顔を微笑ませていた。


 宮城県仙台駅で、健太郎は新幹線を降りた。沢城とはここで別れた。彼は北海道の部隊への派遣を命じられたためだ。東北方面総監部も所在する仙台駐屯地、健太郎たちはそこを根拠地とする東北方面混成団の預りとなり、集中訓練に臨むことになっていた。

 健太郎は平然として自身の派遣を受け入れたが、彼と共に東北の地を踏んだ者の中には、不安を隠せないでいる者も少なからずいる。二ヶ月という異例の長期派遣であるのも然ることながら、今次の集中訓練がスロリア派遣をも見据えた、本格的な戦闘訓練になるのではないかという懸念が生じ始めていたためであった。


「――おれたち、レンジャー訓練受けさせられるらしいぜ?」

「――冗談だろ……まだ任官すらしていないじゃないか」

「――おれたち防大に入って三年以上で、しかも階級じゃ曹扱いだ。しかも入校した時点で三曹になってるやつもいるし」

「――じゃあ、レンジャー訓練に放り込んでも問題ないってか」

「――だいいちレンジャー課程って、三か月じゃないのか?」

「――戦争前になったら……いろいろと短くなるものさ。あの特攻隊なんて、一月(ひとつき)くらいの訓練で送り出されたっていうぜ?」


 同級生たちの会話を聞きつつも、黄昏の黄色い手が延びつつあるホームに降りた瞬間、その場に居合わせた人々の視線が一度に、それもほぼ同時に集中するのを健太郎は肌で感じた。彼らの日常にそぐわない異様な出で立ち故の、当然の成り行きと言えるのかもしれなかった。米俵大程のダッフルバッグを背負い、迷彩色の野戦服に身を包んだ一団が新幹線用のホームを抜け、駅構内を外に向かい行進する。行きかう人々は大人子供の別なく歩みを止め、画一的に過ぎる若者たちの姿に眼を奪われてしまっていた。


「――がんばれ!」

「――じえいたいがんばれっ!」

「……?」

 健太郎だけでは無く、少なからぬ数の学生が側からの呼び掛けに目を転じた。兄弟と思しき子供がふたり、声を張り上げて声を掛けて来たことを知る。同じく構内巡視であろうか、警察官がひとり背を正し、学生の列に向かい敬礼を送っているのを健太郎は見た。

 出迎えの陸曹たちに導かれるがまま出た駅の西口、自衛隊制式のトラックでは無く民間仕様のリムジンバスが、車体を連ねて健太郎たちの乗車を待っていた。学生を乗せるや、バスはまるで文明の中枢から逃げる様に仙台市の西、そのさらに郊外へと走って行く。直線距離にして四十キロ余りの道程を経た先――


「――王城寺原か……」と、後席の学生が呟くのを健太郎は聞く。

 東北地区でも最大規模の演習場たる王城寺原演習場、バスは入口で合流した高機動車に先導され、その深奥に向かい走るにつれ、火砲、装甲車両と言った重装備が居並び、あるいは点在し始めているのが見え始める。小規模な段列が眼前に広がり、それを前にしてバスは停まった。下車して判ったことだが、段列は学生用の、いわば宿舎であった。それも、召集されたばかりの予備自衛官によって構築された段列だ――特に任期満了後に、建設関係の職に進んだ者が優先的に召集されている? と思わせるほどに設営の手際は良かった。


 翌日、先着していた装備を受領し、別地点への短距離の行軍、それに続き本格的な戦闘訓練が始まる。そこまでは例年の集中訓練と変わらなかったが、例年になく演習場に集中している重装備が、そこに一種の「華」を添える形となっていた。

 状況によっては、健太郎たちは装輪装甲車に搭乗、あるいは九〇式戦車に跨乗(こじょう)して対抗部隊の深奥まで機動し、その逆に機動して来る対抗部隊を伏撃するという状況も体験する。自然、普設こと普通科と施設科の協働、あるいは普戦こと普通科と戦車部隊の協働を強いられ、防大生たる彼らが決心――戦闘行動における決断――を問われる局面も発生した。

 本来ならば防大卒業後に幹候校や富士学校でやるべき内容を、防大の3、4年生に学ばせている?――健太郎が抱いた疑問を、演習場に放り込まれた全ての学生が共有するのに、幾許も時間は掛からなかった。予期されたレンジャー訓練など影も形も無かったが、今度は別の意味での不安が頭をもたげ始めている。


「――やっぱり、おれたちスロリアに行かされるんだ」と、野外での昼食を兼ねた休息時間の際、ひとりの学生が言った。

「――装備の移動が始まってるんだってな。石巻湾に事前集積船を集めて、そのまま載せてノイテラーネまで持って行くって」

「――新幹線の次は、船旅か……」

「――行くのは構わないけど、気持ちの整理を付ける時間ぐらいは欲しいよなぁ」


「…………」

 学生たちの会話を聞きつつ、健太郎は盆に盛られたカレーライスをかき込んでいる。鶏肉の唐揚げとフルーツジュースの添えられたカレーライスという昼食の献立、特にカレーは、防大で食べるそれとは思えぬ程に上品な味付けである様に感じられた……子供の頃、祖父や父に連れられてよく行った銀座の高級洋食店のカレーに味の輪郭が重なる。

 自然、健太郎の眼は野外炊事具に取り付き、なおも続く隊員の列に配膳を続ける給養員に向かった……彼らもまた、召集に応じて市井より再び演習場の地を踏むに至った予備自衛官であるのかもしれない――休息を取る隊員の中を割る様に、野戦服姿の幹部に取り巻かれる様にして歩く、やはり野戦服姿の将官を前に、健太郎のみならず全ての防大生が弾かれた様に立ち上がる。


「――阪田総監!」

「……?」

 食事をそっちのけに起立し敬礼した一団を、将官は横目で睨む様にした。ギョロリとした大きな眼の中で、ただ黒い光が無機的なまでに学生たちを貫いている。陸上自衛隊東北方面総監 陸将 阪田 勲――健太郎はいま、位置的には演習場の支配者とでも言うべきこの人物と正対するかたちとなっている。総監を先導していた幹部が健太郎たちの前に進み出、作り笑いも生々しく語り掛ける。

「お前たち、楽にしろ。食事を続けていいぞ」

「彼らは?」と、阪田総監は傍らの副官に聞いた。堅肥りの体躯に相応しく重い、かつ響く声であった。

「集中訓練中の防衛大生です」

「予備自衛官かと思ったが、違うのだな」

 言いつつ、阪田総監は答礼した。驚いたことには、その足は健太郎に向かっている。

「君、名前は?」

「蘭堂 健太郎 防衛大学校4年生です」

「蘭堂学生」と、阪田は健太郎の背後に広がる演習場の全景を指差した。なだらかな丘陵と台地の並立、あるいは交差によって構成される王城寺原の地――

「――この王城寺原の地形は、スロリア中部の平原地帯に似ているそうだ。君はスロリア平原で武装勢力と戦うにあたり、如何なる戦略を以て臨むか?」

「……!?」

 健太郎の周囲からどよめきの声が上がる。不意に質問を投げ掛けられたことに対する驚愕が、戦争に臨むことへの不安に一時勝った形であった。健太郎は背を正した。回答は即断に近かった。

「機甲科、自動車化部隊を以て敵地上部隊の側面及び後背に占位し、正面からは火砲の集中投射を以て敵軍に出血を強い、包囲殲滅にあたるのが理想と考えます。ただし……」

「ただし……?」

「問題は、敵の出方です。私が敵の指揮官であるならば……主力を彼らの根拠地たるスロリア西端まで退いて防衛線を構築し、西端に至る主要路にトラップ及び遊撃部隊を配し、敵……つまり我が方に出血を強います。それらの障害に対処する内に消耗し、疲弊したところを、主力を以て攻勢に転じることも可能でしょう」

「敵側だが、そう上手くいくかな?」と問い返す阪田の表情は、無感動を保ったままだ。

「つまるところ、敵にとって最善の手は時間を稼ぐ事です。補給路を引き延ばし、さらに時間を掛けることで我が方に補給上の過大な負担を強い、ひいては政府部内及び日本国民の間に厭戦気分を生じさせるという効果も期待できます。国民が期待しているのは、国外に出動した自衛隊が少ない損害で、かつ短い期間の内に最大限の効果を上げる事です。その期待が裏切られた時、国民は我々の作戦を、かの日中戦争及び太平洋戦争に於いて生起した終わりの無い消耗戦の再来と見做すでしょう」

「……」

 阪田総監は腕を組んでいた。健太郎は知らなかったが、それが他者の意見に真剣に耳を傾ける際に取る仕草であった。健太郎から演習場に視線を移し、阪田総監は言った。

「敵を、スロリアのど真ん中に引き寄せ、釘付けにする策が必要になるな。もしくは迅速な包囲殲滅か……」

 そして、次は笑顔で健太郎に向き直る。硬い、だが飾りの無い笑顔であることに健太郎は内心で戸惑う。と同時に、古の戦国武将はこういう笑い方をするのかもしれないなどとも思った。

「蘭堂学生、君は何大隊か?」

「4大隊です」

「去年の『棒倒し』優勝大隊だな」

「はい……!」返事に、思わず力が籠った。阪田総監はまた笑った。

「わしも4大隊で、優勝大隊だったんだ」

「…………!」

 笑顔――それを絶やさないまま、阪田総監は健太郎を下がらせ、そして学生たちに向き直った。


「君たちは学業の最中にここ王城寺原まで駆り出され、一般隊員に混じり訓練に精励しているが、まことにご苦労な事であると阪田は思う。だが、一連の長期訓練はその終了を以て君たちを即外地での任務に投じることを意味するものではない。将来の陸上自衛隊を背負って立つ者として、君たちにはなおここ本土に在って学ぶべきことが沢山ある。と同時に、自衛隊幹部として必要な心構えを今の内に磨いておいてもらいたい」

 語り掛ける阪田から笑顔が消え、次には当初の厳めしさが将官としての彼の佇まいにひとつの神々しさをも与えていた。


「君たちも予期しての通り、近い将来我が国は、スロリアの地を舞台に、これまで予期し得なかった敵対勢力との間に戦端を開くことになるかもしれない。と同時に、我が国の防衛環境は少なからず一変することになるだろう。君たち防大生は外界の変転に一喜一憂することなく、粛然と国の護りに当たって欲しい。本官はこれを期待するものである」

 言い終わるや、同伴の幹部が学生に敬礼を命じた。一斉に向けられた敬礼に答礼しつつ、阪田総監はそのギョロ眼を、学生たちに向けて一巡する――陸将 阪田 勲がスロリアPKF総司令官に任命され、東北方面総監部を離れたのは、この日からほぼ二週間後のことであった。

 それはまさに、健太郎たちがスロリアへの自衛隊介入あるを確信した瞬間でもあった。



 自分たちが各地の主要駐屯地に配された真意が集中訓練の他、九月以降演習を名目に暫時国外に転出している陸自部隊の「留守居役」でもあることに健太郎たち防大生が気付いたのは、二ヶ月という長期派遣もその半ばを過ぎた十月に入ってからのことであった。

 九月の後半から十月の初旬に至る期間を、健太郎たちは東北各地の駐屯地に在って、研修と座学に時を費やしている。彼ら防大生の他、現役の幹部及び曹士の大半が抜けた替わりに、召集された予備役が駐屯地において数的な優位を占め始め、駐屯地内に併設された演習場を舞台に彼ら予備自衛官と訓練を行うこともあれば、それ以外の行動を共にする機会もまた増え始めていた。


 国外への「転地演習」により重装備がごっそりと抜けた穴を埋めるためか、新品の装備が駐屯地内に搬入され始めたのもこの頃である。新品とは言っても大小型のトラックから高機動車、軽装甲機動車どまりで、新規配備火器に至っては小銃及び機関銃、無反動砲、対戦車誘導弾ぐらいなものだ。それでも眼前の現実を目の当たりにするにつれ、おれたちは後衛なのだという意識が、学生たちの間にじんわりと浸透していくのを健太郎は肌で感じている。


 健太郎たち防大生には専属の教官が付いた。教官とは言っても定年退職を迎えた隊員、特に第一空挺団及び水陸機動団の戦闘職種に在籍経験のある者が嘱託という形で学生隊付きとなり、防大生たちに実技指導を行っている。具体的には持久走、体操を交えた体力練成。爆発物、通信機の取扱い。拳銃と徒手格闘を駆使した閉所戦闘の訓練――演習場よりも日程が密に組まれている分、陸自の上層部が将来の幹部候補生たる彼らに野戦指揮官としての促成教育を施しているのは明らかであった。

 志願者には降下塔を用いたラベリングと断崖登攀の訓練まで施されるという力の入れ様で、課程を修了した者には任官後に幹部レンジャー教程を志願した際、これらの科目が免除されるという風聞が学生たちの間で流れた程である――もっとも、風聞は程無くして集中訓練を担当する主任幹部自身の口から否定されてしまったが……「そんな都合がいいこと、今どき本土決戦になってもあるわけないだろ」と、その古参幹部は学生を叱りつけたものであった。


 ただし二十四時間訓練漬けの演習場と違い、駐屯地における訓練は1715の課業終了時間きっかりで終わり、土日の休日には普通に外出できることが学生たちを喜ばせた。演習場に足を踏み入れた頃の緊張感は二週間余りで霧散し、次にはボーイスカウトのキャンプを思わせる和やかさが防大生たちの間には漂い始めている。

「――このまま、防大に戻らずに卒業できればいいのにな」と言った学生もいた。




 防大の外で深まる秋を、健太郎は実のところ愉しんでいる。

「――父さんへ

 ぼくはいま、杜の都仙台にあって、幹部候補生たる総仕上げとでも言うべき訓練に励んでいます……」

 タブレットのメールソフトに打ち込んだ下書きは、そこで止まって一時間が過ぎていた。

 集中訓練の締め括りたる長距離行軍訓練を翌週に控えた土曜の午後、健太郎は仙台市内の喫茶店に在って、時間を潰している。

 外泊許可も貰っていた。外泊には外泊時の連絡先の申請が必要であったが、仙台市内に実家のある同級生がいたことが、健太郎の休日にあたりひとつの僥倖をもたらしていた。かと言って防大から持ち出せる衣服が冬季常装である上に、制服を着て見知らぬ街を闊歩することに気遅れを感じたためでもある。

 健太郎にこれと言った行先は無かった。大都市の中を人込みに紛れ、あるいは掻い潜りつつ街中を歩いている中で、彼は偶然見出した喫茶店に駆け込む様にして入ったというわけであった。喫茶店は、そのこじんまりとした入口に比して広かった……正確に言えば、喫茶店には入口からは想像が出来ない程の奥行きがあった。洞窟の奥を思わせる喫茶店の間取り。その中央にテーブル席を見出し、健太郎は隅の席に座った。

「コーヒー……ブラックをひとつ――」――それから一時間が過ぎている。

 それからを健太郎は、読書とネットサーフィンで漫然と時間を潰していた。コーヒーの芳香に煙草の臭いが重なった結果として、喫茶店を流れる空気は濁り、かつ甘ったるい。客の入りは少なかったが、それ故に狭い空間の中を流れる時間になだらかさを与えていた。此処にいる人々も健太郎と同じようなもので、身内の話に興じたり、ひとりで読書を決め込んだりと、互いの領分に踏み込むこと無く、全てはジャズピアノの硬質な響きに乗った気配となって健太郎の周囲を過ぎっては消えて行くのだった……思えば、久しぶりで感じた安息――


「――あの制服、カッコよくない?」

「――何処の高校かなぁ……」

 と、少女の囁く声を背中で聞く。健太郎に遅れて入って来た女子高生の一団であることを、彼は知っている。その女子高生の集団には、話しかけられて来ないまでも興味の眼を注がれているのが判った。ネットの電子新聞に没頭する健太郎の周囲で幾度か客が入れ替わり、さらに一時間が過ぎる――再び開いたメールソフトの下書きに向き直り、改めて文面の拙さに苦笑しつつも、画面に走らせる指を躊躇う――諦めて嘆息し、健太郎は席を立った。


 喫茶店を出るのと同時に、乾いた風が健太郎の頬を撫でた。喫茶店の面する路地から本通りまでは距離があって、その間をスナックや小料理屋といった店が軒を連ねている。秩序と混沌が絶妙の配合で入り混じった小路に眼を愉しませつつ歩き、本通りに向かい合う――

『――自衛隊のスロリア派遣反対!』

『――異種族との対話徹底を!』

『――政権与党の帝国主義的拡張を許すな!』

『――教え子を戦場に送るな!』

「……」

 健太郎は呆然として立ち尽くした。幟の数だけシュプレヒコールが上がり、人の波が本通りの中央を埋め尽くしている。中学生から老人に至る多様な年齢層から成る群衆の列、ただし群衆であるが故に何者も彼らの歩みを妨げる術を持たないかのように思われた。平和を訴える横断幕を掲げ、政府を批判する幟を立てて進む彼らと同じ光景を、健太郎は以前にも目にした事がある。

 「転移」前にも繰り広げられた光景、国外への軍事力行使に反対し、政府を弾劾する人々の集まり――ただしそれは当時の健太郎にとってはテレビの向こう側の光景であり、今に至るまで彼自身の人生と交差することの無い光景であるように思われていた。そんな無思慮は、自衛隊という組織の一端を担う今となっては、当然通用しなかった。


 沿道の人々に混じり、反戦デモの行く末を見守る健太郎の目が、交差点に達したところで固まった。反戦デモとはまた趣きの違う一団が交差点の付き当たりから近付いて来るのを察したからである。横断幕も幟も無い、ただ無数の日の丸を掲げた群衆――ただその様子だけでも、健太郎の眼前を過ぎった群衆とは正反対の主張を有する人々であることは明白であった。

『――日本はスロリアで正義を執行せよ!』

『――スロリアの恥辱を晴らせ! 自衛隊は発て!』

『――自衛隊支持! 挙国一致内閣支持!』

『――国を愛する者は共に戦おう!』

 声を張り上げ、群衆は足を速める。異変の兆候を嗅ぎつけた交通整理の警察官が群衆に進路変更を促すも、時は既に遅かった。対立者を見出すや、血気に逸るがまま先走ったのは群衆の全員ではない。だが少数の暴走は、油膜に火を近付けた時と似た激発を生んだ。個人同士の揉み合いに群衆が加わる。最初に怒声が生まれ、次には悲鳴が生まれた。


「大変だ! 人が倒れた!」

 沿道に詰める人々の間から声が上がる。それを聞いた幾人かがガードレールを乗り越え、交差点に向かい走り出す。健太郎もまたその一人だった。群衆が崩れ、押し倒された参加者がアスファルトに横たわっているのを見る。健太郎が驚愕したことには、崩壊した群衆に近付いた彼らの多くがカメラや携帯電話を手にした単なる野次馬であったことで、健太郎は当然、彼らの一員に数えられる積りは無かった。倒れた参加者を抱き起こし、あるいは肩を貸して沿道まで誘導していく――反対側の沿道、制服姿の女子が二人、ガードレールの傍に座り込んでいるのを見る。

「大丈夫?」

「…………」

 あどけない顔を強張らせて、ふたりの少女は健太郎を見上げた。見れば、一人の膝の皮がぺろりと剥がれ、血肉が剥き出しになっている。咄嗟に伸ばした手で少女の脚に触れ、具合を確かめたところで、健太郎は言った。

「縛るから」

 取り出したハンカチを健太郎は引き裂き、手持ちのウェットティッシュも重ねて傷口に充て、巧みに縛り付けた。集中訓練で学んだ通りの応急処置――何時しか二人の少女は眼から隔意を解き、健太郎の素早い手際に見入っている。

「歩ける?」

 と健太郎が声をかけるのと、少女が立ち上がろうとして失敗するのと同時だった。何処からか救急車のサイレンが聞こえて来た。

「あなたは……」

「さあ、いいから」

 健太郎は少女に笑い掛け、背を貸した――事あるに備えていたのか、警備車両がすぐ近くに控えていたのは僥倖だった。警官に少女たちを託して帰路に就いた宿泊先、そこで健太郎は、戦争反対派、支持派双方の衝突により十名近くの重軽傷者が出たことを知った。




 時は翌週に移り、行軍訓練が始まった。

 前夜、健太郎たち防大生は仙台駐屯地から東北管内の多賀城駐屯地まで移動し、明朝を期して王城寺原演習場まで直線距離にして四十km余りの距離を行軍することになる。防大生陸上要員の研修という目的の他、今次の行軍には忍びよる戦争の気配を前に、動揺する民心を鎮めるという新政権の意図も存在したのだ。つまりは完全装備の隊列を以て堂々と仙台市中を抜けることで、自衛隊の健在なること、日本の防衛体制の盤石なることを広く知らしめるという効果である。


 防大生の他、行軍には教育隊を経て部隊配属されたばかりの新隊員、陸曹候補生も加わる。むしろ後者が今次の行軍訓練の主力で、数的にも少数の防大生は「おまけ」程度の位置付けでしかない。

 行軍を主導する総監部の幹部、防大の教官たちの表情もまた、決して晴れやかなものとはなってはいなかった。隊員、それも入隊して半年も経ていない新隊員と任官すらしていない学生――彼らの何処に、国防の一端を担わせるに足る力量を要求できるというのか? 第一線部隊らしい練度と威厳を醸しだすには、あと半年……否、せめて三月の時間が欲しい所であるというのに。さらには、彼らを指導し叱咤するべき熟練の曹士はとうに遠きスロリアの地へ出払っている……


 朝、時間にして0630――非常呼集という形で起床と集合が下令される。寝床から跳ね起き、使い込んだ装備全てを担って駆け込んだ営庭。スロリア方面軍司令へと転出した阪田陸将に代わり着任したばかりの新総監の訓示を聞き、営門を仙台市中に向けて出る頃には既に日が昇っていた。空は、日本の先行きに似合わず蒼く澄んでいた。

 異変は、隊列が仙台市の郊外に達した時点で生じ始めていた。私服姿の老若男女が自衛官の行軍する先々の沿道に並び、あるいは佇んでいるのを健太郎たちは見る。彼らの例外無く反戦とスロリアへの介入反対を訴えたプラカードを掲げている。中には自衛官に向け、挑発的なジェスチャーを送って来る者もいた――それらの挑発に堪え、あるいは超然として自衛官は歩みを刻んでいく。


「……」

 敵意に両脇を挟まれて車道の脇を歩きつつ、戦争が起こればいいのにと健太郎は思った。一度戦争が起こり、日本が有事一色となれば、皆が自衛隊を見る目は一変するだろう。少なくともいま自分たちが晒されている様な悪感情は忽ち霧散するに違いない――

 ――いや、いけない。とも健太郎は考える。

 活躍の場たる有事への希望――それは甘美だが、余りに危険なものの見方だった。有事が起こったからと言って、自衛隊が尊敬の対象になるのはごく短い一時のうちだ。その後には自衛隊は恐怖、あるいは忌避の対象に転じるかもしれない。

 今のところ、自分が身を置いている自衛隊は世間に流れる空気からは超然としているが、それも永遠では無い様に健太郎には思われた。あの士道 資明が言ったように、以後一年を跨ぐか跨がないかの内に日本は変わるだろう。その来るべき変貌が自衛隊に如何なる影響を及ぼすことになるのか、彼には未だ、確たる展望を持つことが出来なかった。隊列は郊外を脱し、演習場へと国道を(さかのぼ)る。


「――!」

 国道を走る車が、隊列を追い抜きざまに、あるいは行き合う度にクラクションを鳴らしていく。それが自衛隊に対する非難では無く、その逆を意味することを多くの隊員が理解するのに、少しの時間が必要であった。車上から自衛官に向けて手を振る子供たち、時には「がんばれ!」といった言葉すら飛んで来た。自然と歩調が上がり、隊列は田畑に囲まれた道を北、あるいは東へと辿って行った。


 何時しか赤十字を塗った中型トラックが隊列の前後を忙しげに行きかっていることに健太郎は気付く。野戦用救急車が落伍者を収容しているのだった。心なしか、予備自衛官の行軍していた場所にそれらの動きは集中している様に見えた。落伍はしないまでも、落伍せぬよう荷物を持つ必要のある隊員は周囲にも少なからず生じている。

 健太郎は新たに無反動砲を担ぎ、より重くなった一歩を踏み出した。それからは、気力の勝負であった。夕暮れ。隊列が懐かしい王城寺原演習場に向かって鉛の様に重い脚を引き摺り、陸曹に誘導されるがままその入口に近付いたとき――


『――自衛隊は出て行け!』

『――近隣住民を威圧する演習反対!』

『――スロリアに対話と平和を!』

 出動した警官隊にこそ、反対派の群衆はその行く手を阻まれてはいるが、自衛隊に対する敵意と悪意は、拡声器で増幅された声に乗って自衛官の臓腑を抉る。それでも粛然として隊列は演習場の入り口を越えた。健太郎にしても、呪詛の言葉を吐くには必要な気力が残っていなかった。残った気力は、演習場に入ってから迎える終わりの儀式――台地への銃剣突撃――のための取っておかれるべきであった。

 隊列の前方に付き従う様にして演習場の敷地に入る途上、側方に在って警官隊と対峙する群衆の中にある人影を見出し、健太郎は一瞬我が目を疑った。先日の衝突に居合わせた際に出会ったふたりの少女――そのひとりと健太郎の目が合い、少女は健太郎を指差しつつ連れ合いを促している。二人の少女は忽ちトラックの影に隠れ、その後には突撃準備の命令が待っている。


 陸上自衛隊に於いて、行軍は目的を達するための手段であり、その完遂自体が目的には成り得ない。平時において行軍は、仮想の敵陣地に対する突撃、制圧を実施するための機動と認識される。

 健太郎たち防大生もまた、自衛隊で行われる行軍にひとつの例外が無い事を、これまでに重ねて来た集合訓練で教え込まれ、身体に叩き込まれてきている。集合地点に突撃に不要な背嚢、資材類を集積した後、行軍に参加した隊員は攻勢開始点まで前進、仮想敵の所在する高台を目指し攻勢に転じることとなった。



「――小銃、弾込め、安全装置」

「――小銃、着剣!」

「――小隊、突撃!」

「――ッ!!」

 前進を告げる警笛が鳴る。隊員は着剣した89式小銃を前に構え、最初はゆっくりと傾斜を登る――ゆっくりとした歩みはそのまま競争同然の疾走へと転じ、隊員は彼が属する班単位、あるいは個人単位で傾斜を駆け昇る。一つの山を思わせる程に巨大な高台、その頂点にこそ隊員の目指す処がある。

「――っ!?」

 前方を駆け昇っていた学生が転び、斜面を転がり落ちるのを健太郎は見る。地形が急峻であることもそうだが、彼の意思に疲労しきった躯が付いて行かないのだ。それでも彼は斜面にしがみ付き、取り落とした小銃を拾い、這う様にして斜面を登って行く。機関銃、無反動砲といった重装備を担う兵に至っては、装備の重さで姿勢を崩さぬよう最早犬の様に地を這い上っていた。健太郎もやがては力尽き、這い蹲る様にして高台の頂きを目指すひとりの兵でしかなくなっていた。

泥に塗れ、気力の続く限り頂きを目指して進むひとりの兵士――

「――」

 健太郎は思った――此処はスロリアか?

 スロリア、烽火の上がった地スロリアであったならば、自分は何を為すべきであろうか? 周囲の隊員を掌握し、未だ見ぬ敵の妨害を排除するように命じ、自分もまた銃を執って敵兵を撃つ。あるいは銃剣を揮い敵兵の胴体に突き立てる……返り血に塗れ、硝煙をその躯に染み込ませ、弾幕を潜り自分はなおも前進していく。後に続く部下の進む指標となるために。あるいは、部下に勝利への希望を与えるために――

「――状況終わり!」

 行軍指揮官の声が響き、直後に状況終了を告げる警笛が幾度か鳴る。夢現の内に健太郎は頂きに達し。終了が告げられるのと同時に大地に身を委ねた。今更ながらに冴え切った土の匂い、草原を駆け抜ける風の音を鼻と耳に感じ取る。それは冬が近付いている証であった――健太郎の上空を、爆音を蹴立てて過ぎるか細いヘリの機影がひとつ。


「…………」

 OH‐1改か――近年になっては実施部隊への配備が本格化した新鋭機の名を、健太郎は脳裏で反芻する。集合を促す指揮官の声が、何処か遠い世界の出来事の様に聞こえた。台地の頂上に在って三々五々と集まり、整列する隊員の一人ひとりが憔悴を隠しきれずにいたが、その一方で頼もしくさえも思えた。

 演習を締め括る指揮官の訓示が始まり、明らかに自衛官では無い事が判る人影が、まるで軽MATのような形状のカメラを隊列に向けつつ歩き回っているのを健太郎は見た。演習を取材に来たマスコミ、形だけは真剣な顔をした特派員が、苦界を乗り越えた自衛官を背景にカメラの前で何やらまくし立てている。この演習場の主である筈の自衛隊員が只の背景?……それはあまりにも侮辱的で、無節操な行為ではないのか? 苛立ちの刃が達成感を削ぎ取って行く――訓示が終わり、あとは仙台に帰るだけとなった。


 演習場の外に待っていた大型トラックに乗り込もうとしたときも、反戦団体と警官隊の睨み合いは未だ続いていた。演習場に入る間際、期せずして再会を果たす形となったふたりの少女の姿が思い出された。装備を荷台上の学生に預け、最後に自ら荷台を登ろうとした健太郎を呼び止める声――


「……?」

 あのふたりが、自分のごく近くまで来ていたことに、健太郎は演習で伏兵に出くわしたとき以上に心臓を跳ね上がらせた。しかし無言で向き合う内、むしろ少女ふたりの方こそ意を決し自分に近付いてきた事を健太郎は察した。脚の怪我はなお分厚い湿布に覆われていたが、あのときの痛々しさはだいぶ和らいでいた。

「先日は、有難うございました」

 と、怪我をした少女が茶の詰まったペットボトルを差し出した。健太郎は一口を含み、次には茶を頭から被った。芳香を有する冷たい水が青年から汗と泥……そして憤懣と疲労とを洗い流していく――

「がんばって……!」

 ふたりの少女は言い、そのまま駆け出した。警官隊を前にデモ隊が粘っている方向であった。その軽い足取りを見送る健太郎の背に、突き刺さる目線が複数。気が付けば、荷台からは装備を解いた防大生が神妙な眼で彼らにとっての「裏切り者」を凝視している。

「…………」

 健太郎は笑った。それはその場の隊員をして疲労を忘れさせる程に、痛々しい作り笑いであった。




※おことわり:作中のあらゆる事象、描写はフィクションです。実際とは少なからぬ相違があること、製作者なりの演出が含まれていることをここに明記させて頂きます。その上で弊作をお楽しみ頂ければ幸いです。

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