第三章 「イズルド・セルミ PhaseⅢ」
一年前――ミラン王国国内基準表示時刻10月15日 午後10時30分 王国首都ナブリア
車列は、なおも動き続けている。
ローリダ共和国国防軍制式、ただし所属はミラン王国国王警備隊のドーヴェル装輪装甲車は、その車体全方位に亘り軽機関銃程度の銃撃に対する抗歎性を有し、操縦と指揮に従事する四名の外には六名の武装兵を後部キャビンに搭乗させることが出来る。
表向きは「スロリア戦役」後に始まった一般師団の自動車化構想の主軸を担うべく短期間で開発され、配備が始まったドーヴェルではあるが、予算配分の問題から配備そのものは大した進捗を見てはおらず、各師団内でも特に即応性の高い任務を担う偵察部隊にしか充足を見てはいなかった。むしろ兵力規模に比しての充足度合いは、輸入及び対外援助の形でドーヴェルを入手したローリダの友好国、従属国の方が勝っているかもしれない……もっとも、国防軍がドーヴェルの採用を決心したのには、かの「スロリア戦役」において、ニホン軍歩兵部隊の機動力の骨幹とでも言うべき軽装甲機動車及び軽量戦闘車の威力を目の当たりにし、自軍においても同様の装備の必要を痛感したが故、という事情も多少は反映しているところである。
オイシール‐ネスラス‐ハズラントスの乗るドーヴェル装輪装甲車も、対外援助という名目の下ミラン王国に運ばれ、事実上の国軍たる国王警備隊の保有するところとなった数少ない新造車のひとつであった。この国において異邦人たる彼らが、それをまるで自家用車のように扱うことが出来るのは、単に彼らがこの国の地を踏むに当たり得た「王国軍軍事顧問」という肩書の威力でもある。そしてこの肩書は、共和国中央情報局が主導する今回の作戦に当たり、彼らが果たすべき役割に深く関わるものでもあった。
「アヴァクルス」と、ナガルは今回の作戦を名付けた。多分に自画自賛のきらいがある作戦であった。それはまた、今次の作戦が成功もしない内から虚飾を施さなければならない程に、失敗の許されない作戦であることをも示していた。
独立戦争を戦った共和国草創期の英雄の名を冠した「アヴァクルス」は、つまるところ政権転覆工作であった。北デアム大陸最北の一角を占めるミラン王国は、石油を始めとする天然資源を豊富に産する国であるが、自国の技術力と財力ではそれらの採掘と精製を行うことが出来ず、結果としてそれらの事業は技術と資本力共に優れるローリダ企業の独占するところとなっている。「スロリア戦役」から遡ること十年前より始まった武力に拠らない屈従は、やはり「スロリア戦役」の結果により一変することとなった。
遠い海を越えてデアム大陸までに達した共和国ローリダの敗報は、王国の将来を憂うる人々に一抹の希望をもたらした。言いかえれば彼らにはスロリアの戦いの結果として、王国がその独力で「弱ったローリダ」の抑圧を脱する好機が訪れたように見えたのだ。スロリア亜大陸を廻る戦の勝者となった日本に頼る、あるいは阿るといった他力本願な志向とは、彼らはあくまで無縁であった。
「スロリア戦役」の翌年に行われた王国初の国民投票により、第六二代王国宰相の地位を勝ち取った学者出身のデオカル‐ザミンは、ローリダの退勢に乗じた自立と国内改革という、まさにそのような民意により択ばれた人物であった。国王から貴族、聖職者、武官、庶民、奴隷に至る厳重な階層社会たるミラン王国において、開明的な貴族の家に生まれたザミンはそれ故に平等志向の強い人物であり、公正明大な人格も許より貧民の救済事業を主導していたこともあって、王国人口の八割を占める庶民以下の階層の信望が篤かった。
一方、資源輸出事業の拡大に伴うローリダと王国上位階層の癒着は、富の偏重と階層間の貧富の格差拡大を生み、それはやがて持たざる階層の上位階層に対する実力行使を頻発させた。憤りの声はそれに圧された王政府の国民投票法発布という、傍目から見ればなし崩し的な対応を生み、そこにスロリア戦役という外的な事情が重なった結果として、反ローリダ的な人物の台頭をも引き起こしたというわけである。
国王ナスメドの命により宰相位を継承したザミンは、自国に還元すべき富を異国に吸い上げられるという不条理な状況を打破すべくすぐに行動を起こした。彼はミランの本拠を置くローリダ系資源会社複数社の国有化計画を発表したのである。「アヴァクルス」は、この反ローリダ政策に対する事実上のカウンターパートであり、「スロリア戦役」の際敵手たるニホンの国情を見誤り、共和国ローリダに空前の大敗北を喫させる原因を作ったナガルから見れば、失敗の許されない汚名返上の機会であるようにも見えた。
先行する作戦として、地方の有力者を金銭で買収し各地で反ザミンの集会を頻発させる。これと並行して王国の正規軍たる国王警備隊の有力者をも買収し、警備隊内部に反ザミンの機運を醸成する――その際に投じられた多額の金銭と払われた便宜、そして下層民を扇動する形で宰相位に就いたザミン個人に対する、守旧的な上位階層の憎悪が全てを迅速に、かつ徹底的なまでに決した。やがてナスメド国王も含め、王国の政財界にザミンの味方は一人としていなくなった。
追い詰められ、さらには身の危険をも感じたザミンは、彼自身を守るための組織を作ることで彼の包囲網に対抗した。彼に宰相の座を与えた国民投票の際、投票運動の主力となった開明的な学生団体がその母胎となった。ザミンは彼らに平民及び下層民出身の若者を加えて彼の親衛隊を作り、国王より委託された統帥権を濫用する形で首相警護隊という別の軍事組織を立ち上げたのである。それが実際には悲劇の拡大を助長する切欠となった。
首相警護隊には純粋なザミン信奉者もいれば、主義主張も無く只食うために、あるいは奴隷身分からの解放を求めて警護隊の一員になった者もいる。さらにはザミン以上に急進的な反ローリダ主義者、王政打倒論者すら紛れ込んでしまったとあっては、その暴走は必然の流れであった……かくして首相警護隊は怒れる民を代表する、武装せる暴徒の群と化し、その怒りは先ず無力なナスメド国王の坐する王宮へと向かうことになったのである。
革命の名の下、王宮を掠めんとする首相警護隊、彼らより王宮を守らんと展開を果たした国王警備隊……両者の対峙が続く一方で、ネスラス達の行動は始められていた。外見上は国王警備隊所属のローリダ製装輪装甲車と兵員輸送トラックの車列。その中に詰め込まれたネスラスたち特別行動隊とローリダ共和国内務省、国防軍の混成部隊一千名が暴れるべき舞台は既に用意されている。首都ナブリアの政治上の中枢たる首相公邸。いち個人が政務を執るには広すぎるが、おおっぴらに銃撃戦を繰り広げるにはやや狭すぎるかもしれない。
ネスラスの場合、セルミ島事件が結果として潜入捜査の任務は自然消滅し、ネスラス自身は内務省に復帰した。だが釈然としない結末ではあった。「獄死」した筈の「串刺し」ストークにより引き起こされた、集落から市街に及んだ大量殺戮はどういう手段を使ったのか完全に闇に葬られ、最終的には島で訓練中の南ランテア社傭兵団が起こした暴動に対する、正規軍の鎮圧作戦ということで全ては取り繕われることになった。
当然、事件の当事者の一人、そして内務省幹部としてネスラスが知り得た真実とは違う。傭兵を扇動し基地占拠を計ったセルメタス‐ル‐ハークが、その実ネスラスに先行する形でセルミ島守備隊に潜り込んだ国防軍情報局の諜報員であり、セルメタスという名が偽名であることもネスラスは後に知った。
そのセルメタスから本名を知らされる機会が訪れることは永遠に無くなった。何故なら、セルメタス自身もまた、施設奪回を図った警備部隊と傭兵部隊との銃撃戦で不慮の死を遂げることになったのだから――彼が街中に潜ませた同志を使って呼び寄せた正規軍は、セルミ島に無事降着を果たしたものの、彼らがセルメタスが期待した通りの働きをすることは無かった。
同志の根城となった郵便局を制圧したネスラスから内務省保安局に緊急報告が届いた結果として、事態を把握した内務省及び共和国公安委員会から現地軍司令部に圧力が掛かり、同時に――恐らくは――何らかの方法で内務省同様に事態を把握した南ランテア社本部からも、軍部に対し何らかの働きかけがあったのだろう。緊急展開した軍は「セルミ島守備隊」による「反乱部隊」――セルメタスとその一党――の鎮圧作戦を傍観し、セルメタスは要するに軍から切り捨てられた。
内務省への復帰に際し、事件の性質故に昇進と勲章で報われることは無かったものの、セルミ島で長期に亘って苛酷な――言い換えれば世界最先端の――訓練に耐え、実戦をも経験した結果として、ネスラス個人は本人でも意図せぬうちに内務省内に特殊な地歩を確保することとなった。内務省内で随一の特殊作戦の「専門家」――以後、ネスラスは内務省からの「交換士官」という形で、より秘匿性を増したセルミ島守備隊の後進に関わることとなった。内務省保安部隊と異種族傭兵部隊の秘密混成部隊たる「特別行動隊」、その一員に、ダキとダミアも加わった……というわけである。
「――ダキ、あと三分だ」
抑制された夜間用赤色照明の下で、夜光塗料の付された時計の文字盤に目を流し、ネスラスは告げた。公邸に隣接する居酒屋の屋根裏部屋から、首相警護隊を名乗る民兵共のうろつく公邸に目を凝らす同僚の内務省幹部の姿が目に浮かぶようであった。軍用望遠鏡を持つ彼らは――
「――三分過ぎた」
言い終わってさらに少しの後、遠雷の如き地響きが装甲を施された車内にあっても轟き、車内が微かに揺れるのを体感する。
地響きは地震かと思われる程連続し、その後に遅れて何かが空を滑る音が断続的に夜空を圧した。公邸から数リークを隔てた位置にある公園、そこに密かに展開した二基の新型砲が、居酒屋からの誘導の下公邸に向け射撃を開始したのだ。
ニホン軍の120ミリ重迫撃砲を参考に開発され、今では即応空輸旅団に重点的に配備が進められている「軽量曲射砲」――これが無かったならば今頃重量の嵩張る榴弾砲を、わざわざ首都の郊外まで曳いて据え付けていたところである。軽量とは言っても砲弾の威力は既存の榴弾砲と遜色は無い。その巨弾が今頃は試射を終えて首相公邸に驟雨の如く降り注いでいるはずで、外にいた警護隊は一溜りもないであろう。
砲撃もたけなわ、前席を占める車長の下士官を顧み、ネスラスは言った。
「曹長、無線封止解除。通信帯を5に合わせろ」
「ハッ!」
下士官が無線機を操作する。軽量砲と前進観測を担う内務省の要員の遣り取りが、雑音混じりに聞こえてきた。
『――こちら銀狼、撃ち終わりまであと二十秒……十五……十秒……五、四……二、一! 撃ち終わり!』
「曹長、公邸が見えるか?」
「はい!……火の海であります!」
「そのまま突っ込め!」
「了解!」
エンジン音も重々しく、ドーヴェルが速力を増すのを体感する。次に加速し勢いを得た車体が幾度か何かを踏み倒し、乗り越える様な激しい衝撃が重なる。
それが過ぎるのと同時に機銃、それ以上に口径の大きな機関砲を打つ音が周囲から聞こえて来た。敵のものではなく共に突入に移る味方の発砲であった。教本通りの制圧射撃だ。
ネスラス達の乗った「標準型」――人員輸送仕様のドーヴェルは機関砲か擲弾発射銃を積み、火力支援仕様のドーヴェルは二十共通単位口径の単装機関砲を収めた砲塔を積む。今回の強襲にはこの火力支援型が二両随伴している。
下車戦闘に備え目出し帽で頭全体を覆い、イヤホンと一体化したチタン合金製の専用ヘルメットを被る。手にした特殊騎兵銃の膏管を引いて弾倉の第一弾を薬室に送り込み、機関部と一体化した銃床の調整摘みを「安全」から「単射」に合わせたところでネスラスは告げた。
「各位へ、下車と同時に前進し突入、別命は無い。狙うはザミンの首ひとつ……!」
「了解!」
言うが早いが、車長に手振りで兵を降ろすよう促す。降車を促すブザーが鳴り、乗降扉に近い兵が扉を開けた――
「総員、下車!」
銃声に爆発音が重なる巷へ向かい、次々と足を踏み下ろす兵の影。その最後尾に在ってネスラスもまたザミアー特殊騎兵銃を構えて地上に一歩を踏み出した。本来は共和国内務省の制式銃、今次の襲撃作戦に当たり、参加した特別行動隊の隊員全てに装備された銃器だった。
特殊騎兵銃の外見は従来の小銃と比して大きく後退し、木製銃床と一体化した機関部と銃身を有する。それ故に銃全体の長さは短機関銃かと見紛うばかりに短く、機関部に繋がる三十発入り弾倉も銃把のすぐ後という奇妙な位置にある。全体の形状をコンパクトにまとめつつ、小銃と変わらない有効射程を実現するための技術上の工夫の産物であった。
特殊騎兵銃という名称こそ与えられてはいても、機関部と銃身も既存のザミアー81小銃のものを流用しているだけに、系譜的には一種のコンバージョンキットと評することができるかもしれない。
「――――!」
燃え盛る公邸を前に、ネスラスは騎兵銃を構えつつ息を呑んだ。
健在なりし時分は王宮以上とも謳われた壮麗さを誇る、三階建ての典型的なミラン様式の建造物だったそれは、間断無い曲射砲と突入部隊の制圧射撃により、今や焔と破壊の犇めく魔界の井戸と化していた。曲射砲の砲撃こそ既に止んでいたが、ドーヴェルによる機関砲と擲弾発射銃による射撃はなおも続いており、彼らは突入部隊に活路を与える一方でより直接的な形で死と破壊を量産し続けていた。
既に反壊した玄関に向かい、ネスラスは騎兵銃を構えて駆け出した。塀や正門を破壊しつつ公邸の敷地内に踏み入った他のドーヴェル及びトラックの荷台からも、突入部隊の兵が続々と下車し前進を始めていた。砲撃を生き残った警備兵が応戦しようと銃を向けるが、彼らはその数の少なさ故に忽ち制圧される運命へと引き摺り込まれていく……
その一方、赤い焔に照らし出された公邸の屋上に蠢く人影が複数、彼らは迫り来る突入部隊に向け防戦の準備を始めていた。軽機関銃を据え付けているのだとネスラスは察する。
「通信兵!」
植樹の木陰に潜り、ネスラスは随伴する通信兵を呼び寄せた。差し出された送受話器を握り、ドーヴェルに前進と公邸屋上への制圧射撃を促す。目標捜索のため少しの間鳴りを潜めていた火力支援車の機関砲が再び破壊の咆哮を発し、屋上に達した太い曳光弾が屋上と言わず上階と言わずに抉り、砕いていく。支援を受け先行する隊が玄関の扉を蹴破り、中に駆け込んでいくのが見えた。ダキたちの部隊だった。
彼らに続いて玄関を跨ぎ、滑り込んだ広間でも銃撃戦が始まっていた。ドーヴェルからの攻撃が公邸の奥に潜む警備兵には損害を与えていないことを、ネスラスは傾いたテーブルに身を預けつつ痛感する。であればザミン首相も……
「手榴弾!」
ダキが叫び、敵の潜む方向に手榴弾を投じた。破片の飛散と衝撃を恐れテーブルの影に身を屈めた直後に、凄まじい破裂音と爆圧がネスラスの身体を苛む。山岳猟兵の軍装の上に、新装備というローリダ製の防護服を重ねて着けているが、新開発でありながらこいつは銃弾はおろか飛散した砲弾の破片すら貫通するという代物だった。
破片と刃物を防げる分、使い古したニホン製の方が幾分かましというものだが、ネスラス達特別行動隊のようにこれを装備できるローリダ軍の部隊は限られている……ダキの手に拠らない手榴弾の投擲はなおも続き、濃い硝煙の臭い、血肉の焼ける不快な臭い決して狭くは無い広間に充満した。
「ダキの班は一階を制圧、他の班はおれに続け!」
騎兵銃を構えつつネスラスは前進を命じ、しかも率先してそれを実行した。ミラン織絨毯の敷き詰められた二階に通じる階段を昇る途上、潜んでいた警備兵数名に遭遇したが、それらの全てがネスラスの銃撃の前に斃れた。銃の構造上、重心が銃床部に集中している特殊騎兵銃は、肉眼では狙いが付けにくいため照準には等倍率の専用照準鏡を使用する。それ故に命中精度は既存の小銃に負けず劣らず高い。
「中尉殿! ダミアの班がダキの班に追従しています!」
「放っておけ!」
異種族の不服従に怒りを覚える気にはならなかった。喩え彼らが抜けても、こちらには未だ二階を制圧するに足る十分な戦力がある。公邸の中には親衛隊気どりの首相警護隊の外、公邸に詰める官吏や召使と思しき者もいたが、突入部隊の目に入った彼らの全てが例外なく撃たれた。首相暗殺に際し目撃者の消去という名分がある上での民間人殺害だが、攻め入る方からすれば、彼らが何の用意も思慮も無く戦場をうろついていること自体、許し難い罪であった。
「装填!」
一本目の三十発入り弾倉を使い果たし、二本目を薬室に叩き込む。弾倉が把柄の後方に位置するという変則的な構造上、特殊騎兵銃の迅速な弾丸装填にはある程度の馴れが必要であった。装填と同時に突き当たりから飛び出して来た警備兵を、ネスラスは単射の二発で斃す。この銃の場合、兎に角、照準鏡の中に目標を収めれば撃った弾は必ず当たる。二階の掃討が速やかに終了し、各部屋で捜索と殲滅を終えた部下たちがネスラスの許に集まって来る。
その彼らの中で、同僚の肩を借り、あるいは背を借りて一箇所に集められた者たちに、ネスラスは険しい眼差しを怯ませた。手足を撃たれた者もいれば、胸や胴から手の施し様が無いと思える程激しく出血している者もいる。この作戦から還ったら、防護服の開発者を締め上げてやりたい衝動にローリダの青年士官は駆られた。
「……ザミンは二階にはいません。あとは……三階ではありませんか?」
健在な部下の中で最先任のミュフス軍曹に向き直り、ネスラスは言った。
「本官が三階へ向かう。アダス、ロジェオンの分隊は私に続け、軍曹は此処にいて残余の者を掌握し負傷者後送の指揮を取れ」
「はっ!……中尉殿?」
「ん……?」
「ご武運を」
「願われるまでも無い」
言うが早いが、ネスラスは独つしかない眼を笑わせ軍曹の上腕を軽く叩いた。騎兵銃の残弾を確認し、ネスラスは半壊した階段へと一歩を踏みしめる。機関砲の掃射をまともに受けたのか、真二つに千切れた死体、誰かの手足がそこら中に散り、白亜の内壁は血と煤に醜く爛れていた。廊下を照らしている割れた電灯が、不穏な点滅を始めていた。
隊員を二、三名毎に各所に散らしつつ、ネスラスは三階の奥へと踏み入った。結果として三階の各所で銃声が響いたが、それは激しい銃撃戦には発展せず、数度の射撃で風前の灯の様にネスラス達の耳から掻き消えた。
パン! パン! パン!……パン!――
「――――!?」
軽い銃声が聞こえ、それは注意を払わずにおくには余りにも近過ぎた。その出処が最も奥まったドアの向こうであることをネスラスは察し、さらに力を入れて走る。事前に確認した公邸の見取り図では、中庭を臨む書斎の位置だった。
『爆破する……!』
ドアの端に背を預け、部下に手信号で命じる。指向性爆薬を詰めたコードをドアノブに張り付け、点火用コードを繋いだ特技兵が全員に後退を促した。ネスラスは爆風を避ける位置に退き、得物を拳銃に持ち替える。ローリダ本土で繰り返した屋内戦演習の際、グナドス人の技術者から教わった方法だ。その彼は、ニホンの軍人に指導を受けたということだが――
「点火用意――点火!」
激しい火花を発しドアが弾ける。ドアノブを吹き飛ばされロックの外れたドアを部下が開け、ネスラスは滑り込むようにして室内に拳銃を向けた。室内には人間が五人、だがその場に立っている者は一人しかない。首相警護隊の幹部制服に身を包んだ若い男が一人―― 一瞬で判断し、男が闖入者に驚き手にした拳銃を向けようとするのを見る。だがネスラスは拳銃の捌き方と狙いにおいて、彼に僅かながら勝った。ミラン人が放った拳銃弾がネスラスのヘルメットを掠めて火花を生む。ネスラスが放った拳銃弾は、その一発目でミラン人の右眼を抉り後頭部に抜けた。その後に放った二発が男の胸と腹に血の華を咲かせ、ミラン人は仰向けに昏倒する。
「突入!」
部下が騎兵銃を構えて部屋に踏み入り、あっという間に書斎の四隅に散った。
「脅威無し、制圧完了!」
部下に告げるや、ネスラスは倒れたまま動かない人影を見下ろした。赤絨毯の上、眠った様に動かないミラン衣装姿の男には見覚えがあった。
「ザミン?……死んでいるのか?」と、部下が言った。
「…………」
ザミンと思しき若いミラン人の首元に、ネスラス自ら軽く指を充て、呼吸が完全に止まっていることを確認する。同時に彼の傍に斃れていた人々を検分していた部下が言った。
「ザミンの妻と子供です……皆死んでおります」
部下の報告に、ネスラスは彼が斃した幹部を見遣った。顔面の半分が砕けていたが、それでも彼の顔もう半分には見覚えがあった。ネスラスよりさらに幹部に顔を寄せ、覗きこむ部下が言った。
「こいつはザミンの弟ですね……王宮で警護隊の指揮を取っていると聞いたけど……何故ここに……」
「中尉殿、来て下さい」
やや焦燥のきらいのある部下の声に、ネスラスは腰を上げた。倒れたまま動かない少年がひとり、その傍に在って隊員が彼の様子を窺っていた。金髪、白い肌を有するその少年は美しいが幼い。しかも髪の色と肌はミラン人の特徴ではない……未だ十歳ぐらいではないだろうか? さらに奇妙な事には――
「――聞いていないぞ。ザミンに息子がいるとは」
少年を抱き起こす隊員にネスラスは言い、脳裏で再びザミンと彼の一家を顧みる。妻と十四歳の娘がひとり――それが、共和国中央情報局の把握しているザミンの家庭である筈だった。
「未だ息があります」
「脳震盪だな。頭蓋骨に弾丸を弾かれたようだ……」
少年は血を流していたが、それは単に頭の皮膚を抉られただけで、彼に向けられた弾丸自体はこの部屋の何処かに飛んでいってしまっていた。
「殺しますか?」と、部下の一人が聞く。公邸にいるザミンの家族は、後顧の憂いを断つべく全員殺害する――それが、突入作戦時の方針であった。部下に対し頭を振り、ネスラスは言った。
「殺すかどうかは、ナガルに決めさせよう」
そう言い、ネスラスは通信兵を顧みる。「衛生兵を呼べ。この子供を収容する」と同時に、子供の近くに転がっているあるものに、彼は眼を険しくした。
「拳銃……?」
護身用の小型拳銃が一丁、それが倒れたまま動かない子供の傍に転がっている――誰が持っていた?……ひょっとしてこの子が?――小型拳銃に手が伸び、ネスラスは弾倉を取り外した。六発入りの弾倉の中に、残った弾丸は三発――
「…………!」
ザミン一家の死体を一瞥し、次に自らが射殺したザミンの弟を見遣る。次に彼の持っていた軍用拳銃を手に取り、弾倉を調べる――十五発入りの弾倉の中に、残った弾丸は十三発。消えた二発の内一発はネスラスに向けて撃った筈だ……とすると――動かない少年を見遣り、沈思し掛けるネスラスの意識を、通信兵の言葉が現実に引き戻す。
「中尉殿? 中尉殿」
「どうしたか?」
「中央情報局の担当官が中尉殿に状況説明を求めておられます。指揮車へどうぞ」
ネスラスは頷くも、部屋を出るに当たり後ろ髪を引かれるような思いは拭い去ることが出来なかった。去る間際、ネスラスは二丁の拳銃をさり気無く雑嚢に入れ、部下はもの欲しげな表情でそれを見遣る。彼らには若い上官が、「戦利品漁り」を為した様に見えたのである。ただし共和国ローリダでは、それは先頭に立ち戦った勇士の、当然の権利であった。
地階へと続く階段を下り、最初の激戦地となった玄関前広間で、ダキとダミアの二人と行き合う。ばつ悪そうに眼を逸らすダキの一方で、ダキに寄り添い、敵愾心溢れる眼光を隠さないダミアを、ネスラスは鼻で笑う様にした。苦笑――戦に勝った今となっては、それだけで十分だった。言い換えれば、亜人の造反に対し、「人間たる」ネスラスは怒る気にもなれなかったのである。
ほぼ廃墟と化した公邸、やはり半壊したその車寄せに乗り入れた指揮通信車で、ネスラスの報告は始まった。
「ハズラントス中尉であります」
『――北デアム支部のアブカナスだ。君がナブリアの英雄か? 若いと聞いていたが君の声は想像以上に若い。今頃キズラサの神も君の献身と勇気を祝福されておられるだろうな』
凡そ政府当局の人間の言葉とは思えぬ、間の抜けた明るい声が通信回線を伝って来る。この任務に生命を賭した部下の事を思えば、込み上げてくる内心の苛立ちは抑えようが無かった。
『――それで、悪魔を斃した感想はどうかね?』
「…………?」
『――悪魔だよ。ザミンのことだ』
「小官らが踏み入ったときにはザミンは既に死んでおりました。ザミンを殺したのは彼の身内です。小官ではありません」
『――フウン……君は謙虚だな。こういう時は進んで自分が殺したと言うものだぞ? まあ、実質君に追い詰められて死んだようなものだからな。あの悪魔は』
「……実は、腑に落ちぬことがひとつ」
支部長に迎合する様子を一片も見せず、ネスラスは切り出した。
『――何かね?』
「ザミンの部屋で子供を発見しました。十歳位の少年です。負傷していますが、まだ生きています」
『――金髪の? 天使の様な?』
「はい」
『――君の上官には報告したかね?』
「……いえ」
と応じつつ、支部長の声色が淀み始めるのを、ネスラスは察した。
『――上出来だぞ中尉。ザミン一家の死体と合わせ、彼も我々が回収する。君はザミンの死体以外には何も見なかった……いいね?』
「……わかりました」
『――オイシール‐ネスラス‐ハズラントス内務省大尉、君の名は覚えておくよ』
「恐縮です」
回線が切られ、同時に指揮車の外が慌ただしい。負傷者の搬送が始まっている一方で、何時しか国防軍仕様の野戦用救急トラックが敷地内に滑り込んでいる。友軍の負傷者を収容するための車では無い、「目標」を収容し共和国の息の掛かった総合病院に運び込むための車であった。公邸内より運び出されたザミン一家の収容が終わる間際、ネスラスは救急トラックに随伴して来た軍医の手を掴み、やや強引に引き寄せる。
「何かね君は?」
「突入部隊指揮官のハズラントス中尉です。軍医中佐にお願いが……」
「何かな?」
「ザミン一家の検案調書を私も頂きたいのですが」
「妙な事を言う」と、あからさまに怪しんでいる。
「ザミンを倒した者として、記念にと思いましてね」
「成程……」と、軍医の顔が綻んだ。「……でも検案調書は作らないよ。上の方針なんだ」
「上……と言いますと?」
「ナガルだ。収容した死体は全て焼いて灰にしてから埋めろというお達しだ。骨も残すなと」
「ほう……」
わざとらしく、ネスラスは大仰に頷いて見せた。
「では……弾丸だけでも摘出の上、頂けませんか? ザミンの弟の分も含めて、戦利品として部下に配りたく思いますので」
そこまで言い、ネスラスは眼を険しくして軍医を見据えた。迂闊な拒否を許さないための、それは脅迫の素振りであった。ネスラスの眼光に圧され、軍医は声を震わせる。
「わかった!……私が全て摘出の上、君の部隊に届けさせるよ」
「感謝します。軍医中佐」
少年の搬送が始まっていた。軍医が離れ、呼吸器を宛がわれた少年の寝姿をネスラスはまじまじと見つめる。半ば呆然と少年の搬送を見送る内、担架の上の少年が不意に眼を見開き、ネスラスの眼と合った。
「――――ッ!」
一瞥――だがそれは、ネスラス程の戦士をその足許から硬直させる程の冷たさを当のネスラスに感じさせた。青い、透き通るような瞳――だが、この世に存在する全ての、禍々しい何かを閉じ込めたような蒼い光――呆然の次に愕然が訪れ、搬送を見送るネスラスの眼前で、救急トラックの搬入扉が勢いよく閉じられた。トラックが走り出し、濃い排気ガスが一陣の風に混じりネスラスの肌を生温かく擽る。
「ネスラス!」
「…………?」
ダキの呼ぶ声に、ネスラスは玄関の方向を顧みた。通信兵を伴ったダキが駆け寄り、息荒くネスラスに言う。
「全部隊に撤収命令が出た。基地に戻るぞ」
「……わかった」
人心地を取り戻したように吐息し、ネスラスは公邸とその周囲を見回す。彼らが突入する数時間前まで、壮麗を極めた宮殿の如き公邸……だが今は、まるで空爆を受けた後の様な公邸の荒廃ぶりを、ネスラスは眼を険しくして睨む。
間もなく日が替わる。同時にこの国の歴史も、また変わる――その狭間で、恐るべき悪の胎動に力を貸したのではないかと自分を訝る青年がひとり。
「イズルド・セルミ」終