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終章  「Flare」

日本国内基準表示時刻12月30日 午前8時23分 東京 内閣総理大臣官邸地下 官邸危機管理センター



 処刑――否、虐殺の仕上げの光景。


 恐らくはフィルム撮り故であろう。その映像は画質の粗さが目立ったが、むしろそれ故に場面々々を写し撮った人々の意図を、誰の目にもすぐに押し図ることが出来る程に強い印象を見る人に与えた。ローリダ共和国国防軍 ノドコール駐留軍の制服姿と植民者たる農民服姿、凡そ統一感の無い服装の行き交う背後では、この映像が公表されるまで表立っては出て来た事のない軍用装甲車の上に、ヘリコプターと思しき飛行体までが編隊を組んで空を行き、映像を制作した武装勢力の戦力の充実ぶりを映像の一コマ一コマの度に他者へと印象付けていた。武装勢力の陣容の充実ぶり、その背後に控える力の存在すら、もはや隠すまでも無いと言いたげであるかのようだ。


 その彼らの前に引き立てられた現地人と日本人……後者に至っては汚れた陸上自衛隊制式の戦闘服姿から明らかにそうと判る。彼らの例外なく酷く傷つき、中にはすでに兵士としての再起が望めないと思えるほどの重い傷を負っている者も見受けられる……列を為して地に膝を付く彼らの後頭部では、お決まりのように自動小銃の銃口が禍々しげに黒光りしていた。


『――世界よ刮目せよ! これが世界最強と謳われ、我らが神を侮ったニホン軍の末路である!』

 マイクを手に黒覆面の男が叫ぶ。カメラの前に正対している点からして、この時点で彼の主張の矛先がカメラの向こうの不特定多数にあることは明らかとなる。

『――キズラサの神は言われた。羊の屠られるべきは神の定めし処なり。況や人に牧せられし羊をや。羊を盗みし者はこれを罰せられん。況や神の意に沿わぬ者をや。人が羊を屠るが如くこれに報いるべし、と。

 神はその大御心に従い、現世においてキズラサ者を導きかつ(あまね)く祝福を授けんがためにこの世界をお与えになったのである。従ってキズラサ者より世界を盗み、民を惑わさんとした異教徒に、我らキズラサ者は「聖典」の通り相応の報いを以てこれに報いる。何人たりとも我らの聖戦を挫折せしめることはできない!』

「――――!!?」

 直後に銃声と複数名の絶命が続いた。彼らの行為はそれだけでは終わらず、次には斃れた人々の首に縄を掛け、まるで枝肉でも扱うかのように即製の絞首台に吊るす作業が黙々と続く……物理的に手出しをすること叶わぬのは勿論、現場から遠く離れたこの場に在っても息遣いすら躊躇われる程の凄惨……但し一連の画像はもはや此処、官邸危機管理センターの独占物ではなく、日本に存在する様々な媒体を使い人々の耳目を集めつつある――


「――キズラサ教の聖典にはこうあります……神に抗いし者、信仰を持たざりし者に永遠の眠りを与えること勿れ。死してもなおその屍を晒し、風雨の下永劫の苦しみを与えるべし、と……」

 桃井 (ほのか) 防衛大臣が言った。年齢に似合わない若い、だが落ち着いた響き。それに触発されたかのように松岡統合幕僚長が続く。

「あいつ……只では措かんぞ」

 覆面の敵指揮官を睨む彼の言葉には、明らかな怒りがあった。映像の向こうで生命を奪われゆく部下の指揮官として、そして武人としての、敵の卑怯なる振る舞いに対する当然の怒り――それらを遠い席から見極め、蘭堂 寿一郎 官房長官は坂井総理を顧みる。

「……これで介入の要件は満たしました。あとは総理のご決断あるのみです」

「記者会見は正午がいいだろうな」

 と、坂井の言葉には感情が無かった。言い換えれば眼前の映像からは超然としている。進行中の現実は忌まわしい限りだが、指導者としては好ましい態度だと蘭堂には思われた。

「正午……ですか?」

「正直皆が昼飯を食べているときにするような話では無いと思うが、私としてはできるだけ多くの国民の耳目を集めた上で意思の統一を図りたい」

「……そうですな」

 蘭堂の納得を見届け、坂井は松岡幕僚長に向き直る。

「松岡幕僚長」

「ハッ……!」

「陸海空自衛隊全部隊はこれより最高警戒態勢(デフコン・ワン)に入る。いいね」

「この世界全ての方面に展開する部隊……で宜しいですね?」

「無論だ」

 確認に対する回答は即座で、そして躊躇が無かった。まるで遠い昔より既にこうなることを見越していたかのように――

「介入作戦は総理の宣言直後に開始いたしますが、宜しいでしょうか?」

「……いや、明日早朝がいいだろう。四年前の様にね」

「わかりました」

「幕僚長、具体的な作戦開始時間は何時がいいか」と蘭堂。

「早朝……ということでしたら現地における日昇時刻と同時に開始するのが宜しいでしょう」

 坂井は頷いた。

「ではそうしてくれ。それと、作戦第一弾はロギノール港制圧で間違いないな?」

「はい。制圧作戦の開始と同時にスロリア方面の地上軍も前進させ、ノドコールに突入させます」

 坂井総理は特殊作戦幕僚長 槇村空将補を見遣った。会議室の内壁を占めるノドコールの南部を映し出した地形図の中で、地対空ミサイル(SAM)を示す指標(シンボル)が点滅し、そして消えた……

「……これで地対空ミサイルの脅威は半減したわけだ……特殊作戦群はよくやってくれている」

「ですがこれからが問題です。残余のミサイルの所在を把握し、いち早く破壊する必要があります。特戦だけではなく海空の特殊作戦部隊もこの任務に投じる必要があるでしょう」

 不意に警報音が鳴り、自動的に新世界全体地図(暫定)の一角が拡大される。それは今次の戦いに当たり、再び対峙する相手となった「ロメオ」――ローリダ共和国の本土だ。取り留めもなく集合した島の群を思わせる彼らの本土の南部、その一点に赤いミサイルの指標(シンボル)が生まれ、その周囲の陸海を跨ぐ同心円状の線を生じさせた。一点より南東に延びた黄色い放物線が軽々とその頂点を越え、海上の一点に達するのと同時に止まる……

「始まりましたわ」

 と、桃井防衛相が言う。彼女が従来の持ち場たる防衛省地下の中央指揮所(CCP)からここ危機管理センターへ移動を果たした理由のひとつがこれであった。「ロメオ」本土近海に浸透した海上自衛隊潜水艦と、軌道上に展開した偵察衛星により今や中継下に在る「演習」――長距離弾道弾の発射実験だが、タイミングからしてその裏にある政治的な意図を察することのできない者は、さすがにこの場にはいなかった。

「愚かな連中だ」

 と、坂井は言った。松岡統合幕僚長と槇村空将補の両名を見遣り、坂井は聞いた。

「松岡君、例の件、進捗はどうだね?」

「『こくりゅう』は途上特殊任務班を収容し、すでに作戦海域に到達しております」

「作戦開始前までに終わらせられるかね?」

海上自衛隊特殊部隊(シールズ)の技量を以てすれば、順調にいけば今日中には完遂するかと思われます」

 回答に満足気に頷き、坂井の眼差しは再び桃井防衛相を捉えた。

「それで防衛大臣、もうひとつの報告は?」

「これをご覧下さい。総理……」

 手元の携帯端末の操作に連動し、壁面の多目的端末が新たな地形を映し出す。

「ノルラントが、動き始めたようです」

「――――!?」

 舞台はスロリアよりさらに遠い場所。それまで想像すらした事の無い展開を前に、危機管理センターの面々は自分たちが取り組むべき当面の課題を暫し忘れた。




ノドコール国内基準表示時刻12月30日 午前9時24分 首都キビル郊外 サン・グレス空港



 風が冷たい。遮るものがないためだ。センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートはいま、そのような場所にいた。


 サン‐グレス。軍民共用の空港施設たる広範なアスファルトの大地の上では、来るべき戦争を目前にした活気が蠢き始めていた。間近な駐機場に佇む迷彩色も真新しいアスター‐バスチック機の列線。その傍らに山積みされた航空機用爆弾が、機が民間機から戦闘用航空機へと完全に装いを一変させていることを見る者に伺わせることができた。


 ロートが足を踏み入れた時よりずっと前から、空港の空はレシプロエンジンの唸る金属音に支配され続けている。海を越えて飛来して来た輸送機が次々と着陸しては、人間や物資を下して再び飛び去って行くのだ。チャーター便の四発旅客機から降り、嬉々として、あるいは緊張の色を隠さずに迎えの軍用トラックに乗り込む男達は、本国から送り込まれた義勇兵だろうか?……それは、ロートが此処に来る前日から夜昼となく繰り返されている光景であり、共和国(パプリアース・ディ)ローリダの「解放戦争」の中で有触れた一幕でもある。ローリダは純粋な軍事力のみによってその勢力圏を獲得し、列強との抗争に勝ち抜いてきたわけではない。「解放戦争」とはまさに、南ランテア社に代表される武装商船団と民族防衛隊に代表される義勇兵、軍とは指揮系統の異なる補助戦力の支援あっての戦争である筈だった。


 翻って、戦闘の主体となるべき軍は――ロートの眼差しが廻り、空港の格納庫の居並ぶ一角で止まる。格納庫搬出入口と誘導路で繋がった駐機場に群れる回転翼機の一群。軍仕様のものではないことはジュラルミン地肌剥き出しの外観からすぐに判る。回転翼機の中にはそのキャビンと尾部に銃座を設えているものが見え、その姿自体がロートにひとつの単語を呟かせた。

「南ランテア社の『砲艦(ガンシップ)』か……」

 ロートの呟きには苦々しさが多分に含まれていた。「虐殺」を機に前面に出て来た観のある南ランテア社の「傭兵軍団」――当初は単に独立戦争の裏方と見られた彼らの真の存在意義が、戦争そのものの拡大である事は今となっては手に取る様にわかる。喩えその祖国を追われた身ばかりとはいえ、数多くの種族で構成された彼らの関与が、戦争そのものが長引くにつれて世界の耳目を惹くのは時間の問題であろう。

『――――!』

 不意にレシプロエンジンとは明らかに趣の異なる爆音が空を抜け、ロートの耳目を惹く。陽光を遮る様に滑走路直上を航過した機影がふたつ。直線翼の単座ジェット機……戦闘機だとロートは直感する。本国の支援者が持ち込んで来た新たな戦力だ。本国では既に退役した機種だが、それでも新生ノドコール空軍に新たな戦力が加わったという事実は否定し得るものではない。やり様によっては……だが。作戦機を集積した一角、軍民両用を問わず本国から寄贈されたと思しき雑多な翼の居並ぶ場所で、牽引用トラクターに惹かれる物体を眼前に、ロートは表情を一層曇らせた。

「あれがアルフェムか……」

 ミサイルの収まったコンテナが複数。整備用のスペースで下されたそれは異国人の手により開封され、安定翼の外された誘導弾の弾体を外界に晒す――ローリダ軍のものより小型で、そして機能的な外観を有する外国製対艦誘導弾。誘導方式の特殊なるが故に、ニホン軍の防空戦闘システムですらこれを防ぐ術を持たないというが……


「止まるな。歩け」

 背後から掛けられた声は不意で、相手に対する敬意も配慮も感じられなかった。さり気無く顧みた先で、国防軍の軍装に身を包んだ男が銃口を向けていた。長居する時間など、その実あまり残されていなかったのだ。その事を今更のように思い起こし、ロートは急かされるがまま歩き出した。一歩々々を踏み締めるにつれ、それまで忘れていることの出来た自責の念が、ロートの精神の芯に重みを増しつつ圧し掛かって来る――



 センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートは先日付でアリファ方面軍司令官職を解任され、それを知らぬまま急遽赴いた首都キビルで、あらためてその事を知らされた。ベース‐ソロモンの「攻略」が完了したこと。それが解任の理由であり、むしろ攻略の成功が方面軍そのものの消滅へと直結したと言っても過言ではない。そしてロートが普段の彼に似合わず血相を欠いたのは、決して指揮官位の剥奪故では無かった。

 「ザルキスらは、やってはならないことをやりました。彼らの行いは明らかに軍律違反であり、ノドコール共和国の根幹を脅かすものであります」

 彼自身の目論見が土壇場になって覆されたからではない。ベース‐ソロモン占領の最終段階で、ノドコールにニホンの大軍が雪崩れ込む端緒となりうる事態が、彼の預かり知らぬ処で引き起こされたことにロートは純粋に怒った。

「本国の『出資者』からこう言って来た。君を指揮官職から外し、正規の軍人に指揮をさせるようにと」

「どういうことですか? セルベナス長官」

「つまり……ジョルフスに指揮権を戻せと言って来ているのだ」

 ノドコール共和国国防長官 ドディー‐セルベナスの口調は生彩を欠いていた。アリファ方面軍司令官としてロートを戦地に送り出した時とは、まるで別人のようにロートには思われた。

「欺弁としか聞こえません。独立軍に身を投じた時点で、正規軍の軍籍からは外れた身でしょう?」

「この場で、しかも当の政府代表たる私が言うのも何だが、私としても君の更迭には納得していない」

「一体……何があったのですか?」

 ロートでは無く、やはり変事を察し前線からロートに従って来た独立政府外務長官 アルギス‐ゼレン‐ラスが問う。彼とて顔色を失っている。アリファの奪回と引き換えに身の安全を保障したニホン人と原住民の行く末に、その場に立ち会ったいち外交官として衝撃を覚えたが故だ。セルベナスは頭を振り、言った。

「国防軍が本腰を入れ始めたのだ。独立運動に全面的に協力する方針を固めた……と言えば聞こえが良いが、要は『スロリア戦役』の復仇が我々民間人により主導されていることが気に入らないのだ」

「そんなことで……」

 絶句するラスの衝撃を代弁するように、ロートは口を開いた。

「それで、本国の軍部は具体的には何をする積りなのですか?」

「グロスアームの名を聞いたことは?」

「もう実用化されているのか……」

 ロートの顔色が一変した。具体的にはより蒼白に近付いた。

「恐らくは君の方が詳しいかもしれないが、その弾道弾とやらの実戦配備型がノドコールに搬入される運びとなった。勿論運用するのは本国から派遣された『義勇兵』だ……あと同時に戦闘機が少数供与される」

「それは何時此処に配備されるのですか?」

「グロスアームは来年の第一週末までには北の港に陸揚げされるだろう」

「閣下たちは、それでニホンに勝てるとお思いでいらっしゃるのですか?」

「この土地を土足で侵犯したのは彼らの方だ。我々ローリダ人はただ守り抜くだけだ」

「…………」

 今度はロートも軽々しく驚愕の色を見せず、険しい眼差しで国防長官を見据えた。望外の、それも本国からの救いの手を前に長官は明らかに浮かれている――それが、現実に対する判断力を鈍らせていないか?

「では……本国が閣下たちをノドコールにおける正統な政権と見做し、相応の交渉を持つとは未だ意思表示していないわけですね?」

「ロート将軍、それはいずれ我々外務部が……」

 と、取り繕うようにラスが言う。そのラスを見遣り、セルベナスが口を開いた。

「近日中に君にはアダロネスに旅立ってもらいたい。『出資者』からの度重なる突き上げに天下の元老院も遂に折れたということだ。君には第一執政官閣下と会って、直にノドコールの現状を訴えて来て欲しい」

「わたしが……!」

「あとひと押し、ということだよラス君」

「…………」

 隣に座るラスの横顔から憂色が晴れる様に消えゆくのをロートは見た。彼は溜めていた息を静かに吐き、再びセルベナスに向き直る。

「成程……私の役割はもう終わったというわけですか」

「私個人としては、アリファ奪回に際して君が示したノドコール共和国に対する貢献は忘れていない積りだ。独立とそれに続く再合邦成った暁には、君には相応の地位を用意したい」

「…………」

 それは恐らく無理だろうな――反論を自制したのは、此処キビルの上層部に醸成されつつある熱気に茶々を入れることに、ロート自身が価値を見出していなかったためのみではなかった。むしろ相手に対する憐憫に近い感情と言えるかもしれない……

「……それで、ザルキスらの処遇及びニホンに対する釈明はどうなさるお積りなのですか?」

「国交のある列強同士の領土紛争ならばそうした対応も必要ではあるだろうが、我々にとってニホン人は内粉に乗じ我々の権益を占有した闖入者だ。私としてはこうなった以上彼らに対し卑屈にならず、むしろ抗戦への意思表示としたい」

「何を愚かな……」

 絶句するロートの背後で、応接室のドアが乱暴に開く。直後短機関銃を構えた兵士が大股に踏み込み、ロートを取り囲んだ。

「センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロート、貴公を連行する」

「罪状は?」

「ノドコール共和国軍の統制を乱し、士官の名誉を汚した罪だ」

「…………」

 ロートは席から立ち上がった。陪席するセルベナスもラスもそれを止める論拠も術も持たなかった。兵に左右を固められて部屋を出る間際、ロートは歩を止めて二人を顧みる――



「――あなた方も政治家の端くれなら、いま自分たちが対峙している相手が猫か虎か、いい加減見極めぐらいはしたらどうですか。猫にとって人間は媚を売る対象だが、虎にとっては取って喰う獲物でしかないというのに」


 部屋を出る際に放った言葉を、引き立てられる途上でロートは思い返す。滑走路に面した道を歩く内に、ロートと兵士らは滑走路の端に達し、そこでは四発輸送機が単機、取り残されたかのように佇んでいた。本国……否、彼を軟禁するべく用意された新たな地へ彼と彼の姪を送り届けるための「特別便」だ。その新たな地の名を告げられた時、ロートの顔に浮んだのは不安でも戸惑いでもなく、むしろ諦観であった。

「女はまだか?」

「同行者の姿は見ておりません」

 警備指揮官が部下に言い、困惑の顔を隠さずに兵が応じるのをロートは見る。金属の共鳴音混じりの轟音が滑走路を走り、ロートと彼らの眼前で前のめりに止まったのはそのときであった。

「デヴァス18……!」

 警備指揮官が声を上げた。大型機の進路を塞ぐような位置取り、乱入同然に彼らの前に現れた銀色の双発機に、驚愕の意を示さないものはこの場には誰もいなかった。双発爆撃機はそのまま主滑走路の方向へ転回し、同時に小さな人影がひとつ、機体から毀れる様にして降り、ロートたちの方に駆け出してくる。

「叔父様ぁーっ!!」

「リュナか!」

 長いスカートが駆ける度に慌しく揺れ、それが傍目から見た少女の疾走に一層の躍動感を与えていた。息を弾ませてリュナ‐ミセレベス‐アム‐ロートは彼女の叔父に駆け込み、そして彼の胸にしがみ付く。ロートは反射的に胸を逸らし、喜びと共に姪の身体を抱き留めるのだった。

「良かった! 無事だったか」

 ロートの問いに、リュナは彼の胸の中で何度も頷きながら泣いた。抱擁は暫く続き、顔を上げたリュナは、今度は泣き顔を喜色に変えてロートの顔を覗き込む。

「叔父様、今度はシレジナに行くんでしょう?」

「え?……あ、ああ……」

「あの人も、シレジナに行くんですって」

 と、リュナは背後の爆撃機を指差した。エンジンをアイドリングに戻したまま、滑走路の端に佇む双発機の孤影……彼らの位置からは、操縦士の顔は見えなかった。

「ターミナルであの操縦士さんに会って話を聞いたら、ニホンにいた頃叔父様のお世話になったって……」

「…………」

「名前は確かギュルダー、ギュルダー‐ジェス大尉よ叔父様? 知ってる人?」

 リュナは問い、聞いたことのある名が、ロートに愁眉を開かせる。

「そのジェス大尉が……何だって?」

「良かったら、自分の機に乗って行かないかって」

「…………!」

 顔を綻ばせ、ロートは姪の顔を覗き込んだ。笑顔は、明らかな同意の証だった。頭を上げ、リュナの肩を抱いてロートは爆撃機へと踵を返す。そこに、衛兵指揮官の怒声が追い縋る。

「貴様っ! 軍律違反だぞ!」

「私は囚人だ。だがどうやって牢屋に行くかぐらい択ぶ権利はある……!」

 肩越しに投掛けられたロートの気迫は、指揮官とその取巻きを一瞬で圧した。放心したまま二人を見送るばかりの兵士たちを他所に、悠然と乗り込んだデヴァスの機内では、濃いオイルの臭いとギュルダー‐ジェスの陽気な声がロートを迎える。

「お待ちしておりました将軍。むさ苦しいところですがいま暫くご辛抱下さい。晩飯の時間までには中継点に着きますので」

「世話になるよ」

 と言いつつ、ロートはリュナに席に着くよう促した。再びジェスの詰める操縦席を顧みた時、計器盤の一角を占める見慣れない機器がロートの興味を惹く。その平坦な画面に映し出されていたのは、紛うこと無き飛行場周辺の地形――

「それは……ジーピーエスってやつか?」

「こいつのお陰で航法士要らずですよ。もっとも、そう遠くない内に使えなくなりそうですが」

「……ああ、そのようだな」

 ロートは天を仰いだ。ジェスが後部の仮設席に身を固定するよう促す。

「では、この忌々しい場所からおさらばと行きましょう!」

 リュナの隣席に身を繋ぐのと同時に、機が震えながらに前進を始めるのをロートは感じた。滑走に荒々しい加速が重なり、揚力を得たデヴァスが浮く様に飛び上がる。そこで初めて、リュナのたおやかな手が、自身の手の甲に重なっているのにロートは気付く。

「リュナ……」

「叔父様……もう、離れない?」

 くぐもった声で姪が聞いて来る。今にも精神の堰を突き破り、烈しく泣きだしそうな声だと思った。それを聞きたくなくてロートはリュナを頭から抱き、囁くように言う。

「ああ……また一緒だ。そしてこれからもずっと――」

 ――いや、おそらくは……絶望と言い換えても差し支えない重々しい感傷が、自身を苛みつつあるのをロートは覚えた。


 姪を守るため、そして自分が生きるため、抗えぬなりゆきとはいえ、自分はノドコールの地で恐るべき行為に手を貸したのだ……喩え直接的には無関係であろうとも何時かは、そう遠くない何時かはそのツケを払わねばならぬときが来るだろう。


 あるいは何時か、「彼ら」が直接自分の許にツケを取り立てに来る日が――




ローリダ共和国国内基準表示時刻12月30日 午前10時43分 首都アダロネス郊外 ルーガ邸――別名「椿閣(ルヴェンヒルム)



 ルーガ‐ラ‐ナードラがノドコールからの空路を経て、自宅たる「椿閣」の敷居を再び跨ぐに至ったとき、その豪奢な居間では「椿閣」の真の主にしてナードラの祖父が、当主としての彼の指定席たるソファーの一隅に背と腰を埋め、動画放送受像機の画面を不機嫌そうに睨んでいた。


 その幅は勿論のこと、奥行きも居間の一隅を傲然と占拠するぐらいの大きさと重々しさを誇っていた動画放送受像機が、幅だけは同じニホン製受像機に替わって既に一年余りが経つ。光電管式の受像機から大いにその面目を一新した平坦な画面はローリダ製の受像機よりもずっと軽く、かつずっと鮮明な画像を見る者に届けることができた。幅は兎も角、奥行きにして廊下と居間を隔てるドア一枚分の厚さしかない受像機がルーガ家に届けられたとき、当主たるルーガ‐ダ‐カディスは彼自身の元老院復帰祝いに支持者から贈られたそれを、特徴的なぎょろ目をぱくつかせて見入ったものだ……「こんな薄っぺらい器械で、ものを映すことができるのか?」と。


『――国内の多くの実業家、資産家によるノドコール共和国支援が活発化しています。今日もアダロネス中央港では彼らの寄付により調達された最新の銃器や大砲が船積みされ、義勇兵と共にノドコールへ向け錨を上げるに至りました。義勇兵の士気は高く、蛮族賊滅の決意に燃える彼らは、二週間を経ずして約束の地に降り立つことでありましょう――』

 矩形の画面向こうに広がる船積みの光景は、間近にそれを見ているかのように鮮やかで、そして細部に至るまでの全てを見る者の視覚に届けてくれる。但し邸の豪奢な調度に相応しい巨大なソファーに在って受像機を見るカディスの目付きは険しく、かつつまらなそうに見えた。さり気無く祖父の背後に回り、ナードラもまた受像機の画面に目を凝らす――

「あの中に『神の火(ヴァルダ‐フィア)』も含まれておる……いち有事あらばニホンの侵攻軍だけではなく、約束の地ノドコールをも灼き払う手筈になっている『神の火』がな……」

「…………」

 カディスの言葉に、ナードラは画面から目を反し祖父を見下ろす。祖父の言ったことは事実であった。国民向けには伏せられているが、ノドコール独立軍によるアリファ奪回の過程で発生したニホン人及び原住民殺害は、すでに本国中枢の周知するところとなっている。その当初は計画に無かった「神の火(ヴァルダ‐フィア)」搬入は、一連の情勢の裏に在ってノドコール独立とそれに伴う再併合を企図する本国の抱く焦燥の表れと言ってもよいのかもしれない。それはまた、ノドコールに隣接するスロリアを廻り「彼ら」と争うに至った四年前には見られない光景でもあった。こと「彼ら」に対する場合、以後の展開を考えれば「最終兵器」の使用に通じるハードルは著しく下がってしまう……そのことはカディスもナードラも認めざるを得ない。

「ギルボは過ちを犯した。軍部に気兼ねすることは無かったのだ。この種の戦をするには歳を取り過ぎたのかもしれぬ」

「センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートにとっても、些か荷が勝ちすぎた戦で御座いました」

 カディスの述懐に、ナードラは申し訳なさそうに応じた。ソファーの背凭れ越しに孫娘を見遣り、カディスは微笑んだ。寂しい微笑であった。

「初めから使い潰すつもりであったのであろう。ドクグラムが考えそうなことだ。あの男は彼にケジメを取らせたのだ。三年前、あのスロリアを廻る戦で軍命に逆らったことに対する……」

「その機会をずっと伺っていたと……?」

「わしは、お前が生まれる前からあの男のことを知っておる。あれは自らを(わし)に準えておるところがあるがその実は(からす)だ。鴉は執念深く、機を伺う術を知っておる。お前も気を付けることだ」

「…………」

 ナードラは言葉を失う。機を伺う――ひょっとすれば、「スロリア戦役」から三年の年月を経て数の揃った「神の火」の存在こそが、ドクグラムをはじめとする軍部をしてこの時期にニホンに対する復仇を決心させる要素となったのかもしれないと、彼女は考える。それは彼女の祖父も同じであろう。

 受像機いっぱいに映る貨物船、その船尾にはためく南ランテア社の社旗をつまらなそうに見つつ、カディスは口を開いた。

「アルヴァク‐デ‐ロートには済まない事をした……以後ニホン人は眼の色を変え、生死を問わず彼を追うであろう。彼らの飼う闇に生きる猟犬を駆使してであろうが」

「トクシュブタイ……」

 ニホンの単語を呟き、やはり画面の中の南ランテア社社旗に向け、ナードラは眼を怒らせる。ここ三年間のスロリア――ノドコールを取巻く情勢の表裏に浮んでは消えていたニホンの「特殊部隊」の実在は、今回のノドコール独立を廻る一連の動乱の中で図らずも実証された形となった。それも、国防部はおろかルーガ総研の予想を越える陣容と戦闘能力を有する「殺人機械」、ローリダの軍関係者が考える軽歩兵の範疇を越えた、より戦略的な作戦を遂行するための「精鋭部隊」の存在――その彼らにニホンの政府が次に何を命じるかぐらい、彼らの立場になって考えてみればすぐにわかる。

「ニホンには釈明が必要でございましょう。ロートを守るためにも」

「釈明? 彼らはその実同胞殺害の犯人なぞ誰でもよいのではないかなナードラ。彼らは生贄を欲している。言い換えれば自分たちに逆らう者が如何なる末路を辿るかという、明らかな見せしめをな……事の真偽は問題にはならぬだろう」

「…………」

 抗弁しようとして、ナードラは黙り込んだ。祖父の言うことは尤もであった。この場合ニホンが欲するのは、彼らの国民、ひいては彼らの敵に対し堂々と「同胞の仇を討った」と宣言するに足る実績である。ロートの切り捨ては政治的には正しい判断かもしれないが、若いナードラとしては釈然としないものを抱かざるを得ない。復讐は新たな復讐を生む……それはまた、過去数十年に亘る「解放戦争」に名を借りた植民地獲得戦争の過程で、攻めるローリダと攻められる諸勢力との間に、現在進行形で繰り広げられている事象でもあるのだから――


 カディスは言った。

「昨日の夜、第一執政官公邸(エウペ‐セパ)に行き話をしてきた」

「…………」

 ナードラは祖父を改めて見遣った。孫娘とは目を合わさぬまま彼は続ける。祖父の話の相手が誰か、今更多言を要するものでは無かった。

「第一執政官の御意志を伺った。こうだ……ノドコールの同胞とは表立って盟約は結ばぬが、我が共和国はノドコール防衛のために全力を上げる。現在係争中のシレジナに至っては、これの一時放棄をも考えると」

「密約も結ばぬのですか?」

「それは以後の展開を見極めた上で考えるとの仰せだ」

「成程……」

 語尾に砂糖ひと匙分程の躊躇いを含ませ、ナードラは続けた。

「……第一執政官公邸(エウペ‐セパ)は軍部と資本家の拡声器となり下がったのですね。おじじ様」

「ナードラ……!」

 普段温厚な祖父の語尾に、苛立ちの要素が加わるのを孫はその耳で感じ取った。

「おまえが怒るのも無理はないが、我が共和国はこれまでではなくこれからを考えて行かねばならぬ。現状でニホンとの全面的な対決は得策ではない。対決はむしろノドコールの同胞がそれを望んだのだ」

「では『神の火』のノドコール搬入はなおさら不都合でございましょう。我が国とノドコールの同胞との関連の程を疑われます」

 カディスは頷いた。

「わしも第一執政官にそれを進言した。ノドコールへの支援は、最大でもグロスアームの供与に止めるべきだ、と」

「それで?」

「『神の火』及びグロスアームはノドコール独立軍とは別の指揮系統で運用する。南ランテア社の『技術者』が、その保管と運用に一切の責任を持つということに決した」

「…………」

「我らの関与をなるべく匂わせないためでもあるが、あれらは並みの兵器として扱うには繊細に過ぎる。高度な教育と経験を経た者の手に委ねぬと大事になる……というのが南ランテア社側の言い分だ。お前が言うように戦役をなるべく引き延ばし、ニホン人の間に厭戦感情を誘うことに重点を置くべきだとわしは進言したが、第一執政官は最終的に彼らの言を容れた」

 ナードラの眉が険しさを増したのは、言葉の中に出て来た「南ランテア社」という名詞に、看過出来ぬ程の不審を掻き立てられたためであった。

「南ランテア社?……ガーライルが第一執政官公邸(エウペ‐セパ)に来たのですか?」

「来た……というよりは、わしが赴いたときには既にそこにいたと言った方が正しいのかもしれぬな」

 そう言って、カディスもまた険しい顔をする。ガーライルの名を出した瞬間に一変した孫娘の表情に、ただならぬものを感じたのかもしれない。

「そうか……おまえはかねてよりガーライルには警戒すべきと言っていたな。自らの属する国を繭か殻程度にしか見ていない男……と」

「こうも申し上げましたわおじじ様。いずれはその繭を食い破り手の付けられぬ場所へと飛んでいく男……とも」

「…………」

 今度はカディスが沈黙する番であった。そのような人物の手に、破格の威力を有する兵器を委ねたのは拙かったかという苦々しさが、彼の内心にはある。

「ニホンは武器を積んだ南ランテア社の商船を沈めた。単なる銃や大砲は兎も角、反応兵器ともなれば彼らは全力を挙げノドコール行きを妨害するかもしれぬ」

「それは無いと思いますわ。ノドコール近海までは海軍の艦艇が護衛します。名目は海賊対策ではありますが。それに……」

「それに……?」

「ニホン軍の主力はいま、ノドコールの東と南に集中しています。我が共和国の軒先まで手を回す余裕はありません」

「スロリアの陸と海か……」

 呟くように言い、カディスは受像機のリモコンを画面に向ける。画面が切替り、次は異国のニュース番組を映し出す。群青の海原を割り水平線を睥睨する巨大なる鋼鉄の異形。海上に生まれた大地を思わせる平坦な甲板と、右舷に寄った城郭の様な艦橋を有するそれが何物であるかを知らない者は、今ではローリダに留まらずこの世界の国々の中枢に在る者の中にはひとりとしていない。

『――現在ニホン海軍はアカギ、カツラギといった二隻の航空護衛艦を中核とする空護戦闘群をノドコール南方洋上に展開させており、さらに複数隻の艦艇及び輸送船から成る水陸両用部隊も一両日中にこれに合流する見込みです』


「……現れたな。忌まわしきニホンの浮ぶ城が」

 苦々しい表情を隠さずにカディスが言う。ノドコール南方洋上に展開する旭日旗の艦隊。今やこの世界の何処にも彼らに正面から喧嘩を売って勝つことのできる艦隊は存在しないのだ。ローリダの海軍もまた例外ではない。画面が再び切替り、今度は海上から打って変わりニホンの首都トーキョー、その中枢たるを象徴する重厚な石造りの建物の前に在って、切実な表情を隠さない異国人の報道記者の姿が映し出される。「ニホンの議会か……」と、カディスが小声で呟くのをナードラは聞く。

『――ニホンのサカイ首相による重大発表が間もなく始まる見込みです。重大発表の内容がノドコール共和国を自称する、ローリダ人武装勢力に対する宣戦布告であることは確実と思われます』


「おじじ様……」

 祖父の耳元を擽る様に顔を寄せ、ナードラは外出する旨を告げる。

「ルーガ総研か?」

「いいえ、国防軍総司令部に」

 老人の怪訝な顔は、彼が孫娘の意図を把握しかねていることの、何よりの現れであった。




日本国内基準表示時刻12月30日 午前11時03分 東京都 内堀通



 議会制民主主義の牙城たる国会議事堂を横目に見つつ、黒塗りのレクサス・HSは幹線道路を躊躇いの無い快速で走り続けていた。昨日まで昼夜の別なく国会の周辺を荒れ狂っていた反戦デモが、今日の朝になってノドコールにおける現地展開部隊とその保護下にあった現地人避難民の全滅という報に接した途端、潮が引く様に消え失せ、今では路上に散ったまま、あるいは後片付けもされないままに棄て置かれたビラと横断幕の切れ端が、まるで嵐の爪跡のように朽ち果てるに任されている。


 北、ただそれのみを目指し車は首都の主要道路を走っている。時折部分的な渋滞や信号に捉まりこそすれ、予めプログラムされたルートに従うように黒いレクサスは進み、やがて皇居西側は半蔵門前に差掛る。

『――坂井総理は今朝の閣議を経て陸海空自衛隊全部隊に最高度警戒態勢への移行を命令し、スロリア方面への戦力及び物資の更なる集積を指示しました』

 車載の多機能表示端末は国営放送の定時ニュースを映し出していた。前席に二人、後席に二人の男という組み合わせ。折り目正しいスーツ姿である事だけは共通していたが、後席の一人だけ纏うネクタイとシャツに至るまで黒一色、赤いラインの入ったスーツには、少なからず傾いた意図が見受けられた。

「……今更ですか。政府はステゴサウルスのようなものだ。痛みを感じてだいぶ経ってから飛び上がるのではもう遅いだろうに」

 後席を占める普通のスーツ姿の男、共和党幹事長 三杉 八尋(やひろ)が吐き捨てた。ニュースに映し出された閣議の光景、その場から一瞥たりとも外の情勢に注意を払っていないかのような和やかさが、一層に彼の政権に対する敵意を煽ったかのようであった。

「動かないよりはマシだよヤヒロ。ただ……」

「ただ……?」

「我々なら、事が起こるよりずっと前に動くという選択肢もあり得た」

 共和党党首 士道 武明は苦笑気味に言う。車は右に千鳥ヶ淵、左に各種学校と諸国の大使館の犇めく街区を抜け、交差点を経て緩やかな坂道を昇るルートに入る。その左手に、不自然なまでに延々と広がる緑の(その)――殆ど葉が落ちた枝の連なりが、かねてからの冬風を受けざわめいているのを士道は見た。

「今年また英霊の数が増えた……先人が喜んでおられる」

「来年になれば、もっと増えるでしょう。それだけ靖国の立場と帝国以来の顕彰の伝統は盤石なものとなります。勿論我が党も……」

「……そういうことだ」

 士道の幅の広い口元が歪み、それはにんまりとした笑顔となった。靖国通りの終端を占める新たな交差点。「止めろ」と士道が言ったのは、何も信号が赤に転じたからではない。運転手も心得たもので、停止と再発進の両方に適したスペースを即座に見出し、レクサスを路肩に導いてくれる。そこで士道の眼差しは、JR市ヶ谷駅前の一角に生じた光景に注がれている。


『戦地へ赴く自衛官のために千人針をお願いしまーす!』

 拡声器の主が、制服姿から女子中高生であること、それも制服の違いから複数の学校の生徒が集まって活動していることが見ればすぐに判る。まるで街頭募金を勧めるかのように女生徒の差し出す白布に、時折通行人が立ち止まっては針を通し縫い目を付けていく。

 縫い目の数だけ祈願されゆく出征兵士の安全――「前世界」の明治期から、戦時下の風景のひとつとして街頭を飾って来た「千人針」。一時期の中断こそあれ、それは市井における国防意識の伸長と、国政に占める自衛隊の存在感が増すにつれて再び姿を現すようになり、今ではすっかり街の中に融け込んでしまっている。


 三杉幹事長と護衛の随員ひとり――車を降り、ふたりを従えた士道が女生徒の前に姿を見せた途端、周囲の空気が凍り付いたように感じた者は皆無ではなかった筈だ。通行人の多くが立ち止まり、歩を向けるあてを失ったかのように困惑している。中には好奇心の赴くまま携帯のカメラを向けて来る若者も見受けられた……それらからは超然として、士道は千人針へ向かい人ごみの波を割りつつ進んで行く。

「私もひとつ……いいかな?」

「…………」

 有力野党の政治家、それも党首に直に話し掛けられ、その女生徒は半ば唖然として布を士道に差し出した。すんなりと針糸を通し、女生徒の感謝の言葉を背にした士道たちを再び乗せ、車は隣り合う外堀通りに入る。目指す場所まですぐの距離であった。市ヶ谷ブライトヒルズ。その名を冠したホテルが、市ヶ谷は防衛省本庁舎の近隣に所在している。本庁舎の特徴的な巨大アンテナ塔まではっきりと伺える近距離であった。車はホテルの地下駐車場に滑り込み、ボーイの案内に従って玄関ロビーに達した士道らを、先着していた複数の人間が低頭して出迎える。野に在って共和党を支援する実業家、あるいは共和党と志を同じくする学識者と文化人の一団である。中には現役予備役の自衛官もいる。翌年中期に実施が運命付けられた衆議院総選挙において、共和党の公認を受けて街頭に出ることになるであろう彼らの、顔合わせも兼ねた打ち合わせというのが、士道らがこの場に集った名目であった。彼らを会議室に通した後、予定の刻限が来るまで士道と三杉は個室に在るつもりである。


「皆の士道党首に対する忠誠心には頭が下がります。師走というのに文句の一言も無く集まってくれた」

 出された茶を啜り、三杉が言う。上座のソファーに在って窓から見える防衛省本庁舎を何気なく見遣りつつ、士道の口が開く。

「党首に対してでは無い。党に対しての、だ。そうでなければ困る」

「はい」

 釘を刺す様な言葉に三杉は頷いた。士道の眼差しが窓から応接テーブルに向かい、今度は眼を笑わせて言った。

「年初には例の壮行会もある。気が早いだろうが、皆にはせめてひと時ぐらいは政治家の気分を味あわせてやりたいと思ってね」

「確かに……」

 三杉も釣られるようにして微笑んだ。三年前、「スロリア紛争」の終結を機に一時失速した共和党の党勢は、それから徐々に四年前と同様、あるいはそれ以上の活気を手に入れつつある。そして今次のノドコールを取巻く混迷が、支持層の拡充にブーストを加えている。願わくば来年の七月までにこの勢いを維持したいところだ。

「しかし例の壮行会ですが、党首におかれましては大胆でいらっしゃいますな」

「そう?」

 と、士道は彼の腹心に眼差しを流した。『何か意見があるのか?』という疑念と、発言を促す視線だ。三杉は意を決し、士道を見遣って言った。

「事が顕在化せぬ内に、いち政党が一国と、それも堂々と誼を通ずるような行為はさすがに軽率ではないかと……」

 士道が目を笑わせた。

「ヤヒロはよく見た。おまえの言うとおりだ」

「ではどうして……?」

「選挙に備えて、この際我々よりさらに右に在る『老人ども』の意を汲んでおきたいと思ってね」

「……『亡霊』のことでございますか?」

 三杉の目付きが躊躇う。同じ保守という領域の住人ではあっても、交際を持つに関して積極よりも消極を選ばざるを得ない種類の人間がいる。『転移前』の日本を内外より揺さぶった彼ら「亡霊」など、その代表例と言えまいか?


 士道は言う。

「衰えたりとはいえ彼らには無駄に資金(カネ)があるし、それに要員(ニンゲン)も抱えている。彼ら老人どもが朽ち果て道具たるそれらも霧散する前に、共和党(こちら)に取り込んでおきたいのだ」

「我が党結党に当たり、過去よりも未来に保守再建を求めんと唱えた党首らしからぬお言葉です」

 ばつ悪そうに頷き、士道は言った。

「例の壮行会……あの異国人、最初は誰に接触したと思う?」

「…………!」

 はっとして、三杉は士道を見返した。待ち構えていた様に三杉を見遣る目は、相変わらず笑っている。

「異国人は、最初は『亡霊』を選んだ。『亡霊』を通じて日本国内に彼らの意に沿う政治勢力を作り、日本を彼らとの連衡に導く腹積もりだったようだ。その『亡霊』の方から、わざわざ私に声を掛けて来たのだ」

「お人好しというか迂闊というか……言葉もありません」と、三杉の口調には半ば呆れが加わっている。『亡霊』の抱える急進的愛国勢力と共和党を合わせれば、ごく短日時の内に異国人の意に沿い、かつ国政に影響力を持ち得る「政治勢力」を作ることができるという、『亡霊』側の安易な意図に、危うさを通り越して滑稽さを覚えたためであろう。「前世界」の「日独伊三国軍事同盟」、その後の「日米同盟」を紐解くまでも無く、同盟者の意向に対し「ぶれない」保守政党であること。それもまた共和党結党時以来の理念の一つであったのだから……

「そのような体たらくだから、『転移』前に朝鮮人やアメリカ人にいい様に利用されたのだよ」

 黒眼鏡の奥で眼光をぎらつかせ、士道は続けた。

「ローリダと対立している現状、ノルラントを名乗るあの異国人との連衡は確かに必要だ。だが『亡霊』どもが考える様な一衣帯水ではいかん。ノルラントとは何時切れてもいい様歯止めを設けておく必要がある」

「……わかります」

 納得したように頷き、三杉は士道が話題を変えたがっていることを素振りから察する。それはやはり「前世界」における陸自幹部時代の士道と、「亡霊たち」の因縁の促す業なのであろうか?……と、三杉は思う。気まずい数分の静寂――それが経ち、丁度いい頃合いであるように思われた。

「士道党首は……今の坂井内閣についてはどう思われますか?」

 士道は、溜めていた息を吐き出した。

「正直に言うと、私は坂井には同情している」

「同情……ですか?」

「勘違いするなよヤヒロ。彼が無能だから同情しているのではない。彼がリーダーたらんとしているから同情しているのだ」

「――――!」

 三杉にとって、それは意外な言葉であった。気圧されどおしの三杉の反応を愉しむ様に、士道は続ける。

「『ベース‐ソロモンの虐殺』……世人は坂井の無能故に敵の増長を許したと考えているようだが、それは違うのではないかな」

「え……?」

「わからないか。ルーズベルトだよヤヒロ」

「…………」

 窓辺に射し込んでいた陽光が不意の群雲に遮られ、それは期せずして士道の顔に陰を生じさせた。

「かつてフランクリン‐デラノ‐ルーズベルトは、真珠湾における2400名の犠牲と引き換えに対日戦の免罪符を得た。坂井もまた、ベース‐ソロモンにおける600余名の犠牲と引き換えに対ローリダ戦の免罪符を得ようとしている……とは言えないかな?」

「そんな馬鹿な……」

「もっと言おうか……ルーズベルトが日本に撃たせたように、坂井もまた、ローリダに撃たせたのだと」

「三年前にも同様のことを経験しているのに、何故そのようなことをする必要があるのですか?」と応じる三杉の語尾には、隠せぬ震えが感じられた。

「長く戦うためだ。三年前の時よりも長く……そして烈しく戦うための地均しだよ。だから坂井は敢えて撃たせた。そして前任の神宮寺も……と言えまいか。今日に至る全ては、神宮寺と坂井が敷いたレールの上に在るのだ。それを無視してはならない」

「……つまり今度は我々が、そのレールを引き継ぐというわけですね?」

「…………」

 三杉の言葉に、士道は口元を歪ませて笑った。さり気無く延ばした手に嵌められたロレックスの盤面に、士道は視線を走らせる。

「……そろそろ時間だ。ルーズベルトが宣戦布告をする」




日本国内基準表示時刻12月30日 午後12時00分 東京 内閣総理大臣官邸一階 記者会見室



「蘭堂官房長官入室されました!」

 会見室詰めの係官の声が、その場に居合わせた報道記者全員の注意を惹く。ただし定例の記者会見に比して記者の数は多く、会見室に入りきれない者が廊下にまで溢れ出ているというのは明らかに異状であった。

 瞬くフラッシュに彩られた通路を、蘭堂 寿一郎の長身が淡々と歩く。記者と官僚たちの注視する中を一部の隙も無い挙動のまま蘭堂は登壇し、暫く原稿とプロンプターを交互に見遣る。息を呑み官房長官を見守る者と拍子抜けする者、眼前の記者たちを穿つ間隙を敢えて突くかのように、蘭堂は壇上で切り出した。

『――内閣府発表。今日正午を以て我が国陸海空自衛隊は、ノドコール共和国を僭称する異国人武装勢力の不法占拠下にあるノドコールに於いて、現在進行中の組織的な土地占有と非戦闘員殺害といった不法行為に対し、実力行使を伴う事態収拾を図ることに決しました。現在ノドコール近傍に展開中の自衛隊諸部隊は、内閣安全保障会議による再度の命令あり次第、速やかに作戦行動に移る予定であります』

「――――!!」

 フラッシュの怒涛が蘭堂の締った頬から爪先にかけての全てを染める。それらから超然として蘭堂は告げた。

『――総理よりお言葉がございます』

 一礼――異論を挟ませる隙も与えず、今なお止まぬフラッシュを他所に降壇する蘭堂。入れ替わりに壇上へ向かう内閣総理大臣 坂井 謙二郎の姿が現れた時、会見室を支配する熱気は頂点に達するのだった。登壇してもなお暫くを沈黙に費やし、記者団の熱狂が完全に鎮静化するのを確かめた後、坂井の声明が始まる。


『――国民の皆さん、昨日、運命の「転移」から13年目の12月29日は屈辱の下に生きる日となるでしょう。この日に、我が国日本は暴戻なるローリダ人による意図的かつ理不尽なる暴力に直面したのであります。

 三年前の偶発的な衝突こそあれ、以後三年間我が国はかの勢力との間に友好的な関係を構築するべく努力し、その成果は着々と実を結んでおりました。然しながら今日、遺憾ながら私は国政の最高責任者として、国民の皆さんに多くの在外同胞の生命が奪われたことをお伝えせねばなりません。過去三年間に亘って継続された我が国政府のあらゆる外交努力は、今や一瞬にして瓦解したのであります。空想的な平和指向に囚われることなく、我々はこの事実を直視しなければなりません。平和は破られたのです……』




日本国内基準表示時刻12月30日 午後12時07分 東京 防衛省



『――破られた平和は回復されねばなりません。破壊された秩序もまた回復されねばなりません。陸海空自衛隊及び各治安情報機関の最高指揮者として、私は国家防衛のためあらゆる手段を取るように命令を発しました。これらの措置は我々に対する攻撃が如何なるものであったかを、国民の皆さんひいては第三国に至るまで常に認識させることとなるでしょう……』


 テレビの中で演説が続いている。二等陸佐 佐々 英彰が隣接する陸上幕僚監部から所用を終えて本庁舎への帰庁を果たした時、防衛省 統合幕僚監部のいち区画を為すオフィスでは、備品のテレビを前に業務の手を止めた幹部たちが首相の演説に聞き入っていた。


 その一群の端でテレビに向かっていた幹部が何気なく廊下を振り向き、遠巻きに一群を見守る佐々と眼を合わせる。途端に佐々から目を逸らし、複雑な表情もそのままに傍らの幹部と小声で会話を交わす幹部――佐々は再び廊下に向かい踵を返し、最奥の部屋へと淡々と歩を進める。


「佐々二等陸佐、入ります」

「――入れ」

 ノックの後でドアから聞こえて来た声は若々しい。ドアノブを傾けてドアを押すのと同時に、その向こう側からも演説が聞こえて来た。


『――ノドコール独立政府を僭称する現地ローリダ人による、ノドコール及び我が国に対する主権の棄損は、これを断じて看過することはできません。喩えどれ程長い時間が掛かろうとも、我が国は最終的にローリダ人のテロリズムに勝利し、ノドコールひいてはスロリアに秩序を回復する所存であります……』


 デスクに腰を下したまま、一人の男が総理大臣の演説に見入っている。海自所属を示す黒い簡易セーターの肩に、将補を示す星の連なりが光っている。丈の高い細身に些か若造りを図った風を感じさせる風貌、しかしそれは見る者に決して不自然な印象を与えるものでは無かった。その顔は将官というよりも尉官の肩書が似合いそうな程若々しく、デスクの隅に追い遣られたプレートにはただ一行、「運用部次長」とのみ刻まれていた。

「失礼します」

 と言い、佐々はデスクの主を凝視する。将補はテレビの音量を落とし、腰掛けた椅子を佐々に向き直らせた。

「お呼びと伺いましたが」

「すぐ終わる。先ずは座ってくれ」

 と、将補は佐々に応接セットのソファーを勧める。そこまで足を運ぶ僅かな間、佐々の眼は専用室の内壁に飾られたキャップへと向いた。4隻の掃海艇と2隻の掃海艦と1隻の掃海母艦……そして1隻の補給艦――部屋の主がその自衛官人生の中で乗り継いだ艦の数が、海自幹部の平均に照らし合わせても破格に多いことを壁に架けられたキャップの数は物語っている。防衛大学校を優秀な成績で卒業したが、掃海艇に乗っていたいばかりに二度も幹部学校上級課程進学への打診を固辞したという彼に関する逸話も、あながち誇張とは言えない――統合幕僚監部 運用部次長 海将補 諏訪内 一輝とは、そういう人物だった。

「先日配布された域外情勢報告には、目を通してくれたかな?」佐々に向かい応接ソファーに腰掛けつつ、諏訪内海将補は聞いた。

「はい。ノルラントの件ですね」

 諏訪内海将補は頷いた。既に社会人の子供がふたり――それもひとりは航空自衛官だ――もいるとは思えない程、その仕草は若々しいものに見えた。

「今日の朝方のことだが、そのノルラント側から打診があった。以後の自軍の作戦行動に関し、我が国からも観戦武官を招聘したいということだ」

「何ですって?」

 佐々は表情を曇らせた。共にロメオと敵対する勢力同士、共同作戦の端緒を掴まんとするかのような彼らの意思の発露の他に、彼はきな臭いものを覚えた。つまりはごく近い将来、観戦武官が必要な程大規模な軍事行動に出るということを、彼らが暗に報せて来たという点に――

「私はシレジナ絡みだと思うが、君はどう思うか?」

「現状でノルラントが行動を起こすとすれば、そこしかないと思われます」

「ノルラントにはなお注視が必要だ。容日的な方針を打ち出してはいるが、その実他の中小国に対して行っていることはロメオと変わらない」

 諏訪内海将補は言う。佐々もまた眼を険しくして頷く。ロメオと敵対関係にあるノルラントなる勢力。三年前の「スロリア紛争」以来、彼らから軍事技術共有の打診、ひいては作戦地域の重複を口実とした幹部級協議の打診がとみに増えたことが、外務省及び防衛省の耳目を惹いている。

「その観戦武官として、君に行ってもらいたい」

「…………」

 佐々は押し黙った。拒否の意思表示では無かった。観戦武官として赴くに当たり、現地における自分の任務を彼は思考している。少しの時が沈黙の中で流れた後、佐々は聞いた。

「政府はノルラントの要請を容れるでしょうか?」

「容れると思うよ。現状ではロメオに対する牽制に使えるだろうからな。それに……」

「それに……?」

「……単に先方の誘いで前線を見に行くだけなら、憲法に抵触しない」

 二人は同時に笑った。だが……笑っていて背筋が凍るのを二人が同時に覚えたのもまた事実だ。

 ソファーに背を預け、なお演説の続くテレビに眼を向けつつ、諏訪内海将補は言った。

「センカナス‐ロート……だったかな。君は未だ彼のことを信じているのか?」

「…………」

 苦渋を僅かに頬と眼元に滲ませ、佐々は俯く。「信用における人物か否か」という政府サイドからの打診に対して示した彼の見解。あの時の進言の内容が正しかったのか否かは関係なく、自分の進言がかの悲劇を招来する切欠となったのは事実だと佐々は思っている……その佐々を労う様に、あるいは観察するように眼を向け、諏訪内は言った。

「私は君を信じている。君の人物鑑定眼に狂いは無かったと……」

「有難うございます」

 佐々は一礼した。諏訪内の眼元が緩むのと同時だった。


「観戦武官の件、受けてくれるな」

「はい……!」

「では今後の計画に関しては追って連絡する……」 

 二人の会話の傍らで、演説はなおも続いている――




ローリダ共和国国内基準表示時刻12月30日 午後12時09分 首都アダロネス 国防軍総司令部



『――私はこの場を借り、ただ日本の国土と国民の安全を守るだけではなく、かかる破局が二度と誘発されぬよう、必要とされるあらゆる措置を講じなければならないと提案したします……』


 演説は同時通訳を挟みなおも続いている。とある国の首班による、ノドコール共和国に対する宣戦布告の演説だ。ノドコール共和国、それは天命を享けて未開の地を拓いた同胞がその生存のために建設した独立国。いわばローリダ人の国だ。とある国は非道にも、今まさに生まれたての赤子も同然のノドコール共和国の首に手を掛けんとしている……首班の演説が、国防軍総司令部談話室に置かれた光電管式受像機の前に在ってそれに見入る共和国国防軍の士官たちには、文字通りの死刑宣告のように聞こえた。決して狭くは無い談話室は、演説が始まった頃から立錐の余地も無い程に赤黒青、あるいは白と灰色の軍服に身を包んだ各軍の士官たちによって占拠され、部屋に入り切れないまま演説に聴き耳を立てざるを得ない者も外の廊下に散見される有様だ。


『――この点に関しては関係各省庁のみならず、議席を有する関係各党にも理解と協力を求めるものです。我が国の国土、国民の安全、そして我が国の権益が重大なる危機に瀕しているのです。皆様の誠意に期待いたします……』

 

 四年前、前第一執政官 ギリアクス‐レ‐カメシスはテレビ放送を以て全世界に対しとある国に対する宣戦布告を表明した。共和国の国策たる植民地獲得戦争、勝つことが運命付けられていた筈の戦争にお決まりの「始まりの儀式」。だがその結果は今や全世界の民の知る処だ。とある国との僅か二週間の戦闘の結果、共和国国防軍はその建軍以来最大の損害を被り、共和国の国威と軍部の威信は失墜した……とある国は今やその勢いを借り共和国ローリダの辺縁、敬虔なるキズラサ者の土地にまで侵略の手を延ばそうとしている。そのとある国の名は――

「――ニホンめ! 我らの領域を掠める気か!」

 画面を前に一人の士官が声を荒げる。それはこの場の空気を端的に、かつ的確に代弁していた。疑うまでもない敵意の凝縮。だが今の共和国に通常戦でニホンの圧力を覆す力は無い。それ故に敵意は空転し、それは無力感となって談話室の士官らに還元されるしかないのであった。中距離弾道弾「グロスアーム」の試射に名を借りた対ニホン牽制は、その裏面では彼ら少壮士官の不満と不安を和らげるための方策であったようにもルーガ‐ラ‐ナードラには思える。


「…………」

 敵意とも敗北感とも区別の付かぬ空気の漂うその中を、ナードラは正面から独り司令部内に踏み入る。但し今の彼女には、暫くの間他者に向けたことの無い特別な意思があった。さり気無く延ばした手が懐中の拳銃に触れる。目指す相手の在所はすでに抑えていた……が、それが結局は積りであったことを彼女は悟る。在所へと繋がる階段を踏み締めようとしたそのとき、覚えのある気配が悪寒となってナードラの背筋を奔る――

「――――!」

 考えるよりも速く、身を翻して来た途を顧みる。先刻までナードラがいた司令部の外庭に目指す男の後ろ姿を見出し、それがナードラをして外へと走らせる動機となった。

「ガーライル!」

 怒声と共に拳銃を抜こうとして辛うじて踏み止まる。ガーライルは独りでは無かった。ガーライルに従う小さな影がひとつ――巻き添えへの怖れ――それ故に、ナードラから決意を完遂する意思が滲み、そして薄れゆく――ナードラの挫折を嘲笑うようにガーライルはゆっくりと彼女を顧み、仮面の奥で微笑んだ。


「仕込みは全て終わったよ。我が友よ」

「仕込み?……だと?」

 絶句するのと同時に、ナードラは彼の傍にいるのが子供であることに気付く。金髪の子供――それも、美しい少年。少年はガーライルの傍に在って、彼の表情を代弁するかのようにただ静かに微笑んでいた。

 悪魔と天使――二人の組み合わせに、ナードラはそれを思う。

「…………」

 どういうわけか、少年の美貌に気を取られ掛けたナードラの精神の芯に、更なるガーライルの言葉が直接ぶつけられるかのように向けられる。

「我々の計画に、ノドコールは十分に貢献してくれるだろう。君が心配する様なことではないよ。何故なら、心配する必要などもうじき無くなるからだ」

「……悪魔と取引でもしたのか? ガーライル!」

「そうだな……悪魔の御心というやつだ」

「――――!」

 ナードラに背を向け、ガーライルは再び歩き出す。間欠泉の如く込み上げる激情がナードラに拳銃を握らせ、そして抜かれた拳銃の銃口が――

「――――!?」

 ――引鉄に指を掛けようとしてナードラは失敗した。射手としてのナードラの技量からしてそれは有り得ざることであった。それまでガーライルに従い帰路を急いでいた金髪の少年、彼が何時しか立ち止まり、彼女の挙動を見ていたのだ。少年の眼差しを前に照準が鈍り、次には彼女から一切の殺意が揺すられて消えた。悪寒――少年が微笑い、再びガーライルの後を追い始めるのと同時に、拳銃を構える手から力が抜ける。

「…………」

 待たせてあった地上車に、吸い込まれるように消えていく二人、逃すまいと再び拳銃を構えたナードラの肩を誰かが不意に叩く。

「頂けないな。光輝ある国防軍総司令部で発砲沙汰など」

「……最高司令官?」

 共和国国防軍最高司令官 カザルス‐ガーダ‐ドクグラムがいた。拳銃を握ったまま微動だにしないナードラの手を、ドクグラムの手が解す様に握る。拳銃が彼の手に移るのは容易かった。ナードラの足から力が抜け、萎れる様にその場に座り込む。苦渋に満ちた声がドクグラムの耳に届いた。

「……あなたも、悪魔と取引をしたのか?」

「悪魔?……さて、何の事かな」

 (うそぶ)く様にドクグラムは言った。何時しか集まって来た憲兵がナードラの周囲を塞ぎ、ドクグラムは命じる。

「女史はお疲れであらせられる。少し休んで頂け」

 憲兵が丁重に、だが強い力でナードラの腕を取る。立ち上がり、憲兵に守られゆっくりと歩きつつ、彼女は道が閉ざされつつあるのを覚えた。


 これから起こる「何か」を止めるために、自分が進むべき道――それを思った時、一筋の涙がナードラの片眼から毀れて落ちた。




イリジア国内基準表示時刻12月30日 午後12時12分 クラン‐エルジャナ空港 国際線ロビー



『――日本は現在、交戦状態にあります。つまり我が国は有事に直面しています。しかし、国民の皆さんの我が国自衛隊に対する信頼と、侵略者に対する断固たる意志さえあれば、かかる有事を容易に乗り越えることができるのです。

 国民の皆さんがすでに己が意見を固め、そしてかかる有事の与える、我が国の生存と安全に対する影響を理解して頂けることを心より期待します。


西暦20××年12月30日 内閣総理大臣 坂井 謙二郎』


 演説が終わる頃には、国際線ロビーを見下ろす様に廃された広角テレビジョンの下にはひとつの無秩序な群が出来上がっていた。その画面一杯を占める日本の首相。諏訪内 佐那子もまた群の外れに在って、ただ無心に自国の首相の演説を前に足を止めていた。

『――では、質疑応答に移りたいと思います。挙手の上、指名されましたらご発言をお願いします』

 秘書官の司会により質疑応答に移りかかった画面中に別のウインドウが浮かび、新たなニュースを告げる――『ノドコール独立派 独立宣言発布』

「――独立派って、ローリダ人のことか?」

「――違うよ。現地人のことだ。ローリダに支配されてる連中だよ」

 立ち聞きと同時にウインドウが切替り、次にはノドコールの民族衣装を纏った髭面の男が文面を読み上げる不鮮明な映像が広がる。彼らの宣言が、日本側の「宣戦布告」に触発されたことは明らかであった。あるいは、予め示し合せての行動かもしれない……と佐那子は思う。


「諏訪内さーん!」

 呼ぶ声がする。手を振りつつ駆け寄って来る初老の女性がひとり。旅行鞄を引き摺りつつ彼女は佐那子の元に駆け寄り、笑顔を作った。弾んだ息はさすがに隠せなかった。

「搭乗券の名義、変えてくれるって」

「よかったぁー!」

 両手を合わせ、ふたりは喜びを分かち合う。非政府組織の同僚医師。先月イリジアの隣国で起こった地震が、同時期東京に帰朝したばかりのふたりをして救援活動に赴かしめ、そこにイリジアを訪問中の海自護衛艦を襲ったテロ事件が重なった。医療活動に忙殺された一カ月は瞬く間に過ぎ、国外勤務の長い佐那子が先に帰国する段になって本国から報された同僚の身内の不幸――彼女の業務を引き継ぐ形で佐那子は残り、佐那子自身の旅券を以て同僚を送り出す運びとなった。

「じゃあ、お別れですね」

「ごめんね諏訪内さん。先に戻っちゃって」

「こういうときは……お互い様ですよ」

 白い歯を見せて、佐那子は笑った。心からの笑いにしようとしても、どうしても作り笑いになってしまう……年末年始を祖国で過ごせないのは、佐那子にとっても内心ではやはり残念でならないのだった。

「……それにわたし、実を言うと日本製の飛行機で帰りたかったし」

「…………」

 初老の女医はまじまじと旅券を見詰めた。旅券に記された搭乗機の名が、これより彼女が乗込むのが異国製の大型旅客機であることを示している。申し訳なさそうな顔を隠さず、女医は言った。

「諏訪内さんも、本土にご家族がいらっしゃるのでしょう? 残念がってない?」

「いえ……父と弟ならこれから忙しくなりそうですから」

 と、佐那子は頭上の大型テレビジョンを見上げる。画面の中、記者団の質疑をてきぱきとこなし、いなしていく坂井総理大臣の姿に、佐那子は自然と本土の父と、今はノドコールの前線に在るという弟の姿を投影していた。

「自衛官なんです。父と弟が……」

「ああ……そう」

 彼女なりの神妙さを表す顔なのだろう。表情を消した同僚の様子に、押しつけがましい事を言ったかな……と内心で佐那子は反省する。そこに、東京行きの便があと30分で搭乗手続きを開始するアナウンスが響き渡る。別れを告げる頃合いだった。

「さあ……」

 笑顔もそのままに、佐那子は搭乗口に向かうよう女医に促した。一礼して踵を返しても、未練を残したように何度も佐那子を振り返りつつ雑踏へと消えていく同僚。佐那子は立ち尽くしたまま、それを黙って見送る。

「――――」

 吐息――このまま行っても来年の早々には帰れる。笑顔が、期せずして生まれる。

 何のことは無い。帰りが少し遅くなるくらいではないか――自分の胸中に、希望を芽生えさせようと佐那子は努めた。




ローリダ共和国国内基準表示時刻12月30日 午後2時11分 首都アダロネス アダロネス港外沖合



『――こちらソーナー、周辺に脅威接近の兆候なし』

『―― 一番二番開け』


 潜水器具を抱えて潜むには余りに狭すぎる円筒形の空間に光りが挿し込む。淡い白い光の線だ。

「――――」

 発泡と共に生まれるレギュレーターの唸り――光りはやがて魚雷発射管の中で海士長 高良 謙仁の躯を包み、緑の海原の中に浮き上がらせる。ただし現深度以上に深くを潜れば、昼であろうとそこは完全な闇が支配する世界だ。

 蛹から抜け出た蝶の様に、謙仁は内壁を蹴り海中へと身を翻した。身体に密着した閉鎖式循環呼吸器を抱えた身は、通常のボンベを背負った状態よりも遥かに軽く、フィンを蹴れば蹴るだけ推進に必要な力を生むことができる。海中へ躍り出た謙仁は身を沈め、半ば手探りで三番発射管の位置まで向かった。海上自衛隊潜水艦 SS‐506「こくりゅう」の三番魚雷発射管――

『――ダイバー、感明どうか? おくれ』

『――ダイバーワン、感明良好』

「――ダイバーツー、感明良好」

 指揮官たる「コング」こと三等海曹 真壁 譲に倣って報告し、謙仁は三番発射管を顧みた。自分が抜け出た二番発射管と同じく潜水艦の艦首に穿たれた孔がひとつ。コングと協力して孔から機材を引き摺り出す。矩形のケースに収まった機材。その両端を分担して掴み、「コング」と「チョッパー」――謙仁――のふたりはフィンを蹴り、闇の領域へと乗り出した。ふと振り返った謙仁の視界に入った友軍潜水艦の艦影はおぼろげで、そして頼り無い。


 ルジニアにおける現地協力者救出任務の後、そのままノドコール方面の作戦に備えて待機を命ぜられるかと謙仁は期待したが、そのあては外れた。特に指名されたふたりはそのままJV‐22とC‐130Rとを乗り継ぎ、懐かしき日本本土からさらに北方の海上に向かい自由降下を強いられることになったのだ。降り立ったふたりは、そこで浮上を果たした「こくりゅう」に拾われる。回収までの時間は僅か五分間。それが謙仁とコングが青空を見た最後となり、それから今日に至る一週間余りは、一切の外界を拝むことの出来ない潜航状態の内に過ぎ去った。


「なあに、これからノドコールでやる作戦(しごと)の予行演習と思えばいいさ」

 と、輸送機の機上でコングは言ったものだが、謙仁には釈然としないものがある。往路は航空機を使ったが帰路はそのまま潜水艦に便乗しての帰投――その間に作戦が始まるだけならば未だいい、もし終わってしまったら……


『――作戦の口火はおれ達が切るんだ。有終の美ってやつは他の奴に譲ってやるさ』

 と、海中を征きつつコングは言う。これが作戦の始まりだと!?……聞き返そうとして、謙仁は辛うじて喉奥から飛び出し掛ける自我を抑えた。派手な火花も銃声も無い、おまけに敵の喊声も無いと来ている。一切の武器も、戦闘技術も使わない水中処分員(EOD)上がりの特殊部隊員にとっては牛乳配達も同然の仕事(にんむ)――毒を含んだ感慨は、しかし数刻が海中で過ぎた後に呆気なく裏切られた。

「――――!?」

 視界を閉ざす闇の広がりの、さらにその先に気配を感じる。それも、尋常ではない質量を伴った気配だ。生物では無いことは、気配が迫るにつれて全身で感じ取る推進音の波動が教えてくれた。それは遠ざかることなく、ふたりは前方より迫り来る黒く巨大な鋼鉄の塊と行き合う形となる――

『――ロメオの潜水艦(ガーフィッシュ)だ』

 謙仁が口から漏らすより先に、コングの言葉が早かった。道を譲るように横に針路を逸らし、鉄の鯨が眼前近くを通り過ぎるのをふたりは見届ける。艦橋(セイル)から艦首に掛けて張られたアンテナ線。パッシヴソナーの配置、艦腹全体を縦横に走るリベットまでが手に取る様に見える距離だった。今更のようにこの海が、よりにもよって「ロメオ」本土の庭先であることを謙仁は痛感する。事前のブリーフィングによれば海自の潜水艦はこの海域すらごく普通に行き来しているそうだが、「こくりゅう」は無事だろうか?

『――行ったか……あんなドン亀には海自(うち)の潜水艦は見つけられねえよ』

 吐き捨てる様にコングが言う。そのままふたりはさらに深みへと向かう。完全に光も届かない、暗く冷たい深み――

『――ここだ。ここに機材(ブツ)を仕掛ける』

 作戦を開始して初めて点けたライト、それに照らし出された海底の一点を見遣りコングは言った。まるで大蛇の胴体を思わせる巨大なチューブ状の物体――海底ケーブルであることは一目瞭然だ。ふたりはライトの明かりを頼りにコンテナの蓋を開け、機材を取り出した。ワイヤー状の超長波(VLF)アンテナと一体化した盗聴装置のセンサー部をケーブルに挿し込み、展張したワイヤーアンテナをケーブルに沿って張り付ける。装置自体を起動させ、続けて敵に工作が露見した際に備え、付随する起爆装置を起動させることで全ては完結する。装置は内蔵電池の続く限り盗聴したロメオ本国政府と末端との通信を、超長波暗号通信を以て本土に送信し、収拾されたそれらは以後の対ロメオ作戦遂行に関し、重要な判断材料となるというわけであった。ルジニアで保護した現地協力者「アナスタシア」の証言が、統合幕僚監部と情報本部をして、かくのごとき盗聴を遂行させる呼び水となっている。


『――ダイバー、作業完了。帰投する……!』

 身を翻し、空になったコンテナを抱えてふたりは元来た海底の道を辿る。途上、ふと仰ぎ見た頭上――

「――きれいだなぁ……」

『――ばか、物見遊山じゃねえんだぞ』

 それまで闇の胎内に取り込まれていた躯の輪郭が、照らし出されるように顕わになるのが判った。海面まで十メートルを切るか否かの距離。揺れる海面を隔て、冬の陽光が烈しくも冷たく侵入者を睥睨している……何故か、身体中が火照り出すのを謙仁は覚えてならなかった。深々度作業特有の弊害――窒素過多じゃねえよな……などと、戦闘とは関係ない事を謙仁は考えた。





                      EpisodeⅡ 「Flare」 終

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