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第一二章  「混迷、そのあとに……」 (1)



ノドコール国内基準表示時刻12月28日 午前6時12分 ノドコール中部 



 抱かれている夢を見ていた。身体を抱きかかえられている夢だ。


 ただ自分の身体が抱き上げられ、自分を抱きあげている誰かが暗闇の中を走っているのだけが判った。抱かれながらに烈しい息遣いと金具の触れ合う様な耳障りな音が聞こえる――しかし、視界としての周りの様子は全く掴めなかった。


 背後から何かが迫って来る気配を感じる。よくない気配だ。同時に誰かの走るペースが上がる。走り始めて相当の時間が立つ筈、それも全力での疾走を続けている筈なのに、さらに余力があったことに驚嘆する。後ろから獣の臭いがする。嗅覚に捉えるのも汚らわしい、人の心を持たぬ血に飢えた獣の臭い。それ以上に愛する父母の死に立ちあった時に、その臭いが纏わり付いていたことを思い出した瞬間、堪え切れなくなった何かに涙腺の堰が破れ、顔をくしゃくしゃにする程の嗚咽を吐き出してしまう。


――心配ない。ぼくが付いている。

――あなたは……あなたは誰?

――ぼくは騎士。君の言う、銀星の騎士だ。

――銀星の騎士?……あなたが?

――泣いてはいけない。奴らを引き寄せてしまう……目を瞑っていろ。


 若い男の言葉が聞こえた。それも強い意思に満ちた青年の声だ。

 身体を抱く彼の腕は暖かく、そして強かった。彼の腕に身を委ねていれば救われるという希望を感じた。

 このまま彼と共に居たいと、心から思えた。

「――――?」

 何も見えないが、光が洩れて来るのを感じる。

 救いの光りだと思った。

 白く暖かい光はやがて視界を漂白し――


「――――!」

 夢に出た光と共に、ユウシナ‐レミ‐スラータは寝台の上で目を開けた。何時の間にか忍び込んでいた朝の冷気に、毛布からはみ出ていた肩がひどく冷えているのを感じる。同時に覚える胸の高鳴り――もう一度眠りに付こうと毛布を顔の下半分まで被りつつも、それが成し遂げられないことを少女は予期する――二年前、あの凶悪な鳥人(マハル)の巣窟を抜け出した先で見たニホン人の顔を思い出して――沸騰したように上気する頬を、何度か寝返りを打つことで鎮めようとユウシナは試みる。


 だめだ……観念し、ユウシナは寝台から半身を上げた。同じテントの向い合った寝台で、毛布に包まった身体が蠢くのを見る。先日に来たばかりという異国の新聞記者の黒く細い手が、毛布から覗いていた。



 ユウシナと彼女の属する共同体(コロニー)の老若男女は、二日前にこの包囲陣に加わった。加わったと言えば聞こえがいいが、その実際は焼け出されて来たと言った方が正しい。ユウシナがその接近を告げた襲撃者に対する応戦体制は辛うじて整ったが、襲撃者たちはその数と装備、そして銃手としての練度において植民者に遥かに勝った。追い立てられるかたちで集落を放棄し西に向かう途上で、同じく襲撃から逃れた同胞と行程を同じくすることとなったのは僥倖だったが、彼らの方は完全な奇襲だったらしく、住民の半数近くを襲撃者たちに殺されていた。避難民の行列は時を追うごとに膨らみ、やがて義勇兵と合流するに及びその向かう先は南へと転じていった……


 今日は朝食当番から外れていたからゆっくり眠っていられた筈だが、眠気が吹き飛んでしまったとあれば仕方が無いようにユウシナには思えた。暖を採るために焚火を起こし、愛用のヴォルキウス‐スペンシア銃を抱きつつ、ユウシナはテント脇のベンチに背を預ける。ローリダの言葉でアリファという地名、翻ってベース‐ソロモンとか言うニホン人の拠点を四周囲に亘り包囲する居留民義勇軍……否、ノドコール共和国独立軍の陣容を北側から一望できる位置だった。軍隊というよりはまるで遊牧民の集落のような包囲陣。移動用の馬は兎も角、所々に顔を出す牛や山羊の群、それらの出す鳴き声がその装いに一種の補強を加えている。


 東の涯、山際が黄色く染まり始めるのをユウシナは見る。それでも日昇の予感を抱いて、実際に薄暗い空一帯に広がるオレンジ色の光彩を自覚するのに優に一時間近くの時間が必要であった。その間、テント群の所々から白煙が昇り出すのをユウシナは見る。朝食の準備だ。この頃から陣内に郊外の定期市を思わせる活気が満ち始める――外目だけならば、長閑な田舎の風景ではないか。


「今日も晴れそうね」

「…………?」

 唐突に聞こえてきた声に、ユウシナは前方の景色に呑まれつつあった意識を背後に引き戻した。冒険者を思わせるカーキ色の軽装に中背の身を包んだ女性、だが襟元から覗く赤いスカーフが、生来の洒落気を隠し通すことが出来ないでいる様に思える。それと同時に短い黒髪に金色のイヤリング、そして黒い肌と金色の瞳のコントラストが、異邦人との対峙を意識させるに十分な強い印象を接する者に与えた。名はイスターク‐エゼル。異国――厳密に言えばローリダの友邦たるレオミラ王国の新聞記者で、ユウシナは縁あって彼女とは先々日からテントを共にしている。(よしみ)のある国とはいえ、見ず知らずの異邦人と寝床を共にするもの好きなど、世情に疎いローリダの開拓民の中には流石に居なかった。


「お早うございます。お茶、湧いてますよ?」

 と言いつつ、ユウシナは注ぎ口から湯気を噴き上げるポットを焚火の傍から取り上げた。エゼルは満足げに頷いて言った。

「貰おうかしら」

 ベンチをエゼルに譲り、お茶を入れる準備をするユウシナの表情には、微かながらも相手に対する敬意とも、気遅れにも似た空気が漂っている。



 イスターク‐エゼルのことを、ユウシナはこうして顔を合わせる前から知っていた。旅の雑技団付きの踊り子から身を起こし、押し掛け同然で入った新聞社の新人記者から、彼女が著名な女流旅行家、あるいは冒険家にクラスチェンジするのに僅かな年月しか要していない。その背景には世界のいわゆる「低文明地域」を、エゼル自ら見聞して回った末に書き上げられた幾冊もの旅行記の評判が関係しているように思われる。少し前までのユウシナの様に、ローリダでも海外の情勢に疎い深窓の令嬢たちは、エゼルの手に拠る旅行記や紀行文に触れることで、自分の意思では赴くことのできない国土の外を流れる匂いの違う風に、直に触れるかの様な感動を抱いたものであった。そして現在の、野山を駆け巡る術を覚えたユウシナにとって、エゼルはある意味「憧れ」に近い立ち位置に在る。


 ローリダの古典ですら使い古された表現を用いれば、「戦火の(あけぼの)満ちる地」ノドコールに赴くに当たり、エゼルは義勇兵用に仕立て上げられた貨物船に分乗して来たのだとユウシナに教えてくれた。勿論、ローリダ発の船である。独立運動支持派の富豪、資本家の肝いりで船の確保からノドコールへの運航まで手筈が整えられた船団の数が合計3隻、船団はその一隻々々に一万名前後の「開拓使」という名の志願義勇兵を満載し、つい三日前にキビルの港に滑り込んだばかりであった。「戦火の(あけぼの)満ちる地」に新たに足を踏み入れた義勇兵の数は29280名。彼らの内四分の一に当たる約7200名がベース‐ソロモンを取巻く戦線に送り込まれることが到着即日に決定し、以後援軍という名の下、兵力は日を追うごとに増えている。



「……ローリダ本国はそれはもう、お祭り騒ぎで義勇兵を送り出したものよ」

 と、エゼルはユウシナの祖国ローリダの首都アダロネスの港で、彼女自身が目にした全てを語ってくれた。エゼルが話した全ては、ユウシナに四年前の「スロリア戦役」の際に見た、出征将兵を激励する集会の光景を連想させた。埠頭に舞い散る紙吹雪、楽隊の奏でる勇壮な行進曲、沿道を埋め尽くす群衆の歓呼などはまさにそれだ……ただし四年後の現在、それらに取巻かれて船に乗りノドコールへ送り出されるのは訓練され、統制の取れた国防軍の将兵では無い。服装も背丈も年齢も区々(まちまち)の義勇兵なのであった。



ローリダ人の責務を果たしたまえ

最良の若人を送り出すのだ

息子たちを世界の果てへ送り出し

俘囚への奉仕に当たらせよ

重い(くびき)を担わせよ

行方定まらぬ民、野蛮の民のために

新たな俘囚、不満顔を隠さぬ

半ば悪魔、半ば子供である人々のために


 エゼルが見せてくれたアダロネスの新聞の切り抜きに躍る詩……それは決して目新しい喧伝では無く、ユウシナが生まれる遥か昔、植民地獲得戦争に向かう若い兵士や義勇兵を称揚するべく書かれた文章であることを彼女は知っていた。その時の戦争の相手は国防軍や義勇兵より遥か装備と練度で劣る異種族だったが今は違う。ここノドコールでローリダ人が相手にしなければならないのは、ともすれば「蛮族」よりも遥かに優秀な兵器を持っていて、統制の取れたニホンの軍隊かもしれないのに……

 

「ユウシナ、今日は司令部で取材をするんだけど、ユウシナも一緒に来る?」

「いいんですか?」

 エゼルの誘いに、ユウシナはその青い瞳を輝かせた。人間の数だけは立派な雑然とした陣容の中で、少女のユウシナが科せられている仕事といえば、日替わりの食事当番と警備の応援に食糧庫の在庫計算、そして野戦病院の助手ぐらいなものだ。単調なるを覚えつつあった日々の結果として、新たな刺激を少女の感性は欲していた。同時に、テントから起き出した人々が三々五々から群衆へとひとつの方角に向かい流れを作り始めるのを見る。

「朝御飯の時間ね」

 時計――ニホン製のカシオ‐プロトレックを見遣りつつ、エゼルは言った。

 その上空で重々しく、次第に軽やかに爆音を振り撒きつつ低空に降りるプロペラ機の機影がひとつ――帽子の広い鍔の先にそれを仰ぎ見るユウシナには、胸騒ぎがした。




 飛行機の爆音が遠方へと過ぎ、そして消えた。


 その小さな丘は、ベース‐ソロモンの中核たる広大な交差型飛行場とそれを取巻く様に広がる現地人のテントの連なりを、それらの西側から見渡すのに十分な高さを持っていた。ただしその位置は攻略対象たるそれらから作戦指揮に安全な距離を確保しているとは言えず、包囲軍の幹部たちはニホン人の反撃の及ばない後方への敷設を勧めている。着任して間もないテントの主はと言えば、それを微笑一つで却下している。


「……彼らは撃たない。撃つための備えもない」

 テントの移動を固辞した際に発した言葉を思い返す様に呟きつつ、センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートは火の勢いを強めつつあるストーヴに薪を投じる。ここ数日、やけに寝覚めが早く感じられた。ストーヴは狭いテントの中に暖を与えるとともに、炎の揺らぎに基づく明かりすら与えてくれる。浅黄色の揺らぎに照らし出されたロートの横顔は、凡そ三年ぶりに袖を通した軍制式の野戦服に似合わず優しげに見えた。


 ……それまでストーヴに向かっていたロートの顔が少し上がり、同時に彼はテントの外に人の佇むのを感じた。

「将軍、お目覚めでしたか」

「ああ……なかなか寝付けなくてね」

 背に猟銃を負った男であった。ただ背に軍用では無い銃を負っているというだけで、この包囲陣の内実の一端が伺えるというものであった。そして各地で発生するローリダ人避難民の、積極的な包囲戦力への転用という形で包囲陣形成に最大の貢献を為した男は、ただストーヴの中で荒れ狂う炎にその顔を晒し続けている。

「お食事をお持ち致します」

「お茶と……パンを一切れくれないか。朝はあまり食べたくない」

「はい……」

 一礼してロートの指示に従う素振りを示したものの、民兵は怪訝な表情を隠さない。しかし立ち去ることに逡巡している彼の態度にロートが覚えたのは、むしろ親しみであった。「行っていいよ」というロートの微笑が、此処に来る前は自営農民であった男を安堵させ、彼の足を遠くにある調理場へと向かわせる。その後には再び朝生来の静けさが戻り始める。


「…………」

 ……次にテントの入口に立った人影を顧みることなく、ロートの目付きが変わる。先程の民兵では無かった。気配とともに漂ってくる冷たい空気から判った。此処では場違いとも思える外套に高い背丈を覆った影が一つ。但しその背には此処の住人の証たる銃は影も形も見えなかった。灰色の眼光が独つ、天幕の下でストーヴを弄る男を品定めでもするように無感動に見据えている。その影をからかう様にロートは微笑み、そして言った。

「その立居振舞、内務省だな」

「御明察、傷み入ります」

 影が一礼した。一歩進み出た影の足先がテントの敷居を踏む。天幕の影の下で、踏み入った人影は片眼を眼帯で覆った青年の姿となった。片目の青年に顔を向けることもせず、ロートはまるで独りごちるように言った。

「何故判った、と言いたげだな」

「…………」

 青年は怪訝な表情を隠さない。むしろそれこそがロートの洞察を前に、彼の無意識の内に纏った緊張の鎧が剥がれ落ちた瞬間なのだが、その後の青年の胸中には不快感では無く純粋な感嘆がある。ロートは喉で笑った。教師が彼の教え子の些細な悪戯を、苦笑しつつも許すような笑いであった。

「昔付き合っていた女がいてね……後で知ったが彼女はルガルの密偵だった」

「それで……どうなりましたか?」

「闇を覗く仕事に手を染める者に、碌な結末は待っていないよ。それが女でも、だ……君は妻帯者と見た。円満な家庭を手に入れる前に足を洗った方がいい」

「…………」

 胸中に抱いた感嘆が、賢者を前にした敬意に転じるのを青年――オイシール‐ネスラス‐ハズラントスは自覚する。眼前のこの男には如何なる虚飾も、そして虚勢も通用しない。


 黙々とストーヴに新たな薪をくべつつ、ロートは言った。

「用件は何かな」

「我が主、ルーガ‐ラ‐ナードラより将軍の姪リュナ嬢の無事をお報せするようにと」

「そうか……」

 応じるロートの顔が、心持ちかストーヴから上がるのをネスラスは見た。

「今、リュナはナードラ様のご高配により軍の監視下より脱し、キビルにいます」

「君が連れて来たのか?」

「…………」

 ネスラスの頭が、心持ちか下がるのをロートは見た。ロートの推察は当たっていた。

「聞くが、何故ルーガ家の姫君は此処に出て来ない。映画の撮影班でも従えて来れば本国にいい宣伝にでもなっただろうに……」

 静かだが、からかうような要素がロートの口調には含まれていた。

「ナードラ様は、今朝早くにアダロネスへ発ちました。第一執政官と国防軍最高司令官に会うと」

「ドクグラムか……」

 ロートらしくない、苦り切った口調――火かき棒でストーヴの中を掻き回しつつロートは言い、そして続ける。

「此処にはもう少し居るんだろう?」

「はい……任務ですので」

「御苦労なことだ。折角だから朝御飯でも食べていくといい」

「…………」

 恭しく一礼し、ネスラスは後退りしてテントを出る。眼前の名将が一時の孤独を欲していることを、彼は悟っていた。



「そうか……ひとまず良かった」

 内務省の使者と入れ替わるようにして、先刻の民兵が茶を満たしたポットと厚切りの黒パンを持って来た。手ずから黒パンをストーブの天板に置き、一層燃え盛るストーヴに両手を翳しつつロートは呟く。それは彼が何よりも気遣ってやまない姪の安寧がはっきりしたことへの、彼なりのささやかな喜びの仕草であった。

「……ここまでは計画通り」

 さらなる独白と同時にロートの意識は過去を遡り、一週間前、自ら終の住処と恃んだ処で、彼の被保護者から引き離された場面へと達する――




 ―― 一週間前


 ――遅い夕食の席であった。闖入した武装兵に囲まれつつ叔父と姪は慎ましやかな夕食を終えた。食事の間、二人は完全に無言であった。

「立つんだ。アルヴァク‐デ‐ロート」

「駄目だ」

 ロートの言葉は即座で、そして絶対だった。心得たという風にリュナが席を立ち、台所で悠然と茶の支度を始める。少女ですら厳めしい姿と顔形の兵士たちを前に、臆した様子は無かった。

「食後のお茶が終わっていない」

 優に三十分――悠然と茶を飲み終わると、ロートはすっくと席を立った。その傍には上着とコートを抱えたリュナが控えている。やはりリュナの手を借りて悠然と身繕いを終え、ロートは兵士らに周囲を固められつつ玄関を抜けた……強引に学校の中庭に乗り付けた軍用車が二台、その不快なアイドリング音以外に物音も自然の音もまた聞こえない……いや、気配は感じられた。村の学校の周囲に在って、突然の闖入者の様子を遠巻きに、かつ沈黙を以て伺う住人の気配が――

「用があるのは私だろう? リュナに触れるな……!」

 無思慮な連行の手が姪にまで及ぼうとした時、ロートは目を剥いて兵士に言った。不埒者に向かい見開かれた眼と怒りに歪んだ口元……一方で少女は彼女の叔父の、そのような顔を未だかつて見たことが無かったし、日頃温厚な叔父の内面にそのような側面があること自体彼女の想像の外であった。そして少女の叔父は、ドアを開け放ったままの玄関に佇む姪の姿に気付き、突発的な感情の発露を抑えんと試みるのだった。

「リュナ、すぐに戻る」

 肩越しにそう言い、ロートはリュナに眼を細めた。それは単に肉親を慈しむ以上の意味を持った眼差しであることを少女は瞬時に察した。つまりは、この後に彼女がやるべきことは既に決まっている。それでも――

「おじ様!? ロートおじ様!」

 それまでなりを潜めていた軍用地上車のヘッドライトが獣の眼光のように見開かれ、闇の下で安寧を保っていた中庭の草木を照らし出す。叔父の未来を案じ思わず声を上げる姪に、彼女の叔父が応じるべき時間の余裕は、すでに失われていた。



 アダロネスの国防軍総司令部か? この手の謀議では大抵「会場」として使われる「圧政打倒研修所」が? はたまたあの悪名高い「高等政治犯医療矯正院」か?……悪路に揺れる軍用車の後席で、軍人時代の記憶を元にしばし沈思した自らの行先は、ロートの予想を少なからず裏切った。沈黙を伴に車内に在ること時間にして8時間近く……ロートが(とら)えられた車列が首都アダロネスの近縁に達する頃には、悪路特有の不快な車体の揺れはすっかり鳴りを顰め、むしろ瀟洒な街灯と赤い葉を湛えた並木、優に四車線はある広い道路、そして道路の両脇を固める豪奢な邸宅の発する淡い灯りが、却ってロートの警戒心を敵陣の中に在る以上に喚起するに至っている。郊外の地肌剥き出しの国道、コンクリート敷きの幹線道路、そしてアスファルト舗装のアダロネス市主要路とは全くに趣の違う石畳の敷き詰められた道路。相変わらず移動を続ける車内で記憶と経験の引き出しを脳裏で探り続けた先、ロートはある事実に行き当たった。確か此処は……


『……貴人区(デムス・レフタール)か?』

 貴族や富豪階級の大邸宅の立ち並ぶ、首都アダロネスでも許された者しか立ち入ることの出来ない「聖域」の名を記憶の引き出しから取り出すのと、それ故に疑問がさらに深まるのと同時であった。その貴人区でも一際広い敷地の正門に入り掛けたところで車が止まり、同時に軍基地とは趣の異なる検問の光景が眼前に広がるのをロートは見る。一部の貴族や軍高官の中には警護の名目で警備兵を私的に邸の警備に流用し、検問所紛いの施設まで拵える者もいる。しかしそれは、かつては一線級の国防軍士官として検問する側とされる側の両方とも経験済みであるロートとしては、懐かしくも滑稽な情景でしかなかった。

「…………」

 はて、誰の(やしき)だったか……自然公園と呼称しても差し支えない程の、緑に満ちた広い敷地を走りつつロートは考える。景観を壊さぬよう巧妙に配された外灯の下、敷地内を縦横に廻る石畳の交通路はやがて、伝承にあるギルタニアの王立大聖堂を思わせる、重厚さと壮麗さとが一分の隙なく一体化したかのような、均衡の取れた美観を有する邸の正面へと凡そこの場に不似合いな軍用車を導く。車寄せの外では執事らしき老人が彼の部下を従えて軍用車を待っていた。裏口に行く旨を告げた助手席の指揮官に、執事は抑揚に乏しい口調で応じた。

「旦那様の仰せです。客人は正面玄関よりお通しするようにと」

「…………」

 虜囚ではなく、客人?……この待遇もロートにとっては予想外。



 ありきたりな応接室では無く、恐らくは邸の主の私的空間であろう書斎へとロートは通された。書斎と呼ぶにはやや広すぎるきらいのある、抑制された調度に統一された部屋。そこまで見る限りでは悪い趣味では無い。だが壁の一面に飾られた獣の首と、隅に佇む巨大な猛禽の剥製が、邸の主の精神に鎮座する得体の知れぬ深淵を、見る者に敢えて覗かせようとしているかのようにも思える。邸の正面玄関から丁重にこの書斎へと通される途上で、ロートは邸の主の正体を知った。地階から書斎のある三階まで昇る途上で目にした巨大な将官の肖像画に、ロートは思わず目を細めたものだ。額縁の中で元帥杖を握る、老境に差し掛かったその将官の顔――


「大カザルスか……」

 呟いたロートを書斎に導いた執事が、邸の主の入室をロートに告げる。寝間着の上にガウンを羽織った邸の主の姿を目にした時、尖った顎と鷲鼻が、肖像画の題材たる彼の父によく似ているとロートは思った。「小カザルス」こと共和国国防軍最高司令官 共和国元帥カザルス‐ガーダ‐ドクグラムは、ソファーから腰を上げたロートを一瞥だけすると、そのまま専用の机へと歩き、そして琥珀色の液体の満ちたガラス瓶を取り上げた。手酌でグラスに琥珀色の液体を注ぎ、再びロートを顧みる。微かだが、ブランデーの匂いが漂って来た。

「やるかね?」

「…………」

 無言で頭を振ったロートに、ドクグラムは「失礼するよ」とばかりにグラスを掲げ、そして口を付けた。度数の強い酒に喉を鳴らしたところで、肖像画の元帥の息子にして、今や彼も元帥と称される男の話が始まる。


「……君は、スロリアで死ぬべき男であった。だが実際はこうして生きている。人の世というものは不条理なものだな」

「ええ、我々の生は多くの将兵の犠牲の上にありますな。但しその後の私と閣下らの身の処し方には少なからぬ相違があるようですが」

 強烈な反撃だったが、それに対しドクグラムは笑った。そのドクグラムをロートは無感動に見遣る。グラスを呑み干し、ドクグラムはアルコールに浮ついた眼光をロートに向けた。

「ノドコール独立の英雄になる積りはないかね? センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロート少将」

「英雄か……折角その称号の頚木から解かれて清々しているときに、(むご)いお言葉ですな閣下」

「……まあ、君の意思はこの際大して重要ではないのだがな」

「…………!?」

 ロートの顔から完全に柔和さが消えた。

「私の姪は関係ないでしょう」

「たったひとりの肉親、それも年端もいかぬ女子に独り留守番を強いる程私も無思慮な男では無い。身柄を預かるのはむしろ感謝して欲しいくらいだ」

「リュナを何処へやった?」

 ロートの口調が変わった。同時にロートの眼が普段の彼の外見からは想像もできない、常人では正視することすらあたわぬ硬質の光りを煌めかせ始める。一方でそれを平然と受け止めるに当たり、ドクグラムもやはり常人ではないのかもしれない。

「さて何処だろうな……あのような片田舎よりはずっといい場所と待遇だとは思うが」

 巨大な窓辺に歩み寄りつつ、ドクグラムは嘯いた。不意に開いたドアから野戦服姿の軍人たちが慌しく踏み入り、ソファーに腰掛けるロートを取り囲む。指揮官が窓辺のドクグラムに歩み寄った。彼を顧みて頷くドクグラム。直後にロートは兵士に両腕を取られ強引に部屋、そして邸から引き出された。彼がロートの意思を汲む積りなどはじめから無かったことの、それは何よりの現れであった。



 ――距離にして5000リーク、時間にして12時間の飛行の末、センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートはノドコールに所在するニホン軍飛行場包囲陣の只中に在る。


 懐かしきサン‐グレス空軍基地の土を踏み締めて往時の感慨に浸る間もなく――尤も、浸るべき感慨をロートは全く持ち合わせていなかったが――荷物同然に何の希望も期待も抱かずに赴いたキビルでは、ノドコール自治政府より名称を転じ、今やノドコール共和国政府となった新国家中枢のメンバーが満面の笑みで過去の英雄を待ち構えていた。その会見の場所もやはり「懐かしき」植民地駐留軍司令部……いや、確か今は植民地総督府と名称も役割も変えているか……そのノドコール共和国政府の中枢たる会議室の調度にも、ロートには見覚えがあった。そして会議室の上座を占める人物の顔にも――


「アイブリオス師?」

「ザマルデ‐ガンド以来かなロート大隊長……いや、今は予備役少将であったか」

 ギルボ‐アイブリオスは長年の戦友にでも会ったかのような微笑を浮かべ、息子ほどに年の離れたロートを迎えた。しかも彼が腰を下す上座に程近い席である。ノドコール共和国、来るべき新国家を率いて行くべき面々を、嘆息とともに一巡し、席へ向かおうとしたロートの足を止めた声があった。

「そうではなかろう。この男の軍における官位は剥奪された筈です」

「…………」

 その声は大きくは無かったが、口調の明快さが却って一座の注意を引いた。卓の末席、共和国国防軍陸軍の将官服を折り目正しく着込んだ老境の男。鷲鼻の下に蓄えたブラシの様な白髭と、落ち窪んだ眼許から剥き出しになった鷲の様な眼光は、会議室の内壁に向かって真っ直ぐに向けられたままこの場の誰とも眼を合わせようともせず、政府の統制から離れた独立勢力の首班たちの中に在っても、迂闊な懐柔を許さない威厳を湛えつつある。階級は大将のその男を、まるで彼に呼び止められたように歩を止めたロートは無言で見下ろすようにした。その顔には、明らかな困惑が浮かんでいた。

「どちら様でしたっけ?」

「は……!?」

「…………!?」

 困惑と真剣さをない交ぜにした真顔でロートに名を尋ねられ、将官の顔から一瞬表情が消えた。その後には座を占める人々の豪快な笑い声と、屈辱に肩を震わせつつ俯く老将の姿が生じるのみだ。自らが引き起こしたこととはいえ、緊張に満ちた空気がひっくり返り、次には陽性の活気が漲り始めた会議室の中で戸惑うロートの一方で、場を取りなす様な言葉を発したのは、眉一つ動かさずにロートに向き直ったアイブリオスその人であった。

「エイギル‐ルカ‐ジョルフス。共和国陸軍大将。彼は創設成ったノドコール共和国独立軍総司令官だ。かつては植民地駐留軍総司令官であったが、我らが決起の趣旨に賛同し、要職を擲って我が国に身を投じて下された。確か……君と彼とでは三年前同じ戦線に在ったとわしは記憶しているのだがね」

「ああ……そういえば」

 記憶の糸を手繰ったロートの顔に浮んだのは、紛れも無い狼狽であった。非礼を詫びようとジョルフスに向き直りかけたロートに、会議卓の一隅から野太い声が降り掛かって来た。

「こいつはいい! 傑作だ!」

 ジョルフスから声の主へとロートの視点が転じ、彼が向き直った先で卓をバンバン叩きつつその男は笑っていた。方卓の末席、凡そこの政府中枢に不釣り合いな農民服姿の男。長い髪は首元で束ねられ、熟練した猟師を思わせる眉の太い野趣溢れる顔立ちは、外目では40歳を出たばかりといったところか……その体躯は痩せ過ぎもせず肥り過ぎもせず、但し常人離れした量の筋肉を纏っていることが上衣越しの輪郭から伺えた。侮辱された衝撃から立ち直りかけたジョルフスが、ロートに眼を剥き罵声を浴びせかけようとするのを制するタイミングで農民服姿の男はロートに言った。老将が付け入る余地は無かった。

「かねてより噂は聞いてはいたが、なかなかどうして面白い男じゃないか。気に入ったよ」

「あなたは……?」

 アイブリオスが言った。

「紹介する。彼の名はドディー‐セルベナス。ノドコール共和国国防長官だ」

「ドディー?……あなたが?」

 ロートの表情が新たに一変し、今度は心からの感嘆に席を譲る。共和国国防軍を大尉で退役したが、その後植民省隷下の保安部門に籍を置き、複数の植民地及び列国との係争地における原住民の反乱鎮圧作戦、情報収集活動に辣腕を揮った元老院名誉勲章(プロコス‐シェア)受章者にして、果敢な遊撃隊指揮官として植民者の信頼厚い「国防軍名誉大佐」……今年で47歳になるドディー‐セルベナスのことを端的に言い表すとすれば、以上の様になるであろうか。案内された席に付きつつも、感嘆の一方で湧いた疑念の赴くがままにロートは聞いた。

「私は以前、人づてに大佐はこのような政治的な関わりを好まないとお伺いしたことがあるのですが。これは一体如何(いか)な事情あってのことでしょうか?」

「事情は上座に収まっているじいさん(・・・・)に聞いてくれ。おれはあまり自分についてごちゃごちゃと語るのが得意ではないのでね」

 と、苦笑気味にセルベナスは言った。それでも呆気からんとした、耳に心地よい口調であった。この辺の明朗さが、いち個人としての彼が部下の信望を厚くする一方で、同僚と上司に要らぬ誤解を喚起し、敵を作り易い彼の性分の源流なのであろうとロートは邪推する。その邪推は、恐らくは当たっていた。

「……ドディーは、この手のいくさ(・・・)に至って造詣が深い男でな。ノドコール独立という大義成就にあたり、どうしても外せぬ人材という事でわし直々に声を掛けて来てもらった」

「…………」


 「じいさん」と「ドディー」――互いに相手を呼ぶ名からして、ギルボ‐アイブリオスとドディー‐セルベナスの間に、互いの属する世代を越え、遥かな過去に醸成された同志的な連帯が続いているのを察することが出来ない者は、恐らくは会議室に集った一同の中には――恐らく一人を除いて――皆無であったろう。その空気を読む事あたわざる発言が、次には会議室から和やかな雰囲気を吹き飛ばしてしまった。

「アイブリオス首相に一言確認申し上げたい! この際独立軍の指揮権は一体誰に帰属するのであるか?」

 ジョルフスであった。一座の中で唯一の正規軍軍人たる彼は、未だそれが確定していない一方で、彼個人の密かに期待する軍人としての権限を(彼の眼から見て)到底専門家とは言えない誰かに浸食されることに、まるで彼自身の資産を他者に横領される以上に過敏である様に見えた。但し、ジョルフスに対するアイブリオスの態度は、一国の首班と呼ぶに相応しく公正で、かつ無感動だ。

「国防に関する権限の一切は、そこにおるドディー‐セルベナスに任せる。ジョルフス将軍におかれては、当面は独立軍正規部隊の編成に専念して頂きたいとわしは考えておる」

「ばかな!」

 「話が違う」と言いたげな、怒りと恨みの綯い交ぜになった眼でジョルフスは彼の上司を睨んだ。

「まあ最後まで聞いてくれよ総司令官。お前さんは別に国としての体裁を繕うためのお飾りというわけじゃないんだ。時が来て、本国が増援を寄越してくれれば、その兵力はそっくりあんたの指揮下に入る。今は我々民兵に任せて、その時あんたには存分に采配を揮って欲しい」

 口を開いたのはセルベナスであった。ただし砕けた口調はその対象の内心を宥める響きこそ持っていても、聞く者によってはその馴れ馴れしさ故に、ジョルフスのセルベナス自身に対する更なる敵意を掻き立てることになるであろう。

「実戦の責任者は本官だ。喩え指揮が執れないとしても、本官の助言なしに軍を動かすのは困る」

 困惑と苛立ちを露わにしてジョルフスは食い下がった。食い下がらずにはおれない事情が彼個人としても存在する。「アイブリオス政権」の面々がアイブリオス自身の指名と入植地居留の代議員の推薦によって会議室の席を占めることとなった一方で、ジョルフスは彼個人の意思と熱意から我が身を「アイブリオス政権」に売り込むに至っている。その結果が飼い殺しに等しい立ち位置では、悔やんでも悔やみきれないであろう。


「そうとは未だ決まっていない。憶測だけでものを語るのはやめて頂こう」

 卓の一隅からジョルフスに鋭い声が向けられる。円い銀縁眼鏡の官僚然とした男。その眼はまるで失敗を犯した部下を責める指揮官の様に険しかった。今でこそ礼服を着ているが、総督府総務局長としてノドコールに赴くまでは共和国国防軍中佐だったアルギス‐ゼレン‐ラスだ。軍内の階級では優に四階級差があっても、ジョルフスと彼とは実年齢上の差は数えるほどでしかない。そのラスは抜群の折衝と事務処理能力を見込んだアイブリオスの求めに応じた結果として、この会議室では外務長官という肩書を得るに至っている。尚も声を上げようとしたジョルフスに、今度は隣席の礼服姿が宥める様に声を掛けた。

「将軍、あなたの復仇の念の尋常ならざることは私も痛い程よくわかる。今は堪えて大局を見て頂きたい」

 腹の出た中背、頭頂部より頭髪の消えた丸眼鏡の男が、心配そうにジョルフスの様子を伺っている。「アイブリオス政権」の民政長官たるシオノス‐ドイラ。代議員の推薦でこの肩書を得る前はキビル市内で開業医をしていた男で、「スロリア戦役」で当時国防軍中尉であった息子を失った過去を持っている。それでも、恐らくは彼の長い軍人人生の中で、他人に突き放されるのにも憐憫されるのにも馴れていなかったのであろうジョルフスは鼻息も荒々しく席を立ち、無言のまま会議室を出て行ってしまった。その後には三割の困惑とあと七割の失笑が空気として残された。


「追わなくとも宜しいのですか?」と、さすがのロートも戸惑い気味にアイブリオスを顧みた。当のアイブリオスは頭を振るのみだ。

「よい。本国との関係が修復するまで、当面は我々だけの仕事となろうからな」

「ではじいさん……」

 セルベナスが口を開いて了解を求め、アイブリオスが無言で頷く。それは今まさに、会議を進行するためのバトンが「じいさん」から「ドディー」に渡された瞬間――いや、了解を得たセルベナスはラスを見遣り、ラスはそれに頷いて口を開いた。


「天なる神より与えられし土地を守るため、神より導かれし我らは決起した。この上は原住民及びニホン人に対する武装闘争を優位に進め、我らが独立を本国の協力を得た上で確固たるものとせねばならない。当面の課題はノドコール中南部アリファ、ニホン人がベース‐ソロモンと呼称する彼らの前線基地の攻略、ひいては占領を速やかに完遂することにある」

 隅に控えていた幹部が卓上に地図を広げ、ラスとセルベナスの指示に従って駒を置き、敵味方の展開状況を表示する。地図上で一際大きく目立つベース‐ソロモンを示す指標、その周囲を取り巻くように独立軍を示す指標が置かれるのを、ロートは未だ醒めぬ戸惑いとともに見守るのだった。ただし包囲網の不完全なることは、包囲線の奥行きが部分々々でまちまちで、ベース‐ソロモンへ向かい未だ移動中たるを示す独立軍の指標も決して少なくないことから判った。

「アイブリオス師にお伺いしたい」と、ロートは上座のアイブリオスに向き直った。

「何かね? ロート中将」

「中将……ですか?」

 そこに、セルベナスが口を開いた。

「ああー……渡航早々に迷惑だろうが君には予め言って置くべきだったな。君には国防長官たるおれの権限を以て独立軍中将の階級を与えることになった。ロート中将、実を言うとお前さんにはこの方面の独立軍を率いてもらいたいのだ」

「つまり……私にニホン軍基地攻略戦の指揮を執れ、ということですか?」

 セルベナスは黙って頷いた。

「君以外にこれを任せられる者は、ノドコールはおろかローリダ本国にもいないとおれは思っている」

「…………」しばらく黙ってセルベナスの顔を凝視し、ロートは言った。

「それで質問ですが、ノドコール条約を無視したこのような軽挙をあなた方に使嗾(しそう)したのは、いったい誰なのですか?」

「軽挙……と言われるか?」と、困惑気味にドイラ民政長官が言った。

「軽挙ではないか。このような実力行使はニホンに介入の名分を与えるようなものだ」

 ロートの口調に険しさが増す。それでもアイブリオスとセルベナスの表情が変わらず、ロートの意見を聞く素振りを崩さないことに彼は内心で安堵した。

「ロート将軍、我々の説明不足から誤解が生じたことをこの場で君に詫びたい。今回の独立に当たり、以後の我々の計画はこうだ……」


 アイブリオスが言い、そして続けた。



 ……武装した異教徒たる原住民と、その背後にあってノドコール支配を画策するニホンから、植民地ノドコールとローリダ人入植者の権利と信仰を守るために、我々はノドコールにローリダ人主導の独立政権を成立させ、国家として独立させる。以後独立軍によるノドコール全土の平定作戦と並行し、独立政権たるノドコール共和国の新政府は速やかにローリダ本国と交渉を持ち、速やかに相互安全保障条約を結び、本国より正規軍を引き入れることでローリダ人による独立国家成立を既成事実化し、ニホンの再侵略に対抗する――上座のギルボ‐アイブリオス本人の口から計画の一切を説明されたとき、ロートの顔から完全に血の気が引いた。

「……それはつまり、本国の了解の下にあなた方は決起したという事で宜しいのか?」

「本国政府との協調……とまでは行かぬが、我々の計画の立案者及びその支持者は本国の政財界に広く存在するとまで言っておこう」

「成程……決起が失敗と見做されれば、我々は本国から切り捨てられるというわけですな」

「…………」

 直後に気まずい沈黙が会議室に生まれ、それを確かめる様にロートは視線を一巡させ、そして内心で納得する。恐らくは計画を進行するに最大最悪の懸念は、ノドコール共和国の中枢たる彼らの既に共有するところとなっていたのであろうが、それを実際に口に出して指摘してのけた者が自分だけである事を、ロートは確信した。それもそうだろう。分の悪い博打にも等しいこの試みに、水を差す様な言動は統制の上からも避けるべきなのだから……ただ、未だ部外者たるを自認するロートとしては、わざとこれを言ってのけることで、独立委員会の今次の決起に対する覚悟の程を量りたい衝動に駆られたのもまた事実であった。目標達成への強い意思は、大計を推進し成就するに絶対に必要な要素であるのだから。

「失敗は有り得ない!」

 と声を荒げたのは、ラス外務長官だった。苛立たしげにロートを睨む彼のこめかみに青筋が浮いていた。

「現にニホンはノドコールへの武器搬入阻止に失敗しているではないか。しかもその間ニホン軍に目立った動きは一度としてない。これは即ち、ニホン人が共和国ローリダとの直接対決を恐れるあまり本格的な介入を控えていることの何よりの証拠である。共和国ローリダはもはや、三年前彼らを前に東進を挫折せしめられた頃のローリダではないのだ。これを機に再戦を果たせば、勝利は必ずや我らが掌中に帰するであろう」

「そうだ! 我らには『神の火』とグロスアームを有する本国がついている。何を恐れることやあらん」

「我らは尖兵なのだ。キズラサの神より与えられし試練に打ち克ち、約束の地の所有権を確固たるものとする大事業のな」

 列席者から声が上がった。彼らの多くがローリダによるノドコール平定以来この地に根を下して来た大農場経営者や事業主だ。その彼らの発言を、単なる現実からの逃避と切って棄てるのはあまりに浅薄なやり方なのだろうと思いつつも、ロートは顔を曇らせつつ上座のアイブリオスを見遣った。

「これは信じても宜しいのですかアイブリオス師」

「もちろんだロート将軍……現状を打開する方策はないわけでもないのだ。ロート将軍」

 と言い、アイブリオスは地図を指し示した。彼我の兵力の集中するアリファの位置であった。

「最初にして最大の問題はここアリファである。具体的にはベース‐ソロモン、その名を口にするのも汚らわしいニホン人の拠点だ。独立宣言からさらに一歩、完全なる独立に近付くためには、これを短期で、それも最小限の損害で抑える必要があるのだ」

「…………」

 席から腰を上げて地図を見るうち、ロートの険しい愁眉が、融ける様に和らいでいった。

「……できないことは、ないかもしれません」



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