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第一章  「戦火、なお遠からず」 (1)




ゼオデ王、オルバスの地を治めり。

オルバスの地、キズラサ者数多耕し、(すなど)り、そして信心せり。

ゼオデ王、偽りの神を崇め、その像をオルバスの地方々に打ち立てり。

盲民集いて偽りの神を崇め、像の許に跪きその足に接吻せり。

盲民の内、キズラサ者の像を崇めざるを憎み、ゼオデ王にこれを告ぐ。

ゼオデ王大いに怒りキズラサ者を(りく)せり。


怨嗟、大地に満つ。

大地、キズラサ者の血を吸う。

その血肉、主を呼ぶ数多の声となれり。

かくして、大地大いに(こく)せり。

しかして声、暴君の耳に届かず。

降天せるキズラサの神、ゼオデ王に問いて曰く。オルバスに満つ声は何ぞ、と。

ゼオデ王これを知らず。主を嘲り、これを呪う。


キズラサの神曰く。


オルバスに満つ声、我を祝するなり。

オルバスに満つ声、汝を呪うなり。

而して声は生者のそれにあらず。血を吸いし大地の声なり。

これより大地、我に殉ぜる者の安寧の地とならん。

これより大地、我を呪う者に永劫の業苦を与えん。

我、我に殉ぜる汝らに力を与えん。

再び地より湧き、陸に満ち、我と汝らに仇為す者を逐うべし。


果たして三月(みつき)の内にオルバスより一切の潤い(うしな)わる。食絶え水枯れり。

ゼオデ王狂乱の内に躁病に伏せ、そのまま死せり。

民オルバスの(ごう)を悲しみ、ある者は悲嘆の内に死せり。またある者は伝来の地を棄て四方(よも)へと散れり。


かくしてオルバスの地、不毛の地となれり。



――「聖典」第11章 オルバス記の一節より――








スロリア地域内基準表示時刻10月29日 午前5時35分 スロリア東南部南岸

 

『――イカロス21、海岸線侵入』

 後席からの報告を聞く頃には、前方には切り拓いたような平地が左右を山々に挟まれていた。平地はそのまま海岸から奥へと続く回廊として、彼らの銀翼を迎え入れようとしていた。頭がやけに重い、旧来の航空ヘルメットから新型のHMDヘッドマウントディスプレイ内蔵ヘルメットに換えてすでに一年が経つが、時折こうした「不便な」感触に襲われることがある。実戦ではまだ使ったことが無かった。その感触を訓練では一度として感じたことのないのが救いと言えば救いか……


 航法モードにしたHUDは、機が進む先を円形の指標(シンボル)と、それに重なる様に延びる二本の光の線の織り成す回廊(コリドー)として表示してくれている。それらにHUD中央の機体位置を示すベロシティ-ベクターを重ねる様にして飛べば、南部 一郎 一等海尉の駆るジャリアーMkⅡ多目的戦術支援機は、所定の飛行ルート上を何の問題無く飛んでくれるというわけであった。


 ジャリアーMkⅡ、又の名をT-4Rは、一般的にはT-4中等練習機の発展型である「ジャリアーMkⅠ」ことT-4改を、さらに改良発展させた機体として認識されている。海上自衛隊における調達時の名称は「複座式多目的高速哨戒機」。開発計画自体は「転移前」の「東アジア紛争」において、図らずも露呈した形となった航空自衛隊作戦機の絶対数の不足を補うべく、なし崩し的に開始されたT-4改修作業に起因し、それに続く「転移」により米国製最新鋭機調達の途が閉ざされたことが、国産新鋭機開発までの「つなぎ」としての本機の実戦配備を一層に推進する形となった。


 さらには、やはり「転移」により周辺の脅威が完全に消滅した一方で、PKFが活動する前線での反復使用が容易な軽量戦闘機に対する要求が発生したことが、練習機及び軽攻撃機としての使用が両立し得る本機の取得及び調達を促進した。旧来のT-4を更新する形で各地の教育飛行隊及び戦闘機部隊から配備が始まり、ジャリアーMkⅠを装備する最初の実戦飛行隊が海空自衛隊の統合部隊という形で編成されたのが「スロリア紛争」直前の事である。


 本機の実戦投入は「スロリア紛争」停戦直後のことで、それ以来、ジャリアーはMkⅠ、Ⅱと形式を重ねつつ今日まで大過なく任務を遂行し続けている。旧来のT-4譲りの整備性の高さと、補強され、拡張された堅牢な機体、同じく頑丈な主脚は、設備の整っていない、さらには舗装すらまともに為されていない前線の急造滑走路での運用を可能にし、高角度の多機能表示端末(MFD)を多用したグラス‐コックピットと、誘導兵器のみならず高精度の画像索敵/照準装置の外部搭載をも可能にした専用ハードポイントの組合せは、ジャリアーの小柄な機体に従来の第一線機と遜色ない戦術偵察及び精密対地攻撃任務を可能にする融通性を与えることになった。但し搭載エンジン出力の関係から、それらの運用には多少の制限が課せられることが多かったが……


 それでも、地上部隊にとって、それまで無に等しかった近接航空支援のオプションが加わったという点で、ジャリアーの導入はむしろ陸上自衛隊を中心に歓迎を以て迎えられることとなった。特に日本国外に展開するPKO、あるいはPKF地上部隊にとって、無線機の一声で彼らの上空に飛来し、彼らの針路上に立ちはだかる障害を排除してくれる小型機の存在は何者にも増して頼もしい存在であり、「スロリアの嵐」作戦における成功体験が、自衛隊の航空支援戦力を拡充する一手段として本機の導入を一層に推進させる効果をもたらすこととなった。「前世界」において、敵前上陸作戦という戦術カテゴリーで世界最強を呼号したアメリカ合衆国海兵隊(USMC)に、即応的なエアカバーを与える存在として、揚陸艦の狭隘な飛行甲板あるいは前線の未整備基地より運用されるAV-8「ハリアー」という小型攻撃機があり、空軍にも陸上部隊に即応的な対地支援を提供する航空戦力としてA-10という強力な対地攻撃機があったのと同様、「ジャパニーズ‐ハリアー」ことジャリアーもまた外地に展開した自衛隊各部隊のアンチ‐グラウンド‐エアカバーとして「時を得る」こととなったのだ。



 ――そのジャリアーMkⅡは緩慢に上昇を続け、そのままスロリア中部の山間部を越えた。

 

 未だ山々の間に啓かれた山村の、長閑な田畑の絨毯がコックピットから見渡せる高度であった。さらに言えば、センターバイロンに搭載した前方監視赤外線(LANTIRN)が、計器盤の多機能表示端末(MFD)に下界の景色を明瞭に映し出している。地上に不穏な動きがあれば、後席、航法/兵装員の日浦 昌之 二等海尉がこいつで山間部を走査することになるだろう……だが、今回の飛行で彼らに課せられているのはそのような任務では無かった。


 センターバイロンに搭載された赤外線画像探知ポッドと25㎜機関砲ポッド、主翼下に存在する左右計6個のハードポイントに吊下された二基の増槽と同じく二基のAAM-5空対空誘導弾、それらが今回の飛行(フライト)で南部一尉の駆るジャリアーMkⅡとその列機が有する装備であり、彼らの課せられた任務の内容を如実に物語っていた。


『――イカロス(イカロス)こちらバンシー(バンシー)貴機はこ(ユーアーアンダー)ちらの管制下に入った(マイコントロール)針路(ステア)0-6-7。高度6000まで上昇せよ(エンジェルシックス)

「イカロス了解(ロジャー)――」

 二機は指示された高度まで上昇し、それから「飛行禁止空域」を脱した。指示通りの針路を辿れば、スロリア亜大陸西部に設けられた飛行場を発進し、(あらかじ)め設定された空域で待機してくれているC-130K空中給油機と会合(ランデブー)することになる。そのとき、ジャリアーの空気取入口(エアインテーク)側面にボルトオンで装着された空中給油用プローブが、効果を発揮することになる。増槽装備とはいえ、南部一尉たちが発進した「(ホーム)」から北東方向にスロリア亜大陸のど真ん中まで飛び、それから三時間を空中で待機して再び「(ホーム)」帰り着くには、ジャリアー固有の燃料搭載量ではあまりに危うい芸当だった。



 高度6000フィート――


「……イカロス、機影を視認(タイドオンビジュアル)

『――イカロス、こちらサンクチュアリ。貴機を視認した。速やかに給油せよ』

 暖房が効いている筈だが、やけに肌寒く感じる。刺々しく聳え、あるいは氷壁の様に感じられる雲々の支配する土地――そうか、雲が冷たそうに見えるものな……改めて前方を凝視する。C-130の肥ったアヒルの様な後姿が、その鵬翼から給油用ドローグのラッパ状の先端を二本棚引かせていた。


「日浦二尉、周辺を目視確認(チェックアイボール)

『――了解(ロジャー)

 距離が詰まり、ジャリアーは排水口の様なドローグへと近付いて行く。そこから先、プローブの先端をドローグに押し込んで繋ぐのにさらに1分程の忍耐が必要だった。だがこの操作に忍耐が必要なことを、南部一尉は十分過ぎる程弁えている積りだった。何せ以前の演習で一度、空中給油機のドローグに自機のプローブを強引に突っ込み過ぎ、ドローグを壊してしまった僚機を間近に見たことがあるのだ。


 燃料計の数値が順調に上昇し、予定の数値に達したところで南部一尉は言った。

「イカロス21、燃料供給(フューエル)カット」

『――サンクチュアリ、了解(ロジャー)……』


 僚機もまた、ほぼ同時に給油を終えていた。プローブが切り離される間際、ドローグに溜まった残燃料が白い霧となって背後へ流れていく。自身の意識を任務に専念させるべく、南部一尉は酸素マスクの中で息を吐き整える――ジャリアーMkⅡは時間をかけて給油機より離れ、そのまま「バンシー」ことE-767早期空中警戒/管制機の指示する空路に復した。それはあたかもスロリアとノドコールを隔絶するかのように、スロリア中西部を北から南へと縦断する「飛行禁止空域」への針路――「飛行禁止空域」が設定されるのと時を同じくして日本とローリダ共和国、「スロリア紛争」の有力な当事者たる両者の間で「ノイテラーネ条約」が締結されている……



 

 「スロリア紛争」翌年の4月21日、戦後処理と「植民地」ノドコールの処遇を巡るまる四カ月に亘る交渉と議論の末に、実質上の停戦協定たる「ノイテラーネ条約」は締結された。決して有益な議論では無い、条約そのものは不毛と無益、そして憎悪と相互不信の重なりの末に組み上げられた奇矯なる産物であるとも言える。



ノイテラーネ条約


1.ローリダ地上軍、平和維持軍のスロリア中部からの全面撤退。但し、双方とも停戦監視要員として若干の兵力を現地に残置させることを認める。

2.ローリダは、ノドコール駐留軍を以後五年間で3000名までに削減すること。

3.ノドコール国内における治安維持業務は、これを段階的に現地人に移管する。両国の現地機関がこの事業を管轄する。

4.条項2、3が完遂されるまで、日本はノドコール領域内外で独自に停戦監視業務を行う。

5.日本はノドコール国内に連絡所を設置する。ローリダはこの独立を尊重する。

6.ローリダは正当な理由なくしてノドコール現地住民に危害を加えてはならない。また、身柄の拘束及び財産の接収もこれを行ってはならない。

7.ローリダはノドコール国内の独立運動を弾圧、妨害してはならない。

8.ローリダはノドコール国内への日本人及びその友好国国民の出入国、ノドコール国内での行動の自由を認める。

9.日本とローリダはノドコール国内に戦闘用艦艇及び戦闘用航空機を配置してはならない。

10.日本とローリダは、両国の領域間及び両国の友好国間での両国国民の往来に関し、相互にその安全を保証する。

11.条約締結から五年後にノドコールにて住民投票を行い、ローリダからの独立か現状維持かを決定する。

12.独立に決した場合、ローリダは樹立される新政権と交渉を行い、独立に際しての諸条件を改めて決定する。

13.上記条項に抵触する場合を除き、日本は基本的に以後五年間、ノドコールにおけるローリダの既得権益を尊重する。



 条項の中の1,2は日本側の事前の観測に反し、意外な程抵抗なくローリダ側の認めるところとなった。今次の「スロリア紛争」で、「武装勢力」ローリダがいかに多大な損害を被ったか、日本側の正確に関知するところでは無かったが、その実これらの条項をほぼ無条件で受容せざるを得ない程、ローリダ軍の損害は甚大なものだったのだ。何せ陸軍だけでも前線に投入した十個師団が丸々壊滅している、これはローリダ共和国国防軍の保有する常備師団のほぼ半分に当たる。


 つまりは開戦からわずか二週間の内に、無敵を呼号した共和国国防軍は共和国史上空前の大敗北を喫したことになったというわけであった。後に残存兵力の再編こそ成されたものの、肝心の戦力再建の目処は三年後の現在でも立っていない。そしてローリダ側にとって、蛮族を圧殺する意図を以てスロリア亜大陸に投入した大兵力を喪失したツケは、そのまま植民地ひいては本土の防衛力の弱体化という形で、現在進行形で圧し掛かって来ている。植民地現地民の抵抗運動はもとより、植民地の奪取を狙うその他列強種族の圧力を前に、戦力増強の目処を失った駐留部隊は兵力のローテーションすら覚束ず、釘付けにも等しい状態を強いられているのが現状であった。


 条項の3、これに近いことは親ローリダ派ノドコール人から成る補助部隊編成という形で、戦前よりすでに実行されていたが、日本側が求めたのはそのさらに先であった。将来的にはノドコール国内の治安維持業務の全てを現地住民に移管する。治安維持担当官の教育と訓練に関しては、日本がこれを管轄する……だがここでローリダ側から異議が出た。何より、程度の遅れた現地人の地位を向上させるが如き日本の施策こそ、彼らには想像の外であり脅威の種に外ならなかった。彼らの定義する「植民地化」の最終到達点とは、現地文明の破壊と現地民に対する衣食住の制限、ひいては断種による現地住民の「絶滅」を達成した後の、ローリダ人入植者による「清浄なる植民地」(ハイレス‐ド‐グレスアルノ 人種歴史学者)の完成にあって、占領地や属国の如き待遇と同義の「植民地化」では無かったのである。


「――現地住民は文明の程度が低く、自立して国内の治安を守るには程遠い、ニホン人の要求は植民地の実情を斟酌しない、荒唐無稽なものとしか思えない」

「――我が国は低開発地域における民生振興事業に関し、過去十年に亘る経験と実績を有している。自慢ではないが『前世界』の実績を含めれば半世紀以上にも喃々(なんなん)とするであろう。我が国の協力は将来的にはローリダ人にとっても有益であると信じる」


 条約策定に関し、ローリダ側には恐れがあった。本来ならば多額の賠償金は固よりノドコール全域、否一部の割譲要求すら彼らは交渉前の段階では覚悟していたのである。あるいはノドコールに関わる利権の割譲を――何故なら、それが彼らにとって当然の「戦勝の代価」であり、「戦争のやり方」であったのだから……


 だが、ニホン人は民生の安定に協力すると言う。


 事実、交渉に先駆けて彼らはノドコールの独立勢力に接触し、住民投票までの五年間、ローリダに対する敵対行動を取らないことを確約させたのは国内の治安維持に手を焼くローリダにとっても有益なことであった。五年後に現地住民の民意によりノドコールを手放すか否かを決定させられるという点はさておき、条項の中で特にそうした「ニホンの利権」的な性格が強かったのは3と4、そして8でしかない。4に関しては、ニホン人は小規模な停戦監視部隊を軽武装で送り出すことを明言し、さらにはその駐留費用まで自国で負担する事をも確約している。それは三年後の現在に至るまで忠実に実行されている……


 5の連絡所設置は、ノドコールにおけるローリダとの折衝窓口として日本側が希望したものである。要求では無かった。連絡所には外交官を常駐させ、他国における大使館、あるいは領事館と同様の業務を行う。そしてローリダは連絡所を日本の正式な外交窓口と認め、他国の領事館と同等に扱う――――領事館ではなく連絡所という名称は、「武装勢力」たるローリダを国家として認めていないという日本の国内事情を多分に反映していた。将来日本とローリダとの間に正式な国交が持たれれば、連絡所は領事館、あるいは住民選挙の結果によっては大使館に改称(昇格では無い。外務省内において連絡所は領事館と同等の権限を有する機関として扱われる)することになるだろう。また補足条項として、将来的には両国に相互の連絡窓口を設ける準備としての議論を持つ、という一文が作られたのも見逃せない。その際条項8、そして10が、大きな意味を持つことになる筈である。日本側とて、かの「河首相一行遭難事件」の様な蛮行を再発させる積りは決してなく、ローリダ側とて敵の恐るべき正体が判明した以上、下等種族に対したように軽挙に走り、虎の尾を踏むことは避けるべきと考えたわけであった。


 6,7に関してはローリダ側に大きな反発を以て迎えられた。「植民地化」の過程として遂行される現地住民及び文化の「ゆるやかな絶滅」は、ローリダの植民地政策の基本と言うべきものである。逆に言えばこれらを認めればローリダの植民地政策は根本から瓦解してしまう。だが日本側にとってもこれは絶対の要求だった。「スロリア紛争」前に起こった事件の衝撃度も然ることながら、紛争の過程で明らかになったローリダの人種政策は日本国憲法に謳われた基本的人権への明らかな侵害である。武力行使を支持した国民世論への手前、これは決して妥協できない事項だった。従って、条項6,7に関し議論は白熱する事になった。


「――これらが認められない限り、我が国がスロリアより兵を退くことは絶対に無い!」

 条約策定交渉の日本側交渉団全権、内閣官房副長官 蘭堂 寿一郎は、不機嫌な表情もそのままにペンの柄で机を叩きつつ条項6,7の受容をローリダ側交渉団に迫ったものだ。それ以前の「スロリア紛争」停戦に関わる交渉で、外交官としての彼の「強面ぶり」はすでにローリダ側の周知するところとなっている。前回の担当者たるルーガ-ラ-ナードラに代わりローリダ側全権となった元老院議員エルナス-ガ-ロ-ファナスは、若くしてだいぶ後退した生え際に脂汗を浮かべつつ防戦に回ったものだ。虚勢の鎧など、論理の槍と気迫の斧を前に交渉の始まりの段階で容易く貫かれてしまっていた。


「現地在住の我が国入植者の地位及び諸権利を保障する上で、条項6、7は断じて容認することはできない。これらを認めれば我が共和国の植民政策は根底から崩壊する」

「では植民政策の変更を要求する。いますぐおまえらの首都に戻って、おまえらの元老院とやらに諮ってこい!」

「あのニホン人、無茶苦茶だ……!」

 ローリダ側交渉団の一人が小声で呻く……停戦交渉の時とは違い、条約策定の交渉団は本国からの記者を伴っている。従って「不遜なニホン人全権」の名とその存在感は、新聞の国外欄を以てあっという間に本国の市民の知るところとなっていた。返答に窮したファナスは本国と連絡を取り、果たして報告を受けた元老院は紛糾した。


「ニホン人め! 調子に乗りおって!」

「ファナスも存外度胸がない。ニホン人の狼藉を何処まで許しておくつもりか! 早々に席を蹴って本国へ戻って来るべきであろうに!」

 勇ましい発言、だがそれが不可能事であることを、進行する現実と近い将来までに迫った新たな紛争の気配から元老院に席を占める誰もが知っていた。同時期、ローリダにとって宿敵とでも言うべき列強国家ノルラント同盟の蠢動が、「スロリア戦役」後になって再び顕在化しつつあったのである。否、むしろ彼らがこちらの退勢に乗じ、共和国の勢力圏切り取りを図り始めたというべきか……かつては拮抗していた彼我の軍事力ではあるが、それ故に保たれていた相互の均衡は今や「スロリア紛争」の敗北で完全に崩壊している。このような状況下でニホンとの対峙を継続するのはどう考えても自殺行為だった。さらには……


 ……このようなときにもし、ノルラントがニホンに接近するようなことがあれば……その最悪の可能性に元老院議員たちは思い当たり、恐怖に突き動かされた。元老院よりファナスに新たな訓令が飛び、それは即座に条約策定交渉の席においてローリダ側からの妥協案へと変る。


「……我が共和国としては、ニホン人にノドコールへの再侵攻無きことを確約して頂きたい。確約して頂ければ条項6,7に関しては受容することも(やぶさ)かではない」

「では、以後五年間双方がノドコール国内及び領海上に戦闘部隊を配置しないというのはどうか?」

「双方? 我が国にも適用しろというのか?」

「そうだ。そうでなければこの件は検討できない」

「……では、その線で本国と検討する」


 こうして条項9は生まれ、条項6,7は合意を見た。条項9はつまり、ローリダの設定するノドコールの領域内に戦闘機、爆撃機、艦船、戦車、火砲を配置しないということである。それら兵器の領域内での運用も原則として禁止された。こうしてノドコール国内で運用される兵力は、本格的な軍事行動に向かない、治安維持活動向きの軽武装部隊に限られることとなったわけである。その兵力すら1万人を上限に制限され、それらを段階的に削減させられるローリダとしては、開く一方の防衛線の穴を現地人徴収の治安維持部隊で埋めるしかなくなる……否、実のところ抜け道があることを見抜いていた者が日本とローリダ双方の中に若干いた。その一人は――


「我が国としては、独立の可否が決定するまで以後5年間、ローリダ人の入植事業を中止して頂きたい」

「それはできない。我が国には国内に今年度だけで三十万名の入植予定者がいる。我が国国内には、彼らを本国に留めたまま福利厚生を与える余裕は無い」

「ノドコールに追い遣って、現地人を弾圧し、彼らから土地を取り上げるための武器を与える余裕はあると?」

「――――!?」


 ファナスは目をパチクリさせて眼前に蘭堂を見遣った。ノドコールに住むローリダ人が武装し、ノドコールの植民地化を既成事実化するべく何らかの実力行使に出る可能性。ローリダの植民地政府もその後押しをする可能性に思い当った一人が、誰あろう蘭堂 寿一郎であった。

 ファナスは狼狽もそのままに頭を振った。

「それは有り得ない! だいいちノドコール人の権利は条項6,7において保障されているではないか。条約が遵守される限り入植者が原住民の脅威になることはない」

「では治安部隊の採用を、人種的に『純粋な』ノドコール人に限ることに合意して欲しい」

「わかった……合意する」

 合意は、条項3の付記事項として盛り込まれることとなった。ノドコールとスロリア中東部を隔絶する「飛行禁止空域」の設定も、この時合意されている。


 条項11、12は、停戦交渉の際に日本が要求した事項の実質的な焼き直しであるのに過ぎない。これだけでもローリダは植民地ノドコールを維持するべく植民地行政に幾らかの手心を加える必要が出てくるであろうし、それは将来的にはローリダ人に、植民地政策の根本的な転換を強いることになるだろう。日本側にとっての至上命題は、住民投票までの以後5年間を平穏たるべく、実力行使に拠らず物心両面で如何に関与していくかに掛かっている。条項13は、ローリダ側に対する譲歩というより保険であった。もし彼らが条約に抵触する行動に走った場合、日本もまた彼らの既得権益を無視して行動する――だがそれが生起し得るのは、彼らの国力がある程度回復するであろうかなり先の時期と思われた。



 ちなみに――


 交渉の再開の当初から、蘭堂はローリダ側にひとつ、「要求」を提示している。


「――先年8月の、我が国首相 河 正道とその随員殺害について、我が国はその首謀者及び実行犯全員の引渡しを求める」


「…………!?」

 呑める要求では無かった。ローリダ側にとって、そもそも「蛮族ニホンの首魁の誅殺」は、当時の第一執政官 ギリアクス‐レ‐カメシスを始めとする共和国の最高意思決定機関の意思である。つまりは彼らにとって、日本側のこの要求を受け入れることは、そのまま共和国ローリダの主権に抵触する。現地で「作戦」の実行に関わった者に一切の責任を負わせ、「切り捨て」て引き渡すという「懐柔策」も議論されないでもなかったが、それでは国内の対ニホン強硬派、特にニホンの首魁殺害の実行部隊の過半を担った軍部の不興を招くことになろう……事実、本国ではその軍部が、息の掛かった新聞、政治家等の口を借りて、交渉反対の論陣を張り始めていた。


「総理大臣への危害は、我が国に対する明確な主権侵害である。これだけは譲ることは出来ない。犯人を引渡して頂きたい」

「……それだけは出来ない。あなた方があくまでそれを要求するのであれば、我が共和国としては今回の交渉には応じられない」

「何……?」

 顔を怒らせつつも、交渉相手たるファナスの強張った表情を前に蘭堂は内心で確信する……前首相の殺害が現場の独走ではなく、ローリダという国家の最高意思により決定された暗殺ではないかということに、である。もし前者であるのならば、それを理由に事実関係の調査を約束するなど、色々と引き延ばしの手段もあるであろうに――

「――では一つ伺いたい。先年の我が国首相殺害は、現場の独断によるものか? それとも現場より遥か上級の意思決定によるものなのか?」

「それは……」

 回答――否、弁解――を見出せず、言葉を失ったファナスに蘭堂は言った。

「……この件は我が国の主権に関わる問題であり、絶対に看過することは出来ない。我が国が独自に相応の対処を取る前に、事実関係を調査した上で、再度納得のいく回答をあなた方に求める」

「――善処しよう……ランドウ特使」


 「独自に相応の対処」――その一節に蘭堂は力を篭め、同じくその一節は、ファナスの胸中に無形の(やじり)となって突き刺さることとなった。



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[一言] だだ甘ニッポンで胸焼けする…けどあり得る話だよなぁ
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