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第七章  「夜明け前」



ノドコール国内基準表示時刻12月23日 午前9時27分 首都キビル


 傍目から見れば、それは工場……否、巨大な工事現場の様な奇観を呈している。


 10000平方メートル四方の土地に忽然と出現したプレハブと短管パイプと足場の塊。それはローリダ人の言うところの「文明化」の進んだキビルの南の端にあり、その奇怪な全容には、二年前の開設時以来微塵の変化も訪れてはいなかった。三階建てのプレハブ構造物を中心に、それを取巻く様に同じくプレハブ構造の各種施設が拡がる。但し、これらが日本にはごく有触れた単なる仮設建築物では無いことは、中心部のプレハブ構造物の屋上に据えられた鉄塔の様な通信アンテナと、重量級のCH-47JA大型ヘリコプターの離発着すら可能にした専用ヘリポートから一目で判る。国家の威信と文化の洗練度の粋とを結晶させたとは到底言い難い無軌道かつ醜悪な建造物。これが日本国外務省 ノドコール駐在連絡所の全容であった。


 ノドコール駐在連絡所所長 西原 聡を乗せた4輪駆動車は正門を出、植民地化前は「王の道」と呼ばれていた通りに達すると、両脇を小高い崖に挟まれた舗装の為されていない路を徐々に速度を上げていった。その地形上の制約から、かつては荷車一台通すだけで一杯の幅でしかなかったその路は、現地展開の陸上自衛隊施設科部隊の拡幅作業により、以前より三倍の道幅に拡大されている。その際建設労働者として現地人の積極的な雇用もプレハブ施設の主たる西原 聡は忘れなかった。王国時代より首都キビルを起点としてノドコールの四方に広がる「王の道」。日本の技術と現地人の人手による整備事業は、「征服者」に一切の生活の糧を奪われた現地人に、自活の術を与えるためにも必須の事業であった。


 途中で農具を背負った現地人、同じく現地人の操る荷馬を追い越し、あるいは行き合いつつ車は走り続けた。道を進む間に路を往来する人と家畜の数は増えていったが、進むにつれ西原の表情に険しさが混じり始めている。「王の道」に併走する形で構築が進められている、コンクリート舗装の道路を間近に見るのが常態となっては……

「来年の今頃には、キビルからノドコール各地に自在に鎮圧軍を差し向けられる態勢にまではなっているだろうな」

「連中の支配は、その頃まで続いているでしょうか?」

 表情を曇らせた秘書官に、西原は向き直った。

「それを終わらせるための、今回の交渉……と言いたいところだが、そうではない」

 微笑みかけたところで、西原は再び表情を消した。着任以来何度も辿った道程だったが、こればかりは良好な感情を抱く事はできない。キビル市内に通じる南門、それは、かつては都自体が巨大な城壁に囲まれていた名残であった。後に開明なるを謳われた当時の王により、商業の自由と文化の振興を図るべく城壁の多くが廃されたはいいが、ノドコールにとっては運が悪い事には、その後に信仰と文明の頒布を名目に「彼ら」がやってきた――運命の度の過ぎた悪戯を思い苦い顔をしたのも束の間、南門を潜る直前で武装した人影に止め置かれたままの人々や荷車が、ひとつの市を成しているのを車上の西原は目にする。その傍らで何の掣肘も受けず平然と門を素通りしていく「彼ら」の車の列……


「あれ程取り止めを要求したのに、聞いていないのか?」

 西原の顔は平静を装っていたが、その内心は呆れ、怒りすら込み上げつつある。武装した連中は何れもその服装はまちまちで、手にした多様な銃器にも軍隊や治安組織らしき統一性は見られない。そして彼らの顔立ちはいずれも「征服者」として後からこの国にやって来て現地人を荒野に追い立て、主人の様に振舞ってやまない「彼ら」――ローリダ人のそれであった。「自警団」――彼らの上腕に巻かれた赤い布にそう標されたローリダ文字は、現在この国の行政と治安維持と住民の融和に責任を持つべき総督府が、非公式の内に彼らの行為にお墨付きを与えていることの、何よりの表れではないのか?


 正規の軍事力や警察力に拠らない、法的根拠すら定かではない検問を無視するかのように道を脱し、そのまま南門へと向かう4輪駆動車。その眼前を遮るように、砂埃を立てて異形の物体が立ちはだかる。

「戦車……?」

 と、ハンドルを預かる連絡所の保安要員が呻くように言う。民間用貨物トラックの運転席と荷台に鋼板を敷き詰める様にして張り、同じく荷台上に設けられた銃座からは銃身の太い機関銃がこちらを指向し、その獰猛な銃口を4輪駆動車に向けていた。南門に入ろうとする4輪駆動車の真白いカラーリングと、車に付けられた総督府公認の連絡所専用ナンバーを理解していない、あるいはそれに何の敬意も払う積りもないと言わんかの様な対応……それに内心で怒りを覚えない者はもはや車内にはいない。荷台から二名の兵士……否、民兵が降り立ち、此方に駆け寄ってきた。ローリダの民族衣装という編上げ帽を目深に被った、やけに日に焼けた肌、厳めしい顔をした屈強な男たち……

「そこの車。止まれ」

「日本国連絡所の者だ。今すぐに道を開けてもらいたい」

 と、身分証をかざしつつドライバーが声を荒げた。

「目的地は?」

「…………?」

 後席の西原は、傍らの秘書官と顔を見合わせた。だが両者の顔に不意の尋問に対する困惑や苛立ちは見えない。特に西原などはローリダ人の行為など既に織り込み済みであるかのように顔から感情を消し、直に男に告げた。

「植民地総督府へ向かう。ルタス総督に会う」

「…………」

 手振りで西原たちに動くなと命じ、男たちは離れた。それでも装甲トラックから此方に向けられたままの機関銃の銃口は、微動だにしていなかった。検問指揮所の傍ら、その陰に隠される様にして配された一台の車両に、ドライバーが苦い顔をした。

「あれは……駐留軍の移動通信車ですね」

「…………」

 西原の顔に浮かんだのは、もはやノイテラーネ条約の精神がその形骸すら見えなくなっていることに対する怒りではなく、むしろ失望であった。入植地自衛の名の下で活発化している民兵の活動の一切に駐留軍は不干渉を表明しているが、騒乱が拡大している現在では、今や公然と民兵と協働する素振りすら見せ始めている。それ以上に顕在化している脅威は、現地で除隊した駐留軍の退役兵士がそのまま入植者となり、総督府もそれを陰で支援している素振りまで見られることだ。ノイテラーネ条約締結以降三年の間に兵士から入植者へとスライドし、そのまま独立勢力の戦力へと転じた元ローリダ軍兵士は判明しているだけで3000名に達するとまで言われている。銃器の扱いに慣れ、歩兵戦術の心得も有する彼らの多くが、民兵隊において分隊から小中隊規模の戦闘単位における主導的な立ち位置を占め、結果的に短期間での民兵の戦闘力増強に繋がったのは自明の理と言えよう。


 民兵の長らしき男が手を振り、装甲トラックと4輪駆動車の周囲を固める民兵が一斉に引いた。肩にライフルを担いだ男がぞんざいな身振りで行くように命じる。再び動き出した4輪駆動車。尚も足止めされる現地人でごった返している方向から、バックミラー越しにこちらに挑発のジェスチャーを送る民兵の姿を見る。

「――――」

 嘆息――西原 聡は眼を瞑った。敵中に在る以上、今が耐えなければならない時である事を彼は知っていた。そして為すべきを彼の部下に言い聞かせねばならないという、現地機関の長としての仕事が生まれつつあるということも……



 南門を過ぎた先には、都の外から一転して整然とした街並みが拡がる。舗装された大通りの両側に聳える建物の様式は、もはや三年前のノドコールのそれでは無くなっていた。礎石、壁の石組み、柱と窓の形状、そして天井を占める屋根と彫刻……恐らくは事実上この都の主人として振舞っているローリダ人の本国には、これと同じ様式の建物が数多く居並んでいるのだろう。所謂キビルの「ローリダ化」……その直接的な原因を当事者として知っているだけに、車でこの街中を走る度に胸が詰まる思いに囚われている西原であった――三年前、もし我が国日本があの時と違う決断を下していれば、この街とこの国の人々に用意された未来を、もう少しましなものに変えてやることが出来たのだろうか?


 三年前、この国ノドコールの人々は征服者に対し反旗を翻した。決して目算の立たない、行き当たりばったりの蜂起だったのではない。ノドコールを足掛かりとして征服者ローリダは一層にその支配領域の拡大を企図し、その結果、ノドコールから東の地で新たな戦いが始まった。当初のローリダ人の目算に反し戦いは日本の予想外の反攻に遭って敗退を重ね、その風聞こそがノドコールの人々の中で、特に国家の再興を願う者たちにとって闘争への誘い水となったのだ。ノドコールの人々は「解放軍」として日本の進撃を望んだ。だがその日本はノドコールの至近に迫った処で兵を退いた。一方で息を吹き返した征服者は、これまでこの異世界の人間が誰一人として経験をした事のない、苛烈な手段を以て叛乱に遇した。その日、王都として歴史を重ねた一つの街が、文明の負の産物を凝縮した一つの手法によって灼かれ、多くのノドコール人が業火と毒の風の中に死んだ。「核兵器」がこの世界で使用された最初の戦例――こうして作られた廃墟の上に、征服者によって「再建」された今の「旧都」キビルがある。


「…………」

 ローリダ人が言うところの「叛徒鎮圧」から三年、キビルの「復興」は進んでいた。むしろ彼らの言うところの「神の火」によって招来された破壊と荒廃が、「復興」に名を借りたキビル、ひいてはノドコール全域の「ローリダ化」を一層推進している様に見える。廃墟の上に新築されたローリダ様式の建築物や家屋。それらが形成するローリダ移民居住区の拡大の一方で、「神の火」の惨禍から逃れた王都時代以来の住民は、「叛乱」に起因する居住証明の喪失を理由に棲み慣れた街を追われ、この三年ですっかりと市中における戸数を減らしていた。四輪駆動車が通過するローリダ様式の建物の入口、あるいは屋上に立つ人影……彼らの多くが例外なく布で顔を隠し、銃器を提げている。それも護身用の猟銃では無く軍用の自動小銃だ……もはや恒例と化した「自警団」による市中警護の一幕。路上では入植者の車の他、やはり民兵を満載したトラックが我が物顔で行き交い、民兵の隊列が戦時下の様に市中を疾駆している。そこにカーラジオの電波に乗って、しわがれた老人のそれを思わせる声で、修辞だけは厳かな説教が聞こえ始める。


『――親愛なるキビルの同胞たちよ、よく聞きなさい。キビルの破壊は罪では無く運命であり、キズラサ者に課せられた使命なのだ。「聖典」第7章ルフェルス伝を思い返して頂きたい。神は背徳の都ザムを滅ぼすにあたり、自らの掌の上に生み出した火をお遣わしになってザムを滅ぼし、多くの背教者を救済したのだ。異郷に糧を求めし同胞たちよ、我らはキズラサ者として当然のことを為したのである……即ち、我らはキズラサの神がかくも為したように背教の都を掃滅し、新たに信仰に満ちた神の都を打ち立てる礎を築いたのだ……これは決して罪では無い。神の子らローリダ人にのみ許された、世界の再生である』

「消してくれ」

 付けっ放しになっていたカーラジオに向かい、西原は苛立たしげに言った。そしてラジオ放送の主の名を思い返す。確かナシカと言っただろうか……やけに老いた声、しかし語幹から感じ取れる年齢不相応の精気に満ちた声……この聖職者が決まってこの時間帯にローリダ人のラジオ放送で説教をすることを西原は知っていた。そして説教の内容が日を経るにつれ過激になって来ているということも――


「――――!」

 軽い衝撃が二度……三度――車が走るにつれ、天井、あるいはリアガラスに何かが当たる音を感じる。それは車が走るにつれ……否、走る限り何度も重なる。街角から、あるいは街路上から「住人」により投げ付けられる石礫あるいは瓦礫……時と場所を選ばず投げ付けられるそれには、車内であっても生命の危険すら感じられた。所用でキビルに入る度、そしてバックミラー越しに車道に飛び出し、走り行く車に向け石を投げる入植者の子供らの人影を見る度、胸を痛めずにはいられない西原であった。「前世界」でもそうだったが、我々日本人は民族、種族間の対立を甘く見てしまう傾向がある。そして此処に来て改めて訝しむ――それがたとえ政府の差し金であろうと、信仰に基づくものであろうと、対立によって醸成された他の種族に対する敵意とは、かくも深く、執拗なものなのだろうか?……と。


 ……疑念は、車が本通りを走る内に後悔となり、車はそのまま本通りから郊外に達した。遮るものの何も無い、なだらかな平原と丘陵の連なり。人工物の乏しさ故情景に長閑さと寂しさとが加わり、さらには市中にない風景が加わる。三年前の「東進」の失敗を経ても、今なおノドコール国内に戦力を残す植民地駐留軍に所属するトラック、装甲車……そして戦車。ノドコール条約の第9項に付記された、その乗り入れが禁じられている筈の戦車が、ここノドコールに居る? しかも――

「ガルダーン……」

 ふと呟いたその名を冠する低い車高、椀状の砲塔、そして重装歩兵の槍の様に天を突く主砲の特徴的な軍用装軌車両が、ローリダの軍隊の主力戦車であることを知らない者は、ノドコールに詰める日本外務省、防衛省関係者の中にはもはやいない。今年の夏にガルダーンの「国内配備」が確認されたとき、当然日本側は戸惑いかつ怒り、ノドコール条約第9項違反を批判したが、総督府とその上位たるローリダの外交担当者は以下の発言で戦車の配備を正当化した。


「――急速な入植者の増加及び、他の地域での緊張拡大故に治安維持組織の整備が追いつかない。我ら国防軍としては当面は本国からの派遣という形で装備の充実を以て治安の悪化に対応したい。この点、ニホンの了解を得たい」

 お粗末な事後報告かと思われるがそうではない。計算づくでの暴挙だ――そう思った日本人は西原だけでは無かった。その時開かれた調整会議の席上、植民地駐留軍の参謀はそう語って戦車の配備を正当化したが、その時点で西原には彼らの真意が判っていた……整備が追いつかないのではない。整備しようとしないだけだ。結果的に日本政府は数量を限定することと厳密な期限を設けることで戦車の配備を認めたが、その後彼らは武装した入植者が組織化する動きが顕在化するに当たっても同様の論法を使った――曰く、「現有の植民地駐留軍及び現地人警備部隊の兵力では、現地人過激派の横暴を抑えることは出来ない」。但しこちらは期限が無く、民兵もまた入植者の自由意思の名の下で今なお増加の一途を辿っている……



 ノドコールの王宮をそのまま流用したという植民地駐留軍総司令部の、まるで牢獄のそれを思わせる正門を潜る。都の南門にいた「検問所」からの連絡が既に届いていたと見えて、警備の兵士は日本製の4輪駆動車の姿を認めるや速やかに敷地内へと通してくれた。車はそのまま王宮正面玄関に面した車寄せまで走り、そこで西原たちは降り立った。


「ニシハラ大使ですな?」

「…………」

 降り立つのに合わせて総司令部玄関より現れ、抑揚の乏しい声を掛けて来たローリダの士官を、西原達は憮然として見詰めた。この総司令部の衛兵指揮官たるダルハウ大尉……いや、少佐か。

「ルタス総督とジョルフス駐留軍総司令官両閣下がお待ちです。こちらへ」

 告げるが早いがダルハウ少佐は衛兵を伴い総司令部玄関へと歩き始めた。まるで鉄柱が二本足で歩いているような、魁偉なまでの大男、頭髪には髪の毛が一本も無く、一切の光を宿さない黒い目までが造り物に見えてくる。



 その両脇を、銃剣を抱いた衛兵に固められた玄関をくぐった先には、東京都内の高級ホテルのロビーと見紛うばかりに広大で、重厚な調度の空間が拡がっていた。三階をぶち抜く広大な天井、面会や会談を取り次ぐカウンター、無数に配された応接セットの点在を見渡せば、美の粋を凝らしたかつての王宮が、今となっては機能的な軍政の拠点となりつつあることを象徴している情景を生み出しているとも言える。西原が交渉団の一員として初めて足を踏み入れた4年前、未だ王国時代のノドコールの遺風を残していた王宮は、それから4年の内に宮内の調度、仕切りに至るまでローリダの匂いを漂わせるように変えられてしまっていた。その起源を王国成立以前にまで遡ることが出来るものもあるという、総数の5万点にも及ぶ美術品及び工芸品の半分が今やローリダ本国に持ち去られ、価値を見出されずに残されたものの半分が「退廃的」であるとして破壊され、その破壊を待っていた半分が後からノドコール復興の名の下、現地に足を踏み入れた日本人の保護するところとなった。その背景にある精神の程度に拠らず、芸術に対し国境を設けることなく公平に美を見出すべきと考える日本側にとって、単に自らの思想や信仰に合致しないからと言って芸術を「選別」するが如きローリダの態度は、実のところ余りに強権的で、野蛮なものと映ったのである。日本政府はノドコールの情勢に安定が見え次第、それらの美術品をノドコールに返還する事を明言しているが、現下の状況ではその実現はさらに延びるだろうと、西原には思われた。


「――お前たち国防軍の銃は玩具か!? 何故それで蛮族を追い払わない?」

「――――!?」

 ロビーの一角から上がった怒声の主を、西原は反射的に顧みた。ロビーの一隅、応対と思しきローリダ軍の士官を前にして怒声を張り上げる男たち。統一性の無い、簡素な私服姿から入植者だと直感した。彼らは例外なく恐縮する士官に詰め寄り、眼を怒らせて声を張り上げている。入植者の方とて必死なのだ。本国に彼らの職も住む場所も無く、容易に土地持ちになれる、農場経営が出来るという植民省の甘言に導かれるがまま、彼らの言うところの「約束の地」に、ある者は身一つで、またある者は家族を連れて藁にも縋る思いで赴いたのであった……だがそこには植民省の説明に無かった「先住民」がいて、その存在自体が入植者による農場経営の障害となっている、というわけである。

「――要するに、棄民政策のなれの果て……ということでしょう。然しこの時代になってこんな馬鹿なことをやっている国を見ることになるとは……」

 と、秘書官が西原に言った。西原は頭を振り、応じる。

「今の状況は、彼らの怒りがローリダの政府か、あるいは我々のどちらに先に向くか我々と総督府との間で競争している様なものだ。当事者の一人としてやりきれないな」

 何時の間にか彼らを先導する立場のダルハウ少佐が歩みを止め、無機的な視線をそのままにこちらを伺っている事に気付く。やや慌てる様に前方へ向き直り、西原たちは再び歩き出した。目指す応接室は、目前に迫りつつあった。



 応接室の中央を占める円卓に坐するセルディナス‐ナ‐ルタス総督、エイギル‐ルカ‐ジョルフス駐留軍総司令官、そしてギルボ‐アイブリオス入植者自治政府首相の姿を応接室に見出した時、西原は彼らの取り合わせにそれ程奇異さを覚えなかった。


 ノドコール植民地総督 セルディナス‐ナ‐ルタス。小男であった。小男、と彼に会った人間の誰もが、彼について端的にそう言い切ってしまえる程に背が低い男であった。小男であることが他者に強烈な印象を与えるのには、何も背が低いだけに留まらず、その小柄な体躯を包む内務省制式の礼服と、身長に比して大き目に見える頭と、50代半ばというその年齢に不相応までに艶やかな肌色が、却って彼の小男としての側面を強調してしまう効果をもたらしてしまうからであるように西原自身には思われた。通例では元老院議員や貴族階層出身者の指定席である植民地総督の地位に、平民出身、ひいては内務省の高官であったルタスが就くことが出来たのは、彼個人の統治者としての力量を見出されたからというよりもむしろ、日本という「脅威」の出現により未曾有の混乱状態に陥った現地の「火消し役」たるを期待されたが故であったし、何よりも彼自身がそのことを十分に弁えていた。逆に言えばここで「点数を稼げ」ば、以後のルタス自身の栄達に弾みがつくであろうし、彼自身にも点数を稼ぐ自信を持っている節があった。着任前は各植民地の治安維持担当官の職責に在って、現地住民からなる反ローリダ運動の摘発に辣腕を揮っていたというこの総督の前歴を、西原は既に掴んでいる。


 共和国国防軍 ノドコール駐留軍総司令官 エイギル‐ルカ‐ジョルフス大将。室内であっても目深に被ったままの軍帽の下からは、その眼元に、爬虫類の肌の様な深い皺を生む程大きな眼が陰湿な光を湛えて西原を伺っている。「スロリア紛争」前はノドコール駐留の一師団の司令官だったが、戦争終結とノドコール条約締結に伴う駐留兵力縮小の決定が、敗軍の将たる彼に残務処理係として昇進の機会を与えることとなった……ということか。しかし、現段階ですでに総兵力五千名を切っている駐留軍を率いるには、大将という階級はあまりに過分な肩書とも言える。その点、情勢の変化に伴う駐留軍増強――あるいは、民兵組織をも包括した数的増強――を見越しての大将赴任なのではないか、という観測が日本の防衛省内には少なからず存在している。


 そしてもう一人――入植者自治政府首相 ギルボ‐アイブリオス。実年齢相応に顔面を覆う皺と禿げ上がった頭、杖を手放さない節くれだった手、曲がった背筋など、彼の小柄な体躯全体から発する、凡そその外見に不似合いな強烈な覇気を感じる身では、西原としては気を緩める間も与えられなかった。まるでこの地に根を下し、この地を侵害せんとする者を呪殺せんとする地縛霊の様な気概――卓を挟んで正対する老人の気迫にそれを感じ、西原は期せずして頬を引き締める。過日の内閣安全保障会議(NSC)の席上、同席した警察庁の国外情報分析担当部署の長は、開拓事業あるいは入植者自衛組織の指導者として、その始まりからノドコールにおける入植活動を主導する立場にあったというこの老人が、河 正道前首相謀殺を主導したという未確認情報の信憑性が高まりつつあるという報告を行っている。西原が円卓の一端に付いたのを見計らい、最初に口を開いたのはルタス総督であった。言葉を覚えたての子供の様なとぼけた、抑揚の過剰な声が妙に彼の外見に合致しているように思われた。


「……あなたに此処まで御足労願ったのは外でもない、先日深夜未明、我が国の権益に属する鉱業資源集積所が、何者かによる攻撃を受けたのだ」

「…………」

 ルタスと西原、二人は同時に同じ顔をして互いを品定めするように凝視した。一方は自分の発言に対する相手の出方を待つ視線であり、もう一方は相手の発言の裏に秘められた後ろめたさを、ただ無心に観察する視線であった。相手の出方を伺う対峙の内に数十秒間が沈黙に費やされ、そして一方が先に口を開く。西原の相手に、彼が期待した「後ろめたさ」は見出せなかった。

「……その集積所とやらは、日本政府(われわれ)も把握している場所なのですか?」

「いや……設置が急であったために報せていない。正確に言えば、総督府(われわれ)とて事件の発生までその所在を知らなかった程なのだよニシハラ特使……」

「閣下、あなたは先程攻撃と仰いましたが……」

 円卓の上に置かれた茶を啜りつつ、西原は言葉を一瞬絶やす。

「……思い当る節がお有りなのですかな? 事故ではないのですか?」

「思い当るも何も、現に攻撃によって集積所は全壊し、多くのローリダ人住民から死傷者が出ている。敵の攻撃力は、叛徒どもの有する軍事力を越えている。この攻撃自体が、お前たちがここノドコールへ無用の干渉を為さんとしていることの、何よりの証拠ではないのか?」


 威厳と悪意とをない交ぜにした声の主を、西原は睨みつけるようにした。エイギル‐ルカ‐ジョルフス大将が、険しい眼差しもそのままに彼よりも年齢的に遥かに若い異邦人を見据えている。眼前のローリダ人が軍人であることは、彼の纏う軍服が無言の内に西原にそれを教えていたが、発言と態度に西原の考える軍人らしからぬ陰湿さしか見て取れないのは、気のせいだろうかとも彼は思う。

「では証拠はあるのか? あなた方がスロリアとの境界に張り巡らせた過分なまでの索敵網を我々が掻い潜り、その無用の干渉とやらを加えたという決定的な証拠が」

「別に我々はあなた方に証拠は求めない。ニシハラ特使」

 新たに挟まれた言葉の主を、西原は見遣る。会議の開始から一定のリズムを以て会議室の絨毯を付く杖先、それが西原の注意を惹き付けるのと期を同じくして止まり、西原の眼とギルボ‐アイブリオスの鷲の様な眼光とが重なる。

「だがこれだけは申し上げておく。我々の神聖なる植民事業を妨害するいかなる策動も、我々はこれを看過することは出来ぬ。我々も常に殴られっぱなしという訳にはいかない。あなた方が関与を否定するのであれば、我らはあなた方以外の何者かの関与を証拠として握り、かかる有事を現出した何者かに報復するべく行動を起こさざるを得ぬ」

「何が言いたいのですか。アイブリオス主席」

「私、ギルボ‐アイブリオスを始めとする植民者共同体は、その生存と自由のために、障害を排除するべく独自の行動を取る用意があると言っている」

「…………」

 生来からの形質と思われる意思の堅固さを強調するかのようなアイブリオスの眼光は相変わらずであったが、そのようなものに気圧されるような西原ではなかった。

「では、その攻撃を受けたという集積所とやらの検証をした上で全ては決められるべきだ。あなたの話はあまりに過激かつ性急に過ぎて、話にならない」

「集積所には、現在本職の命令で一個大隊相当の正規軍を差し向けている。検証の大部分は彼らによって為されるであろう」

 と、ジョルフスが言う。

「そのような軍事行動を我が国は容認していない。今すぐに兵を退いてもらいたい」

「では此処で今すぐに容認するのだ。事は急を要する。我々にはローリダ市民の生命と財産を守る義務があるのだ」

 言っていることに一貫性も無ければ、正義すらない……いや、破れ饅頭の薄皮程度、ともすれば簡単に剥がれて悪意と打算の餡が飛び出してしまう程度の薄っぺらい正義だ。あの蘭堂 寿一郎ならば『かのスロリア戦時に、負傷兵や民間人を置き去りにしていち早く戦線を離脱した貴方らしからぬ言い草ですな。ジョルフス将軍』とでも嘯いてみせたかもしれないが、このような会議の場で、徒に相手の硬化を招く様な言葉の発露を慎むだけの自制心を、外交官たる西原は流石に持ち合わせていた。


「兵を退かないというのであれば、検証とやらよりも先ず植民者を自称する不正規の民兵たちを、その兵を以て抑えて頂きたい。最近のあなた方の先住者に対する傍若無人なる振る舞いこそ到底看過できない。それも植民者の多くが、『ノイテラーネ条約』を侵して密輸された兵器で武装しているとあっては――」

「それこそ事実無根だ!」

 と、間髪入れずジョルフスが声を荒げる。それに対し、西原は写真の束を円卓に放る。円卓に散った写真の山をまさぐる様に、そして貪る様に凝視する内、ジョルフスの顔から次第に表情が消えていった。波濤を割る様に進む船、船上に展開する特殊部隊、開け放たれた木箱の下から出て来た銃器、火砲、弾薬の山――それらが写真の一枚々々に刻まれた臨検の情景であり、真実であった。

「丁度一週間前、我々は南スロリア海上で一隻の船を捕えた。その船はノドコールへ向け武器の密輸を行っていた。それらのいずれも先年のノイテラーネ条約により、ノドコール国内での保有が禁止された重火器だ。先住者との平和的な共存に必要な文明の利器ではない……そうですな?」

「馬鹿な!……このような事我々は関知していないぞ。お前たちのでっち上げではないのか?」

「そのどちらにしても、このような遺憾なる動きがあった以上、我が国はあなた方の意向に関わらず実力を以てノドコール情勢に介入しなければなりません。現にノイテラーネ条約にはそう記されてある。半歩譲ってあなた方のいい分を聞くとしても、この場合関知していないという言い方には二通りの意味があります。単にあなた方ローリダ人が知らぬ振りを決め込んでいるのか、それともあなた方の関知しないところで何者かが勝手に事を進めているのか……どちらの意味で言っているのか?」

「それは……!」

「やめないか。将軍」

 再び口を開いたジョルフスを、彼のそれよりも一回りも小振りな手が制する。セルディナス‐ナ‐ルタス総督はその下膨れ気味な顔をやや横に傾け、そして微笑と共に口を開いた。

「もちろん後者だよ……で、我々にどうしろというのかね? ニシハラ特使」

 当面の切迫した状況を語っているとは思えない程、穏やかな口調であった。職歴と人生経験とで培われた人格の幅の差を差し引いても、ジョルフスに比して彼の表情には場違いなまでの余裕が漂っている……しかしそれこそが対峙する西原に緊張を与える。眼前の小男の澄ました顔が、何も考えていない顔の対極にあることを、西原は知っている。

「今からでも遅くは無い。どのような兵器を、どれだけ此処ノドコールに搬入し、何処にどれだけ配備、あるいは備蓄しているのかを教えて頂きたい」

「……実を言うと我々とて、どれ程の数の兵器が此処に流入しているのか把握していない。当然、我々としてもノイテラーネ条約の精神に基づき、あなた方の要請には出来る範囲において応えたい。そこでだ……」

 円卓にゆっくりと身を乗り出し、ルタスは続ける。

「……時間が欲しい。我々が武器の位置と数量とを把握し、跳ねっ返りどもの暴走を抑えるのに必要な時間が」

 西原はすでに書類を揃えに掛かっていた。それは一刻も早くこの場を立ち去りたいかのような、あからさまな態度であった。

「このことは我が本国にも報告します。要望に沿えるよう、善処しましょう。ただし……」

 自身を注視する一座を一瞥し、西原は続ける。

「……我が国とて何時までもこのような不安定な状況を黙って座視するわけにはいかない。三年前の様に要らぬ手間を取らせることの無い様、閣下らには期待したいところですな」



「東の(はて)の蛮族めが、何様の積りだ!」

 ニホンの代表者が去った後、嫌悪感を剥き出しにして吐き捨てたのはジョルフスだった。彼には西原のような「ニホン人」に対し、場の他二者以上に屈折した感情を有している。国防軍少尉に任官して三十年以上、それ以前には十代の半ばから義勇兵としての従軍歴のある「歴戦の用兵家」たるジョルフスの手に、土を付けた唯一の存在がニホンの軍隊であり、それ以降世間の彼に対する評価は「敗将」の一語へと一変した。老将の、軍歴に比例して保障されるべき権威は、ただ一戦で彼の掌中から地平の彼方へと遠のいてしまったのだ。そういう意味では自身の人生を狂わせたニホンという相手に対し、始終平静で居られよう筈がない。

「忍耐の時節も間もなく終わる。それが過ぎれば、誰も遮るものの無い海に堂々と大軍を通交させることができるのだ。そうなれば貴公はその階位に応じた軍を持つことになる。それまで待つことだ」

 老将ジョルフスの苛立ちを横目に眺めつつルタス総督は言う。その小柄な体躯に相応しい、子供の様なたどたどしい口調ながら、その声は何者をも唸らせる智者の諫言のような響きがあった。円卓からやや距離を置き、二人の植民地幹部の遣り取りを見守っていたアイブリオスが瞑目し、そして声にならない声を唇から震わせる。

「これより大地、我に殉ぜる者の安寧の地とならん。これより大地、我を呪う者に永劫の業苦を与えん。我、我に殉ぜる汝らに力を与えん……」

「…………?」

「……再び地より湧き、陸に満ち、我と汝らに仇為す者を逐うべし」


 アイブリオスの口から為る、聖典の詠唱……ルタスはアイブリオスに向き直り、そして言った。

「これも一応はルーガ家の未亡人の計算の内に入っていたのでしょうな? アイブリオス師」

「もちろんだ」

「では話は早い。ジョルフス将軍」

「…………?」

「集積所に向かわせている一個大隊に、新たな任務を与えよう」

「はっ……!」

「『ルーガ総研』から提供された航空写真に基づき、集積所近辺をうろつく鼠どもを探し出して一匹残らず駆逐するのだ。それと……」

 命令を受けるジョルフスの表情からは、すでに苦渋の色が消えていた。

「……かねてからの打ち合わせ通り、『特別行動隊』を二隊、何時でも出動できるよう準備して頂きたい」

「承知した」

「これでよろしいですな?」と、言わんばかりの眼でルタスはアイブリオスを見返す。総督を一瞥するのも一瞬、アイブリオスは誰に対するでもない、まるで詠唱の続きでもするかのように言った。

「『特別行動隊』に関しては、あくまで義勇兵指導部の指揮下で動くこと。これだけは遵守を徹底してもらいたい……重ねて言うがこれは反乱ではない。我らの同胞が自由を得るため、独立を得るための闘争なのだ。それこそ300年前、ノール‐ディ‐アダロネスら建国始祖が為したのと同じ――」

「…………」

 アイブリオスの言葉は、天啓にも似た響きを持っていた。彼に正対するルタスとジョルフス、二人は機を同じくして互いの眼を一瞥し頷く。脳裏に芽生えた志が同じものである以上、もはや何の言葉も要らなかった。



 事は動き出していた。

 アイブリオスは入植地へ向かい、そしてジョルフスは軍司令部へと戻った。総督執務室に隣接する総督府総務部事務室が騒がしいのは何時ものことだが、今日に限ってはやけに耳障りだった。

「…………」

 ノドコール植民地総督 セルディナス‐ナ‐ルタスは、執務室の窓から総督府の外を見下ろしている。細長い窓からは地階の車寄せを見下ろすことが出来た。そしてルタスの位置は、車寄せから個々の在るべき処へ出立した二人を見送った五分前から一寸たりとも代わり映えしていなかった。

「…………」

 鼻から息を吐き、意を決したようにルタスは執務机へと歩み寄る。そして電話の送受話器を取り上げた。

「主席商館長に繋げ」

 送受話器の向こうで気配を伴った沈黙がそれに応じ、ややあって新たな気配を、送受話器を充てた耳の奥に運んで来る。同時にルタスから表情が消え、柄にも無い冷や汗がこめかみを流れるのを総督は自覚した。

「……商館長、私です」

『――ルタスか?』

「……『グリュエトラルⅡ』の件、やはりニホンの仕業でした。先刻ニホンの大使がこの件で我々に脅しを……」

『――此処までは想定内だな。御苦労だった。後は私がやる。お前はお前の仕事に傾注しておればよい』

「……では、やはりあれを」

『――そのための「セルミ島守備隊」ではないか。彼らで無くては出来ぬ仕事だ』

「はぁ……」

『深き闇を経ずして、朝日は昇らぬ。栄えある大事を為すには闇と混迷こそが必須なのだ。臆するでない』

「ハッ……!」

 受話器の向こうに存在する意思に恭順を示しつつも、総督の顔には釈然としない何かが浮かんでいた。




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