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第五章  「ベース‐ソロモン」


シレジナ方面基準表示時刻12月22日 午後10時09分 ローリダ政府直轄領シレジナ マナビアス飛行場



 その平坦な、草原に覆われた土地は、今では排煙を上げてそこを行き来する多種多様な機械の蠢く、ただ無機のみの支配する荒野と化していた。


 蒸気駆動の巨大な転圧機が、悲鳴の様な発動機音を響かせつつ地肌剥き出しの陸地を緩慢に進む。大きさだけなら一つの小山程もある鋼鉄の塊、そのようなものが自分の生まれた国に在ることすら今日まで知らなかった者は、ローリダ共和国国防軍の兵士の中には決して少なくなかったに違いなかった。先月から続く、奪回作戦の巻き添えを食って破壊された飛行場の修復作業と拡張作業。当初は要塞に付随する人員輸送用の輸送機と連絡機のみの運用を前提とした野戦飛行場的な扱いをされていたマナビアス飛行場の、より大規模な航空戦力運用を想定した拡張を、アダロネスの国防軍総司令部に決断させたのは、自国と植民地とを取巻く戦略環境の防勢に転じつつあることを、愈々以て自覚したことの顕れであったのかもしれない。


 だがそのようなことは、本土から遠く隔てられた地において、烈日の下でスコップやツルハシを揮うシレジナ奪回部隊転じて守備隊の兵士たちにとってはどうでもいいことであったようにも思われる。実相としては飛行場の拡張にともない、新たに防衛線を付随させる必要性に今更のように気付いたアダロネスの高級参謀の一声で工事の実施が決まり、従って、海上数千リークを離れた絶海の地において、二千名に及ぶ奪回部隊の将兵が陣地構築作業に駆り出されたというわけであった。


「――貴様らぁ! 手を抜くなぁ! サボっている奴は飯抜きだぞ!」


 担当区画を見下ろし、工兵士官の怒声が響き渡る。兵士一名の全身を隠す程の深さにまで掘られた塹壕の底では、顔から爪先に至るまで泥に汚れた兵士が、今なお懸命に掘削作業に取り掛かる姿が見出された。晴天であっても壕内は薄暗く、それ故に働きながらに多少の涼を取ることが出来た。


「そこの二人、土を棄てて来い!」


 壕内の作業を仕切る古参兵に指差され、セオビム‐ル‐パノンとクリム‐デ‐グースはスコップを突き立てる手を止め、互いに薄汚れた顔を見合わせた。言われるがままに土砂に満たされたモッコを前後に担ぎ、地上まで続く傾斜を上る。終わりの無い訓練と土木作業の日々……この薄暗く、ジメジメとした場所に配置されて以来、この単純作業を何度繰り返した事だろう……


「…………」

 傾斜を登りきり、乾いた風の支配する平地に達したとき、二人はモッコ越しに互いに顔を見合わせた。前を担ぐクリムのうんざりしたような顔と、後ろを支えるパノンのキョトンとした顔、それでも二人は申し合わせたように歩調を遅めに、土砂を捨てに歩き出す。飛行場拡張作業の余波として始終地上を舞い上がる砂埃に塗れる方が、暗く冷たい地下に在るよりもずっとマシだった。海岸沿いに周囲に広がる、丘陵地帯以外に何も遮るもののないマナビアスの平原。見上げればすぐ青空という明媚さは、作業を終える僅かな間だけ二人から不快な掘削作業を忘れさせてくれる。


 一時期マナビアスを占領したノルラントに対する奪回作戦の成功の後、主力の多くは本土への帰還を命令されたが、その一方で守備という名目で此処に残された将兵も多く存在した。先年の「スロリア紛争」の帰還兵と彼らの割を食う形となった少なからぬ数の新兵……それだけを挙げれば、残置部隊の将兵の出自を周知することができる。負傷者であっても軽度の者は洋上での治療の後、現地に残置を命ぜられるという徹底ぶりであった。


 パノンの戦友で、マナビアスを巡る戦いの最中に被弾し負傷したグースも、本来ならば今頃本土に戻って負債完済まで平穏な兵営生活を送っている筈であった……が、船上での手当の後、彼の行く先は本土に向かう海路ではなく陸地たるマナビアスの野戦病院での療養を命ぜられるに至り、傷が完治した現在ではこうしてパノンと同じ部隊に身を置くに至っているというわけであった。自分達が将来に起こり得る戦闘を生き抜くか、あるいは死ぬかでしか家族の待つ本土に帰り得ないことを、二人が同時に悟った瞬間――


「ちきしょう! こんなのやってられっか!!」

 作業現場の外れで土を棄てるや、クリムはこれまで溜めこんできた鬱憤をも投げ出す様にしてモッコを放った。負傷から復帰し、だいぶ肉付きの良くなった顔には、年齢に似合わぬ泣きが入っている。そこを見逃さないかのように、何処からともなく飛んできた礫がクリムの後頭部を強かに打ち、長身の青年は頭を抱えて蹲った。

「イテッ!」

「コラ! 道具を粗末に扱うんじゃねぇ!」

 一人の軍曹が目を怒らせてクリムを怒鳴りつける。パノン達に比べて汚れの少ない軍服、背負った小銃から警備部隊の配置だということが判る。クリムをあやす様に立たせようと試みるパノンと、冷厳なまでに彼らを睨みつけたままの軍曹の視線が交差する。それでもデオゲル‐ゼム‐ガ‐スニフ軍曹の眼の奥に、同情にも似た緩みが宿っているのをパノンは察した。パノンに向かい軍曹は無言で顎をしゃくる。早く持ち場に戻れという意思――両手で地面を掻き毟るようにし、肩を震わせて涙を流し始めたクリムの手を捉えて支えつつ、パノンを眼差しは砂埃の立つ遥か先に広がる広大な空間へと注がれた。拡張作業が進みつつも、その終わりの見えない新滑走路の一方で、復旧が終わった飛行場の一隅。そこで翼を休める飛行機の姿に、パノンは歩きながらに目を見張る。緑色の軍用塗装も真新しい四発エンジンの輸送機――


「――――!?」

 甲高い爆音が低層雲を貫き、それは胴を細く絞った双発機の姿となってパノン達の頭上を軽やかに過ぎた。その機影には見覚えがあった。先月の戦闘の際、海岸に設けられた敵防衛線を前に、死ぬか生きるかの目に遭っていたそのとき、上空より死地を切り開いてくれた傭兵空軍の攻撃機だ。攻撃機はパノン達の眼前遥か先で、ジュラルミン地肌剥き出しの銀翼を陽光にぎらつかせつつ上空を一旋回すると、今なお作業が続く拡張部分へ向かい降下態勢に入るのだった。



 デヴァス18高速爆撃機は、速度を上げ気味に滑走路に接地し、それから速度を落とさずに滑走路上を走り続けた。接地の瞬間、補強のために敷かれていた鉄板が烈しい音を立て、比較的近くにいた作業員の耳を甚く刺激する。そんなことなどお構いなしの様にデヴァス18は滑走路上を疾走し、前のめり気味に何度か減速を試みた末、やはり仮設の鉄板を敷きつめた拡張部分の、もう一方の端で停まった。着陸は粗く、お陰で砂塵が巻き上がり視界を遮ること甚だしい。滑走路脇にあって作業を続ける人員や機材を土埃で汚しつつ、半速からアイドルに転じたプロペラが緩慢な回転を続け、デヴァスはそれに牽引されるように滑走を続け誘導路に入っていく。旧滑走路と共通の、すでにアスファルトの打設の済んだ駐機場。輸送機の隣に滑り込んだデヴァスのエンジンが完全に停止するのと、走り寄って来た軍用地上車がデヴァスの傍で停まるのと同時だった。地上車の乗員の眼前でデヴァスのキャノピーが開かれ、外に半身を乗り出す革製のジャケットもくたびれた青年の姿を覗かせた。地上車から降り立った人影からコックピットに渡された梯子を器用に滑り降り、青年は額に浮き出た汗を拭った。


「遠路遥々、ご苦労様です。ギュルダー‐ジェス大尉」

「…………」

 名を呼ばれた青年は、彼の名を呼んだ男を不機嫌そうに見遣った。服装からして軍人ではなく、辺境まで飯の種を求めてやって来た様な風体の男どもに、同志としての連帯感を期待している風でも無かった。飛行士用の鞄ををそのうち一人に押し付ける様に放ると、ぶっきら棒に言い放つ。

「宿は何処だ? まさかまたテントじゃないだろうな?」

「贅沢を言っちゃいけませんや。俺たちゃ民間人ですぜ?……今のところは」

「……せめて作業員や兵隊が雑魚寝(ザコネ)できる小屋ぐらい作ったらどうだい? 材料なんてそこら中に転がっているだろうに……」

「ザコネ……?」

「…………」

 語句の意味を量りかね、目を丸くした男達を前に、青年は思わず頬を赤らめた。思わず彼らの知る筈も無い言葉を口走ってしまったことに対する気まずさが、青年の内心を支配していた。

「組立式の仮設兵舎を持ってくる計画はあるんですがね、今のところは建設資材が最優先です。何せ主要なフネは皆別の大きな仕事に回されているみたいで」

「大きな仕事……ね」

 皮肉っぽく、青年は口元を歪める。彼にはその「大きな仕事」について十分過ぎる程思い当たる節を持っている。何より、彼自身もその仕事に末端なりとも関係している。鞄を荷台に乗せた男が、青年に車に乗るよう促した。それに応じ車へ足を向ける途上、青年――南ランテア社契約機長 ギュルダー‐ジェスは彼の乗機を顧み、そして仰ぎ見た。


 デヴァス18、彼がその機体を初めて目にしたのは10年近く前、未だ少年の面影を残したギュルダーが航空機中級操縦課程に進んだばかりの頃で、その時点ですでに作戦機としては時代遅れの観は否めなかった。それから五年後に実戦部隊からは完全にその姿を消し、次に目にした時には原形を留めぬほど改造されて「傭兵空軍」で飛んでいた。その間戦闘機操縦士として経験を積み、「スロリア戦役」の虜囚として過ごしたニホンから生きて祖国に帰還した彼に、共和国国防軍空軍軍人としての居場所はとうに無く、今では平時の身分すら不安定な雇われ操縦士として、デヴァスの操縦桿を握る日々を送っている。

 

 機内から取り払われた副操縦席と後部銃座。機首のあらゆる窓を潰し、前方に集中搭載された機銃はまるで獣の剥き出しにされた牙のように機の鼻先から突き出ている。胴体内の爆弾倉の他、主翼下にも新たなハードポイントが増設され、従来の偵察爆撃機から一変した強力な対地攻撃機的な性格を、その獰猛な佇まいの内に強調していた。就役当時はレシプロエンジン搭載の双発爆撃機、今や傭兵空軍の強力な「対反乱作戦機」……


 車が走り出し、建設業者の宿泊用テントの群立する区画へと向かう途上、造成現場で部下を前に指示を出す人影に、ギュルダーは思わず目を見開いた。

「止まれ!」

「旦那っ!!」

 突然の怒声に車が前のめりにタイヤを滑らせつつ停まる。車上の男どもが叫ぶ間もなく、ギュルダーは車から飛び降りていた。

「グラノス! グラノスじゃないか!」

「…………?」

 グラノスと呼び掛けられた男は、三脚に据えた測距儀から頭を上げ、駆け寄って来るギュルダーを唖然として見詰めた。歳の頃はギュルダーとほぼ同じ、金髪、くすんだ蒼い目も似通っていた。それまでの仏頂面を満面の笑顔に転じて歩み寄って来るギュルダーに男は驚き、そして相好を崩すのだった。


「ギュルダー? ギュルダー‐ジェスか!?」

「久しぶりだなぁ、オオサカ以来だ」

 ギュルダーが差し出した手を、間髪入れずグラノス‐ディリ‐ハーレンは掴む。その後に抱き合い、ふたり笑顔で肩を叩く動作が続いた。密着させた身体を離し、ハーレンはギュルダーに真顔で語りかける。思えば共に参加した「スロリア戦役」時、ニホンの捕虜収容所で寝食を共にして以来の再会であった。

「どうした? お前さんまでとうとう此処に島流しか?」

「そんなとこだ。却って清々したがな」

 測量用と思しき杭や指標が所々に立つ一帯を見回し、ギュルターは肩を竦めた。

「マナビアスは平和なんだな。穴掘り以外に兵士にやらせることが無いと見える」

「お陰で私も、ここで兵舎建設の指揮さ。いや、監督と言った方が適切か……」

「いや結構。飛行士としては還る基地ぐらいは平和であって欲しいものだ。特にまたノドコールに取って帰さなきゃならん身ではな」

「ノドコールだと?」

 ハーレンの顔から柔和さが消えた。ギュルダーですら目を険しくし、軽く頷いた。

「此処だけの話だが……まあ、上の方でいろいろとやっているのさ。それはそうと……」

「…………?」

「ノドコールで、どういうわけか我らが英雄の御尊顔を目にしたのだがな」

「英雄?……ロート閣下のことか?」

 ハーレンの表情からは、完全に余裕が失われている。ギュルダーは再び頷き、続けた。

「サン‐グレスの待合所で物騒な異国人どもに周りを囲まれていた。妙な光景だったが、それを差し引いてもあれは気に掛かる……ロート閣下もそうだろうが、おれも恐らく、向こうで当分別の仕事に関わることになるだろうな」

「また戦争でも起こす気か……勝てる戦争ならばいいが」

「独立する……現地の連中はそう言っていた。我々は本国から独立する。そして本国と再び交渉する、と」

「交渉だと?……この期に及んで何を?」

 それに対しギュルダーが再び口を開き掛けた時、遠くから彼の名を呼ぶ声がする。停まったままの地上車を苦々しげに見遣り、ギュルダーはハーレンに笑い掛けた。

「ま、いま話せるのはここまでだ。全てが終わったら……一杯やりながらゆっくり話そう」


 再会を約し、車の待つ方向へと駆け出して行くかつての戦友の後姿を、グラノス‐ディリ‐ハーレンは硬い表情を崩さずに黙って見送る。それが今の彼に出来る、精一杯の挙作であった。新たな波乱の予感が、青年士官の内心に荒波を蹴立たせていた。


「スロリア……何が起こるというのだ」

 戦慄を伴った唇の震えは荒涼たる風の靡きに掻き消され、未だ周囲で黙々と作業を続ける彼の部下たちの耳には聞こえなかった。




ノドコール国内基準表示時刻12月22日 午前10時11分 ノドコール中部 アリファ飛行場 

SAGS―――Special Assistance Group, Surrolia スロリア特別援助群司令部呼称「ベース-ソロモン」


 蒼海を睥睨しつつヘリは降下し、そのまま海岸線を越えた。降下速度は早かったが、乗り合わせた者に不快な感触を与えることは無かった。ヘリの動きは完全に制御され、人々は一切の不安なく空の旅を続けている。


 南スロリア海上の航空護衛艦「あかぎ」を発って、一路ノドコール方面に北上を続ける陸上自衛隊所属のUH-60Jヘリコプターの機上、ドアを開け放たれた状態のキャビンからは、コバルトに輝く海原の生み出すさざめきと、湾曲した海岸線を以てそれらを迎え入れんとする緑の陸地の絶妙なコントラストを楽しむことが出来た。今のところは楽園の空をヘリコプターは飛んでいた。思わず向けたカメラ、そこにシャッターボタンを一回――


「――スロリアは初めてで?」

 と、同乗の幹部から問い掛けられ、木佐 慎一郎は口をぽかあんと開けて背後を顧みた。低空を飛んでいたが故に機内に満ちていた潮風の匂いは何処かへと掻き消え、いまでは芳しい草木の香りが風に乗って漂い始めていた。襞の様に連なる渓谷に沿ってUH-60Jは地上を(かけ)る。時折耳に入って来る操縦士と管制との交信からも、今回の飛行が順調なる事を木佐のような「乗客」にも伺わせた。

 作戦航海の期間を満了し、翌日からの本土への帰還に沸き立つ航空護衛艦「あかぎ」艦内の取材。そこに降って湧いたように下りた「前線」の取材許可。自分はツイていると木佐は思った。そこにノドコール国内のPKO基地から要員補充のために飛んできたUH-60J……あの「スロリア紛争」以来幾度となく世話になった名機を前にしては、旧い友人に再会したかのような興奮すら覚えようというものだ。

「……いや、四度目ですよ」

 と、木佐は言った。時折UH-60Jが微かに揺れ、変針を繰返しているのを身体で感じる。そこに加えて上昇と下降をも体感するに至っては、自機を取巻く不穏な空気を、「乗客」の身であっても覚えざるを得ない……

「やけに揺れますね……」

 と、苦笑気味に言った木佐に、幹部は心得た風に笑った。

「戦術機動の訓練ですよ……内地じゃ中々出来ないから、飛行中によくやるんです」

「成程……」

 思わず感嘆の息を洩らす木佐、すでに平穏を取り戻していたキャビンに、軽妙なドラムとベースから成る前奏が流れ、甲高い男性ヴォーカルが続く。日本語では無かった。聞き取り辛い英語の曲だ。

「聞いたこと無い曲だな……何のアニメの曲?」

 と、木佐の隣に座っていた隊員がぼやくように言った。木佐はクスリと笑う。その曲調は烈しいが、決して過激では無い。むしろ表面的な印象とは逆の哀愁すらその曲は漂わせている。

「『Fortunate Son』だよ。無理もない……半世紀以上前の曲だからね。でも……」

「でも……?」

「……名曲だよ。ぼくに言わせれば、戦争について唄った歌としては未だにこれ以上の歌は無い」

 歌は続いた。若い隊員が、木佐を覗き込むようにして問う。

「どんな意味なんですか? おれ、学校にいた頃英語なんて真面目にやらなかったから……」

「馬鹿な政治家と金持ちと軍人が起こした戦争で、俺達下っ端の兵隊はこんなに苦労している……そういう内容さ」

「へぇー……いいメロディなんだけどなぁ……」

 そのときヘリは再び機首を上げ、山を越えた。彼らが目指す場所の途上に聳える最後の障害だった。木々に覆われた頂上を抜け、再び降下に転じかけたヘリの機内から、何気なく見遣った下方。木佐の眼差しの先――


「…………?」

 木々の下を走る人影を木佐は認める。現地人か?……ふと湧いた疑念を引き摺るには、残された時間はあまりに少なかった。山を越えた先に広がる広大な交差型の飛行場、その四方を取巻く仮設施設とも家屋とも区別のつかない段列に、木佐は思わず我が目を見張る――段列の占める領域が、半年前よりさらに広がっていることに。

 

「なんてこった……!」

 感嘆では無く驚愕の呟きを、それが出かかったところで木佐は息を呑むようにした。



 

『――モロジア共和国に到着したレオ‐アシュラム他17名の「キナレ‐ルラ」号シージャック集団は、モロジアのアリド法務大臣自らの出迎えを受け、満面の笑みで入国する運びとなりました。これに関し、グナドスのアルミオ国務尚書は、記者会見の席上犯人グループの処遇に関し、「祖国へ戻る道は何時でも開かれている」と発言し、依然その言外にアシュラム容疑者らへの配慮を匂わせています。一方日本政府の対応ですが、先日夕方、鎌田外相がナビア駐日グナドス大使を外務省に呼び、グナドス政府の対応に遺憾の意を伝えるとともに、犯人グループへの断固たる対処を求める内容の、アルミオ国務尚書宛ての文書を手交する予定でしたが、ナビア大使が受取を拒否したため、代わりに抗議の意を伝えるに留まった模様です――』

 

「…………」

 濁った、だが熱い光を湛えた眼が、漫然とテレビ画面を睨んでいる。司令部のオフィスにあって、野戦服姿の男は面白くなそうにテレビ画面に見入っていた。

 裸足にした両足が、薄汚れたデスクの上で行儀悪く組まれていた。浅黒い、彫刻刀で為したように硬い皺の刻まれた肌、中背ながら太い顎に太い首の取り合わせが、生粋の武人的な空気をごく自然の内に周囲に漂わせていたが、それは決して他者に威圧を覚えさせるようなものではなかった。丸刈りにしながらも頭髪は白く、かつ少ないことがだいぶ後退した生え際から感じられた。階級は、二等陸佐……


 不意にドアを叩く音を聞き、次には威勢のいい声がドアを越えて入ってきた。

「二階堂一尉 入ります!」

「入れ」

 ドアが勢い良く開き、次の瞬間には恰幅のいい野戦服姿の幹部が部屋に踏み込んで来る。その顔立ちは部屋の主よりずっと若い。親子と錯覚させる程かもしれない。足を投げ出した彼の上官を意に介する事も無く幹部はデスクに前に進み出ると、背を正して敬礼した。

「報告します! 基地より北東50キロメートル方面の全村落に居住者を認めず。なお、一部の村落にはすでにローリダ人入植者の浸透を確認しております」

「御苦労。飛行場南の陣地構築が未だ進んでいない。向こうの小隊長にはすでに話をしてあるから、施設隊の支援にかかってくれるか?」

「はっ……!」

 了解の意を示しつつも、二階堂という名の幹部は騒がしいTV画面に気を惹かれている。それを察し、デスクの主――スロリア特別援助群司令 二等陸佐 福島 正威(まさい)は苦笑しつつ言った。笑いつつもその眼だけは笑っていない。むしろ怒りの眼光を二階堂一尉はその奥に見た様な気がする。

「見ろよ……あいつ、英雄気取りだ」

「…………」

 二階堂一尉もまた姿勢を崩し、後ろ手にオフィス備えつけのTVに目を向ける。平坦なディスプレイの中で、あどけなさすら残す金髪の若者が、支援者と思しき人々に囲まれて天使のような笑顔を浮かべている。一通りのフラッシュの砲列が一過した後、すかさず向けられたマイクの前で、アシュラムという名のシージャック集団の頭目は頬を紅潮させ、真顔になって口を開いたのだ。


『――先ずはこの場を借り、我々に自由の翼を与えて下さったグナドス、エルタニア並びにモロジアの人々に感謝の意を表したい。この世界に文明と自由をもたらすための我々の戦いは、その勝利まで未だ途上にあります。支援者の皆様には我々若人の戦いを、その終わりまで是非見守っていて頂きたい。そして我々の戦いを妨害し、文明を壟断せんとする野蛮なる島国の徒に、大神アムリーンの御名において永遠の業罰の下されんことを!――』


「……こいつ、アルミオとかいう国務尚書の甥なんだってな」

 と、福島二佐は言った。さもありなんと言わんばかりに二階堂一尉は頷く。

「それで甘いんですね……身内だから」

 そこまで言って、何か言いたげな二階堂一尉の表情に福島二佐は気付く。顔の仕草で発言を促した福島二佐の前で改めて背を正し、二階堂一尉は言った。

「これまでの監視任務について、小官の責任において申し上げたいことがひとつあります。申し上げて宜しいでしょうか?」

「言ってみろ。この部屋に限り、お互い隠し事は無しだ」

「はっきり申し上げますが、現地人から成る自警団組織は全く機能しておりません。人員はもとより装備が圧倒的に足りないのです。むしろローリダの連中の方が装備的に恵まれている。下手をすれば我々より強力かも知れない……いや、現状では明らかに向こうが優勢です」

「守られるべき現地人も既にその多くが山中に逃れて所在すら把握できんとあれば、我々の此処での存在意義も疑われる……ということでもあるな」


 二人の遣り取りは、現在に至る過去三ヵ月間のスロリア情勢の推移を、表面的なものであるにしろ的確に表現していると言える。現地人集落に対する正体不明の武装勢力による襲撃が頻発した結果、現地住民の多くが集落を棄て、SAGSも把握できぬスロリア中部との境界に程近い山間部へ逃れて生を繋いでいる有様だ。そこに、「ロメオ」の本国から送り込まれた「入植者」が住民の消えた土地に入り込んで占有し、事態をより複雑にしている……否、故意に複雑にしている勢力がここノドコールには蠢いている。


「……当然、我々としてもローリダ人入植者の退去を彼らの総督府に要求している。だが彼らは言う事を聞かない。それどころか此処は神が自分たちに与えた土地だと言って反抗する始末だ。単に言い争いになるなら兎も角、武器まで持ち出して威嚇に及ぶようでは、外務省やNGOといえども対話のしようがない。西原所長の努力も水の泡、というわけだ」


 西原 聡 外務省ノドコール駐在連絡所所長の名を出し、福島二佐は嘆息する。西原所長はノドコールの首都キビルに在って、総督府との折衝――という名の交渉――に当たっている。坂井内閣より特命を受け、現地交渉の一切を委任された彼の当面の任務は、移民流入の阻止とノドコール条約の改定であった。三日前に行われたという、特殊作戦群によるローリダ国籍貨物船の臨検作戦の結果、「偶然」明らかとなった武器密輸の事実……それを突き付けたところで彼らはそれを事実無根と一笑に付し、ノイテラーネ条約に禁止が明記された原住民の隔離政策の再開すら放言し始めている……それだけ、ローリダ人移民の勢力は力を盛り返している。


 過日、日本本国での定例会議を終えて即日ノドコールに戻ってきた西原所長を交えて行われた現地情勢検討会議の様子を、福島二佐は思い返していた。会議の途上で度々話題になった人物。ノドコールのローリダ人勢力の中で勃興しつつある原住民及び日本勢力排斥運動の台風の眼と目される「老人」――


「――ギルボ‐アイブリオスはどうしていますか?」

 現地情勢検討会議の席上で西原が発した第一声。それはまた、日本国内で行われた内閣安全保障会議(NSC)の席上に於いても西原自身が問い掛けられた質問であった。ノドコールで最大のローリダ人入植者コミュニティの指導者たる人物、彼だけはノドコール条約の既定事項と、融和と緊張の解消を企図した交渉の呼び掛けの悉くを無視し、現地のローリダ人はもはや影響力を低下させた総督府ではなく彼の下に結集し、ノドコール現地人と日本人に対し新たに敵意を募らせつつある。

「現在に至るまで現地情報隊(アクティヴィティ)が監視を継続しておりますが、彼が表立ってノドコール国内のローリダ系武装勢力に指示を与えているという確証は未だ取れていません。但し、ローリダ系民兵による現地人に対する襲撃は一層活発化しております。おかげで基地は今や難民キャンプも同じです。もし此処にも武装勢力が手を延ばして来たら……」

「大まかに言ってしまえば、状況は私が日本に戻ったときから余り変わっていないようですね」

 苦笑交じりに西原は言い、福島二佐ら基地幹部は苦渋に満ちた表情を一層に顰める。元々このような状況の悪化を想定して現地に展開していない以上、現状の彼らの権限と戦力では打開策などあろう筈が無かった。そのことを西原は十分に弁えている。

 

 一息付き、その顔から一切の表情を消して西原は言った。

「本国のNSCで得た結論を此処で申し上げれば、政府はギルボ‐アイブリオスの排除も選択肢の中に入れています。現在活動中の現地情報隊も然ることながら――」




 ――再び、司令部オフィス。


「――先週からこの基地を根拠地として作戦行動中の特戦(エス)のことは、君も知っているな?」

 不意に福島二佐に問い掛けられ、二階堂一尉は反射的に背を正した。

「はっ……!」

「本国は近日此処に展開している特戦を動かし、状況の打開を図る積りである」

「では、武装勢力を……」

 福島二佐は頷いた。

「我々は現有の戦力と資材とを以てこの基地の防備を固めねばならない。少なくとも最低一週間、ノドコール条約違反を名分に政府が送り込んで来る増援が到着するときまで、だ」

「司令、その点に関し一つ解せない点があるのですが、お伺いしても宜しいでしょうか?」

「言ってみろ」

「先月から基地への仮設材の搬入が増えておりますが、それが基地の建設や土木工事に使われた形跡が無く、何時の間にか在庫から消えています。まあ、内容は鉄パイプや合板と言った些細なものなのですが……あと、一部NGOの手によって廃品になった自転車が表向きは鉄屑として、現地人への民生支援という名目でこの国に運び込まれているようですが、ご覧の通り、ノドコール国内の大半が、道路については未整備で自転車など仕える状態にありません……司令はこれについて、何か御存じなのではありませんか?」

「二階堂、実はあれはな……」

 福島二佐は声を潜め、机に寄るよう手招きする。顔を近付けた二階堂一尉に、囁きとして投掛けられた言の内容に、二階堂一尉は狼狽と愕然との入り混じった目で福島二佐の顔を見返した。

「そんな馬鹿な……!」

「東京の然るべき部署では『在庫処分』、『廃品回収』と言っているが……兎に角、これが政府に露見したら大事だ」

「…………」

「あまりに無茶苦茶な話だが、こうまでしなくてはローリダの民兵には対抗できないし、此処にいる全員にも危険が及ぶ。この際貴様も腹を括ってくれ」

 

「…………」

 驚愕を基地司令の部屋に置いて来るには、福島二佐の話の意味は余りにも手に余り過ぎた。気が付けば自身が夢遊病者の様な眼で所在無げに基地の敷地内を歩こうとしている事に二階堂一尉は気付く。そんな事をしている場合では無い事を思い返し、顔を引き締めて二階堂一尉は持ち場へと歩を速める。彼らに残された時間は少なく、それに部下も新たな命令を待っている。

「あっ、二階堂さんではないですか?」

「――――!?」

 不意に声を掛けられ、二階堂一尉は歩みを止めた。かつて同じ戦場にいた顔をその先に見出し、思わず顔を綻ばせる。

「木佐さんじゃない。何しに来たの?」

 言葉はぞんざいだったが、口調には親しみが籠っていた。三年前、同じスロリアを舞台とした戦いで、空中機動部隊の幹部と従軍カメラマンと互いの立場こそ違え、同じ戦場に於いて敵の砲火を掻い潜って来た間柄だ。仮設のヘリポートから地に足を付けたばかり、重い機材を身体中にぶら下げた木佐に歩み寄り、二階堂一尉は言った。共に歩こうと無言で促し、二階堂一尉は木佐を伴って彼の持ち場へと歩き始める。

「取材かい? 正直言って、今は間が悪いな」

「それは何時ものことじゃないですか」

 まぜ返すようにそう言い、木佐は思わず自分の顔から表情を消した。二階堂一尉の表情に、一切の柔和さが消えていたからだ。

「状況、本当に悪いんですね」

 二階堂一尉は頷いた。

「ああ……古のアラモ砦もかくや、といったところさ」

 歩を重ねる内、遠雷を思わせるアクチュエーターの響きが轟いてくる。「ベース‐ソロモン」の主要施設たる交差型、2本の2000メートル級滑走路の一角を成す駐機場で始動を始めたC-130が一機、開け放たれたままのローディングランプに摘み込まれようとしているコンテナは、その表示から食糧と医薬品であることを察する事が出来た。最初は二基、続いてもう二基のエンジンを起動させたC-130が緩慢に前進を始め、甲高いタービン音を奏でつつ誘導路を走り始めている……

「あれが最後の『航空便』だ……大型機は当分来ない……いや、もう来れない」

 そこまで言って、二階堂一尉は木佐を凝視した。「いいのか?」と、その眼が言っていた。

「承知の上ですから……」

「あの時みたいに誓約書でも書いたのか?」

「まあ、そんなところです」

 黄ばんだ歯を見せ、木佐は鼻で笑って見せた。滑走路の傍にまで達する森との境界。そこには現地人と思しき人影が散見された。ノドコール現地住民特有の衣装を纏った、複数の人影……思わず歩を止めてそれを見詰める木佐の表情に、知らず不審の念が積もっていく……

「…………?」

 ……その顔立ちと表情は、ノドコールの農民特有の、頭全体を覆う編み上げ傘に隠れて判然としない。滑走路と他の施設とを繋ぐ無数の交通路の一本。森から出た彼らは何かぎこちない、非生物的な歩調で暫くそこを歩いていたかと思うと、いきなり方向を変え、また滑走路に通じる別の地点までやはりロボットの様な歩調で歩いて行く……一見では全く意味の判然としないその光景の中に、ある事を思い出し二人が慄然としたのは同時であった。

「くそっ、距離を図ってやがる……!」

 呻く様に言ったのは二階堂一尉だった。彼(と木佐)の見方が正しければ、おそらく彼らは森から滑走路の距離を歩測し、砲撃用の座標を作っている――それまで微かながら持っていた事態収束への見込みが、完全に失われたことを二人が悟った瞬間だった。そして彼らにとっての「敵」の浸透具合が、二人の予想を越えて深刻かつ巧妙であるという事も。

「……あの森は伐採させる。今日中にな」

「それが良さそうですね」

 応じる木佐の口調からも、完全に柔和さが消えている。




ノドコール国内基準表示時刻12月22日 午前10時31分 ノドコール西部 ローリダ人入植地



 今から四年ほど前に此処を訪れた時には、そこは未だ虚無のみが支配する大地であった。


 剥き出しの地肌と岩肌が見渡す限りに続いていたその地は、四年後の今では青々とした牧草の絨毯で埋り、香ばしい沃土と草の匂いが蒼の真ん中を歩く二人の嗅覚に満ち満ちている。そこには牧草を食む牛の点在や、草原を走る山羊の群すら散見された。事情を知る者から見れば、植民地の土地改良事業は本国政府主導ではなく、民間企業主導により為されたものの方に成果の面では軍配が上がった様である。少なくともこの地一帯では……


 見渡す限りの地上に点々として咲き、緑の海に島を成す黄、青、白の花々。その上を蝶や蜂すら舞うに至っている。四年前には耳障りな駆動音を響かせつつ我が物顔で地上を蹂躙していた蒸気駆動の重機の姿が掻き消える様に無くなり、遠く離れた本流から草原に引かれた農業用の水路が、その流れを利用した水車とも合わさって心地良い水音を奏でていた。


 大地の只中に取り残されたかのように、寂しげに農道を歩く二つの影……それは傍から見れば、奇妙な取り合わせであった。まず、二人とも女性であることは、服装を通じても察せられる身体の輪郭からすぐにそうと判った。その中でも、先頭を歩く細い影の方が、背がやや低いが、おそらくは同年代の中でもずば抜けて背が高い方に属するかもしれない。彼女の表情の細かさは、ローリダの農民風の、藁を編み上げた幅の広い日除け帽のつばの影に在って、遠くから身取ることは出来ない。しかし、熱い日を受けて上気し、薄朱に染まった頬を差し引いても、頬から顎に続く顔の輪郭の形の良さから、その女性が美形に属する容貌の持主である事はすぐに察せられた。


 頭の後ろで結ばれた髪は金色。帽子から垂らしたままの顎紐が、所在無げに揺れていた。未成熟な胸の膨らみが伺える真白いシャツと、おそらくは帆布織であろう、くすんだ青の作業ズボンと伝統的な農民用の革靴という出で立ちだけを見れば、夏の牧場の風景に似合いな清涼感ある美少女という表現で済むのであろうが、肩に下げられた小銃と、腰に巻かれた弾帯と長大な狩猟用ナイフの収まった革製の鞘とが、それだけでは済まされない物々しさを見る者に伺わせた。少なくとも、少女の後に在って歩を進める女性にはそう思われた。


 少女の後に続く女性の影……彼女の顔もまた、紫のヴェールに包まれ……否、覆われて判らなかった。ただ、ヴェールの隙間から覗く緑色の瞳が時折鋭く光り、それが道案内の少女に、彼女に対する不用意な詮索を抑制する効果をもたらしていた。服装は身軽だが、所詮は何処かの気紛れな金持ちの、別荘近辺を散策するような格好でしかない――少女にはそう思われた。その日の朝、入植者からなる民兵隊の宿営地に慌しく降り立った回転翼機、普段は夜間にしか飛来しない回転翼機から、一人の供も連れず、下界に神の意思を告げる天使のごとく降り立った女性……正規軍上がりの民兵隊の指揮官は彼女に向かって恭しく低頭し、誰の前であっても素顔を見せない彼女の「ご指名」に従い、少女は彼女の行く先を先導している。少女を女性に引き合せた指揮官ですら、少女をわざわざ指名した彼女の真意を量りかねているようであった。


「ヴォルキウス‐スペンシア……」

「え……?」

 不意に声を投掛けられ、少女は足を止めた。その後に聞く者の芯を引き締める、明晰な声が続く。柔らかだが、意志の強い人間の声だった。

「私もおまえと同じ年頃には使っていた。子供にとってはザミアーよりも使い易い」

「ええ……雉や兎を撃つのにはすごく便利」

 肩越しに女性を見遣り、少女は言った。少女が肩に担ぐ銃のことを、ヴェールの女性は言っていた。銃に詳しい同性を、少女は嫌いでは無かった。

「だが……獣を猟るのに七発も弾丸はいるまい」

「…………!」

 沈黙を装いつつも、少女は内心で驚愕を覚えた。女性の銃の知識は、単なる貴人の手慰み程度では無かった。本来農民や植民者の護身用として発明され、以後半世紀近くも構造に大きな変化を加えることなく普及し続けているヴォルキウス‐スペンシア銃。本来五発の弾丸を収納する薬室部は、ちょっとした工作と部品の交換で七発まで弾丸を装弾できるようになっている……一目見ただけでその改造を指摘できるという点で、少女にとって現在の護衛の対象であるヴェールの女性は、ただの「出資者」ではなかった。


 静寂――漂い始めたその中で、自身の素性すら見透かされようとしていることに、少女の胸中には得体の知れないものに対するかの如き恐れが込み上げて来た。時折「現場」を見に来る「出資者」の素性を、濫りに探ってはならないという民兵隊の暗黙の掟が脳裏を巡る。だが――

 

 二人の行く先に通じる上り坂の向こうから、何かの擦れ合う喧しい音が聞こえる。それは次第に二人の許へと近付いてくる……坂道の頂上を越えたそれが人々を満載して走る二頭立ての荷馬車の姿となった時、少女は背後の女性に、共に路肩に寄るよう促した。

「ユウシナ!」

 行き合った馬車が過ぎゆく間際、荷台を占拠する男たちが笑顔で少女に声を掛けた。少女はつい先刻までの硬い表情を緩め、無言で手を振って男どもに応じる……それだけでも、ユウシナと呼ばれる少女がいかに民兵たちの輪に融け込んでいる存在か判るというものだった。男たちの誰もが開拓民と呼ばれるに足る程赤く日焼けし、各々が小銃で武装している。少女は女性に顔を向け、先程の男たちに向けた微笑をそのままに先を急ぐよう促した。なだらかな坂を登り切った先で、二人は歩を止めた。

「…………」

 牧草地帯は、坂の頂上から二人の見下ろす先で、豊かな耕地へと装いを変える。とうに収穫の終わった耕作地帯、だがその濃い大地の色と此処まで漂ってくる芳しい土の匂いは、この先十数年に亘り安定した収穫を約束しているように思われた。坂を下りる内、路の両肩にぼつぼつと並び出すドーム状の家屋は、さらに歩を進めるにつれて規則正しい家屋の並びとなり、路の幅は一層に広がりを見せた。路の真ん中で遊んでいた子供たちが二人に気付き、その中で何人かが少女の元へ駆け寄ってきた。

「ユウシナ姉ちゃんだ!」

 嬌声を上げ、少女に飛びつき、あるいは後を追う子供たち。彼らの服装は粗末だったが、その眼には育ち盛りの子供らしい活気が光っていた。微笑と握手とで子供たちに応じる少女の態度も手慣れたものだ。まるで彼女自身もこの村に生を享け、それ以来をこの村で過ごして来たかのような融け込みぶりであった。

「ちゃんと学校に行った? 読み書きの練習はちゃんとやってる?」

「学校ならもう終わったよ。リメル先生、今日は自警団の仕事があるから午後の授業は出来ないって」

「まあ、今日も……」

 そこまで言って少女は物憂げな眼をした。だがそれは一方で少女の背後に立つ女性には妙な光景に思われた。今自分の眼前で銃を担ぎ、道案内をしている少女もまた年齢では未だ15も出ていないだろう。少女の口調と物腰が、ごく月並みな階層出身者のそれではないことを彼女はすでに悟っている。本国ならば、未だ学窓に在るべき年齢である筈だった。喩え様々な運命の悪戯が、これまでの少女の生き方に歪なまでの干渉を加えたとしても――


「ユウシナお姉ちゃん、『聖典』の読み方教えてよ」「うん、仕事が終わったらね」――打ち解けた会話を暫く続け、昼食をとりに家路に就く子供たちを見送った処で、民兵の少女は彼女らにとっての客を顧みた。

「御免なさい……つい話が弾んじゃって……」

「ユウシナ?」

「…………」

「ユウシナ‐レミ‐スラータ。本国へ帰った方がいい。タナが心配している」

 今度はヴェールの女性から名を、それも名字付きで呼ばれ、少女は背を向けた。思春期を出たばかりの少女特有の、頑なな態度……銃を担い大人たちの戦争に首を突っ込んだところで、それが容易に矯正されるという訳ではなかったのだろう――少女は再び歩き出し、ヴェールの女性もそれ以上何も言わずに続いた。村の隅、未だ収穫の終わっていない根菜畑の一角で、巨大な(かぶ)に取付く人影を二人が見出した時、ヴェールの女性は畑に向かい少女より一歩先へ足を進め、はらりとヴェールを拭った――


「…………?」

 ユウシナ‐レミ‐スラータは、その青い瞳を見開いて女性の素顔を見た。芳香と共に毀れ落ちた豊かな黒髪、一切の柔和さを消した白皙の頬と同じく険しい緑の眼差し――ユウシナは以前に彼女の顔を見たことがあった……否、彼女の祖国ローリダ共和国では、今や知らぬ者の無い才女の横顔。

「ルーガ‐ラ‐ナードラ……!」

「ユウシナ、少し待っていてくれぬか?」

 そう言い捨て、答えを聞くまでもないかのように、ルーガ‐ラ‐ナードラはユウシナという名の少女を指し置き、足を畑へと踏み出した。



 その老人は、ナードラの眼前で黙々と(かぶ)の引き抜きに取り掛かっていた。


 背は低い、それに加えて曲がっていた。だがその芯を貫く骨格の太さを、見る者誰もに感じさせた。頭頂部からは、髪の毛はとうの昔にその痕すら消えていたが、それでも禿げ上がった頭頂を取巻く頭髪は、白くも未だに豊かな繁りを見せていた。顔はその腕に劣らず幾重もの皺に覆われていたが、それが生来の丸顔とがっしりとした顎の形も合わさって、実年齢以上の年季の深みと、彼個人が経た人生の重みを、見る者を択ばず感じさせた。


 節くれだった手で丸々と肥えた蕪を掴み、誰の助けも無しにそれを引き抜く……ナードラの凝視する前で、老人は先刻から収穫という名の大地との対話を黙々と続けている。ナードラは敢えて話しかけず、そして一歩を踏み込まず、老人の営みを無言で見詰め続けている……そのナードラの眼の前で、蕪を引き抜く手が止まった。

「蕪は冬に食するのが一番美味い……最も寒さの深まる時分に甘みが一番深まるのだ。これを鶏と共に煮込めば、これ以上の馳走はない」

 穏やかな口調であった。但し意思、それも胸を打つ烈しい意思を篭めた声であった。それまで老人に従い収穫を手伝っていた下僕が老人に恭しく杖を渡す。杖を受け取ると老人は縁石に向かい億劫そうに腰を下し、ナードラに微笑みかけた。まるで実の孫でも見る様な、慈愛に満ちた眼差しであった。

「カディスは壮健かな? ルーガ‐ラ‐ナードラ」

「お陰さまで」

「あやつとはもう3年も会っていない。その3年の内に、此処では色々とあったでな」

「はい……」

 ナードラは頷いた。老人は、所在無げに畑の縁に佇むユウシナを一瞥した。


「あの娘……ユウシナもまた、3年前の一連の抗争の被害者だ。あの娘の父親は貿易商だったそうだが、スロリアの敗け戦で事業に失敗し、今度はウォルデニスの植民事業に全てを賭けたがそこは凶暴な鳥人(マハル)の領域であった……あの()の父を始め入植者たちの多くは鳥人に殺され、ユウシナ他僅かな数の同胞が辛うじて生き残ったそうだ」

「……存じております」

「知り合いかね?」

「知り合いの親類、といったところでしょうか」

 眉一つ動かさず、ナードラは言った。老人は頷き、口を開いた。

「『出資者』として、単に前線を見に来ただけではあるまい。言いたいことがあれば、此処で聞こうか。もはや時間は無いでな」

「では手短に申し上げます。ギルボ‐アイブリオス師、あなたの命……否、身柄を抑えんと狙っている者がおります。事の成就まで用心なされますよう」

「『ニホン人の復讐』……か」

 ギルボ‐アイブリオスの平静に満ちた言葉に、ナードラは恭しく低頭した。

「たしかにわしは、三年前ニホンの首班の排除を進言した」

「…………!」

 老人の口調ではなく、語句そのものに込められた凄みに、ナードラすら内心でたじろいだ。この老人――ギルボ‐アイブリオスの言葉は事実であった。三年前、共和国ローリダとニホンの対決構造を決した「作戦」――その結果としてニホンの首班は非業の死を遂げ、ローリダ人の決意を前にニホンは恐れをなし、共和国ローリダに屈する筈であった……

 

 ……が、そうはならなかった。その後に続くニホンの断固たる対決への決意は、結果としてスロリアを舞台とした大規模な軍事衝突を招来し、それは現在に至るまで共和国ローリダを構成する社会の各分野に、未だ癒す事あたわぬ傷を残し続けている。

「わしは自らの進言を後悔してはいない。全ては神の思し召しだ。そして神は、我らの献身に相応しい終わりを用意して下さっていることだろう……たとえ我らが死に絶えたとて、かのオルバス記の如くに異教徒どもが手にするべきものは此処には麦一粒として残らぬ」

 自ずと、ナードラの唇が詠唱に震えた。

「これより大地、我に殉ぜる者の安寧の地とならん。これより大地、我を呪う者に永劫の業苦を与えん。我、我に殉ぜる汝らに力を与えん……」

「……再び地より湧き、陸に満ち、我と汝らに仇為す者を逐うべし」

 「聖典」の一節に基づくナードラの独白を、アイブリオスは補足して締め括って見せた。

「お主が為した大計ではあるが、全てはキズラサの神の御心の内だ。お主の口から一計を明かされたあの時、わしにとってお主の声はまさにキズラサの神の声であった。だからこそ、わしはお主の策に乗ったのだ。何もお主が我が友ルーガ‐ダ‐カディスの孫であったからではない」

「はっ……」

「ナードラ……本国へ戻ったら、カディスに伝えよ。もう共に酒を酌み交わすことは無いだろう、と」

「拒否いたします。我が祖父はそのような事を聞く耳は持たぬ人間であることは、師も御存じの筈です」

「…………」

 鼻を鳴らし、アイブリオスは笑った。眼前の女性の回答に対する不満ではなく、満足を表した笑みであった。

「そうだな……今更そのようなことを聞く男ではあるまい。それで、お主はこれからどうするのかな?」

「ここより東に向かいます。ずっと東に……」

「ノイテラーネか?」

 ナードラは頷いた。その時初めて、眼前の老人が渋い顔をするのをナードラは見た。ナードラは片膝を突き、老人に再び一礼した。

「カディスの手前、お主をあまり死地には晒したくないのだがな」

「ノドコールという、あまりにも仕掛けの多き舞台にあっては、舞台を作った者にしか出来ぬ役も御座いますれば……」

 再び面を上げたナードラの口元に、普段彼女が見せることのない微笑が満ちていた。その昔、アイブリオスの親友も持っていた、不敵さと冷徹さの入り混じった微笑――




※次回連載は2/8(土)からとなります。読者の皆様には以上、ご連絡申し上げます。

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