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第三章  「cruise――戦闘航海」  (1)



東セルラン海海上基準表示時刻12月20日 午後3時22分 東セルラン海 海上自衛隊航空護衛艦 DCV-102「かつらぎ」


 二機のジャリアーMkⅠ艦上攻撃機は、母艦の艦橋を掠める様にして航過し、そのまま雲海の継ぎ目を目指して緩やかに上昇していった。それを見計らっていたかのように、飛行甲板上でアイドリングに入っていたSH-60J哨戒ヘリコプターがメインローターの回転を上げ、緩慢に飛び上がる――その繰り返しが常態となって、航空護衛艦「かつらぎ」ではすでに半日の時間が経過していた。

 

 「かつらぎ」のパイロット待機室(レディルーム)は、出撃を待つパイロットたちの生成する瑞々しい活気が充満している。待機室前面には巨大な情報表示端末が三面、その何れもが他分割表示で「かつらぎ」艦内、「かつらぎ」の外を取り巻く艦隊周辺の様々な情景を表示し続けている。


 その中の一片――艦隊の展開する海域とそれに面する海岸線を表示した画像、その中でも特定の海岸線上を表示したふたつの画像に向けられる視線は特に多かった。「かつらぎ」の有するFCS-3改対空/対水上火器管制システムの把握し得る、東セルラン海全域に及ぶ敵味方の配置状況を表示した前者。今次の共同作戦国たるエウスレニア王国より発進した航空自衛隊の早期警戒機の「管制下」にある特定の海岸線上を表示した後者――事態打開のために投入し得る駒は盤上に全て揃い、後は東京の手でそれが動かされるのを待つのみだ。良く言えば「ゴーサインを待つ状態」。悪く言えば「睨み合いの状態」の中に「かつらぎ」任務部隊は在る。



「全く……コーヒーメーカーぐらい置いてくれればいいのに」

 隣り合う自販機フロアから調達してきたLサイズの紙コップを両手に、菅生 裕 准海尉はぼやいた。乾燥地域仕様のカーキ色のフライトスーツではカップの中に満たしたコーヒーを溢したが最後、茶色い染みがくっきりと残ってしまうだろう。それを考えれば上腕の旭日旗と、JFJ――Joint-Force-Jarrier――ジャリアー統合部隊の部隊章とを縫い付けたワッペンと色彩面で合うからという理由だけで、飛行服にこの色を択んだのは間違いだったか……などと思ってしまう。


 封をしてあるとはいえ歩く度に揺れるコーヒーの熱さが、カップを握る掌には次第に堪え難いものに感じられてくる。たまたま入口に居合わせた飛行科員が、苦笑と共に開け支えてくれたドアを潜る様に待機室に入り、待機に入っている飛行要員で埋め尽くされた折り畳み式の椅子の居並ぶ空間を縫うように歩いた先に、菅生准尉の目指す場所はあった。待機室の最後尾。そのまた片隅を占めるカーキ色の飛行服――



「……ワタル、ワタル?」

「――ん?」

 呼び掛けられ、航空自衛隊准空尉 諏訪内 航は最大に倒した背凭れをそのままに顔を上げた。だがその表情は傍目からは開きっぱなしの雑誌に覆われて見えなかった。市井にごく有触れた芸能誌。航は億劫そうにそれを退け、ほんの一瞬だがヘアヌードのページが航を見下ろす菅生の目に入った。

「…………」

 焦点の定まらないままの眼差しで、航は菅生を見上げた。菅生がコーヒーを持って来るまで航がぐっすりと寝入っていたことの、それは何よりの証であった。世に存在する悪意の一切から無縁でいられる天使の様な無垢な顔……そういう人間に世話を焼くのが、菅生は嫌いでは無かった。その航の左目を覆う分厚い眼帯、航の顔に苦笑気味に目を細め、菅生は言った。


「どうだ?……目の調子は?」

「悪くないよ」

「それにしてもあのシールズ……思いっきり殴りやがったな」

「そうでもないよ。案外重いパンチじゃなかった」

「飛べそうか?」

「もちろん」

 二人は同時にくすりと笑い、菅生はコーヒーを満たした紙コップを航に渡す。受け取ったコップの熱さが、航から熟睡のまどろみを徐々に奪っていく――





 遡ること4週間前――


 ――航空自衛隊 空曹長 諏訪内 航が、山口県岩国基地でジャリアーMkⅠによる飛行訓練を初めて一週間も経たない内に、航は数名の同僚と共に関東まで呼び戻された。名目は離着艦講習。これは何も珍しい話ではなく、空海自問わずジャリアーの操縦桿を握る者は必ずこの講習を受けることになっている。そこに、ジャリアー装備部隊の自衛隊内部における「特殊な性格」がある。

 新たな配属先は神奈川県 海上自衛隊厚木基地で、集められた顔触れからは、空海問わずジャリアーの操縦士に対する航空護衛艦への離着艦技術の習得が最優先で急がれた観があった。表面上は日本周辺の情勢は平穏そのものだが、裏では何か大きなものが動きつつある?……それを思わせる程異動命令は急で、異動後の訓練もまた慌ただしさを極めた。


「――今回の講習に関しては、離着艦経験者を優先したい。理由としては、なるべく短期で訓練を済ませ、再度のスロリア展開(クルーズ)に必要な員数を揃えたいというのが護衛艦隊司令部の方針だからだ」

 厚木基地に到着早々に行われたブリーフィングで、海自側の担当者はそう語った。海自にも「高速洋上哨戒機」という名目の下、ジャリアーを運用する飛行隊は存在するが、その絶対数は十分とは言えず、その数少ない勢力も前線配置-訓練-整備といったローテーションで常時航空護衛艦(DCV)に張り付けて置くというわけにはいかない。そこに、統合運用の自由度を高めるという名目の下、空自機が展開する余地が生じているとも言える。事実、今回の転属で岩国から召集された形となったのは長浜一尉を始め空護(DCV)勤務の経験がある者ばかりで、それがない、いわゆる「ずぶの素人」は航だけであった。その点を海自側の担当者に指摘された際、

「この諏訪内なら大丈夫、講習には十分に付いていけることを自分が保証する」

 と、長浜一尉は眉一つ動かさず言ってのけて当の航を内心で驚愕させたものだ。さらに航が驚いたことには、それで話は済んでしまった……というのがある。

「……わかりました。諏訪内空曹長に関しては海自(うち)から補助として航空士を付けさせましょう。若いが優秀な男です」

 その海自幹部は即諾し、航のペアとして菅生准海尉が宛がわれることになった背景はこうして形成された。


 元来哨戒ヘリコプターの戦術航空士で、二年前に千葉県の海上自衛隊下総基地で新たに開設された「高速洋上哨戒機搭乗航空士教育課程」ことジャリアーの後席要員の教育コースを修了した菅生准海尉と引き合わされたとき、航は彼の胸を飾る特別な徽章に、思わず目を見開いたものだ。

「スロリア従軍記念章ですか……!」

「ああこれ? そんな特別なモンじゃないって」

 と、驚く航に菅生准尉はワザとらしい苦笑を作って応じて見せたものだ。

「おれの様な航空士にとっては参加賞みたいなもんだから。もっとも、陸で戦った連中にとっては文字通りの勲章だけれど……」

 そう言った後、菅生准尉は顔を曇らせた。それはまた、「スロリアの嵐」作戦の決して表に語られない側面を端的に言い表しているのかもしれない。戦闘が文字通りのワンサイドゲームに終わった海空戦とは違い、陸上での戦いはその始まりから戦力の絶対数と補給に於いて劣勢であり、それが苦闘の連続としての実相に直結している。その「スロリアの嵐」作戦後、作戦に参加した陸海空自衛隊の全隊員に授与されたスロリア従軍記念章……隊員各自が手にしたその重みが、彼ら其々(それぞれ)の戦いの場によって違うのは、ある意味当然のことであるのかもしれなかった。航より頭一つ背が高く、飾り気の無い、落ち着いた物腰の菅生准尉に、航は遠く離れた国外で働く姉の姿を重ね合わせた。

「菅生はKA(ケーエー)持ちだからな、あんまり無茶な事するんじゃないぞ」と、訓練を共にする海自のパイロットがからかう様に言う。

「ケーエー? 何ですかそれ」

「嫁さんがいるってことだよ」

「へえー……」

 思い当たる節は、航にもあった。自分とそれ程年が違わない筈が、自分よりずっと落ち着き払っている。でも実戦経験と家庭というものは、それほどまでに男を変えるものなのだろうか?



 転属の翌日から、訓練は始まった。要員は未だ夜も明けぬ内に、厚木飛行場のP-1哨戒機用の格納庫に集合する。そのすぐ外の駐機場(エプロン)では、すでに長距離飛行用の増槽装備のジャリアーが4機と、それらを支援する地上員と機材とを搭載するC-130R輸送機が一機、講習要員を待ち構えている。訓練初日、離着艦技術の基本中の基本たる定置離着陸訓練の始まり――周辺への騒音問題と民間空路との兼ね合いから訓練は本土では行われず。東京都南方から海を隔てて1200㎞離れた硫黄島で行われる。航と菅生准尉は移動要員の一員としてC-130Rに乗せられ、そこへ向かうこととなった。もっとも、長浜一尉ら操縦者にとってはこの時点で訓練は始まっていて、硫黄島への展開はそのまま長距離飛行の訓練も兼ねている。

 

 陸海空自衛隊の各種訓練/研究施設に島の全域を占有された、日本でも数少ない民間人立入禁止の地でもある硫黄島、その中でも最も広大で重要な施設たる硫黄島飛行場は、南北に並行する二本の滑走路から成っている。だが南に位置する一本は「転移」後からその機能を停止していて、航は実際に基地に着いてから飛行場の実相を知ることが出来た。


「…………」

 南――本来そこにも滑走路があった場所で、地面を掘り起こすべく稼働を続ける重機の群、その周囲に広がってスコップやツルハシを揮う民間の建設作業員、彼らに混じり役所からの出向と思しき濃紺の作業服姿や、ボランティアの腕章を巻いた年配の人々もいる……「転移」前まではそこがメインの航空施設であったという南側の変わりように、輸送機から降り立った航が目を奪われ、立ち尽くしているところを、追求してきた菅生准尉の手が延び、背を叩いた。

「――!?」

「どうした? ぼんやりとして」

 そこまで言って、菅生准尉は南に目を細めた。

「まだ掘ってるんだな……あと何人埋っているのか判らないというのに」

「そうか……」

 思い当たる節は、有り過ぎる程あった。要するに、未だ終わっていない戦いがこの島には存在していて、それを終わらせるための努力を、世代を越えて我々は続けているのだ。「転移」前から遥かに遡った年代の戦争――「太平洋戦争」の激戦地としての硫黄島。かつてそこで海を隔て残して来た家族や愛する者のためにアメリカの侵攻軍と戦い、斃れた人々の骸の未だに数多く残る場所としての硫黄島……現在の訓練拠点としての硫黄島の、強烈な歴史の重みに直面せざるを得ない立場に、航はいる。

 

 訓練は、その日の内に始まった。それも、本土では易々と出来ない夜間離着陸訓練(NLP)から始まり、同じく昼夜に及ぶ離着陸訓練の繰り返しだけで優に一週間が費やされた。しかもこの間休みは半休が一回だけという過密スケジュールである。

「地上の飛行場と思うな。空護の甲板だと思え」

 回数をこなす度に、後席の菅生准尉はそうアドバイスしてくれる。離着陸を繰り返すのは、離着陸という行為に対する緊張感を忘れさせ、実際の着艦時に惹起される不安を抑制することにその真意がある。着艦という、その実余りに不自然な着陸の形態に対する違和感を無くすための「儀式」であると言ってもいい。訓練の場たる硫黄島の飛行場もまた、その滑走路内が着艦する航空護衛艦の実寸に合わせて白線で区切られていて、夜間飛行時の誘導灯の配置まで実在の航空護衛艦に似せてある程の「凝り様」であった。スキージャンプ式の滑走路が無いことを除けば、その点、陸に浮かぶ空護とも言える。離発着に明け暮れた一週間後には、間髪入れず新たな訓練が加わった。空中給油の訓練、そして対地射撃の訓練が。



 本土から飛来してきたC-130R輸送/空中給油機との会合(ランデヴー)、給油の後、ジャリアーは海上からの誘導に従い訓練空域に向かう。


 掃海部隊の訓練海域も兼ねたそこで、航は竣工成って間も無い新鋭掃海母艦MST-465「きい」の全容を見出すことが出来た。それまでの掃海母艦には無かった全通式甲板の艦体。右舷に配された艦橋はその寸詰まりな艦体に比してアンバランスなまでに大きく見える一方で、掃海母艦という用途に相応しい機能性を備えているようにも思える。あの「おおすみ」型輸送艦を一回り小型にし、腰高にしたような艦影は奇異でもあり、見方を変えれば斬新でもある様に航には思われた。


 掃海任務の他に上陸作戦、特殊作戦の支援母艦としての運用も想定されている「きい」型掃海母艦は、その実海上自衛隊の用兵思想の大幅な転換を象徴する艦と言えるのかもしれない。海上交通線防衛のための対潜作戦重視から、島嶼防衛のための超水平線上からの空海一体となった陸戦部隊の投射能力の付与……空で言えば航空輸送力としてのJV-22オスプレイ、航空支援力としてのジャリアーの導入はまさにその構想に沿った戦力の整備であり、海で言えば「きい」型及び新鋭の「じゅんよう」型揚陸艦の就役がそれであった。


 群青の野を全速で航行する「きい」――ジャリアーは彼女が曳く航跡(ウェーキ)を目標に胴体下部にポッドとして搭載された25㎜機関砲を撃つ。それが射撃訓練の手始めだった。陸上自衛隊の装輪戦闘車両開発計画の過程で生み出された40mmテレスコープ弾機関砲を小口径化かつ軽量化することで完成した25mm航空機用機関砲は、弾薬のコンパクト化、燃焼効率の向上により毎分2000発のテレスコープ弾を目標へと叩き込むことを可能にする。計画段階では装備の共用化を図ってF-35J用のGAU-22A 25mm回転銃身式機関砲ポッド (発射速度3600発/分)の装備も想定されたが、試験段階で重量過大になることが判明したため、発射速度の低下を忍んで単銃身型のテレスコープ弾機関砲に落ち着いた形だった。単に事前のブリーフィングを聞いただけならば平易な訓練に思えたそれは、いざ実行となると難しい――何より、照準しつつ弾着が航跡(ウェーキ)の外にバラけないよう機体の姿勢を制御するのが難しい。


『――バカヤロウ! 味方に当たる』

 と、同航している長浜一尉に、無線越しに何度注意されたか判らない。

『――下は面白がって見てるんだ。怖がらせるような銃撃(マネ)をするな』

了解(ロジャー)……」

『――諏訪内ドンマイ、もう少し突っ込みを浅くしてみようか。そうすればじっくり狙える』

「わかった」

 後席から菅生准尉の助言を受けつつ攻撃航程から急上昇、そして再度の攻撃開始位置に付くべく背面に転じたジャリアーのコックピットから、航は眼下の海原を見下ろした。そこに飛び込んでくる「きい」飛行甲板の着艦標識。撃たれる「きい」の側からしても、この射撃訓練は対空戦闘運動の訓練も兼ねている。つまりは見張り、あるいは手空きの乗員がこちらの挙動をずっと見ているということか……航の漠然とした感慨は、その実当たっていた。「きい」の飛行甲板では、乗員が艦の備品、あるいは私物のカメラでジャリアーの訓練海域侵入から射撃、離脱の一部始終を撮影していたのである。それは廻り廻って硫黄島基地でのデブリーフィングの際に比較や反省の材料となり、あるいは防衛省の広報資料としても使われることになるかもしれない。


「へえ……」

 飛行後のブリーフィングでその動画に接した際、航は艦上から撮られた自機の姿を初めて目にした。急降下しつつ射撃、排煙を曳きつつ上昇、翼端から水蒸気を曳きつつさらに急上昇、旋回、そして射撃空域より離脱――

「……ジャリアーって、こんなに格好良かったんだ」

「オイオイそこかよ」

 と、苦笑しつつ菅生准尉は航に突っ込んだものだ。だがそれ以降の航の上達ぶりは出色の物で、それは後席に在って航と飛行(フライト)を共にする菅生准尉も実感するところであった。射撃訓練は此処からさらに段階を進め、真打ちたる誘導射爆訓練に入ることになった。


 誘導射爆訓練。これはジャリアーの操縦者にとって最も重要な訓練科目とされている。むしろこの点にこそ、空海自におけるジャリアーの存在意義があると言っても過言では無かった。島嶼奪還作戦時、上陸部隊に随伴する空護(DCV)から発進したジャリアーは敵地上空に侵入、本隊に先行し目標地点に隠密上陸した偵察部隊、あるいは上陸部隊本隊の中で誘導資格を持つ特技隊員によって指示された地上目標を、寸分の狂いも無く撃破する任務を課せられる。この訓練はまた、実戦で上陸を担当する陸海自衛隊にとって、その任務に必要な技術習得の講習も兼ねていて、期を同じくして本土から差回されたC-2輸送機に乗って多数の隊員――それも、特殊部隊員――が硫黄島に集合することとなった。


 特殊作戦群(SFGp)海自特(JMSDF-)殊部隊(SEALs)は元より第一空挺団や中央即応連隊(CCR)西部方面普通科連隊(WAiR)……中には冬季戦技教育隊、空自の航空支援集団に属する戦闘管制部隊(CCT)からの参加者もいる。自然、超人の博覧会的な雰囲気が硫黄島の隊舎に満ちることとなる。訓練では彼らは何回かに分けて艦船に乗船し、艦上から軽量レーザー指示測距装置(LLDR)を以て海上に敷設された目標までジャリアーの実弾攻撃を誘導する。本来ならば地上の演習場で行われるべきこれらの手順が洋上で行われるのは、自衛隊の厳格な安全管理も然ることながら、硫黄島ですら、その地形的な制約から島本土への実弾射爆訓練は不可能だったということもある。


『――ウィザードよりヴァルキリーへ、目標を照射した(フラッシュ)捕捉できているか(アーユーグリーン)?』

「――こちらヴァルキリー、目標位置を捕捉(オールグリーン)――攻撃コースに入る(オンコース)

『――ヴァルキリー……いいぞ、針路そのまま(ステディ)そのまま(ステディ)……』

「――ヴァルキリー、エンゼルファイヴ……フォア……スリー……爆弾投下(ナウ)!」

 ジャリアーの翼下に抱いた10kg訓練爆弾が一発、六発吊下式のユニットから離れ、滑空して海上の目標を目指す。操縦桿を引き、上昇に転じた乗機のコックピットの中で圧し掛かって来る加速度に耐えつつ航は眼下を見遣る――そこに、誘導部隊員のコール。

『――ナイスショット!』

「…………!」

 回避機動の途中から姿勢を回復し、航は背面の姿勢から仮設目標の様子に目を凝らす。「ワンセット300万円だ。直撃したら給料から差っ引くからな」と、発進前のブリーフィングで長浜一尉が発した言葉が航の脳裏に点滅する。「演習場の薬莢拾い」に代表される自衛隊の貧乏症は創設以来の悪弊の一つで、これは本来ならば使い捨て同然の仮設目標にまで及んでいる。即ち、「目標はわざと外して狙え。壊すな」というわけで、前述の薬莢拾いの件にしても、かの「スロリアの嵐」作戦時、出撃に際して「戦地で使った薬莢は回収しなくてもいいんでありますか?」と上官に真顔で聞いた普通科隊員がいたとかいなかったとか……

 後席の菅生准尉が声を弾ませた。

『――諏訪内、大丈夫! 目標の生存を確認!』

「…………」

 航もそれを視認し、詰めていた息を吐く。高重力機動から水平に姿勢を回復したジャリアーから、張り詰めた重力の余韻が徐々に消えて行く――

 


 航空護衛艦DCV-102「かつらぎ」への離着艦訓練が始まったのは、硫黄島での展開訓練が始まって三週目の半ばを過ぎた辺りのことであった。


 本来ならば一度本土に戻って日程を仕切り直す筈が、現在スロリア方面で警戒任務中の同型艦 DCV-101「あかぎ」との交代に備えて日本近海で慣熟訓練中の「かつらぎ」を南下させ、硫黄島近海で矢継ぎ早に訓練を行う辺り、上層部たる護衛艦隊司令部を越える統制力を有する「意志」の介在を少なからぬ数の隊員に感じさせた。それはまた、硫黄島に展開以来昼夜なく続いている離発着訓練の舞台が、地上の飛行場から洋上の航空護衛艦に移ったことを表していた。そこで、航は生まれて初めての体験をした――着艦である。



「――菅生さんは、離着艦の経験はどれくらいあるの?」

「――ざっと250回かな……勿論、DDHとカミさんとの回数は入れてないよ」

「――……いや、そっちの着艦(・・)はどうでもいいから」

 諏訪内 航にとっての離着艦訓練は、硫黄島基地の待機室から格納庫へと続く通路を、装具を提げて歩きつつ交わされた会話から始まった。尤も、ジャリアーで硫黄島の空へ飛び上がるようになって、行わなかった日は無かったと言っていい程のタッチアンドゴーの連続の結果、この時点では眼を瞑ってでも硫黄島飛行場の滑走路の、例の空護型に切り取られた区画内で接地し再離陸出来る程に航は腕を上げている。


 駐機場では、翼下に吊るした増槽の他、機首に空中給油用プローブをボルトオンで固定したジャリアーが二人を待っていた。此処から誘導に従って空へ上がり、北へ30分程海上を飛べば、ジャリアーは目指す航空護衛艦――略して空護――を眼下に見出すことになるというわけであった。全長250m、基準排水量19,500トン。その艦首に傾斜12度の発着設備(スキージャンプ)を有した、あの「ひゅうが」型ヘリコプター護衛艦以上にあからさまな「浮かぶ航空基地」。それが「あかぎ」型航空護衛艦二番艦 DCV-102「かつらぎ」である。

 

 DCV-102「かつらぎ」……その姉妹艦「あかぎ」と同じく本来は「空護」として生を享けたフネではない。本来は「ひゅうが」型の拡大改良型として計画され、やはり「ひゅうが」型と同様にヘリコプター搭載護衛艦(DDH)として建造された「あかぎ」型に転機が訪れたのは、「転移」前の北東アジア情勢の悪化が、護衛艦の整備計画にまで影響を及ぼしつつあった段階のことであった。つまりはDDHとして就役して一年も経ない内に行われた改装の結果、「あかぎ」型はその艦首に傾斜構造を増設され、僚艦に対する指揮通信能力もまた強化されるに至る。再就役と同時に艦種変更が為され、海上自衛隊史上初の航空護衛艦(DCV)という種別が付与されたのもまた、この時のことであった。それまで回転翼の持主しか棲息が許されなかった飛行甲板は、名実ともに「海に浮かぶ滑走路」となったのである。

 だが、肝心の「翼」を得る前にそれを日本に供与してくれる筈であった「同盟国」アメリカ合衆国との関係が崩れ、その後に日本は「転移」する。日本と同じく国家、種族単位での「転移」が連続する異世界の混迷の中で、その使い処を失った「あかぎ」型はその棲まわせるべき翼を持たぬまま、以後10年近くに亘り対外支援用の人員、物資輸送専用艦、あるいは洋上に浮かぶ緊急支援拠点として日本以外の転移国家、地域の待つ異世界の外洋を駆け回り、あるいはジャリアーによる艦上運用研究のテストヘッドとして使われることとなったのであった。もし、かの「スロリア紛争」が無ければ、軍艦としての本分から離れた「あかぎ」型が本格的に現役に復帰することはなく、航空自衛隊初の固定翼機運用艦という栄誉ある地位は、改装された「ひゅうが」型か、「あかぎ」型に続く新造DCVのものになっていたかもしれない……

 

 着艦……とはいってもいきなり飛行甲板に接地させるわけではなく、疑似接艦訓練(タッチアンドゴー)からそれは始まる。着艦コースに入ったジャリアーは航行中の「かつらぎ」に向かい着艦姿勢を取りつつ進入し、着艦寸前の状態から再びエンジン出力を上げて上昇、パイロットはこれを繰り返しつつ実践の感覚を養うのだ。「かつらぎ」の艦尾から艦首の傾斜構造までを、人智を越えた速度で一気に駆け抜けて行く感覚――疑似接艦訓練――をある程度経験した後に、「本番」へのゴーサインが出る。

『――ヴァルキリー41、着艦コースに入った(オンコース)着艦フック展開(フックダウン)…自動着艦モード切替完了(ALSクリア)

『――「かつらぎ」了解(ロジャー)着艦誘導レーザー照合(GLオールグリーン)現姿勢を維持せよ(キープユアポジション)

『――「かつらぎ」、これから着艦するのは「童貞(ホワイト)」だ。お手柔らかに頼むぜ?』

『――「かつらぎ」了解(ロジャー)昼食(ランチ)前だから、手早く「ペンダウン」と行きましょうか?』

『――ペンダウン? 何それ?』

『――「筆下し」ってことだよ航ちゃん』


 嘆息……やれやれ、もう少し真剣にやれっての――後席の菅生准尉と、「かつらぎ」艦橋後部の飛行管制室に陣取る飛行長(エアボス)との間で交わされる軽妙な会話に内心で呆れつつ、航は機首を下げて母艦を目指す。ただ、「かつらぎ」の飛行長が声からして若い女性であることに、航は軽い感銘を覚えた。何しろ「かつらぎ」の艦上とその周辺の空は、全て無線機の向こうにいる女性幹部の采配で動いている。この任に就く前は海自の哨戒ヘリパイロットだったという「かつらぎ」飛行長の顔を航が見たのは着艦訓練初日、飛行甲板にあって艦橋の飛行管制室を仰ぎ見た僅かな間だけであった。管制官と会話するサングラス姿の女性の横顔、外界の音を聞くためか常にずらされたヘッドホンの左が航の印象に残った。


 着艦コース進入――フラップ翼と主脚(ギア)を下した愛機は、すでに母艦から発信される着艦誘導レーザーと繋がり、あとは気を落ち着けて飛行甲板へと舞い降りるのみであった。

『――ヴァルキリー41、交信を着艦誘導士官に切替えろ(スイッチマーシャル)

『――ヴァルキリー41、了解(ロジャー)……』

 交信チャンネルを切換え、今度はLSOの声が聞こえた……レーザー誘導装置と自動操縦装置(オートパイロット)が上手く連携(リンク)し、吸い込まれるように飛行甲板へ向かいゆくジャリアー――

『――ヴァルキリー……姿勢そのまま(ステディ)……進入速度が速過ぎる……少し機首を上げて速度を殺せ!』

『――!!?』

 反射的に機首を上げつつ、緑一列に瞬く艦尾着艦姿勢指示レンズを一瞥したのも一瞬、次には右側面から飛び込んでくる「あかぎ」艦橋、そして耐熱アスファルトの敷かれた飛行甲板が眼前一杯に迫って来る。修正に必要な時間も、また修正の操作そのものの必要も、実のところ今の航には無かった。そこに、後席の菅生准尉の声――

『――ヴァルキリー41、艦尾変わった!』

『――!!』

 その瞬間、真空の只中に飛び込んだかのようにジャリアーから全ての音が消えたかのように航には思われた。続いて、下から突き上げてくるかのような烈しい衝撃が機体を打つ。着艦フックがワイヤーを捉え、手順通り全開にされたエンジンに推されて飛行甲板上を滑走しかけた機体をその剛力を以て引き留めたのだ。ただその際の接地の衝撃が思いの他烈しく、航は誘導に従って艦首までジャリアーを滑走させるその間、その鼻の中に充満するきな臭い感触を持て余すこととなった――それが、諏訪内 航のほろ苦くも強烈な「初体験」の一部始終であった。

「…………」

 エンジンを絞り気味に、係止場所に機首を向けた時、不意に、酸素マスクの下で鼻の奥から生温い何かが垂れだすのを航は覚えた。鼻血だ……という直感は、当たっていた。



 「初体験」の手解きをしてくれた飛行長(エアボス)と、直に顔を合わせる機会は意外と早く廻って来た。午後の飛行に備えて食堂に向かう途上、艦橋後部方向から歩いてくる一人の幹部と、二人は行き合ったのである。

「…………」

 通路の隅に拠り、行き過ぎるのを待つ間、航は幹部の姿に目を奪われた。長身の女性幹部、フライトスーツの上にくたびれたフライトジャケットを羽織ったその姿は、これからちょっと飛行にでも出ようかというぐらいに軽妙で若々しい、だが年季を重ねた飛行士特有の気迫が、こうして見守っているだけでも伝わって来る。照明を受けてぎらつくサングラスが、「転移」により今では入手困難な外国製であることに、航は気付いた。美しい……というよりカッコイイと形容したくなるタイプの女性――


「…………?」

 航が驚いたことには、そのサングラスが自分の方を向いた。吹けば飛ぶような「操縦学生」の航を――否、サングラスの視線はそのまま傍らの菅生准尉に向かい、そこで女性幹部は形のいい口を笑わせた。歯並びは航が艟目する程良かった。彼女の様に歯並びのいい女性が、航は好みだった。

「誰かと思えば……珍しい顔じゃない」

「お久しぶりです。機長」

 恐縮と脱力の入り混じった菅生准尉の態度に、航は二人が旧知の間柄であることを悟った。菅生准尉のフライトスーツ姿まじまじと見つめ、女性幹部は顔をさらに綻ばせる。

「艦上機のバックシーターなんて、うまいポジ掴んだわねぇ。定着できるよう頑張りなさいよ。ああそうそう……」

「…………?」

「……上陸したらちゃんと綾ちゃんとセックスしてやってる? あの子はウサギみたいなもんだから、ちゃんと構ってやらないと死んじゃうわよ? それに男子たるもの、いざって時のためにせっせと子孫を残しとかなきゃあね」

「怖いこと言わないで下さいよ!」

 女性幹部は笑った。女性的な慎ましさを何処かに棄てて来たかのような豪快な笑い方に、この女性幹部もまた、かつては優秀なパイロットであったことを航は知る。同時に女性幹部の好奇の目が航に向き、そして彼女は首を傾げるようにした。

「この子は?」

「諏訪内空曹長であります!」

 背を正し敬礼した航を、女性幹部は興味深げに見詰めた。

「諏訪内……ひょっとして、本省の諏訪内将補の息子さん?」

「はいっ!……自分の……父です」

 航はさり気なく女性幹部から眼を逸らし、少し言葉を曇らせた。それを知ってか知らずか、女性幹部は声を弾ませる。

「ああやっぱり!……あの人には館山では世話になったのよね。ひょっとして、君も『かつらぎ』に乗るの?」

「この分だと……そうなりそうです」

 不意に女性の態度が改まり、彼女は航に敬礼する。

「空護『かつらぎ』飛行長の谷水三佐です。宜しくね」

「…………!」

 慌てて答礼したとき、航は谷水三佐の胸に輝くものを見出した。菅生准尉の胸も飾っている、あの「スロリア従軍記念章」――

「借金以外に困ったことがあったら、私に何でも言ってね。借金の方は菅生君に頼むといいから」

「機長ぉ!」

 唖然とする菅生准尉の肩をパンパンと叩くと、谷水三佐は再び歩き出した。完全に彼女の後姿が消えるまで見送ったところで、菅生准尉は言った。

「すごいよなぁ……SH隊の一匹狼(マーヴェリック)と呼ばれた人が、今や艦長の次に偉い飛行長(エアボス)だからなぁ……腕は立つけど、行儀が悪くて佐官になる前に絶対海自から放り出されるって噂されてたのに……」

「昔……同じ部隊だったの?」

「同じ部隊どころか、同じヘリのペアだったんだぜ。今でも目に浮かぶよ……ロメオの潜水艦(ガーフィッシュ)を二隻も沈めてやったあの時のこと」

「ガーフィッシュ?」

「そうか……航は空自だから海のことあんま知らないんだよな。海自(うち)じゃ連中の潜水艦のことを、ガーフィッシュって言うんだ。隠語みたいなものさ。ちなみに海自(うち)の隠語ではこの『かつらぎ』のことをミサト、姉妹艦の「あかぎ」のことをリツコと呼ぶ。つまり航はミサトさんで無事『童貞卒業(ペンダウン)』を果たしたってわけだ」

「ふうん……じゃあこれから覚えて行く時間は幾らでもあるだろうな」

 二人は互いに顔を見合わせ、そして笑った。



 食堂――


 鼻に詰め物をして昼食の配膳を受ける列に並ぶというのは妙な感覚だと、航は思った。「かつらぎ」の曹士専用食堂はその艦容に比例するかのように広く、下手をすれば硫黄島基地の曹士食堂を越える広さと清潔さとを有しているように航には見えた。クリームコロッケとホイコーローとワカメの澄まし汁という献立、これにデザートの八朔が付く、航たちの様な航空機搭乗員の場合、前記に加えてさらに特別栄養補助食としてヨーグルトと牛乳が渡される……献立を盛った盆を手に二人が席に向かった時には、食堂の席は先着の乗員たちであらかた埋まってしまっていた。

 

「おれの知ってる限りで、着艦して鼻血なんて流した奴なんて、航ぐらいだよ」

 と、菅生准尉などは面白がっている。盆を抱えて食堂を一巡した末、漸く見出せた席に付きつつ、菅生准尉は言った。

「でも……これで壁を一つ越えたな」

「そうかな……」

「まあ、今のところは自覚は無いかもしれないが、もうしばらく此処で過ごせば、むしろ地べたの上に降りることの方が難しく感じる様になる」

「そうか……おれ、此処で暮らすんだったな」

「そう、勤務するというより、暮らすと考えた方がいい。だいいち護衛艦も法律上は日本国の領土の一部だ。聞いたことも無いような名前の外国で勤務するってわけじゃない。それに……」

「それに?」

「この世界で最強の艦隊に、正面切って喧嘩を売ろうなんて馬鹿はいないよ。三年前まではいたみたいだけど」

 航は思わず噴き出した。少なくともこの艦に身を置いている限りでは安全だ、ということでもある。

「そうだね……安全な上にメシも無料(ただ)で食わせてくれるし……」

 航の冗談に付き合うように笑い、菅生准尉は話題を変えた。

「航は、何時幹部になるんだ? 少なくともまだ学生の身分なんだろ?」

「多分……この艦の航海が終わって、もう暫く経ってからじゃないかな……まず幹部候補生学校に行かないといけないし」

「じゃあおれも同じだ。今回の航海(クルーズ)が終わったら江田島に戻ることになってる。晴れて幹候の仲間入りさ」

「それはよかった……菅生さんとずっと同じ場所でメシが食えそうで」


『――ニュースです。キナレ‐ルラ号事件に関したった今新しい情報が入りました。キナレ-ルラ号の日本人乗客四名の内一名、実藤 賢治さんの死亡が確認されました。繰り返します。『新世界清浄化同盟』を名乗る武装集団にシージャックされたキナレ‐ルラ号において、初めて日本人乗客、実藤 賢治さんの死亡が確認されました』

「…………」

 食堂据え付けのテレビの画面、それまでただ野放図なまでにファッションや芸能に関する放送を流していた昼のワイドショーが、それまでの流れを断ち切るかのように改まった表情の司会者と専門家の顔を前面に立て、現地情勢の解説に入っていた。訓練と同時並行するかのように日本から東に5000㎞の海上を隔てた地で起こった豪華客船乗っ取り事件。当初は途絶えて久しい海賊事案の再来かと思われたが、犯行グループの政治的背景が明らかになるにつれて、それは次第に多国間の問題に発展しつつある……ただ、この時点ではその影響がこの艦に、どのような形でもたらされるのか、航を始め乗員の多くが未だ知る術を持たなかった。



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