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終章  「First Mission」 (2)



都市国家ルジニア基準表示時刻12月17日 午後9時23分 首都ルジニア ルジス中央港第115埠頭 通称「離別の桟橋」



 車列は港の敷地に入ったところで複数の群に別れ、蚕棚のような仮設の倉庫の建ち並ぶ区画に入った。速度を落とした群は個々に、予め決められていたかのような精緻さを以て区画を囲むような位置で停まり。ヘッドライトを一斉に切った。ローリダ共和国国防軍の、歩兵用標準装備たる六輪機動戦闘車の一群。だがその荷台に標された徽章と名称は、それが「ルガル」こと、共和国内務省保安局の所属である事を示していた。


「総員、下車」

 囁くような命令は、その声の低さに比して確実に、そして素早く伝播する。一切の光の消えた夜の静寂と緊張とが、男達の聴覚を過敏なまでに砥ぎ上げていた。機動戦闘車の荷台を飛び降りる硬い靴音に銃器の触れ合う金属音が重なる。夜の港に駆け出した男達は、そのまま夜霧の支配する埠頭へと駆け出し、取り込まれるようにして消えていった。一団は路の半ばで複数の群に別れ、異なる方向から丘の街へと入り、その姿を消した。全員が仮面、従って彼らに個性など見出せ様も無い。


 微かに音楽の聞こえる倉庫があった。笛の音と太鼓の音が重なる、狂騒すら覚えさせる旋律。灯りの消えた家々の犇めく丘を、一列になって登り切った侵入者達が、吸い込まれるようにして倉庫の中に踏み入ったのはその音色故ではない。それが運命付けされていたかのように男達は倉庫の奥まで進み、薄暗い廊下を小走りに駆けた。突き当たりに差し掛かったところで列の先頭を行く男が拳を上げる。隊列が止まり、先頭の男は得物の短機関銃を構え直し、背を屈めて突き当たり側の対面に背を預ける様にした。後に続くもう二人が先頭の男に倣い、彼を援護する態勢を取った。

「―――――!」

「―――――!?」

 最初の敵の出現は唐突だった。隠し口から出、千鳥足で帰路に就こうとしていた二人が、突き当たりに現れた闖入者の存在に気付いた時には、すでに彼らの運命は決まっていた。短機関銃の引鉄が即座に引かれる。百雷の如き発砲音の次、男が引鉄に触れる指を切った直後には為す術もなく斃された死体が二つ――廊下の続く先、行き止まりの壁の向こうで旋律の流れが途切れた。

「対戦車砲、前へ!」

 もはや全てを静穏の内に運ぶ望みは潰えたが、それは彼らの任務の失敗を意味するものではなかった。先頭の男の声に反応し、歩兵用対戦車砲を構えた一人が進み出る。同時に、彼と先頭の男以外の要員が突き当たりの奥まで下がる。発射時の反動を解消するバックブラストに巻き込まれないための対処だった。砲手の傍に付いた男が彼の肩を軽く叩いた。

「―――――!!」

 飛び出した鉄の火矢が暗い廊下を烈しく照らし出した。白煙を以て歪な軌道を描く弾体。それは炸裂音と振動と共に壁を砕き、廊下に充満する白煙と炎、そして火薬の臭いが却って隊列に前進を促す形となった。破られた壁の向こうは明るく、空間として相当の広さを感じさせたが、その明りは即座に消えた。

「走れ!」

 先頭の男が叫び、短機関銃を乱射しつつ彼も駆け出した。複数の曳光弾が壁の向こうに舞い散り、港の深奥を禍々しく彩る。機銃を撃ちつつ走り続け、砕けた壁に達するや、男は再び叫んだ。

「手榴弾!」

 硝煙舞う、視界の定かではない空間へ向かい手榴弾が石礫の様に投げ込まれる。広い闇の中で炸裂音と発光が各所で生じ、悲鳴と絶叫がそれに続く。

「対戦車砲はここで援護せよ。それ以外は突入だ!」

 男の命令は絶対であったし、何よりも部下に信頼されていた。砲手と装填手を通路側に残し、空間に突入した全員が侵入口の左右に散って掃射を続ける。その向こうに広がる闇より、突発的に瞬く応戦の閃光、侵入を果たした味方の影が数名それを前に倒れ、反射的に全員が膝を付き、あるいは身を伏せて短機関銃を撃ち敵に対処する。彼らの援護の下、最後に侵入を果たした分隊支援機関銃が殲滅の閃光を吐き出し、短機関銃よりも弾量の多く、そして重い弾幕は空間を二回蹂躙し抵抗者達を怯ませた。駄目押しの対戦車砲が再び咆哮し、放たれた火矢は抵抗者達をその遮蔽物ごと吹き飛ばし、そして焼き尽くした。

「進め!」

 抵抗が止んだのを察し、短機関銃を構えつつ男が手を振って前進を促す。制圧射撃の過程で空間の各所に生じた炎が、侵入者たちの闇に慣れた眼に、適度な明るさと暖かさを以て空間を把握する視界を与えていた。


 前進の途上、何かに躓きかけた一人が足元を見遣る。転がる酒瓶の傍ら、逃げ遅れ、顔の半分を吹き飛ばされた踊り子の変わり果てた姿……

「…………」

 短機関銃を構え直し、彼は進む。気が付けば彼と仲間たちは広大な空間の半ばを行き過ぎ、カウンターと思しき区域へと踏み込もうとしていた。弾痕に抉られ、荒々しく飾り立てられた酒場の中心……一人の亜人が上半身を縦横に撃ち抜かれてその傍に倒れているのを見る。それに気を取られている間、彼らはカウンターの向こう側に息を潜める影に気付かなかった。不意に影が立ち上がり、侵入者に彼の得物を付き付ける。

「…………!?」

 発砲音は一発。だがカウンターの陰から立ち上がり、侵入者に散弾銃を向けた老人のものではなかった。奇襲への戦慄から一転、反撃の一発を放った影を男達は見遣る。その侵入から制圧まで、始終指導的な役割を果たした彼、その彼の手に握られた拳銃。そして拳銃の一発は、反撃を試みた老人の肩を正確に貫通していた。

「…………」

 崩れ落ちる様に倒れた老人を、歩み寄った男は冷厳なまでの眼で見下ろすようにする。口元から血の泡を滲ませた老人が、絞り出すように声を上げた。

「……ローリダ人め……ルジニアはお前たちの思い通りにはならんぞ……!」

「…………」

 顔を覆うマスクに手を掛け、男はそれを剥いだ。その裏に在ったものを見た老人の眼が歪み、そして大きく見開かれる――

「…………!?」

 浅黒い肌、肩まで伸び、幾重にも編み上げられた黒髪、黒い眼に厚ぼったい唇を持ったローリダ人など老人の記憶には存在しない。そして彼を撃った男は若かった。侵略者に抵抗して死んだ自分の孫が生きていれば、未だこれぐらいの年であったろう……それ故に生れた困惑を、死を前にした沈黙の内に辛うじて越えた後、老人は再び声を絞り出した。

「……ローリダの犬か……哀れな事だ。狩る物の無くなった野に、犬は必要ないというのに」

 軽い発砲音――拳銃の一発が青年の答えであり、弾丸は老人の眉間を正確に貫いた。背後の柱を朱に染め、生気の失われた目もそのままに倒れ込む老人の骸――

「ダキ隊長、酒場は完全に制圧しました。この場で生きている叛徒は一人もおりません」

 傍らに寄った部下が報告する。ダキと呼ばれた青年は無言のまま頷き、部下の一人を指先で呼び寄せる。軍用の無線通信機を背負った部下が、即座に駆け寄って来た。通信機から送受話器を取り上げ、機械の様な、感情の消えた声で告げる。

「――こちらダキ。酒場は掃討した」

『ご苦労……存外早いな。大したものだ』

 雑音混じりだったが、無線機は若い男の声を青年の耳元に明確に届けてくれる。同時に、何処かから銃声や爆発音が、軽い振動を伴って彼らの所在する場にまで伝わって来た。青年たちと同じく叛乱勢力を包囲し、青年たちと期を同じくして彼らとの交戦に入った友軍の気配――受話器の向こうで、若い声が微かに笑うのをダキは感じた。

「――他の持ち場はどうなっている?」

『依然二ヶ所で掃討中だ。お前の位置からは第四倉庫が近い。一分隊ほど応援を寄越してくれるか?』

「…………」

 無言のまま、ダキはカウンターからさらに奥、今やさらなる追撃に備えた部下の陣取るところとなったドアを見遣った。裏口であることが一目でわかる程に簡素な作りの戸、そして位置的にはそこからが当の第四倉庫に近い……あるいは直に繋がる通路なのかもしれない。

「……相変わらず、人使いが粗い」

 青年の言葉に、受話器の向こうの空気が嗤った。

『……信用に値する異種族はお前しかいないのでな。ダキ』

「……俺への過度な依存は高く付くぞ。オイシール‐ネスラス」

『フッ……』

 それで通信は終わった。受話器を通信員に預け、青年は新たな指示を待つ部下たちに向き直る。

「デルカの分隊と機銃手はこのまま俺に続け。アフダス、ガマラの分隊は此処に残って防備を固めろ。では前進だ!」

「ハッ!」

 明快な返事を背に、ダキは大股で歩き出した。第四倉庫へと繋がるであろうドアへと向かいながら、ダキは短機関銃の弾倉を交換する。部下が裏口を蹴破り、前進を先導する。戸の先には、鉄製の階段がまだ見ぬ奥へと続いていた。

『二名先に行け。残りは二名の前進を援護』

 無言、そして手信号の命令――だがそれが即座に伝わる程、分隊と彼らの長は相互を知り抜いている。二名が短機関銃を構えつつ階段を駆け上り、そして階上の安全を確保した。ダキを始め残りが彼らに続いて階段を上る。容易に第四倉庫へと達するであろうという最初の予想は、どちらかと言えば外れた。

「…………」

 階段を登り切った先、踊り場の突き当たりに部屋があり、部屋の中には机と簡易な寝台が置かれている。だが人影はない。それでもこの日の、つい先刻まで此処が誰かの生活の場であった事はダキには部屋の空気で判った。より正確に言えば、ダキはこの部屋に「女」の匂いを嗅いだ。

「…………」

 口元が湾刀のように曲がり、微妙な笑みの間から白い犬歯が覗いた。匂いを嗅ぎ取るだけではなく、研ぎ澄まされた感覚から、おぼろげながらもその動いた先を探ることも彼の特技の一つであった。あるいはこれまでの人生でそうするよう強いられた経験が、彼の場合他者に比して特に多きに亘ったに過ぎないのかもしれなかったが……

「此処から行けば、屋根伝いに第四倉庫へ入れるな」

「では隊長……?」

「行くぞ」

 これ以上は多くを語らず、ダキは窓から身を乗り出し、隣接する倉庫の屋根に躊躇うことなく飛び移った。全体重を掛けるやトタン張りの屋根が撓み、ともすれば屋根が抜け脚を取られるのではないかという類の覚束なさを感じる。それでもダキは逡巡する部下達を顧みることもせず只管に走り続けた。走る内、短機関銃の連射音、あるいは手榴弾の炸裂音までが、手を延ばせばそれらを掴み取りできそうなまでに彼の耳許に迫って来ていた。だが怖いとは思わなかった。恐怖なぞ、これまでの彼の人生で通過した血と硝煙に塗れた何処かに、とうの昔に置き忘れて来ている。屋内で繰り広げられている破壊と殺戮の所在を示す光を反射して輝く天窓、その縁でダキは両手を付き、目を細めて屋内を伺う。遅れて追及して来た部下に手榴弾の用意をさせ、彼もまた安全ピンを抜いた手榴弾を握りしめた。

「……このすぐ下だ。あれを潰せば今日の仕事は終わる」



 第四倉庫まで逃れ、追撃者に応戦しつつ脱出のタイミングを図っていた独立派の闘士たちにとって、終りは彼らの望まぬ形で、それも唐突に訪れた。前方への応戦に傾注していたが故に疎かになっていた上方への備え。それは天窓を破り彼らの足元に投げ込まれた無数の手榴弾という形で破局を迎える。生き残りの内半分が爆風の連鎖と飛散する破片に斃れ、残余の者もまた抵抗する力を失った。そこに加わった現地駐留軍の「増援」――



 ――それから一時間。「掃討」は尚も続いている。


 他隊が取り逃がした独立派の数が存外に多く、彼らは港の全域に分散してしまっている。今回の作戦の指揮を執った共和国内務省保安局(ルガル)が、その幾下戦力を振り分けて街から港へ通じる出入り口をすべて封鎖したのには先見の明があったと言える。それでも、この夜急に降り出した雨は時を経るにつれて勢いを増し、港一帯の視界に無形の(ヴェール)を下ろしつつあった。叛徒どもにとっては「天祐」と言うべきか……


 残敵の捜索と掃討を健在な部下に任せ、ダキが空き倉庫を占有した臨時指揮所に入った時には、すでに先客が彼の指定席である筈の仮設ソファーに全身を横たえていた。丈の高い痩身を覆う黒い軍用コートと灰色の制服――共和国陸軍と空軍の緑、共和国海軍の青に属さない灰色の軍服の主。それも、此処では地位的にも種族的にもダキよりもずっと上位と見做される「ローリダ人」であることは、白皙の頬と豊かな金髪、蒼い瞳からも判る。


 若く、美しいローリダの青年であった。年齢的には異種族にあたるダキとほぼ同年であろうが、左目全体を覆う黒い眼帯と、寛いでいる様に見えてもなお全身から発散され続ける硬質の空気が、対する異種族の傭兵と同じく年齢に不相応の威厳を漂わせている。そして、この青年の周囲を侍従にように取り巻く分厚い灰色の制服と筋肉の壁が、彼の属する組織における彼自身の地位を、この狭い空間の中で無言の内に宣言してしまっている。

「無礼だろう傭兵、敬礼しないか」

 ローリダの青年を凝視したまま、無言で立ち尽くすダキに対する苛立ちを隠さない部下。それを遮る様に青年の手が上がった。

「こいつはいい」

「…………」

 押し黙る部下、相変わらず無言のまま眼帯の青年を観察する素振りを見せるダキ……そのソファーの青年はダキには目もくれず、テーブルに無造作に盛られた押収品のひとつを、興味深げに弄び続けていた。

「ニホンのカメラだ……妻が欲しがっていてね」

「そいつはそのままでは使えないぞ。専用の印刷機がいる」

「印刷機は(うち)にあるんだ」

 そのとき、青年は初めてダキを見上げ、そして微笑みかけた。どう見ても支配種族の取るべき下等種族に対する態度ではなく、長年の親友にでも会ったかのようなそれであった。ソファーから身を起こし、青年は共に外へ出るようダキに促す。戸を開けた途端、瀑布の如く指揮所の外に響き渡る雨音――軒下に立ち、ローリダの幹部は胸から吸い口の切れた煙草を取り出し、一本をダキに勧めた。自身も煙草を咥え、銀細工入りのライターで火を点けようと試みる。

「…………」

 オイルを切らしたのか、一向に火が付かないライターに眉を潜めるのと、唐突に横合いから差し出されたライターの火に、眼を見開くのと同時。既に火の点いた煙草を咥えたダキが、安物のライターを差し出したまま顎を杓って見せた。

 一服――癒された様な、蕩けた眼で紫煙を吐き、青年幹部は言った。

「報告を聞こうか……」

「主だった奴は全員捕えたか殺した。だが……」

「だが……?」

「もう一人、女がいる筈だ。まだ遠くまで逃げてはいないだろう」

「逃走者に関しては『大使館』が対処する。彼らが蟻一匹この港から逃さぬことを祈るしかない」

「ルガルがやらないのか?」

「衛星国の内政、治安に関しては大使館の領分だ。内務省(われわれ)は此処では彼らの要請に従ってでしか動けぬ。ルジニアが衛星国ではなく植民地ならば話は早いが……」

「当てになるのか?」

「大使と話をした限りでは、どうだかな……」

 呆れたようにローリダの青年は言った。失望を通り越し、その話の相手を心から軽蔑しているかのような口振りであった。

ダキは言った。

「捕まえられればいいがな……恐らくはそいつが敵の総元締めだ。奴らの背後……否、後援者を洗えるかもしれない」

「ニホンか……?」

 ダキは頷いた。その瞬間、二人の顔からは同時に余裕の色が消えている。烈しい雨音に交じり、トラックのエンジン音が聞こえて来た。二つの眩いライトが軍用トラックの巨体を引き摺り、それは二人の前で、水溜りを跳ね上げて停まる。確保した叛徒を外へ連れ出した突入部隊の隊員が、時折虜囚を怒鳴り、あるいは銃床や鉄棒で殴り付けつつ、トラックの荷台への移乗を急き立てていた。荷台の前で列を作る彼らは例外なく項垂れ、手首足首に枷を嵌められ、顔に暴行の痕がある。中には鼻が折れたのかシャツを染め上げる程に鼻血を垂れ流し続ける者、あるいは片目が完全に潰れている者もいる。無残な虜囚の列を平然と見遣りつつ、ローリダの青年は言った。

「それについては彼らに聞くさ……彼らの(からだ)に、な。まあ、ダキの勘は正しかろう。最善は尽くさせる」

「重ねて忠告しておく、女を捕まえろ。お前たちがやらないというのなら……」

「……残念ながら、お前たちのルジニア逗留は今日で終わりだ」

「…………?」

「南ランテア社から、お前たちを返せと言って来ている。夜が明けない内に母船に戻れ。お前たちが戻り次第出港するそうだ。私もそれ程日を隔てずして此処を離れることになるだろう……そしてこの港には、我々が存在したいかなる痕跡も残らない」

「スロリアか……?」

 青年は頷いた。

「ノドコールの件もあるが、お前たちの異動は内務省の意向でもある。叛徒どもの駆除にお前たち傭兵、それも下等種族の手を借りているとあっては、天下の共和国内務省保安局(ルガル)もアダロネスに顔向けできぬということらしい……私としてはもう少し、お前たちを手元に置いて、色々と手伝ってもらいたかったのだが……」

「ネスラス、無理をしたな……馬鹿め」

「お互いにな……」

 ネスラスと名を呼ばれ、青年はダキを見返すようにした。

「内務省も多忙なのだよ。特に植民地の鼠共が東の蛮族の威に(すが)り、分不相応な望みを抱いて共和国の天井裏を駆け回る今となっては……ところでダキ」

「何だ? ネスラス」

 滝の様に雨を降り注ぐ黒雲の海。無心にそれを見上げ、ローリダ共和国内務省保安局大尉 オイシール‐ネスラス‐ハズラントスは言った。

「この忌々しい雨……セミル島を思い出すな」

「思い出したくもないな……」

 軒下から漆黒の天を見上げる二人……ネスラスは至福に身を委ねたかのように目を細め、ダキは眉を怒らせて空を見遣る――だが、彼らの雨に抱く感慨は、期せずして共通の過去の記憶に行き当たっていた。

「……嵐が、来る」

 二人の顔を不意に照らし、雲海を貫く落雷がひとつ――




スロリア亜大陸基準表示時刻12月18日 午前12時19分 スロリア亜大陸南西海域



 ――落雷は漆黒の雲海を裂き、天と海の境目すら掴めぬ闇の何処かに達する。その烈しい光は動揺しきりのキャビンを不吉に照らし出した。雷鳴は風雨に掻き消されて聞こえなかった。漆黒を支配する暴風と豪雨、その下で荒れ狂う海原が、そのすぐ上空に居合わせた人間たちから五感の全てを奪っていた。


『――こちら01(ゼロワン)レーダーに目標を確認(タイドオンスコープ)接触(コンタクト)まであと5分』

『――アークエンジェル了解(ロジャー)電波妨害(ジャミング)は万全だ。目標、対電波妨害手段(ECCM)発動の兆候なし。問題ない。このまま接近しろ』

『――01了解(ロジャー)……それにしても、酷い荒れ具合だ』


 SH-60Kは、この教本通りの悪天候にあっても依然安定とした飛行姿勢を保ってはいたが、それが戦術航法システムと飛行制御プログラムに負う点が大きい事は、冷や汗と共に操縦桿を握る操縦士が最も理解しているところであった。護衛艦DD-110「たかなみ」を発艦した二機のSH-60K哨戒ヘリコプターは、その30分後には比高10mにまで高度を下げ、あとは対水上レーダーと目標の発する電波信号の導きに従い、荒れ狂う海上を這う様に飛び続けていた。


『――機長より各員へ。接触(コンタクト)まであと3分』

 搭載レーダーが刻々と変化する波の動きを拾い、それに合わせる様にして機体が上下する。高波の壁を乗り越え、あるいは壁の間を縫う様に飛び続ける二機、時折危険高度警報が作動し不快な電子音がキャビンに満ちるが、キャビンに身を預けている誰もが、外の光景は固よりヘリの様子には無関心であるようだった。まるで液晶画面の向こうに押し込めた空想世界の様子を、缶ビール片手に無心に眺め続けているかのような――その静寂は、不意にドアをスライドさせた航空士によって破られた。

 狭いキャビンに飛び込んでくる強烈な風、雨、そして潮の臭い。眼下で躍動する波浪の大陸。それらの満ちる外界に投げ付けられた煙草の燃え差し――煙草を投げ捨てた鷲津 克己二等陸尉が、忌々しげに言った。

「何がスロリア行きだ。あの狸め……思いっきり行き過ぎてるじゃねえか」

「準備運動がてら、ちょっと寄り道して来いってことでしょうよ?」

 と、ヤクローがキャップを逆に被り直し、H&K MP7短機関銃の槓桿(こうかん)を引く。呆れたように顔を顰め、鷲津は言った。

「それにしては運動日和じぇねえなぁ……見ろあれを」

 と、顎をしゃくる。その先の波浪に満ちた大海の只中で、航行灯を瞬かせ荒波に翻弄される舟影が(ひと)つ――トウジ、ケンシン、ブレイドの三人の、其々(それぞれ)に趣きの異なる顔から余裕が消えるのを俊二は見た。

「何だ? ブルってんのか。新入り(ルーキー)

 と誰かが俊二に言った。ケンシンだった。嫌味を言う時も無表情な美少年の顔……敵愾心溢れる少年の瞳は、二人が最初に眼を合わせた時から相変わらずに変わってはいなかった。

「いや……」

 眼を逸らし、俊二は89式カービンの槓桿を引く。25発入り弾倉のスプリングが室内戦闘専用の5.56㎜NATO減装弾の一発目をカービンの機関部に送り込むのを掌中に感じる。その間も2機のSHは目標へじりじりと距離を詰めていた。


「機長、目標はあいつで間違いないか?」

『――誘導電波の強度及び符牒も符合している……問題無い』


 鷲津二尉とパイロットとの遣り取りをまた聞きしつつ、俊二はカービン銃のホロサイトを覗き、軽量ヘルメット及びタクティカルベストに装着された敵味方識別用の小型ビーコンとIRマーカーが作動しているか念入りに確認する。骨伝導式(DB)イヤホンとマイクの調整、軽量ヘルメットに装着された高感度小型(CCD)カメラの起動も忘れなかった。陸海空を踏破するあらゆる技術を習得し、最新鋭の防護服と電子装備に全身を包まれた現代の忍者たる彼ら。恐らくはこの異世界で最強の人型戦闘マシーンたる彼ら――陸上自衛隊(JGSDF) 特殊作戦群(SFGp)


『――接触(コンタクト)! 何時でも進入可能だ。突入のタイミングは任せる!』

 機長の声がキャビンに響いた。キャビンの床に腹這いになった航空士が外へ頭だけを乗り出し、機長に機が船の直上に達した事、そして高度を落とす必要がある事を告げる。黒い海原を割って進む巨船、マストやクレーンの先端から瞬く航海灯に照らし出された全容は、この世界の先進文明圏ではごく有触れた貨物船のそれであった。降りられるのかどうかは彼らにとっては問題ではなかった。降りる以外の選択肢は彼らには無かった。


『――国籍不明船に告ぐ。こちらは日本海上自衛隊である。ただちに停船せよ! 貴船のあらゆる通信及び捜索手段はこれを遮断した。ただちに停船し臨検に応じることを要求する!』

 俊二達から距離を置き、別方向から目標の船に接近したもう一機が、拡声器で眼下の船に呼び掛ける。制圧部隊たる俊二達特戦群一個分隊を乗せた一機、7.62㎜ミニガンとM2 12.7㎜機銃で武装した火力支援用のもう一機。だが退路を塞がれてもなお、船は前進を止めず、呼び掛けの直後に航海灯の全てが消えた。それが船の返答だった。

「機長! 船首に付けてくれ。各員暗視装置(NVG)用意!」

 鷲津二尉の命令に、各員は一斉に暗視装置を起動させた。軽量ヘルメットの上部にマウントで着装された円筒形の暗視鏡。視界は狭くなるが、一度起動すればそれは微かな光の揺らぎを感知して増幅し、明瞭な像を扱う者に与える事が出来る。


「高良二曹! 俺と一緒に来い」

 鷲津二尉が叫ぶや。航空士の手によって下ろされていたファストロープに跨り、滑らかなロープ裁きで外へ飛び出した。俊二もそれに続くのに躊躇は無かった。パラシュート降下以上にやり込んだリベリング。配属された最初の部隊でもやり込んだし。スロリア戦でも散々にやった。それに続くレンジャー部隊、空挺団でも……それらの記憶に自らを奮い立たせつつ俊二はファストロープを滑り降りる。先に降下していた鷲津二尉の左、俊二は中腰の姿勢で据銃し周囲を確認した。

(ライト)クリア!』

(レフト)クリア!」

 先に前へ出た鷲津が手振りで付いてくるよう俊二に促した。据銃を解かずに俊二は小走りで続行する。暗視装置の丸い視界の中、先行する鷲津二尉の背中と頭で点滅する赤外線の光――ビーコンの発する不可視の光は上空で待つヘリからもはっきりと見えている筈だ。それ以外の光を、俊二は暗視鏡の緑のヴェールの中で見出すことはできなかった。波涛のみが蠢く暗黒の世界、その只中に忽然と現れた鉄の島たる「グリュエトラルⅡ」……自身に続き続々と降下を果たした同僚の気配を背中に感じつつ、俊二は上下左右に揺れる鉄の大地を小走りに駆け続けた。

 影となった船橋の一角で光が生じ、断続的な銃声が響き渡った。反射的にコンテナの陰に隠れ、俊二は89式カービンの銃身を船橋に向けた。聞き覚えのある、言い換えれば懐かしい「ロメオ‐チャーリー」ことローリダ共和国国防軍の分隊支援機関銃の野太い発射音だった。


『――接敵(エンゲージ)! SH、こちらは攻撃を受けている。船橋(ブリッジ)に陣取る機銃手が見えるか?』

『――こちらSH、船からの発砲を視認した。但し正確な位置確認は不能。そちらから目標を指示できるか?』

『――指示するまでもない。船橋全部を掃射しろ! こちらはそれに合わせて前進する』

『――SH、了解した(ロジャー)!』

 ローター音と風圧の高まりを全身で感じる。火力支援用の哨戒ヘリ(SH)が、甲板から手を延ばせば届きそうな低空にまで高度を落とし、そこで船橋へ向けて一斉に発砲した。7.62 ㎜ミニガンとM2 12.7㎜機銃の連射……否、乱射に「グリュエトラルⅡ」の白い船橋が火花を散らしつつ抉られ、穴を穿たれていく。ガラスが割れる音、誰かが叫ぶ声を俊二は同時に聞く。

『――全員、前へ!』

 静寂と闇、横殴りの風雨、揺れる甲板など、鷲津二尉の俊脚の前では関係がないように俊二には思われた。あたかもこの世界の支配者であるかのような軽やかな走り。俊二はと言えば水や油、甲板の揺れに脚を取られそうになりながら息を切らしつつ彼に続く。そうして達した船橋の最上階たる操舵室、鷲津二尉は開きかけたドアのノブを引き、そこに生じた入口に身体を捻じ込む様に、俊二は銃を構えて駆け込んだ。無数の死体の気配のみが、暗視ゴーグルの緑の視界の中で俊二を迎えた。

「クリア!」

 据銃した俊二の肩を叩き、鷲津が俊二に入れ替わる様により一歩先を進む。歩を進める内、ヌルリとした何かをタクティカルブーツの爪先に感じる。それを無視して俊二は進む。SHからの制圧射撃に蹂躙され、その機能のことごとくを喪失した部屋。弾幕に切り刻まれ原形を留めぬ死体。床を流れる血の河、部屋の壁や天井に飛び散った血糊や肉片――そのとき、反対側のドアからエントリーして来た影を見る。こちらと同じく、頭と背中にIRマーカーを点滅させた友軍の影が複数。

『――本丸は下層だな』

『――では……』

『――ヤクローの隊は制御区画へ行け。こちらは船倉に向かう』

『――了解』

 鷲津が自分に追及する様、手振りで命じた。そのとき俊二に身を寄せ、鷲津は囁く様に言った。

『――離れるなよ』

「了解!」

 眼を掛けられているのか、あるいは厄介者と思われているのか、鷲津の言葉からは判然としかねる俊二であった。



 ルジニアの「現地協力者」からの情報によれば、「グリュエトラルⅡ」はその構造上、船橋から出ずとも機関室や船倉のある下層に出られる事が判っている。だが下層に繋がる階段は他の通路や部屋と厳重に区分けされ、階段に達するにはその区画――要するに部屋――を制圧する必要があった。上甲板と違い煌々とした明りの灯る区画に達するや、鷲津の隊は階段に通じるドアの両脇に立つ。反対側に立つ俊二を指差し、鷲津は言った。

『これより突入する。高良、先頭をやれ』

「了解」

 俊二は応じた。閉所の戦闘を予期し得物を89式カービンからUSP自動拳銃に持ち替える。俊二の用意が出来たのを見届け、鷲津は背部から別の得物を抜き出した。斜め上からドアノブに向けられた散弾銃(マスターキー)の銃口。それは即座に火を吹き、ロックを失ったドアが蹴飛ばされるや、傍らで待ち構えていたケンシンが開いた隙間に閃光手榴弾(スタングレネード)を放る。流れる様な連携だった。


 バンッ――!!!


 閉所を揺るがす轟音と発光――常人の耳目を著しく苛み、その動きすら止める炸裂が収まるまでの時間を内心で数え終え、俊二は部屋に飛び込んだ。教本通りのドアブリーチングだ。

「――――――!」

 最初に眼前に飛び込んだ黒い影、視界を潰され蹲る様にしているそれが短機関銃で武装している事を刹那で察するのと、影に向けて拳銃の引鉄を二回引くのと同時だった。顔面を両手で覆ったもう一つの影に、さらなる二発を叩き込む。そして部屋の隅から応戦しようとした一人に二発を撃ち込み、階段を降りようとしていたもう一人の側頭部を、最後の二発がほぼ同じ軌道を描いて貫いた。敵味方の判断、そして敵の排除に時間を掛ける事は俊二の属する世界では許されることではなかった。

「クリア……!」

『よし!』

 鷲津がまた俊二の肩を叩き、据銃の姿勢を保ったまま先導した。その後にトウジとケンシンが続いたが、ケンシンが俊二を追い越し際に向けた険しい眼差しは変わらなかった。船倉に達するまでに数回、残余の武装兵と交戦したが、何れも排除し、三人は瞬く間に船の最下層に達する。普通の貨物船の船員にしては過分な乗員の数、これまでに遭遇した彼らの何れもが武装している。そして船倉にも彼らはいた。コンテナや荷物袋を盾に敵兵を撃ち、あるいは彼らの潜む遮蔽物の影に閃光手榴弾を投げ込んでこれを制する。その点、鷲津たち特殊作戦群は装備においても練度においても守る側たる敵に隔絶していた。無駄のない射撃を至近から撃ち込み、あるいは懐に飛び込んでナイフで急所を突く、時を経るにつれ死体の山は増え、何時しか初めて船に足を踏み入れた時と同じ静寂が、暗い船倉を支配していた。


「オールクリア!」

 排除を完遂し合流を果たした俊二とトウジ、ケンシンに鷲津は告げた。だが任務そのものを完遂したという満足感は無い。特戦群の隊員にとって敵の数を減らすのはあくまで任務の中の手段のひとつであり、過程のひとつであるのに過ぎない。彼らに課せられた任務は大抵の場合、そのずっと先に在る。

『――ヤクローか? こちらコブラ。船倉は制圧した。そちらはどうだ?』

『――機関室から船員室の敵兵を排除。抵抗は微弱でした。これより船倉に向かい合流します』

『――やはり物証は船倉に集中しているようだ。これより物証の収集に入る。交信終わり(アウト)

 ヤクローの班との交信を終え、鷲津は三人に向き直った。無言のまま、手分けしてコンテナの中身を探るよう手信号で告げる。事前にもたらされた情報によれば、「グリュエトラルⅡ」の有する積荷の大半が食料品とのことだが、「不穏な物品」の置き場もまた有能な「現地協力者」の伝えるところとなっていたため、探すのにそれ程時間は要さない筈であった。事実――

 

「俊二! こいつを見てみろ……!」

 と、トウジが声を上げた。外見はローリダ語で「ライ麦」の焼印が押された麻袋。ナイフで切り開いたその中身から、トウジは油紙で包まれた長い棒状の物体を取り出していた。油紙を破り取ったその中から現れた銃身に、二人は思わず我が眼を疑った。

「あ……」

「正真正銘の軍用ザミアー銃だ。植民者とやらが使う猟銃じゃない」

 他の箇所では、鷲津とケンシンがコンテナの中身を前にして話し込んでいる。

「この砲身は対戦車砲っスね。それにこいつは迫撃砲か……」

「……ビンゴだな」

 彼らが見出しのは、建築用の配管材に紛れる様に隠された対戦車無反動砲の砲身と、かねてより防衛関係者にその配備が周知されていたローリダ製の小型迫撃砲であった。「スロリア紛争」後、陸上自衛隊の迫撃砲に触発されて開発、配備されたというローリダ版の迫撃砲は、陸自制式の81㎜迫撃砲よりもずっと小振りだったが、それだけに軽量で可搬性が高いとも言える。やがて、機関部の制圧を終えて船倉に追及して来たヤクロー達も捜索に加わる。トウジと離れた俊二が、ローリダ語で「骨董品」と銘打たれた巨大な木箱に眼を留め、オープナーでそれを抉じ開けた――

「―――――?」

 蓋を押し開いた瞬間、オイルの臭いが嗅覚を刺す様に(くすぐ)る。その下に身を横たえるどす黒いタンクと配管の塊が、俊二には初めはそれが何であるのか判らなかった。だがこれとよく似た構造の何かを、俊二はこれまでに修得した軍事上の知識から知っている様に思った。記憶と知識の糸を懸垂上昇でもする勢いで手繰り、俊二はある物に思い当る。

「隊長!」

『――高良二曹か? どうした?』

 「エンジンがあります! 航空機かロケットの!」

『――どっちだ? どっちなんだ!?』

「わかりません! とにかくこちらに来て下さい!」

 鷲津とケンシンが駆け寄って来た。鷲津は木箱の中身を一瞥し、次には目を細めて見入った

「航空機かロケット……そのどれかのエンジンか……どっちにしてもこいつは大事だぞ」

 忌々しげに唇を噛み、鷲津は続けた。

「……ロメオのやつら、スロリアでまた一戦やらかそうってのか!」

『――こちらSH、アークエンジェルより報告。北西より所属不明機二機が急速に「グリュエトラルⅡ」へ接近中! 突入班は速やかに離脱しろ』

「クソ! 察知されたか!」

 鷲津が眼を怒らせて船倉の天井を仰いだ。直後に至近――それも上甲板で何かが爆発する音を聞く。同時に空間全体が烈しく揺らぎ、その後には平衡を崩し床に叩き付けられる男達の姿があった。


「――?」

 煙の臭い、何かが焼ける臭いを彼らは同時に感じた。全身がじんわりと痛む。床を突きあげる様な衝撃に足を取られたが故の結果だった。視界が微かに濁っている。白濁した意識までが未だに震えている。

「…………」

 傷みを無視し、俊二は身体を起こした。動き続けた方が、傷みが早く癒える事を俊二は知っていた。近くで倒れたまま動かない同僚を抱き起し、身を起こすのを助けようと試みる。それがケンシンであるのに気付くのと、俊二に気付いた彼が機嫌の悪い猫の様に俊二を睨みつけるのと同時だった。

「その元気だ。伏見三曹」

「…………」

 話しかけられ、不機嫌から一転し唖然とするケンシンに、俊二は微笑みかけた。鷲津の声が響いた。

『――全員退避! 船首方向まで退避し上甲板に出るぞ!』

 俊二は駆けた。背後から付いてくるケンシンの気配。それに加えもう二人の気配が自分の後ろを走っているのを背中で感じる。奔る内、船内通路に出るタラップの途上で鷲津隊長の背に追い付く。駆け足の勢いを緩めることは無かった。爆音と共に再び船が左右に揺れ、緩んだ配管から海水が(ほとばし)った。手摺で身を支えて最後のタラップを上り、分隊は再び元来た上甲板に達した。

『――こちらSH、制圧班へ、所属不明機の爆撃により船橋から機関部が炎上中! 回収ポイントを報せ。何処で待てばいい!?』

『――こちら制圧班、船首だ! 船首に回る!』

『――了解! 待機する!』

「お仲間もろとも証拠隠滅ってわけか……さすが自称文明人は俺ら蛮族とは考える事が違う」

 豪雨と流れ込む海水に塗れた上甲板を駆けながら鷲津が言った。目指す先の船首、サーチライトを照らしつつ上空で待つSH-60Kのホバリングが、怒り狂う海神の雄叫びを裂き甲板上に響き渡っていた。傾いたまま水平に戻ることのない上甲板は、傷付いた「グリュエトラルⅡ」が海水の流入により浮力を失いかけている証だった。船橋の方向で、何かが連鎖的に爆発を始めている――破局の前奏たる誘爆の連鎖は、やがて船倉にも行き着き、彼女に止めを刺すだろう。


「急げ!」

 いち早く船首甲板に駆け登った鷲津が部下を顧みて叫ぶ。ヘリから下ろされたエキストラクションロープのアタッチメントに防護服のフックを繋ぐよう指示する。全員が繋がったところでヘリを浮上させ、一気に船からの離脱を図る算段だった。集まった全員の吊止を確認し、鷲津自身もまたロープに繋がろうとしたそのとき――

「―――!!?」

 横殴りに襲いかかって来た三角波は、船の傾斜を一層進めただけに留まらなかった。船縁を越えて船首に飛び掛かって来た波の牙が鷲津の身体を押し流し、同時に危険を感じた機長がヘリを上昇させる。隊長のいないエキストラクションロープ。その遥か下、死のみが待つ海原に取り残され、飲み込まれゆく男が一人――

「隊長っ!」

 誰かが叫んだ。俊二は素早く暗視装置を下ろし、沈みゆく船の近くで漂うIRマーカーの点滅を見出す。その後に取る行動は既に決めていた。アタッチメントを外し、俊二は脚から死の世界へと飛び込んだ。

「バカッ離れるなぁっ!!」

 ケンシンの叫びを聞くまでもなく、俊二は宙に浮いた次の瞬間には大波の山脈に埋もれていた。辛うじて顔を覗かせた波間に、目指す鷲津を見出す。波に逆らい、あるいは流れを利用しながら、俊二は鷲津の身体を掴みかけた――

『沈んだっ!?』

 見失ったと感じた次の瞬間には、俊二は潜っていた。暗視装置が防水仕様なのは僥倖だったかもしれない。狭い視界の中、闇の支配する世界の中で所在を示し続けるIRマーカーの光を目指して泳ぐ。意識を失い、深遠へと向かおうとしていた鷲津の後襟を、俊二の腕は掴んだ。波の動きに逆らいながら身体を引き摺り上げ、抱き留めるや、もう一方の手で軽量救命胴衣の転張ピンを引いた。その胎内に窒素を放出した救命衣が浮力を回復し、二人から深遠への誘いの手を振りほどき外界へと押し上げる――

「…………!」

 波間に飛び上がる様に顔を上げたのは、二人同時だった。上空から二人の姿を見出したSH-60Kのホバリングが荒波の原野を切り開き、サーチライトが遭難者を照らし出した――




『――01よりアークエンジェルへ、全員を回収。これより帰還する!』

 引き摺り上げられたキャビンからは、未だに波間を漂う「グリュエトラルⅡ」の全容を見下ろす事が出来た。船腹の大半を波間に没した瀕死の巨船。船尾から船橋を併呑した炎はすでに船中央部に達し、火薬と思しき炸裂音が断続的に響いては、炎の槍が上甲板を突き破っていくのが見えた。それは闇の支配する海原に生じた一筋の光、だかそれはこの後に動き出す恐るべき何かの、凶兆としての光だった。

「…………」

 濡れた戦闘装備もそのままに、俊二は彼が助け上げ、再び生者の世界に引き摺り上げた隊長を見遣った。鷲津はといえば航空士の手で頭に包帯を巻かれつつ、何時もと同じ不敵な笑顔で彼の恩人を見詰めていた。つい数分前まで、彼自身死の世界に片足を突っ込んでいた事が他人事であるかのような笑顔。

「やれやれ、また馬鹿を一人、抱え込むことになっちまったとはな……」

 そして白い歯を見せ笑った。俊二もつられて笑う。引きつった笑い。我ながら表情が硬いと思った。寒さのせいだと感じた。

「しかし隊長、どんな奴なんでしょうかね。この(ヤマ)の絵図を描いてるのは」

 と、ヤクローが言う。視線を海原に転じ、瀕死のグリュエトラルの吹上げる炎に顔を照らされつつ、鷲津はぽつりと言った。

「ガーライルだ」

「…………?」

「ガーライルだ……やつの仕業だ」

 ガーライル……その固有名詞を、俊二もまた吹き上がる炎に顔を照らされながらに聞く。これからの特殊部隊隊員としての自分の人生に、果たしてその名が幾度交差してくることになるのであろうか――勝利の余韻ではない、最初の任務に感じた緊張以上の、戦慄にも似た感慨を抱く俊二の眼前で、「グリュエトラルⅡ」の船体が閃光と大音響と共に二つに折れた。波浪の織成す三角の海の牙が、容赦なく彼女を黒い深遠へと呑みこまんとしていた。




都市国家ルジニア基準表示時刻12月18日 午前1時35分 首都ルジニア ルジス中央港第115埠頭 通称「離別の桟橋」 南ランテア社船籍貨物船 「イシルヴァ10」



 人気の消えた通信室で、ダキの報告が始まっていた。


 話そのものは、船舶用無線通信機にアダプターで繋がれた電話用の送受話器を通じて進んでいる。ここルジニアからダキの上司の許まで距離があるにしては音声が明瞭なのは、ルジニアがローリダの従属下に置かれて間もなく、そこまで延長されるに至った海底通信ケーブルの効果なのであろう。その末端は専用の浮標を通じて港湾内の船舶とも接続する事が可能であり、接続は軍艦と公用船、そして南ランテア社船籍の船に許された「特権」であった。無線に比して通話が明瞭なのは勿論の事、何より、無線よりも有線の方が傍受に対する強度が違うのは自明の理だ。


 通話のその始めから、ダキは不機嫌であった。人気を払った通信室のデスクに乱暴に脚を延ばし、無造作に取り上げた送受話器越しに回線が繋がったのを確認するや、簡潔な事後報告を述べた後、苛立ちを隠さない声でこう言い放ったのだ。


「ルガルとの合同任務は完了した……とは俺の口では言えない。港には未だ鼠がいる」

『――この期に及んで何を望む? ルガルが要らぬと言えば、要らぬ。我らはルガルの要請に基づき戦力を貸す。ルガルは我らの要請を受けてあらゆる便宜を図る……「商売」としては当然の流れではないか? 我々は軍隊ではないのだ。表面上はな……』


 一方で、送受話器の向こうの声は、信じられない程に落ち着き払っていた。傍目から見れば、出来の悪い生徒の罵詈雑言を聞き流し、時折宥めすかして見せる教師を思わせる余裕であった。却ってそれが、送受話器を握るダキを一層に苛立たせていた。主席商館長(ヘル・カピタン)――ガーライルはいつもそうだ。こちらを子供扱いしては要らぬ隔意を喚起させてくれる。あの荒涼たる戦場で初めて会った時からずっと……


主席商館長(ヘル・カピタン)、敵は殲滅される必要がある。これは俺個人の人生経験から導き出された結論だ」

『その鼠が、ルジニアで具体的に何をしていたか、ダキには判るのかな?』

「いや……」

 

 持論の盲点を、あたかも足を掬われたかのように指摘され、言葉を失うダキの耳に、先刻よりもやや柔らかな、だが陰湿さすら伴う声が聞こえた。

『――たった今入って来た報告によると、スロリア近海で一隻の貨物船が沈没した。我らの貨物船だ……出港の直前、何者かに積荷の中身を探られた形跡がある』

「……積荷を調べて、ニホンに報告していたというのか……!?」

 愕然とするダキの耳に、柔らかい声は続いた。

『――船はスロリアへの航行途上で何者かに襲撃され、交信を断った。おそらくは積荷の中身も抑えられたことだろうな』

「くそっ……!」

 思わず毒付いたダキの耳、微かに聞こえる苦笑の響き――

『――ぬかりはない、たった今船ごと処分した。そこに船が在ったという事実も、船がルジニアを発ったという事実も、既に存在しない。傭兵空軍もそうだが、「アルフェム」は実にいい仕事をした。あれはいいものだ』

「…………」

『――重ねて言い置く、鼠のことは内務省に任せるのだ。ダキ、お前にはもっと相応しい仕事がある』

 受話器を持ったまま、ダキの表情から怒りが消え、次にはもう一つの、一切の感情の消えた貌に変わる。受話器の向こうで部下が命令を待つ表情に変わったのを察し、会話の主は続けた。

 

『――実はダキには、今一度異国へ飛んで貰いたいのだがな』

「――何処へ?」

『――グナドスだ』

「…………」

『――追加の「アルフェム」の買い付けは既に済ませてある。ダキにはその「アルフェム」をグナドスから回航する指揮を執ってもらいたい。回航先は追って連絡する』

「グナドスの言葉なぞ、俺は知らんのだがな……」


 苦情を垂れるダキの表情には、当のグナドスに対する明確なまでの嫌悪が在った。本能的に感性が合わない連中と共にいるというのは、此方に対する明確な殺意を持った連中と共にいる以上にやり辛いことこの上ない――それは辺境の小国クルジシタンに在って、残虐さを恐れられた反政府武装勢力上がりの彼が、仲間や彼自身の血を代償に導き出した人生訓であった。そのダキの苦い感慨を送受話器越しに察したのか、取り成す様に、あるいは彼の背を押す様に新たな言葉が続く。


『――安心しろ。グナドスに入ってからの万事は「新世界清浄化同盟」がお膳立てしてくれる。ダキがそこに居てくれるだけで、奴らの緩んだ空気が引き締まる……まあ、そういう役割だ』

主席商館長(ヘル・カピタン)、ひとつ聞いてもいいか?」

『――何だ?』

「俺には生まれてこの方、学生という職業の経験……いや、学生という身分であったことが無い。だがアガネスティアで会った限りでは、あのグナドスの学生どもは何だ? 知識や教養こそ並みの人間以上にあるだろうが、他人のためにしろ自分のためにしろ、それを生かす上で必要な人格が根元から欠落しているとしか思えん。結論を言えば、学生……そのような軽薄な人種が我らの役に立つとは到底思えぬ。知識を溜め込むにつれ、人格が退化していくというのは、あんたらの言う文明化とはあまりに矛盾した考えではないのか? 俺にはあの学生どもが知識や教養とやらを詰め込んだ分、言うこと為すことが野蛮で低俗になっているように見える」


 正直、言ってしまった後でそれを口にした事を内心でダキは後悔している。冗長な、回りくどい言い方がダキは好きでは無かったし、煉獄の紛争地帯からこうして自身を拾い上げてくれたガーライルに対する義理もある。彼との間には当面波風を立てたくなかったが、「戦士」としての彼の(さが)か、戦闘に関し不都合と思われることについてはこうして口を滑らせてしまうのだ……だが、その彼の耳に帰って来たのは、巧い冗談を聞いた後の様な、耳に障らない笑い声であった。


『――ダキ、お前の言うことは正しい。あやつらはその生まれ出た根本から未熟で、あやつらが進まんと望む道標しか見えておらぬ、そこに行きつくまでの途上にどれほどの克服すべき障害があり、どれほどの回り道が必要か、まるで見えておらぬ……だからこそ、我らが付け入る隙がある』

「…………?」

『彼らの本来望む道標が、そこに行きつくまでに困難が伴うというのであれば、我らが別の道標を用意してやればよい。そこへ行きつくのに信じられない程容易で、かつ甘美な報酬の待ちかまえている道標をな……』

「道標に行きついた後のことは、知らぬ、ということか……」

 送受話器の奥が、再び笑った。

『――ダキ……お前はあの学生どもよりは頭が回る。だからこそグナドスへ行くのだ。喜劇を見物するのに又とない特等席だぞ?』

「ダミアも共に連れて行きたいところだな」

『――あれにはダキと同様、スロリアで色々と働いてもらわねばならぬ……全てが終われば、我ら共にゆっくりと話を出来る時も廻って来よう』

「……そうだな。ではあんたの命令に従うことにしようか」



 会話を終え、ダキは乱雑に開け放った通信室のドアから甲板へと出た。雨は未だ降り続いていたが、先刻までの烈しさは牙を抜かれた様に身を潜めている。港に至っては、やはりつい先刻の銃撃戦が嘘のように静まり、その余韻すら港湾の静寂と暗黒の中に霧散していた。船舶の航行灯と岸壁の照明、浮標の赤青の識別灯……黒いテーブルの上に宝石をばら撒いたかのような光の鮮やかさは、雨雲一層に隔てられた星空に引けを取らないかもしれない。外で待っていた部下が、ダキの姿を認めるや煙草を吸う手を止め、背を正して敬礼した。

「スバス、おれは今から船を出て別任務に就く。ノドコールに着くまで、隊はお前が掌握しろ。ノドコールに着いたらダミアの指揮下に入れ。俺もあとから行く」

「はっ……!」

 

 部下を去らせ、ダキは暫し船縁に佇む。思えばクルジシタンの時も現在も、理念など何も無かった。自分が武器を執るに至ったのは単に生きるためだ。他者の糧を奪い、あるいは彼自身の糧を確保するために彼は他者を殺し、傷付けることで生を繋いできた。その流れは今も変わらない、たとえ自分の立ち位置が、辺境の一小国の命運から、世界の趨勢を決する種類のものになったとしても……

「…………」

 思い立ったように携帯電話を取り出し、それまで切ったままであった電源を入れる。携帯電話が完全に起動するや、電子メールが堰を切ったように受信されて来る。発進元は何時も同じ名前だった。DAMIA――その名にダキは眉一つ動かさず、最新のメールを選んで開封した。


『――何時此処に来る? 会いたい。会ってまた話をしたい。返事が欲しい』


「馬鹿め……」

 笑いつつ、ダキは電話を仕舞った。決して感情を表に出さない女だが、秘めた心を文で吐露するに、烈しさを剥き出しにするという「可愛げ」がある。だがもう少し慎重な振る舞いが必要なのではないか? その事はセルミ島の「施設」で、共に学んだ筈なのだが……


「幼さ故か。それとも……」


 朝になったら返事を送ろう――未だに止まぬ雨空を見上げつつ、ダキは思った。朝には自分はすでにローリダもニホンもない異国にいる。それに、どうせ傍受されたところで、単なる恋人同士の睦み事程度にしか見えないのだから……



EpisodeⅠ 終



此処までお付き合い頂き、有難うございました。


EpisodeⅡ連載開始は、恐らく一カ月後になります……いや、なるといいなぁ。

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