第五章 「新参者たち」 (3)
日本基準表示時刻11月17日 午前10時32分 神奈川県 三浦半島沖上空
二機は鋭い加速を轟かせつつ頭上の蒼を航過し、そのまま彼らの巣たる横須賀の港を越えた。茨城県百里の航空自衛隊飛行場を発って、すでに30分近くの時間が過ぎていた。このまま順調に航程を続ければ、二機のジャリアーMkⅠことT-4R-MkⅠは、彼らの母基地たる海上自衛隊厚木基地に辿り着く筈だ……が、今回彼らが空に銀翼を標した理由が、単なる基地間の連絡飛行ではないことは、通常の連絡飛行コースから逸脱した、独特の航程そのものが物語っていた。
『――ユニコーン……高度30000フィート』
『――ツー……』
編隊長の声、それに応じる列機――二機は番いの雲雀のように接近した間隔を維持したまま軽やかに上昇しつつ、横須賀から三浦半島を横に抜けた。彼らは両翼に増槽を抱いた他、片翼に一発、AGM-65「マーヴェリック」空対地誘導弾の訓練弾を、そしてもう胴体下に小型誘導弾と思しき弾体を3基連ねたランチャーを抱いている。それだけでも、この日の彼らの「飛行」が訓練に比重を置いているのがすぐに判る。そして、調達要求上は練習機として扱われるジャリアーMkⅠの秘める、「攻撃機」としての側面もまた――
『――…………』
年の瀬が迫っているというのに、本州から飛び出した先の大洋は暖かな、青々とした拡がりを湛えていた。碧の大地の上を海岸線に向かい奔る白波は、この世界の過半を占める海洋が陸地に剥いた牙であるように、ジャリアーMkⅠ 二番機を預かる航空自衛隊空曹長 諏訪内 航には思われた。
高度30000フィート、上層雲ですら完全に足下に見渡せるその空間を支配する気流は例年に相違せず粗く、その機外に重い装備を抱えたジャリアーを不快に揺らす程の力を保っていた。戦闘機乗りとして未だ若く拙い航としては、長機との間隔に気を配りつつ姿勢を維持するだけでも精一杯だ。特にこのような空気の薄い、氷蒼の世界では――
『――ツー、もう少し間隔を開けろ。危なくてかなわん』
と、長機の声が耳を打つ。機位の制御に四苦八苦する自身の胸中を見透かされたかのような痛い言葉だった。フットバーを踏み、距離を置くべく機を滑らせる中、侵入点が近い事を地上の管制室が報せてくれる。計器盤の中心を占める二面の多機能表示端末、戦術航法表示にしたその片面では、画面上に表示された海上の侵入点まで後10分であることを示していた。続いて緑色に輝く高角HUDの中心に現れた、「高度10000フィート」の表示――
『――ユニコーン、高度10000フィート、編隊を解け!』
『――…………!』
カチカチ――
操縦桿の無線通信機スイッチボタンを二度押ししつつ、航は機を横転に入れる。落下する様な感覚に身を委ねつつ横目に迫りくる上層雲を睨む。横転から緩降下の姿勢に転じたジャリアーはそのまま雲海を貫く様に越え、再び直に海原を睥睨する。積荷が重いだけあって、降下時の加速もそれなりだ。
『――――!』
水平線の方向、HUDに矩形の表示が浮かび上がる。それが対空索敵電波の発進源であることは同じく矩形の上部に浮び出た「RADAR」の文字と、MFD上に現出した円形の波形が教えてくれる。自機を示す緑色の輝点を中心に、巨大な波形とせめぎ合う様にして発せられるもう一個の波形は、恐らくは索敵波を感知し、それを妨害せんと自動的に起動した自機内蔵の電波妨害手段の有効覆域なのであろう……だが、相手が相手だけに、それが何処まで有効に機能するか甚だ不定形の未来の存在を感じずにはいられない。
『――火器管制装置起動――』
航が応答するより早く、矢継ぎ早に新たな指示が飛ぶ。
『――目標まで30マイル!』
「――…………」
酸素マスクの下で息を吐きつつ、HUDを睨む。HUDの中、電波発信源兼目標指示指標の刻み続ける数値は、確かに30マイルを切っている。よくもまあ、こんなに小柄な機体に、何もかもを詰め込んだものだと航は思う。FCSの起動に伴い覚醒したAGM-65マーヴェリックの空対地誘導弾の目標補足シーカーが、グレースケール一色ながらも明瞭な画像となってMFDの一方に映し出される。目標情報をFCSに取り込む操作過程で自動的に拡大された「攻撃目標」の画像――軽快に海原を走る巨艦の、城郭の如き影。
DDG-180「ひえい」――飛行前のブリーフィングで知らされた攻撃機動訓練の目標の名を、航は脳裏で口走る。
別称 「改あたご」型イージス護衛艦たる「はるな」型の二番艦。それは「あたご」型イージス艦の建造終了から十年以上の時差を経て生まれた「あたご」型三番、四番艦と言ってもいいのかもしれない。但し現在では、海上自衛隊におけるイージス艦運用の草創期より色濃かった「護国の盾」としての側面が色あせ、反面これまで顧みられることの無かった「矛」的な性格が強まっているかもしれない。「スロリア紛争」前に進水し、「スロリア紛争」後を機に退役した「はたかぜ」型防空護衛艦を置き換える形で就役したネームシップたる「はるな」、その後を追う形で竣工、現在も公試運転の続く「ひえい」……その「ひえい」を目指し、二機のジャリアーはさらに高度を落としつつ海上を飛ぶ。それは傍目には、ジャリアーMkⅠによる定例の対艦攻撃機動の訓練の一幕であった。
「スロリア紛争」時に、艦隊防空に鉄壁の布陣をもたらし、敵手たるローリダ共和国空軍の人間をして「海の要塞」と言わしめたイージス護衛艦が、戦後にさらに二隻増強されたという事実は、その実「あかぎ」型航空護衛艦の現役復帰以上に諸国の海軍関係者を瞠目させていた。全方位に索敵網を展開し、索敵圏内に探知した海空全ての敵性目標からの攻撃を悉く完封しつつ、これらを同時攻撃可能という戦闘能力は若干誇張されたものであるにしても、この異世界ではそれは海上自衛隊以外の海上軍事勢力が持ち得ない強力な戦力であり、それはやはり列国の軍事関係者にとっての羨望の的となった。イージス艦とまでは言わぬまでも、前級の「はたかぜ」型護衛艦にしてもこの世界では破格の高性能を有する対空戦闘艦であり、図らずもそれは用途廃止となった「はたかぜ」型の譲渡、あるいは売却を求める国外からの打診が当該部局に殺到するという形で証明されている。日本政府はこうした打診に対しひたすら拒否と黙殺を決め込んでいるが、一部の友好国との間で巡視船および掃海艇、運送船等供与可能な退役艦艇の提供に関する折衝が行われているのは、今や公然たる秘密であった。
『――――!』
間隔の狭い電子音が、マーヴェリックの弾頭シーカーが「ひえい」を捉えたことをイヤホン越しに航に教えてくれる。彼我の距離が詰まり、いまや水平線上の一隅を占める一点――それが、二機の目指す「ひえい」の艦影であった。操縦桿上の発射ボタンに、親指の先が触れる――
『――――!!?』
先刻とは符牒の異なる、連続した甲高い電子音は、逆に自機が「ひえい」のフェイズドアレイレーダーに捕捉され、続いて間髪入れず「撃墜」されたことを航に教えていた。航は反射的に操縦桿を引き、張り付く様に飛んでいた海原から剥がれるようにしてジャリアーは上昇に転じる。「撃墜」された後、「移動目標」は高度24000まで上昇、そこで集合する……というのが飛行前の取り決めであった。集合した後、二機は本土を目指し新たな試験に臨む。その試験の舞台は、静岡県 東富士演習場――
『…………』
緩やかな加速度に絞り出されるようにして吐き出され、酸素マスクの中で反響する息――もしこれが練習機では無くてF-15Jだったらどうだっただろうか?――ほんの三ヵ月程前に自身に起こったことを、諏訪内 航は思った。
――三ヵ月前。日本基準表示時刻8月17日 午後12時15分 山口県 海上自衛隊岩国基地
港内に入って、すでにかなりの時が過ぎていた。汽笛が幾度も船上を圧するように発せられている。巨体を誇る船が専用の埠頭に何の瑕疵なく横付けするには曳船の助けが必要だった。その曳船が飛行場に面した岸壁の端を離れ、緩慢な船足でこちらに近付いてくるのが、上甲板からは手に取るように見えた。
頭上に遮る物の無い上甲板の手摺に上身を凭れさせつつ、諏訪内 航は港内を見渡した。寝起きを思わせる、しわくちゃのシャツの下には濃紺のズボン、その上に光沢を放つ黒い靴は、明快なまでにアンバランスな取り合わせだったが、寝癖の際立った長い頭髪と、高校を出たての青年とも少年とも区別のつきかねる幼い顔立ちが、およそ軍事組織の一員とは思えぬ、天使のそれを思わせる自由人的な外見とも見え、或いは朝霧漂う林間に佇む若い牡鹿を思わせる新鮮な印象を湛え続けている。但し、未だに夢心地に在るかのような呆けた眼つきは、傍目には危うさに近い感触を与えるかもしれない。一方で、手摺に委ねた腕は魁偉という程ではなかったが、細身に属する胴足と比較して眼を見張らんばかりに太く、シャツから覗ける胸板の輪郭も、注視すれば尋常な肉付きではないことが判った。背丈は決して高い方ではなかったが、その芯を成す体幹の頑健なることを誰の目にも伺わせることが出来た。
何度目かに鳴った汽笛の凶暴なまでの唸りが、航を添乗客用船室のベッドから引き離し、遅れてきた朝の感触を彼に与えていた。船室までに汽笛が鳴り響く度に、寝床で覚醒しかけていた航の意識と惰眠への未練とが相克し、空調の利きすぎた室内、シーツをはだけた寝床の上を、彼が毛布を纏いつつ右往左往し、終には半身を起こすのにまる二十分もの時間を必要としている。
まるで観光旅行のような船旅……本当ならばそれ程気楽に構えていられる立場にない筈が、航の天性とでも言うべき天衣無縫が、船旅の中で船内を支配する規則に勝利を収めた形だった。
『――隊員各位へ、ただちに幹部室へ集合せよ。繰り返す、乗船せる隊員はただちに幹部室へ――』
「いけねっ……!」
けだるそうな表情が潮の退くように消える。船内放送の濁声は、明らかに航を慌てさせた。すぐに服装を整えて幹部室へ行かないと……階級こそ空曹長だったが、何よりも彼は本部要員なのだ。それも、まる三日に亘った船旅を経て、今日装備と共に岩国に歩を標すことになる航空総隊隷下 第1機動支援飛行群 追加派遣要員中最年少の本部要員――
山口県 岩国飛行場は、陸上からの交通路を除くその三方を、海原に取り巻かれた矩形の全容を有し、有体な表現を用いれば、空からはまるで海岸に乗り上げた空母の様な俯瞰を与える。そこを、今では海空自衛隊の航空機が縦横無尽に蠢いている。さらにはそれに隣接するようにして貨物コンテナの山積する埠頭と、前衛芸術のオブジェを思わせる配管と煙突の蝟集する化学工業区画が拡がる様は、総じて風向明媚な瀬戸内海の端緒にあって、日本ならぬ異世界を思わせる荒涼たる空気を漂わせていた。
「転移」前、それも野党共和党 公式見解の言うところの「大東亜戦争」前から軍事用の航空基地として機能してきた岩国に一大転機が訪れたのは、それまで日本が地理的に属する極東地域一帯に、強大な軍事力を展開してきたアメリカ軍の全面撤退に端を発する。
第二次世界大戦以来際限なく拡大……否、肥大を繰り返してきた全地球規模の金融資本主義至上体制の限界点への到達、その具現化としての国内経済破綻、それが前世界最強の国家をして軍備の縮小と防衛線の整理とを決断させしめ、ついには自然、建国以来の孤立主義への回帰を促すに至った。
日本の岩国に関しては、それまで岩国の空の主のように、連日爆音を連ねて飛び回っていた在日アメリカ軍のF/A-18やAV-8といった戦闘機の影がかき消えるように彼方へ去り、その後には日本単独で極東の非民主主義的勢力、あるいは民族主義的な反日勢力の侵犯に直面することへの逼迫感が迫って来た。
脅威への対峙か、あるいは屈服か……当然日本では国論が別たれ、その対応に追われるうちに今度は「転移」が始まり、急変の序曲を奏で始めた前世界から日本は、期せずして離脱する形となった。結果、「転移」を経ても岩国の飛行場そのものは軍事拠点として存続し、陸海空自衛隊の共同運用する処となっている。
そのような歴史を有する岩国飛行場に、諏訪内 航 空曹長の配属されることとなった第1機動支援飛行群の本部が所在する。所在地は「転移」前、やはりそこを根拠地とした在日アメリカ合衆国海兵隊航空部隊司令部が展開していた場所でもあった。庁舎をも、海兵航空隊司令部のそれを流用している程で、庁舎内には第1機動支援飛行群の他には、同じくジャリアーMk-Ⅰ、Ⅱを混成運用する海上自衛隊第601、602航空隊本部が入っている。通称「ジャリアータウン」と呼ばれるのも無理からぬところだ。
特殊貨物船「ねめしす丸」内――
「諏訪内曹長、入ります!」
「遅い、そこに座れ」
と、長浜 智章 一等空尉がテーブルの末席を指差した。疾駆して来た余韻で肩を弾ませつつ、航は腰を下ろす。先着していた一名の幹部、そして五名の曹士の視線が、その間航一人に集中する。無理もない。制服のネクタイの結びが乱れていることに、今更ながらに航は気付く。長浜一尉と航、そして児島一尉、そして先述の五名の曹士が、便乗している事前集積船「ねめしす丸」の「積荷」とともに、今日付けで岩国基地に着任することになる航空自衛隊員であった。
「諏訪内、半休は十分に満喫したろうに。未だ休み足りないのか?」と、長浜一尉が言った。眼鏡越しの険しい眼光は、厳しいままであった。
「でも船内ですよ」
「俺が若い頃は、宿舎のベッドの上だろうがオフィスの床の上だろうがまる半日寝ていられるだけでも幸せだったもんだ……」
平然と言い、長浜一尉は航を鼻白ませる。パイロットという仕事の中に、心身の平安を求めるという点において、彼は航とも、彼以外の他の隊員とも明らかに違う。未だ30代前半なのに若白髪にその過半を占領された頭髪は、この長浜一尉に武人というより下町の町工場の、気難しそうな中堅技術者といった印象を与えることに成功しているかのように航には見える。事実、工業高校で建築工学を修めた彼は、航空学生として空自の隊門を潜る前は関西地方の中堅ゼネコンの技術系社員としてまる一年程「休日無し、現場事務所の床にダンボールを敷いて寝る」生活を送っていたことがあった。いわゆる「帰国子女」で、普通の高校に編入学し普通に学び遊んで航空学生に進んだ航とは、根本的な「人間」が違う。
ブリーフィングは、時間にして1330から始まる「ねめしす丸」の積荷を岩国飛行場に下ろす作業の段取りの、簡易な確認作業に終始した。此処に来るまでの間、荷下ろしに必要な段取りと手配はすでに済ませてある。今為すべきはそれらの最終確認といったところだ。
満載排水量45000トン。平時には自動車運搬船として使用される「ねめしす丸」は、形式分類上は車両の自走積載/揚陸を可能とする中型RO-RO船であり、有事の際には想定され得る戦域後方への兵員、装備、補給物資の運搬を担当する「事前集積船」の有力な一隻でもある。その積載能力は相当なもので、一例を挙げれば「ねめしす丸」クラス一隻で陸上自衛隊の一個連隊戦闘団を一カ月フル活動させられ得るだけの装備と物資を運搬することができる。
運用に関しては「事前集積船」そのものは、平時有事の別を問わず民間人により運営されるのが通例であるから、今回の航海では航たちは実のところ「客」という立場でしかない。ただしこの日、「ねめしす丸」が岩国飛行場の岸壁にまで運んできた「積荷」は、この日以後の岩国の、航空部隊基地としての性格を少なからず一変させ得る性格を有していた。
内海に入った船が一層に烈しく震えるのを全身に感じる。機関の逆進と同時にバウスラスターが動き出し、接岸の準備に入り始めたことを「ねめしす丸」はその巨体の蠢きで教えてくれている。船上での最後のブリーフィングを終え、航は散歩がてらに三段に及ぶ下甲板の最下層まで足を延ばした。うち二層に及ぶ空間の殆どを基地に持ち込む設備や機器の収まったコンテナの積載した10トントラックの群で占められていたが、航の近い将来に関わる「積荷」はといえば、完全に動きを止めた貨物船の船倉で厳重に梱包され、左右交互に向き合い空間を作りつつ外界へと引き摺り出されるのを待っている……得てして隼とか鳶とか、小柄な猛禽類のそれを思わせる戦闘機の外観。流線型の輪郭の脚元では、至近に迫った揚陸作業に備えて作業服姿の甲板員が足早に往来を続けていた。第1機動支援飛行群の新たな主力機たるジャリアーMkⅠの新造機――それが、「積荷」の正体であった。それでも――
『何故おれが……』
という思いが、諏訪内 航には未だにある。それも、戦闘機操縦基礎課程を終えたときから……である。山口県防府で基礎教育と初級操縦教育を終え、福岡県芦屋でT-4改中等練習機による基本操縦教育を修了した後、続いて配属された静岡県浜松で当の戦闘機操縦基礎課程を修了し、念願のウイングマークを手に入れたのまでは良かった。順当なルートならば実戦機の操縦教育を受けるべく他の機種転換教育部隊に配属される筈が、十数名の戦闘機操縦専修者の中で航だけが、課程を修了してもなお浜松に留め置かれ、それまでのT-4改転じてジャリアーMkⅠによる「延長教育」を科せられることとなった。変わったのは航の身分と操縦する機の「呼称」だけである。
思い当る節はあるにはあった。航個人の適性とか技量とかの問題ではなかった。航が浜松に配属されたのと同時期、同じ浜松を根拠とするジャリアーMkⅠ操縦教育飛行隊の支隊として立ち上がったばかりの部隊があり、その部隊は4機のジャリアーMkⅠを以て慣熟飛行訓練を行っていたのである。「臨時ジャリアーMkⅠ転換教育飛行班」というのがその部隊の名称であった。航は戦闘機操縦基礎課程の修了間際になって、その「転換教育飛行班」から「一本釣り」された。
航空自衛隊戦闘機部隊において通例、新人がいきなりジャリアーを運用する部隊に回されることはない。規則がどうのというより、慣習としてそうなっていた。本国からの直接的な支援を期待できない国外での作戦行動を主目的として編成され、後進地域の前線飛行場や狭隘な航空護衛艦の飛行甲板を仮の根拠地とし、異界の空で偵察、哨戒、攻撃、要撃といったあらゆる種類の飛行を、時には身体の限界値を越える段階に達するまでこなさねばならない以上、「ジャリアー乗り」にはパイロットとして心身ともに円熟し、いかなる事態に直面しても冷静に対処し得る(と期待し得る)熟練者が望まれるのは当然の成り行きといえる。何よりも「航空自衛隊の海兵航空隊」という第1機動支援飛行群の別称が、彼らの性格を端的に言い表している。彼らの人員の補充に当たり、各隊から脂の乗った中堅~熟練どころのパイロットを数名だけ指名し、短期の機種転換/慣熟飛行を経て独特の即応態勢、あるいは国外任務を経験してもらう、というのがジャリアー隊の慣習になっている……筈であった。
従って、「ご指名」が公になった途端、航だけではなく教官や同期もまた仰天した。それも、抜擢を喜ぶという風では絶対になかった。戦闘機操縦課程において航の担当教官である松浦 遥一等空尉は、かの「スロリア紛争」において敵空軍基地への第一撃を担当した栄えある第一次攻撃隊の一員でもある歴戦の勇士だったが、その松浦教官は肩を怒らせて直近のジャリアー操縦教育飛行隊の本部オフィスまで怒鳴りこみに行った程である。「嫁入り前のウチの学生に、ナニしてくれてんだ!!?」という感じに……が、一時間も持たずして彼は航のもとに戻って来た。
「諏訪内、スマン!」
「…………」
自身の眼前で頭を下げ、両手を合わせる教官を、航は唖然として見詰めたものだ。聞けば勇躍足を踏み入れたジャリアー隊に、彼の航空学生の同期がいたのである。配属前はF-2の操縦士で、「第二次日本海海戦」への参加経験もあるその三等空佐は、松浦教官を見るなりこう言った。
「よーう松浦ちゃん。用件は判ってるよー」
「津島お前……」
津島と呼ばれた三等空佐は、自身のデスクまで松浦教官を手招きした。
「新入りの話だろ? そいつの身代わりで松浦ちゃんが来るんならいいよ? 俺としちゃあ実はそっちの方が大歓迎だ。何てったって俺ら同期だろ? 同じ釜の飯を食った仲だ。それにジャリアーは墜ちにくい飛行機だからさ、その点お勧めだよ」
「…………」
「松浦ちゃん、そういえばWAFと結婚したんだよネ。三沢広報室のヨーコちゃんだっけ? すげえ可愛いらしいじゃん? それと新居とクルマのローン、これからだって? 何時動員掛かるかわからないジャリアー隊に行くのにそんなに抱え込んでちゃ大変だよぉー……? スロリアくんだりまで行って何かあったりしたら……」
「…………」
「……で、どうする?」
「…………」
周囲から複数の視線を感じる、あるいは笑いをかみ殺す低い声を松浦教官は背中に聞いた。自身と同期の遣り取りが、彼がこのオフィスに足を踏み入れた瞬間から、この場に居合わせたジャリアー隊の面々に「モニター」されていたことに松浦教官が改めて気付いた瞬間――結局は一言も発せずに席を立ち、悄然と飛行隊事務室を出て帰路に就く彼の姿があった。教え子にどう言い訳したものか、などと悩みつつ……そして航は、自身が「売られた」経緯を、実際に着任の挨拶に出た当日に知った。
「――諏訪内曹長、松浦を責めてやるな。あいつはあいつで守らにゃならんものがあったからな」
と、津島 英輔 三等空佐は着任の挨拶に訪れた航に言った。「臨時ジャリアーMkⅠ転換教育飛行班」班長。日本近海の荒波を、重い空対艦誘導弾を四発も抱えた薄い翼一枚で往来するF-2乗りに相応しく浅黒い、鋭角がかった彼の風貌は実年齢よりもやや年増である様に航には思われた。口を横に広げて会釈する様子が、丁度獲物を見出した人食い鮫の様でもあり、それを閉じたときに目立つ口元の歪みが、精悍な風貌の全体に比してアンバランスであるように航には思われ、印象的でもあった。その原因が昔、訓練飛行中に何かのトラブルで緊急脱出し、その際に飛散した乗機の風防ガラスの破片で顔面を損傷した経験に由来することを航は後で知った。
津島三佐は続ける。
「松浦が言っていたぞ。お前にはF-15EJの部隊に行ってもらいたかったってな」
「……残念です」
声は小さかったが、航は心の底からそう言った。その航の襟元には、学生時代から変わらない空曹長の階級章が光っている。これから始まる実戦機による機種転換訓練課程を修了する頃にはこれが准空尉となり、そこからさらに実戦部隊で一定の研修期間を経れば晴れて三等空尉に昇進して正パイロットの仲間入りをすることになるのだが、航の場合、これまで乗り慣れたT-4改系列の機体でそうした将来を送ることが半ば運命付けられている、という点が他のパイロット候補生と違う。
「…………」
津島三佐の頭上に掲げてある額縁。達筆に揮毫された一幅を、航は何気なく見上げた。
『いつでも、どこでも、だれとでも』
なんだこれは?……平仮名だが、雲を掴むような一文に思わず目を奪われた航の様子に気付き、津島三佐は言った。
「うちの隊のモットーだ。さらに言えば、ジャリアー隊全部のモットーでもある」
「いつでも、どこでも、だれとでも」……モットーの中にこそ含まれていないが、その後にはちゃんとした続きの言葉があって、ごく常識的に「飛ぶ」と続ける者もいれば、冗談交じりに「寝る」と続ける者もいる。何時でも出撃でき、何処でも行動でき、誰とでもペアを組んで飛ぶことができる――そこに、緊急出動部隊である第1機動支援飛行群がジャリアーを駆る意味があると言っても過言ではなかった。
挨拶の後で、津島三佐は長浜一尉を航に引き合わせた。年齢は同年齢ながら、パイロットとしての経験は前者が後者にまる二年優越する。それでも外見的にも階級面でも航にとっては雲の上の人という感が強い。若白髪に覆われた、スポーツ用眼鏡の似合う好男子という印象を抱いた航にとって長浜一尉は、傍らの津島三佐以上に上官らしく見えた。
「お前さんの専任教官だ」と航に言い、津島三佐は長浜一尉を省みた。
「それで諏訪内曹長なんだが……長浜が機体を見せてやって欲しいんだが」
「心得ました」
眉ひとつ動かすことなく、長浜一尉は言った。
――再び、日本基準表示時刻11月17日 午前11時25分 静岡県沼津市上空
高度20000フィートで、二機は本土の海岸線を再び越えた。海沿いに広がる住宅地を一望できる位置だった。
自機の左斜め前、距離にして約100メートルの間隔を空けて飛ぶ長浜機の後姿に、航は目を細める様にした。
位置、速度、高度、方位――飛行に必要な数値を常時表示し続けるHUDから目を逸らすや、次には内蔵されたHMDが自動的に起動し、周辺に視線を配りながらに自機の様子を把握する事が出来る。まるでパイロットすら、戦闘機という機械を構成する部品の一部に変えてしまうかのようなヘルメット照準器……だが、兵器システムとしてのこいつの威力が決して無視できないことを、航はここ三ヵ月間の飛行訓練で知っている。
特に浜松を出、機材を満載した貨物船に便乗して着任した岩国を根拠地にしていた頃、九州の築城や新田原から「襲来」するF-15JやF-2を相手にした異機種空戦訓練――地上からの誘導に従い対抗部隊を要撃、対抗部隊に向かい長距離から反航の姿勢を取り、擦れ違い様にHMDに表示されたAAM-3改、あるいはAAM-5短距離空対空ミサイルの円形指標を、眼球で捉えつつ擦れ違い様に「敵機」の機影に重ねる。それがジャリアーの空戦訓練における必勝パターンであった……但し、これは先方がHMDを使用しないという「縛り」がある時に限り有効なパターンではあった。そして航達が想定している「敵」に、このような装備は無い。むしろ航達の方が、その運用する機の体格が想定する敵機のそれに酷似しているだけあって、彼らに「仮想敵機」として利用されている様な観さえあった。
同時に繰り広げられる地上、海上の友軍との連携を想定した訓練。実弾こそ使用しないものの、九州、中国、四国各地の演習場上空や訓練海域上空で陸空自の戦術誘導班の管制下に入り、海空に点在する仮設目標に対し攻撃機動を仕掛け、その効果の程を判定する日々が続いた。予想に反してジャリアー隊は多忙で、小振りな銀翼を翻し、あちこちを飛び回る日々が続いた。
「――アメリカの戦争映画であっただろう。無線で呼べば、すぐに戦闘機がすっ飛んで来て前方の敵を殲滅してくれる。おれたちの主任務はまさにその戦闘機の役割なのさ」
と、長浜一尉はとある日のデブリーフィングの席で航にそう言った。他の国は兎も角、日本の自衛隊に関する限りもはや兵士は消耗品では無い。何よりも兵士個々人が多くの年月と費用を要して育成された技術者であり、そして民主主義国家の根幹を成す有権者である。彼らを無為に死なせ、あるいは傷付ける様な事は、国家に対する重大な損失である……従って有事の際は、膨大な火力の投射と誘導兵器の多用により兵士の行動を支援する必要がある、と彼は続けた。
「じゃあ……我々が支援し得る範囲の兵力でしか、日本は戦争が出来ない、ということになりますよね?」
航の問いかけに、長浜一尉は頷いて見せた。
「そうだ。だがそれが、これから我が国の採るべき戦争の在り方なんだよ。これ見よがしに兵力を派遣しなくても、秘密裏に特殊部隊を投入して事前に戦争の芽を摘む、というのも方法のひとつだ」
自分もその種の作戦に参加したことがあるようなことを、長浜一尉は航に匂わせた。はっきりとそう言わなかったが、彼の語尾から航にはそう感じられた。
「少なくとも我が国が関わる範囲において、見かけだけでもこの世界は平和ということにしておく……それが我が国の政府の意思だ。たとえその内幕がどんなに汚らわしくて、目を背けたくなる様なものであっても――」
『――たとえその内幕がどんなに汚らわしくて、目を背けたくなる様なものであっても――』
回想に身を委ねる内に込み上げてくる戦慄――それを震える背筋に覚えつつ、航の機は広大な緑の海へと差し掛かる。前方に、雲と雪の白を纏った富士山の威容が見渡せる位置だった。関東地域最大の陸上演習場にして陸戦部門の一大拠点の拡がる東富士演習場の南端……管制官が交信周波数の切替を指示し、宛がわれた交信チャンネルに切換えた先で、眼下の演習場で待機する戦術管制班の声を聞く。
『――ユニコーン、こちらウィザード。貴機は我々の管制下に入った。針路そのまま……これより目標位置を送信する』
『――こちらユニコーン……火器管制データリンク接続……目標位置受信した……二番機どうか?』
『ツー!』
「準備よし」の応答を告げると同時に、火器管制装置と連動したHUD上に浮かび上がった矩形の目標指示ボックスが三つ――所々が赤茶色に禿げた緑の大地を指し示したまま動かないそれらの詳細を、現状の距離では航は肉眼で確認することはできなかった。直感的に再びマーべリックの弾頭シーカーからの画像に切換えたMFD上のグレースケールの画像、二機の目標は演習場を散開して進む重装輪車、新型の近接戦闘車の精悍な姿となって航の眼前に映し出される。
AGM-65の訓練弾を他機種でいう前方監視赤外線ポッドのように使うのは、ジャリアーで飛ぶ際の通例のようなものだった。実際、ジャリアー専用のFLIRポットは存在するのだが、予算の関係で十分な数を調達できず、その実物の性能も訓練弾シーカーに多少勝る程度とあっては、今では訓練弾のシーカーを以てFLIRの代用に充てる傾向が一般的になっている。当然画質は粗く細々とした調整など望むべくもないが、他国にはこのような装備すらないから、まあ「贅沢な悩み」と割り切るべきだろうか……?
『――目標視認!』
灰色の画面が拡大し、照準線が搭載弾の数だけ移動目標に重なり、これを追尾する。あの「ひえい」型イージス護衛艦と同じく、「スロリア紛争」後に配備が本格化した新型の装輪装甲車の一群。何れも八輪駆動の共通した車体、105ミリ砲を搭載し普通科部隊の火力支援を担う近接戦闘車MGSと、40ミリ機関砲と中距離多目的誘導弾を搭載、車内に最大8名の普通科隊員を収容し得る歩兵戦闘車的な役割を担う近接戦闘車AFV――それらはここ三年の内に陸上自衛隊の各師団及び旅団に急速に配備され、日本各地の駐屯地にその存在感を増しつつある。
それらこそが、目標――言い換えれば航達の仮設敵――の正体。地上より攻撃誘導を担当するCCTより各機に割り振られた目標情報が火器管制装置で処理された先に、ジャリアーが胴体下に抱く三連装ランチャーに吊下された「荷物」の出番がある。
『――目標補足……発射!』
発射ボタンを押す。発射から時間差を置き、目標指示ボックスの各所に浮かぶ「撃破」の表示が6つ――実戦ならば、航は今頃その眼下に火の海に占められた阿鼻叫喚の惨状を見出している筈だ――制式名称「空対地中距離多目的誘導弾」。陸上配備の中距離多目的誘導弾を航空機搭載用に改良したもので、地上及び母機からの目標情報を元に、複数の目標に向かい飛翔し得るという特性から、今や「ファンネル」という愛称が根付きつつある。
ジャリアーの搭載上限は三連装ランチャーに換算して3基計9発だが、これがより大型で搭載量に余裕のあるF-2だと18発。F-15EJだと24発に達する。「スロリア紛争」の戦訓から、少数の作戦機で大規模な敵機械化部隊を効率よく破壊するために生み出された必殺の矢。あるいはクラスター爆弾やナパーム弾のような後腐れの一切無い、かの新約聖書「黙示録」で言うところの「地獄の硫黄」――
『――目標撃破! 目標撃破!』
『――ユニコーン、こちら管制室。訓練終了、基地に帰投せよ。針路0-9-4』
『――こちら編隊長、了解』
『――ツー……』
先行する長浜機を目で追いつつ、航は燃料残に目を凝らす。色々と飛び回っただけあって、燃料は厚木に辿り着ける分しか残っていなかった。たとえ帰還を果たしたとしても、その後にデブリーフィングも兼ねた戦果判定、続いて夜間飛行訓練の飛行計画作成、夜間飛行訓練が待っている。それらを完全に終えて寝床に入れるのは、正味翌日の一時二時と言ったところか。それらに加え来週からはジャリアー乗りの最仕上げとでも言うべき「着艦訓練」――
「なんでおれが……」
『――ツー、何か言ったか?』
『――いいえ』
『――…………』
吐息の反響――『失敗したかなぁー……』という感慨を胸中に圧し殺し、航はHUDから目を離し蒼穹を仰ぐようにする。だがとにかく、自分が第1機動支援飛行群の一員となることはすでに本決まりなのだ。今まで三ヶ月間は、疾風の只中にあるかのような多忙に身を置いていたが故に、こういう思いを忘れられた。次の数ヶ月間も、かくの如く過ぎて欲しいと望みつつある航がいることも事実であった。その先に、彼が辿るべき希望ある未来が待っていますように……と航は機上で願うばかりだ。