森と炎と人間と
「やはり、これ以上人が増えれば……」
大きな部屋で、大人たちが額を突き合わせていた。
「そうですね。食糧不足、それに住む場所もありません」
「あの森さえなければ、外の世界と接触できるのに」
「そうすれば、これらの問題もなくなるだろうな」
大人たちは皆、スーツを着ていた。きちんと顎髭や髪も整えられている。
「やはり、森を焼き払うべきか」
「しかし! あそこは呪いの森。化け物がいるのですぞ!」
「だが、森は森。火をつければ燃えてなくなる」
「今日も、少女がひとり、森に迷い込んでしまった。何事もなかったから良かったものの、今後このようなことが起こっても、無事に済むとは断言できまい」
大人たちの中で、最も恰幅の良い、そして上等な服を着た男が、腰を上げた。
「明日の明朝、森を焼き払おう。万が一のために、女子供は家の中に避難させろ。村中の武器を集めて、男たちに装備させろ」
その男が見渡すと、大人たちは次々と頷いた。
――わたしのせいで。
エルは息を切らして、森を進む。森の奥へ行くほど、木々は増え、道をふさぐ。道らしき道などないけもの道を走り、走っては転びながらも、彼女は足を止めない。
――わたしのせいで、アルが!!
少女を突き動かすもの。それは、罪悪感か。
昨日、少女が森へ入ったことが大人たちにばれた。大人たちは、森を焼き払うことを決めたのだ。
――お願い、アル。無事でいて!
「きゃっ!」
むき出しの木の根につまずき、エルは派手に転んだ。
膝をすりむき、血が流れていた。手のひらにも土がつき、洋服も泥だらけだ。
泣きたくなるのもこらえて、少女は立ち上がる。にじむ涙を手の甲でぬぐい、彼女は走る。
「エル!?」
いつの間にかたどり着いた開けた場所。
「アル!」
アルは驚いた様子で、それでも抱きつくエルを何とか抱き留めた。
「なんで森に? 入っちゃいけないって、昨日言っただろ?」
「だって! 森が焼かれちゃうの! わたしのせいで! アル、逃げて!」
支離滅裂になる言葉。
アルは困惑した様子で、横を見やる。
そのときエルは、そこに何かがいるのに気が付いた。黒色の毛並みをした、獅子のような生物。
それが、低く吠えていた。
『ニンゲンが……なぜ、ここにいる』
「喋った!」
エルはびっくりして、アルにより一層抱きつく。
アルはエルをかばうようにして、彼女を抱きしめた。
「よせ! この子がここに来ても、師匠は何も反応しない。彼女には敵意はないんだ!」
獅子はしかし、威嚇をやめない。エルの周りをうろうろと歩く。
エルの表情に恐怖が宿る。
そこへ――
「バケモノめ! 退治してくれる!」
そんな怒鳴り声と、幾人もの足音。
木々の隙間から、焔が見えた。
「村の大人たちだ! 森に火を放つって!」
エルの表情が一転。焦りに変わる。そして、アルに向かって逃げてと叫ぶ。
アルは、ただ微笑むだけ。
「大丈夫だよ、エル。それに、おれは逃げないって。約束しちまったんだ」
獅子を見やると、その獅子は声のする方へと向かって走り出す。
間もなく、大人たちの叫び声が聞こえた。
バケモノめ。助けてくれ。痛い。死にたくない。
その声が聞こえてきて、エルは耳をふさいだ。
「大丈夫、エリス。もう怖い声は聞こえないぞ」
そのふさぐ手に、アルは自分の手を重ねて、囁く。
エルが驚いたように、彼を見上げた。
彼は、優しく微笑んでいた。
「アル?」
耳をふさいだまま、エルはアルを見上げる。
アルの表情が変わる。何かを決意した表情だ。
「エルはここにいろ。良いな?」
「待って! アル!」
その声は、アルに届かない。
彼はあっという間に見えなくなってしまった。
残されたエルは、呆然と立ち尽くしていた。
「バケモノめ!」
――そう、何度言われたっけな?
「死ね!」
――そう、何度殺されそうになったっけな?
「助けてくれ!」
――そう、何度叫び声を聞いたっけな?
「死にたくない!」
――そう、何度怒りを感じたっけな?
一声鳴くと、アルは狼人間へと姿を変えた。
先に戦場に出て、人々へと襲い掛かる獅子の手助けをする。
剣や斧を手に迫る人間を、その鋭い爪で薙ぎ払う。弓矢や銃を発砲してくる人間を、その鋭利な牙で食いつく。
「ヒィっ!」
悲鳴。怒号。銃声。
それらが混ざって、まるで音楽のよう。
すべてを破壊しようとする、自分の中の何か。それに突き動かされるままに、爪を、牙をふるう。
「化け物め! 死んでしまえ!」
横合いから飛び出してきた男を、爪で薙ぎ払う。
直後、銃声が聞こえた。
びくりと体が震え、熱を感じた。そこから、ずきずきと痛みが走る。
撃たれたのだと、どこか遠いところで感じた。
そこから流れる血の匂いが鼻につく。その匂いに、酔うかのように、より凶暴になる自分を感じた。
本物の獣のように吠え、人を襲う。
血が、臓器が、骨が、肉が地面を穢し、自分の体にまとわりつく。
「っくそ! 火を放て!」
あたりの木々が燃え始めた。焦げた匂いが鼻につく。
――森は……守らないと。
いつ負ったのだろうか。まったく感じていなかったが、体のあちこちに傷があった。おそらく、自分が殺した人間が、つけたのだろう。
その痛みさえ、もう、ろくに感じない。
「まだ死なないか!」
「火の勢いを強めろ! すべてを焼き払え」
――そんなこと、させない。
火を燃やしている現場へと行き、そこにいる人間を薙ぎ払った。
ばらばらになりながら、宙を舞っていく人間たち。
――どうやって、火を止めようか?
不意に、背中に衝撃を感じた。
「よくも、村の皆を……」
押し殺した声は、少年のようだ。
振り返れば、目に涙をためた少年。その服は真っ赤に染まっている。
――なんで?
そして、背中に違和感があった。
手を背に当ててみれば、なにか生ぬるい液体を触った。
――血?
思考がついていかない。
――なんで? どうして、こんなに出血している?
痛みが、熱が、あいまいな感覚に消えていく。
ようやく、自分の背中に斧が刺さっていると分かったときには、もう体に力が入らなかった。
目の前で燃えている炎。あれを消すんだ。そう頭で命令しても、体は動かない。
――あの人と、約束したのに。
炎は徐々に大きくなり、木々を呑みこんでは、焼いていく。次々と火は燃え移り、木々が倒れる音が響く。
「……アル……」
視界がかすむ。耳が遠くなる。
それでも、誰かが自分を呼んでいるのがわかった。
「アル……じゃ、だめ」
でも、意識は白に呑まれていく。
「アル、死んじゃダメ! アル!」
エルは、血まみれのアルを何度も揺さぶった。
炎は、もうじきこの辺りを囲んでしまうだろう。それでも、彼女は何度もアルの名を呼ぶ。
大人たちは、火が勢いづくのを見て、逃げ出した。巻き込まれたくなかったのだろう。
獅子も、すぐ近くで地面に横たわっていた。生きてはいるだろうが、立ち上がる気力もないのだろう。その毛並みには、べっとりと血がついていた。
「アル! アルってば!」
アルは人の姿に戻っていた。だが、その顔色からは血の気も失せ、辺りに血だまりができていた。
「ねぇ、アル……お願いだから」
エルの服は、アルの血で真っ赤に染まった。その手も血で穢れた。
エルの目から、涙がこぼれた。次々とあふれるそれは、地面に吸い込まれていく。
「ねぇ……アルゥ……」
涙声が、徐々に消えていく。しゃくりあげる声だけが、響く。
「ねぇ、誰か……誰か、助けてよ!」
必死になって叫んでも、もう誰もいない。炎が上がり、木が倒れた。
村の人間は、ここにはいない。ほかに、人もいない。
「ねぇ……誰か……誰か!!」
声をからして叫んだ。
ぽんと、誰かの手が、頭に置かれて、エルは顔を上げた。
そこにいたのは、金髪の青年。優しそうな微笑みを浮かべて、彼女を見ていた。
「誰?」
「そこで寝ている奴の師匠、かな」
その青年は、ゆったりとした動きで、アルの首筋に触れる。
その動きを、エルは見ていることしかできなかった。
「……心配ないよ。彼は大丈夫だ。仲間たちの中でも、とりわけて丈夫だからね。そのうち、目が覚めるよ」
「本当?」
「本当」
そして、彼は立ち上がり、獅子を見やる。
獅子は、ゆっくりと上体を起こし、彼を見た。
「それと、アルは泣き虫なんだ。目が覚めたとき一人だと泣いてしまうだろうから、君がそばにいてあげてくれるか?」
エルは、満面の笑みでうなずいた。
青年は、獅子を見やった。
「ヴォルグ! 動けるなら、二人を森の奥へ導いてやってくれないか?」
獅子は、立ち上がり、よろめきながらも三人の下へとやってきた。
その頭を、青年が撫でてやる。
「少しだけ、俺の力を分けてやるよ。運んだら、少し寝ていて良いから」
獅子は、一つ鳴くと、アルの服を口でつかんだ。そしてそのまま放り投げると、器用に背中に乗せた。
そして、ついてこいとばかりに、エルに向かって鼻を鳴らす。
「あれに付いて行けば良いよ。安全なところに連れて行ってくれる」
獅子はエルがついてくることを確認すると、先ほどとはうってかわって力強い足取りで歩き始めた。
「アルが目を覚ましたら、ありがとうって伝えておいてくれ!」
その言葉に、エルは振り返り、笑顔でうなずいた。
「さて、と」
青年は焼け残った木に触れた。
そこから、ふわりと風が巻き起こり、未だ燃え盛っている炎を消した。
「まったく、外に出たければ、勝手に出れば良いものを」
ひとりぐちった彼は、村のある方角を見る。
今度は地面にそっと触れた。
すると、何かが動く音がした。彼の目の前の木々が移動をはじめたのだ。
「いちいち大事にするなよな」
しばらくすると、木々がない、一本の道ができた。
そのことに気づいた村人たち。驚くもの、不安がるもの、喜ぶもの。反応はまちまちだ。
「……でも――」
彼の前を、ひとりの大人が駆け抜けていった。道ができ、外の世界と交流ができることを喜んだのだろう。
それに続いて、何人かの村人が気づく。その誰もが、彼に気づかない。
「やった! 外の世界だ!」
「これで、やっと――」
喜びの声が、銃声にかき消される。
村人たちは踊り狂った。次々と放たれる弾丸が、村人の体を貫く。
森の向こうにあったのは、城壁。そこの上に上った兵士が、村人を狙い撃ちしていた。
「何だ!? なんで、森が!?」
「ともかく、一人残らず殺せ!」
銃声に気づいて、何人かが森の中へ飛び込んだ。すると、また悲鳴。森の中から現れたのは、黒い体をした大小さまざまな獣たち。それが、村人を襲う。
「森の向こうの悪魔どもめ!」
「死ね!」
「数百年にわたる封印を解いたのか!?」
「化け物どもめ!」
村に残った人たちは、開けた道から見える場所で起きた出来事におびえ、家に閉じこもってしまった。
「――外に出たって良いことなんてないだろうに」




