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SF作家のアキバ事件簿253 3太陽会議

作者: ヘンリィ
掲載日:2026/05/02

ある日、聖都アキバに発生した"リアルの裂け目"!

異次元人、時空海賊、科学ギャングの侵略が始まる!


秋葉原の危機に立ち上がる美アラサーのスーパーヒロイン。

ヲタクの聖地、秋葉原を逝くスーパーヒロイン達の叙事詩。


ヲトナのジュブナイル第253話「3太陽会議」。さて、今回は大阪から来た腐女子達に誘われ、主人公は"3太陽会議"なる秘密会議します。


超古代の太陽系には太陽が3つあり、壮絶な宇宙戦争を繰り広げていた…主人公は1つの太陽の王、そして、スーパーヒロイン達は王に仕える…


お楽しみいただければ幸いです。

第1章 大阪


酸性雨は、上から降ってるわけじゃない。


どこか横から、あるいは内側から

滲み出してくるみたいに、街を濡らしていく。


大阪、日本橋(にっぽんばし)


ネオンは壊れかけ、

それでも点滅をやめない。


赤と青が瞬き、その合間に

見えなくてもよい何かが垣間見える。


ベンツ770Kは、滑り込むように止まる。

古いエンジンの余熱が遅れて追いつく。


誰も降りない。


ワイパーが規則的に動く。

そのたびに、世界はリセットされる。


「…来てもうたな」


ミィナが小さく言う。

その声は、さっきまでの軽さと異なる。


「せやな。ほんまに来てしもた」


カナンが窓の外を見たまま答える。


「相変わらずやで、この街。

 腐っとるんか、生きとるんか、よう分からん」


フロントガラスの向こうで、

看板がひとつ、火花を散らす。


一瞬だけ、雨が白く光る。酸性雨だ。


僕は何も言わない。

言葉にすると、何かが壊れる気がする。


「ほな、降りよか」


ミィナがドアを開ける。


外の空気が流れ込んでくる。

湿っていて、少しだけ金属の味がする。


「足元気ぃつけや。滑るで」


カナンが笑う。


「転けたら…

 そのまま持ってかれるかもしれへん」


冗談みたいに言う。

誰も笑わない。


僕たちは車を降りる。

靴底が、濡れたアスファルトに吸い付く。


どこかで、遠くサイレンが鳴っている。

長く、細く、途切れそうで、途切れない音。


「大阪、なめとったやろ」


ミィナが肩をすくめる。

カナンがくくっと笑い、僕たちを見る。


まっすぐに。


酸性雨は相変わらず、

どこからともなく降り続けている。


この街では、始まりと終わりの区別がつかない。


ただ、物語だけが進む。

ゆっくりと、確実に。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


そのときだ。


…ぽつん。


音がする。遅れて、気づく。

黒い雨が止んでいる。


いや、正確には違う。

僕たちの周りだけ、雨が落ちて来ない。


少し離れた場所では、相変わらず降り続いている。

ネオンに当たって、色を変えながら。


「なぁ」


カナンが小さく言う。


「これ、いつからや?」


誰も答えない。


ミィナだけが、足元を見ている。


「踏み込んだな」


その声は、ほとんど独り言だ。


「境界、越えたで」

「は?」


カナンが眉をひそめる。


「何の話やねん」


顔を上げる。その目は、さっきより、

少しだけ深いところを見ている。


「この先、もう戻られへんよ」


僕は無意識に後ろを振り返る。


来た道。

ネオン。雨。ベンツ770K。


全部、ちゃんとある。

でもどこか、薄い。


「戻る気なんか、最初からあらへんやろ」


ミィナが言う。

少し乱暴に。


「せやろ?」


カナンが笑う。


「ここまで来て"やっぱ帰ります"とか、

 ダサすぎるわ」


それが呆れなのか、安心なのか、

僕には判断がつかない。


そのとき、遠くでまたサイレンが鳴る。


さっきより近い。

でも音は、逆に遠くなっていくようだ。


ミィナが背を向ける。


「ついてきぃや。置いてくで」


歩き出す。

その足取りに迷いはない。


「ほな、行こか」


カナンが軽く指を鳴らす。


「やっと始まる感じやな」


僕とティルは、1度だけ、空を見る。

雨は、やっぱりそこにはない。


それでも、どこかで濡れている気がする。

理由は分からない。


ただ、そう感じるだけだ。


僕たちは路地裏の奥へと消えていく。

ネオンの光が、ゆっくりとその背中を飲む。


大阪は、何も言わない。

でも、何かが確実に動き出している。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


その路地は、思ったよりも長い。

直線のはずなのに、角度がわずかにずれていく。


背後のネオンは、もう見えない。

足音だけがついてくる。


ミィナとカナンも、いつもの軽口をやめる。

その沈黙は、誰かに決められたように均等だ。


「なぁ」


カナンが小さく言う。


「この道、こんな長かったか?」

「知らん」


ミィナが短く返す。


「初めて来たんやろ、アンタも」

「せやけどなぁ…」


カナンはそれ以上言わない。

そのときだ。


カラン。


何かが転がる音。僕たちは同時に足を止める。

足元。古い缶がひとつ、転がっている。


凹んで、錆びて、どこにでもありそうな空き缶。


「誰やねん、こんなん蹴ったん」


ミィナが言う。誰も答えない。

缶は、そこで止まっている。


完全に。

風もない。音もない。


「さっき、なかったよな」


僕は言う。誰も否定しない。

その沈黙が、肯定みたいに重くなる。


ティルが1歩近づく。

じっと缶を見る。


「触らん方がええで」


カナンが小さく言う。


「なんで?」


ティルが聞く。カナンは答えない。

ただ、少しだけ眉を寄せる。そのとき…


カラン。


同じ音。僕は思わず顔を上げる。

缶が、もう1度転がる。


同じ方向に。

同じ速度で。

同じ音を立てて。


まるで、さっきの続きをなぞるみたいに。


「は?」


カナンが笑う。でもその笑いは、途中で止まる。

缶はまた、同じ場所で止まる。


完全に一致している。


音も、動きも、止まり方も。

僕の背中に、冷たいものが走る。


「ティル。今の見たか?」

「見たわ。リピートしてる」


ティルは、1歩下がる。


「ちゃう」


ミィナが小さく言う。


「ズレてへんねん」

「は?」

「完全に同じや」


その言葉が、やけに重く落ちる。


「記録や」


ミィナは続ける。


「記録をなぞっとるだけや」


僕はもう1度、缶を見る。

ただのゴミにしか見えない。


でも、確かに"2回目"が存在する。


「どういうことや」


カナンが低く言う。

ミィナは少しだけ考え、肩をすくめる。


「簡単に言うとな」


1拍置く。


「ここ、過去が消えてへんねん」


沈黙。


遠くでサイレンが鳴る。

さっきより、さらに歪んでいる。


「残っとるんや。全部」


カナンが舌打ちする。


「最悪やな、それ」

「せやろ」


ミィナは淡く笑う。


「せやから言うたやん。"境界越えた"って」


缶を軽く蹴る。


今度は、普通に転がる。

普通に止まる。


何も起きない。


「は?」


さっきとの違いが、逆に気味悪い。

ミィナが振り返る。


「油断すんなや」


その目は、もう笑っていない。


「次、来るで」

「何がや」


カナンが聞く。

ミィナは少しだけ間を置く。


それから言う。


「人や」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


その瞬間、路地の奥に影がひとつ増えている。

さっきまで、いなかったはずの場所に。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ミィナは、迷いなく階段を降りていく。


地下鉄の入口は、口を開けたまま、

閉じることを忘れた生き物のようだ。


「モタモタしてたら、置いてくで」


振り返らずに言う。

僕たちはその後を追う。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


地下は、音が遅れて届く場所だ。


水たまりの連なった通路。

どこからか、ラップのビートが流れている。


ティルが少しよろめく。

メイド服の白が、この場所では浮いて見える。


「…鑑定人はどこなんだ」


僕の声は、思ったよりも遠くに落ちる。

誰も答えない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


御堂筋線の、使われなくなった留置線。

線路は途中で途切れ、その先は暗闇に飲まれる。


そこに"部屋"がある。


拾ってきたソファ。

場違いなシャンデリア。


壁には、誰かの"抜け殻"のようなものが、

いくつか掛けられている。


かつて、生き物だった気配だけが残る。


ミィナは、その中心に座っている。

まるで最初からそこにいたかのように。


「どう? びっくりした?」


両手を広げる。


「大阪の地下やで。うちらの庭みたいなもん」

「ここで…育ったのか?」


僕は聞く。


ミィナは少し考えるように、天井を見る。


「育ったいうか…

 気ぃついたら、ここにおっただけや」


軽く笑う。


「目が覚めたら、下水道やった。そんだけ」


ティルが小さく息を飲む。


「ずっと…ここに?」


「わりと快適やで、特に日本橋の下は」


カナンが壁にもたれながら言う。


「上より正直やしな。嘘、少ないわ」


壁に掛けられた"それ"を見ている。


「…地下鉄の遺構よ」


ぽつりと呟く。


「忘れられた場所には、忘れられたものが集まる」


ミィナはソファに深く沈み込む。


「うちらも、その一部や」


少しの沈黙。

ティルが口を開く。


「育ててくれた人は?」


カナンの表情が、ほんの一瞬だけ変わる。


「おったで」


短く言う。


「優しかった」


間を置く。


「でも、消えた。あっさりな」


それ以上は続けない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


僕は、1歩前に出る。


「3太陽会議のことだ。いつ、どこで開かれる?」


ミィナはすぐには答えない。

指先でソファの布をなぞっている。


「焦りすぎや」


ようやく言う。


「そのうち分かる」

「今、知りたい」


空気がわずかに張る。

カナンが顔を上げる。


「喧嘩売っとんの?」


低い声。

ティルが息を詰める。


「やめとき」


ミィナが片手を上げる。


「ここで揉めても、なんも始まらへん」


カナンは舌打ちして、隣に腰を下ろす。

ソファがきしむ。


「順番があんねん」


ミィナが僕を見る。

その視線は、どこか測っているようだ。


「あんたが"本物(モノホン)"かどうか」

「テストか」

「せや」


カナンが口元だけで笑う。


「ただの肩書きやったら、ここでは通用せぇへん」


ティルが口を挟もうとする。


「私は…」

「あんたは、関係あらへん」


ミィナが遮る。

やわらかい声で、はっきりと線を引く。


「これは、あんたの問題や」


僕を見る。


シャンデリアの光が、ゆっくり揺れる。

どこからか、水の滴る音。


「いつだ」

「そのうちな」


ミィナは視線を外す。


「ちゃんと連れてったる」


それ以上は言わない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


沈黙が落ちる。


その沈黙を破るみたいに、

カナンがミィナの肩に触れる。


軽く。

確かめるように。


ミィナも応じる。

言葉はない。


ただ距離だけが変わる。

それは誘惑にも、合図にも見える。


僕とティルは視線を外す。


見てはいけないもの、というより、

"まだ理解できないもの"だ。


ラップのビートが、少しだけ強くなる。

地下の空気が、わずかに濃くなる。


「ほな」


カナンが小さく言う。


「始めよか」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


秋葉原。御屋敷(メイドカフェ)のホール。


昼と夜のあいだみたいな時間だ。

照明はいつも通りなのに、どこか現実感が薄い。


エアリとマリレは、壁際で向き合う。


「もう2週間よ」


エアリが言う。


「連絡なし。ソロキャンプって言い訳のまま」


声は抑えているのに、熱だけが残る。


「私に怒るのはいい。

 でも、みんなに嘘つくのは違うでしょ」


マリレは少しだけ視線を外す。


「テリィたんが大阪行ったの、

 エアリのせいじゃないよ」


短く言う。


「あっちの問題」


視線だけが、ホールの奥へ流れる。


ミユリさんは、両手に皿を載せ、笑顔でお給仕中。

何も変わっていないように見える。


それが逆に、不自然だ。


「今日、上がり?」


マリレが聞く。


「ええ」


エアリは小さくうなずく。


「ミユリ姉様に言ってくる」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「姉様」


声をかける。


ミユリは振り返る。

いつもと違う、少し遅れて咲くような笑顔。


「手伝ってくれないの?」

「その前に」


エアリは周囲を見て、彼女の袖を引く。


「少し、いい?」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


バックヤードの隅。

音が少しだけ遠くなる場所。


「姉様」


エアリは、1歩踏み込む。


「何かヘンなことになってない?」


ミユリは首を傾げる。


「何のこと?」

「噂」


短く言う。


「流れてる。結構、広く」


ミユリは何も言わない。

エアリは続ける。


「最初は、すぐ消えると思ってた。

 でも違った。広がってる」


少しだけ声が強くなる。


「じゃ聞くわ。何なの?」


沈黙。


その沈黙は、否定ではない。

エアリは息を吸う。


「姉様が、池袋時代のTO(トップヲタク)と寝たって」


言い終えたあと、空気が少しだけ重くなる。


「そんなの、あるわけないって思ってた」


間を置く。


「誰かの作り話だって」


ミユリは肩をすくめる。

とても小さく。


「…ホントよ」


エアリの時間が、そこで止まる。


「え…?」


ミユリはそのまま歩き出す。

何事もなかったみたいに。


エアリは遅れて追いかける。


「待って」


声が少しだけ揺れる。


「それ…本当に?」


ミユリは立ち止まらない。


「ええ」

「どうして…」


問いは最後まで形にならない。

ミユリさんは、ようやく足を止める。


振り返らないまま、言う。


「テリィ様のことで、少し凹んでたの」


静かな声。


「そこに、たまたま誰かがいただけ」


説明のようで、説明になっていない。

エアリは言葉を探す。


「それ、私には言えなかったの?」

「言いたくなかった」


即答。

エアリは一歩詰める。


「でも私たち…」


言いかけて、止まる。


"私たちに秘密はない"


その言葉が、急に軽く感じられる。

ミユリさんはゆっくり振り向く。


「恥ずかしかったの」


それだけ言う。


「それじゃ、だめ?」


エアリは答えられない。

怒るべきか、守るべきか、わからなくなる。


「な、納得できないわ」


やっと出た言葉は、それだ。

ミユリは少しだけ笑う。


「でしょうね」


その笑みは、どこか遠い。


「でも、全部を分かってもらおうとも

 思ってないの」


エアリは息を詰める。


「姉様…」


その呼びかけは、少しだけ遅すぎる。

ミユリさんは、もう歩き出している。


ホールの光の中へ戻っていく。

何もなかったみたいに。


エアリはその場に残る。


さっきまでと同じ場所なのに、

少し違って見える。


噂は消えない。


むしろ、これから形を持つ。

そんな予感だけが、静かに残る。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


シフト明け。


地底超特急のグランド末広町ステーション。

夜とも朝ともつかない時間帯。


人の流れは途切れかけ、音だけが残っている。


ミユリさんは、フードを深くかぶり歩く。

まだメイド服の名残が、どこかに残っている。


「うるさいわね」


突然、声が飛ぶ。


ホームレスだ。女性。

誰に向けたものかは、はっきりしない。


「少しは静かにしてよ」


柱の影に誰かが横になっているのが見える。

布切れのように、動かない。


呼吸の気配だけがある。


「…ティル?」


違う。


「…リリル?」


フードの奥で、顔がわずかに動く。


「そうやったら、何?」


声だけが出てくる。

ミユリさんは、少しだけ息を整える。


「こんなところで…何してるの?」


リリルは片目だけ開ける。

その視線は、眠っている人間のものではない。


「見て分からん?」


小さく言う。


「寝てるんやけど」

「地下鉄の構内で?」

「せやけど」


短い返事。

会話は、それで終わったみたいに途切れる。


リリルはもう1度目を閉じる。


本当に眠るみたいに。

でも、その呼吸は妙に一定だった。


ミユリは立ったまま、しばらく見ている。


「…風邪ひくわよ」


言ってから、その言葉が少し場違いだと気づく。

リリルは動かない。


ただ、少しだけ口元が動く。


「気にせんでええ」


ほとんど寝言みたいな声。


「こういうとこ、慣れとるし」


沈黙。


遠くで地下鉄の音がする。

まだ来ていない電車の、予兆みたいな音。


ミユリは、もう1度だけリリルを見る。


そこにいるのに、どこにも属していない感じ。

理由は分からない。だが、感覚だけが残る。


「…またね」


小さく言う。

返事はない。


ミユリさんは歩き出す。


足音が、やけに響く。

数歩進んで、ふと振り返る。


柱の影。


そこにはもう、

誰もいない。


地下鉄がホームに滑り込んでくる。

風だけが、少し遅れて通り過ぎる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。地下廃駅の、使われなくなった駅務室。


空気は澱み、ここ数年、動いていない。

だが、どこかで低い振動だけが続いている。


「ほな、気張りや」


ミィナが先に立つ。

振り返らない。


部屋は広すぎる。


中央に、白い椅子と机がひとつ。

白いはずなのに、長い時間の色が染みついている。


正面には、スーツ姿の女。


動かない。

最初からそこにあった"置物"のようだ。


ミィナが椅子を引く。


「どうぞ、王様候補」


軽く笑う。

僕は座る。


女は足元のアタッシュケースを開けている。

中身は整然とし過ぎ逆に何も分からない。


思わず、少しだけ覗き込む。


「動かんといて」


静かな声。

顔を上げたときには、女はもう立ち上がっている。


音がしない。


次の瞬間、背後にいる。

手のひらが、後頭部に触れる。


冷たくも、温かくもない。


音。


耳ではなく、内側で鳴る。

それは波になって、額から抜けていく。


視界がわずかに歪む。


壁の表面に、何かの像が"結ばれる"。

銀河のようなもの。3つの光源。


そのうちのひとつが、ゆっくりと赤に沈んでいく。

赤色矮星が引き延ばされるように。


時間がずれる。戻る。止まる。

僕は何も理解できないまま、それを見ている。


女は、僕の後頭部から手を離す。

何事もなかったみたいに、正面へ戻る。


ミィナが、小さくうなずく。


「通ったな」


ほとんど独り言。

女はアタッシュケースから紙を取り出す。


ペンを差し出す。


「ご署名を」


その言い方は、あまりにも事務的だ。

僕は紙を見る。文字は読める。


サインしようとする。


「国王陛下」


その声に手が止まる。

顔を上げる。


女は、ほんのわずかにうなずく。

肯定とも、確認ともつかない動き。


僕は署名する。


紙の上の署名に目をやる。

自分のものではないみたいだ。


女はタブレットを取り出し、何かをなぞる。

僕のスマホが震える。


データが転送される。

電子的な完了音。


それで終わりだ。


女は全てをしまい、立ち上がる。

1度も振り返らず、部屋を出ていく。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


しばらくしてから、音が戻る。

ミィナとカナンが近づいてくる。


「やるやん」


カナンが笑う。


「ほんまに通しよったで」


ミィナが肩を叩く。


「おめでとさん。今日から王様や」


僕は紙を見る。

もう一度。


「これ、ただの契約書に見えるんだけど」


声が少し遅れる。


「しかも…介護付きの老老保険だ」


カナンが吹き出す。


「そら、そう見えるやろなぁ」


ミィナも笑う。


「表向きは、な」


僕は2人を見る。


「どういうことだ」


ミィナが指で空をくるくるとなぞる。


「簡単に言うたるわ」


少し考えるふりをする。


「ここにおった"検査官"やけど、

 モノホンは別の世界線におるんや」

「別の世界線?」

「せや。別の」


カナンが続ける。


「で、こっちの人間をちょいちょい借りて動かす」

「借りる?」

「せや。中に入る、いうか」


ミィナが軽くこめかみを叩く。


「意識、ちょっとだけ間借りするんや」


僕は言葉を失う。思わず関西弁。


「ほな、その人間は?」

「自分では普通に働いとる思てる」


カナンが肩をすくめる。


「"なんか変やったな"って記憶だけ残る」


ミィナが笑う。


「誘拐された気分、いうやつやな」

「なんのために」

「探しとんねん」


即答。


「使えるやつを」


沈黙。

ミィナが僕を指差す。


「で、見つけたんがアンタや」


カナンが頷く。


「ヲタクの王様、いうわけや」


その言葉は軽いのに、逃げ場がない。

僕は何も言えない。


理解が追いつかない。

でも、何かが確定してしまった感覚だけが残る。


「ま、難しい話はええやろ」


ミィナが両手を広げる。

一気に空気を変える。


「まずは祝い事や」

「祝い…?」

「せや」


カナンが笑う。


「王様の誕生やで?」


ミィナが肩を組んでくる。


「ええとこ連れてったる」


顔が近い。声が低い。

少しだけ期待が高まる。


「道頓堀でな、一番うまいお好み焼き」


にやっと笑う。


「今日はウチが奢ったるわ」


地下の空気が、少しだけ軽くなる。

でも、どこかでさっきの"音"が残っている。


消えきらないままに。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


地上に出たとき、黒い雨は止んでいる。


それでも路面は濡れている。

ネオンが滲んで、川みたいに流れる。


道頓堀。


人の声、看板の光、油の匂い。

全部が多すぎて、どこか現実感が薄い。


「ほら見ぃや」


ミィナが腕を広げる。


「これが大阪や」


カナンが笑う。


「ごちゃごちゃしとるやろ? 

 でもな、ここが一番よう分かるんや」

「何がだ」


僕は聞く。


「欲望や」


即答だ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


店は、細い路地の奥にある。


看板は半分消えていて、読めない。

それでも中は満席に近い。


「ここや」


ミィナが暖簾をくぐる。


鉄板の音。油の弾ける匂い。

熱気が、身体にまとわりつく。


席に着く。


「4つ、いつものやつ」


メニューも見ずにカナンが言う。

店主はうなずくだけだ。


顔はよく見えない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鉄板の上で、何かが焼かれる。

じゅう、という音。


「なぁ」


ミィナが言う。


「王様なった気分、どうなん?」


軽い口調。

でも目は笑っていない。


「実感はないな」


正直に言う。


「せやろな」


カナンが笑う。


「大体そうや」


ミィナが箸で鉄板を軽く叩く。


「せやけどな、もう始まっとるで」

「何が」


その瞬間。

じゅう、という音が止まる。


不自然に。

店の中のざわめきも、一瞬だけ遅れる。


「ほらな」


ミィナが小さく言う。

僕は周囲を見る。客はいる。動いている。


でも、どこか噛み合っていない。


ひとりの男が笑っている。

口は動いているのに、声が少し遅れて聞こえる。


別のテーブルの会話が、途中で巻き戻る。


「せやから言うてるやろ…

 せやから言うてるやろ…」


同じフレーズが、2度重なる。


僕は息を止める。


「これ」

「見えとるやろ?」


カナンが言う。


「もう"外"やないねん」


ミィナが続ける。


「ここ、重なっとる」


鉄板の上のお好み焼きが、ふくらむ。

その表面に、一瞬だけ別の模様が浮かぶ。


見たことのない図形。

すぐ消える。


「記録や」


誰かの声が、どこからかした気がする。

振り返る。


いない。


「気ぃついたか?」


ミィナが僕を見る。


「王様にはな、見えるようになるんや」


カナンが笑う。


「嫌でもな」


店主が皿を置く。

音が、少し遅れる。


「食え」


低い声。

顔はやっぱりよく見えない。


僕は箸を取る。

1口、口に運ぶ。


味がする。


でも、そのあとにもう1度、

同じ味が来る。遅れて。


「2回?」

「せや」


ミィナが頷く。


「この街、たまに世界線がズレんねん」


カナンが身を乗り出す。


「でな、それを"選ぶ"んが王様の仕事や」

「選ぶ…?」

「どっちをモノホンにするか」


鉄板の音が戻る。ざわめきも戻る。

でも完全には戻らない。


何かが、ずれたまま動いている。


「試練や」


ミィナが言う。


「1発目のな」


カナンが笑う。


「簡単やろ?」


簡単なワケがない。

僕は皿を見る。


お好み焼きは、ひとつのはずなのに、

どこかで、ふたつある気がする。


「どっち食う?」


ミィナが囁く。


「どっちが"今"か、決めてみぃや」


ネオンが、ゆっくりと揺れる。

川の水面が、少しだけ遅れて光る。


街全体が、呼吸を合わせていない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


暗闇の中で、スマホが鳴る。

その音だけが、やけに現実的だ。


スピアは手探りでスマホをつかむ。

目はまだ半分閉じている。


「もしもし」

「今から来て」


間を置かない声。


「…え」


一瞬で目が覚める。


「今、何時だと思ってるの。午前3時よ」

「お願い」


短い。

でも、拒めない種類の声だ。


「…どこ?」

「前に話した場所」


少しの沈黙。


「…わかった。すぐ行く」


通話は切れる。

余韻だけが残る。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


裏アキバの芳林パーク。


噴水の水は止まっているのに、 

なぜか音だけがしている。


ミユリさんが立っている。

夜の中で、輪郭だけが浮かぶ。


スピアはゆっくり近づく。


「…で?」


腕を組む。


「こんな時間に呼び出す話って?」


ミユリさんはすぐには話さない。

何かを選ぶみたいに、言葉を探している。


「信じてもらえないかもしれないけど」


ようやく言う。


「ホントの話なの」


スピアは軽く息を吐く。


「その前に1ついい?」


少しだけ意地悪な調子。


「"例の噂"の方が、

 よっぽど信じられないんだけど」


ミユリは苦く笑う。


「…あれは」


言いかけて、やめる。


「あとで話す」


スピアは肩をすくめる。


「いいわ。で、本題は?」


ミユリさんは顔を上げる。

決めたみたいに。


「テリィ様が…」


少しだけ言い淀む。


「正確には"別の世界線のテリィ様"が来たの」


スピアは何も言わない。

否定もしない。


ただ、続きを待つ。


「その"別の世界線のテリィ様"が仰るには」


ミユリさんの声が、少しだけ低くなる。


「自分の世界線は、もうすぐ崩壊するって」


風が吹く。

噴水の水面が、遅れて揺れる。


「原因は、ティルがいなくなったこと」


スピアの眉が、わずかに動く。


「ティルがいなくなった理由は…」


ミユリさんは、目を伏せる。


「私とテリィ様が結婚したからだって」


沈黙。 


でも、会話は途切れない。

スピアはゆっくりとうなずく。


「続けて」

「だから、その人は言ったの」


ミユリさんは、まっすぐ見る。


「この世界線で、テリィ様に私を諦めさせろって」


言葉が落ちる。


「何で?別の世界線って…未来のコト?

 ってか、そのために、あんな噂を流したの?」


スピアが聞く。

ミユリは首を振る。


「ホントは、何もしてない」


静かに言う。


「ただ…そう見えるようにしただけ」

「"今"のテリィたんを誤解させるために?」


うなずく。


「YES。私から離れていくように」


スピアはしばらく黙る。

夜の音だけが残る。


それから、小さく息を吐く。


「バカね」


でも声は優しい。


「全部1人で抱え込むからよ」


ミユリは少し笑う。


「ごめんね」

「こっちこそ」


スピアが言う。


「最初に気づいてあげなきゃいけなかったのに」


自嘲気味に笑う。


「テリィたんの元カノ会の会長としては失格ね」


少しの沈黙。空気がやわらぐ。

ふと、スピアが顔を上げる。


「…ってことは」


間。


「まだ、テリィたんとは"何もない"のよね?」


ミユリさんは少しだけ呆れた顔をする。


「ええ、そうよ」


スピアの表情が一気に明るくなる。


「よかった」

「何がよ」

「いろいろよ」


2人はハイタッチ。

乾いた音が、夜に溶ける。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


翌日。パーツ通りの"タイムマシンセンター"。


スピアは、やけに上機嫌だ。

コートの下には、とびきりのメイド服。


ドアの前で立ち止まる。


「ブディ館長!」


るんるんとノックする。


「注文なかったけど、勝手に出前しに来たわよ」


少し間を置く。


「あなた好みで、

 マヨ抜きのペッパージャックチーズ入り」


返事はない。

スピアは首をかしげる。


「…館長?」


もう1度ノック。

それでも反応はない。


「入るわよ」


ドアを開ける。

中は静かだった。


あまりにも。


「いないの?」


1歩、踏み込む。

空気が、少しだけ違う。


「ブディ?」


呼ぶ声だけが、部屋の奥に吸い込まれていく。


第3章 3太陽会議


大阪。


イエローキャブのドアが開く。

白衣のマッドサイエンティストが降り立つ。


ブディだ。


周囲は騒がしいはずなのに、音がどこか遠い。

すぐ横で、警官が誰かを車に押しつける。


「ええか、お前には弁護士を呼ぶ権利が…」


途中でやめる。


「…めんどくさ」


その言葉だけが妙に生々しい。

ブディは辺りを見回す。


街は光っている。

でも、その光は少しだけ遅れて届く。


視線の先で、女が振り返る。

売春婦だ。


一瞬だけ、目が合う。

彼女は、何かを測って、瞬時に目を逸らす。


ブディは言葉を失う。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


地下鉄の廃駅。

僕は壁に浮かんだ"像"を思い出す。


「あれが"3つの太陽"か」


声に出すと、現実味が少しだけ増す。


「せや」


ミィナが答える。


「うちらの世界線ではな

 昔から太陽が3つある、って話や」


カナンが笑う。


「童話みたいなもんやと思うやろ?」

「でも、ちゃうで」


ミィナが続ける。


「検査官は、それを確認したんや」


僕は自分の額に触れる。何もない。

でも、何かが刻まれている気もする。


「…つまり」


言葉を探す。


「僕は、その1つの王ってコトか?」


カナンが肩をすくめる。


「そういうことになるな」


軽い。でも否定はない。


「他の太陽にも、王がいるのか」

「おるで」


ミィナがうなずく。


「それぞれな」


少し間を置く。


「…まともなんかどうかは、知らんけどな」

「3太陽会議、っていうのは」


僕は続ける。


「その王たちが集まる?」

「表向きはな」


カナンが言う。


「実際は"操られてる連中"が来る」

「"操られてる"?」

「せや」


ミィナが指でこめかみを叩く。


「王たちは動かへん。動けへんのや。

 世界線をまたぐのは、そんな簡単ちゃう」


カナンが補足する。


「勝手に行き来できるもんやない。

 ヤマトのワープとちゃうで」


僕は黙る。

少しずつ、形が見えてくる。


「じゃあ僕が合意すれば」

「帰れるで」


ミィナが言う。即答だ。


「うちら、元の世界線に」


カナンが軽く僕の肩を叩く。

昨日盗んだ、あのバケットで。


「長い帰り道の、ゴールや」


ミィナはソファに腰を下ろす。

いつもの場所みたいに。


「取り決めはシンプルや」


足を組む。


「和平協定」


その言葉だけが、やけに重い。


「うちらの世界線は、ずっと揉めとる。戦争や」


カナンが続ける。


「しかもな、今の王、ギパァやったか」


鼻で笑う。


「人望、ゼロや」


ミィナが目を細める。


「せやからチャンスなんや」

「停戦の口実」

「帰る理由」

「全部、揃っとる」


ミィナとカナンの言葉が重なる。

どちらも軽いが、逃げ場を塞いでる。


遠くで、地下鉄の音が通り過ぎる。

僕は考える。


帰る。


その言葉だけが浮かぶ。


「帰るって」


ゆっくり言う。


「誰と誰が?」


ミィナは僕を見る。


「4人や」


はっきりと。


「それだけ」


僕は顔を上げる。


「7人じゃないのか」


カナンが首を振る。


「無理や」


短い。


「枠があんねん」


沈黙。

僕の中で、名前が浮かぶ。


ミユリさん達、ヲタッキーズ。

そして、リリル。


消えない。


「彼女達を置いていけない」


口に出す。それは、ほとんど条件反射だ。

ミィナが立ち上がる。ゆっくり近づく。


「なぁ、テリィたん」


声が柔らかくなる。


「秋葉原、見てみぃや」


少し笑う。


「みんな、ちゃんとやっとるやろ?」


距離が近い。

逃げ場がない。


「アンタがおらんでも、回っとる」


カナンが横から言う。


「それが現実や」


ミィナが続ける。


「怒らんといてな」


軽く手を広げる。


「うちら、ちゃんと帰りたいだけや」


沈黙。

その沈黙に、別の言葉が差し込む。


「"時空トンネル"」


ロケット弾を撃ち込んでみる。

カナンが止まる。


「何や、それ」

「宗教みたいなものだって聞いてた」


ミィナがゆっくり振り返る。


「"聖杯"みたいな」


僕は首を振る。


「わからない」


正直に言う。


「何も知らない」


少しの間。

ミィナが息を吐く。


「そら、残念やな」


軽く言う。

でも、目は冷たい。


「切り札になる思たのに」


カナンが肩をすくめる。


「まぁええ。会議で話題になるかも分からんし」

「出んかもしれん」


言葉が曖昧に散る。

でもひとつだけ、はっきりしている。


僕は"選ばれている"。


地下鉄の音が、もう1度通り過ぎる。

今度は、少しだけ近い。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「…っ」


短い悲鳴。


リリルが飛び起きる。呼吸が乱れている。

目はまだ、別の場所を見ている。


「リリル?」


階段を駆け下りてくる足音。

ミユリさんが肩を抱く。


「大丈夫。ここよ」


現実に引き戻すみたいに、ゆっくりと言う。

リリルは首を振る。


「…また」


かすれた声。


「同じ夢を見たの」

「夢よ」


ミユリさんは断言する。


「ただの」


リリルはうなずかない。


「違う」


小さく言う。


「繰り返してるの」


沈黙。


「…何が?」


ミユリさんの問いは、やわらかい。

でも逃げ道を残さない。


リリルの視線が揺れる。


「ルナリが…」


言葉が途切れる。


「道路に…」


その先を言えない。


「動かなくなるの」


ミユリさんは何も言わず、ただ背中を撫でる。


「夢だから」


繰り返す。


「ここには何もないわ」


リリルは、ゆっくり首を振る。


「…違うの」


声が少し強くなる。


「私、わかってた」


間。


「止められたのに」


言い切る。


「止めなかった」


その瞬間、何かが決まってしまう。

リリルは、泣き崩れる。


ミユリさんは支える。


「何のこと?」


リリルは目を閉じる。


「話せない」


それで終わり。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


翌朝。御屋敷(トラベラーズビクス)の窓に、淡い光が差し込む。

夜の出来事が、少しだけ遠くなる時間。


カウンター席。

湯気の立つ紅茶。


ミユリさんは、リリルと向かい合っている。

しばらく、どちらも話さない。


「ルナリはね」


リリルが口を開く。


「強い人だった」


カップに視線を落としたまま。


「近づきにくいくらいに」


少し笑う。


「完璧でいようとしてた」


ミユリさんは黙って聞く。


「でも」


リリルは続ける。


「誰よりも、壊れやすかった」


言葉は静かだ。


「愛してたのね」


ミユリさんが言う。

リリルは少しだけ考える。


「ええ」


短く。


「とても」


間。


「でも、あっちはどうだったか…わからない」


カップの縁をなぞる。


「そんな気がしただけ」


ミユリは何も言わない。

リリルがふと顔を上げる。


「ねえ」


視線が変わる。


「テリィたんは、どうして貴女を知ったの?」


少しだけ踏み込む。


「"スーパーヒロイン"だって」


ミユリは窓の方を見る。

光が少し強くなる。


「違うわ」


ゆっくり言う。


「偶然よ」


間。


「私が音波銃に撃たれて…」

「音波銃?この世界線では、

 既に音波兵器が実用化されてるの?」


リリルの眉が動く。


「いいえ。警察の群衆鎮圧用の音響兵器だった。

 でも、私達にとっては致死性」


曖昧に言う。


「そのまま、終わるはずだった」


カップに手を添える。


「でも」


少しだけ、笑う。


「テリィ様が助けてくれた」


沈黙。

リリルがじっと見る。


「スーパーヒロインを蘇らせたの?」


ミユリさんは、答えない。

ただ、紅茶を一口飲む。


その仕草だけが、肯定の代わりになる。


「…そう」


リリルが小さく言う。

視線を外す。何かを測るように。


朝の光が、少しずつ店内を満たしていく。

でも、夜の気配はまだ消えない。


どこかに残っている。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。


雑踏の中、僕は立ち止まりスマホを抜く。

少し迷ってから、発信する。


コール音。


「もしもし」


エアリの声。


「僕だ」


少し間。


「テリィたん? 今どこなの?」

「まだ大阪」


短く答える。


「アキバ、どう?」


沈黙が一瞬だけ入る。


「普通よ」


エアリが言う。


「テリィたんがいない以外は」


軽く刺してくる。

僕は流す。


「聞きたいことがある」

「なに」

「もし、自分の世界線に帰れるとしたら」


言葉を選ぶ。


「どうする?」


向こうで息を飲む気配。


「どういう意味?」

「そのままの意味さ」

「そんなコト、出来るの?」

「出来る」


はっきり言う。

少しの沈黙。


「わからないわ」


エアリの声が落ちる。


「テリィたんも、スピアもいるのに。

 秋葉原を離れるなんて、考えられない」


正直な声。


「現実とは思えないし」


僕は目を閉じる。


「でも現実なんだ」


言い切る。


「だから、決めてほしい」

「え?」

「エアリとマリレの答えがいる」


少しだけ間を置く。


「ミユリさんには、僕から聞く」

「ちょっと待ってよ」


声が強くなる。


「そんなの、急すぎるでしょ」

「それに…」


言葉が詰まる。


「何も言わずに大阪行ったの、どういうこと?」


核心に触れる。


「そりゃミユリ姉様とは気まずいカモだけど

 私たちに相談しないって、ひどいよ」


僕は笑う。

乾いた笑い。


「どうせ僕はわがままだよ。子供だし」


少し間。


「味覚も5才児だ」

「なにそれ」


エアリが戸惑う。


「意味わかんない」

「もういい」


僕は言う。


「この話やめよう」

「ねえ」


食い下がる声。


「ちゃんと説明して。

 私はテリィたんのセフレよ。雑に扱わないで」


刺す。

僕は一瞬黙る。


「エアリだって隠してただろ」


低く言う。


「ごめん」


すぐ返ってくる。


「今さらだよ」


言葉がこぼれる。


「あのとき、言ってほしかった」

「あのとき?…いつの話?」


エアリの声が揺れる。


「何のこと?」


僕は答えない。


「また連絡する」


乱暴に通話を切る。

画面が暗くなる。


僕はしばらく、それを見ている。

道頓堀のネオンが揺れる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


数時間後。御屋敷(トラベラーズビクス)のバックヤード。


空気が張りつめている。

リリルが立っている。


エアリとマリレが囲む。

メイド vs サイバーパンク。


「なんで」


エアリが口火を切る。


「ミィナは、私に化けたの?」


リリルは視線を逸らす。


「知らない」


即答。


「嘘」


マリレが言う。

1歩前に出る。


「知ってるでしょ」


沈黙。


「しつこいわね」


リリルが吐き捨てる。

その瞬間。


パリン、と音。


横にあったガラス瓶が砕け散る。

マリレの手は動いていない。


それでも、砕けている。

リリルの肩がわずかに震える。


「やる気?」


低く言うマリレ。

その時、ドアが開く。


「何してるの」


ミユリさんが顔を出す。

状況を一瞬で理解。


「やめなさい」


すぐに入ってくる。


「落ち着いて」


エアリが何か言おうとする。


「でも、姉様」

「私が聞く」


ミユリさんが遮る。

静かに、しかし強く。


「…いい?」


誰も反論できない。

ミユリさんはリリルの手首を取る。


「来て」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ボックス席。


さっきまでの緊張が、少しだけ遠くなる場所。

向き合う2人。


「この前」


ミユリさんが言う。


「ルナリのこと、話せないって言ったわよね」


リリルは何も言わない。


「いいの」


ミユリは続ける。


「無理に聞き出すつもりはない」


少し間。


「でも」


視線がまっすぐになる。


「もし、テリィ様に関係があるのなら」


言葉を選ばない。


「教えて」


リリルの指がわずかに動く。


「私」


ミユリの声が震える。


「テリィ様を失うの、無理なの」


初めての言葉。


「ルナリと同じこと、繰り返したくない」


沈黙。


「愛してるから」


その一言で、空気が変わる。

リリルが顔を上げる。


まっすぐ見る。


「貴女ならわかるでしょ」


ミユリが言う。


「ルナリと百合だった貴女なら」


逃げ場を塞ぐ。

リリルは唇を噛む。


唇ピアスがわずかに揺れる。


「…」


何かを言いかける。止める。沈黙が続く。

ミユリさんは、さらに1歩踏み込む。


「お願い」


小さく言う。


「私」


少しだけ言い淀む。


「テリィ様が心配なの」


その名前が落ちた瞬間。

リリルの表情が、微かに変わる。


ほんの一瞬。

でも、確かに。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


回想。


大阪、日本橋。

雨上がりの路地裏。


ネオンが濡れた地面に滲んでいる。

足音だけが、やけに響く。


4人で歩いている。


ルナリ。

ミィナ。

カナン。

そして、少し後ろに、リリル。


誰も喋っていない。

でも、空気は張りつめている。


ルナリは前を歩く。

背筋がまっすぐで、迷いがない。


振り返らない。


その後ろで、ミィナとカナンが

一瞬だけ目を合わせる。


ほんの一瞬。


それだけで、何かが通じる。

リリルは、それを見る。


見てしまう。


「やめて」


小さく呟く。

声にはならない。


届かない。


ルナリが足を止める。

遠くでエンジン音。


低く、近づいてくる。


ネオンが、揺れる。

時間が、少しだけ遅れる。


「今や」


カナンの声。

ささやきに近い。


ミィナが一歩前に出る。

ルナリが振り返る。


何かに気づいた顔。

その瞬間…


光。


音。


すべてが重なる。

リリルの視界が歪む。


「違う」


どこかで思う。


「これ、選べたはずや」


でも身体が動かない。

止められない。


止めない。

次の瞬間。静寂。


路地の真ん中に、

ルナリが横たわっている。


動かない。

ネオンだけが、遅れて揺れる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


現在。リリルの声が重なる。


「事故やない」


低く。確信だけが残っている。


「仕組まれたもんや」


ミユリさんの手が震える。


「まさか」


リリルは、目を閉じる。

あの瞬間を、もう1度なぞるように。


「ミィナとカナンが…」


言いかけて、止まる。

でも、もう止まらない。


「やったんや」


静かに言い切る。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「テリィ様は」


ミユリの声が崩れる。

理解より先に、感情が来る。


「じゃあ…」


言葉が続かない。

リリルは目を開ける。


まっすぐ見る。


「用済みになったら」


間。


「同じこと、する」


断定ではない。

でも、否定もない。


ミユリさんの視界が揺れる。

ネオンも、光も、全部が遠くなる。


「そんな」


声が小さくこぼれる。

それでも、涙は止まらない。


リリルは何も言わない。


ただ、あのときと同じように。

"選ばなかった自分"を、もう1度見ている。


「リリル。貴女は、何を知ってるの?」


リリルはすぐには答えない。

代わりに、ゆっくりと息を吐く。


「全部は、話せない」


はっきり言う。

ミユリさんの目が揺れる。


「でも」


リリルは、顔を上げる。

初めて、逃げない目をする。


「何も知らんままの方が危ない」


その言い方は、どこか大阪の響きを帯びている。

ミユリさんは、うなずく。


「それでいい。教えて」


リリルは少し考える。

言葉を選ぶ時間。


「ルナリの事故」


静かに言う。


「あれ、ただの事故やない」


ミユリの呼吸が止まる。


「誰かが"選んだ"結果なんや」

「選んだ結果?」

「せや」


リリルの視線が遠くなる。


「あのときも"分岐"があった」


カウンター越しの光が、少し揺れる。


「どっちに転ぶかを、誰かが決めた」


ミユリは言葉を失う。


「私、気づいてた」


リリルが続ける。


「でも、止めへんかった」


その言葉は、さっきの夢とつながる。


「止められたのに」


沈黙。


「どうして」


ミユリがかすれる声で聞く。

リリルは少しだけ笑う。


乾いた笑い。


「選ばんかったんや。怖かったから。

 選ぶ側になるんが」


その告白は、静かに落ちる。

ミユリさんは、ゆっくり首を振る。


「じゃ今は?」


リリルを見る。

まっすぐに。


「今も"選ばない側"のつもり?」


リリルの目が揺れる。

ほんの一瞬。


「選ぶ」


小さく言う。

でも確かに。


「今回は」


間。


「逃げへん」


その言葉で、空気が変わる。


「テリィたんは」


リリルは続ける。


「もう"選ばれる側"やない。

 "選ぶ側"に来てもうてる」


ミユリさんは息を飲む。


「王だから?」


リリルは首を振る。


「ちゃう」


少しだけ笑う。


「王になったからやない。

 なってしもたからや」


微妙な違い。

でも、決定的だ。


「これ以上は無理や」


リリルは、はっきり線を引く。


「せやけど」


少しだけ前に出る。


「テリィたんがそれを思い出したら」


声が低くなる。


「この世界線、ひっくり返るで」


沈黙。


遠くでカップの触れ合う音。

日常が早足で戻って来る。


ミユリさんは、ゆっくりうなずく。


「わかったわ」


完全には理解していない。

だが、心を決めた女子は強い。


「ありがとう」


リリルは何も言わない。

ただ、少しだけ肩の力を抜く。


「ひとつだけ」


リリルが言う。


「約束や」


ミユリさんを見る。


「あんたは、あんたの王様を、守るんや」


ミユリさんは、すぐには答えない。

でも最後に、短く言う。


「任せて」


腐女子のイントネーション。

それが、不思議と頼もしい。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。日本橋。


灯りの届かない路地。

ネオンの残り灯だけが、足元に滲む。


4人で歩く。


誰も、同じ速度で歩いていない。


「やばなったら呼びや」


カナンが軽く言う。


「すぐ行ったる」

「大丈夫よ」


ティルが答える。


「アンタには聞いてへん」


ミィナが噛みつく。

空気が一瞬で張る。


ティルが何か言い返そうとする。

その前に


「もういい」


僕は立ち止まる。

くるりと振り返る。


ミィナの正面に立つ。

距離が近い。


「はっきりさせる」


声は思ったより静かだ。


「検査官が王と認めたのは僕だ」


ネオンが1度だけ明滅する。


「これからは、僕が決める」


1拍置く。


「王として命令する」


言い切る。

自分で言って、後から慌てて実感が追いつく。


ミィナは一瞬だけ黙る。

それから、ふっと笑う。


「ええやん」


あっさりと。


「王様やもんな」


引き方が軽すぎる。

それが逆に、読めない。


僕はその顔を見る。

この先、3太陽会議が終わったあとで…


"用済み"になるのは、誰だ?


考えがよぎる。


「名前で呼べ」


僕は宣告する。


「ティルだ」


ミィナの視線がわずかに動く。


「カナン」


軽く言う。


「先、行っといて」


カナンは一瞬だけ僕を見る。

何かを測るみたいに。


「ほな」


短く答える。

ティルの肩を軽く叩く。


「行こか」


2人は歩き出す。

足音が、ゆっくり遠ざかる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


残るのは、僕とミィナ。


ネオンが、また1度だけ揺れる。

ミィナが振り返る。仕草が変わる。


さっきまでと違う"顔"だ。

シナをつくる。


「やるやん」


ゆっくり近づいてくる。


「正直、ちょっと見直したわ」


距離を詰めてくる。

逃げ場はない。


「あんたな」


指先で、僕の肩に触れる。


「ルナリより上やで」


軽く払う。

埃なんて、ついていないのに。


「"何か"を持っとる」


目が死んでる。

風俗嬢の営業みたいだ。


「そら、鼻も高なるわ」


そのまま、距離ゼロになる。

僕を抱き寄せる。


自然な動きすぎて拒む隙がない。

耳元に息がかかる。


「頑張ろな」


低く囁く。


「うちらで」


その"うちら"に、誰と誰が含まれて、

誰と誰が含まれないのか。


ミィナが離れる。

何事もなかったみたいに。


「ほな行こか、王様」


背を向ける。歩き出す。

僕は一瞬だけ立ち止まる。


さっきの言葉。

さっきの距離。


どこまでが本音で、どこからが演技か。

わからない。


でも、もう戻れない。


遠くで、地下鉄の音。

それが合図みたいに響く。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


地下の、さらに深い場所だ。


階段は途中から数えられなくなる。

何段降りたのか、誰も覚えていない。


音が減っていく。

最後に残るのは、自分の呼吸だけだ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


扉がある。


古いはずなのに、傷がない。

ミィナが手をかざす。


触れていないのに、反応する。


「ここや」


低く言う。

扉は音もなく開く。


中は、広い。


広すぎて、形がわからない。

壁も天井もないのに、閉じている。


中央に、3つの"席"がある。


等間隔。

円でもなく、直線でもない。


その上に…光。


3つ。


ゆっくりと回転する。

色が違う。


白。

青。

そして、赤。


赤だけが、わずかに遅れている。


「来たな」


声がする。

どこからでもない場所から。


1つ目の席。


誰かが"いる"。

輪郭が定まらない。


人の形に近いのに、焦点が合わない。

空気が少しだけ(よど)む。


「確認する」


別の声。


2つ目は…ブディ。


まるで別人だ。無言で壁を睨む。

静かだが、圧がある。


3つ目は…僕だ。


ミィナとカナンが、1歩下がる。

無言で僕の後ろに位置を取る。


「前や」


ミィナが小さく言う。


「王様」


僕は1歩、前に出る。

足音が遅れて響く。


「ブディ?」

「いいや。私はラレクだ。

 テリィたん。君も王だったのか?」

「どうやら、そうらしい」


第3の声は、女性だ。


「あなた、自分の名前を知らないの?

 ねぇ王としての名前も知らないのに、

 3太陽会議に出席させて大丈夫?」

「検査官の試験をパスした以上、

 出席資格はある。

 テリィたん、彼女の名前はカサナ。

 我々は、それぞれの太陽の王だ」

 

そのとき、背後のドアが開く。


「ねぇ!ギパァを忘れちゃ困るわ」


入って来たのはトキナ…頭巾ズ率いる謎の幼女。


「テリィたん、私がギパァの代理ょ。

 あら?大量虐殺の彼女も御一緒なの?

 今日も誰か殺した?」

「今のところ未だよ」

「おやおや。怖いわね」


ティルと、別の世界線の会話を交わす。

前の世界線の記憶があるのか?


突然現れた玉座みたいな椅子に座るトキナ。

ブディが宣言する。


「では、3太陽会議を始めよう」


時空が、それを記録しているみたいに

3つの光が、わずかに強くなる。


「識別を行う」


1つ目の誰かが言う。


同時に、頭の奥で、あの"音"が鳴る。

地下で聞いたものと同じ。


音波。


貫く。逃げ場がない。

視界の端に、像が結ばれる。


3つの太陽。回っている。

そのうちの1つが僕と同期する。


「確認」


2つ目が言う。


「系統、正規」


3つ目が、初めて声を出す。

低い。


「不安定」


短い。

それだけで、全てを言い切る。


「議題に入る」


1つ目。


「3つの太陽の均衡崩壊」


2つ目。


「原因は既知」


3つ目。


「是正が必要」


言葉が重なる。

微妙にずれながら、揃う。


「選択を要求する」


1つ目。


「維持か」


2つ目。


「収束か」


3つ目。


「もしくは逸脱」


その言葉だけ、少しだけ温度が違う。

意味は完全にはわからない。


でも、ひとつだけ、はっきりしている。

これは交渉じゃない。


"決定"だ。


「回答を」


3つの声が重なる。

逃げ場は、ない。


背後で、ティルが小さく息を飲む。

ミィナとカナンは何も言わない。


僕は口を開く。

言葉が出る前に、思う。


ここで選べば、すべてが決まる。

選ばなければ…それもまた、選択になる。


頭上の3つの太陽が、わずかに揺れる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


秋葉原。


営業を終えた御屋敷。

灯りは落ちているのに、完全な暗闇ではない。


カウンター席にヲタッキーズ。

ミユリさん、エアリ、マリレ。


そしてリリル。

誰も座り方が落ち着かない。


「知らせなきゃ」


ミユリさんが言う。


「テリィ様に」


間。


「でも今は…」


視線が宙に浮く。


「会議の最中だわ」


リリルが小さくうなずく。


「3太陽会議や」


エアリが身を乗り出す。


「どこでやってるの?」

「大阪。ダウンタウンの方」

「ダウンタウンって…どこ?」


苛立ちが混じる。

リリルは首を振る。


「そこまでは知らん」


言い切る。

空気が重くなる。


そのとき。

ミユリさんの表情が変わる。


何かを思い出した顔。


「そうだわ」


顔を上げる。


「エアリ」

「はい。姉様」

「テリィ様に話しかけてみて」


一瞬、意味が通らない。


「はい?」

「前にやったでしょ」


ミユリが続ける。


南秋葉原条約機構(SATO)の捕虜になった時」


エアリの目が揺れる。言い淀む。


「あれは…無理よ」


はっきり言う。


「距離が違いすぎます。状況も」


ミユリさんは、1歩踏み込む。


「でも、やるしかない」


静かに。


「届くかどうかじゃないの」


1拍置く。


「届かせるの」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


沈黙。


エアリは目を閉じる。

少しだけ、息を整える。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。3つの光が、わずかに脈打つ地下。


「提案を伝達する」


幼い声。姿は小さい。

でも、この場では誰よりも"上"にいる。


「ギパァより」


空気が一段、冷える。


「条件は3つ」


指を立てるでもなく、言葉だけが並ぶ。


「1」


間。わずかなズレ。


「当該個体、テリィ。王位は保持。

 ただし名目的。実効権限はギパァに帰属」


沈黙が落ちる。


ティルの視線がわずかに動く。

何も言わない。


「2」


幼女は続ける。


「支持基盤の解体。武装の放棄。

 ギパァ体制への編入」


ミィナが小さく舌打ちする。

音にはならない程度に。


「3」


少しだけ間が長くなる。


「これが核心」


3つの光が、わずかに寄る。


「超古代文明の遺構、

 すなわち"時空トンネル"の返還」


ざわめきが起きる。

目に見えない波が確かに広がる。


ブディが前に出る。


「待て」


声が揺れている。


「"時空トンネル"だと?」


幼女はうなずく。


「現時点では、我々の世界線に存在しない」


言葉を切る。


「だが」


わずかに笑う。


「存在は、確認されている」


視線が、僕に集まる。

逃げ場はない。


「保有者は」


幼女が言う。


「テリィ」


言い切る。


「…マジか」


ブディ。


「テリィたん」


ミィナの声が重なる。

軽い。でも目は笑っていない。


僕は、少しだけ考える。

それから言う。


「ある」


短く。

空気が変わる。


ミィナが舌打ちする。

今度は隠さない。


「なんやそれ」


小さく吐く。


「知らん言うてたやん」


幼女は構わず続ける。


「返還が確認されれば、

 4名の"母なる世界線"への帰還は保証される。

 その他の交戦行為も一切停止する」


間。


それがどれだけ大きい条件なのか。

誰もが理解しあぐねている。


ミィナが一歩出る。


「ええやん」


軽く言う。


「それで全部片付くんやろ?」


僕を見る。


「渡すだけで。な?」


僕は答えない。

すぐには。


「少し時間をくれ」


我ながら名案だ。

ブディがうなずく。


「当然だ」


視線を外さない。


「だが長くは取れない」


幼女が引き継ぐ。


「制限時間を設定する」


淡々と。


「20分」


空間がわずかに軋む。


「この場への干渉は高負荷」

「持続不能」

「回答を要請する」


3つの光が、ゆっくり離れる。


「休会」


一斉に音が戻る。一気に。


「ROG」


誰かがつぶやく。

了解の合図だ。


僕は立ち上がる。足が少しだけ重い。

幼女が、ほんのわずかに笑う。


意味は読めない。


背を向ける。歩き出す。

その背後に


ミィナ。

カナン。

そしてティル。


3つの影が続く。


そのとき。ほんの一瞬だけ。

頭の奥に"声"が触れる。


遠い。

でも、確かに。


僕は立ち止まらない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。イルミネーションが滲む祖右衛門町。


ネオンと白い光が混ざり合う。

街全体がどこか現実から浮いている。


その中を、メイド姿のティルと並んで歩く。


人混み。笑い声。

でも僕たちだけ、少しだけ違う時間にいる。


「相手はトキナだぞ」


僕は言う。


「信用できる気がしない」


ティルが小さくうなずく。


「ホントよね」


間。


「ミィナもカナンも…」


そう続けて言葉を探す。


「"ヲタッキーズ"と同じDNAだなんて、

 とても信じられない」


ティルが少し笑う。


「私も同じ」


横顔のまま。


「ミユリ姉様やエアリ達とは、まるで違うもの」


人の波が2人を押し流す。

それでも歩幅は崩れない。


「"時空トンネル"、気にしてたな」


ティルは、僕を見上げる。


「どうして、あの人たちに隠したの?」


少しだけ間を置く。


「ミユリさんの言葉が引っかかってる」


僕は言う。


「"悪い目的に使われたら危険"って」


ネオンがゆっくり流れていく。


「あのときの顔」


思い出す。


「ただの想像じゃなかった。

 何かを確信してた」


ティルはしばらく何も言わない。

考えるみたいに。


「どうして知ってるのかしら」


小さく。


「わからない」


僕は答える。


「でも…」


今度は言葉が続かない。

つぶやく。ティルに。


「僕はどうすればいい?」


ティルが1歩前に出る。

くるりと振り返る。


光が胸の谷間に落ちる。


「簡単よ」


少しだけ、誇るように。


「どんな決断でも」


まっすぐ見る。


「テリィたんは、正しい」


僕は苦笑する。


「どうして?」


ティルは肩をすくめる。


「トキナは、あなたを馬鹿にしてる」


はっきり言う。


「でも私は違う」


1歩近づく。


「"母なる世界線"のあなたは、

 とても立派な王だったもの」


その言葉は軽くない。


「私にはわかるの」


僕は視線を逸らす。


「僕は何もしてない」


小さく言う。


「それに値することなんて」


ティルは微笑む。

満足そうに。


「それで良いの」


少しだけ首をかしげる。


「"母なる世界線"のあなたが」


間。


「ちゃんと証明してるから」


ほんの少しだけ、柔らかくなる。


「そして、とても良い夫だったって」


沈黙。

雑踏の音が戻ってくる。


遠くでサイレン。

パトカーが光を引きずって走り抜ける。


赤と青が、2人の間を横切る。

一瞬だけ、世界が別の色になる。


僕とティルは立ち尽くす。

何も言わない。


でも、さっきより少しだけ

前に進める気がしてくる。


宗右衛門町の光の中に、2人が溶けて逝く。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。夜。


人の気配を吸い込んだみたいに静かな廃ビル。

コンクリートの匂い。遠くにネオンの反射。


「大阪なんて大っ嫌いよ」


幼い声が響く。


「ミィナ。どこにいるの? 出てきなさい」


足音が止まる。

沈黙。


「ここやで」


柱の影から、ミィナが現れる。


「脅かさないで」


トキナは眉1つ動かさない。

ミィナは肩をすくめる。


「なんや、会いたかったんやろ?」


1歩、近づく。


「当然でしょ」


トキナは言う。


「早く全てを見せて。あなたの」


ミィナが笑う。

低く、楽しそうに。


「全ては"母なる世界線"に帰ってからや」


間を詰める。柱際にトキナを追い込む。

大人の胸を推し出し、距離を詰める。


「お楽しみは後に取っとくもんやろ?」


幼女の耳元で囁く。

しかし、トキナは動じない。


「貴女が帰るには

 "時空トンネル"が必要なのよ」


鼻で笑うミィナ。


「何言うてんねん」


少し離れて、肩で風を切る。


「あんたがトンネル取れんでも、ウチは帰る」

「切り札もないのに?

 ずいぶん大口を叩くのね」


トキナが返し、ミィナの目が細くなる。


「あるで」


1歩、踏み込む。


「見せてへんだけや」

 ウチな、他の連中とちゃうねん」


関西の響きが少し強くなる。


「"母なる世界線の記憶"が残っとる」


空気が変わる。


「ギパァも、ビドラも、全部、覚えとる」


トキナの瞳が、微かに揺れる。


「だから取り戻すんや。

 ウチの人生を」


鼻先が触れそうな距離。


「味方につき」


低く唸るような声。


「敵に回るんは、やめとき」


笑っているが、温度がない。


ミィナはくるりと背を向ける。

数歩歩く。止まる。


「テリィたんはアホや」


ヒドいなw


「民がどうとか言うたら、すぐ乗る」

 "母なる世界線"に戻れば王座も戻るしな」


肩越しに笑う。トキナは即座に切る。


「彼は、そこまで生きていられない。

 ギパァが許さない」


ミィナが小さく舌打ちする。


「せやな」


軽くうなずく。

トキナが整理するように言う。


「取引に応じれば」


指を1本、立てる。


「テリィたんは、帰還後に公開処刑」


もう1本。


「応じなければ、この世界線で暗殺」


静かに結論を口にする。


「どちらにしても、彼は終わり」


ミィナは振り返る。

笑っている。


「ほな、任せとき」

 で、その見返りは?」


トキナは即答しない。

少しだけ近づく。


「"母なる世界線"への帰還を認める。

 ただし、貴女だけ」


間を置く。視線が冷える。


「他は"ここ"に置いてく」


ミィナの眉がわずかに上がる。


「カナンも?777


トキナは肩をすくめる。


「残置」


あっさり。


「了解や。会議でな」


手をひらりと振るミィナ。

歩き出す。足音が遠ざかる。


ネオンのにじむ外へ。

そのまま雑踏に溶ける。


残された幼女は、柱に背を預け、

小さく溜め息をつく。


「やれやれ」


わずかに口元が歪む。


「狡猾な女。カマキリみたい」


視線だけが、ミィナの消えた方向を追う。

外の光が、遅れて差し込む。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


秋葉原。


とっくに御屋敷(トラベラーズビクス)は閉店している。

店内は静まり返っている。


エアリがカウンターに手をつく。

髪をかきむしる。


呼吸が荒い。


「…っ」


拳がテーブルに落ちる。

鈍い音。


「やっぱりダメだわ」


誰もすぐには言葉を返せない。

やがて、みんなが近づく。


「届かない」


エアリが言う。


「何度やっても…

 テリィたんの心には届かないわ」


マリレが肩に手を置く。


「もう1回やってみて」


エアリは首を振る。


「無理よ」


はっきり拒否る。


「私じゃダメなの」


その言葉が、空気を決めてしまう。


「他に方法は?」


誰かの声。

すぐに、別の声が重なる。


「ないわよ」


エアリが言い切る。


「そんな都合のいい方法なんて」


そこに、リリルの声。


「あるで」


低く、割り込む。

みんなが振り向く。


リリルは無言で椅子を1脚下ろす。

テーブルの上から、床に置く。


「座り」


ミユリさんを見る。


「え?」


戸惑うミユリさん。


「何言ってるの?私は、超能力が消えて」

「ええから。時間あらへん」


ミユリさんは、動かない。

リリルが1歩近づく。


「今の姉様ならいける」


断言。


「どうして…?」


ミユリさんの声が揺れる。

リリルはまっすぐ見る。


「変わっとるからや」

「変わった…?」


意味が追いつかない。


「説明してる時間ない」


リリルが言う。

少しだけ焦りが混じる。


「姉様、テリィたんに"戻された"んやろ」


1拍置く。


「ほな、前と同じやない」


ミユリの目が見開く。


「"進化"が始まっとる。

 カラダも、感覚も」


静かに断言する。


「"選ぶ側"や」


沈黙。


ミユリさんは、ゆっくり椅子に座る。

まだ半信半疑のまま。


でも、逃げない。

目を閉じる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。


宗右衛門町。暗い通路。

ネオンの残光だけが、壁に残っている。


ミィナが立っている。


動かない。

まるで、待っていたかのように。


「テリィたん」


軽く手を振る。


「ちょっと2人で話そか」


ティルがこちらを見る。一瞬だけ。

それから無言で離れる。


入れ替わるように

ミィナが距離を詰める。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「嘘ついたな」


笑っている。

でも、目は冷たい。


「"時空トンネル"」


1歩、近づく。


「知らん言うてたやん」


僕は答えない。

ミィナは気にしない。


くるりと僕の周りを回る。

まるでデートに浮かれる生娘だ。


「まあ、ええわ」


肩をすくめる。


「問題は、そこやない」


ぴたりと正面に立つ。


「今回の話な」


指を1本立てる。


「ウチらだけの話ちゃうねん」


声が少し低くなる。


「停戦せんかったら」


間。


「何百万人、死ぬ」


言い切る。

軽さが消える。


「帰れるかどうかとか」

 そんなもん、オマケや」


1歩、さらに近づく。

逃げ場はない。


「世界線の運命やで?」


ささやく。


「全部、ここで決まる」


ミィナが、ふっと笑う。

いつもの顔に戻る。


「せやから」


少しだけ首をかしげる。

まるでデートのおねだりだ。


「頼むで?」


僕を見る。

まっすぐに。


「陛下」


その呼び方だけが、少し重い。

沈黙が始まる。


目を閉じると、

ミユリさんの声が、微かに残っている。


"選ばないでください。

 優柔不断なテリィ様でいて"


目を開ける。

短く言う。


「行こう」


ミィナは、満足そうにうなずく。


「ええやん」


くるりと背を向ける。

2人は歩き出す。


会議室は、 

もう目の前だ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


秋葉原。御屋敷のボックス席。


片付けられたテーブルの上に、

夜の気配だけが残っている。


エアリが手を差し出す。


「ミユリ姉様」


かすれた声。


「私の手、握って」


必死に笑おうとする。

うまくいかない。


ミユリは動かない。

エアリを見る。


弱くて、まっすぐで、逃げていない。


「怖いの」


エアリが言う。


「なんだか、すごく」


指先がわずかに震えている。

ミユリさんは、1度、視線を外す。


天井を仰ぎ、深く息を吸う。


「エアリでもダメだったのに

 テリィ様にフラれ超能力が消えた今…」

「ある」


エアリが遮る。

1歩、踏み込む。


「あるの」


沈黙。


「テリィたんが耳を傾ける声はね」


エアリの目がまっすぐになる。


「私じゃない」


少し笑う。

自嘲みたいに。


「セフレの声なんかじゃないの」


1拍置く。


「"今カノ"の声だから」


はっきり言う。

ミユリさんが顔を上げる。


「今カノ?」


戸惑う。


「私が?"推し"じゃなくて?」


エアリはうなずく。

強く。迷いがない。


「そうよ。姉様しかいない」


もう1度、手を差し出す。

さっきより近い。逃げ場のない距離だ。


「信じて」


静かに。


「テリィたんが、ほんとに聞く声」


一瞬、言葉を探す。


「それは、姉様の声だから」


沈黙。


ミユリさんの呼吸が、少しだけ変わる。

迷いは消えない。だが、足は止まっていない。


ゆっくりと手を伸ばす。

ためらいながら。それでも確かに。


触れる。


エアリの手は温かい。現実の温度。

その瞬間、ほんのわずかに


時空が揺れる。


誰も気づかない。

でも、確かに何かが"もつれ"る。


ミユリさんは、目を閉じる。

逃げない。


エアリが、ぎゅっと握り返す。


「いけるわ」


小さく言う。

自分に言い聞かせるみたいに。


御屋敷の時計が鳴る。

遠くで。


時間は、もうほとんどない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


静まり返る円卓。

誰もが次の一言を待っている。


「決心はついたか、テリィたん」


低く響く声。ブディだ。


僕は、ゆっくりと立ち上がる。

迷いは、もうない。


「決めたよ」


視線を全員に巡らせる。

逃げ場を塞ぐ。


「僕の答えは"NO"だ」


ざわめきが走る。


「"時空トンネル"は、

 君たちにも、ギパァにも渡さない」


1拍置く。


「誰にもだ。なぜなら、

 あれは"僕の未来"だからだ」


"所有"ではなく"選択"として言い切る。

椅子を弾く音。トキナが立ち上がる。


「ギパァは、和解と平和のために

 手を差し伸べた!それを払いのけたのは…」


幼女は机を叩く。


「貴方よ、テリィたん!交渉はここまで。

 提案は、すべて撤回する」


椅子が次々と引かれて、会議は一気に崩れる。

"青い太陽王"が、僕の耳元でささやく。


「これで、あなたは"母なる世界線"の

 太陽系全体を敵に回したわよ」


香水の残り香だけを置いて去る。

トキナが、去り際に振り返る。


「前の世界線で、

 なぜ貴方が殺されたかわかる?」


僕は答えない。

答えるつもりもない。


「決断が、いつも的外れだったからよ」


扉が閉まる。重い音。

静寂。


残ったのは、ブディだけだ。

深く溜め息をつき、ゆっくりと立ち上がる。


「君は、何も覚えていないンだな」


歩み寄る足音。

やけに響く。


「君の一族と、私の一族は古くからの友だった。

 そして、君と僕は幼なじみだった」


僕はわずかに視線を上げるが、何も言わない。


「君の父君の葬儀にも、君の戴冠式にも、

 ティルとの結婚式にも僕は呼ばれていた」


1歩、距離を詰める。


「僕は、君の"親友"だった」


言葉が重く沈む。


「だから、君が失脚する光景を見るのは、

 とても辛かったよ」


拳を震わすブディ。


「君は良い社会を作ろうとして必死だった。

 だが、急ぎ過ぎたんだ」


わずかな怒りと、諦め。


「僕は、何度も言った。ゆっくりやれと。

 だが君は、聞かなかった」


沈黙。


「今さらだな」


自嘲気味に笑う。


「すべて昔話だ」


唇を噛む。


「だが、また繰り返されるのを見るのは

 耐えがたい」


背を向ける。


「次に会う時は、敵かもしれないな」


扉が閉まる。


ふと気がつくと、大きな円卓に残されたのは、

僕とティル。


しばらく動かなかった僕は、ふっと息を吐く。


「行こう」


ティルを抱き寄せる。

僕たちは、振り返らず、会議場を後にする。


光を失った円卓だけが、ぽつんと残る。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。日本橋。


ネオンがにじむ夜。

雑踏のざわめきが、まだ現実を引き止めている。


「どういうことなん?」


ミィナが立ち止まる。

振り返る。


「これで、ウチら帰られへんやんけ」


カナンもすぐ横で噛みつく。


「なあ、説明してみぃや」


睨む。


「まさか"それでええ"とか言わんよな?」


僕は歩みを止めない。

少しだけ振り向く。


「かもな」

「はぁ!?」


ミィナの声が跳ねる。


「ちょっと待てやコラ」


一歩踏み出す。


「アンタ何様のつもりやねん!」


カナンも畳みかける。


「ウチらの人生、めちゃくちゃにしといてやな」


指を突きつける。


「"王様やからOK"てか?

 ナメとんのか!」


雑踏の中で、言葉だけが鋭く浮く。


僕は立ち止まる。

ゆっくり振り返る。


少しだけ間を置く。


「そうだ」


告げる。


「僕が王だ」


一瞬、音が引く。


ミィナが目を細める。

カナンは露骨に舌打ち。


後ろから、ティルが追いつく。

メイド服のまま。


少し息を切らして。

それでも、僕の横に並ぶ。


ミィナは肩を落とす。

大げさに。


「あー、もうええわ」


投げるように言う。


「好きにしたらええやん、陛下」


カナンもそっぽを向く。


「和平? 知るかいな、そんなもん」


鼻で笑う。

ミィナが続ける。


「ウチらはウチらでやるで」


歩き出す。


「"母なる世界線"に戻る方法、他に探すわ」


少し間。

腹の音みたいに、空気が緩む。


「腹減った」


ミィナがぽつり。


「お好み焼き、行こや」


カナンが即座に返す。


「はぁ? また粉モンかいな」


顔をしかめる。


「飽きたわ。中華にせぇや」


ミィナが一瞬考える。

すぐに切り替える。


「まあ、ええか」


肩をすくめる。


「中華や、中華」


カナンがにやっとする。


「それでええ」


4人で、そのまま歩いていく。

さっきまでの殺気が、嘘みたいに消えている。


「よかったの?」


ティルが小さく聞く。

僕は、答えない。


ネオンを見上げる。遠くで、誰かの笑い声。

油の匂い。夜の大阪が続いている。


「たぶん」


やっと一言。

ティルは、それ以上聞かない。


黙って、僕の傍らを歩く。

雑踏の中に4人の背中が溶ける。


どこにも帰らないという選択。

それでも、何かは確かに守られている。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


秋葉原。閉店後の御屋敷。


静まり返った店内。

時計の針の音だけが、やけに近い。


ミユリさんは目を閉じている。

両手は膝の上だ。呼吸を整える。


その隣で、エアリも目を閉じている。


沈黙。


ふと、エアリが目を開ける。

ミユリさんを見る。


ミユリさんは、さらに強く目を閉じる。

何かを掴もうとするみたいに。


時空が、わずかに歪む。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。黒い雨が降り始める。

ネオンが滲み、酸性の蒸気が立ち上る。


漆黒の街。


その中に、ミユリさんは"立っている"。

メイド服にカチューシャ。


現実じゃない場所に、確かに存在している。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


向こうの角から、4人が現れる。


サイバーパンクの2人。

メイドと…王様。


つまり、僕たちだ。

何も知らずに、歩いてくる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


カナンが、すっと後ろに回る。

ティルの口を塞ぐ。


一瞬で。


「んっ…!」


声が潰れる。

もがくティル。


ミィナは足を止めない。

視線だけを上に滑らせる。


高所。雑居ビルの外壁。


窓清掃用のゴンドラ。

ワイヤーが、雨に濡れて光る。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


道路の向こう。


白い蒸気の向こうに、ミユリさんがいる。

見えているのは、彼女だけだ。


ミィナが僕の背後に回る。

すっと手を上げる。


掌に、見えない力が集まる。


「危ない、テリィ様!」


ミユリさんが叫ぶ。


だが、声は届かない。

酸性の雨と蒸気に吸われる。


目の前をタクシーが横切る。

光が裂ける。


「ミユリさん?何か呼んだか?」


空耳か?

僕は足を止めない。


「テリィ様、そこ離れて! 逃げて、早く!」


ミユリさんの声。必死に。

でも届かない。


ティルはフルネルソンに捕まっている。

声は出せない。


ワイヤーが、切れる。

ゴンドラが落ちる。


僕は歩き続ける。

何も知らずに。


その瞬間。


紫の光が走る。

一直線に。


ゴンドラを"弾く"。

軌道が変わる。


次の瞬間。


僕の目の前に落ちる。

ガラスが砕け散る。


音が遅れてくる。


呆然と立ち尽くす。

何が起きたのか、理解できない。


遠くでサイレン。

赤と青が、雨に滲む。


「ミユリさん?」


振り返る。

誰もいない。


「ティル?」


答えはない。

僕は走り出す。


宗右衛門町の奥へ。


濡れた路面。ネオンが歪んで映る。

人混み。笑い声と怒号。どこかで喧嘩。


JAZZカルテットが、場違いに滑らかだ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


地下鉄の入口。

階段を駆け下りる。


「ティル!」


叫ぶ。暗闇が支配する世界。

上から落ちる一条の光。


スポットライト。


その中心に、ティルがいる。

床に座り込んでいる。


蓮の花みたいな姿勢。

動かない。


「ティル!」


駆け寄る。

膝をつく。


「大丈夫か?」

「…わからない」


声が遠い。


「何があった?」


ティルはゆっくり顔を上げる。

瞳が、少しだけ揺れている。


「…来たの」


小さく。


「…中に」

「中?」

「私の中に入ってきた」


言葉を選ぶように。


「"時空トンネル"の場所を探ろうとして」


息が浅い。


「私の心を…こじ開けようとした」


僕は息を呑む。


「だから、戦った」

「どうやって?」


思わず聞く。


「脳内プロレスか?」


ティルは、かすかに首を振る。


「…わからない」


沈黙。


僕は両肩に手を置く。ゆっくり撫でる。

現実に引き戻すみたいに。


「ミィナ達は?」

「…わからない」


目が合う。

まだ少し揺れている。


「ホントに大丈夫か?」


ティルは一瞬だけ迷う。

それから、小さく言う。


「…もう帰りたい」

「どこに?」

「…秋葉原」


間。


「…抱いて」


抱き寄せる。

ティルの体は、まだ少し冷たい。


遠くで音楽が高まる。

JAZZが、別の(ナンバー)に変わる。


雨の音。ネオン。鼓動。

その全ての奥で…


まだ見えない何かが、動いている。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


夕焼けに染まる秋葉原。


御屋敷(トラベラーズビクス)のバックヤード。

オレンジ色の光が、壁に長く伸びる。


僕とエアリ。


「結局、テリィたんは取引には応じなかったのね」


エアリが言う。

僕は少しだけ間を置く。


「迷ったよ」


正直だ。我ながら。


「最初は、トキナを信じて、応じるつもりだった」


視線を落とす。


「でも、気づいたんだ」


顔を上げる。


「ヲタッキーズのことさ」


静かに続ける。


「王になるために、みんなを置いて

 僕だけ"母なる世界線"に行くなんて

 到底、無理だ」


首を振る。

エアリは目を伏せる。


何も言わない。

僕は1歩近づく。


「ヲタッキーズのみんなとは、

 どこまでも一緒だ」


やわらかく。


「エアリでも、ビドラでも、

 名前なんて関係ない」


少し笑う。


「ヲタッキーズとして

 愛してる」


1拍置く。


「大事なセフレさ。

 どんなときも(always)


エアリが顔を上げる。

泣き笑い。やがて、つぶやく。


「抱いて」


小さく。

何も言わず、抱きしめる。


しっかりと。


「ありがとう」


エアリの声が、胸元でほどける。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


地底超特急。

グランド末広町ステーション。


別れの気配が、やけに明るい。


「お別れね。元気でね」


メイド服のスピアが言う。


「そっちもな」


軽く返すサイバーパンクのリリル。

次の瞬間、スピアが一方的にハグする。


「ちょ、ちょっと…!」


リリルは思い切り困惑顔。

紫の髪が揺れる。


「なんか…ダサくね?」

「そうかな?」


スピアは満面の笑み。

有頂天だ。


リリルは、天を仰ぐ。

でも、振りほどかない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


御屋敷(トラベラーズビクス)

奥のボックスシート。


マリレとブディ。

メイドと汚れた白衣のマッドサイエンティスト。


「なぜだ」


ブディがつぶやく。


「なんでまた僕を誘拐したんだ」


マリレはさらっと答える。


「あなたが特別だからよ」


ブディが目を上げる。

口の端が数mmだけ上がる。


「そうか」

「そうよ」


軽く手を叩くマリレ。


「マヨネーズ抜きの特製サンド、食べる?」


マリレは立ち上がる。


「いいね」


ブディの答えにくすっと笑うマリレ。


「実は、誘拐されてる間、まるで…」

「食事抜きだったの?」

「その通り」


笑顔でキッチンに走るメイドを呼ぶ。


「マリレ」


振り向かないまま、マリレが答える。


「ペッパージャックチーズ入りでしょ?」


軽く手を振る。


「当然よ。安心して」


ブロデは、満足そうに微笑む。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


メイド長オフィスは雑居ビルのペントハウスだ。

ミユリさんがひとり、考え込んでいる。


「私」


ぽつり。


「"進化"してるのかな」


指先でカップをなぞる。


「角が生えてきたよ」


背後から、僕。


「それは困ります」


ミユリがくすっと笑う。

光速で振り返る。


「ほんとに生えたら、困ります」


僕はその顔を見つめる。

昨日までより少しだけ長く。


「お久しぶりです」


ミユリさんが言う。


「テリィ様の、その笑顔」

「お礼を言わなきゃ。

 ミユリさんは、命の恩人だからね」


ミユリさんは胸を張る。


「これでおあいこですね」


少し得意げだ。


「えっへん」


僕は1歩近づく。チャンスだ。


「やり直したい」


告げる。


「ミユリさんと」


一拍。


TO(トップヲタク)として」


ミユリさんは、うなずく。


でも、ほんの一瞬だけ影が差す。

別の何かを期待したか?


「このままじゃトホホだ」


僕は、構わず続ける。


「私もです」


ミユリさんが答える。


「ずっと、切なかった」


ポジティブな沈黙。


「もう1つ良いかな」


僕が言う。


ミユリさんが顔を上げる。

少しだけ身構える。


「何でしょう」


僕はためらう。

それでも、聞く。


「ホントに」


1拍置く。


「カレルと、寝たのか?」


世界が静止する。


ミユリさんは、何も言わない。

息だけを、わずかに揺らす。


僕は目を閉じる。

それを"答え"として受け取る。


「そうか」


小さく。

振り向く。


「じゃあ、また明日」


窓を開ける。

夜の空気が流れ込む。


僕は、そのままベランダへ出る。


残されたミユリさん。

小さく息をつく。


「もう」


つぶやく。

窓の外を見る。


そのとき。


ほんの一瞬。

瞳の奥に、光が走る。


"選ぶ"側の光。



おしまい

今回は、海外ドラマによく登場する"超古代の宇宙戦争"をテーマに、青森の観光文化大使だった頃に県庁に頼まれた描いた"3つの太陽の物語"をベースとしたエピソードを描いてみました。


主人公とスーパーヒロイン達との位置関係や、異なる世界線との関係性が、意外にうまく整理されたように思います。


また、主人公は優柔不断なヲタク(私のコトです)の王、ヒロインたちは王を支えるエスパーというハーレム構造を明確にしてみました。


海外ドラマでよく舞台となるニューヨークの街並みを、中華色が抜けて、やや人混みが整理されてきた秋葉原に当てはめて展開してみました。


秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。

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