特別顧問の日常
アルベルトの非公式顧問となって一週間が経った。
アリシアの日常は、以前とはまったく異なるものになっていた。朝は学園の授業を受け、午後はアルベルトの執務室で“仕事”をする。夜は時折、現場視察や資料調査に同行する。
【マスター、本日もスケジュールは満杯です! まずは午前中の魔法理論、午後は執務室での会計監査補佐、夜は……って、もう予定入ってます?(;゜Д゜)】
「夜は倉庫の棚卸し支援よ。先週からの続き」
アリシアは朝食を急いで食べながら、今日の計画を頭の中で整理していた。彼女の手元には、小さな手帳が開かれている。そこには、細かく時間単位でスケジュールが書き込まれていた。
(まずは魔法理論の予習をして、それから執務室で昨日の続きの帳簿を……)
「おはよう、アリシア様」
リリアンが笑顔で近づいてきた。最近、二人は朝食を共にすることが多くなった。
「おはよう、リリアンさん。今日の実技試験、準備はできてる?」
「はい! アリシア様に教えていただいた勉強法で、理論もすっかり頭に入りました!」
リリアンは嬉しそうに答えた。アリシアが教えたのは、かつてのプロジェクト管理で使っていた“タスク分解”の手法だった。複雑な魔法理論も、小さな単位に分けて一つずつ習得すれば、決して難しくない。
(これも、仕事で培ったスキルが役に立つんだな)
アリシアは内心で微笑んだ。
午後、アリシアはアルベルトの執務室にいた。
広すぎる部屋の一角に、彼女専用の小さな机が用意されていた。今、その上には山のような帳簿が積まれている。
「今月の王室厨房の経費報告……なるほど」
アリシアの目は、数字の列を素早く追っていた。彼女の手元には、自作の“チェックシート”が置かれている。項目ごとの予算と実績の差異、前月比、前年同月比……
「殿下」
「何だ?」
アルベルトは自分の机から顔を上げた。彼も大量の書類に囲まれていた。
「厨房の食材費、ここ三ヶ月で毎月5%ずつ上昇しています」
「冬が近いからだろう。食材が高騰する時期だ」
「はい、それも一因です。でも……」
アリシアは計算用紙を手に、アルベルトの机へと歩み寄った。
「他の食材の値上がり率は平均3%です。しかし、高級ワインとスペシャルティスパイスのみ、毎月8%から10%の上昇です」
アルベルトの目が鋭くなった。
「それで?」
「厨房の記録によると、ワインの消費量は先月までと変わっていません。スパイスも同様です。つまり、値段が上がっているのに、量は増えていない」
アリシアはグラフを描いた紙を差し出した。
「もし本当に必要で購入しているなら、価格上昇に伴い消費量が減るはずです。でも、記録上は消費量が一定です。これは……」
「不正の匂いがするな」
アルベルトが低く呟いた。
「厨房の責任者は?」
「シェフのギルベール氏です。二十年のベテランです」
「あの男か……」
アルベルトの表情が曇った。
「ギルベールは父王の代から仕えている。信用が厚い」
「だからこそ、誰も疑わなかったのかもしれません」
アリシアはためらったが、続けた。
「殿、殿下。もしよろしければ、私が直接確認に行っても?」
「お前が?」
「はい。厨房の“棚卸し”を手伝うふりをして、実際の在庫を確認します。帳簿の数字と実際の在庫に差があれば、それが証拠になります」
アルベルトはしばらく考え込んだ。
「……よかろう。だが、一人では行かせるわけにはいかん。衛兵を一人つけよう」
「いえ、それでは不自然です。私一人で、何も知らない様子で行きます」
アリシアの目は真剣だった。
「大丈夫です。ただの“整理好きな令嬢”が、厨房の片付けを手伝いたがっているだけですから」
アルベルトは彼女をじっと見つめた。その目は評価しているのか、それともまだ疑っているのか、アリシアにはわからなかった。
「……わかった。だが、何かあればすぐに報告しろ」
「はい!」
【おおっ! マスター、ついに不正調査! でも危険ですよ? もしバレたら……(;一_一)】
ベルが心配そうに警告する。だがアリシアはもう決めていた。
(これが、私の仕事だ)
彼女は厨房へと向かった。
厨房は、朝の準備が一段落した比較的静かな時間帯だった。
「ごめんください。アリシア・フォン・ローゼンベルクと申します」
シェフのギルベールは、ずんぐりした中年男性で、威圧的な存在感があった。彼はアリシアを一瞥し、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「お嬢様、厨房は汚いですよ。そんな綺麗な服で来られても困ります」
「あ、はい。実は……私、物を整理するのが趣味でして」
アリシアはできるだけ無邪気な笑顔を作った。
「学園祭の準備で、少しだけ厨房のお手伝いをしたことがあるんです。その時、在庫管理の大切さを実感しまして……」
彼女の目は、厨房の棚に並ぶ食材や調味料へと走った。
「もしよろしければ、今日の午後、在庫の整理をお手伝いできないでしょうか? ただ、数えてリストを作るだけなんですけど」
ギルベールの表情が変わった。警戒の色が浮かんだ。
「ふん、お嬢様の趣味が、うちの厨房まで及ぶとはな。でも、余計な手間をかけるわけにはいきません」
「もちろん、邪魔はしません! ただ、数えるだけです。それに……」
アリシアは一歩近づき、声を潜めた。
「実は、殿下が最近、経費の節減に厳しいんです。厨房の無駄をなくせば、殿下の評価も上がるかもしれません」
ギルベールの目が一瞬、鋭く光った。
「……殿下が、そうおっしゃっているのか?」
「間接的には、そうですね」
アリシアは曖昧にうなずいた。完全な嘘ではない。アルベルトは確かに経費削減に熱心だった。
「……わかった。だが、触っていいのは食材庫だけだ。調理場には入るな」
「はい! ありがとうございます!」
アリシアの計画はシンプルだった。帳簿に記載されている在庫数と、実際の在庫数を照合する。特に、高価なワインとスパイスに注目する。
作業は予想以上に大変だった。食材庫は広く、様々なものが雑然と置かれている。しかし、アリシアは前世の経験を生かした。
まず、エリアを区分けする。次に、カテゴリーごとに分類する。そして、数を数えながらリストを作成していく。
(ワインの在庫……帳簿では百二十本のはずだけど……)
アリシアの眉が曇った。数え終わった数は、百十本だった。十本足りない。
(でも、これだけだと証拠にならない。廃棄されたかもしれないし、壊れたかもしれない)
彼女は次のステップへ進んだ。消費記録を確認する。厨房には、毎日の食材使用量を記録する台帳があった。
(先月のワイン使用量、二十本。でも、王室の公式晩餐会は三回だけ。通常の食事で十七本も使う?)
不自然だ。アリシアは小さなノートを取り出し、計算を始めた。
【マスター、消費記録と実際のイベント数に明らかな不一致があります! これは怪しい!(`・ω・´)】
(わかっている。でも、もっと確実な証拠が必要)
アリシアは目を上げ、厨房の様子を観察した。料理人たちは各自の仕事に忙しそうだ。その中で、一人の若い見習いが、何かを隠すように棚の後ろに手を伸ばしているのに気づいた。
(あれは……)
彼女はさりげなく近づいた。見習いは、空になったワインボトルを、こっそりと別の箱に隠していた。
「それ、どうするんですか?」
「わっ!」
見習いは驚いて飛び上がった。手に持っていたボトルが、床に落ちそうになった。
「す、すみません! お嬸様!」
「大丈夫。ただ、その空き瓶、どうするつもりだったの?」
見習いは青ざめた。
「こ、これは……廃棄するものです。壊れていたので……」
「壊れていた? でも、ラベルはきれいだね」
アリシアはそっとボトルを受け取った。高級ワインのボトルだ。中身は空だが、確かに壊れてはいない。
「このボトル、どこで手に入れたの?」
「し、知りません! シェフが捨てろって言ったので……」
見習いは震えていた。アリシアは彼の表情を見つめ、全てを悟った。
(シェフが、部下に証拠隠滅をさせている)
彼女は深呼吸を一つした。
「大丈夫。君は何も悪くない。このボトル、私が預かるね」
「だ、でも……」
「シェフには、私が廃棄すると伝えておくから。君のことは、何も言わない」
見習いは涙目でうなずいた。
アリシアはボトルを隠し、厨房を後にした。胸の中で、複雑な感情が渦巻いていた。
(不正を見つけた……でも、これで誰かが罰せられる)
彼女は執務室へ急いだ。
「これが証拠です」
アリシアは空のワインボトルと、作成した不一致リストをアルベルトの前に置いた。
アルベルトは黙ってそれらを見つめていた。彼の表情は、次第に険しくなっていく。
「……ギルベールめ」
低く、冷たい声だった。
「二十年も仕えておきながら、このような真似を」
「殿下」
アリシアはためらったが、続けた。
「ギルベールシェフは、確かに不正を働いています。でも、彼が長年厨房を支えてきたことも事実です。もし厳罰にすれば、他の使用人たちの士気にも影響するかもしれません」
「それで、どうしろと言う?」
「まずは、直接お話しになりませんか? 証拠を見せて、自白を促す。そして、盗んだ分の賠償と、これ以上の不正の禁止を条件に、謹慎処分にする」
アリシアの目は真剣だった。
「それと同時に、厨房の管理体制を改めます。在庫管理を二人で行う、定期的な棚卸しを義務付ける、高価な食材の使用には殿下の直接承認が必要、など」
アルベルトはしばらく黙ったまま、アリシアを見つめていた。
「……お前は、常に“解決”を考えるな」
「え?」
「問題を見つけたら、ただ報告するだけではない。どう解決すべきかまで考える」
アルベルトの口元が、わずかに緩んだ。
「それが、お前の強みだ。単なる監視役ではなく、実際の改善案まで提案できる」
彼は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
「よかろう。お前の案で行こう。ギルベールを呼びつける」
「はい。でも殿下、一つだけお願いがあります」
「何だ?」
「私のことは、伏せていただけませんか? 私が調査したことは」
アルベルトは振り返り、怪訝そうな顔をした。
「なぜだ? これも手柄の一つだ」
「手柄はいりません。それに……私が表立つと、今後他の部署の調査が難しくなります」
アリシアはうつむいた。
「“整理好きなお嬢様”という顔は、まだ使えるはずです」
一瞬の沈黙の後、アルベルトが小さく笑った。
「……ますます、お前は面白いな」
彼はうなずいた。
「わかった。今回だけは、そうさせてやろう」
「ありがとうございます!」
その夜、アリシアは倉庫の棚卸し支援に向かった。
広大な王室倉庫は、何年も整理されていないらしく、物が山積みになっていた。
「これは……ひどいな」
アリシアはため息をついた。彼女の前に広がるのは、文字通りの“山”だった。武具、書類、美術品、日用品……すべてが無秩序に積まれている。
【うわあ……ここ、前世紀から整理されてないんじゃないですか?(;゜Д゜)】
「そうね。でも、整理すればきっと使いやすくなるはず」
アリシアはさっそく作業に取りかかった。まずは大まかな分類から。
「武器はこっち。書類はあっち。美術品は特別な保管場所が必要ね……」
彼女は一人、黙々と作業を続けた。かつて、オフィスの倉庫を整理した経験が役に立った。要らないものを捨て、必要なものを分類し、ラベルを貼る。
一時間ほど経った頃、背後から声がかかった。
「まだやっているのか」
振り向くと、アルベルトが立っていた。彼もまた、書類の山を抱えている。
「殿下! はい、少しだけ……と思ったら、はまってしまって」
「ふむ。ずいぶんきれいになったな」
アルベルトは倉庫を見渡した。確かに、一時間前とは見違えるように整頓され始めていた。
「どうやって整理した?」
「まずは大分類です。武器、防具、文書、日用品、美術品……それぞれをエリア分けしました。次に、使用頻度でさらに分けます。よく使うものは手前に、めったに使わないものは奥に」
アリシアは説明しながら、ラベルの貼り方を実演してみせた。
「ラベルには、内容と日付を書きます。これで、何がどこにあるか、いつしまったかが一目でわかります」
アルベルトは感心したようにうなずいた。
「効率的だ。これなら、必要なものがすぐに見つかる」
「はい。それに、在庫管理も楽になります。何がどれだけあるか、すぐに把握できますから」
アリシアはふと、あることに気づいた。
「そういえば、殿下もお仕事ですか?」
「ああ。少し、調べものがあってな」
アルベルトは倉庫の奥へと歩いていった。アリシアは一瞬迷ったが、その後を追った。
倉庫の一番奥には、古い書類が積まれたエリアがあった。アルベルトはそこから、分厚い帳簿を取り出した。
「十年以上前の、地方税の記録だ。ある領地の税収が、ある年を境に急激に減っている。原因を調べようと思って」
「私もお手伝いしましょうか?」
「……よかろう」
二人は小さな机を挟んで向かい合い、古い帳簿を調べ始めた。倉庫の中は静かで、ページをめくる音と、時折交わされる短い会話だけが響く。
「この領地、五年連続で凶作と報告されています」
「ふむ。しかし、隣接する領地は、同じ年に豊作だ」
「気候の違いでしょうか? それとも……」
話は次第に深まり、時が経つのも忘れてしまった。
アリシアは、アルベルトの分析力の鋭さに感心した。彼は単に数字を見るだけでなく、その背景にある事情まで読み取ろうとする。
(殿下って、本当に頭がいいんだな……)
【警告! マスターの心拍数、上昇中です! 現在、平常時の120%!(゜Д゜;)】
ベルの警告に、アリシアははっとした。
(し、静かにしてよ、ベル!)
「どうした? 顔が赤いが」
アルベルトが不思議そうに尋ねた。
「あ、いえ! 何でもありません! ちょっと、暑いだけです!」
アリシアはあわてて顔を扇いだ。内心では、ベルを叱りつけたい気持ちだった。
(まったく、変な警告出さないでよ!)
【でもマスター、データは正直ですよ? 殿下と二人きりで作業している時の心拍数、明らかに上昇してます!( ̄▽ ̄*)】
(うるさい!)
「……アリシア」
「は、はい!」
アルベルトが突然、真剣な表情で彼女を見つめた。
「今日の件、感謝している」
「え?」
「ギルベールの不正。お前が気づかなければ、さらに長く続いていただろう」
アルベルトの声には、珍しく素直な感謝の色が込められていた。
「それに、この倉庫の整理も。ずっと手を付けられずにいたのだ」
「い、いえ、そんな……私はただ、自分のできることをしただけです」
アリシアはうつむいた。顔がさらに熱くなるのを感じた。
【心拍数、140%突破! マスター、かなりやばいですよ!(;゜Д゜)】
(ベル、本当に黙って!)
アルベルトは何も言わず、再び帳簿に目を落とした。しかし、彼の口元に、ほんのわずかながら笑みが浮かんでいるように見えた。
その後も作業は続き、気づけば夜も更けていた。
「今日はここまでにしよう」
アルベルトが時計を見て言った。
「もうこんな時間か。門限に間に合うか?」
「大丈夫です。まだ三十分あります」
アリシアは書類を整理し、立ち上がった。少しふらついた。
「おっと」
アルベルトがさっと手を伸ばし、彼女の腕を支えた。
「大丈夫か? 疲れているな」
「あ、はい……少し、集中しすぎたかもしれません」
アリシアの心臓が、また高鳴り出した。彼の手の温もりが、腕を通じて伝わってくる。
【緊急事態! 心拍数180%! マスター、もう限界です!(>_<)】
(わ、わかってるから、静かにして……)
アルベルトはそっと手を離した。
「明日は、ゆっくり休め。午後の執務室には、来なくてもよい」
「でも、お仕事が……」
「心配するな。一日くらい、どうということはない」
彼は倉庫の出口へと歩き出した。
「それに、お前が倒れては元も子もない。顧問は健康でいてこそ価値がある」
振り返らずにそう言うと、アルベルトは去っていった。
アリシアは一人、倉庫に残された。
胸の中では、心臓がまだ速く鼓動している。
(なんだろう、この気持ち……)
彼女はそっと、アルベルトに支えられた腕に手を当てた。
温もりはもうないが、その感触はまだ残っている。
【マスター、分析完了しました】
【対象:アルベルト・リヒター第一王子】
【現在の好感度推定値:+25(信頼と評価)】
【追加データ:マスターとの二人きりの時間、殿下のストレスレベルが平均より15%低下】
【結論:これは……もしかして……(゜∀゜)】
「ベル、それ以上は言わないで」
アリシアは小声で呟いた。
彼女は倉庫を出て、学園へと向かう夜道を歩き始めた。
空には星が輝いている。
(明日も、仕事が待っている)
リストはまだ終わらない。問題は山積みだ。
しかし、なぜか彼女の心は軽かった。
誰かの役に立てる。そして、それが認められる。
それだけで、すべての疲れが吹き飛ぶような気がした。
アリシアは小さく微笑み、足取りを速めた。
明日も、新しい一日が始まる。
彼女は、それが楽しみで仕方なかった。




