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ひねくり返った令嬢は天下をひっくり返す

作者: かたわれ



 シャングリラ公爵家のご令嬢、ルル・シャングリラは晴れて王太子の婚約者に選ばれた。


 ルルは生来、際立った美貌の持ち主だ。柔らかくカールした栗色の髪に、艶やかに光るヘーゼルの瞳。すらりとした背丈も相まって、王太子妃にふさわしい気品と華やかさを湛えている。


 お相手の王太子も比類なき人物だった。すっとした高い鼻梁に、翡翠さながらの切れ長の双眸。ルルと同じく長身で、絵に描いたような美丈夫だ。


 加えて成績もすこぶる優秀な彼は、病に伏す王に代わり、学園卒業と同時に即位するのではないかと囁かれている。もしそうなれば、史上最年少で玉座に就く快挙だ。


 そうして華々しい婚約が成立し、ルルが初めて王宮に招かれた日のこと。王太子の口から告げられたのは、想像だにしない言葉だった。


「初めまして、ルル・シャングリアです。よろしくお願い致します」


「勘違いするな」


 王太子は冷ややかにルルを見下ろした。


「お前を愛することはない。お前はただ、表向きの婚約者を演じてくれ」


 ルルが言葉を失っていると、王太子は嘲るようにせせら笑った。


「騙される方が悪いのさ。恨むなら、オツムの弱い自分自身を恨むといい」


 どうやら王太子には別に愛する人がいるらしい。真実の愛とやらだ。ルルとの婚約はそれを隠蔽するために結ばれたのだろう。おそらくは、単に絵になるから程度のくだらない理由で。



 その夜、あたしは前世の記憶を思い出した。思い返せば、こうなるのも必然だったのかもしれない。


 あたしはとにかく捻くれている。それはもう、斜に構えすぎて地球が丸く見えたくらいには。要するに、前世のあたしはきっちりしっかり性悪だったのだ。


 かつて、あたしは結婚詐欺で生計を立てていた。結婚を仄めかし、プロポーズされたら偽の借金を打ち明ける。そして金を巻き上げ次第、さっさと縁を切るのだ。今と同じく容姿だけは恵まれていたので、婚期に焦る男を釣るのはちょろかった。


 前世で結婚を弄んでいた人間が、こうして婚約の道具にされるとは。これが業というやつらしい。


 あーあ、ちくしょう。してやられたなあ。あたしは思わず唇をかみしめた。詐欺師が素人に一杯食わされるなんて、何たる屈辱。絶対に許しません。前世では三十路を超えるまで生きたはずだが、大人げないとかそういうのは知らない。あたしは王太子への仕返しを心に誓った。



 それから色々調べてみた。調べるのは簡単だ。情報を引き出したい相手をじっと見つめ、スマイルで止めを刺す。あたしは見てくれだけは一級品なのだ。


 調査の結果、すべては王太子の策略だと判明した。当家の執事によれば、王太子は自ら偽の婚約を企て、あたしの両親を言いくるめたらしい。なんと婚約成立の礼金まで渡しているという。それも、あたし一人くらいなら生涯遊んで暮らせるほどの大金だ。


 つまり、両親はあたしが婚約の道具にされ、誰にも愛されずに偽りの王太子妃として過ごすことを知った上で、婚約に了承しやがったのだ。


 その理由は簡単で、あたしが親に嫌われていたから。幸か不幸か、前世の秀でた容姿と舐め腐った態度を引き継いだあたしは、公爵家らしからぬ振る舞いで両親を常に困らせていたのだ。


 だからって、こんな婚約に娘を差し出さなくてもよくなーい? この手のドアマットヒロインって、両親が味方してくれるもんじゃなーい? と文句を垂れようが後の祭りである。


 あーあ。もうちょっと早く記憶が戻ってたらなあ。この美貌で無双できたろうに。とか思っちゃう時点で駄目なのかしら? やーね、もう。


 一番困ったのは、肝心の王太子の相手が特定できなかったことだ。公爵家側にその情報は伝えられていないらしい。王太子が独断で婚約を進めたのであれば、病に伏す王すらも知らない可能性がある。となると、王太子の動向を探るしかないのだが、あの面会以降、王宮に招かれることはなかった。八方塞がりだ。


 むむむ。一体誰なのかしら? あたしを差し置いて、面の良い王子とイチャついている不届き者は。


 何があろうと、両親と謎のバカップルには一泡吹かせねばならない。あたしを騙したのが運の尽きだと思い知らせなければ、腹の虫がおさまらない。はてさて、どうしてくれようか。


 仮に婚約破棄を申し出たとする。王家との婚約という立場を失えば、公爵家の地位は落ちるだろう。しかし、それでは王太子が痛くも痒くもない。すぐに代わりの婚約者を立てるに違いないからだ。それじゃあ面白くない。


 そもそもこの下らん婚約を画策したのは奴の方だ。下手に動いて関係が切れれば、二度とやり返せなくなる。あたしはしばらく表向きの婚約者を演じ、王太子の弱みを探ることにした。なにせ結婚詐欺師だ。結婚のフリは大得意である。



◇◇◇◇◇◇


 月日は流れ、あたしは王立学園に入学した。二つ上の学年には婚約者である王太子がいる。生徒会長を務める彼は、名実ともに学園の顔として君臨していた。学園中の生徒が彼を慕い、その一挙一動に注目している。そんな王太子の婚約者として、あたしもまた脚光を浴びるのだった。


 しかし、華やかな立場とは裏腹に、あたしに与えられた役割は地味なものだった。書類の整理、来客の対応、果ては生徒会室の掃除まで。前世で十八番だった色仕掛けはまったく不発だった。王太子が求めたのは、恋愛を演じる婚約者ではなく、ただ黙々と働く雑用係だったのだ。


 大方、あたしが逆らえないと踏んでいるのだろう。婚約が白紙になれば、公爵家の評価は地に落ちる。その恐怖に縛られて、何をされても従うと思っているに違いない。


 周囲も周囲だ。あたしの献身的な姿を見て「なんとよくできた王太子妃だろう」と讃えている。ったく、これのどこがよくできてるっての。ほぼ召使じゃないの。



 こうして入学から二か月が経った。あたしは雑用の合間を縫って、秘かに王太子の真の相手を探り続けている。前世の職業柄、色恋沙汰を見抜く勘は人一倍鋭い。なんせ人の恋心を手玉に取って稼いでいたのだ。恋する者特有の表情、何気ない仕草。そういった機微を見逃しはしない。


 ところが、いくら目を光らせてもそれらしき相手は見つからなかった。王太子の相手となれば当然貴族だろう。王立学園に通っているはずだ。そう睨んでいたのだが、どうやら見込みが甘かったらしい。


「あーもう。ほんと嫌んなる。意外とやるじゃない。あのクソッタレ王太子」


 昼休み、あたしは学園の中庭で寝転びながら愚痴った。


「兄上がどうかした?」


 ぎょっとして振り返ると、そこには第二王女がいた。兄と変わらず頭脳明晰なようだけれど、彼に比べれば目立たない。容姿が平凡だからだ。癖のあるブロンド髪に、つぶらだが小さな瞳。決して不揃いなわけではないが、お世辞にも美形とはいいがたい。絵に描いたような美丈夫の兄と並べば、どうしても見劣りしてしまう。


 ちなみに、第二王女はあたしと同級生だ。名をローズという。


「も......申し訳ございません。お見苦しいところを」


 時すでに遅いのだろうが、あたしは即座に頭を下げた。


「気にしなくていいわよ。私と兄上はさほど仲よくないから」


「それはまた、どういった理由で?」


「私が王の座を狙ってるから」


「......あんたが? あ......いや」


 ローズのこともなげな宣言に、あたしは思わず素で返してしまった。


 完全に時すでに遅し。ローズは驚いたように目を見開いたが、すぐに口元を緩めた。


「別に気にしないわ。なんならありがたいわよ。行儀の良い美人だと緊張するもの」


 こんにゃろう、と内心毒づきながらも、あたしはほっと胸を撫で下ろした。もしもローズが厳格だったなら、あたしは問答無用で辺境に飛ばされていただろう。


 そもそも、驚くのも当然の話だ。何しろ、この国には女王が誕生した例がない。昔からの男尊女卑の文化が未だに根付いているためだ。その何百年にも及ぶ因習を覆そうなんて、並大抵の挑戦ではない。


「とてつもない野心の割に、ずいぶんカジュアルな王女さんね」


「それが私の理想だからね」


 ローズは毅然として言い放った。つぶらな瞳の奥に途方もない意志が垣間見える。あたしはその眼差しにたじろいだ。


「人はあまねく平等であるべきよ。権力を持つ者と持たぬ者、支える側と支えられる側。貴族か否かは、生まれの違いでしかない。血統に恵まれただけの私たちが、おごっていいはずないでしょう? まあ、理想論と言われればそれまでだけどね。何にしろ、私は少しでも国民全体の生活を向上させたい。そのために王位が欲しいの」


 ご立派なものね。どうやら本気で王を目指すらしいローズの宣言に、あたしは素直に感心していた。彼女の思想は現王のそれとも通じている。だからこそ、ローズは王位を継ぎたいのだろう。十年ほど前、貴族優位を声高に主張して辺境に追放された一家とはえらい違いだ。


「大丈夫なの? 陛下の不調で、半年後にはお兄さんが即位するって噂だけど」


 あたしは開き直って砕けた口調で話しかけた。詐欺師の勘だ。この第二王女はあたしに悪さしない。それに、あたしの実年齢は三十を超えている。身分は上だが年下だ。プラマイゼロなら敬意を払う必要もあるまい。そもそも、敬語は慣れていないから口の居心地が悪いのだ。


「その時が来るまで、私は努力するだけよ。兄が王位を継承するかはまだわからないのだから」


「あら。あたしも好きよ、努力。肝心なところで裏切るから」


 あたしが澄まして「詐欺師らしくっていいのよ」と付け加えると、ローズは眉根を寄せた。


「あなた、ありえないほど捻くれてるわね」


「よく言われるわ。そのせいで苦労もしてるし。だけど、真面目さんが嫌いなわけじゃないのよ。あんたみたいなのは好き」


「全然嬉しくないけど、一応訊くわ。何で?」


「努力する人間も好きだから。だって、彼らのおかげであたしは飯が食えるのよ?」


 ローズの眉尻がとんでもなく垂れ下がったのは言うまでもない。



◇◇◇◇◇◇


 一月半後、前期考査の結果が発表された。廊下には成績上位者の名前が張り出されている。第一学年のトップに輝いたのはローズだった。計五教科の点数は463点。平均九割を超える驚異的な数字だ。


「すごいのは確かだけど、やっぱり劣化版だよな。第二王女」


 通りすがった誰かの不穏なぼやきが耳に入ってきた。


「二年前に王太子が記録した474点は更新ならず、か。ルックスも実力も今一つだな」


 ほれみろ。努力は裏切るじゃないか。あたしはいっちょからかったろうとローズを探した。彼女はすぐに見つかった。張り紙の前で呆然と立ち尽くしている。


 表情を見て驚いた。悔しいというより、予想外というような。運命に裏切られたような顔をしている。あたしは散々人を騙してきたからわかるのだ。あの面差しは理不尽を叫んでいる。


 あたしはローズに声を掛けるのをやめ、静かにその場を後にした。とある疑念が頭をよぎったのだ。


 王立学園の定期考査は答案を返却しない。採点の公正性を保つためと説明されているが、裏を返せば、教師の裁量次第で不正が可能である。


 思い立ったらすぐ行動だ。あたしは年頃の男性教師に標的を定め、思わせぶりな口調で呼び出した。しばし適当な理由をつけて談笑する。会話のさなか、相手を見つめて必殺のスマイルを放てば、やがて警戒心は薄くなる。ポケットから職員室の鍵を拝借するのは造作もなかった。


 放課後、職員が学園を去る頃合いを見計らって職員室に忍び込んだ。各教科の担任の机を次々と開け、生徒の答案用紙を確認していく。引き出しには鍵がかかっていたが、針金の一本もあれば簡単に開いた。


 ローズの点数は恐ろしいほど高かった。算術100点。語学96点。魔法学97点。魔術解析92点。こりゃすんごいわ。480を上回るペースだ。


 王国史の答案を確認しようとして、疑念が確信に変わった。答案がない。全学年丸ごとないのだ。考査後しばらくは保管する義務があったはずだが、すでに破棄したのだろう。見られては困る理由があるわけだ。


 悔しさに舌打ちが漏れる。一足遅かった。この破棄を告発したところで、「うっかり処分してしまった」と言い逃れされるだろう。確定的な不正の証拠は、どこにもないのだから。


 待てよ......そういえば、王国史の教授は王太子に入れ込んでいることで知られていた。ふと閃いて、あたしはもう一度机をまさぐる。引き出しの底板を指先で叩いてみると、妙に軽い音が返ってきた。ビンゴだ。


 引き出しが二重底になっている。仕掛けを外すと、中から札束が現れた。持った感覚でわかる。あたしの両親が受け渡されたのと同じ額だ。


 借用書のようなものは見当たらないから、これもまた決定的な証拠にはならない。とはいえ、王太子が教師を買収しているのは間違いないだろう。学園内で金を渡し、そのまま隠し持っているのだ。



 その時、職員室の扉が開いた。血の気が引いて顔を上げると、そこには例の第二王女が立っていた。どうやらあたしと同じ考えで忍び込んだらしい。


「あ、やっほ」


 慌てて札束を二重底に戻し、あたしは努めて明るく声を掛けた。なんだかローズが不憫に思えたからだ。


「あんた、確実に不正されてるよ。自覚あるだろうけど」


「......そっか。あなたの言う通り、私は裏切られたわけね。女が即位するなんて、やっぱり無謀だったんだわ」


 ローズは力なく笑った。前に理想を語っていた時の、あの情熱的な眼差しは影も形もない。


「あんたはそれでいいの?」


「いいわけないでしょ? けど、ここまでされたらどうしようもないわ。事実、私には人望がないから。客観的に見れば、王座に就くべきは兄の方だと思う。何といっても花があるし、人気も出るだろうし」


 んなわけあるか。王太子と第二王女、どちらが即位するべきかは明白だ。典型的な見かけの良さに囚われて、真に優れた人材を取りこぼすなんて馬鹿げている。


 それに、捻くれ者のあたしは無性に人の発言を否定したくなる癖があるのだ。


「ねえ、あたしと組まない?」


「え?」


「あんたに天下を取らせてあげる。その代わり、もし達成した暁には、一つ願いを聞いてちょうだい」


「願いって? それにあなた、何をしでかすつもり?」


 あたしはにやりと笑い、計画の全貌を語って聞かせた。


「そんなの卑怯じゃない。私は正当な手段で王位に就きたいの。他人を蹴落してまで上がりたくはないわ。だいたい、あなたも立場も危うくなるわよ」


 否定されると俄然燃えるのが捻くれ者の性だ。ますますこの不器用な王女の背中を押したくなった。それに、胸が妙に熱くなったのだ。この子ときたら、あたしの身を想ってくれている。


 極端に恵まれた容姿のせいで、前世のあたしは同性から煙たがられていた。特にローズのような、真面目で地味な女には陰湿な嫌がらせを受けた。多感な人格形成期に疎まれ続けた結果、これほどの捻くれモンスターが爆誕してしまったのだ。


 無理もない。人は自分と対極の存在を無意識に拒絶してしまうものだ。逆に言えば、それをしないローズには人を治める資質があるということだろう。


 仮に前世でローズと友達になれていたら、あたしも変わったのだろうか。ちらりと彼女を見ると、相変わらず眉間に皺を寄せて、真剣にあたしを諭そうとしていた。その生真面目な顔が愛おしくて、自然と笑みがこぼれた。


「失礼ね。これがあたしの仕事なの。それに、世の中そんなに甘くないわよ。あんたも不正されたんだし、これくらいいいでしょう。目には目をよ」


 未だに納得しかねる第二王女に、あたしは後押しするように言葉を重ねた。


「安心して。汚いことはあたしがやる。プロに任せなさい。あんたはただ、権威を頂戴してくれればいいの」



◇◇◇◇◇◇


 秋学期が始まると、あたしは夏の休暇から準備していた計画を実行に移した。


 王太子が教師と結託して考査で不正を働いている。まずは、この噂を少しずつ流してみた。あたしが絡んでいると勘づかれては面倒なので、婚約者に訳があるらしい噂を流せないのが惜しい。


 ただ、不正に関する噂だけでも効果は十分だった。スキャンダルは瞬く間に広がったのだ。著名な人物の黒い噂がすばやく拡散されるのは前世と共通らしい。


 王太子の人気は凄まじいので、無論、多くの者は噂を信じなかった。けれど人気者というのは、それだけで一部から反感を買うものだ。その一部が疑念の種をばら蒔いてくれたおかげで、真偽はともかく、噂は学園中へ広まった。あたしはそれで十分だった。信じさせるのはあとからでいい。



 そうして秋学期も半ばを過ぎ、待ちに待った学園祭を迎えた。今なお王太子の真の相手を掴めずにいたあたしは、全校生徒が一堂に会するこの時を待っていたのだ。元はと言えば、あたしを道具にしたバカップルに仕返しするのが目的なので。


 王立学園には、学園祭の終盤に皆でダンスを踊る伝統がある。華やかなダンスパーティで祭りを締めくくるのだ。生徒会長の王太子とその婚約者であるあたしは、壇上のステージでそれを披露することになっていた。


 あたしたちが壇上に上がると、会場のあちこちから歓声が上がった。怪しい噂が流れようと、傍目には所詮絵空事。実際に王太子の次期国王の座が揺らいだわけではない。だから依然として、あたしたちは端麗なカップルとして評判だった。


 しかし、王太子の雰囲気は明らかに変わっていた。噂が真実だからだ。いつ証拠が暴かれるか、誰が噂の発信源なのか、気が気でないのだろう。日に日に広まる黒い噂に悩まされ、彼の表情には常に焦燥が滲んでいる。完全無欠と称えられていた頃の余裕はもうない。


 王太子はその鬱憤をあたしにぶつけた。元から召使のようだった扱いはさらに悪化し、日々暴言を吐かれるようになった。


「つくづく使い勝手のいい婚約者だ。公爵家はよほど金に困っていたようだな」


 ワルツが流れ始めると、観客に話し声が聞こえないのをいいことに、王太子はあたしを嘲笑った。言い返したいのは山々だが、あたしは舌を噛んで踏みとどまる。


 我慢よルル。ここで台無しにしちゃ駄目。とにかく王太子には、あたしが味方だと印象付けなければならない。同時に、あたしは王太子に徹底的に尽くしていると、観衆に誇示せねばならない。


「ええ。光栄です」


「ふん。馬鹿だな、お前も。俺と結ばれることに浮かれて婚約を結び、今更引くに引けずにこのザマか。一生婚約の道具にされる気分はさぞいいだろう? なにせ王妃だ。王宮での優雅な暮らしだけは確約されている」


 ......我慢よ。あたしは咄嗟に王太子から目を逸らした。睨みつけそうになるのを堪え、拳を握りしめそうになるのを必死に抑える。


「時に、不出来なローズと話し込んでいるそうじゃないか。容姿だけのお前と、見栄えのしないローズ。そりが合うようで何よりだ」


 限界だった。あたしは魔術解析の授業でくすねた夜晶石(やしょうせき)を袖から滑り落とし、ダンスのターンに合わせて会場中央へ蹴り込んだ。


 数瞬後、会場が闇に包まれる。効果は三十秒。前世でいう停電のようなものだ。あたしは悲鳴を上げて王太子の手を振りほどき、打ち合わせ通り舞台袖へ駆け込んだ。


 やがて会場に視界が戻ると、そこここでどよめきが起こった。悲鳴と共に王太子の婚約者が消えたのだから無理もない。拉致されたと考えるのが自然だろう。


 姿を消した婚約者に代わって、一枚の封筒が王太子の足元に置かれていた。それを見た王太子の目は泳いでいる。それもそのはず、紫紺の封蝋には王家を象徴する双頭鷲が刻まれていたのだ。国王陛下からの親書である。


 青白い顔で封を開いた王太子は、そこに記された文言を見て、恐怖に顔色を変えた。


『愛する者の秘密を握っている。彼女の身柄は預かった』


 親書にはそう書かれている。何でわかるかって、あたしが書いたからだ。


 そう、すべてはあたしの仕組んだ罠だった。ここまで段階を踏んだのは王太子を混乱させるためだ。不穏な噂を流して精神を削り、突然の夜晶石(やしょうせき)で驚かせ、挙句の果てに国王に秘密を握られたとなれば、彼の思考は焦りで鈍る。取り繕うのを忘れ、真の婚約者を案ずるに決まっているのだ。


 そうなれば、奴は必ず真の婚約者に視線を向ける。本当に彼女がこの場にいないか、確認せずにはいられないからだ。あたしはそのわずかな視線の動きと、見つけた際の安堵の表情が向く先を突き止めるべく、王太子に全神経を集中させた。が、そうするまでもなかった。


「ヒ......ヒストリエ」


 一連の仕掛けは想像以上に効いていたらしい。真っ青な顔で、王太子は実名を漏らしたのだ。すると、何故か生徒たちがざわつき始めた。


「ヒストリエって、あの?」

「よもや、王太子と関係あるのかしら?」


 貴族社会に疎いあたしは知らない名だった。少なくとも、あたしのいる上級クラスでは聞いたことがない。


「誰なのよ、それ」


 あたしは隣で身を潜めるローズに耳打ちした。彼女にもこの作戦に協力してもらっている。陛下の封蝋を調達してもらったのだ。王太子が陛下に婚約者を隠している以上、陛下の威を借りるのが最も効果的だと思えたからである。


「......男爵令嬢よ。かつて父上に歯向かった過激派の娘だわ」


 王太子の相手が男爵令嬢なんて前代未聞だ。どうりで見つからないわけね。下級クラスは完全にノーマークだったわ......ん? 今、何て?


「過激派って?」


「貴族と平民は分離すべきと唱えて、十年前に辺境へ追放された公爵家のことよ。生まれによる絶対的な格差社会を主張し、自身の領地で暴政を敷いたから、父上が処分を下したの。当時、娘のヒストリエは幼かったため罪を問われず、親戚の男爵家に養子として引き取られたわ。けど、彼女もまた思想が激しくて、前年度に学園で問題を起こしたらしいの」


 あらあら。まじですか。それとデキてる王太子、そういうことなのかしら? 不正してでも王位に就こうとする強欲さ、極めつけは王の病気......ひょっとして、ひょっとすると......? 


 とんだ腹黒大王子じゃないか。だーいすきなタイプの獲物だ。あたしは思わずほくそ笑んだ。恍惚とした高揚感が湧き上がってくる。


 前世でもターゲットは選んでいた。従妹をストーカーする奴や、友達を職場でセクハラした奴。とにかく、他人を踏みにじる奴を蹴落とすのがたまらなかった。だって、自分は安全だと高を括っていた愚か者が、絶望する面ほど肴になるものはなかったから。


「おい、見ろよこれ」


 観衆の一人がすっとんきょうな声を上げた。紫紺の封蝋がされた封筒を掲げている。ローズに頼んで、同じものを会場の数カ所に忍ばせておいたのだ。


「愛する者ですって。ヒストリエと王太子、裏で付き合ってたのよ」

「あんなにルル様は尽くしてたのに。可哀想じゃない?」

「下劣なことを。この様子じゃ、不正の噂も事実なんだろうな」


 次第に非難の声が大きくなる。あたしが尽くし続けた甲斐があった。王太子を慕っていた女子たちですら、浮気の証拠が出るや否や非難の目を向けている。あたしを憐れむ声も聞こえてきて心地いい。


 あたしはにやにやと、王太子の蒼白な顔を見つめていた。見せかけの脅し文句に怯えたばかりに、彼の評価が地に落ちていくのが愉快だった。


「ほら、行きなさいよ。愛する者がお呼びですわ」


 掛け声とともに、一人の女生徒が前に突き出された。彼女がヒストリエか。なるほど、あたしも顔は見たことある。


 王太子の浮気が発覚し、多くの女生徒の怒りを買ったばかりに、ヒストリエは晒し者にされてしまったのだ。彼女も事の重大さは自覚しているらしく、その面持ちが引きつっている。いい気味ねと思いながら、あたしはヒストリエの動向を窺った。


 あろうことか、ヒストリエは王太子の元へ歩み寄った。守ってもらうつもりなのだろうか。ヒストリエと王太子が寄り添うと、会場の怒号は加速した。


「おいおい。いよいよガチっぽくね?」

「ってかさ、二人が付き合ってるなら、つまりは王太子も過激派ってこと?」

「まさか陛下の病気、仕組まれたものだったりして。調査したら証拠出てきそう」


「......ひっ」


 弱々しい悲鳴を上げて、王太子は力なく座り込んだ。というより、立っていられないようだった。足はがくがく震え、涙ながらに嗚咽している。当然だ。仮に国王暗殺まで謀ったのであれば、露見すれば死罪に値する。怖いなんてもんじゃないだろう。


 ああ、たまらない。整った顔が台無しじゃなーい? 口の底からせり上がってくる熱い唾を、あたしは喉をひくつかせて飲み込んだ。もう我慢できなかった。


 つかつかと、背の高い王太子を見下ろせる快感に酔いしれながら、あたしは舞台上に戻り出た。


「......お、お前が仕組んだのか?」


 王太子は計略を悟ったらしい。自分の傘下だと侮っていた人間に欺かれた屈辱的な表情がたまらない。


「あらあら、王太子殿下。騙される方が悪いのでございましょう?」


「くそっ! 貴様、汚い手を使いやがって」


「ひどーい。あたし的には完璧でしたのよ」


「......この下衆女」


「詐欺師って呼んでいただける?」


 王太子の怒りは頂点に達したようだ。あたしに飛び掛かるべく、憤懣やるかたない様子で起き上がろうする。その瞬間、あたしは足で肩を押さえつけた。


「陛下の威光に怯え、愛しの名を口にした気分はどう? 散々ひた隠しにしてきたんだもの。打ち明けられてよかったじゃない。もっとも、あんたらが愛を語り合うのは天国になるかもだけどね。何もかも、あたしを婚約の道具にしたツケよ。ざまあなさい」



◇◇◇◇◇◇


 学園祭の大騒ぎから一か月後。真っ先に断罪されたのはルル・シャングリラだった。いくらどす黒かろうが王族は王族。罠に嵌めたまでは弁護の余地もあるものの、罵倒を浴びせ、挙げ句の果てに肩を踏みつけたのだ。当然の報いである。ルルは学園から放校処分を受け、元より険悪だった親子関係も決定的となり、あっさりと勘当された。


 王太子の処罰はまだ決まっていない。ローズに曰く、死罪だけは免れるらしい。国王暗殺を企てた確たる証拠が挙がらなかったためだ。ただ、身の回りの世話人を総入れ替えしたところ、国王は徐々に回復の兆しを見せ始めた。以前の世話人を手配した王太子が、人生の大半を牢で過ごすのは免れまい。


 互いに問題児なあたしと王太子の婚約は、当然のように白紙になった。王太子がシャングリラ公爵家に流していた礼金も不当とみなされ、無事回収された。そして、ルルの熱烈な願いが成就し、この礼金は彼女の懐に入った。第二王女は粋な奴だ。


 ちなみに、陛下の世話人を変えるよう進言したローズは、次期王座を手中に収めたも同然だった。王国史上初の女王の誕生である。何百年にも及ぶ因習が、ついにひっくり返されたのだ。


 現国王もこれを承認している。彼はおおよその経緯を理解しているようで、ローズが封蝋を頂戴したのはお咎めなしのようだ。


 ってなわけで、あたしはルンルンだった。完全勝利。一から十まで狙い通りだ。王太子には一泡吹かせ、両親も出し抜き、一生遊んで暮らせる金まで手に入れた。元より貴族社会はうんざりだったので、勘当もありがたい限りである。


 かくしてまんまと大金をせしめたあたしは、田舎へ旅立とうと馬車に乗り込んだ。もう王都ともおさらばだ。名残惜しくもないが、何となく王城を振り返った。すると、こちらに駆け寄ってくる人影が見える。ローズだった。


「やっほ、間に合ってよかった」


「お別れしに来てくれたの?」


「もちろんだわ。それと、私からもあなたに頼みがあって」


「いやよ」


 残念でした。あたしはとにかく捻くれているので、人の要求を無性に否定したくなる節があるのだ。


「そうなの。なら仕方ないわ。礼金は回収させてもらうけど、ごめんなさいね。それじゃあ、お元気で」


「......それもいや」


 三日月形のつぶらな瞳が少々憎たらしい。こやつめ。なかなかあたしをわかってやがる。これだけ捻くれた人間を御するとは、いい女王になりそうだ。


「もし私が困ったら、また知恵を借りてもいい?」


「女王陛下の申しつけとあらば、平民には逆らえないわ。あたしの小汚いので良ければ、お好きにどうぞ」


 あたしが肩を竦めると、ローズはむっとして頬を膨らませ、それから穏やかに微笑んだ。


「ちがうよ。そういうのじゃなくて。私の友達として話を聞いてね、ルル」



それからというもの、定期的にローズからの手紙がルルの元へ届いた。相変わらず捻くれているルルは、最初こそ無視を決め込んでいたが、「逃げんの?」という挑発的な一文が届いた途端、気づけば王都行きの馬車に乗っていた。捻くれるあまりちょろすぎるルルであった。ちなみにローズからの用件は、恋愛相談やお茶会など、すこぶる平和なものだったらしい。なにせ友達ですから。


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