第九十六話:眠れる龍との対話
苔むした石段を登りきった先は、掃き清められたような、静かな境内だった。
その奥に、この国の歴史そのもののように、古く、そして、荘厳な社が、静かに佇んでいる。ここが、龍の眠る社。
俺は、社の前まで進むと、バルガンから託された桐の箱を、祭壇のように設えられた石の上に、そっと置いた。
そして、深く、深く、頭を下げる。
「偉大なる龍よ。我らは、失われし時代の遺産を求め、この地を訪れました。我らは、その力を欲する者ではありません。ただ、悪しき者の手に渡る前に、それを守り、封じるために旅を続ける者。どうか、我らとの謁見を、お許し頂きたい」
俺の、静かな声だけが、境内に響き渡る。
風が止み、木々の葉のざわめきすらも、聞こえなくなった。
永遠に続くかのような、沈黙。
やがて――声が、聞こえた。
それは、鼓膜を震わせる音ではない。俺の頭の中に、直接、荘厳な鐘の音のように、響き渡ってくる、思念の声だった。
『……何千年ぶりであろうか。我の眠りを妨げる、小さき者は』
俺は、頭を上げたまま、その声に応えた。
俺たちの旅の目的を。旧神の番人との出会いを。そして、その遺産を兵器として狙う、影の組織の存在を。ありのままに、隠すことなく、全てを伝えた。
俺の話を、龍は、ただ静かに聞いていた。
そして、再び、問いかけてくる。
『旧神の力……それは、世界を創り、そして、世界を滅ぼす力。汝らは、それを手にし、どうするというのだ? 汝らもまた、かの者たちと同じく、力を求める者ではないのか?』
その問いは、かつて、聖地の番人に問われたものと、同じだった。
俺たちの、魂の在り方を問う、根源的な問い。
俺は、迷いなく答えた。
「我々は、力を求めません」
その言葉に、嘘はなかった。
「我らが求めるのは、仲間と共に、この世界を旅する自由です。旧神の遺産は、その旅路を脅かす、あまりにも大きな力。だから、我らはそれを探し出し、封じ、守るのです。誰かの手に渡らせるためではなく、誰もが、その力に振り回されることのない、穏やかな世界を守るために」
俺は、脳裏に、リリアとバルガンの笑顔を思い浮かべた。
「我らは『破壊者』と呼ばれています。ですが……本当に守りたいのは、仲間たちと笑い合える、ささやかな日常なのです」
再び、長い沈黙。
やがて、祭壇に置かれた桐の箱が、ひとりでに、すっと開いた。
中から現れた、バルガンが魂を込めて作り上げた、金属の芸術品。それは、龍の姿を模した、美しい鐘だった。
龍の思念が、その鐘に、優しく触れたのが分かった。
『……よかろう。汝らの『誠意』、確かに受け取った。汝らの『意志』、この龍が認めよう』
その言葉と共に、これまで固く閉ざされていた、社の本殿の扉が、ギィィ……と、何千年も時を動かしたかのような、重々しい音を立てて、ゆっくりと開き始めた。
扉の奥からは、柔らかな、生命力に満ちた光が、溢れ出してくる。
『行け。天衝く大樹の、その胎内へ。そして、この星の記憶そのものである、第二の遺産を、その目で確かめるがいい』
俺は、見えざる龍に向かって、もう一度、深く頭を下げた。
そして、社の奥へと続く光の道へと、仲間たちが待つ石段を、確かな足取りで降りていった。
俺たちの、二つ目の試練は、今、終わりを告げた。




