第八十五話:新たなる羅針盤
俺たちが、貴族の地位と、それに伴う全ての富を返上すると申し出た時、国王陛下やギルドマスターは、心底驚いた顔をしていた。
だが、俺たちの決意が固いことを知ると、彼らは、その自由な生き方を尊重し、温かく送り出してくれた。俺たちが得た莫大な財産は、ギルドが管理する、戦争孤児のための基金として寄付されることになった。
俺たちが手元に残したのは、最高の工房へと生まれ変わった、相棒の馬車『ブレイカー・ベース』と、旅に必要な最低限の資金だけ。
それで、十分だった。
王都を出発する前の、最後の夜。
俺たち三人は、工房で、それぞれの時間を過ごしていた。
バルガンは、旧神から与えられた知識を元に、全く新しい理論の武具の設計図を描いている。
リリアは、番人から譲られた、魔力結晶を静かに見つめ、その内部に秘められた古代の魔法体系を読み解こうとしていた。
俺は、目を閉じ、自分の内側にある【アイテムボックス】というスキルの、そのさらに奥にある、温かな『感覚』と向き合っていた。
その時だった。
リリアが、魔力結晶に、自らの魔力をほんのわずかに流し込む。
バルガンが、新たなインスピレーションを得て、設計図に、神代のルーン文字を描き加える。
俺が、仲間たちとの繋がりを、これまで以上に強く、意識する。
三つの『鍵』が、呼応した。
リリアの持つ結晶が、一条の光を放ち、工房の中央の空間に何かを投影し始めた。
バルガンの描いた設計図のルーン文字が、羊皮紙から浮かび上がり、その光の中へと吸い込まれていく。
そして、俺の体から溢れ出た、仲間たちとの絆を象徴する光が、それら全てを一つに結びつけた。
俺たちの目の前に現れたのは、一枚の世界地図だった。
だが、それは、ただの地図ではない。夜空に星が瞬くように、いくつもの光点が、その地図の上で、ゆっくりと脈打っている。
「……これは……」
俺たちは、息を呑んだ。
光の一つは、間違いなく、俺たちがいるこの王都を指している。
そして、もう一つの、ひときわ大きく輝く光は、遥か北の果て――『旧神の大工房』の位置を示していた。
そして今、俺たちの目の前で、三つ目の光点が、まるで俺たちを呼ぶかのように、ひときわ強く、点滅を始めた。
その場所は、俺たちがいる大陸ではない。海を越えた、遥か南。灼熱の太陽が支配する、広大な砂漠の大陸。
「……そういうことか」
俺は、全てを理解した。
番人が俺たちに与えたのは、ただの知識や技術ではなかった。
それは、世界中に散らばった、旧神たちの遺産を探し出すための、新たなる『羅針盤』だったのだ。
同時に、背筋が凍るような事実に思い当たる。
もし、この羅針盤を、俺たち以外の誰か――例えば、ヘファイストスの背後にいた、あの秘密結社も、手にしているとしたら。
これは、ただの探求の旅ではない。失われた時代の、神々の力を巡る、新たな戦いの始まりだ。
俺たちの、あてのない自由な旅は、始まったその日に、終わりを告げた。
代わりに、俺たちには、この世界の根幹に関わる、あまりにも壮大で、そして、危険な使命が与えられた。
俺は、地図に示された、南の大陸を指さす。
「――次の目的地が、決まったな」
バルガンが、獰猛に笑う。リリアが、学者のように目を輝かせる。
俺たち『ブレイカーズ』は、今、失われた時代を追い求める『探求者』となった。
俺たちの、本当の冒険が、今、始まる。




