第七十三話:竜の牙山脈
「――騎士団が、全滅……?」
ギルドマスターの言葉に、リリアが息を呑んだ。
王都の精鋭である騎士団ですら、歯が立たない。禁断の聖地を守る『番人』とは、一体どれほどの強敵なのか。
辺境の砦のギルドマスターは、俺たちの決意が揺るがないことを見て取ると、それ以上は何も言わず、ただ一枚の、より詳細な地図と、いくつかの忠告を授けてくれた。
「『竜の牙山脈』に入ったら、決して夜に移動するな。空の色が変わったら、必ず洞窟か岩陰に隠れろ。――さもないと、空に食われるぞ」
不気味な忠告を胸に、俺たちは砦で最後の補給を済ませた。
バルガンは、工房馬車の最終メンテナンスを行い、リリアは、砦の小さな図書館で、この地方に伝わる古い伝承や、聖地に関する僅かな記述を探し出してくれた。俺は、携帯用の食料と、そして、これからの戦いに備えて、考えうる限りの種類の『弾丸』をアイテムボックスに詰め込んだ。
数日後、俺たちは、砦の人々の不安と、そしてかすかな期待の入り混じった目に見送られ、再び極寒の荒野へと出発した。
旅は、これまで以上に過酷を極めた。
巨大な氷の迷宮を抜け、底が見えないクレバス地帯を渡り、俺たちはついに、世界の果てとも言える場所にたどり着いた。
竜の牙山脈。
その名の通り、天を突くように鋭く尖った、黒い岩山が、まるで巨大な竜の顎のように連なっている。その威容は、見る者を拒絶するような、圧倒的な威圧感を放っていた。
「ここが……」
俺たちが山脈の麓に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
風が止み、音が消え、まるで世界から切り離されたかのような、不気味な静寂が支配している。
そして、俺たちはすぐに見つけた。
騎士団が残した、野営の跡。雪の上に残る、戦闘の痕跡。そして、無残に砕け散った、騎士たちの鎧の残骸。
だが、遺体は一つもなかった。まるで、綺麗に掃除でもされたかのように。
「……何か、おかしい」
バルガンが、周囲を鋭く警戒しながら呟く。
戦闘の痕跡はあるのに、敵の姿も、そして犠牲者の亡骸もない。
その時だった。
リリアが、はっと空を見上げた。
「アルクさん! バルガンさん! 空が……!」
俺たちも、つられて空を見上げる。
それまで鉛色だった空が、まるでオーロラのように、淡い緑色に、ゆっくりと染まり始めていた。
ギルドマスターの忠告が、脳裏をよぎる。
――空の色が変わったら、必ず隠れろ。
「まずい! 近くの洞窟へ急げ!」
俺たちは、近くにあった岩場の洞窟へと、全速力で駆け込んだ。
そして、洞窟の入り口から、息を殺して外の様子を窺う。
やがて、緑色に染まった空から、何かが、無数に、降りてきた。
それは、鳥ではない。
半透明の、クラゲのような体を持つ、巨大な浮遊生物。
その体は、空の色と同じ、淡い緑色の光を放っている。
そいつらは、音もなく地上に降り立つと、騎士団の鎧の残骸に、その触手を伸ばし始めた。
金属の鎧が、触手に触れた瞬間、まるで砂糖菓子のように、シュワシュワと音を立てて溶けていく。
「……あれが、『空に食われる』の正体か」
俺は、背筋が凍るのを感じていた。
あれは、生物と無機物の区別なく、全てを溶かし尽くす、空飛ぶ捕食者。
そして、その一体の腹部が、半透明であるためによく見えた。
その中には、消化されかかった、人間の――騎士の姿が、確かにあった。
俺たちがこれから進む道は、そんな化け物が支配する、死の空の下だった。




