第七十二話:辺境の砦
氷晶狼の襲撃から、さらに十日が過ぎた。
俺たちの旅は、ひたすらに、過酷な自然との戦いの連続だった。
視界を奪う猛烈な吹雪。足元に隠された、底なしの氷のクレバス。そして、飢えと寒さに適応した、獰猛な魔物たち。
バルガンは、神業のような操縦で、馬車を危険な氷原地帯から守り抜いた。
リリアは、付与魔法を駆使して、俺たちの生命線を支え続けた。凍った川から安全な飲み水を生み出し、乏しい食料を長持ちさせ、そして何より、その存在が、俺たちの心を温め続けてくれた。
俺は、アイテムボックスに満載した物資を管理し、時折現れる獲物を狩り、この過酷な旅のリーダーとして、二人を導いた。
俺たちは、互いを支え合い、生き抜いていた。
だが、終わりなき白銀の世界は、確実に、俺たちの体力と精神を削っていく。
ちょうど、燃料用の石炭が底をつきかけた、その時だった。
地平線の彼方に、俺たちは、黒い点を見つけた。
それは、自然物ではない。明らかに、人の手によって作られた、巨大な建造物。
「……砦だ」
俺の呟きに、リリアとバルガンも、安堵の息を漏らした。
近づくにつれ、その全容が明らかになる。黒い火山岩と、分厚い氷の壁で作られた、巨大な要塞。それは、この極寒の世界における、人類の最前線基地だった。
砦の門で、俺はギルドマスターから託された推薦状を見せた。壁の上から俺たちを睨みつけていた衛兵たちの顔から、警戒の色が消え、驚きの色が浮かぶ。俺たちは、丁重に砦の中へと迎え入れられた。
砦の内部は、一つの巨大な街だった。
建物は全て、風雪に耐えるための、ずんぐりとした頑丈な作りをしている。道行く人々は、冒険者、猟師、鉱夫、学者。誰もが、厳しい自然の中で生き抜いてきた者だけが持つ、力強い目をしていた。
俺たちは、砦の中心にある、冒険者ギルドの支部へと向かった。
そこのギルドマスターは、首都のマスターとは対照的な、顔中に傷跡を持つ、熊のような大男だった。彼は、俺たちの銀色のプレートと、伝説となりつつある『ブレイカーズ』の名を認めると、ニヤリと歯を見せて笑った。
「お前さんたちが、あの噂の! まさか、こんな世界の果てまで来るとはな!」
一通りの挨拶を終え、俺は、本題を切り出した。
「『旧神の大工房』について、何か知らないか」
その名を出した瞬間、先ほどまでの陽気な喧騒が嘘のように、ギルドホールが静まり返った。
ギルドマスターの顔から、笑みが消える。
「……本気か、小僧。あの場所は、禁足地だ。神話に出てくる『番人』は、実在する。毎年、腕利きの冒-険者が何人も、好奇心に殺されてるんだぞ」
彼は、壁に貼られた巨大な地図を指さした。
「場所は、ここからさらに三週間、大陸最北端の『竜の牙山脈』の奥深く。だが、やめておけ。お前たちが追っているという、ドワーフの裏切り者……その情報を求めて、一週間前に、王都から来た騎士団の部隊が同じ場所へ向かった」
ギルドマスターは、そこで一度、言葉を切った。
「――その部隊は、昨日、通信が途絶えた。おそらく、全滅だろう」
その言葉は、俺たちの旅の終着点が、いかに絶望的な場所であるかを、何よりも雄弁に物語っていた。
俺たちの任務は、裏切り者の追跡だけではない。もしかしたら、騎士団の救出という、新たな責務を負うことになるのかもしれない。
俺たちは、地図に記された、髑髏のマークがいくつも描かれた危険地帯を、ただ黙って見つめていた。




