第六十八話:裏切り者の影
王都を救った英雄としての、穏やかで輝かしい日々。
だが、俺たちの心の奥底には、常に一つの影が、棘のように突き刺さっていた。
ヴァルクール子爵の工房から逃げ延びた、あの裏切り者のドワーフの存在だ。
「……奴の行方は、いまだに分からんらしい」
ある日の作戦会議で、バルガンが苦々しく言った。
エレオノーラを通じて、王家の騎士団の捜査状況は時折耳に入ってきていたが、彼の足取りは王都を出たところで、完全に途絶えてしまったという。
「ただのドワーフじゃねえ。王家の最高技術を知るマスタークラフトマンだ。身を隠す術なんざ、いくらでも知ってるだろうさ」
「ですが、あの規模のゴーレムを再び作ろうとすれば、必ずどこかで動きがあるはずです」
リリアの言う通りだ。
奴は、生きた戦略兵器。野放しにしておけば、第二、第三のヴァルクール子爵が現れ、その牙を振るうだろう。
何より、バルガンにとって、故郷の技術を悪用し、誇りを汚した同胞を、このままにしておくことは、断じてできなかった。
俺たちは、この件を、俺たち自身の依頼とすることに決めた。
だが、どこから手をつければいいのか。
騎士団ですら見つけられない相手を、どうやって探す?
「――ギルドマスターに、相談してみる」
俺は、一つの可能性に賭けることにした。
王都の闇に通じ、あらゆる情報網を持つ、あの男ならば。
俺は一人、ギルドマスターの執務室を訪れた。
俺が、裏切り者のドワー-フを追う決意を告げると、彼は、全てを見通したような目で、静かに頷いた。
「……そう言うと思っていた。騎士団の表立った捜査では、影に潜んだ狐を捕まえることはできん。君たちのような、『別の道』を歩ける者でなければな」
ギルドマスターは、引き出しから一枚の、黒い金属でできたコインを取り出した。そこには、ギルドの紋章とは違う、絡み合う蛇の紋様が刻まれている。
「王都の地下には、我々とは違う、もう一つの『ギルド』が存在する。法や秩序が及ばぬ、情報の闇市場だ。これをそこの番人に見せれば、君たちを客として扱ってくれるだろう。ただし――そこから先は、自己責任だ。死んでも、ギルドは一切関知せん」
それは、光の世界に生きる英雄である俺たちへの、闇の世界への通行手形だった。
その夜、俺はリリアと共に、コインを手に、貧民街のさらに奥、地図にも載っていない寂れた酒場へと向かった。
ギルドマスターに教えられた合言葉を告げると、屈強なバーテンダーは、店の地下へと続く隠し階段を示した。
地下に広がっていたのは、まさに情報の闇市場だった。
各国から集まったスパイ、暗殺者、賞金稼ぎ。誰もが、殺伐とした気配を漂わせている。
俺たちは、そこで、莫大な情報料と引き換えに、一つの情報を手に入れた。
「……黒い馬車に乗ったドワーフなら、数週間前に北へ向かう闇商人の船に乗った、という話だ」
「北……?」
「ああ。人間どもが『凍てつく荒野』と呼ぶ、不毛の大地。その先にある、古代文明の遺跡群の方角へとな」
凍てつく荒野。
その名を聞いた時、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
それは、どんな魔境よりも危険な、無法と混沌の土地。
工房に戻り、その情報を伝えると、バルガンは、これまで見せたことのないほどに、厳しい顔つきになった。
「……なるほどな。あいつ、そこへ逃げ込んだか」
どうやら、彼には心当たりがあるようだった。
俺たちの、次なる目的地が決まった。
それは、もはやギルドの依頼ではない、俺たち自身の、過去を清算するための旅だ。
俺たちは、極寒の荒野へと向かうべく、工房馬車の、最大級の改修に取り掛かった。




