第五十九話:魔法学園からの使者
王都を救った英雄。
そんな大げさな称号とは裏腹に、俺たちの日常は、驚くほど穏やかなものだった。
あれから、一月が過ぎた。
バルガンは、逃した裏切り者のドワーフへの対抗心を燃やし、工房で寝泊まりしながら新たな弾丸と、そして防御用の装備の研究に没頭している。
リリアは、王立図書館に通い詰め、子供のように目を輝かせながら古代の魔法知識を吸収していた。工房にいる時は、覚えたての魔法をバルガンの作る鉄屑に付与して、その効果を二人で検証するのが日課になっている。
俺は、そんな二人を支えながら、ひたすらに射出の精度を高める訓練を続けていた。
俺たち三人は、ようやく手に入れた平和な日常を、それぞれの形で満喫していた。
その平穏が、唐突に破られることになるとも知らずに。
その日、俺たちの工房の前に、一台の豪奢な馬車が停まった。
貴族の紋章ではない。それは、杖と本をあしらった、王立魔法学園の紋章だった。
馬車から降りてきたのは、いかにも高位の魔術師といった風情の、知的で、しかしどこか人を見下したような目をしている男だった。彼の両脇は、学園の制服を着た、屈強な護衛魔術師が固めている。
「……ここが、例の『ブレイカーズ』の工房か。野蛮な場所だな」
男は、工房の槌音に眉をひそめると、俺たちを一瞥した。
「私が誰か、分かるかね? 王立魔法学園で、学部長を務めている者だ」
男は尊大に名乗ると、その視線をリリアに固定した。
「――リリア嬢。君に会いに来た」
その声に、リリアの肩が、びくりと小さく震えた。
学部長は、そんな彼女の様子を意にも介さず、事務的な口調で続ける。
「先日の王都での一件、君のその規格外の魔力のことは、学園でも議題に上がっていてね。素晴らしい才能だ。だが、同時に、実に危険な才能でもある。正しく導かれなければ、かつてのように、ただ周囲に災厄を振りまくだけの『呪い』になりかねん」
その言葉は、リリアがようやく乗り越えようとしていた、過去のトラウマを容赦なく抉った。
彼女の顔から、血の気が引いていく。
「そこで、学園からの正式な『勧告』だ。リリア嬢、君には、一度我々の元で、その力の精密な検査を受けてもらう。そして、我々の管理下で、正しい魔法のなんたるかを、一から学び直してもらう必要がある」
それは、聞こえはいいが、事実上の身柄の要求だった。
彼女の力を危険視し、管理し、研究し、そして学園の管理下に置く。俺たちから、リリアを奪うということだ。
「……いや……です……」
リリアが、か細い声で、しかしはっきりと拒絶した。
「わたしは、もう一人には……! わたしには、ここで、やるべきことが……!」
「おや、我々の申し出を断ると?」
学部長の目が、すっと細められる。その瞳の奥に、冷たい光が宿った。
「残念だが、これは君に拒否権がある話ではない。その制御不能な力は、我々が管理する『義務』がある。さあ、我々と共に来てもらおうか」
護衛の魔術師たちが、一歩前に出る。
その瞬間、俺とバルガンが、リリアを背にかばうようにして、男の前に立ちはだかった。
「……話は聞こえたぜ、学園の偉い先生よ」
バルガンが、地を這うような低い声で言った。
「こいつが、嫌だと言ってる。それでも無理やり連れて行こうってんなら、てめえらを、俺たちの新しい弾丸の、最初の的にしてやる」
俺もまた、静かに、しかし確かな殺意を込めて、男を睨みつけた。
「リリアは、俺たちの仲間だ。彼女の意志が、俺たちの意志だ。今日のところは、お引き取り願おうか」
俺たちから放たれる、ただならぬ気配。
学部長は、一瞬だけたじろいだが、やがて侮蔑のこもった笑みを浮かべた。
「……なるほど。これが『王都の英雄』か。いいだろう、今日は退いてやる。だが、覚えておくがいい。学園は、君たちを決して見過ごしはしない」
捨て台詞を残し、男は馬車に乗って去っていった。
嵐が去った工房で、リリアは、その場に崩れ落ちるように、小さく震えていた。
彼女の過去が、王立魔法学園という、あまりにも巨大な権力となって、俺たちの前に立ちはだかったのだ。
俺たちの、穏やかな日々は、確かに終わりを告げた。




