第三十八話:子爵の館
翌朝、俺たちは少しばかりの緊張を胸に、子爵の館へと向かった。
バルガンも「保護者役だ」と言って、結局ついてくることになった。リリアは、庵にいた頃の質素なローブではなく、街で買った、ささやかながらも清潔な旅装を身につけている。それでも、貴族の屋敷へ向かうには、少し場違いに感じているようだった。
子爵の館は、街の最も高い場所に、城のようにそびえ立っていた。
鉄の門をくぐり、手入れの行き届いた庭園を抜けて、俺たちが通されたのは、天井が高く、壁には巨大な絵画が飾られた、広大な謁見の間だった。
絨毯の上を歩く俺たちの足音だけが、やけに大きく響く。
部屋の奥、豪華な装飾が施された椅子に、一人の男が腰かけていた。
歳は四十代半ばだろうか。口元には人の良い笑みを浮かべているが、その目は、俺たちの魂の奥底まで見透かすような、鋭い輝きを宿している。この地の領主、子爵その人だった。
「ようこそ、英雄たち。私がここの領主だ」
子爵は、芝居がかった仕草で立ち上がると、俺たちの功績を大げさな言葉で賞賛した。黒風谷の商路を確保したことで、どれだけ領民が助かったか。その勇気と力が、いかに素晴らしいものか。
そして、一通り褒めちぎった後、彼は従者に合図を送った。俺たちの前には、ずしりと重い金貨が詰まった袋が三つ、置かれる。
「これは、先の依頼の成功報酬とは、全く別の、私個人からの礼だ。受け取ってくれたまえ」
「……ありがたく頂戴いたします」
俺が代表して礼を述べると、子爵は満足げに頷いた。バルガンが言っていた通り、まずはアメから、というわけか。
そして、子爵は本題を切り出した。
「君たちの力は、実に見事だ。鋼を砕き、神速を地に落とす。その力、正しく導けば、我が領地の安寧と繁栄にとって、これ以上ないほどの宝となるだろう」
その言葉の真意を、俺たちは黙って待つ。
「そこで、提案なのだがね。私が、君たちの公式な『後援者』となるのはどうだろうか?」
パトロン。それは、聞こえはいいが、実質的には貴族に飼われるということだ。
「君たちには、私の館の一部を住居として提供し、活動に必要な資金は全て私が援助しよう。バルガン殿の工房にも、望むだけの希少金属を融通する。リリア嬢には、王宮の書庫にも匹敵する、我が家の魔法蔵書を解放してもいい。冒険者のような、不安定な稼業からは足を洗い、私の下で、安定した地位と名誉を得るのだ。悪い話ではあるまい?」
子爵の目は、笑ってはいなかった。
それは、抗うことのできない、甘い毒の提案。
俺たちを、ギルドという枠から引き剥がし、彼の私兵として、その牙を完全に管理下に置こうという、明確な意志の表れだった。
バルガンが、俺の隣でギリ、と奥歯を噛みしめるのが分かった。リリアは、不安そうに俺の服の袖を掴んでいる。
俺たちの自由か、あるいは貴族との対立か。
その選択を、子爵は、人の良い笑みを浮かべたまま、静かに待っていた。




