第百五話:絶望の具現
黒い大地を進む俺たちの工房馬車『ブレイカー・ベース』。
だが、この旅は、これまでのどの冒険とも、根本的に異なっていた。
ここは、生命が生きる場所ではない。ただ、絶望だけが、濃霧のように、満ちている。
「……うぅ……っ……」
リリアが、コックピットの助手席で、苦しそうにうめき声を上げた。
彼女の額には玉の汗が浮かび、その顔は真っ青だった。彼女が受け入れた『星の意志』が、この大地の、あまりにも濃密な絶望と汚染に、激しく拒絶反応を示し、彼女の精神を、内側から削り取っているのだ。
「嬢ちゃん! しっかりしろ!」
「リリア! 俺のアイテムボックスから、精神安定の薬草を!」
俺が薬草を取り出そうとした、その瞬間だった。
ガクンッ、と。馬車が、何かに乗り上げたかのように、大きく揺れた。
「――なんだ!?」
バルガンが、荒々しくハンドルを操作する。
だが、馬車は、まるで、泥沼に捕らわれたかのように、その動きを鈍らせていく。
「アルク! 外を見ろ!」
俺は、射撃用の窓から、外の様子を窺った。
そして、息を呑む。
俺たちの馬車に、まとわりついていたのは、泥ではなかった。
それは、影。
この大地に突き刺さる、無数の黒い水晶。その柱から伸びる、あまりにも長すぎる、不自然な影。その影が、まるで生き物のように、うごめき、伸び上がり、俺たちの馬車の車輪に、触手のように絡みついていたのだ。
「…… 絶望が、形になった...」
リリアが、苦しい息の下で、その正体を看破した。
「この地に、封じ込められた、何万年もの魔族の怨念……それを、あの『影』が、糧にして、具現化させているんです……!」
「チッ! 野郎、大陸そのものを、自分の手足にしやがったか!」
バルガンが、エンジンを最大までふかす。だが、影の触手は、俺たちの馬車の魔力エネルギーを、直接吸い上げているのか、車内の明かりが、じりじりと、その光を弱めていく。
このままでは、飲み込まれる。
俺は、アイテムボックスから『ブレイカー・ボルト』を射出した。
だが、物理的な攻撃は、影の体を、何の意味もなく、すり抜けていくだけだった。
「――アルクさん!」
リリアが、最後の力を振り絞るように、叫んだ。
「光です……! あの影は、絶望そのもの……! なら、わたしたちの『希望』の光で、焼き払うしかありません!」
彼女の瞳が、黄金色に輝く。星の意志が、最後の抵抗を試みていた。
「バルガンさん、器を! アルクさん、わたしの、全ての光を……撃ち込んでください!」
「おうよ!」
バルガンが、あの『器の杭』を、俺のアイテムボックスへと放り込む。
リリアが、俺の腕に、彼女の震える手を重ねた。
彼女の、温かく、そして、強大な『希望』の魔力が、杭へと注ぎ込まれていく。
それは、もはや魔法ではなかった。
絶望に抗う、生命そのものの、輝きだった。
「どこだ、リリア! 核はどこだ!」
「ありません! あの影を生み出す、大本の『絶望』の源……あの、一番巨大な、黒い水晶の柱です!」
俺は、馬車の正面にそびえ立つ、ひときわ巨大な、禍々しい水晶柱を見据えた。
あれが、この地の絶望のアンテナ。
俺は、リリアが託した、最後の希望を、その大本の闇へと、撃ち込んだ。
放たれた『光の杭』は、闇を切り裂く、一条の流星となった。
そして、黒い水晶柱に、着弾する。
キィィィィィィィィンッ!!!!
凄まじい、光の爆発。
それは、闇を払う、浄化の光。
俺たちの馬車に絡みついていた影の触手たちが、光に焼かれ、甲高い悲鳴を上げて、霧散していく。
馬車の拘束が解けた。
「――今だ、バルガン! 走れ!」
「言われなくてもッ!」
『ブレイカー・ベース』は、咆哮を上げて、光によって開かれた道を、全速力で突き進む。
背後では、俺たちに破壊された水晶柱の代わりに、別の柱が、再び、闇の触手を伸ばし始めていた。
「リリア、休んでいろ。もう、魔法は使うな」
「……はい……」
俺は、ぐったりと意識を失ったリリアを、座席に横たえる。
もはや、一刻の猶予もない。
俺たちは、この大陸そのものが、俺たちを殺そうと襲いかかってくる、その魔の手を振り切りながら、ただひたすらに、羅針盤が示す、最後の中心点へと、馬車を走らせた。




