フィールド・レコーディング創世記 第5話:議会図書館の埃の中で
作者のかつをです。
第5話です。
現場での苦労だけでなく、その成果を世に認めさせるための、地道な戦い。
今回は、ローマックスの、もう一つの側面である「啓蒙家」としての活動に光を当てました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
旅からワシントンD.C.に戻ったアラン・ローマックスを待っていたのは、賞賛の言葉ではなかった。
彼が命懸けで集めてきた何百枚という貴重なアセテート盤は、アメリカ議会図書館の、薄暗く、埃っぽい書庫の片隅に、無造作に積み上げられていた。
歴史的な発見も、ここではただの「資料番号付きの円盤」でしかなかった。
図書館の上層部や、ヨーロッパの伝統を重んじる音楽学者たちにとって、ローマックスが記録してきた音楽は、「学問」の研究対象ですらなかった。
それは、教育を受けていない、貧しい黒人たちの、粗野で、野蛮な音楽。
アメリカの恥部。
研究に値するのは、ヨーロッパから受け継いだクラシック音楽や、洗練されたフォークソングだけ。
それが、当時のアカデミズムの、揺るぎない常識だった。
「ローマックス君、君の情熱は買うがね」
白髪の壮年の学者は、まるで汚いものでも見るかのような目で、ローマックスが差し出したアセテート盤を一瞥し、言った。
「こんなものが、アメリカの文化遺産だなどと、本気で思っているのかね? 聞くに堪えないノイズと、非文明的な叫び声じゃないか」
ローマックスは、悔しさで奥歯を強く噛みしめるしかなかった。
反論の言葉は、喉まで出かかって、しかし声にはならなかった。
彼らには、聞こえないのだ。
レッドベリーの歌声に刻まれた、歴史の重みが。
ロバート・ジョンソンのギターに宿る、人間の業の深さが。
そして、名もなき労働者たちの歌声に秘められた、抑圧されてもなお失われることのない、人間の尊厳の輝きが。
ローマックスは、たった一人で、新たな戦いを始めた。
戦場は、もはや南部の泥道ではない。
偏見と権威主義に満ちた、学問の世界だった。
彼は、ラジオ番組を立ち上げ、自らが録音した音源を、アメリカ中に放送して回った。
論文を書き、講演会を開き、ブルースやフォークソングが、いかにアメリカという国の精神性を体現した、偉大な芸術であるかを、粘り強く説いた。
彼は、単なる記録者ではなかった。
彼は、文化の翻訳者であり、価値の転換を迫る、静かなる革命家でもあった。
「この国の本当の歴史は、政治家の演説や、分厚い教科書の中にはない。この、埃まみれのレコードの溝の中にこそ、刻まれているんだ」
風向きは、ゆっくりと、しかし確実に、変わり始めていた。
彼の放送を聴いた若い世代の中に、その「本物」の響きに、心を激しく揺さぶられる者たちが、現れ始めていたのだ。
ボブ・ディランや、ジョーン・バエズといった、新たな時代の吟遊詩人たち。
彼らが巻き起こす、フォーク・リバイバルの大きな波が、すぐそこまで来ていた。
埃の中で眠っていた声は、新たな時代の若者たちによって再発見され、増幅されるのを、静かに待っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ローマックスが議会図書館に収めた音源は、現在では「アラン・ローマックス・コレクション」としてデジタル化され、オンラインで誰でも聴くことができます。
まさに、彼が夢見た未来が、実現したのですね。
さて、彼の地道な活動は、やがて、大きなうねりを生み出します。
彼が記録した声は、次の時代の音楽を、根底から変えてしまうのです。
次回、「ロックンロールへの遺言」。
物語は、海を越え、イギリスへと飛びます。
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