エレクトリック・ギター革命前夜 第6話:ミントンズ・プレイハウスの夜(終)
作者のかつをです。
第六章の最終話です。
あまりにも早くそのキャリアを終えなければならなかったチャーリー・クリスチャンの悲劇的な最期。
しかし彼が遺したものは、今も私たちの音楽の中に確かに生き続けています。
その壮大な繋がりを描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
ベニー・グッドマンとのツアーの合間。
チャーリー・クリスチャンは夜ごと、ハーレムの小さなジャズクラブへと足を運んでいた。
そのクラブの名は、「ミントンズ・プレイハウス」。
そこは新しい音楽の実験室だった。
チャーリーをはじめ、ディジー・ガレスピー(トランペット)、セロニアス・モンク(ピアノ)といった、野心的な若いミュージシャンたちが集まっていた。
彼らは商業的なスウィング・ジャズに飽き足らなかった。
彼らは夜が更けるのも忘れ、誰も聴いたことがない、よりスリリングで複雑な新しいジャズを生み出そうと、毎夜壮絶なジャム・セッションを繰り広げていた。
モダン・ジャズ(ビバップ)が産声を上げた伝説の場所。
その革命の中心に、チャーリー・クリスチャンのエレクトリック・ギターは常にあった。
しかし、彼の身体はその過酷な創造の日々に悲鳴を上げていた。
不規則な生活。
栄養の偏った食事。
そして彼が幼い頃から患っていた病魔。
結核だった。
1941年。
彼はついに病に倒れる。
ベニー・グッドマンのバンドを離れ、彼は療養所での生活を余儀なくされた。
しかし、彼はギターを手放すことはなかった。
療養所のベッドの上でさえ彼は作曲を続け、新しいフレーズを夢想していた。
友人たちが見舞いに訪れると、彼は興奮したように語ったという。
「退院したらアンプを二台並べて、ステレオでギターを鳴らすんだ」
「誰も聴いたことがないサウンドを作ってやる」と。
しかし、その夢が叶うことはなかった。
1942年3月2日。
チャーリー・クリスチャンは静かに息を引き取った。
25歳。
あまりにも早すぎる、夭逝だった。
……現代。
ロックギタリストがステージで、派手なソロを弾き鳴らす。
ジャズギタリストが小さなクラブで、知的なインプロヴィゼーションを繰り広げる。
そのすべての始まりに、彼がいた。
もし彼がもう少し長く生きていたら。
音楽の歴史は一体どうなっていただろうか。
彼は一体どんな新しいサウンドを生み出していただろうか。
その問いの答えは、誰にも分からない。
しかし、確かなことは一つだけ。
あなたが今当たり前のように聴いている、エレキギターのその豊かな響き。
その一音一音の中に。
日陰者の楽器をたった一人で主役の座へと押し上げ、そしてあまりにも早く燃え尽きていった一人の夭逝の天才の魂が、確かに生き続けているということを。
(第六章:エレクトリック・ギター革命前夜 ~ソロ楽器への昇華~ 了)
第六章「エレクトリック・ギター革命前夜」を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
チャーリー・クリスチャンの死因については、結核が悪化したことに加え、療養中に友人たちがマリファナや女性を持ち込んだことが彼の死期を早めた、とも言われています。
まさにジャズ・エイジの光と影を象徴するような最期でした。
さて、ギターが主役の座に躍り出ました。
次なる物語は、そのギターの音がさらに過激に変貌を遂げるきっかけとなった、ある幸運な「事故」の物語です。
次回から、新章が始まります。
第七章:ディストーション発明の日 ~破れたスピーカーの幸運~
ロックの象徴である「歪んだギターサウンド」。
その荒々しい音色がいかにして偶然生まれたのか。
その痛快な発明秘話が始まります。
引き続き、この壮大な音楽創世記の旅にお付き合いいただけると嬉しいです。
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それでは、また新たな物語でお会いしましょう。
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