ブルースの故郷への帰還 第4話:グラミー賞と、故郷の土
作者のかつをです。
第4話をお届けします。
世界の頂点に立ちながらも、決して故郷を捨てなかったアリ・ファルカ・トゥーレ。
今回は彼の音楽家として、そして一人の人間としての揺るぎない哲学に焦点を当てました。
彼の生き方そのものが、一つの美しいブルースのようです。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
アリ・ファルカ・トゥーレの名は、ワールドミュージックの世界で急速に神格化されていった。
欧米の批評家たちは彼の音楽を、最大級の言葉で賞賛した。
「ブルースの生きたミッシング・リンク」
「アフリカのジョン・リー・フッカー」
彼のアルバムは次々と、国際的な音楽賞を受賞していった。
そして、1994年。
彼のキャリアにおける、一つの大きな頂点が訪れる。
アメリカのブルース・ギタリスト、ライ・クーダーとの共演アルバム「トーキング・ティンブクトゥ」が、グラミー賞のベスト・ワールドミュージック・アルバム部門を受賞したのだ。
音楽業界における、最高の栄誉。
マリのニアフンケ村の一人の農夫であり、ラジオ技術者だった男が、ついに世界の頂点に立った瞬間だった。
世界中の有名プロモーターから、出演依頼が殺到した。
巨額の契約金が提示された。
ワールドツアーを組めば彼は、億万長者になることも夢ではなかった。
しかし、アリの反応は世間の予想とは全く違うものだった。
彼はグラミー賞の受賞式にも、姿を現さなかった。
そして次々と舞い込む華やかなオファーの、ほとんどを断ってしまったのだ。
彼はパリやロンドン、ニューヨークのきらびやかな暮らしよりも、故郷ニアフンケ村の土の匂いを、選んだ。
「俺は農夫だ」
彼はインタビューで、繰り返しそう語った。
「音楽は俺の人生の一部だ。しかしすべてではない。俺には育てなければならない米がある。家族がいる。この村がある」
彼はツアーに出かける時も、必ず農作業の閑散期を選んだ。
そしてツアーが終わると、一目散に故郷の村へと帰っていった。
彼は音楽で得た収入のほとんどを、故郷の村のために使った。
井戸を掘り、灌漑設備を整え、学校を建てた。
彼にとって音楽家であることと農夫であること、そしてこの共同体の一員であることは、決して切り離せるものではなかった。
彼の音楽は、このニジェール川の乾いた土の中から生まれてくるものなのだから。
その土から引き離されてしまえば、自分の音楽は魂を失い枯れてしまう。
彼はそのことを、本能的に知っていた。
スターダムや名声、富。
そういった世俗的な価値観に、彼は少しも心を動かされなかった。
その孤高で頑固な生き方こそが、彼の音楽をさらに深く本物にした。
人々は彼の音楽だけでなく、その揺るぎない生き方そのものに深い尊敬の念を抱くようになっていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
アリ・ファルカ・トゥーレは2004年には、故郷ニアフンケ村の村長にまで選ばれています。
彼は最後まで、自らのルーツと共に生きた偉大な人物でした。
さて、彼の音楽はブルースの「過去」を証明しました。
しかしそれは同時に、ブルースの「未来」を示すものでもありました。
次回、「砂漠の反逆者たち」。
彼の足跡を追い、サハラ砂漠から全く新しい世代のブルースが生まれようとしていました。
ブックマークや評価、お待ちしております!