ブルースの故郷への帰還 第3話:パリのスタジオ、魂の録音
作者のかつをです。
第3話、お楽しみいただけましたでしょうか。
マリの小さな村で、独自の音楽を追求していたアリが、いかにして、世界の舞台へと、その第一歩を踏み出したか。
その、運命的なレコーディングの瞬間を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
アリ・ファルカ・トゥーレは、マリ国内で、少しずつ、その名を知られるようになっていった。
国営ラジオ局での仕事の傍ら、彼は、様々なバンドで演奏し、その、唯一無二のギタースタイルで、人々を魅了していた。
彼のギターは、まるで、ニジェール川の流れそのもののようだった。
ゆったりと、雄大に、しかし、その奥底には、力強い、抗いがたいグルーヴが、渦巻いている。
時に、それは、乾いた砂漠の風のように、物悲しく響き、またある時は、祝祭の太鼓のように、生命力に満ちあふれていた。
しかし、彼の音楽は、まだ、マリという国の、国境を越えることはなかった。
当時の欧米の音楽業界にとって、アフリカの音楽とは、いまだに、「未開の地の、エキゾチックな響き」という、ステレオタイプなイメージでしか、捉えられていなかったのだ。
そんな中、彼の運命を、大きく変える、一つの転機が訪れる。
1980年代半ば、フランスの、小さなレコードレーベルのプロデューサーが、彼の噂を聞きつけ、マリまで、やってきたのだ。
そのプロデューサーは、アリの生演奏を聴き、その場で、衝撃を受けた。
これは、本物だ。
これは、世界が、まだ知らない、新しいブルースだ、と。
彼は、アリを説得し、フランスのパリで、アルバムを録音する、という、壮大な計画を持ちかけた。
アリは、迷った。
彼は、故郷のニアフンケ村を、深く愛していた。
農夫として、土に生きることにも、大きな誇りを持っていた。
音楽は、金儲けの道具ではない、という思いも、強かった。
しかし、自分の音楽を、世界に問う、またとない機会。
そして、ブルースの魂が、アフリカにあるということを、証明するための、絶好のチャンスだった。
彼は、生まれて初めて、飛行機に乗り、パリへと飛んだ。
近代的な、設備の整ったレコーディング・スタジオ。
それは、彼が、マリのラジオ局で使っていた、古びた機材とは、別次元の世界だった。
しかし、彼は、少しも、臆することはなかった。
彼は、ただ、目を閉じ、故郷のニジェール川の風景を、心に思い浮かべた。
そして、ギターを弾き、歌い始めた。
スタジオには、マリの、乾いた大地の匂いが、満ちていくようだった。
エンジニアも、プロデューサーも、言葉を失って、その音に、聴き入っていた。
それは、テクニックや、理論では、到底、説明できない、魂の音楽だった。
何千年という、アフリカの歴史の重みが、その一音、一音に、宿っていた。
数日間にわたるセッションの末、一枚の、歴史的なアルバムが、完成した。
その、シンプルなタイトルは、「アリ・ファルカ・トゥーレ」。
この一枚のレコードが、やがて、ヨーロッパの批評家たちの間で、静かな、しかし、熱狂的な話題を呼ぶことになる。
そして、彼の名を、ワールドミュージックという、新しい地図の上に、深く、刻み込むことになるのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
この時、パリで録音されたアルバムは、1988年に、イギリスのワールドミュージック専門レーベル「ワールド・サーキット」からリリースされ、欧米で、非常に高い評価を受けました。
まさに、彼のキャリアの、ブレークスルーとなった一枚です。
さて、ついに、世界に発見されたアリの音楽。
しかし、彼は、決して、スターになることを、望んではいませんでした。
次回、「グラミー賞と、故郷の土」。
世界の賞賛と、故郷での生活との間で、彼の心は、揺れ動きます。
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