カントリーミュージック発見の日 第4話:母なるメイベルの奏法
作者のかつをです。
第4話をお届けします。
今回はカーター・ファミリーの歴史的なレコーディングの様子と、その音楽がいかに革新的であったかに焦点を当てました。
特にメイベル・カーターが生み出したギター奏法は、その後のポピュラー音楽全体に計り知れない影響を与えることになります。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
ラルフ・ピアはカーター一家を、部屋の中央に立てられた一本のマイクの前に立たせた。
「さあ、準備はいいかな。君たちの最高の歌を聴かせてくれ」
A.P.は緊張でこわばった表情をしていた。
彼の役目はベースパートの、控えめなハーモニーを歌うことだけだった。
主役は、セーラだ。
彼女がオートハープを抱え、マイクの正面に立った。
その横でメイベルが、静かにギターを構える。
セーラは一度目を閉じた。
そして歌い始めた。
悲しい恋人たちの運命を歌った古いバラッド「Bury Me Under the Weeping Willow(泣き柳の下に、私を埋めて)」。
その歌声が部屋に響き渡った瞬間、ピアは息を呑んだ。
それは彼がこれまでニューヨークの洗練されたスタジオで聴いてきた、どんな歌手の声とも違っていた。
飾り気がなくまっすぐで、そして心の奥底まで染み渡るような深い哀愁を帯びていた。
まるでアパラチアの山々そのものが、歌っているかのようだった。
そして、彼をさらに驚かせたのがメイベルのギターだった。
当時のギターの役割は歌の伴奏として、コードをかき鳴らすこと(ストラム)がほとんどだった。
しかしメイベルの弾き方は、全く違っていた。
彼女は親指で力強くベースラインとなるメロディを弾きながら、同時に人差し指の爪で高音弦を掻き鳴らしリズムを刻んでいたのだ。
一本のギターでメロディと伴奏を、同時に完璧にこなしていた。
ピアは身を乗り出した。
「なんだ、今の弾き方は……?」
それは彼女が誰に教わるでもなく、独学で編み出した全く新しい奏法だった。
のちに「カーター・スクラッチ」、あるいは「カーター・ファミリー・ピッキング」と呼ばれることになる革命的なギター奏法が、歴史上初めて記録された瞬間だった。
この奏法はギターという楽器を、単なる伴奏楽器からリード楽器へと昇華させる大きな可能性を秘めていた。
ピアは確信した。
この家族は、宝だ。
彼はその場でカーター・ファミリーと、6曲を録音する契約を結んだ。
一曲あたり50ドルの報酬。
彼らにとっては、大金だった。
録音を終え、ブリストルの町を後にする車の中でセーラは静かに涙を流していた。
自分たちの先祖代々の歌が、これで永遠に残る。
その安堵と喜びが、彼女の胸に満ちていた。
彼女たちはまだ知らない。
自分たちのこのささやかな録音が、やがてカントリーという巨大な木の揺るぎない「根」となる運命だということを。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
マザー・メイベル・カーターは後に、カントリー界のゴッドマザーとして絶大な尊敬を集めることになります。
彼女の娘、ジューン・カーターはあのジョニー・キャッシュと結婚しました。
カーター・ファミリーの血脈は、まさにカントリーミュージックの歴史そのものなのです。
さて、歴史の「根」となる家族を発見したピア。
しかし彼の元に、もう一人の全く違うタイプの天才が現れようとしていました。
次回、「さすらいのブルー・ヨーデラー」。
カントリーミュージックの最初の「スター」が、ついに登場します。
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