消えゆく声を記録した男 第2話:巨大な録音機
作者のかつをです。
第2話をお届けします。
今回は、ローマックスが相棒とした「録音機」と、当時の録音がいかに困難な作業だったかに焦点を当てました。
技術的な制約が、逆に彼の情熱を際立たせていたのかもしれません。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
アラン・ローマックスの旅の相棒は、怪物と呼ぶにふさわしい代物だった。
彼が汗だくになってトランクから運び出す録音機は、総重量が200キログラムを超える巨大で繊細な機械の塊だ。
その場でレコード盤をカッティングするため、ダイヤモンドの針が付いたアーム、重量のあるターンテーブル、そして巨大な真空管アンプとスピーカーで構成されていた。
現代の我々がスマートフォンの録音ボタンに指一本で触れるのとはわけが違う。
彼の録音は全身全霊を傾ける肉体労働であり、時計職人のような精密作業でもあった。
記録媒体はアセテート盤と呼ばれる、アルミニウムの円盤に黒いラッカーを塗布した非常に壊れやすいレコード盤だ。
南部の容赦ない湿気と熱は、このデリケートな円盤にとって最悪の敵だった。
少しでも盤が歪めば繊細な針は溝を飛び、録音は取り返しのつかない失敗に終わる。
予備の盤は限られていた。
そして最大の難問は「電源」の確保だった。
1930年代のアメリカ南部では、電気が通っていない農村や粗末な小屋など決して珍しい風景ではなかったのだ。
ローマックスはこの問題に対処するため、車のバッテリーから直接電源を取れるように自ら機材を改造していた。
しかしそれは常に、車のエンストという致命的なリスクと隣り合わせだった。
録音の最中に車のエンジンが止まれば、その日のすべての努力がただのノイズと沈黙に変わってしまうのだ。
「やあ、こんにちは。あんたの、その素晴らしい歌をこの機械に記録させてはくれないだろうか」
彼が農作業の合間にハミングしていた黒人男性に声をかけると、返ってくるのは決まって警戒心に満ちた訝しげな視線だった。
身なりのいい白人が立派な車に乗って、黒人の歌を録りたい?
しかもこんな得体の知れない巨大な機械で?
魂でも抜き取られるんじゃないか。
長年白人に搾取され続けてきた彼らが、そう疑うのも無理はなかった。
その深い不信感を解きほぐすのに、何時間もかかることもあった。
ローマックスは焦らなかった。
彼はまず自分が持ってきたポータブルスピーカーを組み立て、以前に別の場所で録音したブルースを再生して聴かせた。
機械から自分たちと同じような黒人のしゃがれた歌声や、荒々しいギターの音色が流れてきた時、彼らの表情は驚きに変わり、やがて親密なものへと変わっていった。
音楽は言葉や人種、そして警戒心の壁をいとも簡単に越えていく魔法だった。
ようやく録音の許可を得て、大急ぎでセッティングを終える。
針をそっとアセテート盤の上に落とすと、黒い盤面がゆっくりと回転を始めた。
削りカスが、黒い糸くずのように生まれては消えていく。
「さあ、頼む。あんたの最高の歌を聴かせてくれ」
ローマックスは祈るような気持ちで、古めかしいヘッドフォンに耳を澄ませた。
その溝に、失われゆく歴史が今まさに刻み込まれようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
この携帯用録音システムは、まさにローマックス親子のために特注されたものでした。
彼ら自身が、録音技術のパイオニアでもあったのです。
さて、過酷な環境と機材、そして人々の不信感。
そんな困難な旅の中で、ローマックスは運命的な出会いを果たします。
次回、「刑務所の歌声」。
鉄格子の向こう側で、彼は歴史を揺るがす才能を発見することになります。
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