教会にブルースを持ち込んだ男 第2話:妻子の死
作者のかつをです。
第2話をお届けします。
今回は、ドーシーの人生における、最も暗く、そして最も重要な転換点となった悲劇を描きました。
人間の創造性は、時に、こうした耐え難いほどの絶望の中から生まれることがあります。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
シカゴの音楽シーンで、“ジョージア・トム”ことトーマス・ドーシーの名声は、頂点に達していた。
彼が書くブルースは、次々とヒットし、彼は富と名声を手に入れた。
彼は、愛する女性ネティと結婚し、家庭を築いた。
牧師である父親が嘆いた「悪魔の音楽」は、彼に、世俗的な幸福のすべてを与えてくれたかのように見えた。
しかし、彼の心の中の罪悪感が、完全に消えることはなかった。
時折、彼は神経衰弱に陥り、音楽活動を休止することもあった。
聖と俗の間で揺れ動く魂は、彼を蝕み続けていた。
1932年8月。
ネティは、臨月を迎えていた。
ドーシーは、セントルイスでの大きなギグ(演奏の仕事)に出かけていた。
ブルース・スターとして、最高のパフォーマンスを披露し、喝采を浴びていた、その夜。
シカゴの自宅から、一本の電報が届いた。
「スグカエレ」
胸騒ぎを覚えながら、彼は夜行列車に飛び乗った。
翌朝、シカゴの我が家のアパートにたどり着いた彼を待っていたのは、あまりにも残酷な現実だった。
妻のネティが、出産中に、亡くなったのだ。
彼は、その場に崩れ落ちた。
神は、いないのか。
なぜ、こんな仕打ちを。
親族が、彼を慰めようと、生まれたばかりの息子の赤ちゃんを、彼の腕に抱かせた。
それは、ネティが遺してくれた、唯一の希望の光だった。
しかし、その光さえも、神は、無慈悲に奪い去っていく。
その日の夜、生まれたばかりの息子もまた、静かに息を引き取った。
絶望。
完全な、暗闇だった。
ドーシーは、たった一日で、愛する世界のすべてを失った。
彼は、ピアノの前に座り、鍵盤を憎しみを込めて叩きつけた。
自分に富と名声をもたらした、このブルースが、憎かった。
この「悪魔の音楽」に現を抜かしていたから、神は罰を下したのだ。
彼は、神を呪った。
そして、自分自身を、呪った。
数日間、彼は、誰とも口を利かず、部屋に閉じこもった。
葬儀の日、彼は、まるで抜け殻のようだった。
友人たちは、彼が、もう二度と、音楽の世界に戻ってくることはないだろう、と思った。
ブルース・ピアニスト、“ジョージア・トム”は、妻子の亡骸と共に、完全に死んだのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
この悲劇は、ドーシーの人生にとって、まさに十字架となりました。
しかし、キリスト教の世界では、十字架は、死であると同時に、再生の象徴でもあります。
さて、すべてを失ったドーシー。
暗闇の底で、彼は、一つのメロディと出会います。
次回、「神への祈り、ブルースの響き」。
ゴスペルという、新しい音楽が、産声を上げる瞬間です。
ブックマークや評価、お待ちしております!
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