教会にブルースを持ち込んだ男 第1話:悪魔のピアニスト
作者のかつをです。
本日より、第三章「ゴスペル創世記 ~教会にブルースを持ち込んだ男~」の連載を開始します。
讃美歌とブルース。
水と油のように決して交わらないと思われた二つの音楽を、一人の男が、その苦悩の末に融合させていく物語です。
その壮大なドラマの序章から、お楽しみください。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
日曜日の朝、礼拝を終えた教会の扉が開かれ、中から讃美歌の柔らかなハーモニーが漏れ聞こえてくる。
厳かで、敬虔な、神への祈りの歌。
同じ頃、ライブハウスの昼公演では、ソウルフルなシンガーが、観客の手拍子に合わせて熱唱している。
その歌声は、喜びと悲しみが一体となった、人間の魂そのものの叫びのようだ。
この、神聖な「祈り」と、世俗的な「叫び」。
全く違うように聞こえる二つの音楽の根が、実は同じ場所で繋がっていることを知る者は少ない。
かつて、「悪魔の音楽」と「神の音楽」を、禁断の形で結びつけた、一人の男の物語を。
物語は、ジャズ・エイジ真っ只中の1920年代、アメリカ合衆国ジョージア州。
敬虔なバプテスト派の牧師の息子として生まれた一人の若者がいた。
彼の名は、トーマス・A・ドーシー。
しかし、彼が夜の世界で名乗っていた名は、まったく別のものだった。
“バレルハウス・トム”。
あるいは、“ジョージア・トム”。
彼は、二つの顔を持つ男だった。
昼は、教会の厳格な教えの中で育った真面目な青年。
夜は、薄暗い酒場や、怪しげなレント・パーティー(家賃稼ぎのパーティー)で、ピアノを弾いて日銭を稼ぐ、ブルース・ミュージシャン。
彼の指が、古びたピアノの鍵盤の上を転がり始めると、空気は一変した。
陽気で、下品で、そしてどこまでも官能的なブルースのリズムが、部屋を満たす。
人々は、酒を飲み、体を寄せ合い、彼のピアノに合わせて、世俗的な快楽に身を委ねて踊り狂った。
父親である牧師は、息子の夜の顔を、深く嘆いていた。
「トーマス、お前が弾いているのは、悪魔の音楽だ。神への冒涜だ」
ブルースは、教会にとって、忌むべき存在だった。
それは、欲望と、堕落と、絶望の音楽。
神の家で、決して鳴り響くことのない、罪の音。
ドーシー自身もまた、その矛盾に深く苦しんでいた。
神への信仰心と、ブルースの持つ抗いがたい魅力。
その二つの間で、彼の魂は、常に引き裂かれていた。
やがて彼は、ブルースの女帝と呼ばれた偉大なシンガー、マ・レイニーのバックバンドに抜擢され、シカゴへと向かう。
ブルース・ミュージシャンとして、彼は成功の階段を駆け上がっていく。
しかし、彼の心の奥底では、常に、父親の言葉が重い鎖のように響いていた。
「悪魔の音楽」
彼はまだ知らない。
その悪魔の音楽こそが、やがて、彼を神の元へと導く、唯一の道となる運命だということを。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第三章、第一話いかがでしたでしょうか。
トーマス・ドーシーは、実際に有名なブルース・ピアニストとして、「It's Tight Like That」など、猥雑な歌詞を持つヒット曲をいくつも生み出しています。
まさに、聖と俗の二つの世界を生きた人物でした。
さて、ブルースの世界で成功を収めたドーシー。
しかし、彼の人生を根底から揺るがす、一つの大きな悲劇が、彼を襲います。
次回、「妻子の死」。
絶望の淵で、彼は、新たな音楽の光を見出すことになります。
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