鞍田文造覺え書き
〈惡魔にも優しの相が春の雷 涙次〉
【ⅰ】
じろさんに引き續き、カンテラにも葉書きが來た。「鞍田の墓がやうやく建ちました。一目見てやつて下さいね。斎子」
差出人は日々木斎子。女の名だと云ふので、あからさまに不審がる悦美。「ねえ、この人、だあれ?」カン「遠縁のをばさんみたいなもんだよ」アンドロイドのカンテラに、遠縁がゐる譯が、ない。これは何か隠してゐるな、と、悦美の「女の勘」。だが、文句を云へた義理もない。「ふうん」「墓參りに、付いてくるかい?」「え?」「山陰の、何もないところだけどね」
クルマではなく、電車で行く事にした。これはもう、旅行と云つていゝ。思へばカンテラさんと旅行なんて、滅多にない事だわ。さう思ふと、悦美にはそれだけで樂しかつた。停車驛で驛弁とお茶を買ふ。そんな事が彼女には、嬉しいのであつた。
「お墓に埋葬されてゐる人は、どんな人なの?」「鞍田文造と云ふ男だよ。前にも云つたよね、俺を造つた魔導士さ」窓の外に雪がちらついてゐる。だがそれもすぐに止み、黄落した木々ばかりの、不気味な光景が展開された。さう、行くべき場所は行樂地ではない。飽くまで墓所、なのだ。
「斎子さんて云ふ人は、その鞍田さんの...」「愛人さ。玉の井の女」「玉の井?」「私娼窟だよ。女を買ふところ」
【ⅱ】
それは、太平洋戦争前の話だつた。鞍田は、と或る骨董品商の息子として生まれた。18歳で、父親が亡くなり、店を継いだ。その頃から、斎子の許には、足繁く通つてゐた。
【魔】の呼び掛けに、感應し易い體質だつた。魔界に入り込み、魔導士のレッスンを受けた。
店にあつた、烏賊釣り漁船のカンテラ-「今でも、俺の外殻となつてゐる、あれ、さ」の内部に、何やら小さな煌めきがあるのを、目聡く見付け、そこに人肉(どこから採つたのかは定かではない)を一片、挿し入れた...これは魔導士の魔術の一つ。さうやつて、一片の人肉は、頭となり、手足となり、胴體となり、そこにカンテラは、生を享ける事となつた。
「始めの内は、面白半分だつたのさ。だけど、その内、俺を使ひ魔として、惡事を働く事を覺えた」「例えばどんな?」「恨みを抱いてゐる人、斬らせたんだよ。俺は殺人マシーンとして、生まれたのさ」「...」「俺は、今の由香梨みたいに、てゝなし児となつた子供を見た。俺が斬つた者の子、だ。父ちやん、父ちやん、と遺體に縋つて泣いてゐた」「...」「これはいかん。さう思つたんだ。倖ひ、俺には自我が目醒めてゐた。鞍田としては、誤算だよね。操り人形だと思つてゐたアンドロイドには、自立心と云ふものがあつたつて譯。その頃には既に、魔導士としても、俺は鞍田の上を行つてゐた」「それで?」-悦美には氣が滅入る、カンテラの獨り語りだつたけれども、これは真摯に受け止めるべき、だとは分かつてゐた。
カ「斬つたのさ。自分の造り主である、鞍田を」
【ⅲ】
目的の驛に、電車は到着した。思はず、コートの襟を掻き合はせた。寒いところだつた。
宿にチェックインした。「あれ、まあ。カンテラ先生だよ! そちらは、悦美さん?」思はず苦笑したが、色紙に「カンテラ一燈齋、此井悦美」と、二人はサインした。悦美の方が、サイン責めには慣れてゐた。
特に温泉地でもなく、たゞ靈園がある町、に過ぎなかつた。「お墓詣り、ですか?」宿の仲居さんが、訊かずもがなの事を訊く。心づけを渡すと、領収書に金額と名前を書いて、「上様、で宜しいでせうか?」さう云ふ事には、不慣れなカンテラ、「お好きなやうに」とぶつきらぼうに答へざるを得ない。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈略圖にはこゝより入るとあつたのがそのこゝとやら中々分からぬ 平手みき〉
【ⅳ】
二人が鞍田の墓まで、だうにか辿り着く(靈園の係は、案内すると云ふが、それを断つた)と、そこには斎子が獨り、詣でゝゐた。
「あら、カンテラさん。來てくれたのね」悦美の事は黙殺した斎子は、だう見ても百歳近い老婆には見えず、中年の女盛りのやうだつた。「はぐれ魔導士」である鞍田が、禁を犯し、彼女に永遠の若さを約束する、魔法を掛けてゐたのだ。斎子は謂はゞ、魔界に片足を突つ込んでゐる、半分【魔】的存在なのだつた。
斎子が立ち上がつた。着物は和装で、質素とも云へる出で立ちだつたが、艶やかと云ふに相應しい女-「わたしねえ、鞍田よりもあんたの事が」カン「皆迄云ふな」カンテラ、腰の物をすらり、拔き放つた。
悦美「!」カン「だうせ斬られに、俺を呼んだのだらう。放つて置けば、永遠の魂が約束されてゐる...それが、厭になつたんだな?」斎子はこくりと頷いた。
「しええええええいつ!!」斎子は、絶命した。カン「これで、事は濟んだ。行かう、悦美さん」
二人は、結局鞍田の墓には、參らなかつた。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈ぶらんこに幼女の靈よ永劫よ 涙次〉
【ⅴ】
期待してゐなかつたのだが、宿の飯は美味かつた。いゝ板前を使つてゐる、と見えた。二人で所謂「家族風呂」に入つた。悦美は終始無言であつた。
お仕舞ひ。