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隠し事が上手いのは、彼女か俺か

作者:

「もー何しに来たの、はよ帰ってよー」


「漫画読んだら帰るー」


「図書館じゃねんだわ、ここは」


 俺ーー餅田圭吾は、幼馴染の森本柚葉の部屋に来ていた。家が隣同士なもんで、漫画を読みに来る、というのは日常茶飯事である。主に俺が。


「……飲み物取ってくる」


「おーさんきゅー」


「あんたのを取ってくるとは言ってないんだけど」


 非常に冷たい反応が返ってきた。でも、コイツは自分で思ってるほど、冷たい人間にはなれない奴だ。


「でも、結局は持ってきてくれるんだろ?」


「……はぁ」


 部屋を出る直前に溜息を吐かれた。悲しい。うそ、そんなには悲しくない。




「はい、どうぞ」


「ありがとうございます!」


 だって、結局優しさを捨てられないのが柚葉だからだ。


 彼女はマグカップに温かいお茶を入れてきてくれた。


「……あ、スマホ置いてきた」


 すぐにまた彼女は部屋を出た。俺は読み終えた漫画を本棚に戻し、本命の新刊に手を伸ばした。ーーが、手から漫画が落ちる。


「あ、やべ」


 怒られる。俺は慌ててしゃがみ、その漫画を拾った。軽く埃を払う。


 ふと、視界に写真立ての裏側のようなものが映った。床に落ちてる。なんで?


 それを表に返すと、それがキャンバスだということに気づいた。


「ーーはっ?」


 意味わからんぐらい、綺麗な絵だった。


 一面に星空。田舎ならではのこの景色。これはオリオン座か?すげえ。空が真っ黒な訳でもなく、本物のような……いや、本物よりももっと綺麗に見える。


「すっげぇ……」


 俺は腰を下ろし、じっとその絵を眺めた。


 彼女には、こんなふうに見えるのだろうか。とてつもなく美しく。


 彼女の瞳は悪いものなんか、何一つ、映さないのだろうか。


「え」


「うわっ」


 気づけば柚葉はスマホ片手に、こちらを覗きこんでいた。


 その目は、怒っている。


「勝手に見たんだ」


「え、あ、ごめん。落ちてたから」


 言い訳じみてる。事実ではあるが、自分でもそう思った。


 隠してたんだよな。


 ……幼馴染の俺でも、柚葉が絵を描くとか知らなかったのだから。


「もういい?片付けるけど」


「絵、描くんだ」


「あーうん……まぁ圭吾ならいいか」


 苦笑い、というような感じで彼女は曖昧に笑った。


「え?つかまじでうまいな。美術部入るとか、なんかもっと周りに見せればいいのに。幼馴染なのに知らなかったの、何気にショック」


 俺は思わず思ったことをそのまま言った。言わずにはいられなかった。


「わざわざ言わないよ」


 そう言い、目を伏せた彼女に聞き返す。


「なんで?」


「大事だから」


「え?」


「大事だから、隠すの」


 薄く微笑んだ彼女の横顔を見て、俺はなぜかある言葉を思い出していた。




『圭吾って、バカ正直だよね』


 俺に投げ掛けられた言葉。誰に言われたのかも覚えていない。


 ただ、俺はその言葉を悪口だと思ったこともなかった。


 正直なほうが絶対いいじゃん。ヘンに嘘ついて、結局バレたとかになったら、余計傷つけんじゃん。


 だから、バカ正直で何が悪いんだ。




 なぜ今その言葉を思い出したのか。


 俺は嘘がつけない人間だ。もっと言うなら、隠し事すらできない人間だ。


 だからこそ、なぜ柚葉が絵を描くという事実を隠しているのか、それが理解できなかった。


 下手ならわかる。でもあの絵は、素人でもわかるほどに、凄かった。上手かった。芸術的だった。


「なぁ、他の絵も見せてよ」


「は?なんで?さっき言ったこと、聞いてた?」


「聞いてたけど、こんなところに仕舞っておくのは、もったいないだろ。つか、幼馴染の俺にぐらい見せてよ」


「…………」


 柚葉は少し躊躇いながら、本棚に立て掛けられた小さなキャンバスを出して見せてくれた。


「やっぱ、すっげぇよ……」


「全然、そんなことない」


 その言葉は謙遜とかではなく、本音に聴こえた。




『大事だから、隠すの』


 自室に戻り、俺は柚葉の言葉を思い出していた。


 確かに、彼女は自分の気持ちをあまり話さない奴だった。今でもそれは変わらない。


 ……それも、そういうことだろうか。


 自分の気持ちが大事だから、隠す。


 自分の絵が大事だから隠す。


 わざわざリスクを負って自分を切り崩すことを彼女は拒んでいるのかもしれない。


 でも、理解できない。


 いくら幼馴染だからといって、嘘がつけないような俺には理解ができない。


 ……大体、他人を理解しようだなんて傲慢なことなんじゃないか?





 ◇◇◇


 雨が降っていた。高校生である俺達は7時間授業を終え、帰り支度をする。


 テニス部に入っているが、今日この天気だと明らかに休みだろう。


 つーことで帰る。


 用意周到な俺はしっかり折り畳み傘を持ってきている。……というのは半分嘘だ。


 今日たまたま天気予報を見たおかげで、傘を持ってきただけ。普段は朝の天気を見て、勘で判断している。


 雨の中、走っていく生徒を横目に人の群れを抜ける。


「あ」


「あ?」


 その中に柚葉がいた。


 この感じだと傘は……ないよな。


「意外。圭吾が傘持ってるとか思ってなかったや」


「俺は実はしっかり者なんですよ」


「嘘つけ」


「じゃ、柚葉帰るぞ」


「えっ?」


「だから帰るぞって。なに、彼氏でもできたわけ?」


「いや……ありがと」


 柚葉は大人しく俺に付いてきた。つまり世間一般では相合傘と呼ばれるものをする……彼女にはそんな意識など欠片もないんだろうが。


「……なぁ」


「なに?」


 今日はそんなに冷たい返しではなかった。最近はなぜか当たりが強いと感じていたが、今日……というか今に関しては俺に傘の面積の半分を借りているからか、穏やかだ。


「なんで、卓球部に入ったんだ?」


「え?今更?もう2年半ばなのに」


「まぁ」


 彼女はこちらに視線を寄越し、すぐ前に向き直した。


「なんとなくだよ。中学でもやったし」


「そうか……絵は?いつから?」


「いつからかなぁ……わかんない」


 その言葉でわかった。絵は、彼女の一部だ。


 笑ってみせたってわかってしまう。腐っても幼馴染なんだから。


 ……にしたって、そんな昔からのものなのになんで俺は知らなかったんだ。思っていたよりも俺は彼女にとって『他人』なんだろうか。


「でも、すげぇな。俺もそれぐらい描けんなら……」


 しんとした空気を変えようと明るく言うが、彼女の顔は逆に曇った。


「私はあんたが羨ましい」


「えっ?」


 彼女をじっと見つめるが、当の彼女はまっすぐ前を向いたままだ。


「羨ましいよ。言いたいこと言って、いつも楽しそうで、自信満々で」


 水に濡れ、黒くなったアスファルトを踏みしめる。


 水溜まりができていれば、俺達はどんなふうに映るだろう。


「私はね、ただ平穏に、器用に人生を生きたいだけ。だから、あんたみたいになれなくても、平気。いい」


「…………」


 切実に彼女はそう言い、強く思えた口調が次の瞬間には一変した。


「……なのに、なんでこんなに苦しいの?」


 弱々しい、幼い子供のような声だった。


 俺は何も言えず、立ち止まった彼女が雨に濡れないようにと、傘を少し傾けた。


「ねぇ、どうしてあんたと私は、こんなに違うのかなぁ……」


「…………思ったこと言っていいか?」


 俺はバカ正直ではあるが、空気が読めない訳ではない。


 思ったことをそのまま口走る前に、一言そう聞いた。


 彼女はゆっくり頷いた。それを機に俺は言葉を声にする。


「違う人間だから、違う。柚葉が苦しいのは、自分が他人とは違うことを本当の意味で受け入れたくないから……だと思う」


「…………」


「他人を理解なんてできない。でも、自分を誰かに重ね合わせれば楽になれると勝手にどこかで思ってる。勝手な憶測だけど、だから、本音が言えない」


「……なにそれ」


「ごめん。でも俺が今思ったことだ」


「…………」


 彼女が黙ったのをいいことに俺は続けた。


「傷つきたくないから本音を言わない。それは心を開いてないのと同じだ。そんな奴が自分に心を開いてくるなんて、ただの傲慢なことじゃないのか?そりゃ、上辺だけの関係で苦しいに決まってる。柚葉がいい奴だってことは知ってる。でも、そっからは?柚葉の周りの奴はそれ以上のこと、知ってんのか?違うだーー」


「黙ってよ!なんにも知らないくせに」


「……なんにもってことは、ないんじゃないかな」


 俺は空気は読めるが、口に出さないと気が済まない奴でもあった。


 良くない、ということはわかる。でも、言わずにはいられなかった。


「帰る」


 柚葉はそう言い、雨の中走っていこうとする。俺は咄嗟に彼女の腕を掴み、引き止めた。


「えっと……風邪ひく」


「わかってる」


「…………」


「…………」


 黙り込んだ。ふたりして。


 しょうがない。何を話せばいいのかわからず、ただゆっくりと歩き始めた。


 歩いて、歩いて。家に着く。


「じゃ、えっと、ありがと」


 あんなに言われても律儀に礼を言う柚葉に感心する。


「……あのさ」


「なによ」


 明らかに彼女はむっとしていた。怒っていた。でもなんとか平静を保っている。


「俺は柚葉のこと、面倒くさいし、不器用な奴だって思ってるけど」


「は?」


「それが、悪いことだとも思えないんだよ」


「……だから?」


「え、だから?……だから、えっと、柚葉は柚葉なりの生き方見つけて、柚葉の全部を受け入れてくれる奴をどっかでちゃんと見つければいい」


「なに、綺麗事?」


 キッと俺を睨んでくる。でも、そんな怒ったような顔をしたところで全くもって、迫力というものがない。


「ははっそうか。……そうだね。俺も綺麗事は嫌いだったはずなんだけど。……なんつーか、高校のときの奴らなんてどーせ大人になったら、疎遠になるじゃん?もっとテキトーに生きろってこと!じゃ!」


 俺は捨て台詞のようにそう言い、家に帰った。




 ◇◇◇



「ふぁーあ」


 眠い。まじ眠い。毎日眠い。


 朝、玄関の扉をあくびをしながら開ける。空気冷たい。寒いよ。


「おはよ」


「ん……えっおはよう……ござんす」


「なによ、ござんすって」


 待ち伏せていたように、柚葉が玄関を出てすぐのところに立っていた。


「え、どしたの」


「圭吾に見せようと思って」


 柚葉は鞄をごそごそと漁る。まさか、絵?でも、そんな突然見せてくれるってある?


「ん」


 差し出された小さなキャンバス。そこには池、いや湖か。それが描かれていた。鮮やかに。繊細に。


 やっぱりコイツ、才能ある。


 俺は絵に関して全く知識はないが、そう感じてしまった。


「さすがだな、柚葉。めちゃめちゃ美しい」


 俺はその絵を見て、いつの間にか口角が上がっていた。


「そう?ありがと」


 彼女は昨日までと打って変わって穏やかな雰囲気と表情をしていた。俺は思わず見つめる。


 あぁ、これだ。これが、『柚葉』だ。


「昨日言われたこと、全部図星だった」


「…………」


 彼女から昨日のことを切り出されるとは思っていなかった。けど、口調からは怒りのようなものは感じられない。


「図星だったから、悔しかった。全部を受け入れてくれる誰かって言ってたけど、それさ、圭吾でいいかな?」


 一瞬その言葉にドキッとしたが、柚葉の顔を見れば、そこに幼馴染以上の何かは全く無さそうだった。


 俺はバレないように小さくため息をつき、頷く。


「しゃーねーな」


「うん、さすが圭吾。圭吾はきっと私のこと、嫌いにはなれないね」


 彼女はにやっと笑っていた。俺はそんな柚葉を待っていた。


「あぁ、俺は柚葉のあらゆること知っててここにいるからな」


「なんか、その言い方やだな」


「なんで」


「……ありがとね、いろいろ」


 彼女は清々しい、さっぱりした笑顔をこちらに向けた。


 それは、きっと幼馴染という気の抜ける関係だからこそ生まれた表情だろう。


 俺もつられて笑った。





 俺は隠し事が苦手だ。


 でもずっと隠していることがある。俺以外、誰も知らないこと。


 柚葉のことが好きだ。


 でも、今はまだこのまま。


 その、屈託のない笑顔を見せてくれるなら、なんだっていい。そう思った。


 俺は大事だから、この気持ちを隠している。理解できない、なんて嘘だったみたいだ。


 いつか、その日が来るまで。俺は柚葉の最高の幼馴染でいよう。

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