軍事緊張
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──軍事緊張
偽旗作戦は実行に移された。
ヴァリエンティア領内に潜伏していた太平洋保安公司のコントラクターが、口径120ミリのロシア製迫撃砲を使って、近衛第3猟兵連隊がいる要塞を砲撃。
砲弾4発が要塞付近に着弾したが、負傷者はなし。
「攻撃はヴァリエンティア領から行われた」
その情報がすぐに太平洋保安公司からエルディリア政府に渡された。
「これはヴァリエンティアによるフィリアン・カールへの野心の表れだ!」
宮廷でアイリアンがそう主張する。
彼は徐々に保守派とも違う派閥を形成していた。地球企業による投資を促し、それによってエルディリアを富ませることを積極的に行うという派閥だ。
旧来の保守派は大井との取引ぐらいにしか興味がなく、ギルノールの改革派閥は地球資本の早急な投入はエルディリア経済に悪影響を及ぼすと考えている。
彼らとは真っ向に分かれたアイリアンはヴァリエンティアへの敵意も有していた。
「ヴァリエンティアがフィリアン・カールに本格的に襲い掛かる前に守りを固めなければ! それが必要だ!」
アイリアンはそう訴え、軍部もヴァリエンティアからの攻撃の事実に考えを改めなければならなかった。
ヴァリエンティアへの警戒のためにフィリアン・カールにおける国境警備が増員されることになり、総督ファレニールに国境警備の衛兵を組織することが命じられた。
大井の外部顧問に就任し、利益を得ていたファレニールに金銭的な問題はなかったが、人的資源という意味では問題が生じていた。
フィリアン・カールにファレニールが動員可能なエルフは少なく、衛兵を組織することが難しいのである。
部族代表会議のダークエルフたちは信頼がおけるものではなく、ファレニールは衛兵募集の知らせを各地に送った。
それから徐々にファレニールが衛兵隊を組織する中で、ヴァリエンティアも反応を示し始めていた。エルディリアから攻撃に対する謝罪と賠償を求められた彼らは、そのいわれのない通知に激怒していた。
「すぐさまエルディリアと断交すべし!」
ヴァリエンティア宮廷でもエルディリアへの攻撃的な意見が増大する。それがエルディリアの反発を呼ぶという事態のエスカレートが続いた。
しかし、ヴァリエンティアには今はまだ地球の優れた軍事兵器は存在しない。現地に進出しているメガコーポのひとつトートは武器供与に慎重だった。
戦争が起きれば、資源採掘は難しくなる。そういう認識がトートにもあったし、当然ながら大井にもあった。
しかし、日に日にトートに対する武器供与の要求は高まっている。トートもこれからヴァリエンティアとの関係を円滑にしなければいけない以上、いつまでもヴァリエンティアの要求を無視し続けるわけにはいかない。
そして、トートはヴァリエンティアの脅威を煽っているのが、大井であるということに見当をつけていた。
トートは選択をしなければならない。
このままヴァリエンティアの求めに応じて地球産兵器を供与して、この危機をエスカレートさせるか。
それとも大井に働きかけてエルディリアの動きを抑えるか。
あるいはこのような危機を煽らなければいけない大井の弱みに付け込むか。
トートはまだ選択を保留している。
トートが決断を下さない間に地球の武器商人であり、トートに首輪をされていない王夏が武器をせっせと地球から運んできては、ダークエルフたちに供与している。
国境線の守りは依然としてファレニールの動きが遅く、遅々として進まない。
そんな中でエルディリア=ヴァリエンティア国境で動きがあった。それは南東部のフィリアン・カールではなく、北東部のとあるエルディリアの交易都市だ。
その交易都市を何の旗も掲げず、紋章も有していない野盗と思われる集団が襲撃し、金品を略奪し、市民80名を殺害、20名を奴隷として連れ去った。
これをエルディリア政府はヴァリエンティアによる攻撃だとし、ヴァリエンティアを激しく非難。ヴァリエンティアはまたしてもエルディリアによるでっちあげだとして反論。非難の応酬が続く。
ヴァリエンティアは軍を動員し、国境線に配置。エルディリアも呼応するようにして軍を動員して配置し始めた。
大井が行った偽旗作戦によって生じた軍事緊張はこうしてさらに高まったのだ。よりよって大井には全く関係のない場所で。
「この軍事緊張が戦争に至る可能性は?」
司馬はエルディリア事務所にてスタッフにそう尋ねる。
「皆無ではありません。ですが、今のところ両国とも政治的なパフォーマンスの域を出ていません。軍事物資の集積具合から見て、エルディリアはヴァリエンティアに侵攻することを考えているとは思えないのです」
ヴァンデクリフトが司馬にそう報告。
彼女の保安部門はエルディリアが現在展開している地点から前進し、ヴァリエンティアに侵攻するための準備はしていないと把握していた。
つまりは政治的な宣伝以上のことではないわけだ。
「それならばいいが……。向こう側にもチャンネルを持っておくべきかもしれないな」
「それはヴァリエンティア政府ですか? それともトートの方ですか?」
「もちろんトートだ。ヴァリエンティア政府に勝手に接触すれば、エルディリアから余計な疑いをかけられる」
法務部門のホンダが尋ね、司馬がそう答える。
エルディリアとヴァリエンティアの関係が悪化する中で、大井が勝手にヴァリエンティア政府に接触するのは、内通の疑いを持たれかねない。
それにこの危機がエスカレートするか否かは、ヴァリエンティア政府より、トートの影響の方が大きいだろう。
「トート側との接触はどこで?」
「地球だ。中立地帯である香港で接触する。既に向こう側の渉外担当者にはコンタクトしている。トート側もこれ以上問題がエスカレートするのは困るらしい」
「司馬さんが自分で行くのですか?」
「ああ。事情を完全に理解しているのは私だからな」
ホンダが尋ね、司馬がそう答える。
エルディリアに対する偽旗作戦やここまで事態がエスカレートした世論工作について全容を把握しているのは、それを指示した司馬だけである。
「私は一時帰国する。その間のエルディリア事務所の責任者はホンダ、君だ」
「分かりました」
こうして司馬はホンダに業務を託して、地球へと戻った。
その間にもエルディリアとヴァリエンティアの軍事緊張は高まり続けていた。エルディリア=ヴァリエンティア国境には兵士が動員され続け、近衛第1猟兵連隊も国境に向けて派遣されていた。
このことに危機感を抱いたのは、大井だけではなかった。
そう、聖地解放運動のアイナリンド大佐も危機感を持っているひとりだ。
「エルディリアとヴァリエンティアが戦争になれば、ヴァリエンティアに我々を支援する余裕はなくなるだろう。かといって大井がこのフィリアン・カールから戦力を移動させることもない」
「しかし、それでもエルディリア軍がヴァリエンティアとの戦争に向かうならば、我々には余裕が生まれるのでは?」
「一時的にはそうなるだろう。だが、もしもヴァリエンティアが負けたりなどすれば? ヴァリエンティアからの支援の途絶は我々の最後となるだろう。どうあってもヴァリエンティアには聖域であってもらわなければ」
ヴァリエンティアがエルディリアと何ら交戦状態にないからこそ、アイナリンド大佐はヴァリエンティアを聖域にできているのだ。
ヴァリエンティアというエルディリアが手出しできない場所で訓練をし、後方支援拠点を設置し、そこから戦いを支えることで、聖地解放運動は戦えている。
もし、その最大の前提であるエルディリアとヴァリエンティアが交戦状態にないというものが崩壊すれば、大井や太平洋保安公司は嬉々としてヴァリエンティア領内の聖地解放運動の拠点を爆撃するだろう。
それは決して望ましくない。
「どうにかして戦争を回避してもらわなければ……」
それでもアイナリンド大佐にできるのは、ただ望むことだけだ。
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