リンスィールという少年
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──リンスィールという少年
以前、オロドレスたちが捕虜になった場に居合わせたリンスィールという少年は、今は大井の手を逃れ、家族とともに聖地解放運動に合流していた。
オロドレスたちフィリアン・カール共和国陸軍は過激すぎたし、部族代表会議には尊厳というものがない。故に彼らは聖地解放運動に所属するしかなかった。
「怪我人が毎日のように増えている!」
「神々は何と仰っているのですか?」
だが、リンスィールたちは南東部の山岳地帯に籠るのではなく、以前のように遊牧しながら生活し、聖地解放運動の戦いを支援していた。戦うことのできない老人や女子供を含んだ彼らは後方支援が彼らの主な役割だといえただろう。
しかし、太平洋保安公司の八神が索敵殺害作戦を取り始めてから、急激に犠牲者が増え始めた。運び込まれる負傷者の手当てに追われ、誰もがこの戦いに負けているのではないだろうかと考え始めている。
「諸君、苦しいときこそ我々は団結しなければならない。今は苦しむ同胞たちを助けよと神は仰っている」
司祭階級であるリンスィールの父はこの集団のまとめ役で、他の司祭とも協力しながら部族をまとめ上げていた。
それでも戦いを求めてオロドレスたち共和国陸軍に参加しに走るものや、戦いにつかれて部族代表会議に下るものまで、あちこちでこの集団も破綻をきたし始めていた。
「リンスィール」
リンスィールの名を母が呼ぶ。
リンスィールはこの集団の子供たちの集まりに加わっていた。いつもならば狩りの練習や遊びに向かう彼らだが、今はそれはできない。
部族が苦しんでいるときに遊んでいるわけにはいかないし、単純に今の戦争状態のフィリアン・カールは大人から離れることは危険だった。
「どうしたの、お母さん?」
「薬草を取りに行くから手伝ってほしいの。できる?」
「うん。もちろんだよ」
医者であるリンスィールの母はフィリアン・カールの自然から薬草を摘み、それを加工して薬を作っている。これで助かった人間は少なくない。
リンスィールも母の仕事を手伝うことは好きだった。
彼らは森の中に行き、魔物に注意しながら薬草を摘んでいく。
森の中は危険だが、好奇心旺盛なリンスィールにとっては楽しいことでいっぱいだ。動物がいるし、昆虫がいるし、変わった木々なども生えている。
退屈なキャンプでの暮らしよりずっと楽しい。
今日もそんな風に楽しいことで時間が過ぎていく。リンスィールはそう思っていた。
しかし──。
「!?」
薬草を摘んでいた母が突然立ち上がった。
その耳に聞こえてきたのはパワード・リフト機のエンジンの音だ。
「リンスィール! こっちへ!」
「お母さん!」
リンスィールもこの音が危険がことは知っている。あの大井の黒い鳥たちはダークエルフたちに死をもたらす鳥だ。
しかも、接近しているのはたまたま通りかかったパワード・リフトではない。リンスィールの所属していた集団を殲滅しにやってきたマイク・フォースである。彼らはリンスィールたちを皆殺しにするためにやってきたのだ。
ドローンはリンスィールたちを捉えており、まずはパワード・リフト機が怪我人などが収容されているキャンプに向けてロケット弾を叩き込んだ。
「お母さん! お父さんがいたキャンプが……!」
「今は振り向かないで! 逃げるのよ!」
炎を上げて炎上するキャンプからはおぞましいほどの悲鳴が聞こえてくる。
『ドードー・ゼロ・ツーからマイク・ワン。地上掃射完了。降下開始だ』
『ご苦労。降下開始だ、紳士諸君。よい狩りを』
そして、血に飢えた猟犬たちが降下していくる。マイク・フォース地上部隊だ。
マイク・フォースは八神の指揮の下でパワード・リフト機が撃ち漏らした獲物を仕留めていく。生体機械化兵が電磁ライフルから放つ大口径ライフル弾が飛び交い、死体が積み上げられていく。
「リンスィール! 走って!」
「う、うん!」
そのような殺戮者たちから逃れるために、リンスィールと母は走る。
森の中を同胞たちの悲鳴を聞きながら逃げ続け、リンスィールたちは殺戮の現場から逃れようとする。しかし、何度も響く銃声と悲鳴は、確実にリンスィールの心に傷を付けつつあった。
彼らが逃げ切れるかと思ったとき、さらなる敵が出現した。近衛第2猟兵連隊だ。
ストライカー装甲車で現れた彼らが包囲網を展開しようとし始めており、リンスィールたちは後方をマイク・フォース、前方を近衛第2猟兵連隊に挟まれてしまった。
「お、お母さん! どうしたら……!」
「リンスィール。合図したら走って。いいね?」
「う、うん……」
リンスィールの母が真剣な表情でそう言い、リンスィールが頷く。
そして、母は隠れていた茂みから立ち上がり、近衛第2猟兵連隊の方に向かう。
「おい。ダークエルフがいるぞ!」
「殺せ!」
リンスィールの母に向けて近衛第2猟兵連隊の兵士たちが銃口を向ける。
「今よ、リンスィール! 走って!」
母がそう叫んだと同時に銃声が響き、母が地面に崩れ落ちる。
それでもリンスィールは走った。
「ガキが逃げているぞ!」
「放っておけ。ガキはどうでもいい」
リンスィールは母が作った一瞬の隙をついて、近衛第2猟兵連隊の包囲を脱出した。
「はあはあはあ……」
走って、走って、走って。どこまでも走って息が切れたときには自分がどこにいるのかも分からない状況だった。
「これからどうしよう……」
リンスィールにはもう家族はいない。みんな殺されてしまった。
行く場所もなければ、帰る場所もない。そんな状況でリンスィールはフィリアン・カールの平原をあてどなく歩いた。
気づけばリンスィールはエーミール・ルートに出ていた。森を切り開き、あらゆるものをなぎ倒して建設された巨大な道路だ。
「おい! そこの坊主!」
遠くからそう声がかけられたと思うと、馬に跨ったワーウルフ族がやってきた。レッドファング・カンパニーの傭兵だ。
「どうしたんだ、こんなところで?」
ワーウルフ族の傭兵が尋ねるが、リンスィールは何も答えない。答える気力がなかったし、どう説明したらいいのか分からなかったのだ。
「困ったな。こういうときはどうしろって言ってたっけ?」
「部族代表会議に引き渡すんじゃないか?」
「そうだったな。さあ、来い、坊主。今、仲間がいる場所に連れていってやるからな。安心していいぞ」
優しくそう言うとワーウルフ族の傭兵は軽々とリンスィールを抱えて、部族代表会議のキャンプがある場所へと向かった。
「俺たちは無敵の!」
「レッドファング・カンパニー!」
傭兵たちは陽気に歌いながら、馬を歩かせ、キャンプを目指す。彼らのその陽気さはリンスィールにとってわずかながら励みになった。
「坊主、腹減ってるか?」
「……うん」
「よし。これ食っていいぞ」
そう言ってワーウルフ族の傭兵はレーションについてくるチョコレートをリンスィールに与えた。リンスィールは見なれぬプラスチックの包装を外すと、甘い香りのするそれを口に運んだ。
甘くておいしい! リンスィールは感動した。
「美味いだろ? 部族代表会議のところにいけばいつだってそういうのが食えるって話だ。だから、まあ、悲観するなよ」
これは彼なりにリンスィールを励まそうと思ったらしい。
それからワーウルフ族の傭兵たちは、高い金網の柵と有刺鉄線に囲まれた場所を訪れた。こここそが部族代表会議のキャンプのひとつである。
「止まれ。レッドファング・カンパニーか? どうした?」
キャンプの警護に当たっている太平洋保安公司のコントラクターが尋ねる。
「おう。ダークエルフの子供を見つけたから預けに来た」
「了解。こっちで手続きしておくから、置いて行っていいぞ」
太平洋保安公司のコントラクターはそう言い、ワーウルフ族の傭兵はリンスィールを地面に降ろす。
「じゃあ、元気でな、坊主」
「うん」
こうしてリンスィールは部族代表会議のキャンプに入った。
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