フィリアン・カール共和国
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──フィリアン・カール共和国
オロドレスたちは意図したような結果を出せなかった。
彼らはファレニールの暗殺に失敗し、またしても大規模な損害を出した。それによってフィリアン・カール独立も遅れるはずであった。
しかし──。
「オロドレスたちが聖地解放運動からの離脱を示した、だと……?」
依然として南東部の山岳地帯に拠点を構え、エーミール・ルートへの攻撃を続けるアイナリンド大佐の下に衝撃的な知らせが舞い込んだ。
オロドレスたち急進派の戦士たちが、聖地解放運動を抜けると通達してきたのだ。
「どういうことだ。詳しい情報は?」
「はい、大佐殿。オロドレスたちはフィリアン・カール共和国の独立を宣言し、共和国陸軍としてこれからは戦うとのことです。聖地解放運動の攻撃は生ぬるいとオロドレスは通達してきました」
「馬鹿な! そんなことをして、まともにエルディリアと大井の相手をすれば、負けるのは目に見ているだろうが……!」
とは言えど、オロドレスの急進派とアイナリンド大佐の聖地解放運動主流派の戦い方は既に異なっていた。
オロドレスは目に見えるはっきりとした勝利を求めた。政府の要人や太平洋保安公司のコントラクター、あるいは大井のスタッフを殺害することなどが、その目標である。
それとは反対に、アイナリンド大佐はエーミール・ルートに対するゲリラ戦を繰り返すということで、すぐには効果が出ないものの大井側に経済的な負担を強い続けるという持久戦に出ていた。
オロドレスはアイナリンド大佐のやり方は生ぬるいと感じ、アイナリンド大佐はオロドレスの戦い方は犠牲ばかり出て効果がないと見ていた。
「どうなさりますか、大佐殿? オロドレスたちを引き留めますか?」
「そうしたいのはやまやまだが、今さら連中が我々の助言を聞くとも思えん」
「それはそうですが……」
「交渉チャンネルが必要だ。我々はオロドレスたちのような愚か者たちとは違い、エルディリアに留まり、交渉を行う準備があると通達するチャンネルだ」
アイナリンド大佐はそう述べる。
「そうなるとやはり接触する相手は王太子ギルノールですね」
「そうだ。彼に接触して我々の目標と意図するところを伝える。願わくば彼らがそれに答えてくれるということだが……」
アイナリンド大佐はフィリアン・カールのエルディリアからの完全独立など考えていなかった。そんなことをしても、それそのものが戦争の口実にされ、すぐに叩き潰されるのは目に見えていたからだ。
彼女はあくまでエルディリアに留まり、その上で交渉によって大井の開発を中止または縮小させ、フィリアン・カールのダークエルフによる自治という体制を取り戻したいと考えていた。
彼女はエルディリア政府に失望していたが、だからと言って無茶な目標を掲げるほど愚かでもなかった。
ヴァリエンティアの人間に独立を口にしたのは、彼らにはそう言わなければ協力が得られないと考えたからであり、アイナリンド大佐は当初から独立の予定はなかった。
「しかし、状況は最悪だ。我々は大井による開発をこの戦いの焦点にしたかったのに、オロドレスたちのせいで複数の問題が戦いの目標となってしまっている。これからは厳しい戦いになるぞ……」
アイナリンド大佐はそう予想した。
彼女の予想は当たっている。
オロドレスたちは独立を宣言する看板をあちこちに立て、彼らの独立は大井の知るところになった。大井にとっては実に望ましい展開になりつつある。
「これでエコー・ワン鉱山は数ある戦争の理由のひとつとなった」
司馬がエルディリア事務所でそう告げた。
「戦争の理由のひとつ、だ。主目的ではない。我々の鉱山開発が原因となって戦争が起きたわけではないと主張するのには十分な状況だ」
そう、司馬たちはフィリアン・カールで起きている戦闘の原因がエコー・ワン鉱山であることは望まなかった。そうなると戦闘の責任は、エコー・ワン鉱山を無理やり開発した大井のものになってしまうからだ。
だが、今やその心配はいらない。
戦闘の理由はエルディリア対ダークエルフの自治権問題にすり替わったのだ。
「ヴァンデクリフト。君は太平洋保安公司を動員するならば短期間かつ大規模にと言っていたな。現状はまさに動員に最適と私は考えるが、どうか?」
「いえ。もう少し慎重になるべきかと。今はエルディリアの部隊が使えます。彼らを矢面に立たせながら、それでも戦力が不足するならば太平洋保安公司の動員を」
ヴァンデクリフトは司馬にそう言った。
「そうか。では、そのようにしよう。その件に関係するが、この件の主役は今やエルディリア政府となった。彼らは部隊を増員することに同意している」
「つまり、近衛第2猟兵連隊以外にも?」
「そうだ。近衛第3猟兵連隊と近衛第1騎兵連隊が戦いに加わる」
「それらの部隊も近代化されているのですか?」
「ああ。エルディリア政府が武器を購入して、太平洋保安公司が訓練した」
列席しているホンダの質問に司馬が答えた。
エルディリア政府軍は急速に近代化しており、今や近衛部隊の多くは近代的な銃火器で武装しているばかりか、ドローンまで保有している。
近衛第2猟兵連隊に限って言えば、それに加えて装甲車も装備していた。
「ただ軍の近代化については「気になる点があります。隣国ヴァリエンティアに進出している複数の企業が、ヴァリエンティア政府から軍事支援を求められているとのことなのです」
「ヴァリエンティアが?」
「ええ。隣国が脅威に感じるのはエルディリアの特権ではないということです」
司馬が尋ね、ヴァンデクリフトが答える。
「ふむ。それは現実問題として実現しそうなのか?」
「ヴァリエンティアに進出しているのはトート・グループです。彼らは安価なロシア製、中国製の武器に伝手があります。ですが、今のところトートは戦争を望んでいませんので、軍事物資の提供には慎重です」
「トートに首輪をされていないフリーの武器商人が接触する可能性は?」
「否定はできませんが、その場合は小規模の兵器購入となるでしょう」
「分かった。引き続き情報を追ってくれ」
「了解」
アイナリンド大佐たち聖地解放運動が動き、司馬たち大井が動き、そしてエルディリア政府内にも動きがあった。
「ダークエルフどもを討たねばなりませんぞ!」
そう主張するのは第二王子アイリアンだ。
「これまでの恩を忘れ、独立などと喚くダークエルフどもに慈悲など不要! 徹底的にこれを討ち滅ぼすべきです!」
宮廷内の空気はアイリアンの意見に同調していた。
エルディリアからの独立などを掲げるダークエルフに対する不快感は、どの貴族も抱いているものであり、アイリアンの意見に異を唱える貴族はいない。
「待て、弟よ」
しかし、それに声を上げる人間はいた。王太子ギルノールだ。
「そもそもの原因が大井が無理な開発を行ったせいではないのか? 何もなければダークエルフたちは王国からの独立などという愚かなことを叫ばなかっただろう。誰が彼らを追い詰めてしまったのか考えるべきだ」
「兄上! ならば、ダークエルフどもの独立を許すと仰るのか!」
「そうはいっていない。原因を突き止め、解決すれば、これ以上血を流すことなく問題を解決できるのではないかと言っているのだ」
ギルノールは問題の解決の過程で大井の事業を縮小させ、これ以上保守派が増長することがないようにしたいと思っていた。
大井の開発はエルディリアの利益になるのかという意味では、答えはノーだからだ。エルディリアの一部の人間──女王を始めとする保守派は大井の支払いで潤うだろう。だが、その金は民衆に還元されない。
大井は病院や学校を整備したと謳うが、それらは民衆のためという面ではまともに機能していないのが現状だ。病院も学校も貴族たちのもの。
それにギルノールはシャーロットから『資源の呪い』という言葉について聞いていた。彼は今まさに資源頼りの経済となりつつあるエルディリアを危惧している。
「兄上は手ぬるい!」
「そうですぞ、殿下。やつらは王室を侮辱しているのです」
しかし、ここ宮廷ではギルノールは少数派だ。
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