デモクラシー
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──デモクラシー
地球で正しいとされる価値観は民主主義である。
いや、地球でというのは主語が大きいだろう。そう、西側諸国に限って言えば、今も民主主義は尊ばれる価値観であり、これがなされていないことは猛烈な批判を浴びる要素となっている。
そんな西側諸国のリーダーであるアメリカのメディアがあるニュースを報じた。
『異世界で資源開発を目指す多国籍企業。しかし、契約相手は民主主義国家ではない』
ニュースは大井エネルギー&マテリアルが、専制君主国家であり非民主主義国家であるエルディリア王国と契約を結ぶことについて強い懸念を示すことを報じていた。
「誰かがメディアにリークしたようだ」
司馬が忌々し気にエルディリア事務所で、流れてくるニュースを見ながら言う。
「どうしますか?」
「私が提案した方法で本社が対応する。このデマを打ち消すための広報活動が実施されることになる」
広報のフォンは尋ねるのに司馬はそういった。
大井本社は早速だが、行動に移っていた。
ロビーイングを行う部署が、政治家や活動家たちを相手にPR活動を行う。
アメリカの大きなホテルに政治家、NGOなどの活動家、また学者たちが集められ、丁重にもてなされながら、大井のスタッフの話を聞くのだ。
「我々は現地が非民主的であるが故に未開であるとか、非文明的であるとか、そのような差別的な認識をしておりません。彼らは我々が辿ってきたことのある道を、たまたま今歩いているところであるのです」
大井の広報スタッフが政治家たちを相手にそう語る。
「非民主的であるからビジネスをしてはならないとすれば、現地の発展は遅れ、さらに価値観が我々の側に近づくこともないでしょう。我々の思想を良しとし、それを広めたいのであれば積極的に彼らに関与すべきなのです」
大井の主張はこのようなものであった。
「しかし、エルディリア政府は非民主的であるばかりではなく、反体制派を拷問するなどの行為にも及んでいると聞く。彼らに金銭的利益を与えることは、そのような残虐な行為に加担するもの同じことでは?」
政治家のひとりがそう質問する。
「それは無用の心配です。我々は事業を通じて、現地に民主主義の種をまき、我々の計上する利益を割いてその種を育てるつもりです。既にこのような計画も我々は検討しております」
そういって大井の広報スタッフは資料を配布。
そこには大井はフィリアン・カールにおける開発で計上される利益の中から、その一部をエルディリアでの児童向けの学校の整備や法執行機関へのデュー・プロセス・オブ・ローと言った基本的価値感の教育に当てるとされていた。
「重要なのは啓蒙・認知・教育・改革の手順です。彼らに民主主義とそれに伴う人権意識について啓蒙し、彼らがそれを正しく認知し、人材に必要な教育を行うことで、初めて改革はなされるのです」
「段階的にということか」
「その通りです」
大井は言葉で自分たちの考えを広めるだけでなく、当然ならが金もばらまいている。
大井エネルギー&マテリアルの政治部門は膨大な額の献金によって、主要国の政治にがっしりとコミットメントしており、彼らの意見はどんな政治家や政党であろうと完全には無視できない。
「どうか我が社の姿勢をご理解ください」
この一連のメディア・キャンペーンは成功し、エルディリアが非民主的であることを気にする人間は減っていった。
しかしながら、昔ながらの人権団体はエルディリアで行われている政治的弾圧や人種差別を問題視している。
大井はそれに対して人権団体の信頼を落とす方向で物事を進めた。すなわち人権団体の発信する情報に対するディスインフォメーション戦略だ。
2040年代。テレビや新聞は未だに力を有するが、それを上回ったのがインターネットのコミュニティであるSNSなどだ。
大井はそのSNSにて複数のAIを使用することで、人権団体のエルディリアに関する発表を否定する意見、人権団体そのものを否定する意見を振りまいた。
『この画像は生成AIによるフェイクだ』
『この発言を行った人物は実際には存在しない』
『政府はこの意見を否定している』
『産油国はこの団体に大規模な献金をした』
特に人権団体はエルディリアの司法の腐敗と刑務所の劣悪さを訴え、それを象徴する写真として畳一枚程度の独房に鎖で繋がれた囚人というものを公開していた。
だが、この写真が信頼を失墜させることになった。この写真は実は地球のファンタジー映画で使われたものだと判明したのだ。そう、人権団体側に潜入していた大井の工作員が意図的に握らせたのである。
これによって人権団体の意見は信頼に値せずという空気を構築できた。
しかし、誰がエルディリアの情報をリークしているのか。それが分からない。
エルディリア事務所では保安部門のヴァンデクリフトが司馬に会っていた。
「エルディリアの民主主義云々はこれから改善が見込めると宣伝できる。だが、不味いのはダークエルフ問題だ。もし、地球のメディアが嗅ぎつけたら、フィリアン・カールでの採掘は大幅に縮小されてしまう」
「ええ。リークをしている人間に対処する必要があります」
「対処、か。君が飼っているのは番犬だけではない。猟犬も君の管轄するそれだ」
「その通りです。彼らを動かす許可を」
「許可する」
ヴァンデクリフトの部下には元日本情報軍の特殊作戦部隊オペレーターであった人物も存在する。彼らは暗殺について深い知識とノウハウがあり、大井は最後の手段として、暗殺をオプションに入れていた。
ヴァンデクリフトの猟犬たちは既に大勢の地球人がビジネスで訪れているアルフヘイムにて、地球のメディアや人権団体と繋がっている人間を探し始めた。
大井はエルディリアを経済交流によって民主化すると謳っておきながら、彼ら自身がもっとも民主主義とはかけ離れた手段を取っていたのである。
暗殺の目標になったのは言うまでもなく、セルシウスだ。
彼は大井の暗殺部隊が動いていることには気づかなかったが、ある決断を下していた。それは自分だけでは異世界の事情について報道しきれないとして、かつての後輩であった同僚のシャーロット・ユースティスという記者を招いていたことだ。
「よく来てくれた、シャーロット。歓迎する」
「セルシウスさん。大井についての情報は本当なんですか?」
ユースティスは30代のまだ若い記者で、先輩であるセルシウスから学んだことから、彼同様にかなり荒っぽい取材をすることで知られていた。
だが、セルシウスがその乱暴さから左遷されて久しく、今では他の記者同様に慎重な取材をするようになっていた。そのことで編集部からは評価されていたが、彼女はやはり野心家であった。
彼女はここ最近特ダネという特ダネがなく、目立った記事も挙げられていない。
そうであるが故にセルシウスの誘いに賭けたのだ。
「まあ聞け。俺は少しばかり派手に動いたから、暫くほとぼりを冷ます必要がある。お前には俺の代わりにこの件を追ってもらえるよう、俺のコネを紹介しておく」
「コネというのは?」
「エルディリアの王太子だ。現実が見えていて、腐敗していない政治家だぞ」
「エルディリア政府の人間からエルディリアの醜聞について入手していたんですか?」
「そうだ。彼は改革を目指しているが、女王である母親の権力に押されている。だから、外圧を以てして国を変革しようってわけだ」
「なるほど……」
王太子ギルノールは腐敗した政治家が多く存在する今の政府に変革をもたらしたかったが、残念なことに彼の権力は限定的で、女王ガラドミアは身内であろうと自分に逆らうものに容赦しない。
だから、彼は外圧を利用することにしたのだ。
「分かりました。乗りましょう」
「オーケー。ようこそ、エルディリア王国へ。君もこの国をきっと気に入る」
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