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9.夢の中で



 このように、ボクの毎日は、朝ユウマの家に行き、ジオラマに触れ、世界を誰かのものに変え、世界がボク自身のものに戻り次第、またジオラマに触れ世界を変化させる、という形にパターン化され、ボクは他人の世界で生きることが当たり前になっていった。


 他人の世界はどれもこれも全く違い、戸惑う毎日であったが、世界がボクの中から過ぎ去ってしまえば、それらの世界は新鮮で面白いと感じることが多かった。


 そんな毎日を繰り返す中で、ボクは深い深い眠りに落ちた日があった。深い眠りなのに、夢を見た。ボクはこの感覚を知っているように思えた。


「こんばんは」


 可愛らしい少女がボクに話しかける。


「えっ、あっ……こんばんは」


「久しぶりだね。覚えてる?」


「うん。覚えてるよ」


「よかった。忘れられちゃったかなって心配してたんだ」


「まさか。忘れるはずないよ」


 可憐な少女はボクに微笑みかける。その姿は、初めてジオラマを触った日に見た夢の少女と全く同じだった。


「そうだよね。私に許されるために、あの子と毎日頑張ってるんだもんね」


「どうして、知ってるの」


「そりゃあ、あのジオラマが私の……だから。だから、知ってるよ」


 肝心なところが砂嵐のノイズのようなものが入って、うまく聞き取れなかった。少女は深いグリーンの瞳を細くして、イタズラっぽく笑った。


「じゃあ教えてよ。どうやったら、ユウマを許してくれるの」


「許さないよ。だって、あの子は私の大切なものを盗んだんだよ」


「でも……」


「じゃあ、キミに聞くけど、キミは大切なもの……たとえば、キミの両親の命が奪われたら、許せる?」


「そんなの、許せるわけない!」


「でしょう。それと同じ。わたしも許せない。大切なものを奪われて心底腹が立っているの」


 だけど命とジオラマじゃあ比べ物にならないじゃないか、とボクは思ったが、少女はまるでボクの考えている事がわかったように、


「わたしにとっては、命と同じくらい大切な物だったんだよ。いろんな人の世界を見てきたキミにならわかるでしょう? 他の人にとって大したことがないものでも、当の本人からしたらすごく大切なことがあるってこと。わたしにとって、あのジオラマは本当に本当に大切だったんだ。そして、奪われた命が戻らないのと同じように、奪われてしまったジオラマは元には戻らない。あの純粋無垢なジオラマに汚らわしい男の世界が映り込んでしまったから元には戻らないの」


「で、でも、命と違って、ジオラマはユウマがきちんと持ってる! 多分、持ってきた時のままだ! 壊れてもいない! 神殿に返す事ができるんだ!」


 と、ボクは叫んでしまった。


 少女は視線をずらし、ミルクティー色の髪の毛をいじりながら退屈そうに、


「壊れてるとか、神殿に戻すとか、そういう問題じゃないの。穢れた少年の手に渡ってしまった事が問題なの」


 ボクは彼女の言っている意味が全然わからなくて、


「どうして?」


 と少し外れた声を出した。


「人間は本当に賢くないのね」


 と、少女は視線をボクに戻して無表情で答えた。


「あのジオラマはね、かつてわたしの大好きだった人たちと作り上げた大切な代物なの。純粋で無垢で汚れがなくて真っ白で大切な……。現代の人間どもが束になって作っても作れないような神聖で霊妙で神秘的な代物なの。昔はいくつも存在していたのに、汚らわしい者どもに触れられ、朽ちてしまった。現存しているのは、あの汚らわしい男が持っているモノだけ。壊されたら困るの。汚されたら朽ちてしまうの。朽ちるということは、そのモノが死んでしまうということなの」


「でも、ユウマが持ってても朽ちてないよ」


「そうね。あの子は子供で朽ちさせるほどの力をまだ持ってないからね」


「だったら」


 少女の指が1の字を描く。それと同時にボクの口が一文字に閉じた。口を開けようとしても開かない。これも女神様の力?


「それでもダメなの。穢れが一度でもアレに触れてしまったら、少しずつ、少しずつ朽ちていってしまう。最後には消えて無くなってしまう」


 少女は切なげに俯いた。ボクの胸が少女の伏したまぶたにドキリと鳴る。


 ユウマが『穢れ』と何度も何度も言われ、腹が立っていたはずなのに、彼女に心をときめかせてしまうなんて。毎日毎日畑にイタズラしていたアライグマを退治しようとしていたのに、いざアライグマが目の前に現れたとき、その姿を見た瞬間、アライグマの愛らしさに心を奪われてしまって退治することができなかった、という谷口先生の話のようだ。


 あの時は「そんなことありえない。谷口先生は優しすぎる」と思っていたのに、いざ自分が同じような目に合うと、うまく体も心も動かず、力が抜けていくような気がした。嫌いなものは、好きになるような大きな出来事がない限り嫌いなままだと、ずっと思い込んで生きてきたので、何というか、嫌いが好意に変わったこの状況を受け入れる事ができないのだ。


「だ、だけど……ジオラマはまだ朽ちてないよ。まだなんとかすることができるんじゃないかな」


「……そうだ! 所有者を移してしまえばいいのよ!」


「えっ?」


「わたしったら、どうして気づかなかったのかなぁ」


 と、少女は胸を衝かれたように突然朗らかに言って、にっこりと笑った。


「ねぇ、あの子の代わりにキミがジオラマの所有してよ」


「えっと、それは……どういう意味?」


「今、アレの所有者はユウマくんなの。所有者が薄汚れているから、アレは汚れていく。だけどね、今、心の美しいキミに所有権を移したら、もしかしたら、清らかな姿に戻るかもしれない。ねぇ、そうすれば、あの子も苦しみから解放されて、わたしもアレが汚れずに済んで嬉しい。ホラ、いい事づくしじゃない?」


 ボクは黙りこんでしまった。うん、とも、嫌だ、とも答えられなかった。ジオラマをボクが持つということは、ボクがユウマと同じ苦しみを今後しなくちゃいけないってことだ。


 ボクの心は、自分がユウマの代わりに犠牲になることを、すぐに受け入れることができなかったのだ。それは、ボク自身が友達思いな人間などではなく、自分勝手で、最低で、自己中心的な人間だ、という証明のような気がして、全身に悪寒が走った。すごく、嫌な気分だ。


 ボクは、少女からの申し出にすぐ答えられなかったことに強い後ろめたさを感じて、


「どうやったら、所有権が移るの?」


 と、誤魔化すように尋ねた。


「簡単だよ。キミがアレを心から欲しいと願うだけ。それだけで、アレはキミが所有することになるの」


 そんな簡単なことで、ジオラマを手に入れることができるの、というボクの問いを見透かしたように「物事は何事も考えるよりシンプルなんだよ」と、少女が目を細めて笑った。そうか、ボクは今までジオラマを欲しいって思ってなかったんだ。ボクは漠然と煌めくジオラマを思い浮かべて、やっぱりあまり欲しくないなぁ、と思い馳せていた。


「あの子を助けたいなら、欲しいって心から思うこと。そうすれば、あの子を苦しみから解放してあげることができるわ」


「そうしたら、今度はボクがいろんな人の世界を背負うことになるの?」


 少女は口の端をちょびっと上げてイタズラっぽく微笑んだ。そして、何も言わずにボクを見つめる。


「教えて、くれないんだね」


「少し考えたらわかるでしょう」


「……わかった」


 と言って、ボクは口を閉じる。


「はい。わたしの助言はこれでおしまい。これから先どうするかは、キミ次第だよ。キミが本気であの子を助けたいなら、アレを手に入れるといいわ。アレを手に入れてからのことは、わたしの指示を待って」


「うん。わかった」


 ボクは素直に頷いた。そして、夢から覚めた次の日、ジオラマは正式にユウマのモノからボクのモノになったのだった。



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