8.バチ当たり
放課後、ユウマとボクはお母さんが買ってきてくれたお菓子をボクの部屋で食べながら、ボクは深刻そうな表情をして、
「ずっとナオユキくんは、怠け者なんだと思ってたよ」
と言った。
ユウマはボクのことなど目もくれずに、俺もだよ、とお菓子を口にしながらぶっきらぼうに返した。
「いつ見ても寝てばっかりいるし、宿題だってやってきたことないし、ありゃ、はたから見ればやる気のないサボり魔だよな」
お菓子を口に運びかけてきたボクの手は、止まったままだった。ユウマの冷たい声がボクの気持ちを代弁しているようだった。自分の思考の愚かさに恥ずかしくてほとんど息が詰まりそうだ。
「……うん。でも実際は、怠け者やサボり魔なんかじゃなかった」
と、ボクは声をひそめて言った。ボクの無知からくる最低な決めつけを誤魔化すように。
「ナオユキくんは、体が辛かっただけなんだ」
ユウマはうなずいた。
ボクの羞恥心が一瞬にして身体を巡り、恥ずかしくて、僕のことを誰も知らない遠く遠く離れた場所まで、今すぐ逃げ出したい気持ちになった。
「ボク……ナオユキくんのこと何もわかろうとしてなかった。ナオユキくんはあんなにも辛かったのに、勝手に『怠け者』で『どうしようもない奴』って決めつけて、見下してた。ボク、最低だ」
「仕方ないだろ。アイツは『具合が悪い』ってことを周りにアピールしてこなかったんだから。アイツが自分の具合の悪さを隠してた。自業自得だよ」
「そうかもしれないけど……。でも、ボクがナオユキくんのことを心のどこかでバカにしてたのは事実だ。……ハルキたちと一緒になってナオユキくんの悪口を言ったこともあるし。ボク、本当に最低だよ」
「……お前は、本当いい子ちゃんだな」
ユウマはボクに目を合わせずに、ポテトチップスを無心で口に持っていく。そしてコーラをガブガブと飲んで、大胆にゲップをした。それから、剥き出しの腕で口元を拭う。ユウマらしくない行動なような気がしたけど、これもジオラマの影響のせいなんだろうか。すると、ユウマは突然苛立ったように机を叩いた。そして机に置いてあるジオラマを持ち上げたかと思うと、床に思いっきり叩きつけたのだ。
「な、なにするんだよ!」
「あ、あぁ……。ごめん。あー……。俺がツバサに感覚に飲まれるなって言ったのにな。俺が飲み込まれてどうするんだって話だ。はは」
ユウマは乾いた笑い声をあげ、野いちごや菜の花が咲き誇る草原を映し出したジオラマを、机に戻して、頭を抱えながら座り直した。クーラーがグォーと音を立てている。部屋のLEDのライトは全灯の設定になっているはずなのに、ジメジメとして薄暗く感じた。
大きな雨音が部屋に響き始めていた。
「なぁ、ツバサ。そろそろまたジオラマが変わってるんじゃないか?」
ボクはユウマの言葉に頷き、「野いちごや菜の花が生えている草原になってるよ」と伝えた。
「そうか。……どうする? また触るか?」
ボクは一考してから、首を振り、居住まいを正した。
「ボク、ユウマと話したい。これまでジオラマに振り回されてゆっくり話せなかったでしょ? だから、ちゃんと今の状況について、どうしたらユウマを助けられるのかってことについて話しておきたいんだ……。ねぇ、ユウマの見えてる世界について詳しく教えてよ」
と、ボクは促すようにユウマの瞳を覗き込んだ。
ユウマは頭を軽く掻いてから、
「詳しくって言ってもなぁ……。前に話した通り、俺も俺自身の現状がよくわかってないんだよ」
と、少し不安そうにしながら言った。
「ジオラマがそばにないと心臓が痛くなる。俺の世界の見え方、感覚が短くて数分、長くて半日ごとにコロコロと変わる。全ての元凶はこのジオラマのせい……ってことくらいしか、オレも把握してないんだ」
「……ねぇ、そのジオラマって武田の爺さん家の裏山の奥の奥の神殿にあったんだよね? そこにそのジオラマを返したら、解決しないかな?」
ボクがそう言い放ったとき、ユウマは血相を変えて、
「そんなことできるわけないだろ!」
と、ボクの肩を思いっきり掴み、怒鳴りつけた。
「できるわけない。できるわけないんだ……。あそこは神の領域。俺みたいな穢れが入ることは許されない。許されない。許されない」
「ユっ、ユウマ! 落ち着いて!」
「落ち着く? 俺はいつだって落ち着いている。俺は穢れだ。決して許されない穢れだ」
ユウマはさらにボクに近づいて、ボクの髪の毛数本をつまみ、さっと引き抜いた。一瞬刺すような痛みがしたけれど、痛みはすぐに引いていった。
「こうして純粋無垢であるツバサの髪の毛を持って行けば俺も許されるかもしれないな。いや、俺の存在が穢れているのだから、不可能か」
ユウマの顔がぞっとするほど不気味な顔だったので、ボクは声を張り上げて 、
「神殿に返せないのはわかった。わかったから!」
と宣言した。
ユウマは、安堵をしたように破顔させる。そして言った。
「わかってくれて嬉しいよ。あ、ツバサが一人でこっそりジオラマを神殿に返す、っていうのは無理だからな。俺はジオラマがそばにないと、尋常じゃないほど心臓が痛くなって死にそうになるからすぐにわかるぞ。俺のために、とか言って変なことを考えないでくれよ」
ボクがコクコクと頷くと、部屋のドアが開いた。お母さんがチラチラ見ている。ボクはそれに気がついて、
「なに?」
と、ボクから声をかけた。お母さんは外行きの笑顔をボクたちに向けて、部屋の中へと入ってくる。
「ノックもせずにごめんね。隣のおばさんからね、美味しいケーキを頂いたの。ほら、ツバサたちの四つ下のタケルくんのお母さんがやってるケーキ屋さん。タケルくんのこと覚えてる?」
お母さんはお盆から小ぶりのショートケーキをボクたちの前に置くと矢継ぎ早に、
「お母さん、こっそり先に食べたんだけどすっごく美味しかったわよ。ユウマくんも遠慮せず食べてね」
と言ってから、そそくさと部屋を去っていった。
「ツバサの母ちゃん、相変わらずだな」
「うん」
ボクは苦笑した。
「相変わらずちょっとおせっかいなんだ」
ふわふわとして柔らかい、甘すぎず口の中でとろけるような生クリームを口にしながら、ボクとユウマは考えた。どうしたら、ユウマのこの状況を打開することができるんだろう。
「ユウマの場合、ボクと違ってジオラマに触れてないのに、他の人の世界になっちゃうんだよね?」
ユウマはショートケーキの一番広い部分にフォークをグサッと刺して、頷く代わりにため息を吐いた。どうしようもない状況に苛立っているんだと思う。
「そうだ。いつだって、どこにいたって、なにをしてたって、俺が俺の感覚であることはない。もう俺自身の世界ってのも忘れちまった。はぁ……。今だって、いつもならイライラしないことでもイライラしてるんだぜ? ほんと意味がわからない。頭がおかしくなりそうだよ。だけど、おかしくなりきれないんだ。……多分、神物を持ち出したバチってやつなんだろうな」
ユウマは遠くを見つめるようにショートケーキを見ながら言った。
「神物……。バチ……」
「そうだ。ツバサも見たんだろう? 厳かで恐ろしい女神様を。きっとこのジオラマはその女神様のモノなんだ。それを俺は盗んでしまった……」
「えっと……こないだ夢に出てきた女の子のモノを盗んじゃったってこと? そういえば、彼女、夢の中で"あの子"が大切なモノを盗んだって言ってたような……」
「多分、その"あの子"は俺だ。盗んだつもりはなかった。でも、神殿から持ち去ったってことは、盗んだってことになるんだろうな」
「じゃあ、やっぱりその神殿に返しに行った方がいいんじゃないの? そうしたら、女神様も許してくれるかも」
「だからそれはできないって言ってるだろ!」
ツバサは、はっとして口を一文字にギュッと結んだ。ユウマの形相が恐ろしい鬼のように変わる。だけど、盗んだと思われている以上、元の持ち主に返したほうがいいのに。そう思ったけれど、激昂しているユウマを前に、ボクはそれ以上何も言うことができなかった。
黙り込んでしまったツバサを見て、ユウマは声を落ち着かせて言った。
「急に声を荒げてごめん。とにかく、神殿に行くのは無理なんだ。女神様に拒まれてるんだよ。神殿に行く以外で、女神様に許してもらう方法を考えるのがいいって俺は思うんだ。俺がこうなってしまったのは、女神様の逆鱗に触れたからだと思うから。女神様が俺を許してくれれば、俺の世界は元に戻ると思うんだ」
ボクはユウマの意見を聞いて、ほんの少しだけ目の前が明るくなる思いがした。女神様に許してもらえさえすれば、ユウマは助かるのだ。それは思うよりも簡単な気がして、ボクの心は浮き足立つ。
「でも、どうしたら、許してもらえるんだろう。相手は女神様でしょう? お菓子やゲームをプレゼント、というか今回の場合はお供えかな? それをしたとしても、許してもらえるとは到底思えないし……」
ユウマは腕を組んで思い悩むような仕草をしたあと、
「それは……これからツバサと一緒に考えたい。だから、俺に協力してくれ。頼む」
と言い、ボクに頭を下げた。
「もちろん協力するよ。ずっとそう言ってるでしょ。だから、頭なんて下げないで。一緒に頑張ろう」
顔を上げたユウマの顔は嬉しそうに笑っていた。
どうしたらユウマは女神様に許されるのだろう。そもそも、ユウマの言っている女神様と、ボクの夢に出てきた少女は同じ人物なのだろうか。話を聞いている限り、別人のような気がする。ボクの夢に出てきた少女は可憐で、厳かとは真逆の位置にいた。それでも、彼女は「"あの子"が大切なものを盗んだ」と言った。ああ、やっぱり彼女が女神様なんだろうか。ユウマと話し合いを始める前、ボクはいろんなことを考えた。けれどすぐにユウマの声で無駄な思考は止まった。
ボクたちはたくさん話し合った。話し合った結果、ボク自身がもう少しジオラマについて、ユウマが置かれている状態について知る必要がある、という結論に至った。だから、ボクはこれから毎日ジオラマに触れ、他の人の世界を見ることにした。ヒントは以外に近くにあるモノなのだと、ユウマは言う。
だから、ボクは今日もジオラマに触れた。そしたら、ユウマと目が合った瞬間に、世界が弾けた。キラキラと透き通った美しい煌めきが、……多分埃なのだけれど、ユウマの周りにふわりと煌めきたちが舞っている。ボクの心の奥底に眠っていた煮えたぎるような情熱が、ボクの鼓動を早くする。ボクは胸をぎゅっと抑えつつ、ユウマの美しい瞳とハイカラでカッコいい髪の毛を見つめていた。ああ、どうしてユウマはこんなにもカッコよくて素敵なんだろう。他のクラスの男子とは比べものにならないくらい、ミステリアスで、イケメンで……。
このあとすぐに、ボクは、この感情が同じクラスの女子のユウマに対する恋心だと知った。そして恋というものはここまで胸が焦げるように痛むのだと、ボクは初めて知ったのである。




