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3.世界の理



 外は土砂降りだった。ボクは雨に濡れながら、走って帰る。お母さんに伝えよう。もし、ユウマが大きな病気だったら大変だ。お母さんならきっとユウマのお母さんの電話番号を知っているだろう。それで、連絡を取ってもらうんだ。


 ボクは漫画の主人公のように雨の中を颯爽と走りたかった。だけど、やっぱり足が上手く動かない。もつれてしまう。体は重いし、景色はボヤボヤしてるし、最悪だ。それでも、走る。他ならぬユウマのためなのだから。


「おかぁーさぁーん!」


 ボクは家に帰って早々、靴を脱ぎ捨て、リビングへ駆け足で向かう。


「ツバサ! そんなに急いでどうしたの?」


 お母さんは台所で料理していた手を止めて、ボクの方へとやってくる。


「ユウマが、ユウマがユウマん家で苦しそうにしてるんだ!」


「ユウマくん? ユウマくんのお家に行ってたの?」


 ボクはコクコクと頷く。


「まっ! ユウマくんと仲直りしたのね! さすが運命で結ばれた親友!」


 悠長にしているお母さんにボクはイライラした。頭の中にユウマが苦しそうに心臓を押さえてうずくまっている姿が脳裏に焼き付いて離れない。


「そんなことはどうでもいいんだ! ユウマの家で話してたらユウマが倒れて……。ユウマいつものことだから平気って言うんだけど、ボク、ボク心配で」


「それは大変。まってて、ユウマママに電話するから」


 お母さんはエプロンで手を拭き、ダイニングテーブルに置かれたスマホを手に取る。


 その時、視界が揺れた。クラスメイトである厚底メガネのアツシの姿が急に目の前に現れたような気がして、慌てて瞬きした。


「ダメ……。出ない……。ユウマママ、お仕事始めたって言ってたから、今お仕事中なのかも。ユウマくんのこと心配だし、ツバサとママで様子を見に行こう……って、ツバサ?」


 お母さんがスマホからボクに視線を移した時、ボクはテレビの前にあるソファ横でしゃがみ込んでいた。体がフラフラっとして、熱くなり、立っていられなくなってしまったのだ。お母さんがボクの体を抱え上げる。


 だけど、ボクの体はお母さんよりも少し大きくなっていた。やっとのことでお母さんがボクをソファの上に乗せたのとほぼ同時に、ボクは意識はぷつりと途切れた。




 真っ暗な闇だ。ここはどこなのだろう。綺麗な歌声が聞こえる。ボクは耳を澄まして、声のする方へと歩く。


 体が軽い。プールの中を歩いているときのように、ふわりふわりと体が動く。しばらく歩いていると、遠くに光が見えた。ボクは足を素早く動かす。


 光の中は見晴らしのいい丘になっていた。朝の清々しい空気が陽の光でキラキラしているようだった。みずみずしく柔らかな土の匂いと緑の香が鼻の奥に届いてくる。いつの間にかボクの足は、地面にしっかりと着地していた。


 ボクは青々と広がる草花の中を歩く。吹き渡る風に波打つ原っぱと青空に流れる雲が、ボクの胸の奥を熱くさせていた。空気が爽やかで心地がいい。


 ボクは丘の上を歩き続ける。丘の頂点に一本の大木が生えていた。どうやら美しい声音はそこから聞こえてくるようだ。ボクはズンズンと足を動かす。この景色、どこかで見たことあるような……?


「初めまして」


 ボクが丘に着いた時、木に寄りかかっていた陽だまりのような黄色いワンピースを着た少女は、歌うことをやめ、ボクに挨拶をする。


「あ、えっと……初めまして」


 と、ボクも挨拶を返した。


 ミルクティーブラウンの長い髪がさらさらと揺れ動く。瞳は深いグリーンだった。外国の少女だろうか。


 少女はオロオロしているボクの前に立つ。


「キミはあの子と違って、優しい人なのね」


 少女がボクの手を取った。温もりがボクの手のひらに広がる。


「あの子? あの子って誰?」


 ボクは不安になって尋ねた。とても美しい少女なのに、どこか掴めない。目の奥が深淵に続いているようで、ボクはサッと目を逸らす。


「あの子はあの子よ。わたしの大切なものを盗んだ人。ねぇ、そんなことより、アツシくんの世界はどう?」


 少女が屈託のない顔で首を傾げる。アツシくんの世界とは一体どういうことだろうか。ボクが考え込んでいると、少女はそれを見透かしたように言葉を続ける。


「キミ、わたしのジオラマに触ったでしょう? アレは人間が各々背負っている小さな世界なの。ジオラマに触れると、あのジオラマが今、写し出している世界の持ち主と感覚が共鳴するんだ。キミが触った時、アレはアツシくんの世界を写し出していた。だから、今の貴方はアツシくんの世界を見ているの」


 ボクは少女の言っていることが理解できなかった。


 世界、世界、世界……。ユウマも少女も、なんなんだ。全く意味がわからない!


「ふふ、わからないわよね。人間は愚かだから、わからないのよ。自分の見えている世界が世界の真理だと思い込み、客観的事実だと信じている。世界は人の数だけ無数に広がっているというのに」


 少女は喋り続けた。ボクを時々馬鹿にしながら、だけど、丁寧に。少女が話したことをボクの頭の中でわかりやすくまとめてみる。




 一、この世界は人によって、見えている世界が違う。

 例えば、同じリンゴを見ていても、ある人には灰色に見えていたり、ある人には濃い赤に見えていたりする……らしい。

 一、この世界は人によって、体の調子が違う。

 例えば、ある人は体を上手に動かしてうまく走ることができるけど、ある人は体の動かし方が下手でうまく走ることができない……らしい。

 一、この世界は人によって、聞こえる音が違う。

 例えば、耳は聞こうと思っていない音を小さくするという機能があるけれど、その機能が備わっておらず、すべて音が同じ音量で聞こえる人がいる……らしい。

 一、この世界は人によって、味覚が違う。

 一、この世界は人によって、香りを嗅いだときの匂いが違う。

 一、この世界は人によって、痛みを感じる度合いが違う。




 …………。


 こんな感じで、ボクたちは同じ地球に住んでいるのに、誰一人として同じ世界を見ていないし、感じていないのだ、と少女は言う。各々の世界はまるで別世界のように違うのだとも。


 ボクはイマイチよくわからなかった。だって、ボクがリンゴを指して、「赤!」だといえば、他の人も「赤」だと言うし、リンゴを食べて「甘い!」と言えば、他の人も「甘い」と言う。この感覚が違うって、いったいどういうことなのだろう。


「あのジオラマは各人間たちの世界のミニチュアなの。見るたびに、触れるたびに、アレの世界は変わる。小さな小さな、誰かの世界。もし、キミが世界を知りたければ、アレをもっとよく見てみて。もっとよく感じてみて。そうすれば、きっと……」


 遠くでトンビが「ピーヒョロロロロ」と鳴き始めた。少女の声がその声にかき消される。


 さわやかな乾いた風が時折吹き抜け、菜の花の甘い香りを運んでくる。ボクの鼻がヒクヒクと動いた。


「難しい? 難しいよね。でも、きっとそのうちわかるわ。目が覚めたら、キミはもう一度キミの世界を見る。……また明日、あの子が持っているジオラマに触れてみて。そうしたら、また、新しい世界が見えると思うから」


 少女の手が離された。


 その瞬間、足元が崩れ始める。草原はバラバラとひび割れて落ち、空はガラスが割れたように弾け散る。景色がぐるぐると回る。鍋の中のカレーの具材にでもなったみたいだ。ボクは少女に手を伸ばした。だけど、少女も渦巻状になって遠くに行くだけ。いくら手を伸ばしても届かない。


 ボクは必死で空を泳ぐ。


 ようやく、ぐるぐるの刑が収まり、ボクはホッと息を吐いた。


「ツバサ……。ツバサ……」


 ボクは聞き慣れた声を聞く。お母さんの心配するような、けれども、優しい声だ。


 ボクはその声をずっと聞いていたかったのだけれど、それを許さなかったのもお母さんの大きく鋭い声だった。


「ツバサ! 目を開けて!」


 ボクはゆっくりと瞼を持ち上げる。LEDの真っ白で明るい光が目の中に差し込んできた。



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