13.武田の爺さん
風の強い日だった。ボクが裏山へと向かう道路には、乾いた砂埃が舞っていた。これもユウマを助け出す試練なのだ。こんなことで挫けてはいけない。ボクは自分をゲームの主人公だと思い込もうとしていた。勇者なら、困難が目の前に立ち塞がろうと、強敵が現れようと、ラスボスが仲間たちを殺そうとしていようと、決して臆することはないのだ。ボクはゲームの主人公なのだから、敵に負けることはない。走っても疲れることはない。ただそれだけなんだ。ほら、裏山が見えてきた。裏山へと入る秘密の小道は、いつも通り堂々と隠れている。
見渡す限りの田んぼを注意深く見てみても、武田の爺さんの姿も婆さんの姿もない。武田の爺さんに裏山に入る姿を見られては大変だ。怒鳴られるだけで済めばいい。最悪、学校とお母さんにチクられて、ボクは青木先生にもお母さんにも怒られる羽目になる。それは絶対に避けたかった。だから、ボクは武田の爺さんにバレないよう、細心の注意を払う。
いつの間にか世界はユウマのものから、ボクのものに戻っていた。多分、今見えている世界は、今の感覚は、おそらく、ボクのものだと、思う。きっと。
「ここで何をしているのかな?」
そう声をかけられたのは、ボクとユウマの秘密基地に着く寸前のところだった。秘密基地は獣道をずんずん真っ直ぐ進んだ先の大木の横にあって、木を寄せ集めてできた秘密基地の入口っぽい隙間の上には、『ユウマ・ツバサ』と汚い字で彫られた木の板がくくりつけられている。そろそろその文字が見えるか、見えないか、というところで、お爺さんの怪訝そうな声が背後から聞こえたのだ。ゆっくりと振り返る。ボクの悪い想像通り、武田の爺さんが仁王立ちでボクを睨みつけていた。
「あ、えっと……」
ボクはくるりと武田の爺さんに向き直り、手をモジモジとさせる。武田の爺さんは終始険しい顔で、
「不法侵入、という言葉を知ってますかな?」
と脅すような声音で語りかけてきた。言葉の意味がわからなくても、武田の爺さんが相当怒っていることくらい、わかる。武田の爺さんはボクの後ろのジオラマに気がついたようで、
「その背負っているものはなんだ」
尋ねる瞳がギラリと光った気がした。
「えっと……これは……」
「持ち出したのか」
先ほどよりもずっと声は小さいのに、ずっとずっと非情な剣幕でボクを見つめている。ボクの心臓が早鐘を鳴らす。とにかくどう言い訳すればいいのかと、ボクは考える。このジオラマを持ってきたのはユウマで、その友達がこの裏山で行方不明になってて、それでボクは……。考えれば考えるほど、支離滅裂になってしまうし、言葉を発することができなかった。
そもそもユウマがここにいるとは限らないのだ。だけど、あの女の人が行きそうなところで思い当たるのは、ユウマが神殿と言っていた場所だけだったし、なぜかわからないけど、ユウマはそこにいるんじゃないか、というピンッと閃いたような確信が、ボクの心にあった。
「聞いているのか」
武田の爺さんが般若のような顔で、ボクの顔を覗き込む。
「え、あ……と、その。実はこのジオラマは、ユウマ……えっと、ボクの友達なんですけど、彼ががこの裏山から持ち出したらしくて……。それで、ユウマは勝手に持ち出しちゃいけなかったって気がついて、ボクと一緒に、裏山にジオラマを返しにきたんです。だけど、その……歩いているうちにはぐれてしまって、それで途方に暮れていたところでありまして……」
ボクは緊張で息を切りながら、しどろもどろに言った。
武田の爺さんは真っ黒な瞳でボクの顔を捉えて、
「どこから持ち出したか、聞いたのか?」
と、怒り口調で聞いた。
「えっと……神殿みたいなところ、って言ってました」
「神殿……」
「多分、そこにユウマはいるんだと思います。先に行っちゃったんだ。だから、ボクもそこにいかないと行けないんです」
今度は流暢に喋れた。
「なるほど。わかった。ならば、こちらへ来い」
「へ?」
武田の爺さんはボクに背を向け、スタスタと軽快な歩調で歩き始める。
「……ほら、何をボサッとしている。着いてこいと言っているのだ」
ボクは嬉々として、武田の爺さんの後を追った。怒られなかった。それに、まさか、神殿の場所を教えてもらえるなんて思ってもいなかった! だけど、それはぬか喜びであったとすぐに気がついた。
「ここ……は?」
「ワタシの家だよ。見てわからんか」
ボクはまんまと罠にハマったのだと、落胆した。武田の爺さんはボクを神殿に連れて行く気などなかったのだ。
武田の爺さんは古めかしい引き戸の玄関扉を開け、ボクを畳の応接室へと連れて行く。そして、畳に二つフカフカで高そうな座布団を敷いた。
「小僧、そこへ座れ」
棒立ちのまま座布団を見つめていたボクは、逆らったらもっと酷いことになると思い、素直に座布団の上に座った。武田の爺さんも向かいに座る。
「まず、お前たちが勝手にワタシの敷地内に入ったことを怒らにゃならん。いいか、小僧。この裏山はワタシのモノだ。勝手に入るなと再三忠告していたのを理解できないほど、オツムが弱いのか? この辺のガキは、勝手にワタシの裏山に入り、秘密基地まで作ってしまうから、対応に困る」
「その……ごめんなさい……」
「表面的な謝罪はいい。どうせ今こうして謝ったところで、お前たちは二、三日もしたら忘れてしまうだからな。……さて、話を変えよう。小僧、今のソレはお前が持ち主なのか?」
武田の爺さんが顎でボクの背中を指す。武田の爺さんはこのジオラマのことをどのくらい知っているんだろう。考えあぐねたボクは曖昧に頷いた。
「そうであろうな。背負ってるってことは、まぎれもなく、お前が持ち主なのだろう。……ワタシは裏山に子どもたちが入ることを禁止している。それがなぜだかわかるか」
「それは、武田……さんの、持ち物だからです」
「表向きはな」
ボクは一瞬武田の爺さんに虚無感のようなものを感じた。薄暗い応接間に武田の爺さんの瞳にそれが浅黒く光った。
「裏山には、重大な秘密が眠っている。先祖代々守り抜いてきた古代の遺跡があるのだ。それが……小僧の言う神殿だよ。その遺跡に近づかせないために、ワタシは子どもたち……いや、この町全員の誰一人として裏山に入ることを許可していない。しかし、ワタシも年で耄碌してしまったのか、裏山の麓に子どもたちが入ることを……黙認するようになってしまった。子どもにとって裏山は魅力のある場所だと知っていたからな。それに、遺跡は裏山のてっぺんにあり、その上、獣道すらない奥地にある、故に、誰もそこに到達することはできないであろうと、ワタシは過信していたのだ。だが、ワタシが管理を怠ったために、恐れていたことが起きた」
ボクはごくりと唾を飲み込み、武田の爺さんの話を黙って聞き続ける。
「今日のように小僧が一人、遺跡に迷い込んでしまった。あそこは不思議な場所だ。いつも霧が立ち込めていて、世の中の不気味を集めきったような場所なのに、すごく魅力的に感じるのだ。もう二度と、そこから出たくないような、そんな気にさせられる。オカルトや幽霊なんてものはワタシは信じていないけれど、あの場所に行くと、不思議とそういった類いのものが存在するのではないかと信じてしまいそうになるよ」
武田の爺さんは自分の真っ白な髭をゆっくりと撫でた。
「本当ならば、小僧の友達のガキはワタシが迎えに行かねばならぬのだろう。だが、生憎、道なき道にある遺跡に行けるほど、ワタシの足は丈夫でない」
武田の爺さんはスッと背筋を伸ばしたまま立ち上がる。それから、古びた棚の一番上に置いてある鍵付きの箱を開けた。そして、その中に入っていたものをボクに手渡す。
「地図だ」
渡されたボロボロの紙を見た。
「小僧がワタシの代わりにその少年を迎えに行ってやれ」
ひどい衝撃がボクを襲った。
まさか、武田の爺さんが裏山に入る許可をくれるなんて!
武田の爺さんはボクに地図を渡した後、どうしてか手を伸ばしてボクの頭を優しく撫でた。




